南武線

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南武線の車両(2006年9月16日、中原電車区にて撮影)
南武線の車両(2006年9月16日、中原電車区にて撮影)

南武線(なんぶせん)は、神奈川県川崎市川崎区川崎駅東京都立川市立川駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。そのほか以下の支線を持つ。

目次

[編集] 路線データ


[編集] 概要

稲城長沼駅より立川方面を望む(2005年6月撮影)
稲城長沼駅より立川方面を望む(2005年6月撮影)
浜川崎支線川崎新町駅。近隣住民および臨海部工業地帯への通勤・通学の足として利用されている。なお、右側の101系は2003年に引退し、現在は左側の205系1000番台が運用に就く(2002年9月13日撮影)。
浜川崎支線川崎新町駅。近隣住民および臨海部工業地帯への通勤・通学の足として利用されている。なお、右側の101系は2003年に引退し、現在は左側の205系1000番台が運用に就く(2002年9月13日撮影)。
曲線区間が続く武蔵溝ノ口~津田山間。70km/h制限が222m続くことを示す標識があるが、この前後にも曲線区間が続く(2006年7月26日撮影)。
曲線区間が続く武蔵溝ノ口津田山間。70km/h制限が222m続くことを示す標識があるが、この前後にも曲線区間が続く(2006年7月26日撮影)。

神奈川県の川崎駅と東京都の立川駅を結ぶ路線で、川崎市をその細長い形に沿うように貫く動脈である。東京都心や山手線から郊外に延びる複数の放射状路線と交差する、いわゆる環状路線(フィーダー線)の一つとなっており、京葉線武蔵野線と連続する東京の外環状線の一部を構成している。また、川崎駅の隣の尻手駅からは、鶴見線東海道貨物線の浜川崎駅へと伸びる南武支線と、品鶴線新鶴見信号場へと伸びる尻手短絡線が存在する。

なお、本線のうち唯一の横浜市内にある矢向駅のほか、川崎駅および尻手駅も、運賃区分上は横浜市内の駅として扱っている。これは、両駅が川崎市内にあるものの、「横浜市内」の中心駅である横浜駅から矢向駅に行く途中にあるため、両駅も「横浜市内」に加える方が合理的だからである。なお、支線の八丁畷、川崎新町、浜川崎駅や、さらに浜川崎で接続する鶴見線全線も横浜市内エリアの扱いがされている。「横浜市内」の詳細は特定都区市内を参照。

多摩川とは全線で並行し、右岸を走る南側では多摩丘陵東端に沿って多摩川の氾濫原を走る。多摩川を渡った北側では立川崖線を登り、武蔵野台地上を走る。多摩川の河川敷は現在は橋梁上でしか見られない。堤防稲城市内の高架線や登戸駅付近で見える。川崎市内では二ヶ領用水とも並行し、その本川および川崎堀とは中野島宿河原久地武蔵小杉平間の各駅付近で計5回交差する。

沿線は俗に「日本のシリコンバレー」と呼ばれることもある。特に川崎市中原区を中心とした一帯を擁し、NEC富士通東芝などの電機・情報技術関連企業やその子会社の多くの工場、ミツトヨの本社、後述のKSPが立地している。近年では、川崎市の公報を中心に南武線を“ハイテクライン”と呼ぶこともあるが、定着にはいたっていない。

また川崎競馬場川崎競輪場京王閣競輪場多摩川競艇場東京競馬場立川競輪場などの公営競技の施設も沿線に多く、“ギャンブルライン”と呼ばれることがあり、こちらが実情にかなっている。なお、東京競馬場の開催日は会場に出向く乗客で混雑するため、臨時列車を運行することもある。

全体の線形は比較的良く、線内の最高運転速度は95km/h。ただし、駅間が短く、半径400m級の曲線も多いため、最高速度で走行する区間は限られる。駅間が特に短い武蔵溝ノ口駅~登戸駅や南多摩駅の前後では半径300m~400m級(制限60km/h~75km/h)の曲線区間が連続し、高速運転の支障になっている。

本線のレールは立川駅では中央線青梅線とつながっている。川崎駅でも、厳密に言えば東海道本線京浜東北線とつながっているが、保安システムの関係で入線は不可能で、また長い間使われていないため線路の錆びが激しい。東海道本線や横須賀線へ出る時は尻手から南武支線と東海道貨物支線を経由して鶴見へ出る。実際、検査のために車両を鎌倉車両センターへ送る場合、尻手から南武支線で浜川崎へ出て、そこから東海道貨物支線経由で鶴見へ出て、そこからは東海道本線を走り大船の同車両センターへと向かっていた。また、府中本町駅では武蔵野線と旅客ホームを経由しない形態でつながっている。

[編集] 沿線風景

[編集] 川崎~武蔵小杉

川崎駅は日本初の鉄道の中間駅として開業した日本で2番目に古い鉄道駅である。駅東側はかつての東海道川崎宿であり、多摩川六郷の渡し平間寺(川崎大師)の門前町として栄えた。駅東側には官公庁の施設や大規模商業施設が立ち並び大規模な繁華街を形成しており、北東に0.3km程離れた繁華街の北側に京急本線大師線京急川崎駅がある。西側は東芝川崎事業所跡地の再開発が進みこちらも商業施設が増えている。

川崎駅を発車すると間もなく幸区から川崎区に入るが、間もなく右手に旧東芝柳町工場が現れ左にカーブし東海道本線京浜東北線から分かれると再び幸区に戻る。カーブを抜け北西を向き、間もなく住宅街に入ると右にカーブし北を向き横浜市鶴見区に入るが、右手から浜川崎支線が合流し国道1号第二京浜)を跨いだところで三度川崎市幸区に戻り尻手駅に到着。駅北側には川崎市中央卸売市場がある。尻手駅を発車すると再び横浜市鶴見区に戻り、間もなく新鶴見支線が分かれる。そこから0.5km程走ったところが矢向駅。構内に横浜市鶴見区と川崎市幸区の市境がある。かつて矢向電車区が所在し、現在も車掌の交代も当駅で行われる。駅東側・西側共に住宅街だが駅北側には工場が多い。発車し工場群を抜けると再び住宅街となる。鹿島田駅周辺は駅南側を中心に再開発が進んでおり、0.3km程西進したところに横須賀線湘南新宿ライン新川崎駅がある。また鹿島田駅から0.5km東側の国道409号(府中街道)から南武沿線道路が分かれる。鹿島田駅を発車すると国道409号と交差、間もなく二ヶ領用水(川崎堀)を渡り中原区に入る。

平間駅駅東側・西側共に住宅街だが、西側に三菱ふそうトラック・バス川崎製作所・技術センターがある。向河原駅西側には日本電気(NEC)玉川事業場があり、1番ホームにはSuica専用の専用改札口がある。向河原駅を発車すると左にカーブし西を向き東海道新幹線・横須賀線・湘南新宿ラインを潜る。2009年にこの交差地点に横須賀線・湘南新宿ラインの武蔵小杉駅が開業予定である。間もなく東急東横線目黒線と接続する武蔵小杉駅に到着。かつては中原街道の小杉宿(継立場)であり丸子の渡しがある交通の要衝であった。川崎市の第三都心に指定されており官公庁の施設や商業施設が多いが、前述の横須賀線・湘南新宿ラインや東急東横線・目黒線を介し多くの路線が乗り入れることなどから、駅周辺の工場群跡地などを中心に再開発が進んでいる。

[編集] 武蔵小杉~登戸

武蔵小杉駅を発車すると高架を上り再び国道409号・二ヶ領用水(川崎堀)を跨ぐ。右にカーブし北西を向き右手には南武沿線道路が現れる。神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線(中原街道)を跨ぐと武蔵中原駅。南武線の列車運行の基点である。駅北側には富士通川崎工場があり、南側は住宅街である。武蔵中原駅を発車すると左手に中原電車区が見下ろし間もなく武蔵新城駅。ここで高架を下り高津区に入り第三京浜道路を潜る。左手に富士通ゼネラル洗足学園大学を見ると間もなく武蔵溝ノ口駅。かつては矢倉沢往還の溝口宿であり、多摩川の二子の渡しで栄えた交通の要衝である。現在は東急田園都市線が接続し多くの路線バスが発着しており、川崎市の副都心として駅北側・南側共に官公庁の施設や商業施設が立ち並んでいる。

武蔵溝ノ口駅を発車すると東急田園都市線を潜り左にカーブし、国道246号(厚木大山街道)を潜ると右へカーブする。平瀬川を跨ぐと津田山駅に到着。駅南側には緑ヶ丘霊園があり、駅周辺には霊園関係の店が多い。また緑ヶ丘霊園はの名所であり、春には多くの花見客で賑わう。津田山駅を発車すると右手に三菱自動車津田山オートスクエアを見ながら右にカーブし、続いて左にカーブすると並行していた南武沿線道路が分かれ久地駅。発車すると神奈川県道・東京都道9号川崎府中線(府中街道)・二ヶ領用水を相次いで跨ぎ多摩区に入る。神奈川県道・東京都道9号川崎府中線のバイパス東名高速道路を潜り、多摩川の旧堤防の上を走るS字カーブで宿河原駅。二ヶ領用水(宿河原用水)を跨ぐが、この付近の二ヶ領用水は桜並木で知られる。桁下の低い歩行者専用のアンダーパスもある。

間もなくS字カーブを抜けると登戸駅に到着する。武蔵溝ノ口駅周辺と並に川崎市の副都心に指定されており、接続する小田急小田原線の3線化工事に合わせて橋上駅舎となっている。現在は駅南側に小田急小田原線向ヶ丘遊園駅まで小規模な商店街が延びているのみだが、今後登戸駅・向ヶ丘遊園駅を中心に再開発が進められる予定である。

[編集] 登戸~府中本町

登戸駅を発車すると小田急小田原線を潜り、東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(津久井道)を潜ると右にカーブする。0.8km程走り左にカーブすると中野島駅。この先で二ヶ領用水・三沢川を相次いで跨ぎ稲田堤駅に到着。駅西側に商店街が南北に延びるが、接続する京王相模原線京王稲田堤駅)が0.4km西側にあるため他の接続駅と比べて賑わいは少ない。稲田堤駅を発車すると右にカーブ、京王相模原線を潜る。この先で高架を上ると神奈川県を抜け東京都稲城市)に入る。東京都道・神奈川県道19号町田調布線(鶴川街道)を跨ぐと矢野口駅。現在東京都道・神奈川県道19号町田調布線(鶴川街道)・東京都道・神奈川県道9号川崎府中線(府中街道)の踏切解消を目的とする矢野口~南多摩間の高架化工事が行われており、高架化後は稲城市による土地区画整理事業が行われる。発車すると左にカーブし西を向き、0.7km程走ったところで稲城大橋有料道路を跨ぐと高架を下る。

右にカーブし再び北西を向くと稲城長沼駅に到着する。稲城市の代表駅であるが官公庁の施設や商業施設は1.0km程南側の京王相模原線稲城駅周辺に多く、稲城長沼駅北側に商店街が延びるのみである。稲城長沼駅を発車すると長い留置線が現れるが、それは戦前に駅周辺の弾薬庫や火薬工場からの貨物取扱があったためである。留置線が消え左へカーブし西を向くと東京都道・神奈川県道9号川崎府中線(府中街道)と交差し南多摩駅。南多摩駅は市街地の西端にあり、サントリー食品工業本社(南多摩工場)・日本フイルコンなど工場が多い。また並行して流れる大丸用水は桜の名所であったが高架化工事において事業用地とされ、すでに伐採されている。

南多摩駅を発車すると右にカーブして北西を向き、左手に富士通南多摩工場跡地を見る。2007年9月現在更地になっている。富士通南多摩工場跡地が見えなくなると多摩丘陵の崖の下を走る。ここは下り線のみであるが南武線唯一のトンネルがあった場所である。右にカーブして北を向くと、トンネルを抜けた武蔵野線(貨物線)と並走しながら多摩川を渡り府中市に入る。橋を渡り終えると左にカーブし北西を向き、続いて中央自動車道を潜り右にカーブし再び北を向く。右手に東京競馬場の連絡通路が現れると上り線が地下に潜り府中本町駅。府中本町駅は市街地の南端にあり、駅東側には東京競馬場大國魂神社があり大変混雑する。

[編集] 府中本町~立川

府中本町~立川間は中央本線・青梅線と武蔵野線を結ぶ短絡線の役割もあり、終日旅客列車の合間を縫って貨物列車も多数運転されている。

府中本町駅を発車すると東京都道18号府中町田線鎌倉街道)を潜り、武蔵野線が分かれ左に大きくカーブし西を向く。右手から上り線が地上に出て合流すると下河原線の廃線跡である緑道を潜り右手は林となる。分倍河原駅は多摩川の氾濫原と武蔵野台地の境の崖下にあり、京王線と接続するため乗り換え客が多いほか、駅周辺には東芝府中事業所・NEC府中事業場があり、2番ホームには専用改札口が設置されている。分倍河原駅を発車すると京王線を潜り切り通しとなり、勾配を上り右にカーブし北西を向く。切り通しを抜けたところで東京都道18号府中町田線のバイパスを跨ぐと右手には空き地が続く。2008年にこの地点に西府駅が開業する予定であり、現在は区画整理事業・道路新設工事が進められている。

間もなく右にカーブし北を向き国道20号甲州街道)を潜ると、国立市に入る。左にカーブし再び北西を向き谷保駅に到着。駅北側からは東京都道146号国立停車場谷保線(大学通り)が延び一橋大学桐朋中学校・高等学校など教育施設が多く立ち並び、2.0km程北進したところに中央線国立駅がある。駅南側には東日本最古の天満宮である谷保天満宮がある。谷保駅を発車し、間もなく右手に国立市役所が現れる。左にカーブし西を向きながら勾配を下り、0.5km程走ると矢川駅。右に大きくカーブし北を向き立川市に入る。切り通しを抜け右にカーブすると西国立駅。駅東側にはかつて立川機関区が所在したが、現在は再開発が完了し住宅街となっている。西国立駅を発車すると東京都道145号立川国分寺線と交差し左にカーブし西を向く。右手から中央線が合流し東京都道・埼玉県道16号立川所沢線(立川通り)を跨ぎ立川駅に到着。立川駅はかつて日本国有鉄道東京西鉄道管理局が所在し、現在も中央線(中央本線)・青梅線多摩都市モノレールが接続する交通の要衝であり、現在は利用客の増加に伴う大規模な駅舎改良工事が進められている。駅周辺は多摩地方一の繁華街であり、駅北側・南側共に官公庁の施設や大規模商業施設が立ち並んでいる。

[編集] 尻手~浜川崎

浜川崎への支線は通称「浜川崎線」とも呼ばれている。ほぼ全線、東海道貨物線と並行している。住宅街の中にある尻手駅の3番線を出ると、すぐに国道1号第二京浜)を越え、本線と分かれて高架上をしばらく直進する。左手に堤根清掃工場が見えてくると、間もなく東海道線京浜東北線の線路を直角に越える。右手から来る鶴見駅からの東海道貨物支線の線路が合流すると、京浜急行線との乗換駅である八丁畷駅に着く。

八丁畷駅は、1面1線のみのホームで、南武線のホームが京急の跨線橋の一部になっているという変り種である。上り下りとも同じホームを使用する。八丁畷駅を出ると、国道15号第一京浜)の上を通過する。カーブに差し掛かり、緩やかな勾配を下ると、川崎新町駅に到着する。ちなみに、上り列車は川崎新町駅を発車後、しばらくは東海道貨物支線側の線路を走行するが、上り勾配の途中で渡り線を渡って南武支線側の線路に入ってくる。

川崎新町駅は、2面3線のホーム構成であるが、浜川崎行の島式ホームは貨物線側がすべて柵で覆われており、実質的には2面2線である。唯一、川崎新町駅付近のみが複線になる。駅周辺は古くからの住宅地であるが、川崎駅から東海道本線・京浜東北線方面を利用する通勤・通学客は運転本数の多い川崎駅行の路線バスを利用するため、八丁畷で京急へ乗り換えるか、武蔵小杉方面へ向かう通勤・通学客以外の利用客は少ない。川崎新町駅を出発すると、ほぼ直進し浜川崎駅手前で渡り線を渡り再び単線となる。間もなく首都高速横羽線産業道路の陸橋をくぐり、浜川崎駅に到着する。

浜川崎駅は、1面2線の島式ホームであるが、行き止まりとなっている2番線のみが使用されている。1番線は貨物列車が通過するため柵が設けられており、使用不可能である。また、鶴見線との乗換駅であるが、乗換には一度改札を出て、道路を挟んだ反対側にある鶴見線の浜川崎駅に行く必要がある。駅前には、雑貨屋と飲み屋が数軒あるのみである。

[編集] 運行形態

列車種別各駅停車のみである。本・支線とも他路線との定期列車の直通運転は行われていない(旅客回送列車と貨物列車は除く)。列車番号の末尾は本線が"F"で、支線が"H"である。

利用度は立川~府中本町間を除き川崎寄りで高いため、昼間以外は川崎から武蔵溝ノ口・登戸・稲城長沼の各駅までの折り返し列車と全線通しの列車が多数設定されている。ただし立川・稲城長沼・登戸~武蔵溝ノ口・武蔵中原間の折り返し列車も1日数本設定されている。そのほか朝に2本登戸発立川行の電車がある。車両基地(中原電車区)が武蔵中原駅構内にあり、朝のラッシュ後と終電近くには下り武蔵中原行の列車も設定されている。早朝と夕ラッシュの1時間30分前には武蔵中原始発上り川崎行もある。また一部早朝と夕ラッシュ時には矢向始発上り川崎行の列車もある。

運行本数(川崎側)は、平日は朝が2~4分間隔、昼間が10分間隔、夕方が4~6分間隔、土曜・休日は朝が5~6分間隔、昼間が8~9分間隔、夕方が7~8分間隔であり、昼間は平日より土曜・休日の方が本数が多くなっている。

尻手駅から浜川崎駅までの支線(通称浜川崎支線南武支線浜川崎線)を持ち、線内でワンマン運転を行う2両編成の列車が折り返し運転を行っている。川崎区内は路線バスの本数が多いこともあり、こちらは昼間は1時間に1~2本の閑散ダイヤであるが、朝夕には本数が増え、平日・土曜日の沿線工場への通勤客を中心に利用されている。

また、尻手~浜川崎間は前述の中央本線・青梅線と武蔵野線の間を走るように、浜川崎駅で接続する鶴見線沿線にある工場からの貨物列車が終日旅客列車の合間を縫って多数運転されている。

[編集] 快速運転

戦前には川崎~武蔵溝ノ口間に準急が運行されていたという話があるほか、国鉄時代の1969年12月15日から1978年10月2日まで川崎~登戸間に快速列車が運行されていた。中央線の武蔵小金井電車区(現・豊田車両センター武蔵小金井派出所)から朱色の101系を借用して10~15時台に運転間隔60分で1日6往復運行された。途中停車駅は東急と接続する武蔵小杉と武蔵溝ノ口の2駅のみで、武蔵中原での追い抜きは行われていたが途中駅での各駅停車との接続は一切なかった。昼間の各駅停車を減便する形で快速運転を実施したこともあって、利用者からは非常に不評で、しまいには社会党の議員なども介入し国鉄に対して運転中止を申し立て、廃止運動まで発展することもあった。この快速運転は、旧型車から101系への車両置き換えが完了して各駅停車の速度が向上したことを理由に中止された。

なお、JR民営化後の長期計画では稲城長沼駅・武蔵溝ノ口駅などの改良(2面4線化)を前提とした快速運転の復活が挙げられている。稲城長沼駅は高架化により2面4線に改良されるものの、武蔵溝ノ口駅の改良は一段落しており、2007年現在、JR側の快速運転の実現に向けた動きは見られていないが、稲城長沼駅の4線化や発車標の導入など少しずつ快速運転復活に向けて歩みだしていると言えよう。また、南武線の駅は利用者が多い駅と少ない駅の差が大きくなってきており、南武線と接続する各路線では武蔵野線以外は優等種別の存在が当たり前になっていることから、利用者からは毎年のように快速運転の復活が要望されている。ただし、快速を走らせるとしても、列車本数のラッシュ時の多さと昼間時の少なさが両極端で、その兼ね合いが問題である。昼間の本数の少なさから、特に川崎側の他線と接続しない駅の利用者からは各駅停車を増発せずに快速を復活することに反対する声があがることが懸念される。また、過去の快速廃止は利用者にはほとんど記憶されていないが、一部遺恨を残している可能性もある。なお、現在南武線で主に使用されている205系には「快速」の幕も準備されている。

臨時列車では快速「川崎-奥多摩ハイキング号」が毎年のレジャーシーズン限定で運行されている。南武線内の停車駅は川崎・武蔵小杉・武蔵溝ノ口・登戸・立川である。府中本町に停車したこともあったが、後に中止された。下りは武蔵溝ノ口で、上りは武蔵中原で各駅停車を追い越す。2003年からは201系「四季彩」(4両編成)が使用されている。

[編集] 貨物列車

貨物列車は本線の川崎駅~尻手駅間を除く全線で運行されている。浜川崎駅~立川駅間で運行されているのは専用貨物列車のみで、1日1往復安善駅拝島駅を結ぶジェット燃料輸送列車(通称「米タン」)と、1日1本川崎貨物駅から南松本駅へ向かう石油輸送列車が南武線を通過している。

府中本町駅以北では、武蔵野線と中央本線を結ぶ高速貨物列車が1日1往復、専用貨物列車は下り列車が1日7本、上り列車が1日8本運行されている。高速貨物列車はコンテナ車のみで、専用貨物列車は石油輸送用タンク車で編成されている。

浜川崎~八丁畷間は旅客線は単線であるが、並行して貨物線(東海道貨物線の一部)が敷設されている(川崎新町~八丁畷間は複線)。この区間は浜川崎駅方面と鶴見駅方面を結ぶ高速貨物列車が多く運行されている。尻手駅と新鶴見信号場を結ぶ貨物支線もあり、それを利用し浜川崎駅方面と武蔵野線方面を結ぶ列車も運行されている。

かつては奥多摩駅を発着する青梅線直通の石灰石輸送列車が運行されていたが、1998年8月13日限りで運休し、10月3日のダイヤ改正で廃止された。

[編集] 問題点

南武線は2007年3月18日のダイヤ改正までは平日日中の運行本数が毎時5本で、土曜・休日日中よりも運転本数が2本少なかった。南武線と乗り換えができる各線で毎時5本・12分サイクルというダイヤ設定をしていた路線は武蔵野線のみで、本数・運転間隔の違いや発着時刻のずれなどから他路線との接続が非常に悪く、JR・私鉄各線から南武線に乗り換える時は駆け込み乗車が多く乗り遅れることも少なくなかった。

なお、2007年3月18日ダイヤ改正([1])で平日日中の運転本数が毎時6本になったので、この問題についてはかなり改善されたが、登戸駅はこの改正で小田急線上り急行・多摩急行と南武線上り、南武線下りと小田急線下り急行・多摩急行の発車時刻がほぼ同じになったため引き続き接続が悪い。

他のJR線は編成が8~15両なのに対し、南武線は1編成あたり6両と短いため、他の路線よりも混雑率が高いことが多い(2006年度最混雑区間の武蔵中原→武蔵小杉間で192%)。特に川崎発22時以降の立川行は20分に1本程度になるため、深夜帯でありながら朝の通勤ラッシュ並みの混雑になることが多い。しかし、編成を長くするために必要となるホーム延伸が、踏切に挟まれるなどの立地条件の都合でできない駅も多いため難しい。朝の増発も留置容量の増加が必要なため困難で、これ以上は不可能だと考えられている。また、深夜も、武蔵中原など車両が留置できる駅まで車両を回送する必要があるほか、西国立~立川間の曲線で発生するフランジ音により少なからず苦情が来ている[要出典]ため、増発は不可能に近いと考えられている。2004年6月に東京都が踏切対策基本方針としてこの区間を含めた鉄道立体化の方針を出している。

平日朝ラッシュ時には上りの登戸~川崎間が2分30秒間隔で運転されている上に、踏切遮断時間が貨物列車を考慮しているため、踏切が開かない時がある。それによる交通渋滞も慢性化していてバスは定時運行ができず、また踏切遮断による大気汚染も発生しているため、早期の解決を求める署名運動もある。

他の路線と同様に、ラッシュ時間帯を含め205系において座席の色分けがなされているものの、定員着席が行われていないことが多々ある。これにより混雑が増しているともいえる。209系は座席が1人分ずつ区分されているので、こういったことは起こりにくいが、逆に閑散時に隣に座りにくく、かえって有効座席数が減少するという問題もおきている。

[編集] 歴史

二ヶ領用水・船島鉄橋を走る南武線205系1200番台(2006年3月29日、宿河原~登戸間にて撮影)
二ヶ領用水・船島鉄橋を走る南武線205系1200番台(2006年3月29日、宿河原登戸間にて撮影)
多摩川鉄橋(南多摩~府中本町間にて撮影)
多摩川鉄橋(南多摩~府中本町間にて撮影)

南武線は、私鉄の南武鉄道により開業した路線である。

免許の出願は多摩川砂利鉄道として行われており、多摩川の川原で採取した砂利を運搬するのが目的であった。1920年1月29日に免許が交付された後、3月1日に会社を設立し、社名を南武鉄道に改称した。3月17日には終点を立川まで延長、府中町~国分寺町間の支線の敷設を追加で申請した。これらは単に砂利を運搬するだけでなく、多摩地域と川崎とを結ぶ交通路線となることも目指したものであった。

会社設立の際、資金集めに難航し、地元の発起人が次々と脱退した。そんな中、浅野セメント(現在の太平洋セメント)の浅野総一郎とその系列企業が名乗りを上げた。浅野総一郎は既に青梅鉄道(現在の青梅線)を傘下に収めており、セメントの原料の石灰石を青梅鉄道から中央本線・山手線・東海道本線経由で工場のある川崎まで運んでいた。川崎と立川を結ぶ南武鉄道を傘下にすればすべて自分の系列の路線で運搬することができ、輸送距離も大幅に短くなる。両者の利害が一致し、南武鉄道は浅野系列となった。

1927年3月9日に川崎駅~登戸駅間と貨物線の矢向~川崎河岸間が当初から全線電化で開業した。ただし貨物線は1970年5月25日廃止。南武鉄道は電車6両、蒸気機関車2両、貨車44両を保有していた。目黒にあった競馬場を沿線の府中に誘致し、稲田堤の桜や久地の梅園などへの花見客を誘致するなど、利用者増加のための努力が行われ、特に競馬開催時に電気機関車牽引の客車列車を運転するほどの利用客があった。1927年11月1日に登戸~大丸(現・南多摩)間、1928年12月11日に大丸~屋敷分(現・分倍河原)間を延伸、1929年12月11日に分倍河原~立川間を開業、全線が開通した。全通当時は川崎~立川間35.5kmを1時間10分で結んでいた。1930年3月25日に支線の尻手~浜川崎間も開業した。

1930年代以降、沿線には日本電気、富士通信機製造(現・富士通)などの工場が進出し、沿線の人口が急増、南武鉄道はその通勤客を運ぶことになった。また、帝都防衛のための軍事施設も沿線に多く造られ、そのための軍事輸送も南武鉄道が担うこととなった。また、石灰石輸送などにおける浅野の資本系列の奥多摩電気鉄道、青梅電気鉄道、南武鉄道、鶴見臨港鉄道の連携が重要視され、4社の合併への協議がなされた。合併交渉途上に鶴見臨港鉄道が国有化されたが、1943年9月には残る3社の合併が決定し、1944年2月に関東電鉄(関東鉄道との記述もあり。茨城県の関東鉄道とは別)が発足することとなっていたが、東海道線や工業地帯と中央線を結ぶ重要路線であること、重要物資の石灰石を輸送していること、軍事施設や重要工場が沿線に存在することなど軍事上重要な路線だという理由で、1944年4月1日に戦時買収私鉄指定で国有化され南武線となった。この頃に一部の駅が廃止されている。なお、戦後1946~1949年頃に4社で払い下げ運動がなされた際も払い下げ後はただちに4社が合併して関東電鉄となる予定であった。

その際に南武鉄道は会社を解散せず、バス事業を立川バスに継承し、路線以外で保有していたわずかな土地を管理する会社となった。その後アサノ不動産太平洋不動産(現在の本社は東京都。神奈川県に本社を置く同名の会社とは別)と社名を変更し、太平洋セメントの傍系会社として現在も存続している。

戦後、高度経済成長により東京都区部の人口が増加すると、南武線沿線も私鉄との乗り換え駅を皮切りに都市化が進み、利用客が急増した。国鉄は車両の増結と複線化工事の実施などで輸送力増強を進め、1960年代後半には6両化と全線の複線化(1966年9月30日)を完成させた。その後も車両の大型化や新型化、一部区間の高架化などの事業を進めている。高架化は1990年12月20日に武蔵小杉~武蔵溝ノ口間、2005年10月9日に稲田堤~稲城長沼間が竣工した。

1980年代には、武蔵溝ノ口にあった東芝や鹿島田の日立製作所など一部の工場が郊外に移転した敷地にパークシティなどの高層マンションが建つようになり、沿線人口はさらに増加したが、1990年代以降の乗客の増加率は横這い状態にある。なお、武蔵溝ノ口の池貝鉄工跡にはKSP(かながわサイエンスパーク)が建てられた。

2007年現在、武蔵小杉など沿線ではマンション建設が盛んで、再び混雑が進んでいる。また、稲城長沼~南多摩間の立体交差事業が2012年度完成を目指して進行中であり、2008年度には分倍河原~谷保間に新駅「西府」が開業、2009年度には、横須賀線にも武蔵小杉駅が開業する。また東京都の都市計画事業における踏切対策基本方針として矢川~西国立を中心とした区間の高架計画がある。

[編集] 年表

  • 注:特に戦前において許認可と実態に差異のある場合がある。
  • 1920年大正9年)1月29日 - 多摩川砂利鉄道として川崎町~稲城間の鉄道敷設免許を取得。
  • 1927年昭和2年)3月9日 - 川崎~登戸間(10.7M≒17.22km)、貨物支線 矢向~川崎河岸間(1.0M≒1.61km)開業。
    尻手停留場、矢向駅、鹿島田停留場、平間停留場、向河原駅、武蔵中原駅、武蔵新城停留場、武蔵溝ノ口駅、宿河原駅、登戸駅、(貨)川崎河岸駅開業。
    • 3月22日 - 向河原~武蔵中原間に丸子競馬場仮乗降場開業。
    • 3月25日 - 丸子競馬場仮乗降場廃止。
    • 8月11日 - 武蔵中丸子停留場、久地梅林停留場(現在の久地駅)開業。
    • 11月1日 - 登戸~大丸間(5.0M≒8.05km)延伸開業。
    既存区間にグラウンド前停留場(現在の武蔵小杉駅)、武蔵小杉停留場、新規開業区間に中野島停留場、稲田堤停留場、矢野口停留場、稲城長沼駅、大丸停留場開業。
  • 1928年(昭和3年)2月8日 - 尻手停留場、鹿島田停留場を仮停車場に格上げ。
    • 6月13日 - 尻手仮停車場、鹿島田仮停車場を停留場に格下げ。
    • 8月7日認可 - 稲田堤停留場を駅に格上げ。
    • 9月29日 - 矢向~向河原間複線化。
    • 12月11日 - 大丸~屋敷分間(2.2M≒3.54km)延伸開業。是正多摩川停留場、府中本町駅、屋敷分駅(現在の分倍河原駅)開業。
  • 1929年(昭和4年)頃 - 尻手停留所を駅に格上げ。
  • 1929年(昭和4年)3月20日 - 川崎~矢向間複線化。
    • 8月1日認可 - 中野島停留場を駅に格上げ。
    • 9月7日認可 - 是正多摩川停留場を駅に格上げ。
    • 9月10日 - 貨物支線 向河原~市ノ坪間(0.4M≒0.64km)開業。(貨)市ノ坪駅(新鶴見操車場隣接)開業。
    • 12月11日 - 分倍河原~立川間(4.2M≒6.76km)延伸開業。屋敷分駅を分倍河原駅に改称。西府停留場、谷保駅、西国立駅、東立川停留場開業。
  • 1930年(昭和5年)3月25日 - 貨物支線 尻手~浜川崎間 (4.0km) 開業。八丁畷停留場、川崎新町駅、新浜川崎駅開業。
    • 4月1日 - 尻手~浜川崎間を除く路線で、マイル表示からメートル表示に変更(川崎~立川間 22.1M→35.5km、尻手~川崎河岸間 1.0M→1.7km、向河原~市ノ坪間 0.4M→0.7km)。
    • 4月10日 - 支線 尻手~新浜川崎間で旅客営業を開始。
    • 8月9日 - 南武是正~府中本町間に(貨)南多摩川仮停車場開業。
  • 1931年(昭和6年) - 大丸停留場を多摩聖蹟口停留場に改称。
    • 1月30日認可 - グラウンド前停留場を仮停車場に格上げ。
    • 9月16日 - グラウンド前仮停車場を駅に格上げ。
    • 11月5日 - 本宿停留場開業。
    • 11月15日 - 新丸子~グラウンド前間(営業キロ設定なし)、立川~西立川間 (2.1km) 開業。
  • 1932年(昭和7年)5月20日 - 矢川駅開業。
    • 6月17日届出 - 是政多摩川駅を南武是政駅に改称。
    • 8月2日 - 南多摩川仮停車場廃止。
  • 1933年(昭和8年)6月16日認可 - 南武是正駅を停留場に格下げ。
  • 1934年(昭和9年)4月1日 - 宿河原不動停留場開業。
    • 10月21日 - (貨)南多摩川駅(現在の南多摩駅)開業。
  • 1936年(昭和11年)1月 - 登戸連絡線の仮設物認可。
    • 2月3日認可 - 西府停留場を駅に格上げ。
    • 3月19日認可 - 武蔵溝ノ口~久地梅林間に久地信号所を開設。
    • 9月11日 - 南武鉄道所属車両の小田急線乗り入れおよび小田急所属貨車128両の南武線乗り入れ認可。
  • 1937年(昭和12年)10月30日 - 向河原~武蔵中原間複線化。
  • 1939年(昭和14年)4月5日 - 武蔵中原~武蔵溝ノ口間複線化。
    • 9月14日 - 南多摩川駅が多摩聖蹟口停留場を併合し移転、南多摩駅に改称し旅客営業開始。
  • 1940年(昭和15年)8月5日 - 向河原駅を日本電気前駅に改称。
    • 8月17日 - 貨物支線 立川~西立川間 (2.1km) 休止。
    • 9月1日 - 休止中の貨物支線(立川~西立川間)の起点を武蔵上ノ原駅に変更 (-0.9km)。
    • 10月3日 - 南武鉄道が五日市鉄道を合併。
    • 11月28日認可 - 西府駅を停留場に格下げ。
  • 1941年(昭和16年)2月5日 - 日本ヒューム管前停留場(現在の津田山駅)開業。
  • 1941年(昭和16年)頃 日本ヒューム管前~久地梅林間複線化。
  • 1942年(昭和17年)4月16日認可 - 久地梅林停留場を駅に格上げ、同時に久地信号所を併合。
  • 1943年(昭和18年)4月9日認可 - 日本ヒューム管前停留場を駅に格上げ。
    • 9月8日 - 南武鉄道、青梅電気鉄道、奥多摩電気鉄道の合併が仮調印される。
    • 12月20日 - 宿河原~登戸間複線化。
  • 1944年(昭和19年)2月1日 - 関東電鉄発足予定(実現せず)。
    • 4月1日 - 国有化。国鉄南武線となる。
    武蔵小杉停留場、宿河原不動停留場、南武是政停留場、本宿停留場、西府停留場、東立川停留場廃止。停留場を駅に格上げ。新浜川崎駅を浜川崎駅に、市ノ坪駅を新鶴見操車場に統合。日本電気前駅を向河原駅に、グラウンド前駅を武蔵小杉駅に、日本ヒューム管前駅を津田山駅に、久地梅林駅を久地駅に改称。
    川崎~尻手間の貨物営業廃止。川崎新町~浜川崎間改キロ (+0.1km)。貨物支線 向河原~市ノ坪間を鶴見駅まで延長 (+4.0km)。向河原~新鶴見操車場~品川間に営業キロ設定 (14.7km)。
    休止中の貨物支線 武蔵上ノ原~西立川間 (1.2km) を青梅線に編入。10月11日に青梅線として営業廃止され、五日市線の立川~武蔵上ノ原間と共に青梅線の一部(青梅短絡線)となっている。
  • 1945年(昭和20年)4月15日 - 空襲により川崎~向河原間不通、17日に浜川崎まで、19日向河原まで再開、平間駅と武蔵中丸子駅休止。
  • 1946年(昭和21年)5月1日 - 平間駅営業再開。
  • 1951年(昭和26年)5月1日 - 尻手~新鶴見操車場間に路線敷設(営業キロ設定なし)。
  • 1954年(昭和29年)3月21日 - 尻手駅付近高架化。
  • 1960年(昭和35年)3月20日 - 久地~宿河原間複線化。
    • 3月27日 - 武蔵溝ノ口駅~津田山間複線化。
  • 1962年(昭和37年)8月7日 - 久地~津田山間の踏切で電車が小型トラックと衝突して脱線、対向電車と衝突、3人死亡。
  • 1963年(昭和38年)11月7日 - 登戸~稲田堤間複線化。
    • 11月12日 - 稲田堤~稲城長沼間複線化。
  • 1966年(昭和41年)3月25日 - 谷保~西国立間複線化。
    • 9月30日 - 稲城長沼~谷保間複線化。立川駅構内を除き全線の複線化が完成。
  • 1969年(昭和44年)12月15日 - 101系を武蔵小金井区より借用。日中に60分間隔で快速の運転開始。
  • 1972年(昭和47年)5月25日 - 貨物支線 矢向~川崎河岸間 (1.7km) 廃止。(貨)川崎河岸駅廃止。
    • 9月12日 - 千葉地区から捻出の101系が中原区に転入。
  • 1973年(昭和48年)10月1日 - 貨物支線 向河原~新鶴見操車場~鶴見間 (4.7km) 廃止、向河原~新鶴見操車場~品川間 (14.7km) の営業キロ廃止。貨物支線 尻手~新鶴見操車場~鶴見間 (5.4km) 開業、尻手~品川間に営業キロ設定 (+15.4km)。川崎~尻手間の貨物営業再開。
  • 1976年(昭和51年)3月8日 - 京浜東北線から101系が転入、南武線の半数が101系となる(1978年に101系へ統一)。
  • 1978年(昭和53年)10月2日 - 快速の運転終了。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が川崎~尻手間を除く全線の第二種鉄道事業者となる。川崎~尻手間の貨物営業廃止。尻手~新鶴見信号場~品川間の営業キロ設定 (15.4km) 廃止。
  • 1988年(昭和63年)3月13日 - 支線 尻手~浜川崎間でワンマン運転開始。
  • 1990年平成2年)12月20日 - 川崎市中原区内の高架化が完成。
  • 2005年(平成17年)10月9日 - 矢野口駅付近の高架化が完成。
  • 2006年(平成18年)1月頃 - 一部駅の接近放送が東海道型から仙石型に変わる。
    • 3月26日 - 川崎~立川駅間でATOS使用開始(なお、発車標には列車接近表示機能がある)。
  • 2007年(平成19年)3月18日 - ダイヤ改正。平日日中の運転本数が毎時5本(12分間隔)から毎時6本(10分間隔)に増加。
  • 2008年(平成20年)度末 - 分倍河原~谷保間に西府駅開業予定。
  • 2011年(平成23年)頃 - 矢野口駅~南多摩駅間の立体交差事業が完成予定(矢野口駅前後は既に完成)。

[編集] 車両

[編集] 本線

定期運用
  • 205系6両編成 (4M2T)
  • 209系6両編成 (4M2T) - こちらは少数である。

1978年まで茶色の旧型国電が走っており、「チョコ電」として同線の代名詞となっていた。

快速運転の実施中から他路線から転属した101系に置き換えられていった。転属後もしばらくは黄色のほかに朱色や緑・青など元の路線の塗装色で混結させての運行も行われていた。そのためか、当時南武線のラインカラーが判らない、特定しにくいという人もいたが、これらは最終的にはすべて黄色に塗り替えられた。101系はその後103系に置き換えられていき、1991年1月に引退していった。その後も一部は鶴見線に運用の場を移したが、これも翌1992年の5月までに姿を消している。

1989年3月から新造のステンレス車205系が南武線独自のラインカラー(黄・橙・ぶどう色)で配備され、その後1993年4月からの209系とともに全体の半分程を占めるようになった。もう半分はすべて209系とする計画もあった[要出典]が、結局は103系後期仕様の高運転台車となった。

2003年度から、103系はE231系500番台の投入に伴い山手線で使われていた205系への置き換えが進められ、翌2004年12月に完了した。運転取扱上の問題と保守効率化のため、浜川崎支線および鶴見線も管轄する中原電車区管内に改造車が集中投入されたことから、南武線にのみ先頭車は中間車からの改造車(205系1200番台)と非改造車の両方が配置されることとなった。他線にはどちらか片方が選択的に投入されている。

209系は2次車の川崎重工業製(クハ209-13からの6両編成・ナハ1編成)と8次車東急車輛製(クハ209-68からの6両編成・ナハ32編成)の編成が1本ずつ配置されている。なお8次車には緊急停止装置は装備されていない。両者のこれ以外の違いとして、ナハ32編成には行先横に線区表示幕が付いていないなどが挙げられる。205系新製車は当初コスト削減のため、ドア表示灯が電球であったりドア下に滑り止めがついていなかったりしたが、現在はドア表示灯は電球からLEDになり、ドアの下には滑り止めもついている。山手線からの転属車のうち、先頭化改造車については車いすスペースが設置されている。なお、このうち1本が埼京線の余剰車を先頭化する予定であったが、土崎工場のミスで全車が山手線からの転属車となった。

なお、2006年7月下旬から順次、ドア下部に豊田車両センター所属の201系のみであった「ひらくドアにちゅうい」ステッカーの貼り付けを行っている。その後横浜線や、鶴見線にも取り付けられた。

開業80周年記念塗装(2007年3月、登戸駅にて撮影)
開業80周年記念塗装(2007年3月、登戸駅にて撮影)

2007年3月5日から、南武線開業80周年を記念するステッカーとヘッドマークが205系8本に貼付され、ヘッドマークは先頭車の前面に、ステッカーは側面に貼付された。

現在では同じように中古車が多い京葉線が「京葉中古車センター」と呼ばれることがあるのと同じように、これらの事情から、国鉄末期の頃までは「首都圏の通勤電車の墓場」と呼ばれることが多かった。

貨物列車の牽引機としてはEF64EF65EH200などが使用される。

臨時運用

など。臨時列車用に一部の駅には8両対応のホームや8両用の停止位置がある。また、過去にはアルファリゾート21583系が入線したこともある。なお、2008年度末に開業予定の西府駅のホームは6両編成対応となる。

[編集] 支線

支線の列車は

101系がJR最後の定期運用に就いていたが、2002年8月に205系1000番台が営業を開始したことにより、翌2003年11月に101系は定期運用から離脱した。205系1000番台は、101系の塗色を踏襲して緑色とクリーム色の線が引かれている。

[編集] 過去の車両

[編集] 南武線の車両

南武線で使用されていた101系 (1990年頃、武蔵溝ノ口駅~武蔵新城駅にて撮影)
南武線で使用されていた101系 (1990年頃、武蔵溝ノ口駅~武蔵新城駅にて撮影)

[編集] 南武鉄道の車両

南武鉄道の電車も参照。

南武鉄道時代の車両は買収後も番号もそのままで使用され、1947年10月までは省形は建築限界の関係で入線することができなかったこともあり、電車については旧青梅電気鉄道車の転入や小田急からの借用車などとともに最終的には1951年5月まで使用された後に富山港福塩可部宇部線などへ転出、電気機関車については南武鉄道時代から乗り入れていた旧青梅電気鉄道、旧奥多摩電気鉄道の機関車とともに廃車まで青梅・南武線で使用された。また、南武鉄道時代には競馬開催時に小田急から借り入れた車両が使用されたり、向河原まで小田急の電気機関車が砂利輸送列車を牽引して乗り入れたりしている。

蒸気機関車
  • 1(1925年汽車製造製22tCタンク、買収後1120)
  • 2(1926年汽車製造製1C1タンク、買収後3255、相鉄かしわ台車両センターで保存の神中鉄道3号機と同形)
  • 12(1927年長野電鉄12を譲受、1923年川崎造船製40t1C1タンク、買収後90)
  • 3(1937年雲仙鉄道23を譲受、1922年雨宮製作所製25t1Bタンク、買収後3015→常総筑波鉄道9)
電気機関車
  • 1001(1928年~1929年日立製作所製BB箱形50t、買収後ED34→ED27)
電車
  • モハ100(1926年~1931年汽車製造製、15m級dD12D1)
  • モハ150(1941年帝国車両製、17m級d1D4D4D2)
  • モハ400(1935年譲受の旧国鉄モハ1060、1064、鶴見臨港鉄道へ譲渡)
  • モハ500(501・502は1937年譲受の旧国鉄モハ1055・1056、1942年日本鉄道自動車で鋼体化しモハ505・506、17m級dD6D6D1、503・504は旧国鉄モユニ2002・モニ3006の鋼体化で1940年木南車両製16m級dD4D4D1)
  • クハ210(1939~1940年木南車両製、15m級dD4D4D1)
  • クハ250(1942年汽車製造製、17m級d1D4D4D2、モハ150と同形)
  • サハ200(1939年木南車両製、阪神の木造車の車体利用の14m級の201・202と南海の木造車の車体利用の16m級D141D141D正面5枚窓の203、サハ201は後に矢向電車区の食堂に転用)
  • サハ215(1941年国鉄盛岡工場製18m級3扉、木造客車改造)
  • ハ216(1942年国鉄旭川工場製17m級3扉、木造客車改造)
  • サハ301(1942年国鉄釧路工場製15m級2D10D2、木造客車改造)
貨車
  • 有蓋車:ワ1~8、11~29、301~304、ワフ1~4、ワブ301~306、テブ201~209
  • 無蓋車:ト1~40、301~330、401~453、454、455、458~464、トム101~130、トフ1~4、ヲキ1~8、ヲサフ1~2

[編集] 駅一覧

[編集] 本線

駅名 駅間
キロ
累計
キロ
接続路線 所在地
川崎駅 - 0.0 東日本旅客鉄道:東海道本線京浜東北線
京浜急行電鉄本線大師線(ともに京急川崎駅
神奈川県 川崎市川崎区
尻手駅 1.7 1.7 東日本旅客鉄道:南武線(支線) 川崎市幸区
矢向駅 0.9 2.6   横浜市鶴見区
鹿島田駅 1.5 4.1 東日本旅客鉄道:横須賀線新川崎駅:徒歩連絡) 川崎市幸区
平間駅 1.2