瀬野八

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八本松駅近辺2004年6月
八本松駅近辺
2004年6月
八本松駅-瀬野駅間2009年3月31日
八本松駅-瀬野駅間
2009年3月31日

瀬野八(せのはち)とは、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線八本松駅 - 瀬野駅間(10.6km)の通称である。本区間は広島県東広島市広島市安芸区にまたがり、峠としての正式名称は大山峠である。

目次

[編集] 概要

山陽鉄道により1894年6月10日に開通した。同社は急勾配を避ける方針で路線を敷設したが、本区間は経済性を優先して最短経路での敷設としたことから、瀬野駅→八本松駅は22.6(パーミル)[1]の連続急勾配区間となった。このため蒸気機関車時代から現在の電気機関車に至るまで、開業以来上り列車には補助機関車(補機)を連結するボトルネックとなった。

[編集] 運用

現在は貨物列車のみであるが、かつては旅客列車や荷物列車にも補機が連結されたほか、2002年まで一部列車では走行中補機解放[2]が八本松駅構内下関側で行われていた。このため補機専用機関車はEF67形100番台を除き連結器解錠用テコにシリンダを装備し走行中解放に対応したほか、EF61形200番台・EF67形基本番台の貨車連結側となる東京方にはデッキを装備する。

現在では補機の連結・解放は瀬野駅や八本松駅では行われておらず、広島貨物ターミナル駅連結→西条駅解放としている。

1962年電化後は、EF53形EF56形を改造したEF59形ならびにEF61形を投入。従来の機関車牽引列車のみならず、動力分散方式151系電車特急つばめ」や153系電車[3]急行では、搭載するMT46形主電動機の1時間定格出力が100kWのためMT比1:1では出力が不足することや過負荷による主電動機の異常過熱が問題[4]となり、補機が連結された[5]

後に1時間定格出力120kWのMT54形主電動機が開発され、151系電車は181系電車に改造の際にMT54形に換装。153系電車は165系電車に置換えられ、本区間での補機連結は発展的解消を遂げた。しかし、本区間での営業運転には抑速ブレーキとノッチ戻し制御の装備が必須とされており、近郊形電車は平坦線用の113系電車ではなく115系電車が投入されるほか、103系電車が瀬野で広島方面へ折り返すのも同様の理由である。

[編集] 電力設備増強工事

本区間周辺では、2002年度より水島臨海鉄道を事業主体とした電力設備等増強工事が行われた。これは、JR貨物在籍電気機関車中で最大出力となるEF200形(1時間定格出力6,000kW)を用いて本区間で最大1,300tの重量級貨物列車の運転を行うためのものであり、この工事によりEF200形は従来変電設備の制約により課せられていた出力制限を解除する目的があった。

具体的な工事内容としては、八本松変電所の変電能力増強工事のほか、EF67形電気機関車の解放作業・待避を行う西条駅の有効長を1300t列車対応とするための延伸工事などである。

この工事は2007年2月に完成し、2007年3月18日のダイヤ改正よりEF66形・EF200形・EF210形による1,300t列車の運用が開始されたが、2009年9月現在でも、EF200形の出力はEF66形・EF210形と同等に抑えられる出力制限は解除されていない。

[編集] 後部補機

瀬野駅構内には、本区間で使用する補機を配置する瀬野機関区があったが1987年に廃止され、広島貨物ターミナル駅近くにある広島機関区に統合された。

[編集] 蒸気機関車時代の補機

[編集] 電気機関車時代の補機

[編集] 本区間を題材にした出版物

本区間での走行中解放をトリックに使用。
第16話「セノハチ」

[編集] 参考文献

  • 椎橋俊之「「SL甲組」の肖像 第42回 瀬野機関区 西の函嶺を押し上げる」
ネコ・パブリッシングRail Magazine』2007年9月号 No.288 P.51 - P.68

[編集] 脚注

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  1. ^ 1000メートルあたり22.6メートルの高低差。
  2. ^ 過去には1930年10月に運転を開始した特急「」が 1934年12月の丹那トンネル開通以前は現・御殿場線の勾配区間経由とされていたため下り上りとも御殿場駅構内で、1943年10月の太平洋戦争激化による廃止まで25‰の勾配が存在していた下り大垣駅 - 関ヶ原駅間対応後柏原駅構内で、それぞれ走行中補機解放を行っていた事例がある。
  3. ^ 機関車は自動連結器で153系電車は密着連結器のため、神戸方密着連結器・下関方自動連結器としたアダプター的な意味合いの控車とした湘南色塗装のオヤ35形(0番台)を連結した。
  4. ^ 電動車を増やせば自力登坂も可能だが、編成が変わり他の列車と共通に使用できなくなるデメリットや変電所容量などでも問題があるため補機連結策が採用された。
  5. ^山陽本線優等列車沿革」の項目も参照。
  6. ^ 1964年の山陽本線横川 - 小郡(現・新山口)間電化まで、東京 - 九州間寝台特急牽引運用の昼間時間帯間合いで投入。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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