姨捨駅
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| 姨捨駅 | |
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駅舎
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| おばすて - Obasute | |
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◄冠着 (5.9km)
(8.7km) 稲荷山►
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| 所在地 | 長野県千曲市大字八幡字姨捨 |
| 所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
| 所属路線 | ■篠ノ井線 |
| キロ程 | 54.2km(塩尻起点) |
| 電報略号 | ステ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 2面2線 |
| 開業年月日 | 1900年(明治33年)11月1日 |
| 備考 | 無人駅 スイッチバック駅 標高:547m |
姨捨駅(おばすてえき)は、長野県千曲市大字八幡字姨捨にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)篠ノ井線の駅である。
目次 |
[編集] 概要
- 駅舎は大正デモクラシーの時代の設計であり昭和2年に完成したものである。
- 眼下に見下ろす善光寺平は絶景で、根室線狩勝峠、肥薩線矢岳駅と共に日本三大車窓の一つに数えられる。なお姨捨地区からの景観は上高地や天竜峡、寝覚の床、光前寺庭園と並び長野県下にある国指定の名勝5ヶ所の内の一つでもある。
- また日本経済新聞社の2007年アンケート「足を延ばして訪れて見たい駅」の全国第2位にランクされた。なお1位は北九州市門司港駅、3位が霧島市嘉例川駅で東京駅は4位。
- 2008年には全国に数ある月の名所の中から姨捨が第一位の「お月見ポイント」に選ばれた。なお高知県桂浜や滋賀県石山寺とともに従来から日本三大名月に数えられてはいた。
- 夜景100選に選ばれている長野自動車道の姨捨サービスエリアまでは当駅から約200m(徒歩だと1km)。ほぼ同じ眺望を共有する。
- 駅付近は雪、桜、新緑、田植、稲刈、紅葉、夜景など季節毎にカメラマニアがお気に入りの列車通過時刻とアングルを狙って待ち構える姿が目をひく。
- 見下ろす盆地は全て、甲越両軍が12年にわたり5たび繰り返したと伝えられる、川中島の戦いの戦場であった。麓の武水別神社には上杉謙信が武田信玄の討滅を祈願したと伝えられる。
- 駅直下には長楽寺があり境内には芭蕉来訪から約80年後に建碑のおもかげ塚など多くの歌碑や句碑、月見堂、伝説の姥岩、天然記念物となっている桂の大木がある。
- 棚田の周辺には小規模ながら古墳が散在する。駅南側の踏み切りを渡って左側に入った小古墳上のベンチからの景観は穴場。
- 平成初め頃までは構内に売店があり、委託として硬券の乗車券が販売されていたが、店主の引退に伴い売店が閉店となり、完全に無人駅となる。
[編集] 駅構造
- 一駅一名物:松尾芭蕉句碑
[編集] 駅周辺
- 姨捨山
- 姨捨棚田(田毎の月)
- 長野自動車道姨捨SA
- 宝光院長楽寺 駅から北方向約500mの下りで蕎麦店「姨捨観光会館楽月庵」あり。徒歩で約100mの下りコースもある。
- 姨捨公園
- 姨捨孝子観音(冠着神社里宮) 駅から南方向約500mの下りで蕎麦店「さらしなの里展望舘」あり。
- 国道403号沿い千曲川展望公園
- 桜清水
- 縄文遺跡さらしなの里・歴史資料館
[編集] 歴史
- 1900年(明治33年)11月1日 - 国鉄篠ノ井線 篠ノ井駅 - 西条駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1960年(昭和35年)6月1日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
[編集] 駅名の由来
- 姨捨という地区名による。
- 姨捨というのは、70歳を過ぎた母を山へ捨てに行くという棄老伝説の言い伝えによる。
[編集] その他
- 休日は駅からの写真を撮る人が多い。
- 近年は姨捨発着の臨時列車の設定が盛んで、平成20年5月には豊田車両センターの201系四季彩号を使用した「姨捨フォトトレイン四季彩号」、平成21年5月には高崎車両センターの旧型客車を使用した「快速ナイトビュー更科号」が設定(前年にも更科ロマン号として設定実績あり)された。いずれの列車も客扱い終了後は一旦聖高原まで回送され、定期列車を退避している。
- イベント列車の運転時には多くの人や車が集結するが、駅周辺の駐車場は少なく、駅前の道は狭い上、路線バス(地域振興バス)の運転もある為、交通に支障が出るケースや違法駐車も目立つ。(近年、このような時はJR長野支社による交通誘導が実施されている)違法駐車は警察の取締りが行われるので注意が必要。このような時は列車での来駅が望ましい。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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