デロリアン
| デロリアン・DMC-12 | |
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DMC-12(トヨタ博物館所蔵)
ガルウイングドアを開放したDMC-12
純金仕様のDMC-12(ネバダ州リノ市)
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| 販売期間 | 1981年 - 1982年12月24日 |
| デザイン | イタルデザイン・ジウジアーロ |
| ボディタイプ | 2ドアクーペ |
| エンジン | 2849 cc PRV型 ライトアロイ90度V6 SOHC 12バルブチェーン駆動 |
| 最高出力 | 130 ps / 5,500 rpm |
| 変速機 | 5速MT/3速AT |
| 駆動方式 | RR |
| サスペンション | 前:不等長ダブルウィッシュボーン 後:ダイアゴナルトレーリングラジアスアーム |
| 全長 | 4,267 mm |
| 全幅 | 1,988 mm |
| 全高 | 1,140 mm |
| ホイールベース | 2,408 mm |
| 車両重量 | 1,244 kg |
| -自動車のスペック表- | |
デロリアン(De Lorean )はアメリカ合衆国にかつて存在した自動車製造会社である。また同社で唯一製造された自動車『DMC-12』を指す通称としても用いられる。
DMC-12は、世界的にヒットした映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』に登場するタイムマシンのベースカーとして広くその存在を知られている。
本記事では、企業としてのデロリアン社と自動車モデルのDMC-12の両方について解説する。
目次 |
[編集] 企業概要
1975年10月24日、当時ゼネラルモーターズの副社長であったジョン・ザッカリー・デロリアンが、理想の車を作るためにGMを辞職し独立して自ら設立したのがデロリアン・モーター・カンパニー(Delorean Motor Company Ltd. 、DMC)である。本社はミシガン州デトロイトに、製造工場はイギリス・北アイルランドのベルファスト[1]郊外、アントリム州ダンマリー村にあった。1982年に解散(詳細は後述)。
[編集] DMC-12
長い開発期間を経て1981年に登場した同社唯一のモデル『DMC-12』は、イタルデザイン社のジョルジェット・ジウジアーロがデザインし、ロータス・カーズがメカニカル設計を請け負った。ジウジアーロはこれ以前にロータス・エスプリのデザインを手がけており、両モデルのデザインには類似性も見られる。 デロリアンの計画は常に資金難に見舞われ、その開発や生産は遅々として進まず、イギリス政府との板挟みとなったロータスの創業者であるコーリン・チャップマンの心労は甚だしい物があったと伝えられている。結局、DMC-12はチャップマンの生涯における最後の製品となった。
バックボーンフレーム上にFRPボディーを載せる構造はロータスが得意とした手法であるが、メンテナンスフリーをも狙って外部全体を無塗装ステンレスで覆ったことが極めてユニークである[2]。無塗装ヘアライン仕上げの外板と、近未来的なガルウイングドアは、後年まで同車のイメージを決定づけ、前述の映画で採用される理由にもなった[3]。なお、車高や最低地上高が高いのは、当時の法的基準におけるヘッドランプの高さを満たすためと、北米の道路事情を配慮した実用性確保のためである。
エンジンはフランス製PRV・V型6気筒(SOHC2849cc。プジョー・ルノー・ボルボが乗用車用に共同開発した量産品)を後部に搭載する、リアエンジンレイアウトを採った。このパワートレインとレイアウトは、トランスミッションの歯車比やエンジンのチューニングは異なるものの、アルピーヌ・ルノーA310・V6とも共通する。このエンジンは当初90°バンクのV型8気筒として設計されていたが、1973年のオイルショックの影響で出力よりも経済性を重視せざるを得なくなり、そのままのバンク角で2気筒を切り落とした経緯を持つ、実用型である。従ってDMC-12は、スーパーカー的な外見を持ちつつも、実際は個性的なスタイルに重点を置いたスペシャリティクーペという成り立ちであった。
前宣伝の効果も手伝って、多くのバックオーダーをかかえる中でのスタートとなり、初年度は約6,500台を販売するなど売り上げは好調であった。この時期はターボチャージャーの搭載や、4枚ガルウイングドアの4座仕様などの追加計画もあったが、発売価格が2万5,000ドルと高額であったことや、品質の低さに起因する大量のキャンセルなどから、翌年以降はたちまち売り上げ不振に陥った。
また、北アイルランドへの工場誘致の条件として交付されていたイギリス政府からの補助金が停止された。後にエンロンの会計監査も行ったアーサー・アンダーセンが、デロリアン社の資金を社長ジョン・デロリアンが私的に流用するなどしたことを黙認していたことがマスメディアの調査などで明らかになっている。
さらに1982年10月19日に、社長のジョン・デロリアンがコカイン所持容疑で逮捕されるスキャンダルが発生したことにより、会社は資金繰りが立ち行かなくなり、倒産に至った[4][5]。
DMC-12の短い生産期間中には風変わりなバージョンも製造された。1981年モデルの最後を締めくくったのが2台の純金パネル仕様車で(1台12万5,000ドル以上という)、1台は現在もネバダ州リノの National Auto Museum に展示、もう1台はテキサス州の Snyder Bank に展示されていたが2004年頃に撤去された。なお、最後に製造された車も純金パネルであったが、これは宝くじのような富くじ方式で一般人の手に渡った。
最終生産車が作られたのは工場閉鎖後のことで、工場に残っていたパーツ等で1982年12月24日に作られた4台が一般向け生産の最後となった。最終的に8,583台が製造されたと見られているが、500台が調整用として確保されたため実質8,083台と思われる。
[編集] ジョン・デロリアンとDMC-12のその後
これら多くの逸話・スキャンダルを伴った希少性と、生産終了後の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ」での活躍によって、DMC-12は1980年代を代表する著名なカルトカーとなり、21世紀初頭の現代でも多くの自動車マニアのコレクション対象となっている。倒産後のデロリアン社の設備を取得したStephen Wynneは、現在もDMC-12のオーナーに修理用パーツを供給し続けており、1台丸ごと新車を組み立てることも可能である[6]。
ジョン・デロリアンは、麻薬売買に関わった容疑で逮捕されたものの、のちに裁判の末、無罪となった。彼はその後も、再び新たな高性能車を創造するプランを抱いていたが、新モデルの開発、発売を果たすことなく、2005年3月19日に死去した。あるデロリアン愛好者のウェブサイトによると、その企画では2ドア・2シーター、時速60マイル(96km/h)到達まで3.5秒、価格は1万7,500ドル程度と、低価格でありながら非常な高性能を目指していたようである。
[編集] DMC-12の再生産計画
現在、DMC-12の修理などを行っている Stephen Wynneは2007年8月、DMC-12を再生産することを明らかにした。
しかし、近年の衝突安全基準[7]や排出ガス規制等に合わせて設計を変更することは困難であり、再生産車では車検に適応し一般道を走らせることはほぼ不可能なため、展示用や富裕層のコレクターズアイテム的な目的で出荷されている。
Wynneは、アメリカのテキサス州ヒューストン郊外に約3700m²の工場を建設し、そこで新DMC-12を再生産することを計画している。オリジナルのDMC-12には電装系や配線などにトラブルがあったが、新バージョンではそれらは改善される予定である。生産台数は、月20台とデロリアン社時代と比べて減るものの、ファンからの期待は高いようである[8]。
現在、全ての補給部品と現行品による新車もデロリアンモーターカンパニーに注文する事が出来る。 http://www.delorean.com/ また整備、中古車の売買の仲介等も行っているようである。
2011年10月、Stephen WynneはベンチャーEVメーカー・Epic EVと協力し、DMC-12を2013年までにEV化して生産する計画を発表した。[9](後述する既存のデロリアンをハンドメイドでEV化するのとは違い、当初からEV化して販売する)
[編集] 展示されている博物館
[編集] その他
- 新車発売当時は日産がディーラーになるとの話もあった。[10]
- 日本の公道で走行するためDMC-12が車検を取得した場合、自動車検査証の社名表記は「デローリアン」になる。
- 全体としてモデルは前期型・中期型・後期型に分けられるとされている。前期型はボンネット脇に2本のラインが入っており給油口がある、中期型は給油口がなくなっており、ボンネットを開けて給油する事となる(尚、BTTFで用いられたもこのタイプ)、後期型は2本のラインが消え、一番右下に「DeLorean」のエンブレムがある、という特徴がある。[1]
- かつて北海道函館市にあった、函館出身の人気ロックバンドGLAYの記念館、Art Style of GLAY では、鏡の部屋に半分だけのDMC-12が展示されてあり、観覧客が乗り込むことも可能だった。これはメンバーであるHISASHIのお気に入りの映画が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』であることと、自身の車好きのためだと推測される(彼は別冊カドカワのGLAY総力特集[11]での対談でもDMC-12について語っている)。
- 栃木県那須郡那須町にある那須PSガレージにもノーマル状態とタイムマシン仕様の2台が展示されており、タイムマシン仕様のDMC-12としてはUSJ内に展示されているものよりも精巧である。
- 愛知県豊橋市に、DMC Japanがあり、DMCからライセンス供与され、修理や輸入代行を行っている。
- 現時点に於いて米国と日本で電気自動車に改造する事例が確認されており、日本に於いては、日本EVクラブ広島支部が広島国際学院大学自動車短期大学部内に場所を借り、DMC-12を電気自動車に改造するプロジェクトを実行。リチウムイオンバッテリーを搭載し、2009年3月11日に車検を通してナンバーを取得した。[12]
- また、電気自動車の他にも、ロータリーエンジンを搭載したケース等もある。
[編集] 脚注
- ^ 余談だがタイタニック号が造船されたハーランド・アンド・ウルフ造船所もベルファストに構えられている。
- ^ その為ボディ強度は大きく、正面衝突しても破損が少ないケースがあった。
- ^ コーリン・チャップマンはこのステンレス外覆ボディーについては難色を示したと言われる。もともとFRPボディーは軽量かつ補修が容易なことが特徴であり、ステンレス外覆は製造工程や重量の増加を招き、耐候性と奇抜な見栄え以外、FRPボディーに対するメリットは無い。
- ^ デロリアンの歴史
- ^ 5分で分かるデロリアンの歴史
- ^ 大規模な生産設備を必要としないロータース・カーズ
- ^ 特に歩行者頭部保護テストでは、歩行者を跳ねたことを想定し歩行者がボンネットに頭を打ち付けても安全であることが求められているが、一般の鉄よりも硬いステンレスボディが特徴であるデロリアンでは、原型のままで基準を満たすことは困難である。
- ^ DeLorean To Re-Enter Limited Production in 2008 | Gadget Lab from Wired.com
- ^ 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でおなじみの「デロリアン」が電気自動車になって復活 - ねとらぼ なお、この記事によるとStephen Wynneは現在DMCの商標を取得しているとあり、プレスリリースもDMC名義で発表されている。
- ^ SUPERCAR.NET内での紹介ページ
- ^ 『別冊カドカワ 総力特集 GLAY』 角川書店<カドカワムック 213>、2005年1月 ISBN 4-04-894456-8
- ^ 公式ブログ「デロリアンEV化計画」