国鉄DE11形ディーゼル機関車

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国鉄DE11形ディーゼル機関車
品川運転所で入換作業を行うDE11 1045
品川運転所で入換作業を行うDE11 1045
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
日本貨物鉄道
製造年 1967年 - 1979年
製造数 116両
主要諸元
軸配置 AAA-B
軌間 1,067 mm
全長 14,150 mm(2000番台は16,650 mm)
全幅 2,950 mm
全高 3,965 mm
機関車重量 70.0 t
機関 V型12気筒ディーゼル機関
61,070 cc
DML61ZA
DML61ZB(1000番台以降)
変速機 DW6
定格出力 1,250 ps / 1,500 rpm
1,350 ps / 1,550 rpm(1000番台以降)
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国鉄DE11形ディーゼル機関車(こくてつDE11がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・開発したディーゼル機関車である。

概要[編集]

1960年代後半当時、折からの高度経済成長に伴い鉄道貨物輸送量は増大していたが、貨物ヤードでの貨車入換、特にハンプ押し上げ作業においては、DD13形など初期型のディーゼル機関車では牽引力および制動力の不足が露呈しており、引き続き蒸気機関車を使用せざるを得ない状況となっていた。

しかしながら、無煙化のためには新たなディーゼル機関車の開発が必要であり、1966年昭和41年)に入換・支線兼用のDE10形が開発された後、これをベースに1967年(昭和42年)に今後の重入換機関車の原型となるDE10 901が試作され、その運用結果を基に重入換専用機関車として登場したのが本形式である。

DE10形からの変更点[編集]

本線上での客車牽引を考慮していないので蒸気発生装置 (SG) は搭載されていない[注 1]。その他重連総括制御機能と、総括制御の回路を構成するのに必須のジャンパ栓の省略などがなされている。また、車輪の空転による牽引力の損失を防ぐために、2エンド側にはコンクリートブロックによる死重が搭載されたことなどで、自重はDE10形の65 tから70 tになった。外観ではDE10形で正面デッキ手すり部に引っかかっているように装着されている重連用ジャンパ栓がないことなど以外、DE10形とほとんど同一である。なお、側面の車両番号表記位置は二種類あり、タブレットキャッチャー非装備の車両は白帯上に、タブレットキャッチャーおよび保護板を装備していた車両はDE10形と同位置にある。

番台区分[編集]

DE11 11
(1985年8月 吹田機関区)

0番台[編集]

1967年(昭和42年)より製造されたグループで、65両 (DE11 1 - 65) が日本車輌製造汽車製造川崎重工業で製造された。新製後は、新鶴見機関区大宮機関区吹田第一機関区など、ハンプ作業を行う操車場に隣接した機関区に集中配置され、それまで使用されていたD51形9600形を置き換える事で、大都市近郊の無煙化に一役買った。

1984年(昭和59年)1月末までは、ハンプ押し上げなどの重入換を中心に、一部ローカル線で貨物列車の牽引に使用されていたが、貨物輸送システムの改革によるヤード作業の中止に伴い、DD13形とともに、貨物駅や運転所の入換用に転じた。

その後、1987年(昭和62年)3月までにほとんどの車両は廃車され、DE11 44・53・55の3両のみJR東日本に継承されたが、1990年平成2年)までに廃車された。

1000番台[編集]

1969年(昭和44年)より46両 (DE11 1001 - 1046) が日本車輌製造・川崎重工業で製造されたグループで、エンジン出力が従来の1,250 psから1,350 psに向上された。このうち、川崎重工業製のDE11 1032 - 1045は汽車製造大阪工場を引き継いだ川崎重工業大阪工場で製造された[1]

0番台同様、各地のヤードに隣接した機関区に配置され、重入換用のほか、支線区の小貨物列車などに使用された。このうちDE11 1030・1031・1035・1046の4両については、操車場での入換作業自動化を目的として自動無線操縦装置 (SLC) [注 2]を搭載し武蔵野操車場で試用された。実用化のめどは立ったものの、1984年(昭和59年)の貨物輸送体制の変化により操車場での入換作業そのものが全廃されたため、のちにSLCは撤去された。

0番台同様、1987年(昭和62年)3月までにほとんどの車両が廃車されたが、10両がJR東日本に継承され、田端運転所に配置されて首都圏の運転所での客車入換用に使用された。その後宇都宮運転所に転属したが、客車列車の減少によって廃車が進み、2021年令和3年)4月現在はDE11 1041がぐんま車両センターに配置されるのみとなっている(2016年〈平成28年〉12月に宇都宮運転所から転属)。2016年(平成28年)に廃車されたDE11 1031は、大宮総合車両センターでの入換用にスピーカーを取り付け、連結器双頭型両用連結器(双頭連結器)に交換していた。

廃車になった車両のうち、DE11 1045は2010年(平成22年)6月30日付で廃車された後に、本形式としては初めてJR貨物へ譲渡された[2]。また2012年(平成24年)から2013年(平成25年)にかけて、DE11 1029・1032・1034も譲渡されている。

1901[編集]

1974年(昭和49年)に日本車輌製造で製造された低騒音対応の試作車である。必要最小限の防音対策として、遮音材による機関室の防音などが行われている。排気音低減のために運転席床下に大型の排気消音器が設置された関係で、従来第1エンド側(エンジン側)にある煙突は第2エンド側に変更された。また、日本のディーゼル機関車としては初めて運転室に空調装置が搭載された車両でもある。名義上は宇都宮運転所配置であったものの茅ヶ崎運転区(現:湘南・相模統括センター)常駐で西湘貨物駅の入換に使用されていたが、同駅の貨物扱廃止に伴い2000年(平成12年)に廃車された。

その後、高崎線倉賀野 - 倉賀野駅貨物基地間の貨物運送を担当する「高崎運輸」(現・ジェイアール貨物北関東ロジスティクス)が購入し、同一車両番号2004年(平成16年)ごろまで使用されていた。しかし、重度の機関系のトラブルで運転不能となったことで大宮総合車両センターに移動した後は放置され、2005年(平成17年)3月に解体された[3]

2000番台[編集]

1979年(昭和54年)より製造されたグループで4両 (DE11 2001 - 2004) が日本車輌製造・川崎重工業で製造された。本番台は住宅地に立地する横浜羽沢駅周辺の騒音対策として1901をベースにさらに防音を徹底し、遮音材による防音や機関室の密閉、大型排気消音器の採用、ラジエーターの第2エンド側への移設と容量拡大、送風ファンの形式変更、外観上の特徴でもある足回りの防音スカートの装着などの改良がなされた。その結果として、車体長は通常型より2 m以上長くなった。

2018年(平成30年)現在、新鶴見機関区川崎派出に4両が配置され東海道貨物線の横浜羽沢駅および相模貨物駅の入換、青梅線拝島駅からの横田基地専用線のジェット燃料輸送ならびに小運転に使用されている。また、以前は相模線の貨物運用があり、同線における相模鉄道向け甲種車両輸送も本機が担当していたが、DE11 2003が相模貨物駅入換専用動車となった関係で、現在では新鶴見機関区川崎派出所属のDE10形が主に担当にあたっている。

1900番台と同じく日本車輛豊川工場によって設計・開発され、1970年代に同メーカーが製鉄所向けに製作していた防音形ディーゼル機関車と構造上の共通点が見受けられる[4]

保存機[編集]

  • DE11 2 - 新鶴見機関区に静態保存されていたが解体された。
  • DE11 10 - 高崎機関区に保存されていたが、その後解体された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただし、一部区間においては客車列車の牽引実績がある。
  2. ^ Shanting Locomotive Control System いわゆる自動列車運転装置とは全く違う。

出典[編集]

  1. ^ 川崎重工業「車両とともに明日を拓く 兵庫工場90年史(正史)」pp.207 - 208。
  2. ^ 交通新聞社『鉄道ダイヤ情報』2010年8月号 p.127
  3. ^ 村田 忠俊「重入換用ディーゼル機関車 DE11のすべて」『RailMagazine』390号 2016年 p.35
  4. ^ 百本 暁生「ディーゼル機関車の低騒音化」『日本機械学会誌』、社団法人日本機械学会、1978年。 

参考文献[編集]

株式会社天夢人(貨物鉄道読本)

関連項目[編集]