国鉄415系電車

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国鉄415系電車
JR東日本415系500・700番台車(2006年撮影)
JR東日本415系500・700番台車(2006年撮影)
起動加速度 1.6km/h/s(M:T=1:1時)
営業最高速度 100km/h
減速度 3.5(常用最大)
5.0(非常)
全長 19,500mm(最大長20,000mm)
全幅 普通鋼製車両2,900mm
ステンレス鋼製車両2,950mm
全高 普通鋼製車両3,654mm
ステンレス鋼製車両3,670mm
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V(全系列共通)
交流20,000V 50Hz(401・403系)
交流20,000V 60Hz(421・423系)
交流20,000V 50Hz/60Hz(415系)
駆動装置 中空軸平行カルダン撓み板継手方式
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ
備考
第2回(1962年
ローレル賞受賞車両

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(401系・421系において)
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415系電車(415けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直流両用近郊形電車

国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と九州旅客鉄道(JR九州)に継承されたほか、JR東日本が設計・製造した車両や西日本旅客鉄道(JR西日本)が113系を改造・編入した車両が存在する。

なお、本項では製造目的の共通する以下の車両系列についても表記する。

  • 国鉄401系電車
  • 国鉄403系電車
  • 国鉄421系電車
  • 国鉄423系電車

2007年平成19年)現在、800、1500番台を除き廃車が進行している。

目次

[編集] 系列別概要

[編集] 401系・421系

[編集] 概要

国鉄カルダン駆動方式の電車としては初の両開き3扉構造の近郊形である。交流電化区間と直流電化区間を直通運転する必要があることから、交流・直流の接続を車上切換方式による交直両用電車の実用第1号として開発された。

1961年昭和36年)6月常磐線取手勝田間の交流電化に備えて新製された系列が401系で、同時に既電化区間の関門トンネルを挟んだ山陽本線小郡(現・新山口)~下関間の直流電化[1]および鹿児島本線門司港久留米間の交流電化に伴い新製された系列が421系である。1966年(昭和41年)までの間に401系4両編成25本計100両と421系4両編成23本計92両が製造された。

1960年(昭和35年)に両系列ともに量産先行試作車から製造が開始された。また、該当区間の電化設備も同時期に完成し、営業開始に備えて運行試験が行われた。

また、関門トンネル通過時や海岸線沿いを走行時の海水による塩分の付着や塩・塵害による汚損などにより碍子の閃絡事故が相次いで発生して、一部列車を客車気動車で代走するに至った事態も発生した。

1962年(昭和37年)に鉄道友の会より第2回ローレル賞を受賞した。

[編集] 車両形式

[編集] 401系
モハ401-1~26
中間電動車で、主制御器の他に主抵抗器誘導分流器電動発電機などの直流機器を搭載する。26のみモハ403形からの改造車。
モハ400-1~25
中間電動車で、パンタグラフの他に主変圧器主整流器などの交流機器を搭載する。パンタグラフ取付部は低屋根構造としたため、ファンデリアを2個設置し、外気取り入れ口を車体側面幕板上部に設けている。
クハ401-1~90
制御車で、3位側隅にトイレを備える。電動車の床下ぎ装の関係から本形式に空気圧縮機を搭載する。
低運転台車のうち、大部分の車両が前面強化工事とそれに伴う前照灯シールドビーム化を施工した。
51~90は403系の制御車として製造された。

[編集] 421系
モハ421-1~23
モハ401形の60Hz版。
21~23はサヤ420形からの改造車とユニットを組むためにモハ423形製造開始後に製造。
モハ420-1~23
21~23はサヤ420形からの改造車
モハ400形の60Hz版。
クハ421-1~106
クハ401形の60Hz版。
41~60・67~106は423系の制御車として製造された・
サヤ420-1~3
詳細は後述。 

[編集] 構造

車体構造は153系を基本としているが、片側3か所の両開き扉やセミクロスシートの座席配置などは以後の新性能近郊形電車の標準スタイルとなった。

台車電動車用が101系と同一のDT21B形、付随車用がDT21B形をベースに台車枠形状などを付随車用に変更したTR64形とした。ブレーキ機構は価格的な面からディスクブレーキを使用せず踏面制輪子とした。なおクハ401-47・421-41以降はクハ111形と同様にディスクブレーキ付きのTR62形とし、ブレーキ容量増大を図った。

主電動機はMT46A形に交流区間での脈流対策を考慮したMT46B形とした。

パンタグラフは交流区間での無加圧区間を250mm以上確保する必要から、PS16形の台枠・空気配管を変更したPS16B形とした。なお、モハ420-19からはステンレス製とし、塩・塵害対策を施したPS16C形とした。

401系・421系両系列の相違点は交流電化の電源周波数の違いに由来するものである。すなわち、常磐線は50Hz、鹿児島本線・日豊本線では60Hzで送電されるためである。両系列が設計された当時はまだ50/60Hz両用の交流機器(主変圧器・主整流器・主平滑リアクトルなど)が開発されておらず、同一設計を採用しても交流機器に関する部分が統一できなかったことから、別系列となったのである。

また、両系列は電動車はもとより付随車の制御車についても415系が登場するまで「クハ401形」「クハ421形」と分けられていた。基本設計についても415系まではそのまま踏襲されているが、運用線区の違いなどから行先票(サボ)受の位置が異なるなど外観には差異が見られる。

クハ401・421形の初期製造車は、クハ153形0番台と同様に運転室のフロントガラスが大きい低運転台構造[2]だったが、401系は1962年製造分のクハ401-23から、421系は1961年11月製造のクハ421-17以降から、それぞれクハ111形クハ153形500番台に合せてガラスが小型の高運転台構造に変更された。また、403系・423系用を含め屋上通風器など他の部分についても同時期のクハ111形に合せた改良が行われている。

車体塗装は401系・421系の先行試作車から1982年落成の415系500番台の途中製造分まではローズピンク(赤13号)を基調に前面にクリーム(クリーム4号)の警戒色が入る国鉄交直流電車の標準色だった。なお、登場時に401系は制御車前面窓上にクリーム1号の識別帯が、421系は全車の側面裾部(ドア下)にクリーム2号の識別帯が引かれていたが、識別帯については後に両系列とも省略された。その後常磐線用については1985年つくば科学万博開催に伴い1983年8月から1985年3月16日にかけてイメージアップのためにアイボリーホワイト(クリーム10号)に青帯(青20号)へと変更[3]された。

1986年3月にこの塗装の415系500番台編成が421系の置き換え用として南福岡電車区に転属して以降、10月らは本系列を含む九州車もこれに倣った塗装を採用している。ただし白地は白3号、青帯は若干藍色がかった青23号を採用しており、窓上にも帯が入る[4]

[編集] サヤ420形

モハ420-21~23は、151系の九州乗り入れ用の電源車サヤ420-21~23として登場した。

1964年10月1日東海道新幹線の開業に合わせて、新大阪博多間に新幹線連絡の電車特急「つばめ」「はと」を運行することになった。運行区間のうち新大阪~門司間は直流電化だが、門司~博多間は交流電化のため、下関~博多間を電気機関車(下関~門司間はEF30形、門司~博多間はED73形)により牽引することとした。しかし、単に電気機関車に151系を牽引させるだけでは同形式のサービス用電源が確保できないため、電源車としてモハ420形をベースに必要な機器類を設置したサヤ420形を製造し、電気機関車と151系の間に挟んで給電した。サヤ420形の投入に決定するまでには、サシ151形に交流区間用の電源装置を搭載する案や、電源装置を搭載した交直流電気機関車を新造する案なども存在していた。モハ420形への変更を容易にするために座席は通常通り配置されており、通路やドア部の床などに電源用機器が配置されていた。

1965年10月1日に481系に置き換えられたことからサヤ420形は不要となり、当初の計画通りモハ420形に改造され、別にクハ421形およびモハ421形を新製した上で4両編成3本に組成された。

なお、この記事に関しては、こちらも参照のこと。

[編集] 廃車

401系の量産先行車は1978年(昭和53年)に、421系の量産先行車は1979年(昭和54年)に、製造後20年も経過していないうちの廃車となった。量産車の低運転台車もJRに承継されず、1987年(昭和62年)までにすべて廃車[5]された。高運転台車は一部を除き多くが残り、401系はJR東日本に、421系はJR九州に承継された。

401系は電動車ユニットおよび同時に製造された制御車のいずれも冷房改造の対象から外れ、非冷房のまま1991年(平成3年)までに全車廃車されている。

421系は、JR移行後の1987年(昭和62年)に当時在籍していた全車が後述の423系と同様の床置型冷房装置により冷房搭載工事を受けた。この時点でJR九州の営業用電車完全冷房化が達成された。その後811系813系の増備により1996年平成8年)までに全車が廃車されている。

[編集] 403系・423系

403系K519編成(前面強化改造施工)、アンチクライマが装着されている
403系K519編成(前面強化改造施工)、アンチクライマが装着されている
403系先頭車車内
403系先頭車車内
403系中間車 モハ402-20(最終製造車で403系唯一の押し込み型通風器装備)
403系中間車 モハ402-20(最終製造車で403系唯一の押し込み型通風器装備)
423系中間車 モハ422-24(AU1X形冷房改造車)
423系中間車 モハ422-24(AU1X形冷房改造車)

[編集] 概要

401系・421系に搭載していた主電動機は出力100kWのMT46系列だったが、これを120kWに出力向上したMT54系列に変更した系列である。やはり主変圧器などの違いから常磐線用は403系、九州用は423系という区分としている。1965年(昭和40年)にそれぞれ水戸線電化準備用と鹿児島本線熊本電化延長用として新製された。電動車は403系がモハ403・402形、423系がモハ423・422形となっているが、付随車の制御車は前述のクハ401・421形が継続新製された。1968年(昭和43年)まで製造され、製造両数は403系が4両編成20本計80両、423系が4両編成30本計120両である。

403系・423系ともに最終増備車[6]は屋上通風器がグローブ型から押し込み型に変更されており、外観上の特徴となっている。また、室内側では座席取手の変更や客室側扉のステンレス化が行われている。403系については行先票差しや急行札差しなどを423系の配置と同一のものに変更・統一を図った。

[編集] 車両形式

[編集] 403系
モハ403-1~20
モハ402-1~20

[編集] 423系
モハ423-1~30
モハ422-1~30

[編集] 冷房改造

403系・423系は、401系・421系に比べて製造年が新しく、長期の使用が予定されていたことから、415系と同等のサービスレベルを確保するため、1979年より冷房改造が実施されている。423系の一部を除いた国鉄時代に改造された編成と403系第7編成[7]は集中型AU75系列での冷房化だった。主な施工内容は次の通りである。

  • 各車両に冷房装置・送風ダクト・冷房配電盤を取り付け
  • 偶数向きTc車に冷房・制御回路電源用160kVA MGおよびその付属装置を取り付け
  • 偶数向きTc車乗務員室背面に冷房総括制御盤を取り付け
  • M'車主整流器をRS22A形に振り替え[8]
  • M車の制御用20kVA MGを撤去して補助変圧器を新設
  • 各車両のジャンパ連結器の取り替え(KE58形×2→KE76形×3)など車間わたりの変更

これによりTc車は引き通しが片わたりとなって方向が固定された。また、偶数向きTc車では乗務員室運転士側後部に配電盤を設置したために後部側窓が廃止され、その部分のロングシートは2人掛けに変更された。また、各車両とも後位側車端部窓上に側面行先表示器の設置準備工事が施行された。Tc車最前部の箱型通風器は、クハ401形についてはグローブ型に交換・統一されたが、クハ421形およびクハ411形唯一の冷房準備車クハ411-335は箱型通風器のまま存置していた。 一方、403系第9編成(K552編成)は1989年の更新・改造時に集約分散式のAU712形を搭載したが、モハ402-9に限り車体構造上の都合から集中式のAU75系を搭載した。また、クハ401-51など415系700番台と組成する一部のクハ401形[9]も更新と同時にAU712形による改造を行っている。

421系・423系の冷房改造は一部が分散式[10]や床置式[11]の冷房装置で施工されたが、この両方式の給電は主変圧器3次巻線から行うため、直流区間では冷房が使用できなかった。このため、421系・423系の末期は直流区間乗り入れ運用が下関駅までに限られる大分電車区(現・大分鉄道事業部大分車両センター)に集中配置された。床置型冷房装置搭載車は冷房装置部分のルーバーと特大のグローブ型屋上通風器が外観上の特徴だった。

[編集] 運用・廃車

1967年10月1日のダイヤ改正で、401系・403系を使用した不定期急行「ときわ」1往復が上野水戸間に休日運転列車として設定された。1968年10月1日のダイヤ改正では定期列車に昇格し、下り列車は水戸から平(現・いわき)まで普通列車として延長運転していた。しかし、1971年4月20日からは再び不定期運転になり、1978年10月2日のダイヤ改正で廃止されるまで運転された。

事故廃車となった403系2両と423系1両を除き、全車両がJR東日本・JR九州に承継された。しかし、403系の一部は非冷房のまま分割民営化後の1990年1992年に415系1500番台に置き換えられて廃車されている。また、403系冷房車はE501系の2次車が投入された1997年に13両が廃車されたが、その後は同系列の新製を中止したため、しばらくの間は廃車はなかった。しかし、2005年7月からE531系が投入されると、再び廃車が始まった。

勝田車両センター(旧・勝田電車区)所属車のうち、K821編成のクハ401-83・84の前照灯は、国鉄時代にすでに試験的に前面強化工事がなされていたため、JR化後に踏切事故対策として推進された前照灯のシールドビーム化を伴う前面強化工事を施行されず、白熱灯のままで残存していた。このK821編成は2005年9月15日にクハ401-82がK513編成のクハ411-213に差し替えられてK921編成となり、翌10月22日の同センターの一般公開時にいわき寄りの原型前照灯車を含む4両と上野寄り3両に分割し、前者は31日郡山総合車両センターに廃車回送された。また、後者は後述のクハ415-1901と連結して勝田車両センターに留置され、後にK621編成を名乗っていたが、2006年3月10日前後に郡山へ廃車回送された。

423系は1996年から廃車が開始され、2001年までにすべて廃車された。常磐・水戸線用の403系も老朽化が進んでいるためE531系に順次置き換えられ、2007年3月18日のダイヤ改正後に廃車となってしまった。相対的に少数派であったこともあり、3月17日の営業最終日まで運用に就いていたのはK903編成に組み込まれていたモハ403・402-12のユニットのみだった。

[編集] 改造車

[編集] クハ401-901→101

常磐線の基本編成の組み替えなどに伴い、不足する先頭車を115系のクハ115-612[12]から401系の制御車に改造編入した車両で、1986年(昭和61年)に1両のみが大宮工場(現・大宮総合車両センター)で改造された。改造当初は901を名乗っていたが、1987年(昭和62年)1月に101に改番された。

百位の数字が「1」と奇数の番台区分が付与されているが、偶数向き車両である。改造時に電動空気圧縮機(CP)を搭載している。

115系からの改造車ゆえに屋根上の通風器が押込式であること、乗降扉に半自動扱用の大型取手が取り付けられていること、先頭部の幌取り付け部の構造が異なっていること、タイフォンカバーが寒地仕様であるシャッター式になっているなど、多くの相違点が見られた。しかし、非冷房車だったこともあり、他の401系・403系非冷房車などとともに415系1500番台に置き換えられることになり、改造よりわずか5年足らずの1991年に廃車された。

[編集] モハ401-26

1979年に常磐線で発生した踏切事故により、編成中の上野方制御車であるクハ401-52およびモハ402-1が廃車されたため、残りの車両を401系の初期車(低運転台車)との編成と組み替えることとなり、同年モハ403-1に主電動機の交換などを郡山工場で施工の上、モハ401形の最終増備車の続番に編入した。この時に401系側のクハ401-13およびモハ401-7は玉突きで廃車されている。その後、同車は冷房改造なども行われず、1987年に改造後の組成相手となったモハ400-7やクハ401-14とともに415系1500番台に置き換えられて廃車となった。ちなみに、クハ401-14は低運転台車で残った最後の車両だった。

403系時代から同車と編成をともにしていたもう一方の制御車であるクハ401-51は、1985年に7両編成組成のため方向転換・冷房電源用MGの搭載を伴う改造[13]を行った上、415系の編成に組み込まれた。1990年集約分散式冷房装置AU712形を搭載して冷房化改造および車両更新を受けて4両編成化され、K522編成として勝田車両センターに在籍し、2007年3月17日まで営業運転に使用された。

[編集] 415系

[編集] 概要

以上の系列に続き、1971年(昭和46年)から製造が開始された。交流50/60Hz両用のTM14形主変圧器を搭載する「三電源方式」となっている。

[編集] 車両形式

モハ415形
モハ414形
クモハ415形(800番台のみ)
クハ411形
クハ415形(800・1900番台のみ)
サハ411形

411・415という中途半端な形式が採用されたのは、前記の4系列を411系・413系[14]へ改番することを予定していたからとされるが、実現には至らなかった。

[編集] 番台区分(普通鋼製車両)

[編集] 0番台

基本番台車。制御車は上記系列からの編入を計画していたため300番台を名乗る。また、この番台のみトイレが両先頭車にある。

1974年の第4編成以降は、当時製造されていた113系115系と同様に冷房装置の設置や外付けユニットサッシ窓への変更、ロングシート部の座席の改善が行われている[15]。また、公害防止対策として主変圧器などの冷却油をPCB油からシリコン油へと変更している。非冷房車として登場した第3編成までについても1977年までに改造により冷房化された。冷房電源用MGは、直流の両系列とは異なり偶数向きクハ411形に自車を含む4両給電対応の160kVAものを搭載している。これによりクハ411形は方向が固定された。

勝田車両センターや南福岡電車区門司港運転区所属の一部編成はクハ411形トイレ対向部を除きロングシートに改造された車両がある。また、JR九州所属車では屋上通風器とパンタグラフ周辺の低屋根構造部の外気取り入れ口、常磐線用列車無線アンテナ台座および配管が撤去されている。さらに、車体更新改造の際に側窓が一部を除き固定化されている。また、4両編成に2か所あったトイレのうち奇数向き先頭車のものが撤去されている編成もある。

1975年製造のクハ411-335は事故廃車となった423系先頭車クハ421-43の代替として新製されたため、冷房装置は取り付けず、本系列で唯一設置スペースのみ確保された冷房準備車で落成し、1983年に編成を組む423系とともに冷房化された。冷房準備車特有の最前部の大型箱型通風器や冷房装置もAU75系でも外キセをステンレス製としたAU75E形を搭載するなど、異彩を放つ外観が特徴だった。また、同車の増備により以降0番台先頭車の奇数・偶数の車両番号の進番が逆転している。同車は2001年に423系の全廃と同時に廃車となり、415系で初の廃車となった。

勝田車両センター所属車はE531系への置き換えにより、2007年3月17日までに全車が営業運転を終了した。

2000年に南福岡所属のFM5編成がミレニアム記念として旧塗装に復元され、翌2001年には常磐線勝田電化40周年記念でK510編成が旧塗装に復元された。その後同編成は常磐色に戻ったが、クハ411-320以外はK910編成となった後に廃車となり、クハ411-320はK601編成の先頭車として運用されていた。一方、FM5編成は2007年現在も旧塗装のままで運用を継続している。

[編集] 100番台

1978年より製造されたクロスシート部の座席間隔(シートピッチ)を従来車の1,420mmから1,490mmと70mm拡大した車両である。車体構造は同時期に製造されていた113系2000番台と基本的に同一である。トイレは偶数向き制御車にのみ設置となり、制御車は奇数向き(クハ411-101~)と偶数向き(同201~)に区分された。

JR九州在籍車は、大分車両センター配置の一部車両を除きトイレ対向部以外の座席がロングシートに改造された。また、屋上通風器とパンタグラフ周辺の低屋根構造部の外気取り入れ口、常磐線用列車無線アンテナ台座および配管が撤去されている。さらに、車体更新改造の際に側窓は一部を除き固定化された。その一方でJR東日本在籍車は順次E531系に置き換えられ、在籍していた車両は同年3月17日をもって営業運転を終了[16]した。

1984年に増備された偶数向きクハ411形の機能を備える中間付随車のサハ411形は1~4に区分されている。このうち1と3の冷房電源用MGは新製時は設置スペースを確保した準備工事車で、翌1985年の7両編成組成時に設置された。なお、同時に製造されたモハ415・414-127・128にはペアとなる先頭車が存在しない。また、これらの100番台最終増備車は当初より常磐線新塗色で登場し、屋上通風器、冷房装置の外キセ、室内のカラースキームが後述の500番台に合わせたものになった。また、クロスシート部分の配色は前年の713系に類似している。

[編集] 500番台

常磐線の混雑緩和を目的として1982年より製造されたロングシート車である。ただし、トイレ対向部はクロスシートとされた。偶数向き先頭車はクハ411-601~に区分された。窓配置などの外観は100番台とほとんど同じだが、屋上通風器は箱型に変更されている。内装のデザインとカラースキームは当時増備されていた201系に合わせられ、座席の端部には袖仕切りを設置した。ロングシートの構造と寸法は105系新造車グループとほぼ同等で、座面が低く、奥行きの深い[17]。当初は車内禁煙区間が上野~土浦間のみだったため、ロングシート車ながら各車両の出入台の戸袋窓下と妻部に灰皿が設置されていた。また腐食防止の観点から車体裾部にステンレスが用いられ、1982年製510・610~512・612からは冷房装置の外キセがステンレス化された。この他、1984年製造分の513・613~516・616から常磐・水戸線新塗装となり、翌1985年製造の521・621~524・624は後述の700番台に合わせて変圧器が変更され、車内の天井構造も冷房ダクトを平滑化して平天井となっている。またドアエンジン部分にも増備時期による変遷が見られる。

当初は全車が勝田に配置されたが、1986年3月に513・613~517・617の5編成が421系を置き換えるため南福岡に転属した。その後2007年2月に513・613と517・617の2編成が、同年3月に514・614~516・616の3編成が475系・457系を置き換えるため鹿児島総合車両所に転属した。JR九州在籍車は屋上通風器とパンタグラフ周辺の低屋根構造部の外気取り入れ口が撤去された。また勝田所属車には座席がバケット化され座面が若干高くなった車両が存在していた。勝田所属車は2007年3月17日までに定期営業運転を終了した。

[編集] 700番台

1984年~1985年に製造された。車端部分をロングシートとしたセミクロスシート車で、主変圧器を自然冷却式に改良し、車内の天井構造を平滑化している。車内の配色は100番台最終増備車と同様である。1985年の科学万博開催に向けた常磐線の輸送力増強のために投入され、落成当初より常磐・水戸線新塗装だった。

一部の4両編成を7両編成化が目的のために中間車のみが製造され、先頭車は基本編成7両編成の4両編成化に伴って1989年にサハ411-707から改造されたクハ411-701のみが存在し、K522編成のいわき方先頭車として運用されていた。全車が勝田車両センターに配置されていたが、2007年3月17日までに定期営業運転を終了した。

[編集] 800番台
七尾線で使用される415系800番台電車
七尾線で使用される415系800番台電車

JR西日本が1991年七尾線を直流電化するのにあたり、普通列車用の交直流電車が必要となった。一方、福知山運転所(現・福知山電車区)に配置され、丹波方面の特急に使用されていた485系は直流区間のみの運用であり、交流機器は不要となっていた。そこで、同社はこの485系から交流機器を撤去して183系に編入させ、捻出した交流機器を同区の113系800番台および網干電車区(現・網干総合車両所)・日根野電車区の113系0番台に装備させ、本系列に編入させて800番台とした。

七尾方からクモハ415形 - モハ414形 - クハ415形の3両編成を組み、本系列では初の制御電動車クモハ415形が登場した。一部のクモハ・モハは非冷房であったため、冷房装置[18]の搭載改造も同時施工した。また、通風器の変更や床下機器へのカバー設置など各種耐寒化工事、さらに改造種車は1969年以前の製造のため、延命N工事[19]を施行した。車体塗装は、上半分を先頭車は青、中間車はピンクとし、下半分をグレー、境界に白帯とした。

急行「能登路」としての運用[20]を考慮し、車内設備の更新も行っている。扉間はつり革を撤去し、クロスシートをバケット型のものに交換、シートピッチを1,700mmに拡大し、扉横の2人掛けロングシートは撤去した。また、車端部分はクハのトイレ前を除いてロングシートに変更したため、座席定員が減少している。

現在は七尾線および北陸本線小松津幡間の普通・快速列車で運用されており、413系などと併結して運転されることもある。所属は金沢総合車両所。2000年から半自動扉をボタン操作式に改造する工事が順次行われ、2004年以降は1年を通じて乗客が扉の開閉を行うことになった。

交直流化改造に伴う車両番号変更は以下の通り。なお、製造時の車両番号については113系800番台の項を参照のこと。

  • クモハ113-804・808・810・802・801・811・812・805・806・813・814→クモハ415-801〜811
  • モハ112-801・12・66・55・111・36・30・164・168・15・18→モハ414-801〜811
  • クハ111-52・342・382・351・340・339・360・338・458・417・352→クハ415-801〜811

[編集] 番台区分(ステンレス鋼製車両)

JR東日本の1500番台
JR東日本の1500番台
JR九州の1500番台
JR九州の1500番台
JR九州の1500番台 車内
JR九州の1500番台 車内

[編集] 1500番台(サハ411-1601を含む)

1986年から製造を開始した。軽量なステンレス鋼製車体、ボルスタレス台車といった211系に用いられた技術を採用している。ただし、従来の車両と相互に連結して運転することを前提としたために電装品やブレーキシステムは700番台に準じている。また、従来車ではすべてのクハ411形にC1000形を搭載していた空気圧縮機は、1600番台のみC2000形1台搭載[21]と改められている。JR東日本では1991年まで製造が続き、行先票(サボ)受けの有無、運転室仕切窓の大きさなど、細部に差異が見られる。車内はトイレ対向部を除いてロングシートとなっている。なお、モハ414形1500番台のパンタグラフがある部分の客室は、機器があるため座席が1人分少ない4人掛けとなっており、窓や行先表示機の位置も若干異なっている。

2007年現在、JR東日本の勝田車両センターおよびJR九州の南福岡電車区に配置されている。編成構成は原ノ町・下関・門司港方からクハ411-1500 - モハ415-1500 - モハ414-1500 - クハ411-1600(トイレ付き)の4両である。勝田車両センターでは普通鋼製車と混結が可能な利点を活かして700番台の中間電動車を連結した7両編成のK820編成が存在していたが、2005年7月18日に4両編成のK526編成に短縮された。これに伴い旧K526編成だった1502・1602の編成はK626編成に改番されている。また、JR九州車は落成当初より帯色が明るい青色で、その後屋上通風器と常磐線用列車無線アンテナ台座および配管が撤去された。

南福岡電車区に配置された車両(FM1509~1521編成)は本来常磐線に投入する予定で、同区には捻出した100番台を転用して421系低運転台車などを置き換える計画だったが、非冷房車の置き換えにあたってイメージアップのために直接新車を投入することとなった。しかし、オールロングシートでありながら熊本~門司港・下関間のような長距離列車に充てられることがあったため、利用客からは必ずしも好評ではなかった。そのため、民営化後に登場した811系は再びクロスシートになった。

1両のみ存在するサハ411-1601[22]は偶数向き先頭車と同じ1600番台に区分されているが、トイレは設置されていない。2005年6月までは、後述する2階建普通車のクハ415-1901と同じK880編成に組み込まれており、勝田方よりクハ415-1901 - モハ415-1535 - モハ414-1535 - サハ411-1601 - クハ411-1534 - モハ415-1534 - モハ414-1534 - クハ411-1634の8両固定[23]で運用されていた。その後は、2007年まで500番台と700番台混結のK810編成に組み込まれていた。

このグループは、2007年3月18日ダイヤ改正での普通鋼製車のE531系への置き換え後も常磐・水戸線で運用を続けているが、常磐線上野口の中距離電車グリーン車を連結した同系列に統一し、同系列の最高速度130km/hの性能を本格的に活用するダイヤ構成に移行されたため、常磐線では友部~原ノ町間の運用となり、上野口からは撤退した。また、上記の転用で初期に製造された3編成とサハ411-1601・1701(後述)・モハ415・414-1522は廃車予定とされている。

[編集] サハ411-1701

ステンレス車体で唯一のセミクロスシート車で、1986年に中間付随車が不足することから1両のみが製造された。製造当初は403系冷房改造車と415系700番台の混結編成に、1988年以降は415系1500番台と700番台混結のK820編成に組み込まれていたが、2005年7月18日に組み換えられ、0番台と700番台混結のK918編成(元K505編成)に組み込まれていた。製造当初は座席モケットがあずき色だったが、一時期は茶色とされていたこともあった。サハ411-1601との差はドア間の座席とサボ受の有無程度であり、また、サボ受と帯色以外の車体構造は同時期に製造された211系サハ211形0番台と同一仕様であった。K918編成は2007年11月11日に、留置されていた高萩から鹿島臨海鉄道鹿島臨港線神栖駅へ回送された。

[編集] クハ415-1901
2階建てのクハ415-1901
2階建てのクハ415-1901

常磐線での着席率向上を目指して、1991年に日本車輌製造で制御車1両のみが試験的に新製された2階建て普通車である。この車両の運用成果が215系の設計に反映された。しかし、ライナー列車主体の運用であった同系列とは異なり、一般の普通列車でありながら客用ドアが片側に2か所しかなく、ラッシュ時に乗降が不便で当初より運用が限定され、時刻表にも「2階建普通車連結」の表記がされていた。結局本格増備には至らず、試作車1両のみで推移していた。

座席は客用扉付近がロングシートのほかはクロスシートで、1階および車体後部は2+2配列、2階は2+3配列となっていた。また細かいことだが、客用扉の室内側は化粧板仕上げとされていた。

2005年7月9日のダイヤ改正で定期運用から離脱し、勝田車両センター内に留置されていたが、翌2006年3月10日に郡山総合車両センターに回送され、翌11日付けで廃車となった。その後も同センター内に留置されていたが、同年6月12日から14日にかけて解体された。


[編集] その他

常磐線の普通鋼製車のさよなら運転(水戸駅)
常磐線の普通鋼製車のさよなら運転(水戸駅)
  • JR東日本では、2007年3月17日をもって普通鋼製車の定期営業運転を終了し、同年3月24日には水戸~いわき間でさよなら運転が実施された。しかし、同年11月14日にE501系運用の代替で一時的に営業運転に復帰した。
  • また、1500番台の優先席付近のつり革は、順次同型の黄色いものに交換している。
  • JR九州では、直流電化区間である関門トンネルを通過可能な唯一の近郊形車両であるため、下関から九州方面に直通するすべての普通列車[24]で使用されていること、ロングシート車であるため輸送力に優れており、鹿児島本線や日豊本線ではラッシュ時には数多く使用されていること、旧来の0・100番台についても大分に配属された車両を除いてすべてロングシートに改造されており、長期使用を前提とした更新工事も施行させている。
  • また、JR九州所属車では前述の通風器撤去に加えて、側面の行先表示器の使用開始に伴う行先サボ受けの撤去が、クハ411形では全車完了し、モハ415・414形では現在進行中である。また、多数を占めるAU-75BH冷房装置のクレーンフックの一部埋め込みが行われている車両も多数存在する。さらに更新改造された車両は車体の連結面上端にあったキャンバス(屋根布)押さえを完全に撤去しており、その装着跡も元からの塗屋根車と見分けが付かないくらいきれいに処理されているものも存在する。
  • 同社所属車には、ロングシート部のみだったつり革がクロスシート部にも増設されている編成が存在する。また、JR東日本所属車も同様の工事を施行させた編成が存在していた。
  • 側面の行先表示器はJR東日本発足後に製造された1500番台の一部とクハ415-1901を除き設置スペースのみ用意した準備工事で落成したが、JR東日本所属車は1991年までに、JR九州所属車は2000年までに当時在籍していた全車に設置された。なお、JR西日本所属の800番台には設置されていない。
  • JR九州所属車における2007年時点の変化として、新型冷房装置[25]への交換が開始[26]されている。

[編集] 関連商品

[編集] 脚注

  1. ^ 西宇部(現・宇部)~厚狭間は1960年に先行開業。
  2. ^ 愛好者の間では「デカ窓」と呼ばれていた。
  3. ^ この塗色は1982年より広島地区に投入された115系3000番台の車体色(瀬戸内色・クリーム1号に青20号の帯)とは異なる。
  4. ^ 勝田区からの転属車は、少なくとも民営化後の1987年秋頃までは常磐線時代の塗色のままだった。
  5. ^ クハ421形低運転台車の1両が九州鉄道記念館に保存が検討されたが、実現しなかった。
  6. ^ 403系は第20編成、423系は第29・30編成。
  7. ^ 1988年改造、特別保全工事に代わって更新工事も同時施工
  8. ^ 403系・423系の主整流器は当初RS22形・RS22A形を使用していたが、1969年から実施された451系・471系の普通車冷房改造にあたり、両形式に搭載のRS5系・RS7系では整流能力が不足するため、両形式と主整流器の振り替えが行われている。
  9. ^ 冷房電源MGのみの搭載を施工された車両
  10. ^ AU1X形4台で、423系の一部のみで国鉄時代から施工。
  11. ^ AU2X形、車端部の座席2ボックス分をつぶして設置。
  12. ^ サハ115-2を1984年に先頭車化改造。
  13. ^ ただし自車はこの時点で非冷房で、同様な415系編成7両化によるクハ401形非冷房車への冷房化を伴わないMG搭載改造は、クハ401-51以外ににクハ401-54・58・66・76にも施工され、いずれも1989年~1990年に冷房化と車両更新が施工されている。
  14. ^413系」という系列称号は、1986年471系・473系急行形電車を車体更新した改造車に付与された。
  15. ^ いわゆる「0'(ゼロダッシュ)番台」と呼ばれる。
  16. ^ 2007年11月14日にE501系運用の代走としてK516編成が営業運転に充当された。
  17. ^ 座面高400mm・奥行600mmのため、座った感じはソファーに近い。
  18. ^ クモハ415形は集約分散形WAU102形、モハ414形はAU75形
  19. ^ リニューアルこそ行なわれているが、元々113系800番台が経年車だったため、老朽化が懸念されている。
  20. ^ 「能登路」としての運用は2001年3月に終了。
  21. ^ このため、編成を崩して従来車と混結する場合、編成中の空気圧縮機の配置に注意を払う必要があった。
  22. ^ 同車とモハ415・414-1535および1532・1632~1534・1634のK542~K544編成はクハ415-1901と同じく1991年製である。
  23. ^ 2004年12月よりモハ415・414-1535がモハ415・414-523に、2005年6月30日にサハ411-1601がサハ411-713に差し替えられている。
  24. ^ 同社所属車のJR西日本管内山陽本線新山口駅までの乗り入れ運用は2005年9月30日をもって終了している。
  25. ^ 外観上はJR東日本209系電車のものと酷似しているが、型式等の詳細は不明である。
  26. ^ Fm-9編成で確認。

[編集] 関連項目

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