オールステンレス車両

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オールステンレス車両(オールステンレスしゃりょう)は、車体外板、構体、台枠をほぼ全てステンレス鋼で製造した鉄道車両。1930年代以降、現在に至るまで製造が続いている。

オールステンレス車両の例(キハ54形500番台)
オールステンレス車両の例(キハ54形500番台

目次

[編集] アメリカでの歴史

ステンレス鋼は不銹鋼というその優れた特質故に注目され、研究が進められたが、クロムやニッケルを多量に含有し、硬度が高く曲げ加工が難しいという特性などから量産工業材料としての歴史は浅く、1910年代初頭にイギリスで艦載砲の一部部材に使用されたのが実用化の端緒であった。

鉄道車両においては、その高価さ故に銹びないことが強く要求される一部小物部品への採用が1920年代頃から一部で始まった。しかしながら上述の曲げ加工の困難さに加え、溶接時のひずみ除去が難しいという特性ゆえに、銹び代を無視して軽量化が図れるという大きなメリットがあったにもかかわらず車体などの構造部材への採用は大きく遅れた。

ステンレス鋼による鉄道車両構体の製造は、1934年アメリカバッド社が抵抗スポット溶接法を用いた車体製造技術を確立したことで、ようやく実現を見た。

バッド社は本来ステンレス鋼を素材とする部品メーカーであり、軽量・不銹というメリットを生かした航空機や船舶用部品の製造販売を手がけていた。同社はステンレス鋼製部品市場のさらなる拡大を狙って、1920年代後半に自動車市場への売り込みを図ったが、普通鋼の5倍から6倍に達するステンレス鋼の単価ではライフサイクルが短くかつ販売価格の低廉な自動車への適用は困難であることが判明した。

このため1931年以降、車両のイニシャルコスト・寿命共に大きくステンレス鋼採用によるコスト増を十分吸収可能な鉄道車両のステンレス鋼製車体開発へ方針転換を図り、開発を進めていたものであった。

この技術はアメリカ国内だけはなく直ちにフランスなどへも輸出され、両国で軽量車体を備える高速客車や気動車[1]などに採用された。

また、プルマン・スタンダード社などのアメリカ国内の他の鉄道車両メーカーでもステンレス鋼製車体を備えた車両の製造が始まり[2]、戦争を挟んだ1930年代から1950年代までの時期には、アメリカでステンレス鋼製車体を備える鉄道車両が盛んに製造された。

バッド社によるステンレス鋼製車体をそなえる鉄道車両の代表例としては、RDC(Rail Diesel Car)と呼称される汎用通勤型気動車と、パイオニアIII(Pioneer III)と呼称される電車の2種が挙げられる。

RDCは、同社が戦後の客車更新需要を背景に史上空前の利益を上げた1948年に開発を開始した、RDC-1 - 4の4種の規格化設計による汎用気動車群である。これは一般型客車に匹敵する寸法と居住性、デトロイト・ディーゼル社製275PS級ディーゼルエンジン2基とアリソン社製液体式変速機により最高時速85マイルでの走行と電車並みの加速性能を可能とする強力な駆動系、そしてステンレス鋼による極めて耐久性が高く保守の容易な車体構造により好評を博し、1949年に試作車が完成して以降、アメリカ国内の私鉄各社のみならず世界各国にも大量に輸出される、バッド社を代表するヒット商品となった[3]

これに対しパイオニアIIIは単一曲率の屋根板を備える特徴的な構造のステンレス鋼製車体だけではなく、特徴的なパイオニアIII 1自由度系台車の開発など、システム全般について革新的な設計が行われたことが知られている。このパイオニアIIIは、1958年に完成しペンシルバニア鉄道へ納入された最初の量産車以降、フィラデルフィア・セプタ向け通勤電車など、当時アメリカに残存していたインターアーバンや地下鉄などに供給され、またこの設計は以後の客車にも応用された。

だが、このパイオニアIIIの功績はそれだけではない。バッド社のステンレス鋼製車体設計製造技術の集大成とも言うべきこの電車の設計は、当時同社と提携を結んだばかり[4]の日本の東急車輛製造にほぼそのままライセンス供与の形で製造ノウハウを含めて提供され、それに忠実に従って製造された東急7000系電車以降、日本でステンレス鋼製車体を備える鉄道車両が大量に製造されるようになるきっかけとなった、という点で技術発達史上に大きな足跡を残したのである。

このパイオニアIIIの開発以降はアメリカの鉄道産業そのものの急速な斜陽化によってアメリカ国内における鉄道車両製造業は壊滅状態にまで追い込まれ[5]、1960年代中盤以降は各私鉄から承継した客車の代替用にアムトラックが1974年に235両の客車を発注した程度で大口の鉄道車両需要そのものが激減した。このため、バッド社によるステンレス鋼製車体設計製造技術開発の系譜は1978年完成のSPV-2000を最後に途絶え、最終的にはバッド社自身も長く続いた鉄道車両製造事業からの撤退を強いられることとなった。

[編集] 日本での歴史

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[編集] ステンレス車両黎明期

日本においては、1958年東急5200系電車[6]国鉄サロ153形900番台[7]より骨組みや台枠は普通鋼製として外板のみをステンレス鋼製としたセミステンレス車両(スキンステンレス車両)が製作されるようになった。その時点ではステンレス鋼で骨組などの強度部材を加工できなかったため、オールステンレス車両は製作されなかった。また、ステンレス鋼はSUS304が用いられた。

[編集] オールステンレス車両

日本初のオールステンレス車両。単一曲率の屋根板や直線的なアウトラインなどに米バッド社の設計の影響が色濃く残る。(写真は主要機器を更新された東急7700系電車)
日本初のオールステンレス車両。単一曲率の屋根板や直線的なアウトラインなどに米バッド社の設計の影響が色濃く残る。(写真は主要機器を更新された東急7700系電車

1962年以降アメリカ・バッド社との技術提携により、東急車輛製造が製造した東急7000系電車・京王3000系電車南海6000系電車などで、内部骨組も含めて主要部材のほとんどがステンレス鋼で構成されるようになった。また、ステンレス鋼はSUS304に加え、SUS301を冷間圧延により調質した高抗張力材が用いられるようになった。ただし台枠の一部分[8]については、構造上・強度上の理由で現在に至るまで普通鋼あるいは耐候性高抗張力鋼で構成されているほか、多くの車両では戸袋内柱や内部構体なども構造上の理由で普通鋼製であり、東急8000系電車など初期の車両では側柱の下部数百mmなど構体の一部も同様の理由で普通鋼製である。21世紀初頭までは部材接合のほとんどが抵抗スポット溶接で行われた。

日本国有鉄道では、1963年キハ35形900番台気動車で試験的にオールステンレス構造を採用したが、公企業である国鉄では1社独占技術を公開せずに制式採用することは困難である、といった諸般の事情により後続車は現れなかった。

この時期までのステンレス車両はほぼ例外なく外板に「コルゲート板」と呼ばれるプレス加工された波板を用い、板厚を薄くすること[9]で軽量化と強度維持を実現し、またスポット溶接特有のひずみ[10]を隠蔽している。

[編集] 軽量ステンレス工法の普及

東急デハ8200形8255 軽量ステンレス車体の試作車で、従来工法による前後の車両とは車体断面や構造が大きく異なる。
東急デハ8200形8255 軽量ステンレス車体の試作車で、従来工法による前後の車両とは車体断面や構造が大きく異なる。
キハ54形500番台の屋上の様子
キハ54形500番台の屋上の様子

1978年、東急車輛製造が当時量産中の東急8000系電車について、新開発技術の実証試験のために2両の試作車を製造した。これらは本来デハ8200形に含まれるべきものであったが、当時同社がサンフランシスコおよびボストン向けLRV用車両の製造で提携していたボーイング社が開発した、コンピュータを用いた有限要素法による3次元構造解析プログラム[11]を使用し、その解析結果を強度計算に取り入れることで車体が全面的に再設計されたため、新形式を起こされデハ8400形8401・8402と付番[12]された。

これらは在来工法による車体を備える8000系編成に組み込まれ、東急東横線での長期実用試験を兼ねた営業運転に充当され、大幅な軽量化と充分な車体強度や耐久性が確認された。この結果軽量ステンレス車体と命名されたこの新設計車体は1980年より量産が開始された東急8090系で全面採用され、以後同社で製造されるステンレス製車両の標準設計手法となった。

もっとも、この画期的な設計手法が日本の鉄道各社へ広く普及するにはしばらく時間をおく必要があった。なぜなら、国鉄205系電車への採用条件[13]とされ、それに渋々ながら同意して公開に踏み切るまで、開発元である東急車輛製造がこの工法に関する関連技術情報の公開を拒んでいたためである。

205系電車をはじめとする軽量ステンレス車の大量受注[14]と引き替えではあったが、以後の日本における鉄道車両の設計製造技術の発展を考えれば大英断ともいうべき関連技術の公開が行われた1984年以降、この工法は従来取引先メーカーの製造能力の制約や公開入札を行う必要から1社独占の技術の採用が困難で、やむなくセミステンレスで車両を製造していた私鉄や公営の地下鉄などへ急速に普及した。

軽量ステンレス工法で組み立てられた車両はひずみ防止のためのプレスリブ(ビード)を入れた「ビード外板」を用いている。コルゲート外板は端部のつぶし処理と部材同士の接合が難しく、自動洗車機による洗浄にも問題があり、また見た目にも良くないため、東急8500系京王3000系など、既に在来工法によるステンレス車を導入していた各社で、車体構造を軽量ステンレス車体に変更した増備車を導入する際に、編成としての美観の観点からコルゲートの継続採用を行ったケースを除き、軽量ステンレス工法の公開後急速に廃れた。

なお、ステンレス板にビードを入れる加工を量産ラインで実施するには大形のロールプレス機が必要であり、これが可能な設備を備えるのは東急車輌・川崎重工業日立製作所などの一部の工場に限られていた。

この時期にはステンレス鋼は全面的にSUS301Lが用いられるようになり、部材によって強度区分の異なるものが使い分けられるようになっている。

[編集] 各種工法の開発・適用

平面外板、レーザー溶接を採用した車両の例(JR西日本521系電車)
平面外板、レーザー溶接を採用した車両の例(JR西日本521系電車
ブロック工法の例。先頭部(白い部分)は普通鋼製(京王9000系電車)
ブロック工法の例。先頭部(白い部分)は普通鋼製(京王9000系電車

1990年代以降、鉄道車両メーカー各社でさまざまな工法のオールステンレス製車両が作られるようになった。川崎重工業はJR東日本209系電車で新しく開発されたシート貼り合わせ工法(2シート工法)を採用した。また、日本車輌製造日車式ブロック工法を採用している。

更に、近畿車輛が一社独占で受注したJR西日本321系電車や川崎重工業製のJR東日本E721系電車で初めてレーザー溶接が側構体の一部に採り入れられている。この工法は一定の工作精度と設備を要するが、連続溶接による車体剛性の向上に加え、スポット溶接と比較して溶接後のひずみが目立ちにくいという大きなメリットがあり、その後徐々に適用例が増えている。

これらの工法で組み立てられた車両の外板にはコルゲートやビードが無いものがほとんどである。いずれも加工に手間とコストがかかるため、見た目の向上とコストダウンの観点からあえて平面のままの外板としている。強度を確保し、ひずみを目立たなくするために外板の板厚を増やしている場合が多い。そのためにビード外板の車両よりも重量増の傾向となる。

[編集] 特徴

[編集] 利点

  • 内部構体・車体ともにステンレス鋼を使用するため、腐蝕に強いことから半永久的に使用が可能[15]
  • 塗装の必要がないため、塗料費、塗装作業費等の保守経費が節約できる。
  • 腐食代を考慮しなくてよいため、外板・骨組を薄くでき、通常、普通鋼製車よりも1.5tから2t前後の軽量化が期待できる。
  • アルミニウム合金製の車両に比べ光沢が強く、汚れが目立ちにくい[16]

[編集] 欠点

  • 材料としてみた場合硬度が高く、切削・曲げ等の加工が難しいことから、車両前面を流線型などの複雑な形状にすることが難しく、踏切事故で破損した際の修理にも困難を伴う。このため、先頭部のみ繊維強化プラスチック(FRP)や普通鋼を使用する例がある。踏切事故対策を施す(名鉄300系電車など)場合には後者を使用する。[17]
  • ステンレス鋼材の価格は普通鋼材の5倍から6倍程度となるため、板厚を削っても普通鋼製・セミステンレス車両に比して製造価格が高くなる傾向にある。
  • 軽量ステンレス構造であってもアルミニウム合金製車両と比較して重量が若干[18]重くなり、製造費も高い。

[編集] 採用している鉄道車両

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[編集] 日本

[編集] 国鉄→JRグループ

[編集] 国鉄引継車

[編集] 北海道旅客鉄道

[編集] 東日本旅客鉄道

[編集] 東海旅客鉄道

[編集] 西日本旅客鉄道

[編集] 四国旅客鉄道

[編集] 九州旅客鉄道

[編集] 私鉄

""はJR東日本のE231系やE233系の設計を基にした車両

[編集] 小田急電鉄

[編集] 京成電鉄

[編集] 新京成電鉄

[編集] 北総鉄道

[編集] 東京急行電鉄

[編集] 京浜急行電鉄

[編集] 京王電鉄

[編集] 東武鉄道

[編集] 西武鉄道

[編集] 相模鉄道

[編集] 東京臨海高速鉄道

[編集] 横浜高速鉄道

[編集] 名古屋鉄道

[編集] 近畿日本鉄道

[編集] 南海電気鉄道

[編集] 泉北高速鉄道

[編集] 阪神電気鉄道

[編集] 神戸電鉄

[編集] 西日本鉄道

[編集] 公営鉄道

[編集] 東京都交通局

[編集] 横浜市交通局

[編集] 名古屋市交通局

[編集] 京都市交通局

[編集] 大阪市交通局(地下鉄)

[編集] 福岡市交通局

[編集] 新交通システム

[編集] 埼玉新都市交通

[編集] ゆりかもめ

[編集] 大阪市交通局(ニュートラム)

[編集] 神戸新交通

[編集] かつて存在した鉄道会社

[編集] 第三種鉄道事業者として営業している鉄道会社

鉄道事業者以外としても営業している会社は斜体で記す。

[編集] 大阪港トランスポートシステム(OTS)


など多数あり、2008年現在でも製造されている。

[編集] 日本以外

など多数。

[編集] 補足

日本のオールステンレス車両のうち""つきの車両は前頭部が普通鋼製、"※※"つきの車両は普通鋼製車両・アルミ製車両およびセミステンレス車両が混在している。

[編集] 脚注

  1. ^ この時代の代表例としては、シカゴ・バーリントン・クインシー鉄道の「パイオニア・ゼファー号」(1934年バッド社製。GM製600PS級ディーゼルエンジンを搭載)が挙げられる。
  2. ^ もっともバッド社による技術開発の中核をなす、構体のステンレス化に必要な溶接技術はライセンス供与先以外には社外秘とされていたため、他社製車両では普通鋼製構体にステンレス製外板を組み合わせたスキンステンレス構造が一般に用いられた。
  3. ^ このRDCは日本の国鉄キハ10系気動車のコンセプトデザインに影響を与えただけではなく、バッド社と提携関係にあった東急車輛製造が1967年に製造した台湾鉄路管理局向けDR2700形の設計にも大きな影響を与えた。
  4. ^ バッド社はフランスをはじめ世界6カ国の車両メーカーと提携関係にあった。
  5. ^ このためRDCは1962年で製造打ち切りとなっている。
  6. ^ 東急車輛製造製。当時量産中の東急5000系電車の車体設計を基本として一部寸法を見直し、普通構成の骨格はほぼそのままに、外板を加工しやすい形状に変更した上でステンレス製としたもの。
  7. ^ 汽車製造東京製作所製。サロ153形の外板をほぼそのままステンレス製に置き換えたもの。
  8. ^ 緩衝中梁・中梁・端梁、それに枕梁など。剛性を要求されるため、厚板材が構造部材として使用される。
  9. ^ 一般的な準張殻構造鋼製車体の場合、外板には1.6mm程度の厚さの材料が使用されるが、コルゲート処理を施されたステンレス板は0.8~1.0mm厚で同等の強度を確保可能であった。
  10. ^ ステンレス鋼はその材料としての特性上、ひずみ取りが難しい。
  11. ^ 本来は航空機設計用として開発されたものである。
  12. ^ 後にデハ8401・8402からデハ8281・8282を経てデハ8254・8255へ改番された
  13. ^ キハ35形900番台の項でも記したとおり、公企業であった国鉄では車両設計製作などの技術情報は国民の共有財産であるとされ、1社独占技術を非公開のまま採用することは不可能であった。
  14. ^ 国鉄時代には、本来は特許使用料の支払いを伴うような新技術の公開をメーカー側に強いた場合、その技術を使用する車両の発注について技術提供メーカーへの発注枠を通常よりも大きくすることで相殺を図るのが鉄道省時代からの慣例となっており、205系の場合も第1編成をはじめ多数が同社へ発注されている。
  15. ^ 157系153系165系などの急行用グリーン車で下降式窓の保守に手を焼いた日本国有鉄道が205系で再び一段下降窓の採用に踏み切ったのはこのためでもある。
  16. ^ ダルフィニシュ(梨地)仕上げとして光沢を抑える例もある。
  17. ^ 井の頭線用3000系でオールステンレス車両を採用した京王電鉄京王線用車両を6000系まで普通鋼で製造したのは、踏切が多く自動車などと接触した際に修復の容易化を図るためでもある(この辺の事情は京阪2代目800系でも同様)。
  18. ^ 18m級の通勤形車両で比較した場合、1.5tから2t程度の重量増となる。

[編集] 参考文献

  • 守谷之男「設計者のノートから(3) オールステンレス車両の夜明け」『鉄道ピクトリアル』2004年3月号(通巻743号)、鉄道図書刊行会。
  • 守谷之男「設計者のノートから(7) 軽量ステンレス車両の誕生」『鉄道ピクトリアル』2004年7月号(通巻747号)、鉄道図書刊行会。
  • 土岐實光「ある車両技術者の回想(10) 軽量ステンレス車両開発の苦心談」『鉄道ファン』1993年4月号(通巻384号)、交友社。
  • 土岐實光「ある車両技術者の回想(11) 軽量ステンレス車両の発展」『鉄道ファン』1993年5月号(通巻385号)、交友社。

[編集] 関連項目