国鉄157系電車

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国鉄157系電車
157系お召し編成回送
157系
お召し編成回送
営業最高速度 110 km/h
設計最高速度 130 km/h
車体材質 普通鋼
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
主電動機 直流直巻電動機
MT46形 100kW
定格速度 68.0 km/h (70%界磁
歯車比 19:80=1:4.21
駆動装置 中空軸平行カルダン駆動方式
制御装置 CS12C形電動カム軸式
抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
台車 揺れ枕方式空気バネ台車
DT24形(電動台車)
TR59形(付随台車)
制動方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
勾配抑速ブレーキ
製造メーカー 汽車製造日本車輌製造川崎車輛

国鉄157系電車(こくてつ157けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1959年(昭和34年)に設計・製造した長距離用直流特別準急電車。後に運用の実績から特殊特急形車両に分類された[1]。最初に投入された列車名から「日光形電車」とも呼ばれる。

お召し専用車両であるクロ157形は本系列に分類される車両ではあるが、特殊用途のため他車とは別節にて解説する。

概要[編集]

東京から日光へは、1956年(昭和31年)10月からキハ55系気動車による準急日光」が運転されていたが、1958年には東北本線日光線電化が完成したため、国際的観光地である日光市に向かう「日光」号を電車化し、スピードアップすることが計画された。そのうえで国際観光列車としての色彩や競合する東武鉄道への対抗ならびに将来の急行形車両の設備向上の試作的意味から準急列車用に開発されたものではあるが、151系電車に準じたデラックスな特急形車両並みの車内設備を有して設計・製造され、後に特急列車にも投入されることになるのが本系列である。1963年までに一般旅客用車両31両と皇室用貴賓車クロ157形の1両をあわせた合計32両が、日本車輌製造・川崎車輛(現・川崎重工業車両カンパニー)・汽車製造で製造された。

計画時は22系電車と称したが、落成が同年6月の車両称号規程改正後となったため157系として登場した。

構造[編集]

機器[編集]

101系で採用・確立されたMM'ユニット方式で2両8基の主電動機を制御する1C8M方式・SELD(発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ)・中空軸平行カルダン駆動方式などの新技術を導入した新性能電車。性能的には153系をベースにしており、DT24形(電動車)・TR59形(付随車台車[2]MT46A形直巻整流子電動機[3]歯車比1:4.21=19:80で搭載など共通点も多く、営業運転時最高速度110km/h・設計最高速度130km/hも153系と同様である。しかし勾配の介在する日光線内での運転条件を考慮して以下の設計変更が行われた。

  • 編成内の電動車比率(MT比)を高めるため編成両端のクモハ157形 (Mc) +モハ156形 (M') でユニットを組み、その間に付随車のサロ157形 (Ts) ・サハ157形 (T) を2両ないし3両組み込むことを基本とした。食堂車(ビュフェ車を含む)は製造されていない。
  • クモハ157形に搭載される主制御器は、既存のCS12A形電動カム軸多段抵抗制御器に抑速ブレーキを追加装備したCS12C形を搭載する。ただし後にCS15形で一般的となるノッチ戻し機構は未装備である。

車体[編集]

車体断面は153系に準じた形状とした全金属製セミモノコック構造であるが、車両限界に合わせ裾を絞った断面形状とした。

クモハ157形の前面はクハ153形を基本とし前面窓の側面まで回り込んだパノラミックウインドウ採用などの共通点もあるが、当初は同形式同士を向かい合わせて行う運用を想定していなかったことにより非貫通構造としたこと。踏切事故対策として高運転台の採用により、本系列独特のものとなった。

客用出入口は151系と同様の幅700mmの片引戸が2か所に設けられたほか、横揺れ防止の車端ダンパが搭載された。

当初は準急用であることから冷房装置の搭載は見送られたものの将来の冷房化を考慮し、屋根上の冷房装置設置予定部分を鉄板で塞ぐなどの準備工事が施工されており、客室には扇風機が設置された。このため側窓は開閉可能なバランサー付き1段下降窓を採用する[4]

新製時の外板塗色はキハ55系と同様のクリーム4号赤11号の組み合わせとした。ただし1次車では細かった先頭部裾(後部標識灯・タイフォン下)のクリーム色帯が2次車から太くなり後に2次車の仕様に統一された。また1963年(昭和38年)のAU12S形分散式冷房装置搭載工事と同時に赤色が他の特急用車両と同様の赤2号に変更された。

車内設備[編集]

特急形車両と同等の車内設備を持たせるということで、座席1等車リクライニングシート2等車回転クロスシートを採用した。

1等車のリクライニングシートは151系のものと基本構造は同一だが、準急形ということで表地は赤7号の合成繊維となり、シートラジオは省略された。テーブルは151系と同様に通常は座席背面の袋に収納し、使用時に袋から出して肘掛け横の穴に差し込む構造である。

2等車の回転クロスシートは151系のものを改良し、座席背面の折畳みテーブルを外付け式とした。また座席背面のほか、側面窓下の壁面にも灰皿を設けている。

荷物棚は当時としては珍しいパイプ式を採用。

トイレ洗面所はすべての車両に設置されたが、サロ157形には外国人観光客に配慮して洋式トイレを採用した。

形式[編集]

は当初の計画段階での形式である。

157series05.JPG
クモハ157-2
クモハ157-2
クモハ157-1 - 10(Mc・※モハ22形奇数番号
モハ156形とユニットを組む2等(→普通制御電動車で定員は56人。前面は非貫通で踏切事故などの際に乗務員を保護するために3.2mm厚の鋼板を使用し、高運転台構造を採用。運転室後部には冷房装置搭載時の電源供給用大型電動発電機 (MG)[5]を納める機器室が設けられた。
前面には独特の列車愛称表示器(ヘッドマーク[6]が設置する事ができ、青地に白線で翼をモチーフとした逆台形で、中心部の正方形部分に紙芝居式に差し換えて表示する原始的なものだが、正方形部分の上部に蛍光灯が設置された電照式であり、そのためクモハ157形の前面部右側には電源供給用のコネクタが設置されていた[7]。なお、「あまぎ」・「白根」については181系に準じた外形の新しいデザインのヘッドマークに変更されている。
モハ156-2
モハ156-1 - 10(M'・※モハ23形偶数番号
クモハ157形とユニットを組む2等中間電動車で定員は60人。1位側にトイレを設置し、2位側のドア・デッキに続く車両端には車内販売の基地を兼ねた売店が設けられた。戸棚やショーケースのほかに流し台こそないものの電気冷蔵庫電気コンロが設置され簡単な調理も可能である。売店の向かい側には立食も可能な小カウンターが設置されており、冷房搭載時に冷水機も設置された[8]
冷房搭載時の電力負荷増に備えてパンタグラフも1基を増設できる準備工事がなされており、冷房改造と同時に2基搭載とした[9]
サハ157-1 - 5(T・※サハ28形
2等付随車で定員は68人。
サロ157-1 - 6(Ts・※サロ27形
1等付随車(→グリーン車)で定員は52人。6は、1963年の増備車で冷房改造工事や「ひびき」定期化で予備車が不足することから製造されたが、当初からの冷房車である。
クロ157-1 (Tsc)
貴賓車。詳細は#貴賓車クロ157形を参照。
年次別製造一覧
製造
年次
形式 車両
番号
製造
会社
製造名目 予算
1次車
1959
クモハ157
モハ156
1 - 3 汽車 準急「日光」電車化 昭和33年度債務
4・5 日車
サハ157 1 汽車
2 日車
サロ157 1 汽車
2 日車
2次車
1960
クモハ157
モハ156
6 - 8 日車 特急「ひびき」
通年運転用増備
昭和35年度本予算
9・10 川車
サハ157 3 日車
4・5 川車
サロ157 3 日車
4・5 川車
3次車
1963
サロ157 6 日車 冷房化改造
ならびに「ひびき」予備
昭和37年度本予算
貴賓車
1960
クロ157 1 川車 皇室ならびに外国賓客用 昭和34年度債務


運用[編集]

1959年9月-1960年12月[編集]

田町電車区(現・田町車両センター)に配置された1次車14両をもって1959年9月22日から東京 - 日光間の「日光」・新宿 - 日光間の「中禅寺」・上野 - 黒磯間の「なすの」の各準急と間合い運用となる日光 - 黒磯間の快速列車で運転を開始した。

下り「日光」→(臨時「第2日光」)→上り「中禅寺」
← 日光・東京・新宿・上野
クモハ
157
モハ
156
サハ
157
サロ
157
モハ
156
クモハ
157
下り「中禅寺」→快速黒磯→「なすの」→快速日光→上り「日光」
← 宇都宮・黒磯
日光・東京・新宿・上野 →
クモハ
157
モハ
156
サロ
157
サハ
157
モハ
156
クモハ
157
予備車
  • McM'ユニット1組

上記6両編成2本[10]による運用は1959年9月22日 - 11月10日・1960年3月20日 - 11月30日で、準急は全車指定席。新宿発着の「中禅寺」は田町区からの出入が山手貨物線を介在するために編成が逆向きとなる関係から、上り「中禅寺」で帰区した編成は翌日の下り「中禅寺」で、上り「日光」で帰区した編成は翌日の下り「日光」に投入する制約があった。また同年10月31日・11月2・7日には下り「日光」 - 上り「中禅寺」の運用間合を活用して、上野 - 日光間の臨時準急「第2日光」に投入された。

当時の運転計画では「日光」は通年運転であったが、他の2本は春から秋にかけての季節運転であるために同年11月10日に「中禅寺」「なすの」が運休になると、11月21日から翌1960年1月31日まで余剰となる1編成を投入して東海道本線の混雑緩和用に東京 - 大阪間の臨時特急「ひびき」が運転されたほか、上り「日光」は東京 - 伊東間で延長運転を行った(伊東からの田町帰区は回送)。

編成と運用(1959年11月21日 - 1960年3月19日)
下り「日光」→快速黒磯→快速日光→上り「日光」
下り「ひびき」→上り「ひびき」
← (大阪)・日光・東京・伊東
宇都宮・黒磯(東京) →
クモハ
157
モハ
156
サハ
157
サロ
157
モハ
156
クモハ
157
  • ただし「ひびき」運用と上り「日光」伊東延長は1月31日まで。

1960年12月-1963年3月[編集]

1960年12月には2次車16両が落成し、12月10日から臨時特急「ひびき」の増発が年間を通じて可能となった[11]

「ひびき」編成(使用1本)
← 大阪
東京 →
1960年12月10日 - 1961年1月31日
クモハ
157
モハ
156
サロ
157
サハ
157
モハ
156
クモハ
157
+ サロ
157
サハ
157
モハ
156
クモハ
157
1961年2月1日 - 1963年4月19日
クモハ
157
モハ
156
サロ
157
サハ
157
モハ
156
クモハ
157
 
「日光」編成(春 - 秋期使用2本・冬期1本)は変更なし。
予備車
  • 1編成+McM'ユニット2組+Ts1両+T1両

1961年(昭和36年)4月1日からは、前年の上り「日光」伊東延長運転を発展させる形で伊豆と日光の両観光地を直結する季節準急「湘南日光」が伊東 - 日光間に運転された。

  • この列車は季節により利用状況が異なるものと推定されたため、シーズンにより日光 - 東京間「第2日光」と東京 - 伊東間臨時「いでゆ」に分けて運転するケースもあった[12]

観光シーズンには予備車と定期運用の間合いを利用して、上野 - 黒磯間の臨時準急「ゆのか」や「臨時日光」でも運用された。

1961年10月1日のダイヤ改正では、「ひびき」が季節特急に格上げとなり最大2往復に増発された[13]。また、春-秋季に引き続いて上野 - 黒磯間の臨時準急「ゆのか」、「臨時日光」でも運用された。

1963年(昭和38年)1月からは、本系列の冷房改造及び編成の変更実施で不足となる予備車確保のためサロ157-6が増備された一方で3月には「中禅寺」「なすの」「湘南日光」が165系に変更となった。「日光」については本系列での運行が継続された。

1963年4月-1964年9月[編集]

4月20日に「ひびき」1往復が定期特急へ格上げされサロ157形を「ひびき」に捻出することから、「日光」編成はサハ157形に置換えられ、次の編成に変更された。

「ひびき」編成(使用2本)
← 大阪
東京 →
クモハ
157
モハ
156
サハ
157
サロ
157
サロ
157
モハ
156
クモハ
157
「日光」編成(使用1本)
← 日光・東京
宇都宮 →
クモハ
157
モハ
156
サハ
157
サハ
157
モハ
156
クモハ
157
予備車
  • McM'ユニット4組+Ts2両+T1両[14]

「ひびき」は好評のために度々McM'ユニットを大阪方もしくは東京方のいずれかに増結した9両編成で運転されるケースも多かったが、同年12月21日の年末年始輸送から恒常的に9両での運転となった(ただし、増号車扱いは継続)。この措置は「第1富士」脱線転覆事故の影響で車両運用が大幅に変更された翌1964年(昭和39年)5月6日まで継続した。

1964年10月-1969年4月[編集]

東海道新幹線開業による1964年10月1日のダイヤ改正では東海道本線の昼行特急は全廃となったため、「ひびき」充当車は同年11月1日から全車座席指定の急行第1・第2伊豆」に転用されることになり、以下の運用体制に変更になった。

「伊豆」編成(使用1本)
東京 →
クモハ
157
モハ
156
サロ
157
サロ
157
サハ
157
モハ
156
クモハ
157
+ クモハ
157
モハ
156
サロ
157
サロ
157
モハ
156
クモハ
157
伊豆急下田編成 修善寺編成
「日光」編成(使用1本)は変更なし。
予備車
  • 「伊豆」伊豆急下田編成1本+McM'ユニット2組+T1両

熱海分割併合を実施し、私鉄となる伊豆急行線伊豆箱根鉄道駿豆線に乗入れ運転された。また多客期には、下田編成にMcM'ユニットを増結する場合があった。

  • これ以前は、クモハ157形が片渡り構造のために向かい合わせで連結することが不可能だった。そのため1964年東京オリンピックの臨時列車として10月3日 - 28日は横浜 - 日光間の臨時準急「特別日光」を改正前の「ひびき」所定の7両編成で運転をしながら、大井工場(現・東京総合車両センター)で順次クモハ157形の助士席側に制御用KE57形ジャンパ連結器を2基増設して両渡り構造とする改造工事が行われた[15]

「伊豆」「日光」充当期間中の1966年(昭和41年)3月25日には、走行キロ100km以上の準急列車は急行列車に格上げを行う料金制度改定を実施。「日光」も急行列車に格上げされた[16]

1968年(昭和43年)7月には、予備車の「伊豆」伊豆急下田編成1本を使用した信越本線東京 - 中軽井沢間に臨時特急「そよかぜ」2往復が設定され、横川 - 軽井沢間ではEF63形補助機関車として連結された。これに伴い、横軽対策・耐寒耐雪改造が全車に施工[17]された。ただし、本系列による「そよかぜ」は同年8月限りで、翌9月からは181系に変更されている。

「そよかぜ」編成
← 東京
中軽井沢 →
クモハ
157
モハ
156
サロ
157
サロ
157
サハ
157
モハ
156
クモハ
157

1968年10月1日のダイヤ改正では、以下に示す列車愛称の整理が行われた。

  • 同一区間の運転系統を持つ列車に関しては愛称を統一する。
  • 上記列車の運転本数が1往復を超える場合は、「○○1号」・「○○2号」の番号区分に統一する。

そのために本系列充当列車の「日光」は「下り3号・上り2号」に、「第1・第2伊豆」は「下り1・8号・上り3・8号」への変更が行われた。

1969年4月-1976年2月[編集]

1969年(昭和44年)4月25日、東京 - 伊豆急下田間に特急「あまぎ」定期2往復・季節1往復・予定臨時1往復を新設し、本系列が投入された。

  • これに先立ち4月5日に急行「伊豆」での運用を終了させたほか、「日光」も165系に変更となり本系列は発祥の地日光線での運用を終了した。
「あまぎ」編成
← 伊豆急下田
東京 →
定期列車編成(使用1本)
クモハ
157
モハ
156
サロ
157
サロ
157
サハ
157
モハ
156
クモハ
157
+ モハ
156
クモハ
157
季節・予定臨時列車編成[18](使用1本)
クモハ
157
モハ
156
サロ
157
サロ
157
サハ
157
モハ
156
クモハ
157
 
予備車
  • 7両編成1本+McM'ユニット3組+T2両

1971年(昭和46年)4月24日には吾妻線長野原以西の延長開業にともない、上野 - 長野原(現・長野原草津口)間に不定期特急「白根」下り2本・上り1本が設定され、土曜・休日を中心に季節・臨時「あまぎ」用7両編成で運転された。なお、同年冬までに運転区間が万座・鹿沢口間に延長されている。

1972年(昭和47年)3月15日のダイヤ改正で、「白根」は予定臨時列車の2往復として設定されるようになり、季節毎の時刻変更はなくなる。それ以降は「あまぎ」「白根」などで運用された。

しかし下降窓である構造上の問題から雨水が浸入しやすい上、冷房の使用にともなう結露の発生により車体の腐食が早期進行したことから、一部車両は外板の更新や窓の固定化等の対策が実施された。しかし、根本的な対策が見つからないまま、実働わずか17年[19]1976年(昭和51年)2月28日の定期「あまぎ」運用を最後に183系1000番台に置換え[20]が行われ、全車が営業運転を終了。貴賓車クロ157形と牽引用のMcM'ユニット2組4両を除く車両は同年中にすべて廃車となった[21][22]

試験運転・特殊な運用・他系列との併結運転[編集]

1962年(昭和37年)に信越本線長岡 - 新潟間の電化が完成することになり、上越線経由で特急電車を運転するという計画がなされた。全線直流区間ということもあり、151系に白羽の矢が立ったが、本来は平坦区間用の電車が山岳路線で20勾配の続く上越国境での運用に耐えられるのかの疑問が残った。そこで1961年(昭和36年)6月21日 - 22日にかけて10月のダイヤ改正用に早期落成した151系と本系列を持込み上越線の新前橋 - 長岡間での比較走行試験を行った。

その結果は、山岳路線である上越線の連続勾配で151系4M3Tでは、歯車比が3.5と高速指向だったため電動機への過負荷による発熱が見られ、さらに4M2Tであっても同様な状況で問題が残った。一方、歯車比4.21の本系列では何も問題はなく安定した走行を得られたため、151系の車体に本系列の走行装置を組み合わせた161系電車が開発されることになった。

1963年(昭和38年)4月15日、アジア極東経済委員会一行が建設中の東海道新幹線を視察することになり、東京 - 鴨宮間の特別臨時列車「ECAFE SPECIAL(エカフェ スペシャル)」に投入された。

1964年(昭和39年)1月24日、2007M下り「おおとり」が車内に消毒薬を撒き過ぎ使用不可能となり、本来投入予定の151系[23]に代わり153系との混結編成で運転することになった。なお、当日の編成は以下に示す。

東京 →
クモハ
157-6
モハ
156-6
サロ
157-2
サハ
157-2
モハ
156-5
クモハ
157-5
+ クハ
153-34
サハ
153-203
モハ
152-123
モハ
153-123
クハ
153-21

1964年4月24日に発生した「第1富士」脱線転覆事故の影響で本系列は下記の運用変更が行われている。

  • 5月7日 - 5月31日
    • 4月25日 - 5月6日に代走を務めた宮原電車区(現・宮原総合運転所)の153系(いわゆる「替えだま」)に代わり、本系列9両編成で「下り第1こだま」「上り第2こだま」に投入。このため定期「ひびき」は7両編成での運転となるとともに不定期の「第2ひびき」は運休とした。
  • 6月1日 - 6月30日
    • 151系「特8編成」の大阪方先頭車をクハ161-3に差し換えたため、上越線特急「とき」に161系との混結編成で充当された。
← 上野
新潟 →
クハ
161
モロ
161
モロ
160
サシ
161
モハ
160
モハ
161
サハ
157
モハ
156
クモハ
157
  • なおサハ157形を捻出した関係で、この間の「日光」はサハ1両を減じた5両の変則編成で対応した。また6月16日には新潟地震が発生したため、「とき」は17日 - 26日は運休[24]となった。

貴賓車クロ157形[編集]

クロ157-1(特急色)

従来の貴賓車クロ49形に代わる皇室の小旅行用(御用邸に移動する際など)ならびに外国賓客用の貴賓車で、お召し列車の簡素化を目的として1960年(昭和35年)7月に川崎車輛で1両のみが製造され、2013年現在も車籍を有する。

本系列一般車と同じく配置は新製時から一貫して田町電車区(現・田町車両センター)であったが、同センターが2013年3月15日で車両配置終了ならびに廃止され東京総合車両センター田町センターに改組されることから、2012年12月に田町車両センターから東京総合車両センターへ回送[25]を実施し、同総合車両センター内の御料車庫へ収容。2013年3月16日付で東京総合車両センターへ転属となった。

構造[編集]

車体は、中間車としての使用も考慮して前面貫通構造とし、クハ153形0番台車に酷似する前面形状・低運転台構造[26][27]を採用。ただし運転室は編成中間に組成される場合などにはシャッターを降ろし入室できない半室構造である。

また153系との併結運転も可能であり初期の試運転で実施された。

新製時から空調設備を完備しており、屋根上にAU11形分散式冷房装置を搭載。電源は80系サロ85020での冷房試験で使用した自車給電用18kVAの電動発電機 (MG) [28]を再整備して搭載している。客用扉は戸袋を廃した4枚折戸を採用。コンパートメント形式の貴賓室を車体中央部に有し、その前後を控室で挟み込む構造とした。貴賓室の窓は、大型の合わせガラス[29]が片側3枚設けられ、そのうち中央の1枚は、賓客の答礼の便を図るために電動で開閉できる構造となった。また貴賓室は光天井方式で、冷房は隣の控室からダクトで導く構造とされている。さらに、テーブルを挟んだ2つの主賓用の椅子は安楽椅子を採用したほか、絨毯の床・ソファ・飾り棚・ラジオなども装備する。定員は6人。

製造当初の車体塗装は、他の157系と同様クリーム4号と赤11号の塗り分けで、赤11号から赤2号への塗り替えも他車と同時期に実施されている。

運用[編集]

クモハ157+モハ156-1・2との編成組成
クモハ157+モハ156-1・2との編成組成
183系との編成組成
183系との編成組成

当初はクモハ157・モハ156-1が牽引にあたり、クロ157-1を後部に連結した3両編成で運転されたが、1962年6月に電気系統の故障により運転不能な状態に陥ったために、次の変更措置がとられた。

  • 牽引車にクモハ157-2・モハ156-2を追加指定し、両ユニットで挟み込む5両編成を基本[30]とした。
  • 二重の安全対策として、冷房化に先立ちモハ156-1・2に第2パンタグラフを設置する工事が緊急に行われた。

また牽引用電動車ユニットは他車の廃車後も牽引用に残ったが、1980年2月15日の牽引を最後に同年11月28日付けで廃車[31]1982年11月に解体された。

その後の牽引車は183系1000番台が充当されたが、1985年3月に183系が田町電車区から転出したため同時期に新前橋電車区(現・高崎車両センター)から転入した185系200番台が充当された。このため外板塗色も当時の185系に準じたアイボリー地に帯に変更された。

1987年国鉄分割民営化時には東日本旅客鉄道(JR東日本)へ承継。民営化後も何度か運転されたが、特別扱いを嫌う今上天皇の意向やその他の諸事情により列車による行幸は一般向けの車両を使用した「団体列車」形式で行われるケースが主流となり、専用列車を仕立てたお召し列車そのものの運転回数が減少したことや補修部品の確保も難しくなったことから、1993年9月8日の運用を最後に全く運転実績のない状態が続いている[32]

またクロ157-1による列車運用は原則的に通常の定期列車とは別に設定されるが、1962年10月13日に準急「日光」に併結されて運転されたケースがある。

当日の準急「日光」
← 日光・東京
宇都宮 →
クモハ
157
モハ
156
クロ
157
+ クモハ
157
モハ
156
サハ
157
サロ
157
モハ
156
クモハ
157
  • 東京方3両は増号車扱い。またクモハ157形と向かい合わせのために通り抜け不可。

脚注[編集]

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  1. ^ 準急形・急行形車両であった車両が特急列車への格上げによって事実上の特急形車両になった事例は他にも東武200・250系300・350系名鉄キハ8000系がある。
  2. ^ 1960年以降製造の増備車は、改良形のDT24A形・TR59A形。
  3. ^ 端子電圧375V時1時間定格出力100kW、定格電流300A、定格回転数1,860rpm
  4. ^ 近畿車輛のシュリーレン式バランサーである。
  5. ^ 落成時5kVA、冷房搭載時70kVA。
  6. ^ ヘッドマークには列車名以外にも「特急」・「快速」など種別のみを表記したものもあった。
  7. ^ そよかぜ」に用いられた際のヘッドマークは、デザインはそれまでと同じだが、一枚板で蛍光灯を装着しないタイプ。
  8. ^ 後年の「あまぎ」・「白根」においては売店営業は行われず、ワゴンによる車内販売のみであった。
  9. ^ クロ157形の牽引車を兼ねる1・2は、冷房化前の1962年にパンタグラフ2基搭載改造を施工している。
  10. ^ 運転開始初日は、下り「日光」からの編成は予備車のMcM'ユニット2両増結の8両で運転された。
  11. ^ 151系による「ひびき」も運転されたこともある。詳細についてはこちらを参照。
  12. ^ この改正では「伊豆」が上り1本増発されている。この列車に「湘南日光」または「臨時いでゆ」の間合使用で本系列を投入した場合は、翌朝、伊東へ送り込み回送列車を運転して上りの「湘南日光」または「臨時いでゆ」に充当した。
  13. ^ この時期は冷房装置が未搭載だったため、夏期は1等220円・2等100円の割引特定特急料金が設定された。
  14. ^ 不定期の「第2ひびき」は夜間大阪停泊となるため、田町での折り返し間合いで検査を行う関係から恒常的に「ひびき」編成は3本が組成されていた。そのために実質の予備車はMcM'ユニット2組4両であったともいえる。
  15. ^ 同時に助士席側には、三相引き通し用のKE5形ジャンパ連結器も装備された。
  16. ^ この措置により「伊豆」と同一区間を走行する153系使用の準急「あまぎ」・「いでゆ」も急行列車に格上げされたことで本系列と153系の設備の違いが問題化している。
  17. ^ クロ157形と牽引車であるクモハ157+モハ156-1・2は1965年(昭和40年)に先行して工事を完了している。
  18. ^ 基本は7両編成であるが、多客期には予備のMcM'ユニットを増結して定期と同様の9両編成で運転されたケースもある。
  19. ^ 1963年製のサロ157-6に至っては13年。
  20. ^ 「白根」は1975年(昭和50年)12月26日、季節・臨時「あまぎ」は1976年1月25日に置換え。
  21. ^ 落成から廃車まで田町電車区所属のままで転出することはなかった。
  22. ^ 廃車・解体まで開設間もない国府津機関区国府津電車基地(後の国府津電車区→現・国府津車両センター)に留置された。
  23. ^ この編成はヒーター投入乾燥後名古屋へ回送され、翌日の2008M上り「おおとり」に充当された。
  24. ^ この編成は逗子などに疎開したが、新潟運転所(現・新潟車両センター)の165系が多数罹災して不足したため、20日 - 23日には急行列車に投入された。
  25. ^ クロ157-1とクモヤ145-114が東京総合車両センターへ - 交友社鉄道ファン』 railf.jp 鉄道ニュース 2012年12月3日
  26. ^ TRENI 〜失われし鉄道車両を求めて「157系特急形直流電車(クロ157形)」(2012年7月16日閲覧)
  27. ^ 同様の前面構造を持つ車両では唯一車籍が残存する。
  28. ^ 1969年に40kVAのものに交換。
  29. ^ 防犯上防弾ガラスである。
  30. ^ 一部の文献では「安全上等の理由から、通常クロ157形が編成端につくことはない」と誤解された文献も見受けられる。
  31. ^ 廃車前日の11月27日に両McM'ユニットの間にサロ165-50・12を挟み大船工場(後の鎌倉総合車両センター)に自力回送されている。
  32. ^ JR東日本は2007年にお召し列車用車両の置換えを目的としたハイグレード車両E655系電車を製造している。

参考文献[編集]

関連項目[編集]