阪急2300系電車

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阪急2300系電車
優等列車に運用の阪急2300系表示幕車(2007年4月 南茨木 - 茨木市間)
優等列車に運用の阪急2300系表示幕車
(2007年4月 南茨木 - 茨木市間)
編成 7両(京都線)
営業最高速度 110 km/h
起動加速度 2.8(45km/hまで) km/h/s
車両定員 座席54・立席86(先頭車)
座席54・立席96(中間車化改造車)
座席60・立席90(2330形・前期型)
座席52・立席98(2330形・後期型)
座席42・立席108(2380形)
全長 19,000 mm
全幅 2,808 mm
全高 4,015(冷房改造後)
4,120(2300形・冷房改造後) mm
車体材質 普通鋼
軌間 1,435 mm
電気方式

直流1,500V

(架空電車線方式)
編成出力 150kW×16=2,400kW(4M3T)
主電動機 東洋電機製造TDK812-A直流複巻電動機
主電動機出力 150kW
歯車比 84:16(5.25)
駆動装置 中空軸平行カルダン駆動
制御装置 抵抗制御 (ES755A)(製造当初)
界磁チョッパ制御 (ES773)(更新車)
電機子チョッパ制御 (RG608)(C#2311、C#2331のみ)
制動方式 回生制動併用電磁直通ブレーキ
HSC-R
保安装置 AF軌道回路方式ATS
製造メーカー ナニワ工機
備考
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第1回(1961年
ローレル賞受賞車両

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阪急2300系電車(はんきゅう2300けいでんしゃ)は、阪急電鉄通勤形電車である。

本項では解説の便宜上、梅田側先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:2315以下7両編成=2315F)する。

概要[編集]

本系列は、1960年(昭和35年)に神宝線用の2000系(既に編成としては消滅)の姉妹車として登場した。現在の阪急電車の基礎を築いた系列の一つであり、基本デザインは最新の1300系にも受け継がれている。

2000系との相違点は、当時神宝線の架線電圧が直流600Vであったのに対して、京都線が直流1,500Vであったため機器が当初より直流1,500V対応となっている[1]点と、2000系が東京芝浦電気製の電装品を採用しているのに対して、京都線は前身の新京阪鉄道時代から東洋電機製造製の電装品を使用しており、本系列もそれに倣ったことである。

本系列は、以下の4形式78両が1960年から1967年にかけて阪急電鉄の子会社であるナニワ工機で製作された。

  • 2300形2301 - 2328
梅田向き制御電動車(Mc)。
  • 2330形2331 - 2346
中間電動車(M)。
  • 2350形2351 - 2378
河原町向き制御車(Tc)。
  • 2380形2391 - 2396
付随車(T)。

当初は2300形 - 2350形の2両編成を基本単位とし、京都線ではこれを2本連ねて4両編成で運転された。それゆえ中間車は1962年(昭和37年)以降の追加製作となっており、運転台の有無に関わらず(電動車・トレーラーとも)、同一形式に押し込んでいたために例外発生で管理上混乱が生じた2000系の反省から別の形式が新たに起こされて区分されており、判りやすい番号体系となっている。

1961年(昭和36年)には2000系とともに第一回鉄道友の会ローレル賞受賞車となる。

初代ローレル賞プレート(2000と異なり台座なしの車体直付け、1984.1.2梅田にて撮影)

製造開始当時は特急専用車の2800系がまだ登場していなかったため、特急から普通まで幅広く使用されていた。

2012年(平成24年)現在、東海道新幹線の仮線を走行した唯一の現役系列でもある(新幹線の線路を先に走った阪急電車も参照)。

車体[編集]

2300系の車内

2000系と共通のシンプルな構造の準張殻構造軽量車体を備える。

窓配置は運転台付きがd1D3D3D2、中間車が2D3D3D2(d:乗務員扉、D:客用扉)で戸袋窓なしの1,300mm幅両開き扉を備え、側窓は伝統の1段下降式であるが、ユニット式の新設計品が採用されている。なお、昭和38年度製作車を境にしてこの客用窓の窓ガラス支持サッシュ形状、方式が変更されており、昭和38年度より前の製作車は、客用窓ガラス四辺を囲む形のフレームが設置されているフレームサッシュ形状を[2]、以後の製作車は、ガラス上端部のみに下降用ヒンジの兼用となったフレームが取り付けられたのみのフレームレスサッシュが採用され[3]、これがサイズの変更やパワーウインドウ化など、マイナーチェンジを繰り返しながら以後8300系まで続くスタンダードとなった。

初期に製造されたFS333(電動車用)・FS33(制御車・付随車用)アルストム台車装備車の車体下部水切りは、その後の増備車に比べ前後に長いものとなっていたのが特徴であった。[4] 

側面には2000系同様に電光式の列車種別表示器が設けられた。当初、いずれの形式も両側共に側面から見た時、中央の扉より左側のはじめの客用窓の上に表示機を設置していたが、後に行われた自動回転式方向幕の取り付け改造の折には、元々の表示機部分を流用することはなく新たに中央の扉より右側2枚目の客用窓上に表示機を設置するという手法での改造がなされた[5]。なお初期製造車を中心とした自動方向幕取り付け改造の対象から外された車両においては、電光式表示機は原型のまま存置された。

新造時は1,080mm幅の広幅貫通路が用いられていたが、1964年以降の製造車両は通常の貫通扉付きで製造された。後に広幅貫通路の大半が通常の狭幅貫通路に改造されている。

座席は低座面のロングシートで、現在でも通用する優れた座り心地であったが、特急運用時には並行する京阪電気鉄道の特急車がクロスシート主体で多客時には補助いすまで持ち込むサービスぶりであったことから不評を買い、これは特急専用車として2800系が投入される一因となった。

阪急伝統のマルーン塗装や木目調(マホガニー)の内装を受け継ぎつつ、現在まで続くデザインを確立した。

主要機器[編集]

制御器[編集]

本系列の制御器は電動カム軸制御器による抵抗制御と、ゲルマニウムトランジスタを用いた増幅器によってサーボモーターで円筒状に配された227段の界磁抵抗器(FR:Field Register)を超多段制御する分巻界磁制御を組み合わせて構成される東洋電機製造製ES-755Aで、これによって実現される定速度運転機能は50・65・80・90・100・105km/hと中高速域の6段階に指令可能であった。なお、認可最高速度が110km/hの京都線で指令速度が最高105km/hとなったのは、速度計の誤差許容範囲を2.5%見込んだ[6]ことと、下り勾配でパイロットモーターを用いる本制御器の追従遅れが発生する可能性があることを見込んでのものでマージンを確保したためである。

なお、起動加速度は2.8km/h/s(45km/hまで)である。

主電動機[編集]

主電動機は複巻補償巻線付き直流電動機である東洋電機製造製TDK-812-A[7]を採用し、これを1両分4個で永久直列接続にして使用された。なお、端子電圧340Vの永久直列から各主電動機にかかる定格電圧の合計は340x4=1,360Vとなるが、これは最高速度で運転している状態から回生制動を使用した際に発生する電圧を低く抑えるための方策であり、約10%のマージンが確保されていることになる。

駆動システム[編集]

駆動システムは東洋電機製造が独自開発した、たわみ板による中空軸平行カルダンで、歯数比は84:16 (5.25) で神宝線用の姉妹車である2000・2100系が採用したWNドライブとは駆動音が異なり、静粛性ではこちらの方がやや勝っていた。

台車[編集]

本系列の台車は、同時期新造の2000系と同様に住友金属工業製のアルストーム・リンクおよびミンデンドイツ式金属ばね台車を標準とし、電動車は住友金属FS333・FS345を、制御車および付随車は住友金属FS33・FS45をそれぞれ使用した。また、1300系に引き続き本系列でも一部について汽車製造製のエコノミカルトラックと称する1自由度系軸箱梁式台車が試験的に採用されており、KS-65A・KS-65B・KS-71A・KS-71Bの4種が装着された。KS-65系は京都線のライバルである京阪が2000系に採用したKS-63系とほぼ同一設計で、軸箱に巻かれた防振ゴム板が薄く特に高速走行時のビビリ振動が顕著であったが、KS-71系では増厚されて乗り心地の改善が図られていた。もっとも、これらはいずれにせよ金属ばね台車であるFS-345・45と比較して明確な優位性が得られるものではなく、軌道条件が優れた京都線では特に必要ないと判断されて以後は再びFS345・FS45に戻り、京都線では特急車であり、既にKS-74系シンドラー式空気ばね台車を装着していた2800系第4編成の増結車に対するKS-74系台車の追加採用という例外はあったものの、一般車向けでは3300系のFS369・FS069まで空気ばね台車の採用は途絶えることとなった。

ブレーキ[編集]

ブレーキは複巻電動機採用のメリットをフルに生かすべく、常用タイプの回生制動機能が搭載されており、このため空制系もこの電動車による回生制動→電動車の空気ブレーキ→制御/付随車の空気ブレーキの順にブレーキに優先順位を付けて使用するHSC-Rとなっている。

集電装置[編集]

回生制動の失効を避けるべく、パンタグラフは離線対策として電動車各車に東洋電機製造PT-42-Lを2基ずつ搭載されることになったが、当初Mc-M-Tcの3連で新造されたグループは4基のパンタグラフが隣接して架線に悪影響を及ぼすのを避けるため、本来ならば2330形に取り付けられるべきパンタグラフ2基を隣の2350形に取り付けられ、パンタ無しTCと区別するため2360番台が付与され高圧引き通し線で給電する、という構造となっていた。さらに、1966年に4両編成化のために製造された2330形2341 - 2343の3両も、パンタグラフ2基を搭載して竣工している[8]

ただし、実際に運用を開始した後に各パンタグラフを流れる電流量の調査を行った所、回生制動時でも電動車2両でパンタグラフが2基あれば充分であることが判明したため、以後2360番台と2341 - 2343のパンタグラフは撤去され、2330形は2300形から高圧母線を介して直流1,500V給電を受ける様に変更されている。

変遷[編集]

非表示幕の2300系(2005年3月19日、桂)

1978年から1981年にかけて冷房化および主回路の界磁チョッパ制御装置 (東洋電機製造ES773) への更新が施工され、電動車を編成中に2両組み込んでいる3・4両編成については、電動車2両を1ユニットとして機器の集約分散搭載を実施する1C8M制御方式への改造が実施された。この際、2300形のうち2306・2308の2両についてはユニット化でペアとなる2330形が不足したことから、その不足を補うべく運転台を撤去して中間電動車化改造がなされた。この際、両車は主制御器やパンタグラフなどを撤去し、改造後の2330形と同様にコンプレッサー、補助電源装置等を搭載した。なお、2308については補助電源装置がMGにかわって、SVH120-456形SIVの試験搭載車として選ばれ、2300系では唯一のSIV搭載車となっていた。また編成中間に組み込まれた先頭車については、これら2両以外についても一部を除いて運転台・正面貫通扉・乗務員扉を撤去し、簡易運転台車または中間車へと[9]改造されている。なお、一部の2300形は1C4M方式のまま更新され、ペアを組んでいる2350形においては2330形同様にコンプレッサー、補助電源装置が搭載され、床下台車間の機器配置は2330形同様のものとなっている。

また、冷房化改造についても、先に改造されていた2800系における東芝RPU-2202A 8,000kcal/h級冷房装置の3基または4基搭載とは異なり、全車両に対して既に標準化されていた東芝RPU-3003 10,500kcal/h級冷房装置の3基搭載に変更された。また、2300形以外にパンタグラフを搭載する可能性がなくなったため、パンタグラフ非搭載車全車の屋根上機器配置が同一に統一された[10]。さらに大型化した冷房装置設置の影響で、2300形の前位寄りパンタグラフは元の位置よりも前寄りへと移設されている。[11] この時点で2311Fの2311および2331はAFE方式による電機子チョッパ制御 (東芝RG608) の試験車となった。さらに一部を残してエコノミカル台車の振り替えがなされ[12]、電動車はFS345に、制御・付随車はFS45ないしFS324に振り替えられた。 また、後年の改造により2313F以降の編成には種別・行先表示幕も取り付けられた。さらに、本系列は他の京都線車両より狭幅なため、ホームとの間に隙間が生じることから、それを埋めるためのステップが全車両の側扉に取り付けられた[13]

1990年代では4両・6両・7両の編成を組んでおり、普通・準急快速などで使用されていたが、2001年3月の改正で再び急行や臨時特急でも使用されるようになった。この時6両編成は7両編成化されている。

早期に編成自体が消滅した2000系と異なり、近年まで全車が在籍していたが、2000年春に電機子チョッパ制御器の試験車を組み込んだ2311Fが、続いて2001年1月には最後の2800系組み込み車であった2305Fが、そして2003年春には阪急最後の本線用表示幕非装備編成の2307Fが運用を離脱し、いずれの車両もその後廃車となった。これにより本線用表示幕非装備編成は消滅した。

2005年3月、5月の9300系の増備に伴って7両編成から3両を抜いた4両で組成した表示幕装備車の4両編成が登場し、表示幕非装備編成のうち4両編成1本 (2303F) と7両編成から抜かれた3両が同年8月に除籍された。また、第1編成の2301Fも9月23日に勇退イベントが開催され、10月18日をもって運用を終了し、中間車2両は他の余剰車4両とともに12月に廃車となった。なお、2301-2352は正雀車庫でのイベント公開で使用されるため保存されている。
正雀車庫に留置されている2301F

2006年から本系列においてATS更新が行われ、2313F、2321F、2325Fの3編成が更新されている。

2007年3月の改正による7両編成運用削減により2315Fが休車され、同年7月には2317Fが休車となり、長らく桂車庫に留置されていた[14]

2009年4月1日には、6300系への車両置き換えのため、2309Fが嵐山線での営業運転を終了した。これにより、非表示幕車両はすべて運用を離脱したことになる。

近年においては、先頭に出ている2300形・2350形の両形式に装備されていたエアホース、ジャンパ栓受け、2350形に設置されていた電らん箱が撤去され、非常にスッキリとした外観となっている。また現役の車両については、搭載されているコンプレッサーが旧式であったD3NHA形から3300系以降に採用された大容量のHB2000形へと換装され、[15]既に全車の取り換えが完了している。 さらには編成中間に封じ込められている2300形の運転台残存車である2316・2318においては、近年の整備においてマスコン、ブレーキ弁等の運転関係機器が完全に撤去されているため(事実上の運転台撤去車化)、外観上は原型を保ってはいるものの、現状では再整備なくしては運転が不可能となっている。

運用[編集]

7両編成は京都線の準急、普通(各駅停車)、千里線(北千里 - 淡路間)の普通に使用されている。また、行楽シーズンに運行される臨時特急「いい古都エクスプレス」にも使用されていた。なお、2009年4月1日までは4両編成が嵐山線の線内折り返し列車に使用された。

大阪市営地下鉄堺筋線乗り入れ用の3300系が大量に新製された際、車両配置数調整のため、3線統一車体寸法を活かして一時的に神戸線に転属していた車両があり[16]山陽電気鉄道須磨浦公園駅阪神電気鉄道の車両と並ぶシーンや、阪急西宮球場阪急ブレーブスの試合がある時に、ブレーブス坊やの標識板を掲げた姿が見られた。その後、冷房車の配置バランスの関係から2000系が京都線に転用され、急行を主体に使用されたこともあった。これも車両規格を同一にしていたため可能になったことで、地下鉄乗り入れ規格に従う3300系以降や6300系以降の歴代特急車では車両限界の関係でこのような転属はできない。また、本系列も現在は神宝線系統用のチャンネル切り替えスイッチが乗務員室に残っているものの、京都線規格のホーム幅に合わせるため客用扉にドアステップが付けられており、神宝線系統への入線は実質不可能となっている。なお、堺筋線開業前は天神橋駅までの運用実績があった。

編成[編集]

前述の通り、当初は2300形と2350形の2両編成で登場し、2両 - 4両編成で使用されたが、その後乗客増加に伴う連結両数の増加に伴い1962年に中間電動車である2330形を組み込んだ3両編成が増備されて5両編成が登場、さらには付随車の2380形を組み込んだ4両編成が登場するに至り、これらを自由に組み合わせる事で嵐山線での2両編成から最大8両編成による急行運用にも使用された。

ただし、冷房改造化後は5 - 7両編成でほぼ固定化され、嵐山線への転入によって再び4両編成が登場するなど、変化が見られた。

現在の編成は下記の通り。矢印は中間に組み込まれる先頭車の運転台(中間化改造車は撤去跡)の方向で、←は梅田向き、→は河原町向きを示している。

梅田
備考
Mc 2300 M' 2330 To 2350 Mo 2300 M' 2330 T 2380 Tc 2350  
2313 2333 2363→ ←2322 2342 2392 2372 ATS更新済み
Mc 2300 M' 2330 To 2350 Mo 2300 M' 2330 To 2350 Tc 2350  
2315 2335 2365→ ←2320 2340 2355→ 2370 ATS更新済み
Mc 2300 M' 2330 T 2380 To 2350 Mc 2300 M' 2330 Tc 2350  
2321 2341 2391 2371→ ←2316 2336 2366 ATS更新済み
2325 2345 2395 2375→ ←2318 2338 2368 ATS更新済み
Mc 2300 Tc 2350  
2301 2352 動態保存


脚注[編集]

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  1. ^ 但し、当時梅田 - 十三間は京都線の列車が宝塚線の線路を間借りしていた関係で、直流600V区間でも走行可能であった。
  2. ^ 2011年1月現在、京都線で活躍しているこの形態のものは2313Fに組み込まれる2313-2333-2363と、2315Fに組み込まれている2355の4両のみとなっている。
  3. ^ 窓ガラスを下降させた時には、その形状の差が大きく見てとれる。具体的には前者の場合、サッシュ上端左右部分が窓ユニットに合わせ丸く落ち込んでいる形状が特徴で、窓最下降時の開口面積も以後のものより大きくなっているのが特徴である。
  4. ^ 具体的には2301~2304および2351~2354がこれに該当する。これ以降の車両は台車の形式に関係なく、両台車受け座の間にのみ水切りが設置される形態となった。
  5. ^ そのため、新たに設置された表示機の窓形状は元々のものと異なるものとなった。具体的には天地方向に若干拡大、横手方向には若干縮小されたものとなった。
  6. ^ 車輪摩耗による回転数変動があるため、これは避けられない。
  7. ^ 端子電圧340V時1時間定格出力150kW/1,350rpm、最高許容回転数4,800rpm、最弱界磁率20%。
  8. ^ 『関西の鉄道 No.56 特集 阪急電鉄PartVIII 京都線・千里線』、関西鉄道研究会、2009年、p43。
  9. ^ 完全中間車化ではなく、運転台跡は折妻のまま、乗務員扉跡は小窓が設けられる阪急スタンダードのもの。なお、中間電動車化された2306・2308も同様である
  10. ^ 冷房搭載で先行した2800系では、パンタグラフ2基搭載の2800形についてRPU-2202Aを3基搭載としたことから冷房能力が充分ではなく(ただし2800系が2扉車で客用扉の開閉機会が少ない特急運用中心であったことと、改造の時点ではRPU-3003相当の冷凍能力10,500kcal/h級冷房装置は未開発であったことから、冷房能力の不足を承知で妥協された)、一時は中間の2830形にパンタグラフを1基移設して、2800・2830形それぞれRPU-2202Aを4基ずつ、パンタグラフを1基ずつ搭載とする案が存在した。そのため、各形式で冷房装置搭載位置が異なっていた。なお、3扉化にて冷房容量不足が確定的となった2800形では、後に冷房装置を3基搭載のままRPU-3003に換装している。
  11. ^ レイルロード発行「サイドビュー阪急.2」の側面撮影写真から比較が可能である。なお元の位置のままパンタグラフが搭載され、後に冷房装置の換装が必要となった2800形においては、冷房装置のキセ(カバー)をやや小型化して搭載するなど、非常に窮屈な機器配置となっている。
  12. ^ KS65を装備した状態で、2305・2306・2308・2311の4両のみがエコノミカルトラック装備車として残されていた。
  13. ^ これにより本系列は神宝線への入線が不可能となった。
  14. ^ 2315Fは2009年に復帰し、2317Fは2010年にそのまま廃車となった。
  15. ^ なおその際、2330形・2350形それぞれに搭載していたコンプレッサーを、その大容量化に伴ってすべて2350形に集約搭載させる形での換装がなされ、2330形には撤去されたスペースが残されている。また、2350形のうち2355については2380形の代用車として編成に組み込まれている関係でコンプレッサーは搭載されていない。
  16. ^ この際、標識板掛けを神宝線タイプと当時の京都線タイプの両方に対応したものに改造した。装着すると神宝線タイプでは標識板がやや上寄りとなっていた。