KRLジャボタベック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
KAコミューター・ジャボデタベック
PT KAI Commuter Jabodetabek
Three Generations of Jabodetabek Railway.jpg
種類 公社
略称 KCJ
本社所在地 Jl. Ir. Juanda I B No.8-1 ジャカルタ 10120
設立 2008年9月15日
業種 旅客鉄道事業
事業内容 旅客鉄道事業
外部リンク PT KAI Commuter Jabodetabek(インドネシア語)
テンプレートを表示

KRLジャボタベックインドネシア語KRL Jabotabek)は、インドネシアジャカルタ首都圏通勤電車網の愛称である。[1]ジャボタベックは、ジャカルタ首都圏の通称で、構成するジャカルタ Jakarta、ボゴール Bogor、デポック Depok、タンゲラン Tangerang、ブカシ Bekasiの頭文字を組み合わせたものである。

運営は鉄道公社を1999年に民営化したPT. Kereta Api (PT. KAI)が直接運営していたが、2008年9月よりPT. Kereta Apiの子会社であるPT. KAI Commuter Jabodetabek[2]が運営している。

概要[編集]

ジャカルタ都市圏の鉄道の電化は、オランダ統治時代の1925年にバタヴィア(現ジャカルタコタ) - ボゴールで実施されたことにはじまる[3]。しかし、その後の進展はしばらくの間なかった。 新たな動きが出てくるのは、インドネシア独立後の1970年代のことで、日本の円借款を利用して旅客輸送改善を実施することになった。契約は1972 - 1981年にかけて順次締結され、これにより設備の近代化、ディーゼル動車の投入、1976年からは電車の投入が実施された。

さらに、JICA(国際協力機構)は、1981年にマスタープランである「ジャカルタ大都市圏鉄道輸送計画」を作成。これに基づき、円借款によるODAとして、人口約2000 万人の圏域(約50km圏)に約150kmの都市鉄道ネットワークを整備する「ジャボタベック圏鉄道近代化事業」が実施された。このプロジェクトを「JABOTABEK鉄道プロジェクト」と称した[4]。このプロジェクトの進展により、1984年当時5万人強しかいなかったジャカルタ都市圏の鉄道利用者は、2010年には約36万人に拡大した[5]

本プロジェクトは、都市圏郊外圏と都心拠点とを結ぶ「郊外型サービス」を担うものとして計画された。但し、ジャカルタ広域都市圏については、総合的な都市交通計画が存在しなかった。そのため、都心部地域内の短距離移動を担う「都心型サービス」の計画が全く進まないままに、「郊外型サービス」を担う本プロジェクトのみが進められるという状況が生じることになった。なお、既存の鉄道の資産(施設・用地、設備、運営組織、職員)を最大限活用するものとして進められたことも、本プロジェクトの特徴であった。

事業完成後の施設運営および維持管理は、当初インドネシア国鉄 (PJ.KA) を前身とする鉄道公社 (Perum KA)の第1ジャワ地域事業部 (DAOP I)が担当した。その後、1999年にPerum KA は民営化され、PT. Kereta Api (PT. KAI)となった。民営化はいわゆる「上下分離方式」(インフラは公的機関が主導的に整備し、運行および維持管理を民間鉄道事業者に委ねる方式)により行われた。不動産は政府が保有し、車両等の動産がPT. Kereta Apiに譲渡されることになった。

2008年にはKRLジャボタベックについてはPT. Kereta Apiの子会社であるであるPT. KAI Commuter Jabodetabek(PT.KCJ)が運営することとなったが、ジャカルタ周辺の中長距離列車は引き続きPT. Kereta Apiが運営している。KCJは2013年に列車別運賃から距離別運賃へ移行したため、同一の線路上で異なる運賃制度による列車が運行されることとなった。

路線と運行[編集]

概要[編集]

KRLジャボタベック路線図

路線[編集]

  • 中央線
ジャカルタコタ駅からマンガライ駅間9.9kmの複線。コタ駅とマンガライ駅以外の区間(8.7km)は1993年に日本の円借款により高架化された。また途中にあるガンビル駅は中長距離列車専用のため通過するが、ガンビル駅には引上げ線・機回し線がなく機関車の付け替えに本線がふさがれ、定時運行の障害になっている。
  • ボゴール線
マンガライ駅からデポックを経由してボゴールへ向かう44.9kmの複線。乗客数の一番多い路線である、途中デポックには車両基地がありデポック駅の次のチタヤム駅からはナンボまで18kmの支線が有り、かつては気動車が直接ボコール線に乗り入れていたが2013年3月には電化された。がインドネシア運輸省の認可が下りず旅客営業の予定が立っていない。デポック-ボゴール間22kmで標高が100m上がる。線路はボゴールからスカブミチアンジュール経てPT KAI本社の有るバンドンへと続いているが途中のトンネル内部の崩落事故によりPT KAIの気動車により折り返し運転がされている。
  • ブカシ線
マンガライ駅-ブカシ駅間18.5km、元々はジャカルタからチカンベックチレボンを経由してスラバヤへ向かう720kmの一部。2016年完成を目指してマンガライ駅-ブカシ駅の複々線化工事とブカシからチカランまで17kmの電化工事が日本の円借款により進められている。
  • タンゲラン線
デュリ駅-タンゲラン駅間19kmの単線、タンゲラン駅の一つ手前にあるに有るバトゥ・チェプール駅からスカルノ・ハッタ国際空港へのアクセス鉄道が計画されている。
  • スルポン線
タナアバン駅-セルポン-パルンパンジャン-マジャ間56km。ジャカルタとスマトラ島との連絡港の有るメラクをつなぐ142kmの一部。電化区間はタナアバン駅-セルポン駅間22kmだったが2009年9月にパルンパンジャンまで12kmが、2013年4月にマジャまで22kmが電化された。タナアバン駅-パルンパンジャン駅間は複線、パルンパンジャン駅-マジャ駅間は複線化工事中。
  • 環状線
ジャティネガラ駅-パサール・スネン駅-カンプンバンダン駅-デュリ駅-タナアバン駅-マンガライ駅-ジャティネガラ駅。現在は環状運転はされておらず、参考文献の斉藤幹雄氏の著書には東線・西線と書かれている。

運行系統[編集]

路線図にあるピンクラインは実際には運行されておらず、代替としてフィーダーラインが設定されている。

この他、クマヨラン - タンジュンプリオクとチタヤン - ナンボが電化されているが、KRLジャボタベックの列車は運行されていない。2016年を目標に、マジャ - ランカスビトゥンとブカシ - チカランの電化区間の延長、マンガライ - ブカシの複々線化が計画されている。

中長距離列車との分離のため、ジャボタベックの列車はガンビルパサールスネン(ジャティネガラ方面)、アンケを通過する措置が取られている。

かつては複数の種別があったが、2013年よりジャボタベックの全列車が冷房付各駅停車「Commuter Line」に統一されている。

車両[編集]

概要[編集]

KRLジャボタベックでは日本・韓国・欧州のメーカーから車両を輸入[6]していたほか、近年ではインドネシア国内のメーカーであるPT INKAからも車両を購入していた。しかし1997年アジア通貨危機以降新車の導入が困難となり、なおも車両が大量に不足していたことから、軌間・架線電圧といった主要規格が同じ日本からの中古車両の輸入に踏み切っている。

日本から導入された車両は、バックゲージ(車輪のフランジの内側の幅が日本990mm・インドネシアは1000mm)の違いから台車を一度分解して再調整され、塗装変更、前面スカートの取り付けと警戒色の赤に塗られ、正面窓に投石よけの金網の取り付け、側面窓・扉窓は強化フィルム貼付、乗降扉に低床ホームからの乗降のためのステップ、手すりの取り付けなどの改造が施されている。それに合わせて「壊れたらその都度修理する」から予防保全と呼ばれる日本式の車両整備点検法(定期点検により壊れる前に修理調整、消耗部品の交換)を教えるための人材を「社)海外鉄道技術協力協会」から派遣、現地メンテスタッフの日本での研修。ODAによるデポック車両基地の建設などが行われた[7]。さらに2013年のJR東日本より205系電車の導入に合わせて205系のメンテナススタッフが直接KRLジャボタベックへ派遣され、メンテ法を指導した。

2009年以降に導入した中古車両は「PT KAI Commuter Jabodetabek」が保有しており、「PT Kereta Api」保有車両とは塗装が異なる。

「Commuter Line」への統一により、非冷房車は2013年7月24日を以って営業運転を終了した。

現在の車両[編集]

Hibah(東京都交通局 6000形

2000年に72両が導入された。東京都より無償譲渡されたため贈り物を意味する“Hibah”の愛称をもつ(ただし輸送費と改造費用はインドネシア側が負担)、合わせてメンテナスや規格の専門家が日本から派遣指導した。原型7編成とインドネシアのPT INKAで運転台を取り付けた4編成の計11編成が在籍し、編成の自由度が高いことから頻繁に組換が行われている。セミステンレス車体、抵抗制御。2010年からは「KL1-〇〇〇〇(元番号)」をつける形で現地番号が付けられたが2012年に「K1 1 00 01」-「K1 1 00 49」・「K1 1 01 01」-「K1 1 01 23」とのナンバーが取り付けられた[8]。2008年から2009年にかけて発生した追突事故により6252と6155が使用不可能となった。

JR 103(東日本旅客鉄道 103系

2004年に4両4編成が導入された。普通鋼車体、抵抗制御。

Seri 5000(東京地下鉄 5000系
Seri 1000(東葉高速鉄道 1000系

2006年から2007年にかけて8両6編成(+予備車12両)が導入された。セミステンレス車体、界磁添加励磁制御

Tokyu8000(東京急行電鉄 8000系
Tokyu8500(東京急行電鉄 8500系

2005年から2009年にかけて8両10編成が導入された。ステンレス車体、界磁チョッパ制御。2009年に導入した8613Fは「PT KAI Commuter Jabodetabek」が初めて導入した車両であり、「JALITA」という愛称が付けられている。

Seri 7000(東京地下鉄 7000系

2010年に8両4編成(+予備車8両)が導入された。アルミ車体、電機子チョッパ制御。2013年に発生した事故(踏切上に立ち往生した自動車に衝突)により7121が使用不可能となった。   

Seri 05(東京地下鉄 05系

2010年から2011年にかけて8両8編成(+予備車16両)が導入された。アルミ車体、高周波分巻チョッパ制御。2012年に発生した事故(ポイント操作ミスで脱線しホームに衝突)により05-307が使用不可能となった。

Seri 6000(東京地下鉄 6000系

2011年から2013年にかけて8両13編成(+予備車26両)が導入された。アルミ車体、電機子チョッパ制御。

Seri 203(東日本旅客鉄道 203系

2011年に10両5編成が導入された。アルミ車体、電機子チョッパ制御。当初は8両編成であったが、後述のホーム延伸および205系導入に合わせ、一部10両編成への復元が行われた。

Seri 205(東日本旅客鉄道 205系

2013年から2014年3月にかけて10両18編成が導入[9]され、2013年11月よりデポック電車区で車体の日本語表記の消去・乗務員室の日本語表記の上に現地語のシール貼り付け・投石対策のガラス飛散防止フィルムや前面への金網設置、スカートを赤く塗装など現地仕様に改造。日本と同じく10両連結で使用するためにボゴール駅-ジャカルタコタ駅間のホーム延長工事が完成を受けて2014年3月5日から運用を開始した。2013年度導入された車両は元埼京線で使用された車両で15編成には6扉車の「サハ204」が連結されている[10]。今後は横浜線で使用された約170両も導入予定[11] 。ステンレス車体、界磁添加励磁制御

KRL-I形 PT INKA製電車

インドネシア初の国産電車として、2001年にPT INKAで4両編成の20m級片側3扉の軽量ステンレス電車2編成が日本車両の技術支援で製造された。電装品は日本の東芝製のIGBT素子VVVFインバータ制御で、前面・側面・車内扉上部にLEDによる行先表示機が採用されるなど新機軸多数用いられた。が、運用開始後故障が頻発して運用から離脱、2007年環状線の運用に投入されたが利用実績が芳しくなく運転終了、現在はジャカルタ・コタ駅~マンガライ駅間のフィーダー運転に入ることが多い[12]

KfW I-9000形 PT INKA製電車

ドイツ復興金融公庫からの支援で次期標準型電車として2010年PT INKAで製造。車体はKRL-I形をベースにしているが、側面のビードが廃止され、前照灯の配置が変更された。新製車としては初めて客室の後部LCDモニターと運転台にTIMSを設置した。電装品はドイツのボンバルディア・トランスポーテーション製でVVVFインバータ制御。4両10編成が在籍。

Holec AC ボンバルディア・ユーロレイル(ベルギー)製電車

非冷房ステンレス電車であるHolecにPT INKAで床材・機器類の交換、GPS・TIMS・冷房設備の設置などのリニューアルを行ったもので、8両3編成が在籍する。電装品は韓国の宇進産電우진산전)製でVVVFインバータ制御。

保線車両 プラッサー&トイラー社製

レールの状態を常に良好な状態を維持させるのに欠かせないのが保線作業である。その保線機材を使用するに当たって、工事に必要なマルチプルタイタンパー(通称:マルタイ車)やバラスト、レール研削車を使用しているメーカーは世界的に有名なオーストリアのプラッサー&トイラー社製を使用しているがこれらは全て他の電車同様日本からの支援込みで導入された中古であり、JRグループの他私鉄・公営公団で使用されたものばかりである。日本で京都議定書に基づいたNoX法(排ガス規制)基準をクリアした同社製の新型機材に置き換わり、経年化した機材が捻出されたものである。塗装も日本時代のままが多い。

※在籍数には事故や故障で走行不可能な車両も含む。

過去の車両[編集]

Rheostatik(KL3-76/78/83/84/86/87)日本車輌製造/川崎重工業/日立製作所(日本)製電車

1976年から1987年にかけて大量に導入された非冷房車。付随制御車2両の間に電動車2両をはさむ4両編成で、車体長20m、車体幅2990mm(最大幅3180mm)。主要機器は共通であるが、KL3-76が2扉車であるのに対しKL3-78/83/84/86/87は3扉車、KL3-76/78/83/84が普通鋼車体であるのに対し、KL3-86/87はステンレス車体となっている。抵抗制御を意味する"Rheostatik"の愛称を持つ。2013年のEkonomi(非冷房各駅停車)全廃まで37年に渡り活躍した。主電動機HS-836形は西武鉄道が使用していた401~801系で使われていたものと同型であった。

Hyundai(KL3-92/93)現代精工(韓国)製電車

1992年から1993年にかけて、4両2編成が導入された、ステンレス車体の非冷房車。電装品はスイスのアセア・ブラウン・ボベリ製で、VVVFインバータ制御。2000年頃にはジャカルタ近郊から撤退し、電気式気動車に改造の上他地区へ転用された。

Holec(KL3-94/96/97/98/99/2000/2001)ボンバルディア・ユーロレイル(ベルギー)製電車

1994年から2001年にかけて、4両32編成が導入された、ステンレス車体の非冷房車。電装品はオランダのHolec N.V.(導入途中の1998年にイギリスのDelta plcが買収)製でVVVFインバータ制御。2012年頃にはジャカルタ近郊から一旦撤退した。電気式気動車に改造の上他地区へ転用されたものや、冷房化などのリニューアルを行いジャカルタ近郊にとどまったもの(「現在の車両」を参照)がある。

Hitachi(KL3-97)日立製作所(日本)製電車

1997年に、4両6編成が導入された非冷房車。ステンレス車体、VVVFインバータ制御。2013年のEkonomi(非冷房各駅停車)全廃まで活躍した。

ジャボタベックKL3電車も参照のこと。

車両基地[編集]

デポック、ブキット・ドゥリ・ボゴールの3か所の車両基地に所属し、それぞれの基地で定期検査を受ける。簡単な日常検査は留置線の有るジャカルタ・コタ駅、ブカシ駅、タンゲラン駅、スルポン駅でも行われている。

マンガライ鉄道工場

マンガライ駅の西に隣接する車両工場、PT KAIの本社直轄工場で、KRLジャポタベックの電車の2年に1回の全般検査も行われる。ほかPT KAIの客車のメンテナスや1924年に電化されたときに導入された電気機関車のレストアなども行われた。

デポック車両基地

デポック市の南部に、2008年日本の援助で造られた車両基地。敷地面積約26ヘクタール、14線の側線を持ち最大220両の車両を収容できる。全般検査が出来るのはマンガライ工場と、この車両基地の検修設備のみ。で入場すると20-30日かけて徹底的に分解整備される。

ブキット・ドゥリ車両基地

マンガライ駅の南東約1.5kmの地点に有り、車両留置機能と修繕機能を有しており、デポック車両基地が完成するまでは、同基地で電車の修繕をメインで行っていた。ピット線兼留置線が7線、洗浄線兼留置線が1線、大規模修繕用の線路が1線ある。

ボゴール車両基地

3日間・1カ月・3カ月・半年・1年の定期検査が行われる。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ KRLは、Kereta rel listrikの略、インドネシア語で電車をあらわす。
  2. ^ ジャボタベック通勤鉄道会社の意味
  3. ^ シーメンス社製の電車が運行されていたが、インドネシア独立後は電気機関車による客車牽引であったという。
  4. ^ このことから、本鉄道が「ジャボタベック鉄道」もしくは「ジャボタベック」と紹介されることがあった。
  5. ^ 『JICA's World December2010』p9.(独)国際協力機構
  6. ^ 日本:日本車輌製造川崎重工業日立製作所、韓国:現代精工(Hyundai、後の現代ロテム (Hyundai Rotem) )(電装品はスイスABB)、欧州:BN(ベルギー、現ボンバルディア)(電装品はHolec(オランダ、現Eaton))、PT INKAでのノックダウン製造分も含む
  7. ^ 出典・「鉄道ピクトリアル」2012年7月号『ジャカルタの鉄道を支える鉄道マン』120-128頁
  8. ^ 鉄道ピクトリアル2013年10月号106‐117頁「インドネシアを走る日本の電車 2013」
  9. ^ 海外への鉄道車両譲渡と車両保守に関する技術支援の実施について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2013年11月6日
  10. ^ 「鉄道ファン」2014年6月号、142-3頁「インドネシアの205系営業運転開始」
  11. ^ インドネシアの鉄道事業者との協力覚書締結及び車両の追加譲渡について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2014年5月8日
  12. ^ 出典:古賀俊行「インドネシア鉄道の旅 魅惑のトレイン・ワールド」潮書房光人社 『第2章 日本の中古電車が頑張るジャポダペック電鉄』69頁

参考文献[編集]

  • 石本祐吉「ジャカルタ鉄道事情」鉄道ピクトリアル555号 pp.60-65 電気車研究会 1992年2月
  • 石本祐吉「ジャカルタ鉄道事情(続)」鉄道ピクトリアル556号 pp.63-67 電気車研究会 1992年3月
  • 倉澤泰樹「鉄道車両輸出の動向」鉄道ピクトリアル696号 pp.21-30 電気車研究会 2001年1月
  • 入江圭「インドネシアJABOTABEKで活躍中の都営三田線6000形」鉄道ピクトリアル704号 pp.96-100 電気車研究会 2001年7月臨時増刊
  • 斎藤幹雄「インドネシアへ行った日本の電車」鉄道ピクトリアル783号 pp.107-112 電気車研究会 2006年12月
  • 斎藤幹雄「インドネシアで活躍する日本の電車2007」鉄道ピクトリアル794号 pp.65-72 電気車研究会 2007年10月
  • 白川淳「ジャカルタの鉄道を支える鉄道マン」鉄道ピクトリアル864号 pp.120-128 電気車研究会 2012年7月
  • 斎藤幹雄「インドネシアを走る日本の電車2013」鉄道ピクトリアル880号 pp.106-117 電気車研究会 2013年10月
  • 窪田太郎「世界鉄道めぐりSeries5 インドネシア」 鉄道ジャーナル177号 pp.126-132 鉄道ジャーナル社 1981年11月
  • インドネシア ジャボタベック圏鉄道近代化事業(VI) 評価報告:2001年 3月(PDF) (PDF)
  • JABOTABEK 鉄道プロジェクト事後評価第三者委員会レポート(PDF) (PDF) (2003)
  • Improvement of Railway System in Jakarta Metropolitan Area by Tomoyoshi Hata(PDF) (PDF) Japan Railway & Transport Review No. 35 July 2003
  • 日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会(編著)『日車の車輌史 図面集―戦後産業車両/輸出車両編』pp.194-199 鉄道史資料保存会 1999年
  • 斎藤幹雄「東南アジアを走るニッポンの廃車両」枻出版社 2011年6月 ISBN978-4-7779-1973-4
  • 古賀俊行「インドネシア鉄道の旅 魅惑のトレイン・ワールド」潮書房光人社 2014年7月 ISBN978-4-7698-1573-0

関連項目[編集]

外部リンク[編集]