国鉄EF63形電気機関車

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国鉄EF63形電気機関車
EF63 16(2次型)を先頭にした特急「白山」
EF63 16(2次型)を先頭にした特急「白山」
設計最高速度 100km/h
定格速度 39km/h
全長 18,050mm
全幅 2,800mm
全高 4,060mm
車両質量 108.0t
軸配置 Bo - Bo - Bo
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
主電動機 MT52 (MT52A) 形直流直巻電動機×6基
定格出力 2,550kW
歯車比 16:71 (4.44)
定格引張力 23,400kg
制御装置 抵抗制御
(自動進段電動カム軸制御器、バーニア制御
駆動装置 1段歯車減速吊り掛け式
台車 DT125形(両端)
DT126形(中間)
ブレーキ方式 EL14AS形自動空気ブレーキ
抑速発電ブレーキ
電磁吸着ブレーキ
保安装置 ATS-SN(JR移行後)
過速度検知装置
製造メーカー 東京芝浦電気
三菱電機新三菱重工業
川崎電機製造・川崎車輛→富士電機川崎重工業
EF63 1(先行試作車、1983年撮影)

国鉄EF63形電気機関車(イーエフ63がたでんききかんしゃ)は、信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠専用の補助機関車として旧・日本国有鉄道(国鉄)が設計、1962年から製造した直流電気機関車である。

鉄道ファン等の間では、形式称号にちなみ「ロクサン」という愛称がつけられている。また、碓氷峠の輸送を長年支えてきたことから「峠のシェルパ」と呼ばれることもある。

目次

[編集] 開発の背景

碓氷峠区間ではアプト式ラックレールを使い、ED42形による運転を行っていたが、同区間の所要時間を短縮し輸送力を高めるため、ラックレール方式を廃止し、粘着運転に切り替えることとなった。しかし一般の鉄道車両はそのままでは走行できない66.7の急勾配は解消されなかったため、ED42形に代わって同区間の列車の牽引・推進を行う新形式機関車が必要となり、EF60形をベースに開発されたのが本形式である。

[編集] 構造

常に重連で用いるため前面貫通型となっている点と、傾斜したサッシ支持の前面窓、側面の通風フィルターが大きいのが外観上の特徴である。

機器・装置としては、EF62形協調運転を行うことを前提にしているため、EF62形と同様にEF70形で採用された出力425kWのMT52形直流直巻電動機を装備している。EF62形と本形式の先行試作車である1号機はほぼ同時に落成しているが、この両形式は国鉄の直流機関車としては初めてMT52形主電動機を採用し、電気機関車の主電動機形式統一のきっかけとなった。制御器も単位スイッチ制御方式に代わり、電動カム軸式抵抗制御器バーニア制御器、転換制御器が使用されている。

台車電磁吸着ブレーキなどの特殊装置を持つことから本形式専用にDT125(両端用)、DT126(中間用)が設計された。EF62形の3軸ボギー台車軸配置Co - Co)と異なり、2軸ボギー台車である(軸配置Bo - Bo - Bo)。

このほか、急勾配を通過する列車の補助を行うという運転の特性上、特殊装備が数多く搭載されている。急勾配における安全性を確保するための装備のほか、他では通常は行わない電車と機関車の連結運転を行うための装備も持つ。それらの特殊装備を以下に記す。

[編集] 保安装置

抑速ブレーキ
急勾配区間の抑速ブレーキとして電機子転換方式の発電ブレーキを装備している。急勾配区間で発電ブレーキを使用すると、抵抗器から大量の熱を発するため、側面の通風フィルターが他の機関車より大きいのが特徴である。その後、電機子転換方式による発電ブレーキはEF64形にも採用された。
電磁吸着ブレーキ(レールブレーキ)
急勾配上で停車する際、電磁石レールに接触させ、電気を流すことにより、磁力による強い力で機関車を停止させる。このブレーキは自動車で用いられている駐車用ブレーキのような物であり、通常の減速用には用いられない。
空気ブレーキ装置
空気ブレーキ装置は、EF58形やEF60形などの多くの機関車に採用され、実績のあるEL14AS自動空気ブレーキ装置が採用されている。本線上で停電した場合には、車両に搭載された大容量蓄電池空気圧縮機 (CP) を動作させることも可能である。
その他のブレーキ設備
空気ブレーキをかけた後、空気が漏れてもブレーキが緩まないようにする機械式ブレーキゆるめ防止装置を備える(転動防止用ブレーキロック装置)。また、転動時に主電動機の回路を短絡させ、非常に強力な電気ブレーキを作動させる「電機子短絡スイッチ」と呼ばれる非常スイッチも装備されているが、これは主電動機を破壊するため、他に全く打つ手がない場合の最終手段[1]として用いる。
過速度検知装置(OSR)
下り勾配通過時、速度を正確に測定し、速度が出過ぎると警報を鳴らしたり、非常ブレーキをかけたりする装置。詳しくは「過速度検知装置」の項を参照のこと。

[編集] 電車との連結運転のための装置

双頭連結器
通常の機関車と違い、本形式は電車とも連結するため、電車の密着連結器にも対応できるよう双頭連結器を装備している。ただし、本形式は常に列車の横川側に連結するので、双頭連結器を装備するのは軽井沢側のみである。なお横川側に連結するのは、後述する安全上の理由による。
協調運転装置
当初は電車列車は碓氷峠区間を通過するときは力行せず、本形式に牽引または推進される方式であった。しかしこの方式では最大8両編成までしか組めず、輸送力が不足したことから、後に力行協調運転機能を追設した電車(169系189系489系)が開発され、協調運転時の最大編成両数は12両[2]に増強された。
これにより、電車列車に連結するジャンパ連結器が新設され、電車側の乗務員へ力行やブレーキなどの各種の指示を送ったり、電車側乗務員と連絡を取り合ったりすることが可能となった。また制御用の回路も連結され、電車が非常ブレーキ[3]をかけた場合にはブレーキの空気を吐き出させ、ブレーキ力を緩めることができる。

このほかにも数多くの特殊装備がある。これらの装備品のため、運転整備重量は、EF60形以降の新性能直流電気機関車の中で最大の108tに及ぶ。また、軸重は国鉄の鉄道車両としては最大の19tである。なお、これは軽井沢方の台車で、中間台車は18t、横川方は17tである。アンバランスにしたのは勾配上での軸重移動を考慮したためである[4]

[編集] 用途

勾配を下る上り列車、主電動機の電流が抵抗器に流れ発電ブレーキとなるため、屋根上にある抵抗器から熱が出でいる
勾配を下る上り列車、主電動機の電流が抵抗器に流れ発電ブレーキとなるため、屋根上にある抵抗器から熱が出でいる
勾配を下る189系特急電車連結のEF63 18(2次型)
勾配を下る189系特急電車連結のEF63 18(2次型)
EF63 22(3次型)を先頭に連結した165系臨時列車
EF63 22(3次型)を先頭に連結した165系臨時列車

常に2両を1組にした補機として運用され、電車・気動車客車貨物を問わず、碓氷峠を通過するすべての列車に連結された。勾配を登る下り列車(横川→軽井沢)を押し上げ、勾配を下る上り列車(軽井沢→横川)は発電ブレーキによる抑速ブレーキとなるという機能であった。そのために必ず勾配の麓側にあたる横川側に連結された。また電車も、急勾配で万一連結器の破損や座屈による浮き上がり脱線の予防、車両の逸走を防ぐために、この区間を通過する165系・169系[5]は、自重が大きい電動車ユニットを麓側に向けるために本来の方向とは逆向きに編成が組成されていた。同様の理由で、松本運転所(現・松本車両センター)→長野運転所→北長野運転所(現・長野総合車両センター)配置の115系・新前橋電車区(現・高崎車両センター)配置の185系200番台も、電動車ユニットの向きが逆になっていた。

これらの運転の条件により、この区間の運転はすべてEF63形に乗務する運転士(機関士)が担当し、峠を登る列車では運転士は後ろ向きに運転[6]した。

EF62形による客車列車や貨物列車では、下り列車の場合、(軽井沢)EF62形・客車・EF63形・EF63形(横川)の編成となり、最前部のEF62形側と最後部のEF63形側の間の無線通信によって、双方で運転操作(EF62形側で引き、EF63形側で押すプッシュプル方式)を行っていた。上り列車の場合、(軽井沢)客車・EF62形・EF63形・EF63形(横川)と勾配の麓側に3両の機関車が連なり、最前部のEF63形から3両を総括制御し、峠を下っていた。

[編集] 製造

まず先行試作車として1号機が1962年に東京芝浦電気で製造され、続いて三菱電機新三菱重工業川崎電機製造→富士電機川崎車輛→川崎重工業[7]により、1963年から1976年までの間に2 - 25が製造された。

1次型(2 - 13号機)
前面窓のワイパーの形状変更並びに運転台窓上にツララ切りを追加装備、スカート形状は四角形とされた。また先行試作車の運用実績に基づき速度検知用遊輪(中間台車に装備)の設計変更、側面に設けられた非常用蓄電池搬入口の位置変更と大型化が行われた。2 - 6号機が東芝製、7 - 13が新三菱重工製である。
2次型(14 - 21号機)
尾灯が内ハメ式に変更されたほか、運転台上の水切り形状、屋根上の避雷器の位置が中間に統一された。14 - 17号機が東芝製。18・19号機が川崎車輛製、20・21号機が川崎重工製である。
3次型(22 - 25号機)
ナンバープレートをブロック式に、尾灯を外ハメ式に変更。24・25号機は1975年の5・9号機脱線大破事故における廃車の補充機として1976年に急遽製造されたものである。全車ともに川崎重工製である[8]

[編集] 運用

1962年5月に先行試作車1号機が製造され、数々の試験を経た後、横川 - 軽井沢間が全面的に粘着運転へ切り替えられる1963年10月1日までに13両が準備されている。ED42形は28両体制であったが、列車一本につきED42形は4両を使用していたのに対して、EF63形は2両を使用するため、この両数となっている。

粘着運転への切り替えにより、EF63形はED42形を完全に置き換えた。その後、輸送量の増加に伴い数回にわたり増備されている。特殊な構造であるため他の区間に転用できなかったが、碓氷峠区間には必要不可欠であり、1975年に発生した脱線事故により廃車となった5・9と、1986年に余剰により廃車となった1・14以外の21両が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。

また、お召し列車1964年1978年に同区間を走行した際は、以下の車両が特別装備を施してサポートをした。

  • 1964年5月・6月:EF63 8・9(EF62 17と三重連で上り列車を牽引、前頭には国旗を掲揚)
  • 1978年10月:EF63 11・13(EF62 11が牽引する下り列車の押し上げ、国旗は掲揚せず)

[編集] 廃線に伴う形式消滅

EF63 4(1次型)を先頭に連結して峠を下る185系普通列車

1997年10月1日長野新幹線が開通し、横川 - 軽井沢間の在来線区間は前日の9月30日限りで廃止された。本形式は用途を喪失し、在籍の全車が廃車された。

廃止時点で、本形式とともに当該区間を通過した定期列車は、エル特急あさま」19往復(189系・489系)、エル特急「白山」1往復・急行能登」1往復(489系)、普通列車7往復(115系6往復・185系1往復)であった[9]

廃止に先立ち、一部の車両が使用開始初期の「ぶどう色2号(茶色)」に塗装変更[10]されている。本形式最後の全般検査出場記念としての措置で、同年9月10日に横川で開催された「さよなら祭り」から廃線当日までの間には、横川運転区制作のさまざまな「さよならヘッドマーク」が横川側の前面に取り付けられた。

[編集] 現状

全車両が廃車となったEF63形であるが、保存の動きがあり次のような状況となっている。

14号機は、高崎機関区でEF60 16などともに保管されていたが、保存状態が悪いことから保管先が倉賀野駅に変更された後、2006年に解体処分された。

[編集] 碓氷峠鉄道文化むら動態保存機について

動態保存されているEF63形11・12・24・25号機は、碓氷峠鉄道文化むら内の運転体験コースにおいて、1,500Vを750Vに降圧されている環境ではあるが素人でも有料・予約制の学科講習および実技講習を受けて、修了試験に合格すると『EF63形電気機関車運転体験証明書』が交付され、有料・予約制で軌道上を走行させることができる。単機通常運転体験を重ねれば、機関士見習(10回運転体験者)、補助機関士(30回運転体験者)、そして本務機関士(50回運転体験者)として碓氷峠鉄道文化むらより認定を受けることができ、その都度「腕章」が贈呈される。

本務機関士になると、まず「1エンド連結訓練」および「単機推進運転」の資格が得られる。そして、所定の単機推進運転を重ねることにより「2エンド連結訓練」および「重連推進運転」の資格が得られる。また、所定の1エンド連結訓練をこなし、当該検定試験に合格することにより「1エンド連結」資格が得られ、所定の1エンド連結体験を重ねることでも「2エンド連結訓練」資格が得られる。

さらに、所定の2エンド連結訓練をこなし、当該検定試験に合格することにより「2エンド連結」資格が得られ、所定の2エンド連結体験かつ所定の重連推進運転を重ねることにより「重連推進連結訓練」資格が得られる。

最終的に所定の重連推進連結訓練をこなし、当該検定試験に合格することで「重連推進連結」資格が得られる。これで、かつて横川 - 軽井沢間で行われていた「EF63形重連での車両への連結・推進運転と牽引運転・解放」を体験することができるようになる。

予備用の11・12号機は横川駅構内に留置されていたが、2006年に駅構内から文化むら外れの場所に移動後に「予備機」という名目の元、動態保存に変更され24・25号機と共通で運転体験を実施するようになった。2007年春には11号機の、11月には12号機の内部・外装の整備が終了し、単機・重連運転が可能となった。ちなみに24・25号機は、廃止間際に施工された茶色塗装から本来の青色塗装へ復元されており、茶色塗装を維持している車両は1・18・19号機の3両のみになっている。

[編集] 脚注

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  1. ^ 1975年10月28日に発生した転覆事故(回送列車、EF63 5・9+EF62 12・35)では、下り勾配でブレーキが利かなくなり速度が超過したため、機関士は最終手段であるこのブレーキも使用しているが、それでも下り坂で暴走する列車を停止させることは不可能であった。
  2. ^ 協調運転対応形式であっても8両編成以下の列車については、従前どおり牽引・推進方式での運転とされた。
  3. ^ 碓氷峠では非常ブレーキを使った場合、列車に過大な力がかかるため、脱線や座屈による連結器破損の危険防止の観点から、非常ブレーキは禁止されていた。
  4. ^ このため、大宮工場(現・大宮総合車両センター)への検査入場の高崎線信越本線高崎 - 横川間を走行するときは、デッドウェイトを外すなどの措置が必要となる。
  5. ^ 新前橋電車区、長野運転所所属車が該当する。
  6. ^ 列車の先頭に乗務している運転士は、信号・安全の確認を行ないEF63形乗務の機関士への連絡のみが義務付けられており、運転操作は一切しなかった。
  7. ^ 川崎電機製造は1968年に富士電機に、川崎車輛は1969年に川崎重工業にそれぞれ合併された。
  8. ^ 3次型のみ、気動車用ジャンパ栓は未装備である。
  9. ^ この区間に関与する在来線優等列車は、「あさま」は長野新幹線へ愛称を承継、「白山」は廃止、「能登」は上越線経由へ変更された。
  10. ^ 1997年2月に18号機、3月に19号機、4月に24号機、6月に25号機、以上4両について塗装変更が施工された。この4両は製造当初から国鉄新標準色の青色であったため、茶色塗装となったのは初めてであった。

[編集] 関連項目

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