国鉄201系電車

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国鉄201系電車
中央特快に使用される201系(2001年5月13日、高尾~相模湖間にて撮影)
中央特快に使用される201系
(2001年5月13日、高尾~相模湖間にて撮影)
起動加速度 2.3km/h/s (2M2T,4M4T)
2.5km/h/s (6M4T)2.8km/h/s (4M2T)
営業最高速度 100 km/h
設計最高速度 110 km/h
減速度 3.5 km/h/s(常用最大)
5.0 km/h/s(非常)
編成定員 560名(4連固定)
848名(6連固定)
992名(7連固定)
1480名(10連固定)
最大寸法
(長・幅・高)
19500 ×2800 ×4140mm
軌間 1067mm
電気方式 直流1500V
出力 150kW/基(MT60)
歯車比 1:5.6(15:84)
制御装置 サイリスタチョッパ制御・弱め界磁制御 (CH1/HS36, CS53, CS53A)
駆動装置 中空軸平行カルダン撓み板継手方式
ブレーキ方式 回生制動併用電磁直通空気制動
手ブレーキ
保安装置 ATS-S, ATS-SN, ATS-SW, ATS-B, ATS-P
JR西日本奈良電車区所属車はEB,TE装置を搭載

国鉄201系電車(こくてつ201けいでんしゃ)は、1979年昭和54年)に試作車が、1981年(昭和56年)に量産車が登場した日本国有鉄道(国鉄)の直流通勤形電車

目次

[編集] 概要

国鉄として初の電機子チョッパ制御(サイリスタチョッパ制御)を採用し、電力回生ブレーキを装備した「省エネ電車」として設計・製造された。

主回路以外についても新機軸が多数導入され、試作車完成の段階では次世代標準型通勤形電車として鉄道業界などから大きな期待が寄せられた。だが、当時の国鉄の財政事情では電機子チョッパ制御器の製造コストの高さがネックとなり、最終的に中央・総武・京阪神緩行線の3線区に対して合計1,018両が新製投入されるにとどまった。

このため、その後の標準型通勤形電車は旧来の抵抗制御をベースとした界磁添加励磁制御方式を採用し、新開発のDT50系ボルスタレス台車と軽量ステンレス車体によって大幅な軽量化とコストダウンを実現した廉価な205系に移行した。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は、東日本旅客鉄道(JR東日本)に794両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)には224両が継承された。

また、本系列には派生系列として千代田線直通用の地下鉄乗り入れ仕様アルミ合金製車体を備える203系が存在する。

[編集] 沿革

中央・総武緩行線で運行されていた201系(1998年、千葉駅にて撮影)
  • 1982年(昭和57年) - 中央・総武緩行線にも投入。青梅線では、中央線快速電車の直通運用として運行開始。
  • 1983年(昭和58年) - 東海道・山陽緩行線にも投入。中央線快速の青梅線直通電車の分割運用が開始され、五日市線にも運行されるようになる。
  • 1984年(昭和59年) - 窓構造など細部の設計を変更。これ以降生産された車両は「軽装車」と称されることもある。このタイプのサハ201形(付随車・T)は関西地区のみに投入。
  • 1985年(昭和60年) - 製造終了。試作車10両を含む1,018両が製造。同年3月14日のダイヤ改正から中央線快速はすべて本系列で運用されるようになる。
  • 1986年(昭和61年)3月3日 - この日のダイヤ改正に併せて首都圏各線で車両配置の見直しがあり、本系列も多数が転属。また、予備車から捻出された車両により武蔵野線にも運行開始(全編成の8両編成化と中央・総武緩行線への転用時に撤退)。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - この日のダイヤ改正で快速が大月まで直通運転を開始し、本系列も当駅まで乗り入れるようになる[2]
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、全1018両のうち試作車を含む794両をJR東日本が継承、224両をJR西日本が継承。
  • 1988年(昭和63年)12月 - 中央緩行線東中野駅構内でクハ200-4を先頭とした10両編成の中野行が同駅に停車中だった103系10両に追突し、運転士と乗客各1人が死亡。10両のうち最後尾のクハ201-3を除く9両が大破し廃車となり、後日中野電車区構内で解体、103系もクハ103-278以外の9両が廃車。詳細は東中野駅列車追突事故を参照。
  • 1997年平成9年)10月12日 - 大月駅構内で回送中の201系6両が特急列車と衝突。詳しくは大月駅列車衝突事故を参照。
  • 1998年平成10年)12月29日 - 中央・総武緩行線に本系列と103系・205系の置き換えを目的とした209系500・950番台投入開始。その後継車種のE231系0番台投入(209系950番台も投入の数か月後にE231系900番台に改番)と合わせて同線で運用されていた201系は青梅線五日市線京葉線に転用され(205系も京葉線・武蔵野線・南武支線に転用)、既存の103系の置き換えを促進。
  • 2001年(平成13年)8月4日 - 展望型車両に改造した「四季彩」が運行開始される。
  • 2001年(平成13年)末 - 中央・総武緩行線から撤退。同時期に京葉線・青梅線・五日市線でも営業運転を開始。
  • 2002年(平成14年)4月 - 青梅線・五日市線の列車がすべて本系列で運用されるようになる。
  • 2005年(平成17年) - 東海道・山陽緩行線(JR京都線JR神戸線JR宝塚線)は12月1日以降321系へ、中央線快速は2006年12月以降E233系へそれぞれ置き換えが決定。
  • 2005年(平成17年)10 - 11月 - 京葉線で使用されていた試作車(900番台)が廃車。大宮総合車両センターにて解体された。
  • 2005年(平成17年)12月15日 - 大阪環状線でスカイブルーの8両編成が運用を開始。翌16日には桜島線(JRゆめ咲線)に初めて営業運転で入線。その後関西本線大和路線)でも本系列の客扱いを実施。
解体を待つクハ201-3(2006年2月28日、大宮駅付近にて撮影。前後の車両は国府津車両センターに所属113系サロ110形とクハ111形)
  • 2005年(平成17年)12月20日 - 1988年12月の東中野事故で唯一廃車を免れたクハ201-3が廃車回送された。この車両は事故発生後予備車となり、ATS-P取り付け改造の際に一時的に使用されたのみでほとんど利用されることなく三鷹電車区(現・三鷹車両センター)に留置されていたが、クモヤ145形2両に挟まれて回送して大宮運転区に2か月以上留置した後、大宮総合車両センターで2006年3月上旬に解体された。事故以外での量産車の廃車は初。
  • 2006年(平成18年)10月19日 - 量産車編成としては初の廃車が出た。該当編成は中央線快速のT6編成(クハ201-26以下10両)。
  • 2006年(平成18年)12月20日 - 関西本線(大和路線)でウグイス色の6両編成が営業運転を開始。
  • 2007年(平成19年)3月18日 - 東海道・山陽緩行線(JR京都線・JR神戸線・JR宝塚線)から撤退。
  • 2007年平成19年) 3月4月頃 - 豊田電車区から京葉電車区に10両2本(T130,T132)が転属,京葉区初の貫通編成が登場。(ケヨ70,74)
  • 2008年(平成20年)3月15日 - おおさか東線でウグイス色の6両編成が営業運転を開始。
  • 2008年(平成20年)3月26日 - 四季彩を除く青梅線・五日市線用の車両がすべて営業終了する。
  • 2008年(平成20年)6月19日 - 四季彩を除く青梅線・五日市線用の車両がすべて廃車される。
  • 2008年(平成20年)12月 - 京葉線用の10両貫通編成が全て廃車回送される。

[編集] 主要機器

[編集] 電装品

主回路にCH1系チョッパ制御器とHS36補助制御器(試作車のみ)、あるいはCS53系主制御器[3]を組み合わせて搭載し、これらによってMT60形主電動機を制御する。CH1で採用した電機子チョッパ方式は、主回路で最も大きな電流が流れる電動機の電機子回路をチョッピング制御するものである。

この方式は回生制動時に昇圧チョッパ回路を構成するため、高速域からの回生制動時に発生電圧が架線電圧を上回って失効しやすいという問題があった[4]。このため、本系列が開発された1970年代後半には、この方式に代えて地下鉄以外の私鉄各社で界磁チョッパ制御方式が普及しつつあった。

しかしながら、1960年代後半より独自にチョッパ制御器の開発に着手していた国鉄においては、通勤形のみならず、近郊形系列などへの幅広い応用を目指して、電動機の設計変更と主回路構成の工夫(直並列切り替え)によって120km/hからの回生制動を実用可能とする制御システムの構築が研究されていた[5]

このことが示す通り、当時の国鉄はチョッパ制御器の採用について力行時の抵抗器によるロスを削減することで得られるメリットよりも無接点・無段階制御で最高速度域から回生制動が実用可能であることのメリットの方を重視しており、主電動機であるMT60もこの目的に沿うよう新しく設計されたものであった。

MT60は、定格回転数1850rpm、最高回転数4850rpmと既存のMT54[6])やMT55[7]といった前世代の標準型電動機と比較して高い定格回転数となっており、これによって高速域での回生制動時に、発生電圧過大に伴う回生失効を防止することを狙った。MT60は国鉄の制式電車用直流直巻式電動機としては当時最強の150kW級電動機となったものの、主電動機特性が高速よりにシフトしているため、低速域での加速性能は110kW級のMT55を搭載する103系と大差ないレベルにとどまっている[8]

また、回生制動を常用することを基本として計画されたため、本系列ではパンタグラフ架線からの離線による回生失効を防ぐべく、地下鉄乗り入れ用の301系などと共通の架線追随性が高いPS21形パンタグラフが採用された。特に、試作車の段階では主電動機の大出力化に伴う集電容量の不足も考慮して、各電動車1ユニットにつき2基ずつパンタグラフが搭載されるという念の入れようであった。

試作車の段階では国鉄の回生制動に対するノウハウの蓄積が不十分だったため、当初の予測以上に空制系への依存度が高くなってしまっている。このため、量産開始後も回生制動の動作パターン研究が進められ、増備の度にブレーキ系の改良が実施されることとなった。

これらの制御システムを操作する運転台主幹制御器は、試作車において従来からの縦軸式回転型と新幹線電車に類似している横軸式前後操作型の2種類が比較されたが、試験の結果、量産車では横軸式ハンドルとされ、ブレーキ弁は通常のME49[9]が搭載された。

[編集] ブレーキ

空制系は、応荷重装置付き回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ(SELR)が採用され、自動ブレーキ部のブレーキ制御弁として3圧力式のE制御弁が採用された。

電気ブレーキは電機子チョッパ制御を用いて回生ブレーキを行う。100km/hからの回生ブレーキに対応するため、定格速度の高いMT60を45%弱め界磁で使用することで、回生電圧を抑えて回生失効を防ぐ対策がなされたが、それでも高速域では回生電圧が架線電圧を超えた。架線電圧を超えそうな場合は主回路電流を絞ることで発電電圧をコントロールできたが、それでは電気ブレーキ力が不足し、空気制動に頼れば制輪子磨耗が過大となってしまう。そこで、75km/h以上の高速時からブレーキをかける際には主回路に0.26Ωの抵抗を挿入すること発電電圧を減じ、充分な電気ブレーキ力を確保することにした。抵抗で熱に変えた分回生電力量は減少するが、より高速から回生ブレーキが作用するため、直列抵抗を使用しなかった場合よりも回生電力量は多くなる。この直列抵抗を挿入してもなお90km/h以上では高速絞りが作用する。

[編集] 台車

鉄道博物館に展示されている201系の台車(DT46形台車)

試作車においては、301系と同様に乗り心地を重視して車体直結(ダイレクトマウント)式の空気バネ台車が採用され、主として、ブレーキ装置の相違からDT46X・Y(動力台車)とTR231X・Y(付随台車)の計4種が試用された。これらはいずれも軸箱支持方式がシリンダをゴム製シーリングで被覆した円筒案内式であった。

この台車は、ダイレクトマウント方式の採用が検修設備の非対応を理由とした保守陣の反対によって取りやめとなり、量産車では枕バリ部分をDT32・TR69系台車と類似のインダイレクトマウント方式(大径心皿方式)に変更し、軸バネ部のシリンダのシーリングを省略したDT46・TR231や、さらにこれの軸バネをエリゴバネに変更したDT46B・TR231Aに変更されている。

[編集] 車体

試作車の段階では、103系の構造を踏襲して外板の材質も圧延軟鋼板が採用されていたが、量産車では台枠と側板の接合部がスポット溶接から連続溶接に変更され、同系列で深刻な問題となっていた雨水の浸入による台枠の腐食がほぼ解決した。さらに外板材質が耐候性高張力鋼に変更されたことで耐久性と車体剛性が大きく向上している。また、屋根部分はビニール布張りを廃止して塗り屋根方式に変更され、雨樋高さも車体洗浄の能率向上を狙って301系並みに変更されるなど、目立たない部分で重要な変更が加えられている。

試作車では、運転台付き車両について乗務員扉の開閉角度の改善を図って車体長を19.7mと中間車より0.2m長く設計していた。ただし、これは分割・併合編成で中間に運転台付き車両が入る場合に整列乗車時の扉位置ずれの原因となることが指摘され、量産車では中間車と同じ19.5mに戻された。ただし運転台の寸法は変更されなかったため、これと干渉する直後の客室スペースが0.2m分縮小され、これに伴い乗務員扉直後の戸袋窓が省略された。

運転台は当時標準の高運転台式であるが、前面形状について刷新が図られ、試作車1編成5両の製造を担当した東急車輛製造の提案により、591系の平妻側運転台の形状をアレンジした左右非対称型のデザインが採用された。これは、前面の上半分の大半を用いた大きな開口部にジンカート処理と呼ばれる特殊な防錆皮膜処理を行った黒い鋼製パネルをはめ込んだもので、以後この種のデザインは1980年代日本における電車デザインの一つのスタンダードとなった。

冷房装置集中式を1基搭載しており、試作車が当時落成していた103系と同一のAU75Bであるが、量産車ではAU75Dとなり、クハ201-29など以降は外キセをステンレスとし、省エネルギーと軽量化を図ったAU75Gとなった。平屋根構造の車内風洞を介して冷気が車内に送り込まれ、三菱電機が開発した「ラインデリア」と呼ばれる横流ファン(補助送風機)によって扇風機なしでも冷気がまんべんなく行き渡るように工夫されている。さらに、これとは別に通常の換気用通風器も屋根上に装備されており、押し込み式と呼ばれるFRP製で角形のものが採用されていた。もっとも、コストダウン要請が厳しくなった後期のいわゆる「軽装車」では、これは安価な鋼製に変更され、後に「軽装車」の多くを継承したJR西日本が本系列について通風器の撤去を実施する一因となった。

窓枠は下段上昇・上段下降式のユニット窓が採用され、上段窓にバランサーが取り付けられたが、「軽装車」グループでは103系に準じた下段上昇・上段上昇式[10]に逆戻りし、これに伴って構体設計が大幅に変更されている。

車体側面の車両番号標記は、当初、特急形電車と同様のステンレス切抜き文字を使用した。軽装車では一般の通勤型電車と同様の転写式に改められた。

[編集] 接客設備

20年程度先を見越した接客設備を目指して本系列では様々な改善が図られた。その代表例としては、扉間の7人掛けロングシートのモケットを3-1-3に分割し、中央の1人分だけ色を変えることで座席定員通りの着席乗車を心理的に誘導するというデザイン面での工夫が挙げられる。これはモケット柄の1人ずつに区分するなど、他の鉄道事業者でも座席定員通りの着席を誘導するデザインが採用されるようになるなど、目立たないながらも以後の通勤電車のあり方を変えた改革であった[11]

また、試作車では当初客室内にはスタンションポールが設置されて、ラッシュ時の乗客の動線調査が実施された。これはその後の通勤電車における乗降問題に貴重な資料を提供したが、本系列では不評であったため、後に撤去されている。

車内のカラースキームは、当時の国鉄車両においては寒色系が一般的であったが、本系列が新世代通勤電車ということもあって、壁面はベージュ、座席は濃茶色+中央部オレンジ、床面がウォームブラウンといった暖色系が採用された。ただし、客用扉はステンレス製無塗装のものが使用されていた。その後、その座席モケットは中央線快速については103系と同時に1995年1998年頃にすべての編成で下記の写真のスカイブルー系のモケットに張り替えられている。

車内に表示する形式番号標記は通常のアクリル樹脂板製であるが、量産車第1号編成の東京寄り先頭車 クハ201-1 では、乗務員室の運転台上に蒸気機関車と同じ黒地に金文字の形式入りナンバープレートが取り付けられた。

車内の様子

[編集] 現状

中央快速線を走るオレンジバーミリオンの201系。御茶ノ水-四ツ谷間にて。
電動幕式の大型列車種別表示器
モハ201形霜取りパンタ搭載車 車両の左上が霜取りパンタ(2007年3月21日、新宿駅にて撮影)
中央線快速用分割編成の中間組み込み先頭車(2006年5月14日、青梅駅にて撮影)
JR東日本201系(青梅・五日市線用)(2006年5月14日、青梅駅にて撮影)

[編集] JR東日本

10両・6両・4両の3種類の編成があり、6両編成と4両編成を併合して10両編成として運用することで、需要に応じた多様な運用形態に対応可能としている。

[編集] 豊田車両センター

中央本線青梅線五日市線八高線拝島駅高麗川駅間)

  • 中央線快速運用車両は富士急行線にも乗り入れている(2008年3月改正で撤退)[12]
  • 車体塗装色はオレンジバーミリオン(朱色1号)。
  • 塗色や所属区は同じであるものの、主に中央線快速および青梅・五日市・八高線のうち中央線快速直通運用に就くもの[13]と青梅・五日市線の線内運用に限定されるものとで編成は分けられている。
  • 2004年12月から2005年3月までにドアステッカー下部に「ひらくドアにちゅうい」ステッカーが貼付された。[14]

[編集] 中央線快速用
  • 10両貫通編成(T編成)と6両+4両の分割可能編成(H編成)の2種類の編成があり、青梅線・五日市線・八高線・富士急行線への乗り入れの関係で運用が分かれている。また、パンタグラフは中央本線高尾以西に存在する狭小限界トンネルに対応すべく、分割可能編成は国鉄末期よりPS21をPS24に交換、貫通編成はJR化後にシングルアーム式のPS35に交換されている。なお、一部の分割可能編成では霜取り用のパンタグラフを増設している。なお、T編成は2008年1月までに全車廃車されている。
  • 2004年3月まで武蔵小金井電車区に所属していた編成は、分割可能編成・貫通編成とも白地赤文字の編成札を使用していたが、豊田電車区(2007年11月25日豊田車両センターに改称)への移籍時に貫通編成のみ黄緑地白文字の編成札に交換した。
  • 外観上は、10両運転時に両端に組成される先頭車両の運転席窓下部に電動幕式の大型列車種別表示器を備えている。一方、分割可能編成の通常中間に組成される先頭車には板式の種別表示枠が設置されており、自動解結装置(電気連結器)が装備されている。2007年11月時点では板式の種別表示枠が取り外されている先頭車も出現している(後述「置き換え」参照)。なお、種別表示枠は10両運転時に両端に組成される先頭車両にも列車種別表示器への取り替え前まで全編成に装備されていた。それ以前にも1987年3月~4月国鉄分割民営化前後にヘッドマーク掲出スペースを新設し、分割民営化を告知する特製のヘッドマークを掲出して運転していた。

[編集] 青梅・五日市線内運用編成
  • かつて中央・総武緩行線で使用されていたもので、E231系の投入に伴い同線運用から撤退となり、青梅線・五日市線用103系の置き換えが実施され、転属の際に前述の軽装車を含めて塗色をカナリアイエロー(黄5号)からオレンジバーミリオンに変更した。なお、1986年3月3日のダイヤ改正からの一時期は中央線快速から転用された6両編成が青梅・五日市線と武蔵野線の線内運用にも使われていたが、同線の全列車8両編成化と中央・総武緩行線への転用により撤退している。
  • 青梅線青梅以西の地上設備の制約から乗り入れ可能車は4両編成に限られるため、転属時に編成の組み換えを実施したので、中央線快速用のH編成とは6両編成と4両編成の組成順序が逆になっている[15]
  • 「青○○編成」と呼称される。ただし編成札は数字のみの表記であり、「60」~「69」が青色に白のゴナに近い字体(武蔵野線でも同様)、「70」~「72」が水色に赤の丸みを帯びた字体(H・T編成のものに近い)である(いずれも立川方6両固定編成において)。
  • 中央線快速用とは、大型列車種別表示器の未設置、助士席側と乗務員室出入口の窓下に「青梅・五日市線」と表記したステッカーの貼付、列車選別装置停車駅誤通過防止装置の未装備や、編成札の色の相違[16]などの外観の相違が存在する。なお、搭載するパンタグラフが小断面トンネル通過に対応していないため、高尾以西を走行することはできない。また、運用線区の関係で車内の扉横の座席に防寒用の風除けが取り付けられている点でも中央線快速用とは相違する。
  • 青梅線青梅以西への直通運用に充当される4両付属編成の各客用扉には、軍畑(左側のみ)・川井(右側のみ)・奥多摩の各駅では電車とホームの間が広く開いている旨を表記するステッカーが追加で貼付されている。
  • 一部の6両基本編成は、武蔵五日市駅での折り返し長時間停車時に虫が入ってこないよう、6号車の蛍光灯が青白いタイプのもの(昼光色)に変えられている。
  • 編成の中には、後述する「四季彩」という観光用に改造された付属編成(4両)が1本在籍している。
「四季彩」旧塗装(2004年5月2日、武蔵新城~武蔵溝ノ口間にて撮影)
「四季彩」新塗装(2007年6月23日、高尾駅にて撮影)

[編集] 展望型電車「四季彩」

JR東日本では、青梅線沿線のイメージアップを目的に豊田電車区で訓練車として使用されていた4両編成1本(クハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134)を展望型電車に改造し、愛称の通り1両ずつ春()・夏(ひまわり、2004年7月よりレンゲショウマ)・秋(紅葉)・冬()のデザインを施した。また、奥多摩向きのクハ200-134はすべての座席を川側に向け、その他の3両には川側にクロスシートを設置し、側面窓の一部も2段窓から固定式の1枚窓に変更された。2001年8月4日より運行を開始した。その後愛称の公募が行われ、同年11月23日「四季彩」(しきさい)の愛称が付けられた。

主に土曜・休日の青梅~奥多摩間の運用が中心で、送り込みを兼ねた立川発着の運用が1往復ある他、臨時列車では「川崎-奥多摩ハイキング号」として南武線川崎まで、2006年からは「四季彩河口湖号」として富士急行線の河口湖まで、さらに2007年のゴールデンウィークにはこれまで使用されていた小山車両センター所属の115系の営業運転離脱により快速「むさしの奥多摩」でも運行を開始し、武蔵野線を経由して大宮駅までそれぞれ乗り入れている。過去には登場から数か月間だけ五日市線でも運用されていた他、長野支社に貸し出されて臨時快速「四季彩高原号」として中央本線小淵沢大糸線白馬間を運転し、さらに大月駅開業100周年記念イベントの時には記念列車としてそれぞれ運転されていた。2008年5月24日には、信越本線長野篠ノ井線姨捨間を「姨捨フォトトレイン四季彩」号として運転された。また、平日は運用がなく拝島運転区で訓練車として使用されるほか、八高線の予備車としても兼ねているが、実際に運用されたことは少ない。

本来、同車は本系列の訓練用車両であることから他線へ貸し出されることもあり、2006年度には豊田車両センター所属車の廃車時に回送ルートとなる篠ノ井線内の乗務員訓練用に松本車両センターへ貸し出された。

なお、運行開始当初の外装による運行は2005年5月8日で一旦終了し、塗装変更後、同年6月25日の三鷹電車区一般公開での新塗装の公開展示の後、7月2日から再度運行を開始した。

しかし、老朽化により2009年6月28日をもって一般運用を離脱し、2009年7月中は団体臨時列車として「さよなら四季彩号」が運転され、7月20日のさよなら運転を最後に廃車となることが発表された[17]

[編集] 松本地区への貸し出し

毎年上諏訪駅近くの諏訪湖畔で開催される花火大会(8月15日の諏訪湖祭湖上花火大会と9月初旬の全国新作花火競技大会)の観客輸送の応援用として、豊田車両センター所属のH編成(T編成)2本(20両)が松本地区に貸し出され、中央本線小淵沢~塩尻間と篠ノ井線塩尻~明科間で臨時列車(一部は定期列車の運用変更)として運行される。この場合、ホームの長さと小淵沢・松本方面の双方に列車を走らせる関係上、送り込みを兼ねた小淵沢始発上諏訪行の快速以外は6両と4両に分けて運用される。この地区ではトイレを設置していない電車が少ないため、時刻表にも「通勤電車・トイレなし」の表記がなされる。それでも通勤電車特有の利点(4ドア、詰め込みの利くロングシートなど)から、4両でも115系6両編成を使用した時以上の混雑緩和の効果が出ている。

廃車回送を兼ねた最後の貸し出しとなったT110編成。方向幕も特別仕様となった(2007年9月1日、富士見駅にて撮影)

E233系への置き換えが続く中、2007年も本系列が貸し出された。同年に貸し出されたのは、H編成ではなく同年3月18日のダイヤ改正(後述)でT編成に編入された「旧H編成」であった。従来と違うのは同年8月15日(諏訪湖祭湖上花火大会)・9月1日(全国新作花火競技大会)とも甲府発着の臨時快速が設定されたことで、初めて本系列が甲府小淵沢間で営業運転に使用された。貸し出し最終日の9月1日は2本が使用された。1本は廃車回送を兼ねた2代目T110編成で、8月30日に一旦長野総合車両センターに回送された時点で方向幕の空きコマにカッティングシートを使用して運用に必要な表示(上諏訪・スターマイン・ナイアガラ)を追加(この時種別表示幕は文字なしの白1色)し、運用当日に日野春まで回送後小淵沢から臨時快速で営業を開始し、臨時列車と定期列車で運用され、運用終了後に廃車のため長野へ回送された。もう1本は豊田電車区から送り込まれたT118編成だが、こちらは方向幕の空きコマへの運用に必要な表示は行われなかった。

京葉線を走る201系(2007年2月22日、新習志野駅にて撮影)

[編集] 京葉車両センター

京葉線外房線東金線

  • 車体塗装色はスカイブルー(青22号)。
  • 京葉車両センターに配置されている編成は、青梅・五日市線内運用編成と同様にかつて中央・総武緩行線で使用されていたもので、205系とともに京葉線の103系を置き換えた。転属の際に塗色をカナリアイエロー(黄5号)からスカイブルー(青22号)に変更した他、車内非常通報用ボタンの丸型から角型への変更や尾灯LED化、運行番号表示器と側灯のLED化(一部除く)を行った。
  • 先頭車正面の行先表示器は転属時が白地・黒文字だった(205系山手線転属車も同様)。これは幕を発注した際に「103系と同じ幕を作ってほしい」というJR東日本側の意図を製作会社が「内容が同じ」ではなく「103系と全く同じ」と取り違えたため本系列のブラックフェイスに合わない白地・黒文字のものを装備することになってしまったためである[18]。その後、2005年秋頃から順次黒地・白文字に交換するとともに側面のものも上部に「京葉線」を表記するものに交換し、フォントも新しくなった。現在ではケヨ72編成の中間に組成される先頭車の正面表示器のみが白地・黒文字(京葉線)表示となっている。
  • 2007年2月3月には中央線快速で使用されていた10両貫通編成2編成が転入した。これは、武蔵野線の増発や、埼京線用205系の踏切事故による不足補充分として、京葉線205系2編成が転用されるためである。転用にあたって、大型列車種別表示器が撤去されてその跡をパテで埋めるとともに、分割編成のクハの組成位置に合わせてサハが2両連続して並ぶように組成変更された(JR東日本では初のサハ201形が2両連続して連結された編成となった)。また、先頭車の停車駅通過防止装置を京葉線用のものに交換し、運転台横には大型の時刻表差しが取り付けられたが、非常通報装置は取り付けていない。元トタT32編成(クハ201-58以下10両)がケヨ70編成、元トタT130編成(クハ201-56以下10両)がケヨ74編成となった。なお、この2編成は209系500番台に置き換えられ、2008年12月に長野総合車両センターに廃車回送された。

[編集] 置き換え

[編集] 中央線快速・青梅線・五日市線

JR東日本では103系の置き換えに時間がかかったため、東中野事故の被災編成(ミツ6)を除いて全編成が2005年上半期まで在籍していたが、中央線快速などで使われている本系列は登場から25年以上が経過しており、特に同線では東京都山梨県にまたがる長距離高速運転や日中も走行する機会が多く、そのため累積走行キロが伸び、機器などの老朽化が進んだ。そのため、同社では2006年12月26日から後継車E233系688両を投入し、本系列714両中「四季彩」の4両を除く710両を置き換えることになった。2008年7月時点では予備車6+4両編成2本(H4,H7)、四季彩、クハ201-1のみとなっている[19]。青梅・五日市線用編成の廃車回送時は、中央本線の高尾以西の小断面トンネルを通過するため、パンタグラフをシングルアーム式のものに交換された車両もあった。ただし、同線三鷹~立川間の連続立体化工事(武蔵小金井駅で折り返すとき、一旦入庫する必要があるため、すぐに折り返せないことなど)で予備車が不足するため、同系列の投入完了後も10両編成2本[20]が残存しているが、工事が終了する2009年秋に同線での営業運転をすべて終了する予定であると東京新聞で報道された。

  • E233系の登場に伴い、編成番号の改称が行われた。まず、2006年11月から2007年3月18日までにT編成が改称された。ほとんどの編成が元の番号+100とされた(例・T1→T101)。2007年3月18日のダイヤ改正から、分割を伴う運用に本系列とE233系が共通に充当されるため、本系列のH編成7本を6+4から4+6に組み替えた。これらの編成は、同月下旬までにH1編成を除いて編成番号が振り直された。この組み替えの対象とならなかったH編成は同月下旬までにT編成に編入された。
  • 置き換えとの関連は不明だが、2005年以降、豊田電車区の6+4編成(H編成)の4・5号車の列車種別表示枠が撤去され、オリジナルに近い前面に戻された編成があった[21]
  • 青梅線・五日市線用の同系列の置き換えは2007年11月から2008年3月までに行われたが、4両編成の置き換えは2008年2月19日に一斉に行われた。
  • 基本的に編成単位で長野総合車両センターに廃車回送されたが、そうならなかったものは以下の通り。
    • 前述の通り、T32・130編成は京葉車両センターへ転出された。
    • 前述の通り、T110「2代目」編成は一旦長野へ回送後、全国新作花火競技大会での臨時列車に使用され、豊田へ戻らずにそのまま廃車された。
    • T116編成(クハ201-54以下10両)はサハ201-55を抜いた9両編成で廃車回送された。抜かれたサハ201-55は京浜東北線根岸線209系900番台(サハ209-901)などと同様に脱線試験で使用された。
    • T133編成(クハ201-60以下10両)はモハ201-141とモハ200-141を抜いた8両編成で廃車回送された。抜かれた2両は車両故障を起こした車両で、青70編成(クハ201-152以下6両)と共に先に廃車回送された。
    • H1編成(クハ201-1以下10両)は運用離脱後に組み替え、2007年3月の組み替え前の組成になり、6両編成が廃車回送された。しばらく豊田車両センターに留置された後、2008年6月に残った4両のうちクハ201-1以外の3両を青3編成に挿入した形で廃車回送された。なお、クハ201-1は現在も豊田車両センターに留置されている。

[編集] 京葉線
  • 先述の900番台について、老朽化が進んでいるなどを理由として、2005年10月に山手線からの205系転入車で置き換えられた。このうちクハ201-902とモハ201-903の2両は2005年10月14日に大宮総合車両センターで「地震での脱線想定負傷者救出訓練」に使用され、同月中に解体された[22]。なお、900番台と混結で2編成(ケヨ72・73編成)を組んでいた[23]残りの量産車は、組み合わせて1編成にされてケヨ72編成となり、ケヨ73編成は欠番となった。
  • また、京浜東北線・根岸線へのE233系1000番台投入により捻出された209系500番台の転入に伴い、2008年12月にはケヨ74編成(元豊田車両センターT130編成)、70編成(元豊田車両センターT32編成)、1月に71編成、2月に72編成が長野総合車両センターへ廃車を前提として回送された。これにより、JR東日本の所属車両からサハ201形が消滅することになる。
  • なお、廃車回送に際し、豊田車両センターの201系と同様にパンタグラフの交換を行った後に中央東線経由で自力回送されている。2月の72編成のみが日中に長野車両センターに到着するダイヤであった以外、夜に長野車両センターに到着するダイヤで回送されている。

[編集] JR西日本

[編集] 網干総合車両所

JR西日本の体質改善車(京都駅にて2005年1月4日撮影)
JR西日本の体質改善車(JR難波駅にて2008年6月7日撮影)
JR神戸線塚本駅に入線する車体未更新車(2004年8月8日撮影)

東海道山陽本線JR京都線JR神戸線)・湖西線福知山線(JR宝塚線)

2005年12月1日から2006年12月にかけて、網干総合車両所321系が投入されたため、本系列は2007年3月18日のダイヤ改正をもって定期運用を離脱し、後述の線区に順次転用されている。最終運用はC14編成(クハ201-92以下7連)であった。車体塗装色はスカイブルー(青22号)。

1998年から、座席モケットが207系に準じたシーマンブルーに変更されている[24]。また、スカート(簡易排障器)は1991年度にJR東日本とは違うものが取り付けられた。

弱冷車サボ受けが全車の片側2か所に設置された。施工時期によってビス止めタイプと溶接タイプがあったが、転属に前後して撤去され、2002年以降には屋根上のベンチレーター(通風器)の撤去がC4編成(クハ201-64以下7連)から順次行われ、2005年以降は体質改善工事施工車に限り同時施工された。

2003年11月からは、製造後30年の使用を目指して本格的に大阪環状線などの103系体質改善40N工事車に倣った「延命30N体質改善工事」(30N)も始まり、屋根の張上化・側窓の形状変更[25]、戸袋窓の埋め込み、フロントガラスおよび前照灯構造の灯火類ガラス内収納式への変更、回生ブレーキ能力調整、化粧板など内装アコモデーションの更新などである。ただし、103系より10年分短い更新であるためか荷棚や座席、妻窓は更新前と変わらない。また、1983年度までの製造分も以後のいわゆる軽装車も共通で上段上昇窓が取り付けられたため、前者では車体に新たな隙間ができることとなった。工事を受けた車両の車両番号標記は、国鉄時代の丸ゴシック体から、JR西日本独特の書体に変更されている。スカートは、2004年から従来型より大型で鉄板を厚くしたものにする工事が順次行われた。

体質改善工事施行前から、側面方向幕を従来の白地黒文字から103系などで使われている黒地白文字のものに交換した車両も存在する。交換は編成単位ではなく、編成内で幕が違うものも見られた。なお、前面方向幕の「高槻」のローマ字表記は、ほとんどが「TAKATSUKI」(ヘボン式)だったが、一部の車両で「TAKATUKI」(訓令式)になっていた。

車内には「明石電車区」の表記があるステッカーが貼付された消火器が搭載されている。これは体質改善工事後や転属後も消火器自体の期限切れまで交換されていない。

[編集] 特別編成

新造投入以来、他線区への転属までは7両編成 (TcMM'TMM'Tc') で運用されてきたが、阪神・淡路大震災後の特別編成で8両編成 (TcMM'TTMM'Tc') と本系列としては最長の12両編成(6+6の編成・TcMM'MM'Tc'+TcMM'MM'Tc')に組み替えられ、快速運用に入ったこともある。

和田岬線103系の代走として、サハを抜いた6両編成で運用されることもあり、本線での定期運用終了後にC32編成(サハ201を外した6連)が入線している。

2007年1月7日にC5編成(クハ201-65以下7連)が編成ごと方向転換された状態で営業運転に入った。当日は冬季の土曜だったため、運用上での女性専用車および弱冷車の表示位置の問題はなかった。


[編集] 森ノ宮電車区

←京橋 (大阪基準) 桜島・加茂→
クハ201 (Tc) モハ201 (M) モハ200 (M') サハ201 (T) サハ201 (T) モハ201 (M) モハ200 (M') クハ200 (Tc')
JR西日本所属の201系車体更新車、オレンジバーミリオン色・ラッピング広告車(2006年8月、鶴橋駅にて撮影)
大阪環状線で使われているオレンジバーミリオンとスカイブルー(現:消滅)の201系(2006年5月5日、鶴橋駅にて撮影)

森ノ宮電車区には8両編成16本が配置されている。

大阪環状線桜島線JRゆめ咲線)、関西本線大和路線

2005年12月15日からクハ201-62以下7連(旧C2編成)にサハ201-96(旧C27編成)を組み込んだ8両編成が検査周期の都合から旧来のスカイブルーのままで運用を開始した 。続いて、本来の車体色であるオレンジバーミリオンに塗装変更されたクハ201-64以下6連(旧C4編成のサハ以外)と旧C25編成のクハ201-136・クハ200-136を組み合わせた4+4の8両編成も登場した。

体質改善工事未施工であった車両は転用と同時に工事を受けており、2007年9月現在、森ノ宮電車区で使用されている車両はすべて体質改善車である。転入前に取り付けられた弱冷車表記の札の差し込み枠が全車両とも撤去され、ステッカー表記に変更された。方向幕は、JR西日本の標準である黒地白文字のものに交換されている。

当初は網干総合車両所に配置されていた本系列全車が転入の予定であったが、「TcMM'TTMM'Tc'」・「TcMM'Tc'+TcMM'Tc'」・「TcMM'MM'MM'T'c」の3種類の編成が存在して運用上の不便が生じたことから、一部が奈良電車区に配置されるよう転配計画が変更になり、2007年12月に「TcMM'TTMM'Tc'」に統一され、8両編成16本が配置されることになった。

車体塗装色はオレンジバーミリオン(朱色1号)である。ただし一部の編成は、スカイブルーのまま転入して運用を開始した。これらの編成のうち一部は、クハ201-137以下を皮切りにオレンジバーミリオンに塗り替えられ、2008年10月1日時点ではクハ201-62以下8連1本のみがスカイブルー[26]であったが、同編成もオレンジバーミリオンに塗り替えられ、これにより関西圏からスカイブルー塗装の201系は消滅した[27]。また、一部の編成では車体にラッピング広告が貼付されている。2006年8月以降、103系にはこのようなラッピング広告車はなく、本系列のみが対象とされている。

スカートの車両番号表記が消去されたものもあるが、2008年時点では順次、前面の車体左側黒い部分にヘルベチカで車両番号が表示されている。

基本的に大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)で運用されているが、ラッシュ時には関西本線(大和路線)でも運転されている。森ノ宮電車区の103系と共通運用であるため、転属してきた車両が増えた2006年夏頃から入線する回数が増えている。

201系の転入により、既存の103系は廃車または奈良日根野両電車区への転属が進められた。


[編集] 奈良電車区

←JR難波・放出 加茂・久宝寺→
クハ201 (Tc) モハ201 (M) モハ200 (M') モハ201 (M) モハ200 (M') クハ200 (Tc')
関西本線(大和路線)で運転されている201系6連

奈良電車区には6両編成16本が配置されている。

関西本線大和路線)、桜井線和歌山線おおさか東線

103系6両編成を置き換えの目的で、2006年12月から順次配属されており、塗色は本系列では初めてとなるウグイス色(黄緑6号)で、103系に引き続き先頭車の前面には白色の警戒帯が配されている。編成は明石時代の編成からサハを外したものである。103系は偶数向き先頭車がJR難波方先頭だが、本系列は奇数向き先頭車(クハ201形)がJR難波方先頭となっている[28]

最初の編成は大和路線での試運転後、同月20日から営業運転を開始した。最終的には置き換え前の103系より2本多い16本96両となった。2008年3月15日に開業したおおさか東線でも、103系と同一の運用で線内の普通列車に使用されている[29]

転入時から前面のスカート部への車両番号表記が省略されていたが、その後順次、前面左側の窓下部分に編成番号の表示が追加されている。

同区所属の103系の6両編成の編成番号は「NS6xx」であったが、201系では「ND6xx」と付番されている。

221系と同様、EB・TE装置取り付けの際に警笛がタイフォンからホイッスルに変更されている。

[編集] その他

2008年テレビ神奈川(tvk)『saku saku』の人気コーナー"みんなでうた"において豊田電車区所属車("旧車両"と表記)をテーマにした歌「中央線旧車両に捧げるうた」が発表された。(画像中には"真オレンジ"つながりで101系103系高運転台車両もアップされていた)[30] また、2008年度みんなでうたおうZ大賞を受賞した。[31]

[編集] 脚注

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  1. ^ 中央緩行線でも運用。
  2. ^ その後、1990年3月10日のダイヤ改正からは富士急行線河口湖まで直通する列車も設定される。
  3. ^ リレー・スイッチ類を内蔵する。
  4. ^ 1970年代初頭の段階で、電機子チョッパ制御は高加減速性能が要求され、最高速度が遅く、しかも発熱を極力抑えることが求められる地下鉄用には好適であるが、高速運転する近郊電車には向かない方式であると評価されていた。
  5. ^ 1974年(昭和49年)には103系を用いたチョッパ制御器の現車試験によって実用可能であることが確認されていた。
  6. ^ 定格回転数1630rpm〈全界磁〉、最高回転数4320rpm。
  7. ^ 定格回転数1330rpm〈85%界磁〉、最高回転数4400rpm。
  8. ^ なお、定格出力・定格速度が高いため弱め界磁は45%までとしている。
  9. ^ JR東日本ではATS-P導入時に非常抜き取り対応のME48Pへの交換が実施された。
  10. ^ 行先表示器設置箇所は下段上昇・バランサーなし上段下降式。
  11. ^ これはその後他系列でも更新や新造の際に採用した車両も存在する。
  12. ^ 富士急行線の地上設備側の制約により、6両編成+4両編成による10両編成中の4両付属編成のみ乗り入れを実施。
  13. ^ 一部の間合い線内運用を含む。
  14. ^ このステッカーはこの他横浜線南武線の車両にも見られるほか、JR東日本の駅構内の飲食店などの施設の自動ドアにも張られていることがある。
  15. ^ 中央線快速用は高尾寄りが6両編成、青梅・五日市線用は奥多摩寄りが4両編成である。
  16. ^ 中央線快速用とは異なり青地のものを使用しており、裏面に「青梅・五日市線用201系 中央線快速には使用できません」の注意書きが表記されている。
  17. ^ 展望型電車「四季彩号」の“さよなら運転”を行ないますPDF (258.51 KiB JR東日本プレスリリース)
  18. ^ 103系と本系列の幕に互換性はない。
  19. ^ http://railf.jp/news/2008/06/20/105300.html
  20. ^ それらはいずれも6+4編成であるが、分割せずに10両固定運用で使用する。
  21. ^ 晩年、特別快速の河口湖や武蔵五日市などへの分割時には中間車への特別快速の表示がなかったが、これも新車投入を見越したものとされる。
  22. ^ 実車の解体日の方が書類上の廃車日より早かった。
  23. ^ 先頭車の一方が制御電動車(Mc'、クモハ200形)で床下に充分な空きスペースが無く、ATS-Pが搭載が難しく、ATS-Pが首都圏で本格導入された1989年頃から試作車編成の先頭車両を量産車の中間に組み込んで使用していた。
  24. ^ クッションの素材は異なるものである。
  25. ^ 下段は固定1枚窓、上段は2分割上昇窓とし、外観は都市バスタイプとなった。
  26. ^ 所属基地の表記は大阪支社森ノ宮電車区を示す「大モリ」に書き換えられている。
  27. ^スカイブルーの201系,関西から消滅」交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2008年12月26日
  28. ^ 天王寺駅で見れば車両の向きは森ノ宮区配置の201系と同一となる。
  29. ^ おおさか東線開業に伴い所要増となったため予定より配置が2本増加したにもかかわらず、103系6両編成の完全置き換えには至らなかった。
  30. ^ sakusaku 中央線旧車両に捧げるうた(YouTube)
  31. ^ sakusaku 090326 みんなでうたおうZ大賞 ~中央線旧車両に捧げるうた(YouTube)

[編集] 参考文献

  • 交友社鉄道ファン』2005年2月号 No.526 特集:201系四半世紀の歩み
  • 特集:201系四半世紀の歩み〔補遺〕(交友社『鉄道ファン』2005年5月号 No.529 p140~p145)
  • 電気車研究会鉄道ピクトリアル
    • 1996年3月号 No.618 特集:中央快速
  • 「平成19年3月18日ダイヤ改正で変化した 中央快速線の分割運用」(交友社『鉄道ファン』2007年6月号 No.554 p70~p71)
  • 直流電車研究会『直流用 新型電車教本』(第18版、交友社、1997年)

[編集] 外部リンク

[編集] 関連項目

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