国鉄50系客車

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第19回(1979年
ローレル賞受賞車両

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50系客車(50けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が主に地方都市圏の通勤・通学時間帯の普通列車に使用する目的で1977年昭和52年)より設計・製造された一般形客車の系列である(区分の経緯については#車両区分を参照)。国鉄規格「赤2号」の塗装から「レッドトレイン」とも称されていた[1][2]

本州以南用の50形と、北海道用の51形があるが、基本的な設計コンセプトは同一であるため本項ではこの両形式、さらに同一の車体構造を有する荷物車マニ50形郵便・荷物合造車スユニ50形についても併せて解説を行う。

概要[編集]

50系客車で組成された列車
50系客車で組成された列車
50系51形客車で組成された列車
50系51形客車で組成された列車

1970年代前半まで、地方都市圏の旅客輸送には1920年代から1960年代にかけて製造された鋼製客車が多数使用されていた。これらの車両は優等列車電車化気動車化および12系客車の登場によって転用されたもので10系以前の客車は登場後しばらくは程度の良い車両が優等列車に使用され、後継車両の増備や置換えで捻出された中堅車や経年車は普通列車にも使用されるようになっていた[注 1]。しかし製造後20年から40年以上を経て老朽化・陳腐化が進行し、保守上の問題と乗客からの不評を顕在化させていた。このため一部の鉄道管理局では、室内の両端、あるいはすべての座席をロングシートに改造し、つり革を設置することで収容定員の増加が図られていたが、狭いデッキや出入口はそのままであり乗降の遅滞から列車遅延の原因となっていた。また自動扉をもたないこれらの客車は、走行中でも客用扉を開閉できるため乗客や荷物が転落する危険があり、保安上の問題となっていた。上記の問題を解決するために、新形車両の導入が求められていた。

輸送改善に際しては、当時行われていた荷物・郵便輸送への配慮[注 2]と貨物輸送量の減少で機関車の余剰が発生していたことから、新形式客車を開発する方針が採られた。1両当たりの製造コストが気動車や電車よりも格段に安かったため地方部の通勤・通学時間帯に多く運転されていた比較的長編成の客車普通列車の置換え用として、余剰化した電気機関車ディーゼル機関車を有効活用し、輸送力増強やサービス改善を低コストで行うために製造された車両群が本系列である。

1977年(昭和52年) - 1978年(昭和53年)に製造が開始され、当初は筑豊本線芸備線東北本線仙台地区)向けで特に朝夕のラッシュアワーで運用された。製造は1982年(昭和57年)まで続き上述条件の他に交流電化区間や非電化区間にも投入された。

1979年(昭和54年)には鉄道友の会よりローレル賞を授与され、オハフ50 1の車内に記念プレートが取付けられた[注 3]

車両区分[編集]

本形式の用途は通勤輸送を主目的とした車両であるが、室内は地方での需要を反映してセミクロスシートとした。通勤輸送に用いられる車両は通常通勤形にカテゴライズされるが、当時の国鉄では「客室に出入口を有し、横型腰掛(ロングシート)を備え、通勤輸送に適した性能を有する車両形式のもの」を通勤形に定義していた[3][注 4]。一方で室内がセミクロスシートであることに着目すれば近郊形となるが、本形式は「通勤形でも近郊形でもない」として「一般形」の区分を採用した。したがって、日本の国鉄・JRの客車において厳密な意味で通勤形や近郊形の区分を採用した客車は新製されていない。

国鉄では「客室に出入口を有し、横型(ロングシート)及び縦型腰掛(クロスシート)を備え、通勤輸送に適した性能を有する車両形式のもの」を一般形に定義している[3][7]

なお、10系以前の客車を国鉄の現場などでは「一般形客車」「旧型客車」「在来形客車」と呼称していたが、こちらは20系以降の新系列客車との対比で1両単位で管理されている従来の客車の呼称として使われたものであり、正式な意味でこの区分を採用したものではない[8][9]。また、普通車については一部を除いてデッキ付きのクロスシートで製造しており、通勤輸送よりも長距離列車への使用を想定していたため、10系以前の客車には急行形・一般形といった概念はなく、明確に何形などと定義していない。したがって、厳密な意味で「一般形」の区分を採用した客車は本系列のみである。

運用[編集]

国鉄時代は事故廃車もなく、1987年国鉄分割民営化の際には座席車として製造されたすべての車両が、東海旅客鉄道(JR東海)を除くJR旅客鉄道各社に承継された。

50形
東日本旅客鉄道(JR東日本)
西日本旅客鉄道(JR西日本)
四国旅客鉄道(JR四国)
九州旅客鉄道(JR九州):ただし電気暖房付き車両は未承継。
51形
北海道旅客鉄道(JR北海道)
運用がなくなり留置された車両
ただし早期に解体された
1992年 出雲市駅

しかし、国鉄末期以降は各地で「短編成・高頻度」型のフリークエント・ダイヤへの転換[注 5]が相次ぐと、折り返し駅で機関車を付け替える必要がない電車・気動車への転換が進み客車列車の本数は著しく減少した。また、急行列車の大幅な縮小によって余剰となった急行型車両が普通列車に転用されたため1986年11月のダイヤ改正では早々と余剰車が発生した。それらは開通目前の津軽海峡線用に転用されることになり、国鉄時代末期に改造が行われ函館運転所(現・函館運輸所)に転出した。

JR化直後には、四国配置車に早くも大量の余剰車が発生する状況になり、他社においても徐々に余剰化が進行した。一部の車両がキハ141系キハ33形への改造に充てられた以外は転用されず、1989年平成元年)以降淘汰が進んだ。1992年(平成4年)4月1日には高徳線の普通列車が全列車気動車化され、JR四国管内での本系列の定期運用は消滅した。東日本地区でも1993年(平成5年)7月20日羽越本線酒田 - 秋田間の普通列車がすべて電車化され、同年12月1日には奥羽本線新庄 - 秋田間・追分 - 青森間・八戸線の本系列および12系客車を使用した普通列車がすべて701系電車と気動車に置換えられた。

1994年(平成6年)1月の時点で、本系列の一般仕様車による運用が残っていたのは函館本線小樽 - 旭川間・東北本線一ノ関 - 青森間・奥羽本線秋田 - 追分間(ただし男鹿線直通列車のみ)・男鹿線・磐越西線鹿児島本線門司港 - 折尾間・筑豊本線日豊本線小倉 - 柳ヶ浦間・久大本線の11線区であった[10]

その後もJR各社は本系列を含む客車普通列車の電車化・気動車化を進め、1994年(平成6年)12月3日のダイヤ改正で東北本線一ノ関 - 盛岡間・男鹿線・函館本線の普通列車がすべて電車・気動車化され、この時点で51形一般仕様車は営業運転を終了した。1995年(平成7年)4月20日には日豊本線、同年11月30日に磐越西線、1996年(平成8年)3月30日には東北本線盛岡以北からも本系列の運用が終了したことにより、本州地区における本系列の一般仕様車の定期運用が消滅した。

1997年(平成9年)3月22日のダイヤ改正では、山陰本線から急行「だいせん」の快速区間を除き12系客車の普通列車運用が終了し[11]、1999年(平成11年)10月2日に急行「だいせん」も気動車化されたことで、JRグループでの客車による普通列車は、津軽海峡線快速海峡」とJR九州管内の一部のみとなった。本系列の運用が残存していた九州地区では1995年4月20日のダイヤ改正以降、筑豊地区での運用は朝夕2往復のみ[12]となり、気動車列車だけでは賄いきれないラッシュアワーの輸送力確保のための運用に縮小された。その後、1999年12月4日に行われた久大本線普通列車の完全気動車化によって、本系列の運用範囲は鹿児島本線門司港 - 折尾間と筑豊本線若松 - 飯塚間のみとなった。

しかし、2001年(平成13年)10月6日に筑豊本線折尾 - 桂川間(福北ゆたか線)が交流電化されたことにより、本系列の運用は終了することになった。直方車両センター配置の本系列14両は12系客車12両とともにすべて廃車となり、本系列の一般仕様車はこれを最後にすべて廃車となった[13]

一般仕様車の全廃後は快速「海峡」が本系列最後の定期列車であったが、2002年(平成14年)11月30日で廃止され定期列車運用は消滅した。

2012年(平成24年)9月現在、JRグループので営業運転に投入される車両はJR北海道の「ノロッコ号」やJR九州の「SL人吉」号など観光を主目的とした不定期列車に限られている。

構造[編集]

同時期に設計・製造されたキハ40系気動車115系1000番台などとは、車体構造やアコモデーションなどで共通点が多いのが特徴である。

車体[編集]

普通鋼製車体である。本州以南向けの50形については工程の簡略化のため窓構造が従来の一段上昇窓から上段下降・下段上昇式の外ハメ窓(ユニット窓)とされた。すきま風や雨水による浸食防止と取付簡素化をはかって新設計のユニットサッシが採用されたため12系客車など在来の車両で使用されているユニットサッシとの互換性はない。

車体断面は12系などとは異なり全幅が約100mm小さく、裾絞りのないストレートな腰板を備える簡素な構造で、連結・解放作業を考慮して、車体妻面は3面構成の折妻構造とされた。側構が薄くなったことで室内幅は従来の旧形客車より若干拡大し、窓側席肘掛の省略や座席寸法の見直しで必要な通路幅を確保している。

床下型の集中式冷房装置を想定し床面を高く設計している。AU75系集中式冷房装置の搭載を考慮した電車形の屋根断面、および構体構造で設計されているとする説もあるが、それらが搭載された実績は無い。新製時には製造コストと電源確保の問題から冷房装置は搭載されず、押込式通風装置が搭載された。

  • のちに冷房改造された車両もあるが、いずれも分散式もしくは床置式冷房装置、あるいは床下に集中式冷房装置が搭載されており、屋根上に集中式冷房装置を搭載した車両はない。

客用扉は、在来形客車で問題視されていた手動扉に代わり、幅を1,000mmに拡大した片引戸で半自動操作も可能な自動扉とし、車軸からの速度検出による戸閉保安装置が追加された。ドアエンジンを動作させる圧縮空気は、空気圧を供給する空気圧縮機やその動力源も搭載されていないため、機関車から元空気溜管(Main Reservoir Pipe:MRP)を介して供給する必要がある。

  • このため牽引用機関車は、AREBブレーキに改造された20系客車やCLEブレーキと空気バネ台車を装備する10000系高速貨車などと同様にMRPを装備する機関車に限定された。
  • 旧形客車と混結する際には、旧形客車はブレーキ管(Brake Pipe:BP)と蒸気暖房用蒸気管や電気暖房給電用の引き通しのみで、客用扉操作用回路や車内放送用回路のジャンパ連結器やMRPが未搭載のため編成組成では本系列を機関車次位に連結し、本系列の車掌室・業務用室から自動扉を一括操作する制約があった[注 6]

車内のサービス用電源は従来通り各車に搭載された車軸発電機蓄電池とされた。

行先表示は、在来形客車のサボを掲示する方式を踏襲し、側面中央部窓下にサボ受を設けた。側面上部に自動行先表示器の取付準備工事が施工されていたが、実際に搭載された車両はない。

車体色は、交流電気機関車と同様の赤2号(やや小豆色に近い赤色)の一色塗りで、屋根はねずみ色1号である。

車内設備[編集]

オハ510-1車内
種車のオハ51 1から大きな変更はない

旧来の国鉄形客車とは異なり、長距離列車よりも主に通勤通学時間帯における運用を考慮した車内設備とした。

座席配置は、デッキ付近をロングシート、客室中央をシートピッチ1,470mmのクロスシートとしたセミクロスシートとした。ボックスシート部のテーブルおよび窓側の肘掛は装備されていない。

デッキ・客室間の仕切扉も乗降の円滑化を図り1,200mm幅の両引戸とし、引き残しを少なくするため取手部分の戸袋を切り欠いているが、北海道向け51系およびオハフ50形のトイレ側は一般の片開き式とした。

暖房装置は、在来形客車と同様で機関車に搭載される蒸気発生装置(SG)から暖房用蒸気の供給を受ける方式を採用したが、一部車両では電気暖房装置を併設する。

本系列のみで組成した編成で運用することを主眼においており、循環式汚物処理装置準備工事が施工されたトイレは緩急車にのみ設置とされた。

車掌が車内をこまめに巡回し、なおかつ在来形客車では不要であったドア開閉操作を行う点から編成中の緩急車数を従来よりも増やし[注 7]、緩急車も一端は車掌室、もう一端は業務用室とした上で乗務員扉を双方に設置し業務効率化を図った。

主要機器[編集]

マニ30形 TR230B形台車
本系列用TR230形も基本構造は同一

台車はTR230形を装着する。

  • 本台車は、10系客車で開発されたTR50形の流れを汲み、プレス材溶接組み立てによるペデスタル(軸箱守=じくばこもり)式軸バネ式台車で12系・14系客車などで採用された空気バネ台車のTR217系から、枕バネのコイルバネ化や密封コロ軸受を実施したものである。

空気ブレーキは応答性が良好で、メンテナンスも容易な三膜式のCLブレーキを搭載する。応答時間短縮に効果のある電磁給排弁は付加されておらず最高速度は95km/hに制限される。

主要諸元[編集]

  • 連結面間距離:20,000mm
  • 車体長さ:19,500mm
  • 車体幅:2,800mm
  • 車体高さ:3,650mm
  • 心皿間距離:14,000mm
  • 台車:TR230形
  • 常用最高速度:95km/h
  • ブレーキ装置:CL空気ブレーキ装置

形式別概説[編集]

この項では新製車両のみを示す。改造車については次項に記す。製造は全形式とも富士重工業新潟鐵工所の2社である。

50形[編集]

オハ50 14
オハ50 14
オハフ50 434
オハフ50 434

本州以南向けのグループで1978年(昭和53年) - 1982年(昭和57年)に製造された。東北北陸地区などに投入された車両は電気暖房を併設し車両番号が原番号+2000を付与される。

オハ50形 (オハ50 1 - 2335)
編成の中間に組成する座席普通車で335両が製造された。
オハフ50形 (オハフ50 1 - 2488)
前位側を業務用室、後位側を専務車掌室とし、トイレを装備する緩急車で488両が製造された。
主に列車の最前部もしくは最後部に連結されるほか、自動ドア等客扱いの利便性のため編成中間に連結されることもあった。

51形[編集]

北海道用のグループで、客室窓を小型の一段上昇式二重窓とし、車軸発電機をベルト駆動からギア駆動に変更するなどの酷寒地対策が施工される。台車は、軸バネと枕バネにゴム被覆コイルバネ(エリゴバネ)を使用したTR230A形である。

1978年(昭和53年) - 1982年(昭和57年)に製造されたが、1979年(昭和54年)までに製造された初期車 (オハ51・オハフ51共に1 - 10が該当) は、車体側面戸袋窓が小型、オハフ51形では床下水タンクの装架位置が異なる。札幌圏で運用した車両には、機関車に出発合図を送るためのブザー回路[注 8]が追加された。

オハ51形(オハ51 1 - 62)
編成の中間に組成する座席普通車で62両が製造された。
オハフ51形(オハフ51 1 - 68)
緩急車。68両が製造された。

郵便・荷物車[編集]

マニ50 2232梅小路運転区
マニ50 2232
梅小路運転区
マニ50 2186「リゾートエクスプレスゆう」電源車
マニ50 2186
「リゾートエクスプレスゆう」電源車
マニ50形(マニ50 2001 - 2072・2101 - 2264)
老朽化したマニ60形・マニ36形など旧形車の置換え用として開発された荷物車で、1977年(昭和52年) - 1982年(昭和57年)に236両が製造された。
室内配置は従来の荷物車とほぼ同等でトイレ・貴重品室を、乗務員室扉は車体前後に設置し、各々に車掌室と業務用室を配する。
荷重は14t。外部塗色は青15号である。全車が電気暖房装置を備え車両番号は2000番台とされた。ただし1979年(昭和54年)製造車からはブレーキシリンダの配置など細部が変更され車両番号が2101以降に区分された。
1986年(昭和61年)に鉄道荷物輸送が廃止されたことで本来の荷物車としての用途はなくなり製造年が新しいにもかかわらず大量に廃車となったが、「MOTOトレイン[注 9]」用や救援車代用としてJR旅客6社に63両が承継された。しかし現在までにMOTOトレインはすべて廃止され、営業運転に使用されることはほとんどない。現在使用頻度の高い車両は、工場入出場時の控車として使用されるごく一部である。
特異なものとして、24系客車の電源車マニ24形500番台や「リゾートエクスプレスゆう」用電源車への改造車が存在する。詳細はリンク先の記事を参照のこと。


スユニ50 514釧路運輸車両所代用救援車
スユニ50 514
釧路運輸車両所代用救援車
スユニ50 517佐呂間駅跡保存車
スユニ50 517
佐呂間駅跡保存車
スユニ50形 (スユニ50 2001 - 2063・501 - 517)
スユニ60形などの旧形郵便・荷物合造車を置換えるため計画された郵便荷物合造車。台枠も含めて車体は完全に新製であるが、TR47形台車および自動連結器一式は廃車となったスハ43形スハネ16形などから流用したことから、名義上は新製ではなく種車からの改造扱いである。技術力の維持と向上を目的に1978年(昭和53年) - 1981年(昭和56年)に80両がすべて国鉄工場で改造施工された。
  • 当初は100両改造される計画であったが、郵便・荷物輸送の低迷により80両に下方修正された。
本州以南用0番台と北海道用500番台の番台区分が存在する。0番台は全車電気暖房装置を搭載することから車両番号は原番号+2000となる。外部塗色は青15号である。
1986年(昭和61年)の郵便・荷物輸送の廃止とともに大部分が廃車されており、JRへの承継は北海道3両、東日本4両にとどまった。現存している車両は北海道・東北で救援車代用として配置されている。改造種車を以下に示す。

この他にもスユ15形のうち1981年以降に製造された2019 - 2039は、車体構造が5本系列と同仕様に変更されたが、10系に属するため本項目では割愛する。国鉄10系客車#郵便車を参照

改造車[編集]

国鉄時代[編集]

「MOTOトレイン」用オートバイ緊結装置取付改造
オートバイ輸送と鉄道利用者との結合による企画として、1986年(昭和61年)7月から夏季のみ運転される「MOTOトレイン」用に尾久客車区(現・尾久車両センター)所属のマニ50 2120・2124・2128・2154 - 2159へ施工した改造である。車両番号の変更はない。分割民営化の際には全車が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。
車掌室・貴重品室・トイレ・洗面所を撤去し、車内にオートバイ緊結装置を取付20台の積載を可能とした。
  • ただしマニ50 2120・2124・2128の3両は、車掌室等を残置させたため積載数は10台とされた。
上野 - 函館間で運行され、急行八甲田」・快速海峡」に併結[注 10]して運転されたが、「八甲田」の廃止とともに運転を終了。1999年(平成11年)と2000年(平成12年)に9両全車廃車となっている。
オハフ50 180
簡易ビュフェ「オアシス」
簡易ビュフェ「オアシス」
国鉄四国総局がオハフ50 180に簡易ビュフェを設置した改造である。
ボックスシートの一部を撤去し、カウンターを設けて生ビールコーヒーなどを販売した。ボックスシート間にはテーブルを設置した。
ビュフェとしての使用は1986年(昭和61年)7月23日 - 8月30日の間で民営化後の1989年(平成元年)に廃車された。


スユニ50 2046簡易架線試験車
建築限界試験列車
1987年1月
簡易架線試験車
1987年(昭和62年)3月の予讃本線高松-坂出間・多度津-観音寺間・土讃本線多度津-琴平間電化開業に先んじてスユニ50 2046を架線観測用の簡易試験車として改造。屋上に観測用パンタグラフ・テレビカメラを搭載し、同年1月7・8日の建築限界試験の際にDE10形牽引によりオヤ31形などと共に走行した。


JR北海道[編集]

快速「海峡」用改造車[編集]

青函トンネルを含む津軽海峡線の快速「海峡」(青森 - 函館)用に施工された改造である。50形・51形双方が種車とされたが、改造時期や内容に若干の差異があるほか、共に車両番号は新たに番台区分された5000番台に改番された。

 
50形5000番台(上)
青函トンネル内列車位置表示装置(下)
50形5000番台
改造工事は1987年(昭和62年)の分割民営化以前に完了させてから、北海道旅客鉄道(JR北海道)が全車を承継した。
種車はすべて電気暖房付の2000番台であるが、転配で電気暖房が使用されていない米子・福知山・亀山地区で運用されていた車両である。
側面窓を固定式の大型一枚複層窓に交換し、外部塗色は青色地に白帯の塗装に変更された。車内には青函トンネル内での現在位置表示装置を取り付け、座席は全席とも新幹線0系電車の廃車発生品の転換クロスシートに交換した。
  • ただしオハフ50形は、当初ロングシート部分のクロスシート化のみで竣工したが、1987年(昭和62年)度中に全席転換シートへの交換を施工。
屋根上にAU13AN形分散式冷房装置5基を搭載した。電源はED79形の電気暖房用電源を冷房兼用とした。
津軽海峡線内での高速運転に対応させることからブレーキ装置の改良を施工し、最高速度110km/hでの運転に対応させた。
「海峡」運用開始後に情勢の変化などから以下の改造を施工。
  • オハ50 5001・5002・5004・5005・5012・5013・5015:1991年(平成3年) - 1992年(平成4年)に清涼飲料水自動販売機を設置。
  • オハフ50 5010:1997年(平成9年)にカラオケ個室(8人用・5人用各2室)を設置。
  • オハ50 5004・5005:1997年(平成9年)にTR217形空気バネ台車に交換。
1998年(平成10年)以降は『ドラえもん』とのタイアップ列車「ドラえもん海峡号」に対応させることから、車体内外部へのシール・ステッカー貼付が全車に行われた。ただし、年度によりシールのデザインは異なっていた。またオハフ50 5007・5008は「ドラえもんカー」専用車として座席を撤去し、売店とフリースペースとする改造を施工した。
2002年(平成14年)12月のダイヤ改正で「海峡」が廃止されたため「ノロッコ号」用改造種車となったオハフ50 5008を除き順次用途廃車なった。
51形5000番台
快速「海峡」増発対応用として1990年(平成2年)に51形を種車に改造したグループである。
塗装や車内は50形5000番台とほぼ同等であるが、オハフ51形にはトイレ対向部にベビーベッドを設置する差異がある。
当初は冷房装置を搭載せず落成したが、のちにAU51形集約分散式冷房装置(メーカー形式日立FTUR-300-108)を2基屋根上に搭載した。50形5000番台と同じくED79形から給電される電気暖房用電源を冷房用電源とするため暖房も電気暖房式に変更した。
台車やブレーキ装置も当初は改造施工されず最高速度95km/hのままとされたが、1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけてオハ51形は台車を14系客車の廃車発生品となるTR217C形もしくはTR217D形に交換、オハフ51形はTR230形の改造とブレーキ装置改良を実施し、最高速度が110km/hに引上げられた。
オハ51形はカーペット車への改造と同時に後位側客扉を閉鎖。
オハフ51 5002は1999年(平成11年)に事故廃車された。
2002年(平成14年)12月のダイヤ改正で「海峡」が廃止されたため多数の車両が用途廃車となったが、2013年現在でオハフ51 5003・5004が青函トンネル緊急救援車として車籍を有する。

客用扉増設改造[編集]

オハ51 41

札幌圏のラッシュ対策のため1987年(昭和62年)に苗穂工場でオハ51 41へ施工した改造。

車体中央に1,000mm幅の客用扉と客室との仕切り扉を増設して3扉化し、客室を前後2室に分けたほか、増設扉周辺の座席をロングシートに変更した。

改造は1両で終了し、その後3扉化は711系電車の一部に改造施工ならびに721系電車で実施され、オハ51 41は1994年(平成6年)に廃車された。

「ノロッコ号」向け改造[編集]

1993年(平成5年)に釧網本線で運行されるトロッコ列車くしろ湿原ノロッコ号」用として1両が改造された。1998年(平成10年)に従来車の老朽取替のため編成単位で改造され、続いて1999年(平成11年)には新たに運行開始された「富良野・美瑛ノロッコ号」用として2両が追加改造された。

オハ510形・オハテフ500形・オハテフ510形・オクハテ510形の4形式で構成され、「くしろ湿原ノロッコ号」用車両が緑色基調、「富良野・美瑛ノロッコ号」用車両が茶色基調の塗装を持つ。またワキ10000形改造のバーベキューカー(ナハ29000形)などと連結され、団体臨時列車として運行されることもある。

オハフ51形 カーペット車
1993年(平成5年)に旧「釧路湿原ノロッコ号」用としてオハフ51 4に施工した改造。一部座席を撤去しカーペット敷としたほか、外部塗色も変更された。
1998年(平成10年)に機関車制御機能の付加改造を受け、オクハテ510-1に形式変更。
オハテフ510-51
オハテフ510-51
オハテフ510-51車内
オハテフ510-51車内
オクハテ510-1
オクハテ510-1
オクハテ510-1車内
オクハテ510-1車内
オクハテ510-2
オクハテ510-2
オクハテ510-2車内
オクハテ510-2車内
オハ510形 略号PTg[14]
1998年に「くしろ湿原ノロッコ号」用としてオハフ51形を種車に改造。定員92(着席定員67)[14]
編成内サービス電源用パッケージ式発電機を旧車掌室に床上搭載し、付近の扉や窓は塞がれ、通気グリルや機器搬出口が設置された。
種車の和式トイレは従前のまま残されている。車内は原形のボックスシートと、出入台部はロングシートのままである。ロングシート部にはつり革も残されている。また暖房方式は、発電機からの電源による電気暖房に変更された。
オハテフ500形・オハテフ510形 略号PT[14]
編成中間に連結されるトロッコ車両である。JR発足後では初めて展望車を示す「テ」の記号を持つ新形式車両となった。また国鉄時代には普通車(およびその前身の3等車→2等車)の展望車は例がなく「ハテ」を名乗る形式は本形式が初の例である。
オハテフ510-1
1998年に改造された「くしろ湿原ノロッコ号」用車両。和式トイレのほか、物品販売用のカウンター、車椅子スペースが設けられている。定員66[14]
オハテフ510-2
1999年(平成11年)「くしろ湿原ノロッコ号」増結用に追加改造された車両。
オハテフ510-51
1999年に「富良野・美瑛ノロッコ号」用として改造された。サービス電源用発電機を搭載する。
オハテフ500-51
2004年(平成16年)に「海峡」の廃止により余剰となったオハフ50 5008を種車に改造された「くしろ湿原ノロッコ号」用車両。自車給電用のディーゼル発電機を床下に搭載する。
オクハテ510形 略号PTc[14]
機関車と反対側の編成端に連結される車両である。分類上は客車であるが、片側に運転台を設置しており、最後部に機関車を連結した状態で機関車を制御・走行(推進運転)することができる。したがって、客車に付される重量記号「オ」と、制御車を示す「ク」の記号が付与される。
オクハテ510-1
「くしろ湿原ノロッコ号」用で、カーペット車オハフ51 4の再改造車である。定員74[14]
オクハテ510-2
富良野・美瑛ノロッコ号」用。1とはは前面などの仕様が若干異なる。

キハ141系化改造[編集]

余剰となったオハフ51形に施工した気動車化改造。詳細はJR北海道キハ141系気動車を参照のこと。

JR東日本[編集]

「アメリカントレイン」
「アメリカントレイン」
専用牽引機 EF60 19
専用牽引機 EF60 19
「アメリカントレイン」
日米友好親善活動の一環として1988年(昭和63年)7月4日(アメリカ独立記念日)から1年間にわたり運転された「アメリカントレイン」用に改造された車両である。
オハ50形10両とオハフ50形2両を種車に車内をパビリオンに改装、アメリカ合衆国に関する案内や同国製品の展示が行われた。このため搭載目的はないものの荷物車扱いとし、車両番号はそのままで形式のみをオハ50形→オニ50形、オハフ50形→オニフ50形と変更した。この結果、本来あり得ない「ニフ」という車種記号が発生した(あり得ない理由は緩急車を参照のこと)。
外部色はアメリカ合衆国のイメージから星条旗風塗装に変更した。
夏期にも運行することから、屋根上にAU13形分散式冷房装置5基を搭載、電源装置はオニ50のうち2304・2306・2308・2312・2314・2318に防音対策が強化された4VA機関を床下搭載とし自車を含む2両給電とした。
日本各地を巡回する運行に際し、旅客は乗せず駅に停車して一般公開を行った。また航送した上で沖縄県でも展示公開された。専用牽引機関車として客車と同一色としたEF60 19が選定されたが、直流電気機関車の同機が自走できない交流電化区間や非電化区間では対応する他の機関車がEF60 19を含み牽引した。
全運行日程終了後に以下の形で一部車両が転用された。
しかし、その後は全車とも用途がなく、上述のオニ50 2306・オニ50 2314を除き1995年(平成7年)までにすべて廃車となった。
マニ50 2236
「オリエント急行」控車
1988年(昭和63年)10月 - 12月の「オリエント急行」日本国内走行に対応した編成両端に連結する連結器変換用控車としてマニ50 2236に施工した改造。車両番号の変更はない。
「オリエント急行」間との連結器をねじ式に交換し併せてバッファーも装着したほか、主に寝台リネン等や列車運行に必要な資材等の倉庫としても利用された。


「ノスタルジックビュートレイン」1992年
「ノスタルジックビュートレイン」
1992年
オハフ50形2500番台1999年 高崎駅構内
オハフ50形2500番台
1999年 高崎駅構内
「ノスタルジックビュートレイン」
1990年(平成2年)に五能線の活性化を目的としたジョイフルトレインノスタルジックビュートレイン」の運行開始にあわせて2編成分が改造された。
オハフ50形2500番台
塗装は上半黄色、下半茶色に白帯の塗装へ変更。車両の一端を「アイランドエクスプレス四国」に似た開放式の展望デッキが設置されたほか、側面窓は大型の固定窓に変更し車内も木材を多く用いたレトロ調とした。床下に冷房装置を搭載する。
オハフ50形3000番台
1991年(平成3年)に増結用として追加改造された指定席用車両。種車は元「アメリカントレイン」のオニ50形で、座席はリクライニングシートに交換された。
このほか、全線を通して走行する普通列車のダイヤで運行されていたことから観光客以外の一般客利用も考慮され、編成中に2両の自由席車も連結された。自由席車は塗装以外に変更はなく、専用の牽引機関車DE10形も同色に変更した。
  • 自由席用塗装変更車:オハ50 2310・2441・オハフ50 2157・2158
  • 専用牽引機:DE10 1112・1186・1187・1204
1997年(平成9年)の「リゾートしらかみ」運行開始による置換えで「ノスタルジックビュートレイン」が廃止されたためオハフ50 2501・2502が高崎運転所(現・高崎車両センター)に転出した以外は廃車となった。高崎転出車は「EL&SL奥利根号」等のイベント列車で運用されたが、2001年(平成13年)に小海線でのさよなら運転を最後に営業運転を終了・長野総合車両所(現・長野総合車両センター)で廃車解体された。
マヤ50 5001
建築限界測定車
オヤ31形の後継としてオハフ50形から1995年(平成7年)に改造された。オヤ31形と異なり物理的に接触させるのではなく、光を照射し、CCDカメラにより撮影解析して測定する測定器を搭載しており、「光オイラン」とよばれる。
当初はスヤ50形とされたが、2003年(平成15年)に「East i」シリーズ(E491系「East i-E」キヤE193系「East i-D」)との併結改造を行った際に重量が増加したため、現在のマヤ50形となった。
マザーグーストレイン」
1987年(昭和62年)に長野工場でマニ50 2028・2243へ施工した小海線で運転された「マザーグーストレイン」用売店車への改造で、車両番号の変更はない。
京葉線などにも入線した実績があったが、その後休車となり、1994年(平成6年)に廃車。
「バーボンエクスプレス」
1987年(昭和62年)に運転された「バーボンエクスプレス」用にカウンターなどを設置改造した車両で「MOTOトレイン」用マニ50 2154・2155・2158・2159に施工。後に復元された。
「オランダエクスプレス」
1987年(昭和62年)に運転された見本市列車「オランダエクスプレス」でパビリオンとして使用するための改造。
マニ50 212021242128・2129・2130・2136・2137・21562157・2183に施工されたが、この書体の車両は「MOTOトレイン」用からの再改造車である。

JR西日本[編集]

「日本海モトとレール」1992年 京都駅
「日本海モトとレール」
1992年 京都駅
マニ50 5002 「瀬戸」運用1990年
マニ50 5002 「瀬戸」運用
1990年
オートバイ緊結装置取付改造
1988年(昭和63年)から、夏季期間中に限り大阪 - 函館間の寝台特急「日本海」でツーリング客向けにオートバイ輸送を実施するため宮原客車区(現・網干総合車両所宮原支所)所属のマニ50形2両に施工した改造。
特急列車で運用することからブレーキ装置を改良し110km/h走行対応化も同時施工されたほか、電照式愛称表示器が貫通路に設置された。
1990年(平成2年)初頭には、寝台特急「あさかぜ3・2号」「瀬戸」用編成の電源車がスハ25形に差し替えられたが、荷物室付きのオハネフ25 300番台が改造落成するまでの暫定措置として同列車に連結された実績がある。
1998年(平成10年)シーズンを最後に「モトとレール[注 11]」が運転中止となり、翌1999年(平成11年)に廃車された。
キハ33形化改造
JR移行後に余剰となったオハ50形を気動車化した形式である。詳細はJR西日本キハ33形気動車を参照のこと。

JR四国[編集]

アイランドエクスプレス四国
アイランドエクスプレス四国
1987年(昭和62年)に改造された四国初の本格的ジョイフルトレインである。改造工事および届出は分割民営化前に行われたが、落成ならびに運用開始はJR四国発足後である。グリーン車扱いとなりオロ50形・オロフ50形に形式変更された。
基本は5両編成だが、3両編成でも運用可能とした設計で、110km/h走行に対応するためA急ブレーキ弁の取付とブレーキ回路の変更を施工した。
塗装は上半分が白色、下半分はJR四国のコーポレートカラーである水色とし、側面窓を固定式1枚窓に改造した。
オロフ50形のうち編成両端に連結される1・2は車端部に開放展望デッキを設置したが、展望車を示す「テ」の車両記号は付与されない。一方3は中央部の3号車として組成されることから、展望室は省略され添乗員室と売店が設置された。また種車のオハフ50形は和式トイレしか備えていなかったが、洗面所を追加設置したほか、1・2は洋式トイレに改造された。
車内は床を絨毯敷きとし、座席は360度回転する1列3人掛のリクライニングシートへの交換を実施したほか、各種AV装置も搭載された。
AU13形分散式冷房装置はの5基を屋根上に搭載。暖房は種車の電気暖房装置を使用した。これら冷房・暖房・サービス用電源はキハ58系から流用した4VK発電装置に回転数を落とした防音対策を施工し各車床下に搭載した。
1996年(平成8年)に外装・内装とも大幅なリニューアル工事を施工したが、1999年(平成11年)に廃車となった。本車の座席はキロハ186形「アイランドエクスプレスII」の改造に流用された。
オハ50 11通勤形改造車車内
通勤形改造車
従来車に比較するとラッシュ時対策がされている本系列であるが、1988年(昭和63年)に通勤輸送に特化させた改造施工である。
客室と出入台との仕切を撤去して、ボックスシート2組分をロングシート化したほか、戸袋窓部分ロングシートを撤去して立客スペースとした。全車1992年(平成4年)に廃車となった。
  • オハ50 11・161・2253
  • オハフ50 187・272・275・427


JR九州[編集]

 
700番台外観
「あそBOY」仕様(上)
「SL人吉」仕様(下)
700番台
1988年(昭和63年)に「SLあそBOY」用に施工された改造。車両番号は700番台を付与された。
外部塗装をレトロ調配色とした。車体は屋根をダブルルーフ化して車端部に密閉式の展望デッキを設置し、客用扉を折戸に変更した。
内装は難燃性木材を多用し、座席はボックスシートであるが少人数での乗車を考慮して向合せの席と一方向向きの座席を併設する。
中間車のオハ50 701にはウエスタン酒場風のカウンターを設置。床下に冷房装置ならびに冷房用電源装置を搭載する。
2005年(平成17年)の「SLあそBOY」運転休止後、同年内は引続きディーゼル機関車牽引の「ディーゼルあそBOY」で運用された。2006年(平成18年)からはキハ58系を改造した「あそ1962」が運転開始されたため主に団体臨時列車で運用されたが、2009年(平成21年)に「SL人吉」用として再改造され、外装は「あそ1962」と似たイメージの黒色に改装。同年2月28日には九州鉄道記念館で、翌3月1日には博多駅で一般公開され[1]、4月25日から運用開始された。
オハフ50 701 オハ50 701 オハフ50 702
オハフ50 701
オハ50 701
オハフ50 702
オハフ50 1280 冷房改造車
窓埋め込み部がダクト
1000番台(冷房改造車)
1991年(平成3年)に783系電車の機器交換で余剰となった床上式冷房装置を客室内に搭載[注 12]する改造を施工したグループで、車両番号は原番号+1000の番台区分とされた。
冷気は車体中央部に設置したダクトによる車内誘導する方式で、外観上からはダクト設置部分は窓を埋め込む処置がなされた。電源は床下搭載のディーゼル発電機から供給する。この改造により屋根上ベンチレーターは全て撤去されたが、外部色は赤2号のままである。
筑豊本線・鹿児島本線・久大本線で運用されたが、1999年(平成11年)春以降はオハフ50形のトイレを使用禁止とし、循環式トイレ設置のスハフ12形を編成に1両連結した。これは運用終了までの過渡的な措置で、短期間の使用で終わることが明らかなオハフ50形のトイレへの循環式汚物処理装置設置改造を避けたものである。

譲渡車[編集]

樽見鉄道オハフ800形
1990年(平成2年)にJR四国から譲渡されたオハフ50形である。「うすずみファンタジア号」として使用されたが、冷房装置がなく通風器部分の腐食が激しいことも災いし、1994年(平成6年)に14系客車が入線すると入れ替わる形で廃車となった。
真岡鐵道オハ50形・オハフ50形
真岡鐵道オハ50形・オハフ50形
1993年(平成5年)の「SLもおか号」運転開始によりJR東日本から譲渡されたオハ50形2両とオハフ50形1両。2012年(平成24年)9月現在でも唯一原型を保ったまま営業運転に投入されている本系列車両である。
内装は変更されていないが、外部塗色は茶色で窓下に白帯を持つ。編成端部の貫通幌を取り外しを実施。また牽引機関車のC12 66とC11 325は自動ドア空気供給のためにMRP装備改造が施工されたほか、蒸気機関車牽引であることから冬季は蒸気暖房を使用する[注 13]
2010年(平成22年)のJR東日本大宮総合車両センターでの全般検査施工と同時に帯色を赤に変更。
ロシアサハリン州オハフ50形
中華人民共和国承徳市譲渡予定車
海峡線で運用されていたオハフ50形3両(オハフ50 5011ほか)オハ50形2両(オハ50 5003ほか)を現地の観光列車に転用することになり、2003年(平成15年)に苗穂工場でオハフ50 5011へ冷房電源用ディーゼルエンジンを室内に搭載し、客室窓が埋められるなどの改造を含む整備が実施された。改造後に航送のため苫小牧港に送られたが、計画が中止されたため同地で解体された。ただしオハ50 5003のみ解体を逃れ[要出典]五稜郭車両所敷地内で保管されている。

本系列による夜行列車[編集]

主に通勤用として製造された本系列であるが、定期の夜行列車に使用された事例が一例存在する。

1985年3月14日のダイヤ改正で、それまでキハ58系気動車で運行されていた予讃本線土讃本線・中村線(現・土佐くろしお鉄道中村線)経由高松 - 中村間夜行普通列車731D・764Dのうち、下り列車が運行区間を高知まで短縮の上、本系列による221列車として置換えられた(上りの764Dは廃止)。

客車列車自体が減少していた時期で異例な置換えでもあったが、新聞輸送の需要から下りのみ存続となった本列車は1988年4月10日のダイヤ改正で再び気動車となり、本系列による定期夜行列車運用は3年あまりで終了した[注 14]

保存車[編集]

オハフ50 68梅小路蒸気機関車館
オハフ50 68
梅小路蒸気機関車館
オハフ50 272小松島ステーションパークSL広場
オハフ50 272
小松島ステーションパークSL広場

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 名目上特急形客車として製造された20系についてもほぼ同様で後継車である14系24系の増備につれて次第に急行列車でも運用されるようになり、国鉄末期には20系の老朽化に伴い置換え用として14系や24系も結果的には急行列車にも使用されるようになった。
  2. ^ 荷物・郵便輸送においては、大都市部ではこれらの車両のみで編成される専用列車が多かったが、地方部では専用列車を運行するほどの需要がないため旅客列車に荷物車・郵便車を混結していた。これらの車両はそのまま幹線系の荷物列車に連結して継送するため直通運用を行う線区の郵便・荷物輸送は客車でおこなう必要があった。
  3. ^ トップナンバーのオハ50 1は芸備線に新製配置されており、ローレル賞受賞の記念式典は同線で実施された。
  4. ^ ただし民営化後はこの限りでなくなっており、東日本旅客鉄道(JR東日本)の701系電車[4]E127系電車ではロングシート車のほかにセミクロスシート車も製造されながら名目上は通勤形として区分され[5]、一方で編成の過半数を4ドアロングシート車で占めるE217系電車は編成の一部にセミクロスシート車やグリーン車があるために近郊形として区分されたりするなど[6]、両者の点が曖昧になりつつあり、JR東日本ではE231系電車以降の電車においても「一般形」の区分を使用する要因になっている。詳細は「一般形車両 (鉄道)」を参照
  5. ^ 当時地方線区の普通列車は電化路線であっても電車そのものの不足もあり客車列車を淘汰できずにいたが、電車急行列車の大幅な削減・廃止によって冷房装置付きの急行形電車に余剰が発生したことから、これに近郊向け改造・短編成化・中間車の先頭車化改造などを施工し、地方線区の普通列車を電車に置換えならびに列車本数の増加を図った。
  6. ^ そのため、当系列と併結運用を持つ郵便車・荷物車またはその合造車などオハニ36形やオハフ41形200番台の在来形客車の一部にMRPの引き通し追加改造が施工され、本系列と機関車との間に併結する事が可能となった。しかし扉操作用のジャンパ連結器の増設はされなかったため連結位置は本系列組成編成の端部に限定された。
  7. ^ このため車掌室つきのオハフ50形がオハ50形より多数製造された。
  8. ^ 普通客車列車では唯一の車内ブザー式であり、他の客車列車は出発合図を無線で行う。
  9. ^ 乗客とバイクを同時に輸送する所謂バイクトレイン
  10. ^ 津軽海峡線開業前は青函連絡船で航送。
  11. ^ 当初は「日本海モトトレイン」と称したが、のちに「モトトレール」→「日本海モトとレール」と改められた。
  12. ^ 当初は客用ドアから機器を搬入する予定だったが装置が大き過ぎてドアから搬入できず車体の一部を切断して搬入した。
  13. ^ 2014年(平成26年)現在、日本国内で蒸気暖房を使用する定期列車用客車は真岡鐵道と大井川鐵道のみである。ただし臨時列車用客車では、JR東日本高崎車両センター]高崎支所所属の旧型客車も蒸気暖房使用可能車両である。
  14. ^ その後、高松 - 高知間の夜行列車は都市間バス「とさじ号」(現在は廃止)に置換えられて列車の設定が消滅した。
出典
  1. ^ 日本交通公社『国鉄車両一覧』p 202
  2. ^ イカロス出版『J-train』Vol44 p 30、p 48
  3. ^ a b ネコ・パブリッシング『JR全車輌ハンドブック2009』 p 15
  4. ^ JR東日本:車両図鑑>在来線 701系
  5. ^ JR東日本:車両図鑑>在来線 E127系
  6. ^ JR東日本:車両図鑑>在来線 E217系
  7. ^ 誠文堂新光社 岡田直明・谷雅夫『新版 国鉄客車・貨車ガイドブック』 p 28、p 48
  8. ^ JTBパブリッシング 岡田誠一『国鉄鋼製客車Ⅰ』 p 239
  9. ^ ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』No.336 p 9
  10. ^ 『新・ドキュメント 列車追跡 No.12 JR1994〜1995』p131 鉄道ジャーナル社(2003年
  11. ^ 『JTB時刻表』1997年3月号、pp.366-377
  12. ^ 『JTB時刻表』1995年4月号、pp.431-435
  13. ^ 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル 』2002年7月号 P87-88 (2002年
  14. ^ a b c d e f 鉄道ファン(交友社)1998年9月号58・59ページ

参考文献[編集]

  • 電気車研究会
    • 鉄道ピクトリアル』2007年2月号 No.785 特集『50系客車』
    • 『鉄道ピクトリアル』1992年4月号 No.558 特集『50系客車』
  • JTBパブリッシング 岡田誠一『国鉄鋼製客車Ⅱ』ISBN 9784533075261
  • イカロス出版『J-train』Vol44 特集『レッドトレイン50系』
  • 誠文堂新光社 岡田直明・谷雅夫『新版 国鉄客車・貨車ガイドブック』
  • 日本交通公社『国鉄車両一覧』