バッド (車両メーカー)

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社名プレート

バッドThe Budd Company )は、アメリカ合衆国ミシガン州トロイに本社を置く金属加工メーカー。日本語では「バッド社[1]」の通称が用いられる。

概要[編集]

バッドはドイツティッセンクルップグループ(Thyssenkrup)の一員で、金属加工、特に自動車用の鋼材加工を主に行っている会社である。かつては鉄道車両の車体製造も行っており、特にステンレス車体の製造における先駆者的メーカーとして知られていた。

創業者はエドワード・G・バッド(Edward G.Budd)で会社名も彼の名に因む。

歴史[編集]

自動車における先駆者[編集]

1912年に創業したバッドは、1916年にはダッジ(アメリカの自動車メーカー)向けの車体を納入する。

鉄道における伝説[編集]

東急車輛製のステンレスカーに付けられていた、バッド社のライセンス下で製造されたことを示すプレート(写真は伊豆急8000系、元東急8000系

バッドは1930年代から1989年まで鉄道車両の製造も行っていた。特に「ショットウェルド」(shotweld, 意訳:スポット溶接)と称するステンレス鋼接合技術を開発したことで有名で、これは鉄道以外の多くの分野にも生かされた。

1934年には輝くステンレスとその奇抜な外観で有名なパイオニア・ゼファーを納入した。この車両は流線型ブームの先駆けともなり、現在シカゴ科学産業博物館に収蔵されている。1949年には単行運転が出来る画期的な気動車、レール・ディーゼル・カー(Rail Disel Car, RDC)を開発。1950年代にはエル・キャピタン(El Capitan)やスーパー・チーフ(Super Chief)など当時の看板列車にも客車が使われるなど存在感があった。

同時期日本の東急車輛製造とライセンスを交わし、1962年にはその成果として東京急行電鉄向け7000系電車として落成。日本のオールステンレス車体時代の始まりにもかかわっている。

航空機への挑戦[編集]

バッドは1930年代に航空機の研究をしていたことでも知られている。第二次世界大戦のときにはごく少数ではあるがアメリカ海軍に納入している。

斜陽[編集]

その後、バッド社は1964年より1965年にニューヨーク市地下鉄のR32形、1968年にフィラデルフィアPATCO用電車、1969年より1970年にかけシカゴ・エル用2200形、1981年から1987年に同2600形などの通勤電車を製造。 1975年から1983年にかけてはアムトラック向けにアムフリート客車も製造するが、この頃西ドイツの鉄鋼企業ティッセンによる買収が取り沙汰されるなど徐々に先行きが不透明になり[2]、果たして1978年に買収されるに至る[3]

鉄道車両の製造終了[編集]

1980年代半ば、業績の悪化していたバッド社は鉄道車両製造部門を改組し「トランジット・アメリカ」と名づけた。 これはシカゴ交通局のシカゴ・エル用2600形の後期製造車などの製造銘板にも銘記されたものの、この取り組みは業績回復にはつながらなかった。 1987年4月3日]をもって、フィラデルフィア北東部に位置したレッド・ライオン工場での操業を停止。同社の保有する車輌設計はボンバルディアに売却された。

主な製品[編集]

自動車[編集]

航空機[編集]

鉄道車両[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 西尾『鉄道ファン』1979年5月号 P.122
  2. ^ 西尾『鉄道ファン』1979年5月号 P.129
  3. ^ http://www.thyssenkrupp.com/en/konzern/geschichte_chronik_t1978.html

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]