国鉄415系電車
| 国鉄415系電車 | |
|---|---|
JR東日本415系500・700番台車
(2006年7月28日 我孫子駅) |
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| 起動加速度 | 1.6km/h/s(M:T=1:1時) |
| 営業最高速度 | 100km/h |
| 減速度 | 3.5(常用最大) 5.0(非常) |
| 全長 | 19,500mm(最大長20,000mm) |
| 全幅 | 普通鋼製車両2,900mm ステンレス鋼製車両2,950mm |
| 全高 | 普通鋼製車両3,654mm ステンレス鋼製車両3,670mm |
| 軌間 | 1,067mm |
| 電気方式 | 直流1,500V(全系列共通) 交流20,000V 50Hz(401・403系、415系の一部) 交流20,000V 60Hz(421・423系) 交流20,000V 50Hz/60Hz(415系(一部を除く)) |
| 出力 | 100kW(401・421系) 120kW(403・423・415系) |
| 主電動機 | MT46B(401・421系) MT54, MT54B(403・423系) MT54B, MT54D(415系) |
| 歯車比 | 17:82 (4.82) |
| 制御装置 | シリコン整流器 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁 |
| 駆動装置 | 中空軸平行カルダン撓み板継手方式 |
| ブレーキ方式 | 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ |
| 製造メーカー | 汽車製造(401系のみ) 東急車輛製造(421系を除く) 日本車輌製造(401系・415系のみ) 近畿車輛(421系・415系のみ) 川崎車輛→川崎重工業(403系を除く) 帝国車輛工業(423系のみ) 日立製作所 |
| 備考 |
受賞車両 401系・421系 |
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この表について
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415系電車(415けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直流両用近郊形電車。
国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と九州旅客鉄道(JR九州)に継承されたほか、JR東日本が設計・製造した車両や西日本旅客鉄道(JR西日本)が113系を改造・編入した車両が存在する。
なお、本項では製造目的の共通する以下の車両系列についても表記する。
- 国鉄401系電車
- 国鉄403系電車
- 国鉄421系電車
- 国鉄423系電車
目次 |
[編集] 共通概要
| 50Hz | 60Hz | 電動機出力 |
|---|---|---|
| 401系 | 421系 | 100kW (MT46) |
| 403系 | 423系 | 120kW (MT54) |
| 415系 | ||
401系・421系は交直両用近郊形電車として1960年に、それぞれ50Hz・60Hz専用として登場した形式である。403系・423系はこれらの出力増強形としてそれぞれ1966年・1965年に50Hz・60Hz専用として登場した形式である。415系はこれらを50Hz・60Hz両用として1971年に登場した形式である。50Hzの401系・403系は電動車のみ異なり、制御車(クハ401)は共通とされ、60Hzの421系・423系も電動車のみ異なり、制御車(クハ421)は共通とされた。
50Hzの401・403系と60Hzの421・423系の両系列の間では、制御車は415系が登場するまでクハ401、クハ421と分けられていた。一方、415系は制御車の形式をクハ411とした。基本設計については415系まで踏襲されている部分が多いが、運用線区の違いなどから行先票(サボ)受の位置が異なるなど外観等に多少の差異が見られる。
車体構造は153系を基本としている。すなわち全金属製セミモノコック構造で、車体幅を2.9mとし裾を絞った断面形状であり、車体長も同様に中間車で19.5mである。ただし近郊形として通勤使用を考慮し70系同様のデッキなし片側3ドアとした上、新たに101系と同じ1.3m幅の両開き扉を採用した。座席配置も70系のものを改良したセミクロスシートで、中間車の場合、扉間は扉近くの2人掛けロングシートに4人掛けボックスシ-トが4組挟まれ、車端部には3人掛けロングシートに4人掛けボックスシ-トが2組で、座席定員は76人(70系は車端部ロングシートのみで、座席定員は72人)、153系と比較して通路幅は540mmに対して860mmと広くとられ、座席は幅が狭く窓側の肘掛けが省略されている[1]。便所は70系同様クハに設けられた。これらの構造は、以後長らく新性能近郊形電車の標準となった。
クハ401・421形の前面は、153系と同様に併結運転の便を図って貫通路を設けたデザインで、初期製造車はクハ153形0番台と同様に運転室のフロントガラスが大きい低運転台構造[2]だったが、401系は1962年製造分のクハ401-23から、421系は1961年11月製造のクハ421-17以降から、それぞれクハ153形500番台と同様、踏切事故対策である高運転台に変更され、以後長らく近郊形電車で使われ続けるデザインとなった。また、403系・423系用を含め屋上通風器など他の部分についても同時期のクハ111形に合せた改良が行われている。
台車は電動車用が101系と同一のDT21B形、付随車用がDT21B形をベースに台車枠形状などを付随車用に変更したTR64形とした。ブレーキ機構は価格的な面からディスクブレーキを使用せず踏面制輪子とした。なおクハ401-47・421-41以降はクハ111形と同様にディスクブレーキ付きのTR62形とし、ブレーキ容量増大を図った。
[編集] 401系・421系
[編集] 概要
国鉄カルダン駆動方式の電車としては初の両開き3扉構造の近郊形である。交流電化区間と直流電化区間を直通運転する必要があることから、交流・直流の接続を車上切換方式による交直両用電車の実用第1号として開発された。
1961年(昭和36年)6月の常磐線取手駅 - 勝田駅間の交流電化に備えて新製された系列が401系で、同時に既電化区間の関門トンネルを挟んだ山陽本線小郡駅(現・新山口駅) - 下関駅間の直流電化[3]および鹿児島本線門司港駅 - 久留米駅間の交流電化に伴い新製された系列が421系である。1966年(昭和41年)までの間に401系4両編成25本計100両と421系4両編成23本計92両が製造された。
1960年(昭和35年)に両系列ともに量産先行試作車から製造が開始された。401系の量産先行試作車4両編成2本の落成時にはまだ常磐線の交流電化と配置される予定の勝田電車区(現・勝田車両センター)が完成していなかったため、宇都宮機関区(現・宇都宮運転所)に暫定配置され、最初の試運転は東北本線で実施された。その後該当区間の電化設備が完成次第、営業開始に備えて運行試験が行われた。421系は60Hzで電化されていた北陸本線で試運転が行なわれた後、九州での試験運転を行なった。
また、関門トンネル通過時や海岸線沿いを走行した時に付着した海水による塩分や塵害による汚損などにより碍子の閃絡事故が相次いで発生したため、一部列車を客車や気動車で代走させる事もあった。
1962年(昭和37年)には鉄道友の会から第2回ローレル賞を受賞した。
[編集] 車両形式
[編集] 401系
- モハ401-1 - 26
- 中間電動車で、主制御器の他に主抵抗器・誘導分流器・電動発電機などの直流機器を搭載する。26のみモハ403形からの改造車。
- モハ400-1 - 25
- 中間電動車で、パンタグラフの他に主変圧器や主整流器などの交流機器を搭載する。パンタグラフ取付部は低屋根構造としたため、ファンデリアを2個設置し、外気取り入れ口を車体側面幕板上部に設けている。
- クハ401-1 - 90
- 制御車で、3位側隅にトイレを備える。電動車の床下ぎ装の関係から本形式に空気圧縮機を搭載する。
- 低運転台車のうち、大部分の車両が前面強化工事とそれに伴う前照灯のシールドビーム化を施工した。
- 51 - 90は403系の制御車として製造された。
[編集] 421系
- モハ421-1 - 23
- モハ401形の60Hz版。
- 21 - 23はサヤ420形からの改造車とユニットを組むためにモハ423形製造開始後に製造。
- モハ420-1 - 23
- 21 - 23はサヤ420形からの改造車
- モハ400形の60Hz版。
- クハ421-1 - 106
- クハ401形の60Hz版。
- 41 - 60・67 - 106は423系の制御車として製造された。
- サヤ420-1 - 3
- 詳細は後述。
[編集] 構造
車体・台車等の概要については#共通概要を参照。主回路機器は101系のものをベースに交流区間での脈流対策を考慮したものとし、主電動機はMT46A形を改良したMT46B形、主制御器も同様のCS12B形とした。
パンタグラフは交流区間での無加圧区間を250mm以上確保する必要から、PS16形の台枠・空気配管を変更したPS16B形とした。なお、モハ420-19からはステンレス製とし、塩・塵害対策を施したPS16C形とした。
401系・421系両系列の相違は交流電化の電源周波数の違いにより、常磐線は50Hz、鹿児島本線・日豊本線では60Hzでの送電に対応する。両系列が設計された当時はまだ50/60Hz両用の交流機器(主変圧器・主整流器・主平滑リアクトルなど)が開発されておらず、同一設計を採用しても交流機器に関する部分が統一できなかったことから、別系列となった。
[編集] 塗装
車体塗装は401系・421系の先行試作車から1961年落成分まではローズピンク(赤13号)を基調に401系は前面にクリーム1号、421系はクリーム2号の警戒色が入る国鉄交直流電車の標準色としていた。1962年落成分からは警戒色はクリーム4号に統一され、その後415系500番台の途中製造分までの国鉄交直流電車の標準色としていた。なお、登場時に401系は制御車前面窓上にクリーム1号の識別帯が、421系は全車の側面裾部(ドア下)にクリーム2号の識別帯が引かれていたが、識別帯については1962年落成分から401系は省略、421系は正面まで引かれるように改められた後、両系列とも省略された。その後常磐線用については1985年のつくば科学万博開催に伴い1983年8月から1985年3月16日にかけてイメージアップのためにアイボリーホワイト(クリーム10号)に青帯(青20号)へと変更[4]された。
1986年3月にこの塗装の415系500番台編成が421系の置き換え用として南福岡電車区に転属して以降、10月からは本系列を含む九州車もこれに倣った塗装を採用している。ただし、白地は同じクリーム10号だが、青帯は若干藍色がかった青23号を採用しており、窓上にも帯が入る[5]。
[編集] サヤ420形
モハ420-21 - 23は、151系の九州乗り入れ用の電源車サヤ420-21 - 23として登場した。
1964年10月1日の東海道新幹線の開業に合わせて、新大阪駅 - 博多駅間に新幹線連絡の電車特急「つばめ」「はと」を運行することになった。運行区間のうち新大阪駅 - 門司駅間は直流電化だが、門司駅 - 博多駅間は交流電化のため、下関駅 - 博多駅間を電気機関車(下関駅 - 門司駅間はEF30形、門司駅 - 博多駅間はED73形)により牽引することとした。しかし、単に電気機関車に151系を牽引させるだけでは同形式のサービス用電源が確保できないため、電源車としてモハ420形をベースに必要な機器類を設置したサヤ420形を製造し、電気機関車と151系の間に挟んで給電した。サヤ420形の投入に決定するまでには、サシ151形に交流区間用の電源装置を搭載する案や、電源装置を搭載した交直流電気機関車を新造する案なども存在していた。モハ420形への変更を容易にするために座席は通常通り配置されており、通路やドア部の床などに電源用機器が配置されていた。
翌1965年10月1日に交直両用の481系に置き換えられたことからサヤ420形は不要となり、当初の計画通りモハ420形に改造され、別にクハ421形およびモハ421形を新製した上で4両編成3本に組成された。
なお、この記事に関しては、こちらも参照のこと。
[編集] 廃車
量産先行車は401系が1978年(昭和53年)に、421系が1979年(昭和54年)に、製造から20年を経ず廃車となった。量産車の低運転台車もJRに承継されず、1987年(昭和62年)までにすべて廃車[6]された。高運転台車は一部を除き、401系はJR東日本に、421系はJR九州に承継された。
401系は電動車ユニットおよび同時に製造された制御車のいずれも冷房改造の対象から外れ、非冷房のまま1991年(平成3年)までに全車廃車となった。
421系はJR移行後の1987年(昭和62年)に当時在籍していた全車が後述の423系と同様の床置型冷房装置により冷房搭載工事を受けた[7]。その後811系・813系の増備により1996年(平成8年)までに全車廃車となった。
[編集] 403系・423系
[編集] 概要
401系・421系に搭載していた主電動機は出力100kWのMT46系列だったが、これを120kWに出力向上したMT54系列に変更した系列である。やはり主変圧器などの違いから常磐線用は403系、九州用は423系という区分としている。1965年(昭和40年)にそれぞれ水戸線電化準備用と鹿児島本線熊本電化延長用として新製された。電動車は403系がモハ403・402形、423系がモハ423・422形となっているが、付随車の制御車は前述のクハ401・421形が継続新製された。1968年(昭和43年)まで製造され、製造両数は403系が4両編成20本計80両、423系が4両編成30本計120両である。
なお最終増備車である403系第20編成・423系第29・30編成は、以下の改良が行われた。
- 屋上通風器をグローブ型から押し込み型に変更。
- 座席取手の変更。
- 客室側扉のステンレス化。
- 403系では行先票差しや急行札差しなどを423系の配置と同一のものに変更・統一。
[編集] 車両形式
[編集] 403系
- モハ403-1 - 20
- モハ402-1 - 20
[編集] 423系
- モハ423-1 - 30
- モハ422-1 - 30
[編集] 冷房改造
403系・423系は、401系・421系に比べて製造年が新しく、長期の使用が予定されていたことから、415系と同等のサービスレベルを確保するため、1979年より冷房改造が実施されている。423系の一部を除いた国鉄時代に改造された編成と403系第7編成[8]は集中型AU75系列での冷房化だった。主な施工内容は次の通りである。
- 各車両に冷房装置・送風ダクト・冷房配電盤を取り付け
- 偶数向きTc車に冷房・制御回路電源用160kVA MGおよびその付属装置を取り付け
- 偶数向きTc車乗務員室背面に冷房総括制御盤を取り付け
- M'車主整流器をRS22A形に振り替え[9]
- M車の制御用20kVA MGを撤去して補助変圧器を新設
- 各車両のジャンパ連結器の取り替え(KE58形×2→KE76形×3)など車間わたりの変更
これによりTc車は引き通しが片わたりとなって方向が固定された。また、偶数向きTc車では乗務員室運転士側後部に配電盤を設置したために後部側窓が廃止され、その部分のロングシートは2人掛けに変更された。また、各車両とも後方車端部窓上に側面行先表示器の設置準備工事が施行された。Tc車最前部の箱型通風器は、クハ401形についてはグローブ型に交換・統一されたが、クハ421形およびクハ411形唯一の冷房準備車クハ411-335は箱型通風器のまま存置していた。 一方、403系第9編成(K552編成)は1989年の更新・改造時に集約分散式のAU712形を搭載したが、モハ402-9に限り車体構造上の都合から集中式のAU75系を搭載した。また、クハ401-51など415系700番台と組成する一部のクハ401形[10]も更新と同時にAU712形による改造を行っている。
421系・423系の冷房改造は一部が分散式[11]や床置式[12]の冷房装置で施工されたが、この両方式の給電は主変圧器3次巻線から行うため、直流区間では冷房が使用できなかった。このため、421系・423系の末期は直流区間乗り入れ運用が下関駅までに限られる大分電車区(現・大分鉄道事業部大分車両センター)に集中配置された。床置型冷房装置搭載車は冷房装置部分のルーバーと特大のグローブ型屋上通風器が外観上の特徴だった。
[編集] 分割民営化後
事故廃車となったモハ402-1・クハ401-52・クハ421-43の3両を除いた全車両がJR東日本・JR九州に承継された。
- JR東日本承継車(403系)
冷房改造未施工車の一部は1990年 - 1992年に415系1500番台に置換えられ廃車。1997年にはE501系2次車投入により13両が廃車。その後はE501系の増備が中止されたため廃車は見送られたが、2005年7月からE531系投入置換えにより再び廃車が開始され2007年3月18日のダイヤ改正で運用離脱[13]。2008年までに全車廃車となった。
- JR化後に先頭車は踏切事故対策として推進された前照灯のシールドビーム化を伴う施工されたが、クハ401-83・84は国鉄時代に前面強化工事が試験的に施工されていたため廃車まで白熱灯のままで残存した。
- JR九州承継車(423系)
1996年から廃車が開始され、2001年までにすべて廃車された。
[編集] 改造車
[編集] クハ401-901→101
常磐線の基本編成の組み替えなどに伴い、不足する先頭車を115系のクハ115-612[14]から401系の制御車に改造編入した車両で、1986年(昭和61年)に1両のみが大宮工場(現・大宮総合車両センター)で改造された。改造当初は901を名乗っていたが、1987年(昭和62年)1月に101に改番された。
百位の数字が「1」と奇数の番台区分が付与されているが、偶数向き車両である。改造時に電動空気圧縮機 (CP) を搭載している。
115系からの改造車ゆえに屋根上の通風器が押込式であること、乗降扉に半自動扱用の大型取手が取り付けられていること、先頭部の幌取り付け部の構造が異なっていること、タイフォンカバーが寒地仕様であるシャッター式になっているなど、多くの相違点が見られた。しかし、非冷房車だったこともあり、他の401系・403系非冷房車などとともに415系1500番台に置き換えられることになり、改造よりわずか5年足らずの1991年に廃車された。
[編集] モハ401-26
1979年に常磐線で発生した踏切事故により、編成中の上野方制御車であるクハ401-52およびモハ402-1が廃車されたため、残りの車両を401系の初期車(低運転台車)との編成と組み替えることとなり、同年モハ403-1に主電動機の交換などを郡山工場で施工の上、モハ401形の最終増備車の続番に編入した。この時に401系側のクハ401-13およびモハ401-7は玉突きで廃車されている。その後、同車は冷房改造なども行われず、1987年に改造後の組成相手となったモハ400-7やクハ401-14[15]とともに415系1500番台に置き換えられて廃車となった。
403系時代から同車と編成をともにしていたもう一方の制御車であるクハ401-51は、1985年に7両編成組成のため方向転換・冷房電源用MGの搭載を伴う改造[16]を行った上、415系の編成に組み込まれた。1990年に集約分散式冷房装置AU712形を搭載して冷房化改造および車両更新を受けた。
[編集] 415系
[編集] 概要
以上の系列に続き、1971年(昭和46年)から製造が開始された。交流50/60Hz両用のTM14形主変圧器を搭載する「三電源方式」となっている。
[編集] 車両形式
- モハ415形
- モハ414形
- クモハ415形(800番台のみ)
- クハ411形
- クハ415形(800・1900番台のみ)
- サハ411形
411・415という中途半端な形式が採用され、クハ411形が300番台として301番から製造されたのは415系登場時に、401系・403系の411系・413系[17]への形式変更、およびクハ401形・クハ421形のクハ411形0番台(1 - 90)・100番台(101 - 206)への改番が計画されていたからだが、実現には至らなかった。
[編集] 番台区分
[編集] 普通鋼製車両
[編集] 0番台
基本番台車。制御車は上記系列からの編入を計画していたため300番台に区分された。また、この番台のみトイレが両先頭車にある。
1974年の第4編成以降は、当時製造されていた113系・115系と同様に冷房装置の設置をはじめ、客室内では外付けユニットサッシ窓の採用、ロングシート部の座席の改善、クハ411形では運転室の拡大ならびに運転台のユニット化などが行われている[18]。また、公害防止対策として主変圧器などの冷却油をPCB油からシリコン油へと変更している。非冷房車として登場した第3編成までについても1977年までに改造により冷房化された。冷房電源用MGは、直流の両系列とは異なり偶数向きクハ411形に自車を含む4両給電対応の160kVAものを搭載している。これによりクハ411形は方向が固定された。
勝田車両センター・南福岡車両区・門司港運転区所属の一部編成はクハ411形トイレ対向部を除きロングシートに改造された車両がある。また、JR九州所属車では屋上通風器とパンタグラフ周辺の低屋根構造部の外気取り入れ口、常磐線用列車無線アンテナ台座および配管が撤去された。さらに、車体更新改造の際に側窓が一部を除き固定化されている。また、4両編成に2か所あったトイレのうち奇数向き先頭車のものが撤去された編成もある。
1975年製造のクハ411-335は事故廃車となった423系先頭車クハ421-43の代替として新製されたため、冷房装置は取り付けず、本系列で唯一冷房準備車で落成し、1983年に編成を組む423系とともに冷房化された。冷房準備車特有の最前部の大型箱型通風器[19]や冷房装置もAU75系でも外キセをステンレス製としたAU75E形を搭載するなど、異彩を放つ外観が特徴だった。また、同車の増備により以降0番台先頭車の奇数・偶数の車両番号の進番が逆転している。同車は2001年に423系の全廃と同時に廃車となり、415系で初の廃車となった。
2000年に南福岡所属のFM5編成がミレニアム記念として旧塗装に復元され、翌2001年には常磐線勝田電化40周年記念でK510編成が旧塗装に復元された。その後K510編成は常磐色に戻ったが、クハ411-320以外はK910編成となった後に廃車となり、クハ411-320はK601編成の先頭車として運用された。一方、FM5編成は2011年現在も旧塗装のままで運用を継続している。
勝田車両センター所属車はE531系への置換えにより、2007年3月17日までに全車が営業運転を終了した。
JR九州に在籍する0番台でセミクロスシート形態を残していたFo-2・Fo-3編成は2010年4月時点で鹿児島総合車両所に留置されていたが、Fo-2編成は同年7月2日 - 3日にかけて小倉工場に廃車回送された。
[編集] 100番台
1978年より製造されたクロスシート部の座席間隔(シートピッチ)を従来車の1,420mmから1,490mmと70mm拡大した車両である。車体構造は同時期に製造されていた113系2000番台と基本的に同一である。トイレは偶数向き制御車にのみ設置となり、制御車は奇数向き(クハ411-101 - )と偶数向き(同201 - )に区分された。
JR九州在籍車は、大分車両センター配置車両を除きトイレ対向部以外の座席がロングシートに改造された。また、屋上通風器とパンタグラフ周辺の低屋根構造部の外気取り入れ口、常磐線用列車無線アンテナ台座および配管が撤去されている。さらに、車体更新改造の際に側窓は一部を除き固定化された。その一方でJR東日本在籍車は順次E531系に置き換えられ、在籍していた車両は同年3月17日をもって営業運転を終了[20]した。
1984年に増備された偶数向きクハ411形の機能を備える中間付随車のサハ411形は1 - 4に区分されている。このうち1と3の冷房電源用MGは新製時は設置スペースを確保した準備工事車で、翌1985年の7両編成組成時に設置された。なお、同時に製造されたモハ415・414-127・128にはペアとなる先頭車が存在しない。また、これらの100番台最終増備車は当初より常磐線新塗色で登場し、屋上通風器、冷房装置の外キセ、室内のカラースキームが後述の500番台に合わせたものになった。また、クロスシート部分の配色は前年の713系に類似している。
[編集] 500番台
常磐線の混雑緩和を目的として1982年より製造されたロングシート車である。ただし、トイレ対向部はクロスシートとされた。偶数向き先頭車はクハ411-601 - に区分された。窓配置などの外観は100番台とほとんど同じだが、屋上通風器は箱型に変更されている。内装のデザインとカラースキームは当時増備されていた201系に合わせられ、座席の端部には袖仕切りを設置した。ロングシートの構造と寸法は105系新造車グループとほぼ同等で座面が低く奥行きが深い[21]。当初は車内禁煙区間が上野駅 - 土浦駅間のみだったため、ロングシート車ながら各車両の出入台の戸袋窓下と妻部に灰皿が設置されていた。また腐食防止の観点から車体裾部にステンレスが用いられ、1982年製510・610 - 512・612からは冷房装置の外キセがステンレス化された。この他、1984年製造分の513・613 - 516・616から常磐・水戸線新塗装となり、翌1985年製造の521・621 - 524・624は後述の700番台に合わせて変圧器が変更され、車内の天井構造も冷房ダクトを平滑化して平天井となっている。またドアエンジン部分にも増備時期による変遷が見られる。
当初は全車が勝田に配置されたが、1986年3月に513・613 - 517・617の5編成が421系を置き換えるため南福岡に転属した。その後2007年2月に513・613と517・617の2編成が、同年3月に514・614 - 516・616の3編成が475系・457系を置き換えるため鹿児島総合車両所に転属した。JR九州在籍車は屋上通風器とパンタグラフ周辺の低屋根構造部の外気取り入れ口が撤去された。また勝田所属車には座席がバケット化され座面が若干高くなった車両が存在していた。勝田所属車は2007年3月17日までに定期営業運転を終了した。
なお、保留車となっていたK607編成の507・607とK620編成の520・620の2編成8両は、1500番台の1編成とともに、2008年12月にJR九州に譲渡(12月24日付で廃車)[22]。旧K607編成は小倉工場で、旧K620編成は鹿児島総合車両所で整備され、旧K620編成がFM520編成、旧K607編成がFM507編成となって南福岡電車区に配置され(それぞれ2009年3月9日・11日付で入籍)、2009年3月より営業運転を開始している[23]。
[編集] 700番台
1984年 - 1985年に製造された。車端部分をロングシートとしたセミクロスシート車で、主変圧器を自然冷却式に改良し、車内の天井構造を平滑化している。車内の配色は100番台最終増備車と同様である。1985年の科学万博開催に向けた常磐線の輸送力増強のために投入され、落成当初より常磐・水戸線新塗装だった。
一部の4両編成を7両編成化が目的のために中間車のみが製造され、先頭車は基本編成7両編成の4両編成化に伴って1989年にサハ411-707から改造されたクハ411-701のみが存在し、K522編成のいわき方先頭車として運用されていた。全車が勝田車両センターに配置されていたが、2007年3月17日までに定期営業運転を終了した。2008年7月までに全車両とも廃車され、廃区分番台(サハ411形は廃形式)となった。
500・700番台の落成時公式試運転は、日立製作所製では九州地区、日本車輌製では北陸本線を走行した事例がある。
[編集] 800番台
JR西日本が1991年に七尾線を直流電化するにあたり、交流電化の北陸本線と直通運転を行う上で普通列車用交直流電車が必要となったため、113系に交流機器を搭載して、本系列に編入させて800番台としたもの。具体的には、当時福知山運転所(現・福知山電車区)に配置され、もっぱら直流電化区間の特急に使用されていた485系から交流機器を撤去[24]、捻出した交流機器を同区の113系800番台および網干電車区(現・網干総合車両所)・日根野電車区の113系0番台に装備させた。
七尾方からクモハ415形 - モハ414形 - クハ415形の3両編成を組み、本系列では初の制御電動車クモハ415形が登場した。一部のクモハ・モハは非冷房であったため、冷房装置[25]の搭載改造も同時施工した。また、通風器の変更や床下機器へのカバー設置など各種耐寒化工事、さらに改造種車は1969年以前の製造のため、塗装の剥離・素地調整などを追加した延命NB工事を施行した。車体塗装は、上半分を先頭車は青、中間車はピンクとし、下半分をグレー、境界に白帯とした。
急行「能登路」としての運用[26]を考慮し、車内設備の更新も行っている。扉間はクロスシートをバケット型のものに交換、シートピッチを1,700mmに拡大し、扉横の2人掛けロングシートは撤去した。また、車端部分はクハのトイレ前を除いてロングシートに変更した。そのため座席定員が減少している。
現在は七尾線および北陸本線小松駅 - 津幡駅間の普通で運用されており、413系などと併結して運転されることもある。所属は金沢総合車両所。2000年から半自動扉をボタン操作式に改造する工事が順次行われ、2004年以降は1年を通じて乗客が扉の開閉を行うことになった。
なお、早期落成車は七尾線電化までの間、クリームを基調とした福知山色に塗られ福知山線で使用されていた[27]。
塗装コスト削減の為、輪島塗をイメージした赤色一色に塗装変更される事が新聞報道[28]され、2010年2月17日には第一陣となるC07編成が赤色一色で出場した[29]。
- クモハ415形
- 七尾寄り制御車としてモハ414形とペアを組んで使用される。種車はクモハ113形800番台である。
- クモハ113-804・808・810・802・801・811・812・805・806・813・814 → クモハ415-801 - 811
- モハ414形
- 中間車としてクモハ415形とペアを組んで使用される。種車はモハ112形で、重量の大きい主変圧器を取り付けるため台枠を改造し、電動発電機が撤去されている。また、パンタグラフ折りたたみ高さを小さくするため、車両一部箇所は低屋根となっている。
- モハ112-801・12・66・55・111・36・30・164・168・15・18 → モハ414-801 - 811
- クハ415形
- 金沢・小松寄りの制御車として使用される。種車はクハ111形で、電動発電機・空気圧縮機用リアクトルが取り付けられる。
- クハ111-52・342・382・351・340・339・360・338・458・417・352 → クハ415-801 - 811
なお、製造時の車両番号については113系800番台の項を参照のこと。
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← 七尾
金沢・小松 →
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| 車両形式 | クモハ415 (Mc) |
モハ414 (M') |
クハ415 (T'c) |
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|---|---|---|---|---|
| 編成 | C01 | 801 | 801 | 801 |
| C02 | 802 | 802 | 802 | |
| : | : | : | : | |
| C10 | 810 | 810 | 810 | |
| C11 | 811 | 811 | 811 | |
[編集] ステンレス鋼製車両
[編集] 1500番台
サハ411形1600番台についてもこの節で扱う。
1986年から製造を開始した。軽量なステンレス製車体、ボルスタレス台車といった211系に用いられた技術が採用されている。従来の車両と相互に連結して運転するため、電装品やブレーキシステムは500・700番台に準じている。従来車と性能を揃えるため、軽量化による加減速力の増分は、主電動機の限流値を低く設定することで相殺している。また、従来車ではすべてのクハ411形にC1000形を搭載していた空気圧縮機は、1600番台のみC2000形1台搭載と改められている。JR東日本では1991年まで製造が続き、行先票(サボ)受けの有無、運転室仕切窓の大きさなど、細部に差異が見られる。車内はトイレ対向部を除いてロングシートとなっている。なお、モハ414形1500番台の前位側(パンタグラフ搭載側)の客室は、機器があるため座席が1人分少ない4人掛けとなっており、窓や行先表示器の位置も若干異なっている。最初に投入されたグループは車内放送用スピーカーも在来車と同様の箱型を各車に2基設置している。
2011年現在、勝田車両センターおよび南福岡車両区に配置されている。編成構成は原ノ町・下関・門司港方からクハ411-1500 - モハ415-1500 - モハ414-1500 - クハ411-1600(トイレ付き)の4両である。勝田車両センターでは700番台の中間電動車を連結した7両編成のK820編成が存在していたが、2005年7月18日に4両編成のK526編成に短縮された。これに伴い旧K526編成だった1502・1602の編成はK626編成に改番されている。また、JR東日本車は帯色が鋼製車の青20号を踏襲しているが、JR九州車は落成当初より帯色が明るい青色(青25号)で、その後屋上通風器が撤去された。1989年度以降の増備車(モハ414-1524以後)は主変圧器が50Hz専用のTM24に変更された[31]。本来なら別系列もしくは別区分番台となってもおかしくないが、広域転配を想定していないため、続番となった。
南福岡に配置された車両(FM1509 - 1521編成)は本来勝田に投入する予定で、南福岡には捻出した100番台を転用して421系低運転台車などを置き換える計画だったが、非冷房車の置き換えにあたってイメージアップのために直接新車を投入することとなった。オールロングシートでありながら熊本 - 門司港・下関間のような長距離列車に充てられていたため、一時は禁煙車を除きロングシート部に灰皿を設置するなどの工夫がなされていた。
1両のみ存在したサハ411-1601はMG・CP搭載のため1600番台に区分されている。2005年6月までは、後述する2階建普通車のクハ415-1901と同じK880編成に組み込まれており、勝田方よりクハ415-1901 - モハ415-1535 - モハ414-1535 - サハ411-1601 - クハ411-1534 - モハ415-1534 - モハ414-1534 - クハ411-1634の8両固定[32]で運用されていた。その後は、2007年まで500番台と700番台混結のK810編成に組み込まれていた。
このグループは、2007年3月18日ダイヤ改正での普通鋼製車をE531系への置き換え後も常磐・水戸線で運用を続けているが、常磐線上野口の中距離電車はグリーン車を連結した同系列に統一し、同系列の最高速度130km/hの性能を本格的に活用するダイヤ構成に移行されたため、常磐線では友部 - 原ノ町間の運用となり、上野口からは撤退した。また、上記の転用で余剰となる初期に製造された3編成とサハ411-1601・1701(後述)・モハ415・414-1522は廃車予定とされ、中間車の4両は2007年10月から2008年5月までに廃車となった。
なお、元K525編成のクハ411-1501などの1編成4両は、500番台の2編成とともに、2008年12月にJR九州に譲渡された(12月24日付で廃車)[33]後、小倉工場で整備[34]され、2009年6月23日付でFM1501編成として入籍[35]。2009年6月末より営業運転を開始した。車体の帯色は青25号に変更されているが、連結部の外幌部分のみ勝田時代の青20号のまま残されている。
一方、K626・K526編成のクハ411-1502・1503など8両は、2009年度上半期に廃車となった[36]。
[編集] サハ411-1701
ステンレス車体で唯一のセミクロスシート車で、1986年に7両編成を4両編成2本に組み替える際に7両編成中間の先頭車を活用することから、その代替の中間付随車として1両のみが製造された。製造当初は403系冷房改造車と415系700番台の混結編成に、1988年以降は415系1500番台と700番台混結のK820編成に組み込まれていたが、2005年7月18日に組み換えられ、0番台と700番台混結のK918編成(元・K505編成)に組み込まれていた。サハ411-1601との差は座席配置とサボ受の有無程度である。K918編成は2007年11月11日に、留置されていた高萩から鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の神栖駅へ回送され、翌12日付で廃車された。
[編集] クハ415-1901
常磐線での着席機会向上のため、1991年に日本車輌製造で制御車1両のみが試験的に製造された2階建て普通車である。基本的に停車駅の少ない通勤快速に限定して運用されていたが、客用扉が片側2か所しかないためラッシュ時の乗降に時間を要した。増備は行われなかったが、運用成果は215系普通車の設計に反映された。
座席は客用扉付近がロングシートのほかはクロスシートで、1階および車体後部は2+2配列、2階は2+3配列となっていた。他の1500番台車とは異なり客用扉の室内側は化粧板仕上げとされていた。
2005年7月9日のダイヤ改正で定期運用から離脱し、勝田車両センター内に留置されていたが、2006年3月10日に郡山総合車両センターに回送され、11日付けで廃車となった。その後も同センター内に留置されていたが、同年6月12日から14日にかけて解体された。
[編集] その他
国鉄時代には本系列も運用の都合から以下の急行列車(いわゆる遜色急行)へ投入された。
- 「ときわ」
-
- 1967年10月1日のダイヤ改正で上野 - 水戸間1往復がに不定期の休日運転として設定。1968年10月1日のダイヤ改正は定期列車化[37]。しかし、1971年4月20日からは再び不定期運転となり1978年10月2日のダイヤ改正で廃止。
- 「ゆのか」
-
- 1968年10月1日のダイヤ改正で博多 - 大分間に1往復設定。1972年3月15日のダイヤ改正で457・475系へ置換え。
側面の行先表示器はJR東日本発足後に製造された1500番台の一部とクハ415-1901を除き準備工事で落成したが、JR東日本所属車は1991年までに、JR九州所属車は2000年までに当時在籍していた全車に搭載された。なお、改造車であるJR西日本所属の800番台は未搭載である。また前面の種別(行先)表示器は東日本所属車ではほとんど無表示となっているが、九州所属車では行先表示がなされる。なお九州では1980年代半ばより福岡・北九州都市圏周辺で運転されていた列車に「マイタウン電車」(分割民営化後は415系用デザインの「タウンシャトル」[38])のヘッドマークを掲出して運転した実績がある。
JR東日本では、2007年3月17日をもって普通鋼製車の定期営業運転を終了し、同年3月24日には水戸 - いわき間でさよなら運転が実施された。
JR九州では唯一の交直両用近郊形電車として、関門トンネルを通過するすべての普通列車[39]に投入されている。
- 旧来の0・100番台についても大分配属車を除いてすべてロングシートに改造されラッシュ時の輸送力に優れており、鹿児島本線や日豊本線での運用が主であるものの佐世保線や長崎本線へ乗り入れる運用も存在する。
- 長期使用を前提とした更新工事も施工されており、前述の通風器撤去に加えて車体連結面上端にあったキャンバス(屋根布)押さえの完全撤去[40]・側面の行先表示器の使用開始に伴う行先サボ受けの撤去・AU-75BH形冷房装置クレーンフックの一部埋め込みなどが施工される。ただし、3両以下へ短縮された編成やワンマン運転に対応した改造は未施工である。
[編集] 脚注
- ^ 浅原信彦『ガイドブック最盛期の国鉄車輌5交直流・交流電車 新性能直流郵便電車 』ネコ・パブリッシング、2008年、36頁。
- ^ 愛好者の間では「デカ窓」と呼ばれていた。
- ^ 西宇部駅(現・宇部駅) - 厚狭駅間は1960年に先行開業。
- ^ この塗色は1982年より広島地区に投入された115系3000番台の車体色(瀬戸内色・クリーム1号に青20号の帯)とは異なる。
- ^ これに先立ち1986年夏には比較検討が行われ、423系は白3号と青20号、713系はクリーム10号と青20号に塗色変更して出場した。勝田区からの転属車は、少なくとも民営化後の1987年秋頃までは常磐線時代の塗色のままだった。
- ^ クハ421形低運転台車の1両が九州鉄道記念館に保存が検討されたが、実現しなかった。
- ^ この時点でJR九州は営業用電車完全冷房化を達成。
- ^ 1988年改造、特別保全工事に代わって更新工事も同時施工
- ^ 403系・423系の主整流器は当初RS22形・RS22A形を使用していたが、1969年から実施された451系・471系の普通車冷房改造にあたり、両形式に搭載のRS5系・RS7系では整流能力が不足するため、両形式と主整流器の振り替えが行われている。
- ^ 冷房電源MGのみの搭載を施工された車両
- ^ AU1X形4台で、423系の一部のみで国鉄時代から施工。
- ^ AU2X形、車端部の座席2ボックス分をつぶして設置。423系では下り方車端(下り方のクハを除く)に2基まとめて設置されたが、421系では上り方と下り方の両車端に1基ずつ設置され(モハ420はパンタグラフの関係でモハ422と同様の配置)、編成を上から見ると千鳥配列となっていた。
- ^ 3月17日の営業最終日まで運用された車両ははK903編成組込のモハ403・402-12のみ。
- ^ サハ115-2を1984年に先頭車化改造。
- ^ 低運転台クハで最も遅くまで運用された車両でもある。
- ^ ただし自車はこの時点で非冷房で、同様な415系編成7両化によるクハ401形非冷房車への冷房化を伴わないMG搭載改造は、クハ401-51以外にクハ401-54・58・66・76にも施工され、いずれも1989年 - 1990年に冷房化と車両更新が施工されている。
- ^ 「413系」という形式称号は、1986年に471系・473系急行形電車を車体更新した改造車に付与された。
- ^ いわゆる「0'(ゼロダッシュ)番台」と呼ばれる。
- ^ 小倉工場では、冷房改造時に最前部の通風器を後ろ側と同じ物に揃える改造を行っていない。
- ^ 2007年11月14日にE501系運用の代走としてK516編成が営業運転に充当された。
- ^ 座面高400mm・奥行600mmのため、座った感じはソファーに近い。
- ^ RMニュース 2008年12月24日付け掲載 「【JR東+JR九】JR東日本の415系12輌をJR九州へ譲渡」
- ^ もと勝田車両センターK620編成が営業運転を開始
- ^ 撤去した車両は183系に編入。
- ^ クモハ415形は集約分散形WAU102形、モハ414形はAU75形
- ^ 「能登路」としての運用は2001年3月に終了。
- ^ 『鉄道ファン2011年2月号』 交友社、2010年、p.99。
- ^ ローカル線“一色二鳥”ご当地カラー JR西、塗装の経費削減MSN産経ニュース
- ^ 七尾線用415系C07編成が赤色塗装で出場交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース、2010年2月18日
- ^ 『JR電車編成表 2011冬』 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2010年、p.137。ISBN 9784330184104。
- ^ 「鉄道ファン」2011年1月号117頁
- ^ 2004年12月よりモハ415・414-1535がモハ415・414-523に、2005年6月30日にサハ411-1601がサハ411-713に差し替えられている。
- ^ RMニュース 2008年12月24日付け掲載 「【JR東+JR九】JR東日本の415系12輌をJR九州へ譲渡」
- ^ 2009年6月24日付け掲載「415系Fm1501編成小倉工場から出場」
- ^ 『JR電車編成表』2010冬。
- ^ 『鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース. “415系1500番台K526編成,解体へ?”. 2009年6月30日閲覧。
- ^ 下りは水戸以北は普通列車となり平(現・いわき)まで延長運転。
- ^ のちにシンプルなデザインに変更された。
- ^ JR九州とJR西日本の普通列車の直通運転は2005年9月30日をもって終了しており、JR九州所属車の運用の北限は下関となった。
- ^ 装着跡も元からの塗屋根車と見分けが付かない程の処理を施工。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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