東急車輛製造
| 種類 | 株式会社 | ||||||
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| 市場情報 |
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| 略称 | 東急車輛 | ||||||
| 本社所在地 | 〒236-0043 神奈川県横浜市金沢区大川3番1号 |
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| 設立 | 1948年(昭和23年)8月23日 | ||||||
| 業種 | 輸送用機器 | ||||||
| 代表者 | 取締役社長 金田一朗 | ||||||
| 資本金 | 140億4,770万50円 | ||||||
| 従業員数 | 1,373名(2006年3月31日現在) | ||||||
| 主要株主 | 東京急行電鉄 100% | ||||||
| 外部リンク | http://www.tokyu-car.co.jp/ | ||||||
東急車輛製造株式会社(とうきゅうしゃりょうせいぞう、英称:Tokyu car corporation)は、鉄道車両や特装車、立体駐車場機器などの製造企業。東京急行電鉄が全株式を保有しており、同社の完全子会社である。
神奈川県横浜市金沢区大川(本社・横浜製作所)と和歌山県紀の川市(和歌山製作所)、群馬県邑楽郡邑楽町(群馬製作所)および埼玉県羽生市(羽生製作所)に工場を有する。
業績不振を理由に、鉄道車両事業、特装自動車事業、立体駐車装置事業からの撤退が発表されている(後述)。
目次 |
[編集] 歴史と概要
第二次世界大戦終戦後、東京急行電鉄は横浜市金沢区の旧海軍工廠跡地に「東急横浜製作所」を開設し、鉄道車両の製造・修理改造事業を開始した。東京急行電鉄向けだけではなく、日本国有鉄道・JR各社、私鉄・公営企業向けに新幹線電車、在来線電車・ディーゼルカー・客車などを製造、供給しており、日本国外への輸出実績もある。2007年時点では、関東地方に工場を持つ唯一の鉄道車両メーカーである。下記の車両製造実績のとおり、関東の主要な鉄道事業者で、東急車輛製造製の車両を導入していない会社はないといっても過言ではないほどである。
特に東日本旅客鉄道(JR東日本)とは関係が深く、同社の通勤車両の30%を製造しており、特急車両では32%と1位であった。1990年代には、JR東日本などと共同で、VVVFインバータ制御も導入した軽量ステンレス通勤形電車(901系→209系)を開発した。これらは、従来の電車(103系基準)に比べて約48%の電力で運行できる省エネルギー車両である。寝台特急「カシオペア」の寝台車や食堂車(E26系客車)も製造している。また、JR東日本に対して車両製造の技術供与を行い、新津車両製作所の開設に協力した。
横浜製作所の敷地面積は296,000m²、建屋面積113,000m²、鉄道車両生産能力は年間720両(通勤形車両換算)である。
鉄道車両メーカーとしては後発であったため、カルダン駆動の軽量台車と準張殻構造の軽量車体を組み合わせによる高性能車や、次いで、一台車一電動機方式、セミステンレス車体、常用回生制動による維持運行経費の低減を重視した車両を送り出すなど、東急電鉄との二人三脚体制による新技術の導入と、そのアピールには極めて意欲的で、短期間で頭角を現すに至った。
また、国鉄キハ01形気動車を受注し、最終形式となったキハ03形に至るまで、国鉄初にして唯一となったレールバスを全て単独で受注したほか、札幌市交通局の依頼に応じ、世界でも類を見ない路面電車スタイルの気動車を手がけるなど、他社との競合が無い分野にも意欲的に進出した。
その後アメリカ合衆国バッド社(現・ボンバルディア・トランスポーテーション)との技術提携によって、オールステンレス車両のライセンス生産を開始(ただしボンバルディア・トランスポーテーション製の車両は戸袋もビード加工も採用されていない)、さらにボーイング社の有限要素法解析による、軽量ステンレス車体の開発など、ステンレス車両の設計・製造における先進性は特筆される。
鉄道車両以外では、鉄道・海上用コンテナ、トレーラー、タンクローリー・などの特装車、二段式および多段式立体駐車装置(1992年には販売実績業界第一位)、分岐器、横取り装置をはじめとする軌道関連部品の製造も行っている。なお、現在日本で一般型鉄道用コンテナを製造しているのは当社のみであり、そのシェアは100%である[1]。
和歌山製作所は、2003年(平成15年)に大阪製作所(堺市に所在)を移転したものであり、元々は帝國車輛工業[2]を合併したものであって、今では鉄道車両の製造は行っておらず、トラックコンテナ、特装車、分岐器の製造専門工場になっている。
近年、各車両製造工場内外での撮影に対しての対応は厳しいが、東急車輛製造は特にその対応が非常に厳しく、工場敷地内はおろか周辺にまで周辺撮影を禁止する旨の注意書きが設置されている(ただし、見学会などでは屋外にある車両の撮影が許可される場合がある)。
なお、東急車輛製造での鉄道車両の新規製造車両第一号は、1950年(昭和25年)の東京急行電鉄玉川線用のデハ80形85号である。
[編集] 各事業からの撤退
2011年(平成23年)10月27日、2012年(平成24年)4月2日付けで鉄道車両事業、特装自動車事業、立体駐車装置事業の経営権及び全株式を譲渡する予定であることが発表された。需要の激減による市場縮小や一層の競争激化など、各事業を取り巻く環境は極めて厳しい状況が続いており、事業環境の急激な変化に的確に対応し、事業を継続していくためには、抜本的な対策が急務であったとされる。
鉄道車両事業(子会社の東急車輛エンジニアリング・京浜鋼板工業を含む)はJR東日本に全株式と東急車輛が培ってきた技術やノウハウを含めて約65億円で売却、特装自動車事業(子会社の東急車輛特装・東急車輛サービスの株式を含む)、立体駐車装置事業(子会社の新東急パーキング・東急パーキングシステムズを含む)については新明和工業に約25億円で売却する。約1000人の従業員は新会社に移ることになっている。
この撤退で、法人格は残るものの、社名を変更した上で[3]残存する不動産を管理する企業としての運営となり、東急グループは車両製造業から完全撤退することとなる[4][5]。売却金額は3事業合わせて約90億円[6]。
鉄道車両事業継承会社として新東急車輛株式会社[7]を、立体駐車装置事業継承会社として新東急パーキング株式会社[8]を設立した(後述)。
[編集] 沿革
- 1946年(昭和21年)6月18日 - 東急興業(株)横浜製作所において東京急行電鉄の車両の戦災復旧を主体に操業開始。
- 1947年(昭和22年)7月28日 - 東急興業への委託を解除。東京急行電鉄(株)横浜製作所となる。
- 1948年(昭和23年)8月23日 - (株)東急横浜製作所を設立。資本金2,500万円。初の新造車は東京急行電鉄玉川線80形85号車。
- 1949年(昭和24年)9月30日 - 日本国有鉄道から湘南形電車、貨車の新造を受注。
- 1950年(昭和25年)7月1日 - 米軍Y.E.Dと各種トレーラの整備契約締結、3000両のトレーラ・建設機械の整備を開始。
- 1953年(昭和28年)2月6日 - 東急車輛製造(株)に社名変更(日付は東急車輌30年のあゆみによる。東京急行電鉄五十年史では2月11日)。
- 1954年(昭和29年) - キハ01形を受注。1956年(昭和31年)のキハ03形まで、全ての国鉄形レールバスの製造を担当。
- 1959年(昭和34年)7月6日 - 東京証券取引所に株式上場。
- 1964年(昭和39年)6月1日 - 東邦特殊自動車工業(株)を合併、大宮工場(埼玉製作所)とする。
- 1966年(昭和41年)11月 - 国鉄から新幹線製作許可メーカーに指定される。
- 1967年(昭和42年)4月 - 立体駐車装置の開発・販売開始。
- 1968年(昭和43年)2月26日 - 大阪証券取引所に株式上場。
- 1968年(昭和43年)3月1日 - 帝國車輛工業(株)を吸収合併、同社大阪工場(大阪製作所)とする。
- 1969年(昭和44年)1月 - 本社工場(現:横浜製作所)で海上コンテナの量産を開始。
- 1970年(昭和45年)6月 - 大阪工場(大阪製作所)で海上コンテナの量産を開始。
- 1972年(昭和47年)11月 - 海上コンテナ生産5万個達成、スチールコンテナ生産量世界一となる。
- 1988年(昭和63年)4月 - オールステンレス車両生産2000両達成。
- 1990年(平成2年)10月 - 新造旅客車両生産10000両達成。
- 1992年(平成4年) - 二段および多段式立体駐車装置の販売で業界1位となる。
- 1993年(平成5年)6月 - 羽生工場完成。
- 1994年(平成6年)6月 - 大規模機械式立体駐車場設備(TIP)第1号機受注。
- 1996年(平成8年)10月 - 秋田新幹線「こまち」用E3系電車納入。
- 1997年(平成9年)8月 - 長野新幹線「あさま」用E2系電車納入。
- 1999年(平成11年)10月 - 群馬製作所完成、埼玉製作所閉鎖(埼玉製作所跡地は2000年10月にイオン大宮店が開店)。
- 2002年(平成14年)10月 - 株式交換により、東京急行電鉄の完全子会社となる(同時に上場廃止)。
- 2003年(平成15年)10月 - 和歌山製作所完成、大阪製作所閉鎖(大阪製作所跡地は2008年3月にアリオ鳳が開店)。
- 2008年(平成20年)8月22日 - 東急車輛産業遺産制度を設け、東急5200系電車を第1号に認定。デハ5201号車を構内で永久保存することが決定した。
- 2009年(平成21年) - 東急7000系電車デハ7052号を東急車輛産業遺産制度第2号に認定。横浜製作所歴史記念館を開設。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 特装事業部を分社化。東急車輛特装(株)を新たに設立。
- 2010年(平成22年)8月23日 - 新幹線0系電車21-2023が、展示されていた佐久間レールパークの閉館に伴い東急車輛に譲渡、東急車輛産業遺産制度第3号に認定。
- 2011年(平成23年)10月27日 - 鉄道車両事業、特装自動車事業、立体駐車装置事業からの事業撤退が発表される。
- 2011年(平成23年)11月9日 - 「立体駐車装置事業継承会社」として新東急パーキング(株)を設立[8]。
- 2011年(平成23年)(月日不明) - 「鉄道車両事業継承会社」として新東急車輛(株)を設立[7]。
- 2012年(平成24年)4月1日(予定)
- 鉄道車両事業部門および一般管理部門(東急車輛エンジニアリング(株)と京浜鋼板工業(株)の株式保有を含む)について会社分割(吸収分割)を実施し、新東急車輛(株)(東急電鉄が新設する車両事業子会社)に承継。
- 立体駐車装置事業部門(東急パーキングシステムズ(株)の株式保有を含む)について会社分割(吸収分割)を実施し、新東急パーキング(株)(東急電鉄が新設する立体駐車場事業子会社)に承継。
- 東急車輛製造は、商号変更(社名未定)し、横浜製作所等の不動産等を保有する資産管理会社となる。
- 2012年(平成24年)4月2日(予定)
- 東急電鉄が新東急車輛(株)の全株式をJR東日本に譲渡し、JR東日本の完全子会社となる。
- 東急電鉄が東急車輛特装(株)(東急車輛サービス株式会社の株式を含む)と新東急パーキング(株)の全株式をいずれも新明和工業に譲渡し、2社は新明和工業の完全子会社となる。
- 以下の通り改称を予定[8]:
- 東急車輛特装株式会社→東邦車輛株式会社(TOHO CAR CORPORATION)
- 東急車輛サービス株式会社→東邦車輛サービス株式会社(TOHO CAR SERVICE CORPORATION)
- 新東急パーキング株式会社→東京エンジニアリングシステムズ株式会社(TOKYO ENGINEERING SYSTEMS CORPORATION)
- 東急パーキングシステムズ株式会社→東京パーキングシステムズ株式会社(TOKYO PARKING SYSTEMS CORPORATION)
- 東急車輛特装株式会社→東邦車輛株式会社(TOHO CAR CORPORATION)
- 以下の通り改称を予定[8]:
[編集] 鉄道車両
車両の製作をJR東日本新津車両製作所に委託したものが一部含まれる。
※特記しないものは基本的に電車である。
[編集] 大手私鉄
- 東京急行電鉄 - 3800形以降の全形式。
- 京浜急行電鉄 - 500形以降の全形式。
- 小田急電鉄 - ロマンスカー以外の車両を製造。
- 京王電鉄 - 1000系(初代・現行2代目とも)、3000系、6000系、7000系、8000系、9000系 、クヤ900形など。
- 相模鉄道 - 2100系、3000系、5100系、9000系、10000系、11000系 など。
- 東武鉄道(2003年度以降は新車製造での取引はなし) - 100系、200系、8000系、9000系・9050系、10000系・10030系、20000系・20050系・20070系、30000系、キハ2000形気動車 など。
- 西武鉄道(1996年度以降は新車製造での取引はなし) - 新101系、2000系、3000系、4000系、6000系(ステンレス車)、9000系VVVFインバータ制御改造、2000系更新工事など。
- 京成電鉄 - 3500形、3600形、3700形、3000形、AE100形、2代目AE形 など。
- 帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄、2002年以降は取引なし) - 500、2000形~05系までの車両。
- 南海電気鉄道 - コ11・21形、7000系・7100系の一部を除く全車両(帝国車両時代に製造された車両も含む)。
[編集] 国鉄・JR
- 日本国有鉄道(国鉄)
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- 313系 など。
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 四国旅客鉄道(JR四国)
- 5000系(5100形)のみ。
- 鉄道総合技術研究所 (鉄道総研・JR総研)
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)と九州旅客鉄道(JR九州)とは車両購入では取引なし。(後述)
- 日本貨物鉄道(JR貨物)向けのコンテナも製造している(車両購入での取引はない)。
-
JR四国5000系(先頭車の2階建て車両のみ)
[編集] 中小私鉄・第三セクター・新交通システム
- ひたちなか海浜鉄道 - キハ2005(元留萌鉄道の車輌)
- 横浜高速鉄道 - Y000系、Y500系 。
- 江ノ島電鉄 - 300形、500形、1000形、2000形、10形、20形、新500形 など。
- 箱根登山鉄道 - モハ2形
- 伊豆急行 - 100系、2100系、8000系(厳密には元東急車の改造)
- 静岡鉄道 - 1000系
- 北総鉄道 - 7000形(7006編成のみ)、7300形(7308編成のみ)、7500形(7501編成のみ)
- 新京成電鉄(現在は取引なし) - モハ250形、サハ550形
- 大阪府都市開発(泉北高速鉄道、現在は取引なし) - 100系、3000系、5000系
- 阪堺電気軌道 - モ601形、モ701形
- 伊豆箱根鉄道 - 3000系、5000系、7000系
- 加越能鉄道加越線 - キハ120形気動車(その後鹿島鉄道キハ430形気動車)
- 横浜新都市交通 - 1000形、2000形
- ゆりかもめ - 7000系
[編集] 公営交通
- 福岡市交通局 - 1000系(1985年製造 第17編成のみ)
- 横浜市交通局 - 1000形、2000形、3000A形・3000N形
- 東京都交通局 - 5000形、12-000形試作車、10-000形、10-300形
- 札幌市交通局 - D1000形気動車、D1010形気動車、D1020形気動車、D1030形気動車、D1040形気動車、A830形(その後名古屋鉄道モ870形)など。
- 大阪市交通局 - 30系、10系、20系、新20系 など。(現在は取引なし)
[編集] 日本国外
- アイルランド国鉄 - 8520形電車、2800形気動車
- シンガポール地下鉄 (SMRT) - C151形電車
- 台湾鉄路管理局 - DR2700型気動車・DR2800型気動車(東部幹線向け)
- 天津地下鉄
[編集] 補足
- 京浜急行電鉄は、同社の路線が横浜製作所と直接繋がっているため、通常同製作所からは自力で出場し、主回路が新規設計など一部の例外を除きそのまま本線試運転が行われる。川崎重工業車両カンパニーで製造された京急の車両もJR逗子駅構内から京急逗子線内の三線軌条経由で一旦横浜製作所に搬入され、台車交換、整備の後同様に出場する。京急と都営浅草線を介して線路がつながっている京成電鉄、北総鉄道の日本車輌製造で製造された車両も、一部の車両を除き同様に横浜製作所に入場して台車交換が行われる。横浜製作所で製作された車両も含め、京成、北総の車両は京成車の牽引または自走にて出場する[10]。
詳細は「京急逗子線#その他」および「逗子駅#東急車輛製造専用鉄道」を参照
「川崎重工業車両カンパニー#完成車両の輸送方法」および「日本車輌製造#車両輸送について」も参照
- 京成電鉄向け電車の製造・納入開始は東急・帝国車輌合併後から開始されている。戦前に京成が梅鉢車輌(後に帝国車輌に改称)に資本参加していた事によるもので、戦後資本関係を解消した後も製造・納入が継続されていたものを合併によって引き継いだ事による。なお京成は帝国車輌と当社が合併した直後まで同じ関東に拠点を有するメーカーの汽車製造と長く取引があったが、合併で川崎重工に引き継がれ、それも1979年(昭和54年)限りで打ち切っている。
詳細は「京成3500形電車#3576編成 - 3592編成」および「川崎重工業車両カンパニー#製品」を参照
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)向けの車両のうち、直流・交直流電車は逗子駅まで機関車牽引で輸送された後、逗子から試運転を兼ねて自力で輸送される。
- 東武鉄道向け電車については永らく日本車輌製造での取引があったが、東京支店(蕨工場)の移転・閉鎖以降は取引がなくなり当時8000系電車を製造していた最中であったため、取引先を変更したかたちで1973年(昭和48年)より加わったとされる。
詳細は「東武8000系電車#概要」を参照
- 西武鉄道は、日立に発注した5000系を除き、戦後長らくメーカー生産車がなく自社所沢工場製であったが、101N系の設計に携わっていた関係で101N系より製造・納入が開始された。所沢製と東急製の車内が微妙に異なる。以来、2000N系・4000系・6000系ステンレス車の製造を担当している。ただし、10000系と6000系アルミ車以降は日立製がメインとなっており、近年は車体更新工事を中心に受注している。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)、九州旅客鉄道(JR九州)とは車両購入での取引はない(分岐器などの購入はある。また103系・113系・117系100番台など国鉄から継承された車両には東急車輛製がある)。JR四国も5000系電車の5100形まで取引がなかった。
- 南海電気鉄道・阪堺電気軌道・大阪府都市開発(泉北高速鉄道)・大阪市交通局は上記西日本地区のJR3社の事情があるゆえ、東急車輛製造の西日本地区における数少ない顧客である。なかでも南海電気鉄道は、合併によって大阪製作所となったもと帝国車輛時代から縁があったため、現在もグループ会社である阪堺電気軌道ともども東急車輛製造に新車を発注している。また大阪市交通局は入札制を徹底させていたため、1990年代までは旧国鉄のように主要5社すべてに新車の発注を行っていた(現在は大阪市交・大阪府都市開発との取引はない)。
- 五島昇が戦後間もない頃出向していた。(城山三郎著 ビッグボーイの生涯に記載)
[編集] 鉄道車両以外の製品
- 台車 鉄道車両用台車の生産は東急横浜製作所時代から行っており、形式は横浜製作所の英字頭文字を取ってYSであったが、東急車輛製造に商号変更後の形式はTSとなった。親会社である東京急行電鉄の電車はすべて東急車輛製造製のTS台車を装着しているほか、京王電鉄の現有車両もすべてTS台車である。
東急車輛製造製の台車を装着する主な鉄道車両は、- 東京急行電鉄 現有全車両
- 横浜高速鉄道 現有全車両
- 京王電鉄 現有全車両
- 小田急電鉄 2600形(2666F VVVF改造電動車)、4000形(初代)、3000形(2代)、4000形(2代)、クヤ31形検測車
- 京浜急行電鉄 新1000形など現有全車両の約半数。現有旅客車用はすべて川崎重工業と東急車輛製造の共通設計。
- 南海電気鉄道 6000系・6100系(後に住友金属工業製に交換)
- 江ノ島電鉄 現有全車両
- 東京都交通局 10-300形
- 相模鉄道 5000系、9000系、10000系
- 伊豆急行 200系以外の現有全車両
- 阪堺電気軌道 モ601形、モ701形
- 箱根登山鉄道 106号車以外の全車両
- 静岡鉄道 現有全車両
- 札幌市交通局 3300形、A830形、D1000形、D1010形、D1020形、D1030形、D1040形
- など
- 分岐器および部品
- コンテナ(鉄道コンテナ、タンクコンテナ、冷凍・冷蔵コンテナ、物流機器)
- 特殊自動車(トレーラー、タンクローリー、ダンプトラック、バントラック、環境整備車両、各種作業車、ヤードキャリア)
- 立体駐車装置(大規模機械式立体駐車装置、機械式立体駐車装置、自走式駐車装置、タワー式駐車装置)
- 開発製品(メカトロニクス製品、環境システム製品)
など
[編集] 東急車輛グループ
- 東急車輛エンジニアリング株式会社
- 東急車輛特装株式会社
- 東急車輛サービス株式会社
- 東急パーキングシステムズ株式会社
- 京浜鋼板工業株式会社
[編集] 横浜製作所回送線
京急逗子線の金沢八景駅 - 神武寺駅間の上り線は、JRなどへの車両の納入や、改造車などの入場のために横浜製作所からJR逗子駅までの搬出入(回送)線を併設しており、1,435mmと1,067mmの三線軌条区間となっている。
[編集] 労働問題
- アスベスト問題
- 同社大阪製作所(大阪府堺市、現在は和歌山製作所に機能統合され閉鎖)で、元社員の男性3人が、1960年代以降に7~30年間、塗装や配管などの業務に従事していたが、3人の男性の作業場では、隣接して車両からアスベストを取り出す作業が行われていて、そこから生じた粉塵を吸い込み、退職後に中皮腫を発症し死亡した。3人の遺族は、「会社が安全配慮を怠ったため」などと主張し、2011年4月4日に、同社を相手取り約1億円の損害賠償の支払いを求め、大阪地方裁判所に提訴した[11]。
[編集] 脚注
- ^ 液体用タンクコンテナは日本車輌製造でも製造。
- ^ 前身は梅鉢車輛で、戦前の一時期は京成電鉄の資本下だった。近在の南海電気鉄道とは長い付き合いであり、その当時の名残で現在でも南海、そして子会社の阪堺電気軌道の車両は東急車輛製造で製造されている。なお、鉄道車両の製造は合併後、横浜製作所に集約された。
- ^ 会社分割(吸収分割)および事業譲渡に関するお知らせ (PDF) - 東急車輛製造 2011年10月27日
- ^ 子会社の事業の譲渡に関するお知らせ (PDF) - 東京急行電鉄ニュースリリース 2011年10月27日
- ^ 東急、JR東日本に鉄道車両事業を譲渡 - 日本経済新聞電子版 2011年10月27日
- ^ JR東日本への鉄道車輛事業の譲渡金額は約65億円とされる(日経2011/10/27)
- ^ a b 吸収分割公告(車両事業・一般管理部門) (PDF) - 東急車輛製造 2012年2月22日
- ^ a b c 2012年2月6日発表
新しい会社名が内定いたしました - 東急車輛特装
吸収分割および株式譲渡に伴う新明和工業株式会社の傘下会社となる各社の商号について (PDF) - 東急車輛製造
異動する子会社の商号変更に関するお知らせ (PDF) - 新明和工業
新社名(東邦車輛)の由来は1964年合併した東邦特殊自動車工業(株)から。
ロゴは従前から特装自動車製品で使用していたものを新明和のグループカラーにして流用。 - ^ JR東海向けは100系G編成2本(1989年製のG15編成と1991年製のG41編成)のみで終わった。またJR東日本向けも2005年製のE3系L53編成(フル規格の車両に限れば2003年製のE2系J63編成)をもって撤退した。
- ^ 電気指令式ブレーキの新車を電磁直通ブレーキの赤電8M車で牽引していた時代は、編成全体にブレーキが作用しないため深夜に低速で走行していたが、牽引する電車が3600形VVVF車(中間の付随車を抜いた4両編成)になってからは、牽引車・新車ともに電気指令式ブレーキで統一されて編成全体にブレーキが作用するようになり、営業時間内に通常の速度で走行するようになった。京急線および都営浅草線で使用実績がある形式の場合は、京急の車両と同様に自走で回送される。ただし、新AE形については、車体サイズの関係で都営浅草線を通過できないことから、直接宗吾参道駅近在の宗吾車両基地に陸送されている。
- ^ 損害賠償訴訟:石綿吸って死亡と元社員の遺族が提訴 毎日新聞 2011年4月5日
[編集] 参考文献
- 土岐實光, 電車を創る, 交友社, 雑誌06460-12