南武線
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南武線の主力車両205系
(2007年1月5日 稲田堤駅 - 中野島駅間) |
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| 路線総延長 | 45.0 km |
| 軌間 | 1067 mm |
| 電圧 | 1500 V 架空電車線方式(直流) |
| 最高速度 | 95 km/h |
南武線(なんぶせん)は、神奈川県川崎市川崎区の川崎駅と東京都立川市の立川駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。そのほか以下の支線を持つ。
- 神奈川県川崎市幸区の尻手駅と同市川崎区の浜川崎駅を結ぶ支線(通称「浜川崎支線」、旅客案内上は「南武支線」)[1]。
- 尻手駅から新鶴見信号場を経由して神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅を結ぶ支線(通称「尻手短絡線」・旅客営業なし)。
目次 |
[編集] 概要
東京地区の電車特定区間(E電)の路線の一つであり、神奈川県の川崎駅と東京都の立川駅を結ぶ路線で、川崎市をその細長い形に沿うように貫く動脈である。ラインカラーは黄色(■)であり、走行する車両の車体色の一部に用いられている。
川崎縦貫高速鉄道の建設が計画されているが、現在のところ、川崎市内においては、川崎駅付近や臨海地区などの南部地域と多摩区などの北部地域を結ぶ唯一の交通機関である。東京都心や山手線各駅から郊外に延びる複数の放射状路線と交差する環状路線(フィーダー線)の一つとなっており、京葉線・武蔵野線と連続する東京の外環状線の一部を構成している。また、川崎駅の隣の尻手駅からは、鶴見線・東海道貨物線の浜川崎駅へと伸びる支線(通称「浜川崎支線」)と、品鶴線の新鶴見信号場へと伸びる支線(通称「尻手短絡線」)が存在する。
多摩川とは距離は多少離れるが全線で並行し、右岸を走る南側では多摩丘陵東端に沿って多摩川の氾濫原を走る。多摩川を渡った北側では立川崖線を登り、武蔵野台地上を走る。堤防は稲城市内の高架線や登戸駅付近で見える。川崎市内では二ヶ領用水とも並行し、その本川および川崎堀とは中野島駅・宿河原駅・久地駅・武蔵小杉駅・平間駅の各駅付近で計5回交差する。
本路線の線路は立川駅では中央本線や青梅線と接続しており、貨物列車や臨時列車で頻繁に使われていたが、本数は激減している。川崎駅においても、京浜東北線北行の線路とつながっているが、保安システムの関係上、入線は不可能であり、また長い間使われていないため線路の劣化が激しい。東海道本線や横須賀線へ車両を回送する際は尻手駅からの浜川崎支線、東海道貨物支線経由で鶴見駅や品川駅へ出る[2]。また、府中本町駅では武蔵野線と旅客ホームを経由しない形態でつながっている。かつては向河原駅からも東海道貨物支線へ分岐線が延びていたが、1973年に廃止されている。
2008年、JR東日本が発表した長期経営計画「グループ経営ビジョン2020 -挑む-」において、横浜線・武蔵野線・京葉線とともに「東京メガループ」を形成し、サービス向上に努めていくことが発表された[3]。これに関連し、2011年4月より快速列車が32年半ぶりに復活した(詳細は後述)[4]。
旅客営業を行う全区間が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。
[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):全長45.0km
- 軌間:1067mm
- 駅数:29
- 複線区間:
- 川崎駅 - 立川駅間
- 八丁畷駅 - 浜川崎駅間
- 八丁畷駅 - 川崎新町駅間は東海道貨物線用の複線と南武線用の単線との三線区間。
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 保安装置:ATS-P
- 最高速度:
- 川崎駅 - 立川駅間 95km/h
- 尻手駅 - 川崎新町駅間(浜川崎支線) 85km/h
- 川崎新町駅 - 浜川崎駅間(浜川崎支線) 95km/h
- 尻手駅 - 新鶴見信号場間(尻手短絡線) 85km/h
- 運転指令所:東京総合指令室
- 列車運行管理システム:東京圏輸送管理システム (ATOS) …川崎駅 - 立川駅間
- 車両基地:中原電車区(武蔵中原駅)
神奈川県内である川崎駅 - 稲田堤駅間および浜川崎支線・尻手短絡線がJR東日本横浜支社、東京都内の矢野口駅 - 立川駅間が同社八王子支社の管轄となっている。
[編集] 沿線概況
| 停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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沿線の川崎市中原区を中心とした一帯には、キヤノン・NEC・富士通・東芝などの電機・情報技術関連企業やその子会社の多くの工場、ミツトヨの本社、かながわサイエンスパーク (KSP) が立地している。近年では、川崎市の公報を中心に南武線を“ハイテクライン”と呼ぶこともある[6]が、定着にはいたっていない。また川崎競馬場・川崎競輪場(川崎駅)・京王閣競輪場(京王相模原線・京王多摩川駅)・多摩川競艇場(西武多摩川線・競艇場前駅。府中本町駅からは送迎バスあり)・東京競馬場(府中本町駅)・立川競輪場(立川駅)などの公営競技の施設も沿線に多く、東京競馬場の競馬開催日には競馬場利用客で混雑するため、臨時列車を運行することもある。
全体の線形は比較的良く、線内の最高運転速度は95km/h。ただし、駅間が短く、半径400m級の曲線も多いため、最高速度で走行する区間は限られる。駅間が特に短い武蔵溝ノ口駅 - 登戸駅や南多摩駅の前後では半径300m - 400m級(制限60km/h - 75km/h)の曲線区間が連続し、高速運転の支障になっている。
[編集] 本線
[編集] 川崎駅 - 武蔵小杉駅間
東海道線・京浜東北線と接続する起点駅・川崎駅を発車すると間もなく川崎市幸区から川崎区に入るが、右手にキヤノン川崎事業所が現れ右にカーブし東海道線・京浜東北線から分かれると再び幸区に戻る。カーブを抜け北西を向き、住宅街に入ると右にカーブし北を向き横浜市鶴見区に入るが、右手から浜川崎支線が合流し国道1号(第二京浜)を跨いだところで三度川崎市幸区に戻り尻手駅に到着。駅北側には川崎市地方卸売市場南部市場がある。尻手駅を発車すると再び横浜市鶴見区に戻り、間もなく尻手短絡線が分かれる。そこから0.5km程走ったところが矢向駅。構内に横浜市鶴見区と川崎市幸区の市境がある。かつて矢向電車区が所在し、現在も車掌の交代が当駅で行われる。駅東側・西側共に住宅街だが駅北側には工場が多い。発車し工場群を抜けると再び住宅街となる。鹿島田駅周辺は駅南側を中心に再開発が進んでおり、0.3km程西進したところに横須賀線・湘南新宿ラインの新川崎駅がある。また鹿島田駅から0.5km東側の国道409号(府中街道)から南武沿線道路が分かれる。鹿島田駅を発車すると国道409号と交差、間もなく二ヶ領用水(川崎堀)を渡り中原区に入る。
平間駅は東側・西側共に住宅街だが、西側に三菱ふそうトラック・バス川崎製作所・技術センターがある。向河原駅西側には日本電気 (NEC) 玉川事業場があり、1番ホームにはSuica専用の専用改札口がある。向河原駅を発車すると左にカーブし西を向き品鶴線(横須賀線・湘南新宿ライン)と東海道新幹線を潜り、横須賀線・湘南新宿ライン・東急東横線・東急目黒線と接続する武蔵小杉駅に到着。かつては中原街道の小杉宿(継立場)であり丸子の渡しがある交通の要衝であった。川崎市の第三都心に指定されており官公庁の施設や商業施設が多い。前述の各路線が乗り入れることなどから、駅周辺の工場群跡地などを中心に再開発が進んでいる。
[編集] 武蔵小杉駅 - 登戸駅間
武蔵小杉駅を発車すると高架を上り再び国道409号・二ヶ領用水(川崎堀)を跨ぐ。右にカーブし北西を向き右手には南武沿線道路が現れる。神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線(中原街道)を跨ぐと武蔵中原駅。南武線の列車運行の基点である。駅北側には富士通川崎工場があり、南側は住宅街である。武蔵中原駅を発車すると左手に中原電車区を見下ろし間もなく武蔵新城駅。ここで高架を下り高津区に入り第三京浜道路を潜る。左手に富士通ゼネラル・洗足学園大学を見ると間もなく武蔵溝ノ口駅。かつては矢倉沢往還の溝口宿であり、多摩川の二子の渡しで栄えた交通の要衝である。現在は東急田園都市線・大井町線溝の口駅と接続し多くの路線バスが発着しており、川崎市の副都心として駅北側・南側共に官公庁の施設や商業施設が立ち並んでいる。
武蔵溝ノ口駅を発車すると東急田園都市線を潜り左にカーブし、国道246号(厚木大山街道)を潜ると右へカーブする。平瀬川を跨ぐと津田山駅に到着。駅南側には緑ヶ丘霊園があり、駅周辺には霊園関係の店が多い。また緑ヶ丘霊園は桜の名所であり、春には多くの花見客で賑わう。津田山駅を発車すると右手に三菱自動車津田山オートスクエア、左手に子ども夢パークを見ながら右にカーブし、続いて左にカーブすると並行していた南武沿線道路が分かれ久地駅に着く。同駅を発車すると神奈川県道・東京都道9号川崎府中線(府中街道)・二ヶ領用水を相次いで跨ぎ多摩区に入る。神奈川県道・東京都道9号川崎府中線のバイパス・東名高速道路を潜り、多摩川の旧堤防の上を走るS字カーブで宿河原駅。この付近は桜並木で知られる二ヶ領用水(宿河原用水)を跨ぐ。桁下の低い歩行者専用のアンダーパスもある。
間もなくS字カーブを抜けると登戸駅に到着する。登戸駅 - 宿河原駅間には小田急小田原線との連絡線が向ヶ丘遊園駅方面に向けて1936年1月認可で設置され、戦前は府中の競馬輸送や江ノ島の海水浴輸送での電車の貸し借りに使用したり、多摩川の砂利の東京方面への輸送や相模川の砂利の京浜工業地帯への輸送に使用したりしたほか、戦後も戦災で不足した車両を貸し借りするなど、戦後しばらくまで残ったが、正式には1967年3月に廃止された[7]。
登戸駅は武蔵溝ノ口駅周辺と並に川崎市の副都心に指定されており、接続する小田急小田原線の3線化工事に合わせて橋上駅舎となっている。現在は駅南側に小田急小田原線向ヶ丘遊園駅まで小規模な商店街が延びているのみだが、今後登戸駅・向ヶ丘遊園駅を中心に再開発が進められる予定である。
[編集] 登戸駅 - 府中本町駅間
登戸駅を発車すると小田急小田原線を潜り、東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(津久井道)を潜ると右にカーブする。0.8km程走り左にカーブすると中野島駅。この先で二ヶ領用水・三沢川を相次いで跨ぎ稲田堤駅に到着。駅西側に商店街が南北に延びるが、接続する京王相模原線(京王稲田堤駅)が0.4km西側にあるため他の接続駅と比べて賑わいは少ない。稲田堤駅を発車すると右にカーブ、京王相模原線を潜る。この先で高架を上ると神奈川県を抜け東京都稲城市に入る。東京都道・神奈川県道19号町田調布線(鶴川街道)を跨ぐと矢野口駅。現在東京都道・神奈川県道19号町田調布線(鶴川街道)・神奈川県道・東京都道9号川崎府中線(府中街道)の踏切解消を目的とする矢野口駅 - 府中本町駅間の高架化工事が行われており、高架化後は稲城市による土地区画整理事業が行われる[8]。発車すると左にカーブし西を向き、0.7km程走ったところで稲城大橋を跨ぐと高架を下る。
右にカーブし再び北西を向くと稲城長沼駅に到着する。稲城市の代表駅[9]であるが官公庁の施設や商業施設は1.0km程南側の京王相模原線稲城駅周辺に多く、稲城長沼駅北側に商店街が延びるのみである。稲城長沼駅を発車すると長い留置線が現れるが、それは戦前に駅周辺の弾薬庫や火薬工場からの貨物取扱があったためである[10]。留置線が消え左へカーブし西を向くと神奈川県道・東京都道9号川崎府中線(府中街道)と交差し南多摩駅。南多摩駅は市街地の西端にあり、サントリー食品工業本社(南多摩工場)・日本フイルコンなど工場が多い。また並行して流れる大丸用水は桜の名所であったが高架化工事において事業用地とされ、すでに伐採されている。
南多摩駅を発車すると右にカーブして北西を向き、左手に富士通南多摩工場跡地を見る。富士通南多摩工場跡地が見えなくなると多摩丘陵の崖の下を走る。ここは下り線のみであるが南武線唯一のトンネルがあった場所である。右にカーブして北を向くと、トンネルを抜けた武蔵野線(貨物線)と並走しながら多摩川を渡り府中市に入る。橋を渡り終えると左にカーブし北西を向き、続いて中央自動車道を潜り右にカーブし再び北を向く。右手に東京競馬場の連絡通路が現れると上り線が地下に潜り、武蔵野線との接続駅である府中本町駅。府中本町駅は市街地の南端にあり、駅東側には東京競馬場・大國魂神社があり休日などには混雑する。
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矢野口駅付近で鶴川街道と立体交差する高架橋(2008年08月16日)
[編集] 府中本町駅 - 立川駅間
府中本町駅 - 立川駅間は中央本線・青梅線と武蔵野線を結ぶ短絡線の役割もあり、終日旅客列車の合間を縫って貨物列車も多数運転されている。
府中本町駅を発車すると東京都道18号府中町田線(鎌倉街道)を潜り、武蔵野線が分かれ左に大きくカーブし西を向く。右手から上り線が地上に出て合流すると下河原線の廃線跡である緑道を潜り右手は林となる。分倍河原駅は多摩川の氾濫原と武蔵野台地の境の崖下にあり、京王線と接続するため乗り換え客が多いほか、駅周辺には東芝府中事業所・NEC府中事業場があり、2番ホームには専用改札口が設置されている。分倍河原駅を発車すると京王線を潜り切り通しとなり、勾配を上り右にカーブし北西を向く。切り通しを抜けたところで東京都道18号府中町田線のバイパスを跨ぐと右手には空き地が続く。2009年3月14日にこの地点に西府駅が開業した。現在は駅周辺で区画整理事業・道路新設工事が進められている。
間もなく右にカーブし北を向き国道20号(甲州街道)を潜ると、国立市に入る。左にカーブし再び北西を向き谷保駅に到着。駅北側からは東京都道146号国立停車場谷保線(大学通り)が延び一橋大学・桐朋中学校・高等学校など教育施設が多く立ち並び、2.0km程北進したところに中央線国立駅がある。駅南側には東日本最古の天満宮である谷保天満宮がある。谷保駅を発車し、間もなく右手に国立市役所が現れる。左にカーブし西を向きながら勾配を下り、0.5km程走ると矢川駅。右に大きくカーブし北を向き立川市に入る。切り通しを抜け右にカーブすると西国立駅。駅東側にはかつて立川機関区が所在したが、現在は再開発が完了し住宅街となっている。西国立駅を発車すると東京都道145号立川国分寺線と交差し左にカーブし西を向く。右手から中央線が合流し東京都道・埼玉県道16号立川所沢線(立川通り)を跨ぎ、終点の立川駅に到着。立川駅はかつて日本国有鉄道東京西鉄道管理局が所在し、現在も中央線(中央本線)・青梅線・多摩都市モノレールが接続する交通の要衝であり、駅周辺は多摩地域一の繁華街である。また、駅北側・南側共に官公庁の施設や大規模商業施設が立ち並んでいる。
[編集] 浜川崎支線
住宅街の中にある尻手駅を出ると、すぐに国道1号(第二京浜)を越え、本線と分かれて単線で高架上をしばらく直進し、間もなく京浜東北線・東海道線を直角に越える。右手から来る鶴見駅からの東海道貨物線の複線が近づき並行すると、京急本線との接続駅である八丁畷駅に着く。南武線の八丁畷駅は1面1線のみのホームで、南武線のホームが京急の跨線橋の一部になっている。
八丁畷駅を出ると国道15号(第一京浜)の上を通過する。カーブに差し掛かり、緩やかな勾配を下ると、川崎新町駅に到着する。同駅構内で南武線の線路と東海道貨物線の線路が合流している。
川崎新町駅を出発すると複線区間となり、東海道貨物線と線路を共用する。ほぼ直進し浜川崎駅手前で渡り線を渡ると間もなく首都高速横羽線・産業道路の陸橋をくぐり、終点の浜川崎駅に到着する。南武線の駅舎から道路を挟んだ反対側に鶴見線の旅客駅があり、乗り換える利用客は一度改札を出る必要がある。また旅客駅の南側に貨物駅があり、南武線・鶴見線の双方から入出場可能となっている。
[編集] 尻手短絡線
貨物専用の尻手短絡線は尻手駅を出ると、立川駅方面への本線の左側に300mほど並行した後、本線と分かれて単線となって住宅街の中を北西に進む。踏切を6つ通過すると、品鶴貨物線と並行する横須賀線の高架をくぐり、高架下にある最後の踏切を通過して品鶴貨物線に合流し、新鶴見信号場に至る。なお新鶴見信号場 - 鶴見駅間は品鶴線および武蔵野線との重複区間となっている。
[編集] 運行形態
2011年4月9日現在、各駅停車と快速が運転されている。本線・支線ともに定期営業旅客列車において他路線との直通運転は行っていない。列車番号の末尾につく英字は本線が"F"で、支線が"H"である。
2011年3月12日のダイヤ改正から快速が運転を開始する予定であったが、前日の3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)およびこれに伴う東京電力からの電力供給不足などの影響により、運転開始の予定が4月9日まで延期されていた(後述)。
南武線の輸送量は、全体的な傾向において立川駅寄りより川崎駅寄りで多いため[11]、全線通しの電車のほか、日中以外は川崎駅 - 武蔵溝ノ口駅・登戸駅・稲城長沼駅間の区間運行が多数設定されている。これ以外にも、入出庫に伴う武蔵溝ノ口・武蔵中原発の登戸行き・稲城長沼行き・立川行きの電車や、登戸発立川行きの電車が1日に数本ある。車両基地(中原電車区)が武蔵中原駅構内にあり、朝のラッシュ後と終電近くには下り武蔵中原駅発着も多数設定されている。早朝と夕ラッシュの1時間30分前には武蔵中原始発の川崎行きもある。また、矢向駅と西国立駅には留置線があり、1日数本のみ始発電車が存在する(ただし両駅ともに終着電車はない)[12]。
運行本数(川崎側)は、平日は朝が2 - 4分間隔、昼間が10分間隔、夕方が4 - 6分間隔、土曜・休日は朝が5 - 6分間隔、昼間が8 - 9分間隔、夕方が7 - 8分間隔であり、日中は平日より土曜・休日の方が本数が多くなっている。
浜川崎支線では、線内でワンマン運転を行う2両編成の電車が折り返し運転を行っている。川崎区内は路線バスの本数が多いこともあり、こちらは昼間は1時間に1 - 2本のダイヤであるが、朝夕には本数が増え、平日・土曜日の沿線工場への通勤客を中心に利用されている[要出典]。
また、尻手駅 - 浜川崎駅間は、浜川崎駅で接続する鶴見線沿線にある工場からの貨物列車が終日旅客列車の合間を縫って多数運転されている[要出典]。
[編集] 快速運転
2010年9月、JR東日本から2011年3月12日のダイヤ改正より日中に1時間あたり2本の快速を運転することが発表された。定期列車としては32年半ぶりの復活となった。停車駅は、川崎駅・鹿島田駅・武蔵小杉駅・武蔵中原駅・武蔵新城駅・武蔵溝ノ口駅と登戸駅 - 立川駅間の各駅で、所要時間は川崎駅 - 登戸駅間で各駅停車より5分短縮される[4]。快速運転区間内では先行する各駅停車の連絡、追い越しは行わず、日中に毎時2本増発される川崎駅 - 登戸駅間の各駅停車と登戸駅(快速運転区間の終端)で接続を行うダイヤになり、快速通過駅でも2011年3月11日以前と同水準の運行本数が確保されている。快速運転の準備のため、車両の方向幕・LEDのシステム変更が行われ、快速表示が可能になった[要出典]。
ただし、快速と接続する川崎駅 - 登戸駅間の各駅停車が登戸駅の2番線に発着することから、下りの登戸行き列車から登戸駅で続行の下り快速に乗り継ぐ際には跨線橋を渡っての乗り換えを強いられることになる[13]。武蔵溝ノ口駅 - 登戸駅間で快速が通過する津田山駅・久地駅・宿河原駅から登戸行きの列車に乗車し、登戸駅以北に移動する場合にこの影響を受けることとなる(武蔵溝ノ口駅以南の快速通過駅から快速に乗り換える場合は武蔵溝ノ口駅までに同一ホームで続行の快速に乗り換えられるのでこの影響は受けない)。
前述の通り2011年3月12日に快速運転開始によるダイヤ改正を実施する予定だったが、この前日(3月11日)に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で中止。さらに、3月14日から東京電力が福島第一原発などの発電所停止に伴う計画停電を実施したため、再度延期された。4月5日、JR東日本横浜支社は電力状況の改善を理由に4月9日から快速運転開始を含むダイヤ改正を実施すると発表し、同日より運転が開始された。ただし6月24日から9月9日にかけて節電ダイヤが適用されたため、平日の快速運転は中止された。
下りでは、快速運転が終了する登戸駅からは駅・車両の行先案内ともに「快速」の表示は消え、各駅停車と案内される[要出典]。この方法は、京浜東北・根岸線や中央線の快速においても採用されている。なお上りは、全区間において「快速」を表示する。
[編集] 国鉄時代の快速
かつて南武線には、旧国鉄時代の1969年(昭和44年)12月15日から1978年(昭和53年)10月1日まで川崎駅 - 登戸駅間において快速が運行され[14][15]、武蔵小金井電車区(現在の豊田車両センター武蔵小金井派出所)所属の101系(朱色)を使用し、10時台から15時台まで毎時1本・1日6往復の運行であった[要出典]。途中停車駅は乗り換え駅である武蔵小杉駅と武蔵溝ノ口駅の2駅のみであり、川崎行の快速は始発駅である登戸において中野島駅方面からきた各駅停車と接続をしてから発車していたが、快速運転区間において途中駅での追い抜きが行われていなかったため快速と各駅停車との列車間隔が開いていた[要出典]。一方、登戸行は武蔵中原駅での追い抜きが行われていたが、一部の快速は武蔵溝ノ口駅で立川方面行の各駅停車と接続していた。この快速運転は、前述した通り快速と各駅停車との間隔が開くなど旧社会党が運転中止を求めるなどしていたが[16]、旧国鉄によると、旧型車から101系への車両置き換えが完了して各駅停車の速度が向上したことを理由に中止された。
神奈川県知事などから成る「神奈川県鉄道輸送力増強促進会議」はJR東日本に対して快速運転の要望を継続的に行っているが、2007年度要望に対してJR東日本は回答を行っていなかった[17]。
[編集] 臨時快速
臨時列車では2000年から2006年にかけ、快速「川崎-奥多摩ハイキング号」が毎年のレジャーシーズン限定で運行されていた[要出典]。南武線内の停車駅は川崎駅・武蔵小杉駅・武蔵溝ノ口駅・登戸駅・立川駅である[要出典]。府中本町駅に停車したこともあったが、後に中止された[要出典]。下りは武蔵溝ノ口駅で、上りは武蔵中原駅で各駅停車を追い越す。2003年からは201系「四季彩」(4両編成)が使用された[要出典]。
また、2008年および2009年7月には、快速「お座敷もも狩りエクスプレス号」が運転され、南武線内は武蔵小杉駅・武蔵溝ノ口駅・登戸駅・府中本町駅に停車した[18][19]。
[編集] 貨物列車
貨物列車は本線の川崎駅 - 尻手駅間をのぞく全線で運行されている[要出典]。ただし、尻手駅 - 立川駅間を通して運行されている列車は少なく、1日1往復の安善駅と拝島駅(南武線浜川崎駅 - 立川駅経由)を結ぶジェット燃料輸送列車(通称「米タン」)および、1日1本の川崎貨物駅から南松本駅へ向かう石油輸送列車(いずれも専用貨物列車)のみとなっている[要出典]。
府中本町駅以北に限れば、南武線の府中本町駅 - 立川駅を経由して武蔵野線と中央本線を結ぶ高速貨物列車が1日1往復、専用貨物列車は下り列車が1日7本、上り列車が1日8本運行されている[要出典]。高速貨物列車はコンテナ車のみで構成されていたが、近年は石油輸送用タンク車との併結が多い[要出典]。専用貨物列車は石油輸送用タンク車で編成されている[要出典]。
かつては奥多摩駅を発着する青梅線直通の石灰石輸送列車が運行されていたが、1998年8月13日限りで運転を終了し[20]、10月3日のダイヤ改正で廃止された[要出典]。
浜川崎駅 - 八丁畷駅間では、並行して鶴見駅と東京貨物ターミナル駅を結ぶ東海道貨物支線(東海道貨物線の一部)がおり、浜川崎駅 - 川崎新町駅間では線路を共用している。この区間はとりわけ東京の物流拠点である東京貨物ターミナル駅と関西・九州方面を結ぶ高速貨物列車が多く運行されている[要出典]。また、尻手短絡線を利用し、浜川崎駅、さらに先の東海道貨物支線の東京貨物ターミナル駅方面と武蔵野線方面を結ぶ列車も多数運行されている[要出典]。貨物列車の運行がほとんどの尻手短絡線はもちろんのこと、旅客列車の運転されている尻手駅 - 浜川崎駅間においても運行本数は貨物列車のほうが断然多く、輸送障害時には旅客列車よりも関東と東北方面・西日本各方面を結んでいる長距離貨物列車を優先して通すことがしばし見受けられる[要出典]。
[編集] 優等列車
開業以来、特急・急行の運行が無かった南武線であるが、2009年5月16日・17日に立川駅 - 伊豆急下田駅間で、臨時特急「リゾート踊り子」が運転された[21]。運行経路は、以下の通り。なお、同年7月11日・12日と9月26日・27日・11月14日・15日にも運転され、2010年も1月9日 - 11日・5月15日・16日に運転された。また2011年2月18日・25日にも運転がされるがこの両日は、伊豆急下田方面への片道運転である。南武線内は、府中本町駅・登戸駅・武蔵溝ノ口駅・武蔵小杉駅に停車する。
- 「リゾート踊り子」の運行経路
- 立川駅 - (南武線)- 尻手駅 - (浜川崎支線) - 浜川崎駅 - (東海道貨物線) - 鶴見駅 - (東海道本線) - 熱海駅 - (伊東線) - 伊東駅 - (伊豆急行線) - 伊豆急下田駅
[編集] 車両
[編集] 本線
[編集] 定期運用
片側4扉の電車が6両編成で運用される。車体には黄・橙・ぶどう色(■■■)の3色の帯が巻かれている。
- 205系 (4M2T) - 26編成(0番台15編成・1200番台11編成)在籍
- 209系 (4M2T) - こちらは4編成(0番台1編成・2200番台3編成)のみ在籍である。
- 「nMmT」とは、1編成の車両がn両の電動車(モーターあり)とm両の付随車(モーターなし)で構成されることを意味する。
1978年まで茶色の旧形国電が走っており、「チョコ電」として同線の代名詞となっていた。旧形国電は、快速運転実施中の頃より、他路線から転入した101系に置き換えられていった。転入車の多くは朱色や水色の元の路線の塗装色のまま運行されていた。そのため、当時の利用者からは南武線のラインカラーが判らない、特定しにくいとの声が挙がったが、これらの101系は最終的にすべて黄色に塗り替えられた。101系はその後103系に置き換えられていき、1991年1月に南武線での運用を終えた。その後も一部の車両は鶴見線に運用の場を移したが、これも翌1992年の5月までに姿を消し、関東地区での運用は浜川崎支線のみとなった。
1989年3月11日から新造のステンレス車205系が南武線独自のラインカラー(上述)で配備され、その後1993年4月1日からの209系とともに全体の半分程を占めるようになった。
2003年度から、103系はE231系500番台の投入に伴い山手線で余剰になる205系への置き換えが進められ、翌2004年12月に完了した。運転取扱上の問題と保守効率化のため、浜川崎支線および鶴見線も管轄する中原電車区管内に改造車が集中投入されたことから、南武線にのみ先頭車は中間車からの改造車(205系1200番台)と非改造車の両方が配置されることとなった(他線にはどちらか片方が選択的に投入されている)。
209系0番台はナハ32編成(クハ209-68からの6両編成・東急車輛製造製の8次車)が配置されている。またE233系1000番台の導入で余剰となった京浜東北線の209系0番台の一部にVVVFインバーター更新などの改造を行った209系2200番台も3編成が運用されている[22][23]。なお、0番台2本のうち、ナハ1編成(クハ209-13からの6両編成・川崎重工業製の1次車)については空気式ドアを使用していることから2009年9月に廃車回送された[24][25]。
2007年3月5日から、南武線開業80周年を記念するステッカーとヘッドマークが205系8本に貼付され、ヘッドマークは先頭車の前面に、ステッカーは側面に貼付された。
貨物列車の牽引機としては2009年現在、EH200が主体で使用されているが、EF64重連やEF210なども使用されている。
[編集] 臨時運用
183系、189系、各お座敷電車(団体用臨時列車)などが使用されている。臨時列車用に一部の駅には8両対応のホームや8両用の停止位置がある。また、過去には583系や伊豆急行のアルファリゾート21が入線したこともある。なお、2009年3月14日に開業した西府駅のホームは6両編成対応である。
[編集] 支線
205系(改造車)が2両編成で運用されている。
1980年まではクモハ11+クハ16の17m車旧型国電が使用され、その後101系がJR最後の定期運用に就いていたが、2002年8月20日に205系1000番台が営業を開始したことにより、翌2003年11月28日に101系は定期運用から離脱した。205系1000番台は、101系の塗色を踏襲して車体下部には緑と黄色(■■)、車体上部にはクリーム色(■)の帯が巻かれている。
[編集] 過去の車両
[編集] 南武線の車両
- 電車
- 電気機関車
- EF15
- EF13
- EF11
- EF10
- EF51
- EF60
- EF64
- EF65
- ED16( - 1983年)
- ED18(1959年 - 1960年)
- ED19( - 1959年)
- 南武鉄道1000形→ED34→ED27( - 1971年)
- 青梅電気鉄道1号形、2号形→ED36( - 1960年)
- 奥多摩電気鉄道1020形→ED37
- 蒸気機関車
- ディーゼル機関車
[編集] 南武鉄道の車両
「南武鉄道の電車」も参照
南武鉄道時代の車両は買収後も番号もそのままで使用され、1947年10月までは省形は建築限界の関係で入線することができなかったこともあり、電車については旧青梅電気鉄道車の転入や小田急からの借用車などとともに最終的には1951年5月まで使用された後に富山港・福塩・可部・宇部線などへ転出、電気機関車については南武鉄道時代から乗り入れていた旧青梅電気鉄道、旧奥多摩電気鉄道の機関車とともに廃車まで青梅・南武線で使用された。また、南武鉄道時代には競馬開催時に小田急から借り入れた車両が使用されたり、向河原まで小田急の電気機関車が砂利輸送列車を牽引して乗り入れたりしている。
- 蒸気機関車
- 電気機関車
- 1001(1928年 - 1929年日立製作所製BB箱形50t、買収後ED34→ED27)
- 電車
- モハ100(1926年 - 1931年汽車製造製、15m級dD12D1)
- モハ150(1941年帝国車両製、17m級d1D4D4D2)
- モハ400(1935年譲受の旧国鉄モハ1060、1064、鶴見臨港鉄道へ譲渡)
- モハ500(501・502は1937年譲受の旧国鉄モハ1055・1056、1942年日本鉄道自動車で鋼体化しモハ505・506、17m級dD6D6D1、503・504は旧国鉄モユニ2002・モニ3006の鋼体化で1940年木南車両製16m級dD4D4D1)
- クハ210(1939 - 1940年木南車両製、15m級dD4D4D1)
- クハ250(1942年汽車製造製、17m級d1D4D4D2、モハ150と同形)
- サハ200(1939年木南車両製、阪神の木造車の車体利用の14m級の201・202と南海の木造車の車体利用の16m級D141D141D正面5枚窓の203、サハ201は後に矢向電車区の食堂に転用)
- サハ215(1941年国鉄盛岡工場製18m級3扉、木造客車改造)
- ハ216(1942年国鉄旭川工場製17m級3扉、木造客車改造)
- サハ301(1942年国鉄釧路工場製15m級2D10D2、木造客車改造)
- 貨車
- 有蓋車:ワ1 - 8、11 - 29、301 - 304、ワフ1 - 4、ワブ301 - 306、テブ201 - 209
- 無蓋車:ト1 - 40、301 - 330、401 - 453、454、455、458 - 464、トム101 - 130、トフ1 - 4、ヲキ1 - 8、ヲサフ1 - 2
[編集] 歴史
南武線は、私鉄の「南武鉄道」により開業した路線である。
免許の出願は「多摩川砂利鉄道」として行われており、多摩川の川原で採取した砂利を運搬するのが目的であった。1920年1月29日に免許が交付された後、3月1日に会社を設立し、社名を「南武鉄道」に改称した。3月17日には終点を立川まで延長、府中町 - 国分寺町間の支線の敷設を追加で申請した。これらは単に砂利を運搬するだけでなく、多摩地域と川崎とを結ぶ交通路線となることも目指したものであった。
会社設立の際、資金集めに難航し、地元の発起人が次々と脱退した。そんな中、浅野セメント(現在の太平洋セメント)の浅野総一郎とその系列企業が名乗りを上げた。浅野総一郎は既に青梅鉄道(現在の青梅線)を傘下に収めており、セメントの原料の石灰石を青梅鉄道から中央本線・山手線・東海道本線経由で工場のある川崎まで運んでいた。川崎と立川を結ぶ南武鉄道を傘下にすればすべて自分の系列の路線で運搬することができ、輸送距離も大幅に短くなる。両者の利害が一致し、南武鉄道は浅野系列となった。
1927年3月9日に川崎駅 - 登戸駅間と貨物線の矢向 - 川崎河岸間が開業した。貨物線を除き当初から全線電化である。[26]当初、南武鉄道は電車6両、蒸気機関車2両、貨車44両を保有していた。目黒にあった競馬場を沿線の府中に誘致し、稲田堤の桜や久地の梅園などへの花見客を誘致するなど、利用者増加のための努力が行われ、特に競馬開催時に電気機関車牽引の客車列車を運転するほどの利用客があった。1927年11月1日に登戸 - 大丸(現・南多摩)間、1928年12月11日に大丸 - 屋敷分(現・分倍河原)間を延伸、1929年12月11日に分倍河原 - 立川間を開業、全線が開通した。全通当時は川崎 - 立川間35.5kmを1時間10分で結んでいた。1930年3月25日に支線の尻手 - 浜川崎間も開業した。
1930年代以降、沿線には日本電気、富士通信機製造(現在の富士通)などの工場が進出し、沿線の人口が急増、南武鉄道はその通勤客を運ぶことになった。また、帝都防衛のための軍事施設も沿線に多く造られ、そのための軍事輸送も南武鉄道が担うこととなった。また、石灰石輸送などにおける浅野の資本系列の奥多摩電気鉄道、青梅電気鉄道、南武鉄道、鶴見臨港鉄道の連携が重要視され、4社の合併への協議がなされた。合併交渉途上に鶴見臨港鉄道が国有化されたが、1943年9月には残る3社の合併が決定し、1944年2月に関東電鉄(関東鉄道との記述もあり。茨城県の関東鉄道とは別)が発足することとなっていたが、東海道線や工業地帯と中央線を結ぶ重要路線であること、重要物資の石灰石を輸送していること、軍事施設や重要工場が沿線に存在することなど軍事上重要な路線だという理由で、1944年4月1日に戦時買収私鉄指定で国有化され南武線となった。この頃に一部の駅が廃止されている。なお、戦後1946 - 1949年頃に4社で払い下げ運動がなされた際も払い下げ後はただちに4社が合併して関東電鉄となる予定であった。
その際に南武鉄道は会社を解散せず、バス事業を立川バスに継承し、路線以外で保有していたわずかな土地を管理する会社となった。その後「アサノ不動産」→「太平洋不動産」(現在の本社は東京都。神奈川県に本社を置く同名の会社とは別)と社名を変更し、太平洋セメントの傍系会社として現在も存続している。
戦後、高度経済成長により東京都区部の人口が増加すると、南武線沿線も私鉄との乗り換え駅を皮切りに都市化が進み、利用客が急増した。国鉄は車両の増結と複線化工事の実施などで輸送力増強を進め、1960年代後半には6両化と全線の複線化(1966年9月30日)を完成させた。その後も車両の大型化や新型化、一部区間の高架化などの事業を進めている。高架化は1990年12月20日に武蔵小杉 - 武蔵溝ノ口間、2005年10月9日に稲田堤 - 稲城長沼間が竣工した。矢向 - 川崎河岸間の貨物線は1972年5月25日に廃止された。
1980年代には、中野島にあったキトーや武蔵溝ノ口にあった東芝、鹿島田の日立製作所など一部の工場が郊外に移転した敷地にパークシティなどの高層マンションが建つようになり、沿線人口はさらに増加したが、1990年代以降の乗客の増加率は横這い状態にある。なお、武蔵溝ノ口の池貝鉄工跡にはKSPが建てられた。
2010年3月のダイヤ改正に合わせ、横須賀線にも武蔵小杉駅が開業し、武蔵小杉などの沿線ではマンション建設が盛んで、再び混雑が進んでいる。また、稲城長沼 - 南多摩間の立体交差事業が2012年度完成を目指して進行中である。また東京都の都市計画事業における踏切対策基本方針として矢川 - 西国立を中心とした区間の高架計画があるほか、川崎市もJR南武線立体交差2期事業として川崎 - 武蔵小杉間の高架化もしくは地下化の検討に入っている[27]。
[編集] 年表
特に戦前において許認可と実態に差異のある場合がある。
[編集] 南武鉄道
- 1920年(大正9年)
- 1927年(昭和2年)
- 3月9日:川崎駅 - 登戸駅間(10.7M≒17.22km)、貨物支線 矢向駅 - 川崎河岸駅間(1.0M≒1.61km)が開業。
- 尻手停留場・矢向駅・鹿島田停留場・平間停留場・向河原駅・武蔵中原駅・武蔵新城停留場・武蔵溝ノ口駅・宿河原駅・登戸駅および、貨物駅として川崎河岸駅が開業。
- 3月22日:向河原駅 - 武蔵中原駅間に丸子競馬場仮乗降場が開業。
- 3月25日:丸子競馬場仮乗降場が廃止。
- 8月11日:武蔵中丸子停留場・久地梅林停留場(現在の久地駅)が開業。
- 11月1日:登戸駅 - 大丸駅間(5.0M≒8.05km)が延伸開業。
- 既存区間にグラウンド前停留場(現在の武蔵小杉駅)・武蔵小杉停留場、新規開業区間に中野島停留場・稲田堤停留場・矢野口停留場・稲城長沼駅・大丸停留場が開業。
- 3月9日:川崎駅 - 登戸駅間(10.7M≒17.22km)、貨物支線 矢向駅 - 川崎河岸駅間(1.0M≒1.61km)が開業。
- 1928年(昭和3年)
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)
- 1933年(昭和8年)6月16日:南武是正駅の停留場への変更が認可。
- 1934年(昭和9年)
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)10月30日:向河原駅 - 武蔵中原駅間が複線化。
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 2月5日:日本ヒューム管前停留場(現在の津田山駅)が開業。
- 日本ヒューム管前停留場 - 久地梅林駅間が複線化。
- 1942年(昭和17年)4月16日:久地梅林停留場の駅への変更および久地信号所の併合が認可。
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 2月1日:関東電鉄発足予定(実現せず)。
[編集] 国有化
- 1944年(昭和19年)
- 4月1日:国有化され、国鉄南武線となる。
- 武蔵小杉停留場・宿河原不動停留場・南武是政停留場・本宿停留場・西府停留場・東立川停留場が廃止。停留場が駅に変更。新浜川崎駅が浜川崎駅に、市ノ坪駅が新鶴見操車場に統合。日本電気前駅が向河原駅に、グラウンド前駅が武蔵小杉駅に、日本ヒューム管前駅が津田山駅に、久地梅林駅が久地駅に改称。
- 川崎駅 - 尻手駅間の貨物営業廃止。川崎新町駅 - 浜川崎駅間改キロ (+0.1km)。貨物支線 向河原駅 - 市ノ坪駅間が鶴見駅まで延長 (+4.0km)。向河原駅 - 新鶴見操車場 - 品川駅間に営業キロ設定 (14.7km)。
- 休止中の貨物支線 武蔵上ノ原駅 - 西立川駅間 (1.2km) が青梅線に編入。10月11日に青梅線として営業廃止され、五日市線の立川駅 - 武蔵上ノ原駅間とともに青梅線の一部(青梅短絡線)となっている。
- 4月1日:国有化され、国鉄南武線となる。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)5月1日:平間駅営業が再開。
- 1951年(昭和26年)5月1日:尻手駅 - 新鶴見操車場間に路線敷設(営業キロ設定なし)。
- 1954年(昭和29年)3月21日:尻手駅付近が高架化。
- 1960年(昭和35年)
- 3月20日:久地駅 - 宿河原駅間が複線化。
- 3月27日:武蔵溝ノ口駅 - 津田山駅間が複線化。
- 1962年(昭和37年)8月7日:久地駅 - 津田山駅間の踏切で電車が小型トラックと衝突して脱線、対向電車と衝突、3人死亡。
- 1963年(昭和38年)
- 1966年(昭和41年)
- 3月25日:谷保駅 - 西国立駅間が複線化。
- 9月30日:稲城長沼駅 - 谷保駅間が複線化。立川駅構内をのぞき全線の複線化が完成。
- 1969年(昭和44年)12月15日:武蔵小金井区から101系を借り入れ。日中に60分間隔で快速の運転開始。
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)10月1日:貨物支線 向河原駅 - 新鶴見操車場 - 鶴見駅間 (4.7km) が廃止。向河原駅 - 新鶴見操車場 - 品川駅間 (14.7km) の営業キロ廃止。貨物支線 尻手駅 - 新鶴見操車場 - 鶴見駅間 (5.4km) が開業。尻手駅 - 品川駅間に営業キロ設定 (+15.4km)。川崎駅 - 尻手駅間の貨物営業再開。
- 1976年(昭和51年)3月8日:京浜東北線から101系が転入し、南武線の半数が101系となる。本線全線で6両運転開始(1978年に101系へ統一、完全6両編成化)。
- 1978年(昭和53年)10月2日:快速の運転終了。
[編集] 民営化以降
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が川崎駅 - 尻手駅間をのぞく全線の第二種鉄道事業者となる。川崎駅 - 尻手駅間の貨物営業が廃止。尻手駅 - 新鶴見信号場 - 品川駅間の営業キロ設定 (15.4km) が廃止。
- 1988年(昭和63年)3月13日:支線 尻手駅 - 浜川崎駅間でワンマン運転開始。
- 1990年(平成2年)12月20日:川崎市中原区内の高架化が完成。
- 1999年(平成11年)10月24日:立川駅8番線ホーム[29]設置により、立川駅構内のボトルネックが解消され、南武線の完全複線化が完成。
- 2005年(平成17年)10月9日:矢野口駅付近の高架化が完成[8]。
- 2006年(平成18年)3月26日:川崎駅 - 立川駅間で東京圏輸送管理システム (ATOS) 使用開始(なお、発車標には列車接近表示機能がある)。
- 2007年(平成19年)3月18日 ダイヤ改正により、平日日中の運転本数が毎時5本(12分間隔)から毎時6本(10分間隔)になる[30]。
- 2009年(平成21年)
- 2011年(平成23年)
- 3月11日:東北地方太平洋沖地震が発生し、その影響により以後終電まで運休。
- 3月14日:東京電力が輪番停電(計画停電)を実施し、その影響で終日運休。
- 4月9日:快速運転開始[32]。
- 6月24日:平日の快速運転を休止[33]。
- 9月12日:平日の快速運転再開。
- 12月24日:矢野口駅 - 府中本町駅間の下り線が高架化。
[編集] 今後の計画
- 稲田堤駅 - 府中本町駅間の連続立体交差事業(高架化)が2011年に完成する予定であったが仮設線路用地取得に遅延が生じたため2015年度完成予定に変更となった[34]。このうち、下り線が2011年12月に高架化する予定[35]。
- 川崎市は、南武線立体交差2期事業となる川崎駅 - 武蔵小杉駅間5.5kmについて、地下化も視野に入れて事業の具体化に向けた検討を進める考えを明らかにしている。市が試算した1kmあたりの事業費は、高架化の場合が約140億円、地下化の場合は約300億円。実行計画の中で、南武線は旅客列車と貨物列車が併用しており、高架化工事の過程で生じる線路の勾配の規定が異なるため、工法の検討も進めるとしている[27]。
- 川崎駅から支線の八丁畷駅付近まで新線を建設し、川崎駅と浜川崎駅方面を直結して「川崎アプローチ線」とし、支線の尻手駅 - 八丁畷駅間は廃止するという構想が2003年に報じられた[36]。当時の報道では2010年に完成予定とされていたが、JR東日本は2007年に実現は困難であると表明しており[17]、予定された2010年を過ぎても具体化していない。
- 東京都の都市計画事業における踏切対策基本方針において矢川駅付近(矢川踏切) - 立川駅付近(羽衣踏切)を「鉄道立体化の検討対象区間」としている[37]。
- 鹿島田駅 - 新川崎駅付近での交通結節点機能を強化する計画がある[38]。
- 建設予定の川崎縦貫高速鉄道(川崎市営地下鉄)を武蔵小杉駅に乗り入れさせる案がある[39]。
[編集] 駅一覧
:特定都区市内制度における「横浜市内」エリアの駅- 東日本旅客鉄道および東京急行電鉄の路線名は、貨物線をのぞき、運転系統上の名称(正式路線名とは異なる)
[編集] 本線
- 停車駅
- 快速 … ●:停車、|:通過
- 各駅停車は全駅に停車につき表中省略。
| 駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 快速 | 接続路線 | 所在地 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| - | 0.0 | ● | 東日本旅客鉄道:東海道線・京浜東北線 京浜急行電鉄:本線・大師線 …京急川崎駅 |
神奈川県 | 川崎市 | 川崎区 | |
| 1.7 | 1.7 | │ | 東日本旅客鉄道:南武線(浜川崎支線・尻手短絡線) | 幸区 | |||
| 0.9 | 2.6 | │ | 横浜市鶴見区 | ||||
| 鹿島田駅 | 1.5 | 4.1 | ● | 川崎市 | 幸区 | ||
| 平間駅 | 1.2 | 5.3 | │ | 中原区 | |||
| 向河原駅 | 1.3 | 6.6 | │ | ||||
| 武蔵小杉駅 | 0.9 | 7.5 | ● | 東日本旅客鉄道:横須賀線・湘南新宿ライン 東京急行電鉄:東横線・目黒線 |
|||
| 武蔵中原駅 | 1.7 | 9.2 | ● | ||||
| 武蔵新城駅 | 1.3 | 10.5 | ● | ||||
| 武蔵溝ノ口駅 | 2.2 | 12.7 | ● | 東京急行電鉄:田園都市線・大井町線(溝の口駅) | 高津区 | ||
| 津田山駅 | 1.2 | 13.9 | │ | ||||
| 久地駅 | 1.0 | 14.9 | │ | ||||
| 宿河原駅 | 1.3 | 16.2 | │ | 多摩区 | |||
| 登戸駅 | 1.1 | 17.3 | ● | 小田急電鉄:小田原線 | |||
| 中野島駅 | 2.2 | 19.5 | ● | ||||
| 稲田堤駅 | 1.3 | 20.8 | ● | 京王電鉄:相模原線(京王稲田堤駅) | |||
| 矢野口駅 | 1.6 | 22.4 | ● | 東京都 | 稲城市 | ||
| 稲城長沼駅 | 1.7 | 24.1 | ● | ||||
| 南多摩駅 | 1.4 | 25.5 | ● | 西武鉄道:多摩川線(是政駅) | |||
| 府中本町駅 | 2.4 | 27.9 | ● | 東日本旅客鉄道:武蔵野線 | 府中市 | ||
| 分倍河原駅 | 0.9 | 28.8 | ● | 京王電鉄:京王線 | |||
| 西府駅 | 1.2 | 30.0 | ● | ||||
| 谷保駅 | 1.6 | 31.6 | ● | 国立市 | |||
| 矢川駅 | 1.4 | 33.0 | ● | ||||
| 西国立駅 | 1.3 | 34.3 | ● | 立川市 | |||
| 立川駅 | 1.2 | 35.5 | ● | 東日本旅客鉄道:中央線・青梅線 多摩都市モノレール:多摩都市モノレール線 …立川北駅・立川南駅 |
|||
[編集] 浜川崎支線
- 南武線用線路は尻手駅 - 川崎新町駅間単線。旅客列車は川崎新町駅でのみ列車交換可能
- 全駅神奈川県川崎市に所在
| 駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
|---|---|---|---|---|
| - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:南武線(本線・尻手短絡線) | 幸区 | |
| 1.1 | 1.1 | 東日本旅客鉄道:東海道本線貨物支線(東海道貨物線 鶴見方面) 京浜急行電鉄:本線 |
川崎区 | |
| 0.9 | 2.0 | |||
| 2.1 | 4.1 | 東日本旅客鉄道:鶴見線・東海道本線貨物支線(東海道貨物線 川崎貨物方面) | ||
[編集] 尻手短絡線
- 全駅神奈川県川崎市幸区に所在
| 駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 |
|---|---|---|---|
| 尻手駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:南武線(本線・浜川崎支線) |
| 新鶴見信号場 | 1.5 | 1.5 | 東日本旅客鉄道:品鶴線・武蔵野線 |
| 鶴見駅 | 3.9 | 5.4 | 東日本旅客鉄道:東海道本線(本線・高島線・東海道貨物線) |
[編集] 廃止区間
( )内の数字は起点からの営業キロ
- 貨物支線(1940年営業廃止)
- 立川駅 (0.0) - 武蔵上ノ原駅 (0.9)
- 五日市鉄道線→五日市線→青梅(短絡)線として現存
- 貨物支線(1944年営業廃止)
- 武蔵上ノ原駅 (0.0) - 西立川駅 (1.2)
- 青梅線編入後に営業廃止。青梅(短絡)線として現存
- 貨物支線(1972年廃止)
- 矢向駅 (0.0) - 川崎河岸駅 (1.7)
- 貨物支線(1973年廃止)
- 向河原駅 (0.0) - 新鶴見操車場 (0.8) - 鶴見駅 (4.7)
- 向河原駅 (0.0) - 新鶴見操車場 (0.8) - 品川駅 (14.7)
- 貨物支線(1987年営業キロ設定廃止)
- 尻手駅 (0.0) - 新鶴見信号場 (1.5) - 品川駅 (15.4)
[編集] 廃駅・廃止信号場
(貨)は貨物駅を表す。
- 本線 …( )内の数字は川崎駅起点の営業キロ
- 武蔵中丸子駅:平間駅 - 向河原駅間 (5.9)
- 武蔵小杉停留場:武蔵小杉駅 - 武蔵中原駅間(7.9、府中街道交差地点付近)
- 丸子競馬場仮乗降場:武蔵小杉駅 - 武蔵中原駅間
- 久地信号所:津田山駅 - 久地駅間 (14.1)
- 宿河原不動停留場:久地駅 - 宿河原駅間 (15.5)
- 多摩聖蹟口停留場:稲城長沼駅 - 南多摩駅間(25.2、府中街道踏切の川崎寄り)
- (貨)南多摩川駅:南多摩駅 - 府中本町駅間 (25.9)
- (貨)南多摩川駅が多摩聖蹟口停留場を併合し移転、現在の南多摩駅となっている。
- 南武是政停留場:南多摩駅 - 府中本町駅間(26.8、南武線下り線が武蔵野線をアンダークロスする地点。1932年以前は是政多摩川と称しており[28]、同停留場について「是政多摩川」の名で記した地図も存在する)
- 本宿停留場:分倍河原駅 - 谷保駅間(29.8、五小踏切の川崎寄り)
- 本宿停留場廃止後、同踏切の立川寄りに西府駅が2009年3月14日に開設され、同踏切は廃止されている。
- 西府停留場:分倍河原駅 - 谷保駅間(30.7、甲州街道交差地点の立川寄り)
- 東立川停留場:西国立駅 - 立川駅間(34.8、羽衣踏切の立川寄り)
- 支線
- 新浜川崎駅:川崎新町駅 - 浜川崎駅間(尻手駅起点3.6km)
- 市ノ坪駅:新鶴見操車場隣接(向河原駅起点0.7km)
川崎河岸駅には、多摩川の堤防の外側の艀へ砂利を積むための設備まで線路が延びており、水上運輸との連絡を図っていた。廃線後は一部が遊歩道となり、川崎河岸駅跡は公園となっている。開業当初は川崎駅の北側に工場があり、同駅から多摩川岸へ路線を延長して貨物駅を設けることができなかったため、旅客は同駅での連絡、貨物は矢向から分岐させて川崎河岸駅での連絡と分けることとなったものである。
登戸駅(厳密には宿河原駅との間)には小田急電鉄による小田原線との連絡線が向ヶ丘遊園駅方面に向けて1936年1月認可で設置され、戦前は府中の競馬輸送や江ノ島の海水浴輸送での電車の貸し借りに使用したり、多摩川の砂利の東京方面への輸送や相模川の砂利の京浜工業地帯への輸送に使用したりしたほか、戦後も戦災で不足した車両を貸し借りするなど、戦後しばらくまで残ったが、正式には1967年3月に廃止された。
本線の線路は、立川駅で中央線・青梅線とつながっている。川崎駅においても、京浜東北線北行レールとつながっているが、保安システムの関係上、入線は不可能であり、また長い間使われていないため線路の劣化が激しい。東海道本線や横須賀線へ出る時は尻手から南武支線と東海道貨物支線を経由して鶴見へ出る。実際、検査のために車両を鎌倉車両センターへ輸送する場合は、尻手から南武支線経由で浜川崎へ出て、そこから東海道貨物支線経由で鶴見、さらに東海道本線を走り大船駅先の鎌倉車両センターへと向かっている。また、府中本町駅では武蔵野線と旅客ホームを経由しない形態で接続している。
[編集] 脚注
- ^ ただし列車運行上は、浜川崎方面ではなく、尻手方面を下りとしている。
- ^ 実際、車輪転削のために車両を国府津車両センターへ回送する場合は、尻手駅から浜川崎支線経由で浜川崎駅へ出て、そこから東海道貨物線経由で国府津駅へと向かっている。
- ^ 「グループ経営ビジョン 2020 -挑む-」 (PDF) - 東日本旅客鉄道
- ^ a b JR東日本2010年12月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2010年9月16日
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年 ISBN 978-4533029806
- ^ 川崎市まちづくり局総務部企画課のサイト「南武線沿線イメージアップ推進:Q&A」に記述が見られる。
- ^ 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年、p.31
- ^ a b JR南武線連続立体交差事業(インターネット・アーカイブ) - 稲城市
- ^ 『JTB時刻表』の索引地図に市の代表駅を表す二重丸(◎)で示されている(2011年3月号で確認)。
- ^ 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年、p.37
- ^ 『鉄道ファン』No.592 交友社 p.20。なお実際に最も多いのは武蔵小杉駅 - 武蔵溝ノ口駅間。
- ^ 宿河原駅にも留置線があるが、こちらは登戸駅および武蔵溝ノ口駅発着の電車が使用しているのみであり、宿河原駅発着の設定はない
- ^ 登戸駅は単式と島式の複合による2面3線で、下りホームは単式となっている。詳細は同駅の項目を参照。
- ^ 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年、p.176
- ^ 池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、p.55
- ^ 南武線の歴史について - 浅野学園鉄道研究部
- ^ a b “神奈川県鉄道輸送力増強促進会議”. 神奈川県ウェブサイト. 2008年6月11日閲覧。における“南武線・鶴見線の要望と回答” (2008年5月20日最終更新). 2009年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月11日閲覧。[リンク切れ]なお、同会議は知事・県内全市町村長・商工会議所会頭・商工連合会会頭などが構成メンバーとなっている。
- ^ 夏の増発列車のお知らせ (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2008年5月16日
- ^ 山梨・多摩 夏の臨時列車情報 2009年7月⇒9月 (PDF) - 東日本旅客鉄道八王子支社
- ^ 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年、p.120
- ^ a b 春の増発列車のお知らせ (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2009年1月23日
- ^ 209系2200番台,東京総合車両センターを出場 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2009年5月14日
- ^ 209系2200番台が営業運転を開始 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2009年6月16日
- ^ 『鉄道ファン』、交友社、2009年11月。
- ^ 『jtrain』Vol. 36、イカロス出版、2010年、p. 91。
- ^ 青木栄一 「神奈川の鉄道網発達史年表」『神奈川の鉄道1872〜1996』 野田正穂他、日本経済評論社、p. 360。
- ^ a b 川崎〜武蔵小杉駅間地下化も視野に - 建設業界ニュース神奈川版、2007年2月2日。
- ^ a b 原田勝正『南武線いまむかし』p. 166
- ^ これが当時の7番線と8番線の間に増設されたことにより元の8番線が9番線になった。8番線・9番線はそれぞれ現在の7番線・8番線。
- ^ 2007年3月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2006年12月22日
- ^ 2009年3月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2008年12月19日
- ^ 南武線で快速列車の運転が始まる - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年4月10日
- ^ 夏の特別ダイヤについて (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2011年6月16日
- ^ 2010年5月7日 読売新聞 朝刊(33面多摩版)
- ^ “JR南武線の下り線を12月に高架化します!”. 東京都. 2011年10月14日閲覧。
- ^ [1] - 日本経済新聞 2003年3月4日
- ^ [2][リンク切れ] - 東京都
- ^ 都市計画鹿島田駅西部地区地区計画 (PDF) - 川崎市
- ^ 川崎縦貫高速鉄道線整備事業
[編集] 参考文献
- 『鉄道ピクトリアル 特集・南武・青梅・五日市線』通巻568号、電気車研究会。
- 佐竹保雄・佐竹晃 『私鉄買収国電』 ネコ・パブリッシング。
- 五味洋治 『南武線物語』 多摩川新聞社。
- 原田勝正 『南武線いまむかし』 多摩新聞社。
- 東日本旅客鉄道八王子支社 青梅・五日市線の歴史 (同支社サイト)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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