伊那電気鉄道

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伊那電気鉄道(いなでんきてつどう)は、戦前にあった長野県鉄道会社

長野県最初の私鉄で、現在の東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の前身の一つである。

目次

[編集] 歴史

中央本線誘致に失敗した伊那谷の有力者たちは、自力での鉄道建設を考え、伊那電車軌道(いなでんしゃきどう)を設立した。最初の開業区間は1909年(明治42年)の辰野 - 松島(伊那松島)間で、軌道法による軌道(路面電車)規格であった。

その後は、資金を調達次第、路線の延伸が図られ、1911年(明治44年)に伊那町駅(伊那市駅)まで開通した。1919年(大正8年)に社名を伊那電気鉄道に改称。1923年(大正12年)には、全線が軌道から地方鉄道法による鉄道規格に変更され、架線電圧が600Vから1200Vに昇圧された。そして1927年(昭和2年)12月26日には悲願だった天竜峡 - 辰野間が全通した。

1937年(昭和12年)、三信鉄道が全線開通すると、同鉄道を介して鳳来寺鉄道豊川鉄道に乗入れ、吉田(豊橋駅) - 辰野間で4社直通運転を開始した。天竜峡以南は架線電圧が異なる(1500V)ため、付随車のみの直通であったが、これは、当時日本最長の電化区間であった。

1943年(昭和18年)8月1日戦時買収により国有化され、国鉄飯田線となり伊那電気鉄道は解散した。

[編集] 沿革

[編集] 当時の運転形態

時代よっても変わるが、概ね1時間1本で1日20往復から23往復の列車が走った。各駅停車の普通列車のみで、原則として辰野 - 天竜峡間の各駅に停車した。また日中はパターンダイヤ化されており利用しやすいように工夫もなされ、1937年(昭和12年)に三信鉄道が全通すると、1日7往復の列車が豊橋駅に乗り入れ、三遠南信間の都市間輸送の一翼を担った。

[編集] 駅一覧

[編集] 1943年

買収直前(1943年7月31日)現在の一覧を示す。<駅名>は国有化時に廃止された駅。

天竜峡駅 - 伊那川路駅 - <開善寺前停留場> - 時又駅 - 駄科駅 - 毛賀駅 - 伊那八幡駅 - 下山村停留場 - 鼎駅 - 切石停留場 - 飯田駅 - 桜町停留場 - 伊那上郷駅 - 元善光寺駅 - 下市田停留場 - 市田駅 - 下平停留場 - 山吹駅 - 伊那大島駅 - 上片桐駅 - 伊那田島停留場 - <高遠原停留場> - 七久保駅 - 伊那本郷駅 - 飯島駅 - <伊那赤坂停留場> - 田切停留場 - 伊那福岡駅 - 小町屋停留場 - 赤穂駅 - <大田切停留場> - 宮田駅 - 赤木駅 - 沢渡駅 - 下島駅 - 伊那町駅 - <入舟停留場> - 伊那北駅 - 田畑駅 - 北殿駅 - 木ノ下駅 - 伊那松島駅 - 沢駅 - 羽場駅 - 南新町停留場 - 宮木停留場 - <西町駅> - 辰野駅

※赤木 - 沢渡間に音徳寺坂停留場、沢渡 - 下島間に唐木停留場、下島 - 伊那町間に小黒停留場があったが、1923年に廃止された。また大田切 - 宮田間に駒ヶ原停留場があったが、1918年に廃止された。

[編集] 1923年

松島 - 辰野間が軌道から鉄道に変更される直前(1923年3月15日)の伊那町 - 辰野間の駅一覧。<駅名>は変更時に廃止された駅。

伊那町駅 - 入舟停留場 - 伊那北駅 - <山寺停留場> - <御園停留場> - 神子柴停留場 - <田畑停留場> - <南殿停留場> - 北殿駅 - <塩ノ井停留場> - <久保停留場> - 木ノ下駅 - 松島駅 - <追分停留場> - <大出停留場> - <沢停留場> - 羽場駅 - <神戸下停留場> - <南新町停留場> - <新町停留場> - <宮木停留場> - 西町駅 - 辰野駅

[編集] 車両

詳細は、伊那電気鉄道の電車を参照されたい。

[編集] 昇圧前

伊那電気鉄道は、当初軌道として発足したことから、開業からしばらくは路面電車タイプの2軸(4輪)単車が使用された。延べで2軸電動客車14両、ボギー電動客車3両、2軸付随客車5両、2軸電動貨車6両の計28両である。

[編集] 昇圧後

買収・国有化時の所属車を示す。電気機関車は3形式9両、電車は11形式28両が国有鉄道籍となった。これらは、買収後も私鉄時代の形式番号のまま使用されたが、電気機関車は1952年(昭和27年)に、電車は1953年(昭和28年)に国鉄形式を付与された。

電装品は基本的にゼネラル・エレクトリック社系で、電車・電気機関車共に同社の日本における提携先である芝浦製作所の製品が多用されていた。

[編集] 電気機関車

小型のデキ1形と中型のデキ10形、デキ20形があり、いずれも重連総括制御が可能であった。

[編集] 電車

電動車は昇圧時に用意されたもので、一部は自社の伊那松島工場で製造している。付随車は制御回路の引き通しを設けない「後付付随車」といわれるもので、常に電動車の牽引により運転される。一部は600V時代の電動車の電装を解除したものである。鋼製車はデハ120形とサハニフ400形の2形式10両のみで、残りはすべて木造車である。

  • デ100形(デハ100 - 102)→国鉄モハ1900形、クハ5910形
  • デ110形(デハ110,111)→国鉄モハ1910形、クハ5920形
  • デ120形(デハ120 - 124)→国鉄モハ1920形
  • デ200形(デハ200 - 204)
  • サ100形(サハユニフ100 - 102)→国鉄サエ9320形 ※旧サロハユニフ100 - 102
  • サ110形(サハユニフ110)→国鉄サエ9330形→サエ9320形 ※旧サハフ312
  • サ200形(サハニフ200) ※旧サロハフ200
  • サ210形(サハニフ210) ※旧サハフ301
  • サ220形(サハニフ220) ※旧サハフ300
  • サ310形(サハフ310,311) ※旧サハフ302,303
  • サ400形(サハニフ400 - 404)→国鉄クハ5900形、サハニ7900形

[編集] 関連項目