赤羽線

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JR logo (white).svg 赤羽線
1979年撮影の赤羽線電車 クハ103-273ほか
1979年撮影の赤羽線電車 クハ103-273ほか
路線総延長 5.5 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V 架空電車線方式直流

赤羽線(あかばねせん)とは、東京都豊島区池袋駅と東京都北区赤羽駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である[1]1985年(昭和60年)9月30日以降は運行系統の名称である埼京線と呼称・案内されている(後述)。

概要[編集]

山手線東北本線とを結ぶ5.5kmの路線である。

「赤羽線」は当該区間の正式名称で、かつては旅客案内でもこの名称が用いられていた。しかし、東北新幹線上野延伸の見返りに建設された当時の仮称通勤新線と、同時に電化した川越線との一体運行が実施された1985年(昭和60年)9月30日以降、ここを通るすべての旅客列車は埼京線と案内されるようになった。現在では、旅客案内などの営業上では「赤羽線」と呼ばれることは一切ない。なお、JR東日本の公式サイト(「埼京線」と併記)や、池袋駅 - 赤羽駅間の踏切、定期券や回数券、マルス端末発行による乗車券の経由表記においては現在でも赤羽線と稀に表記されることがあるが、埼京線と併記されることがほとんどである。また市販の『JR時刻表』の埼京線のページでは、「池袋-赤羽間は赤羽線」との表記がある。

現在は全線が旅客営業規則の定める電車特定区間、同規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」、およびIC乗車カードSuica」の首都圏エリアに含まれている。

湘南新宿ラインの池袋 - 赤羽間の実際の運転経路は山手貨物線東北貨物線経由であり、本来の運賃および料金の計算は池袋 - 田端 - 赤羽という経路をとるものとするが、旅客営業取扱基準規程第110条における「当該記号の末尾の括弧内上段の区間を乗車するときは、規則第67条[2]の規定にかかわらず、○印の経路の営業キロによって旅客運賃、急行料金及び特別車両料金を計算することができる。」との条文により、この間を赤羽線(板橋)経由で運賃・急行特別急行を含む)料金および特別車両料金を計算することができる(列車特定区間)。しかし、必ずしも赤羽線(板橋)経由で計算しなければならないわけではなく、旅客の選択にゆだねられる。

路線データ[編集]

全区間が東京支社の管轄である。

車両[編集]

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本節では、運行系統の名称として案内上「赤羽線」が使用されていた時期について記述する。案内上の運行系統名称が「埼京線」となった以降の車両については「埼京線#車両」を参照。すべて電車である。

■の色は車体色。

  • 72系 (1953年頃 - 1967年、末期の8両編成はサハ17形を1両組み込み)
  • 101系 (1967年 - 1978年、6M2Tの8両編成)
  • 103系 (1978年 - 1985年、当初8両編成、1983年10月2日より10両編成)

なお、1985年(昭和60年)に製造が開始された205系は、その当時、首都圏共通の行先表示幕を使用していたため、「赤羽線」・「赤羽」・「池袋(これは山手線として使用)」の行先表示を装備していたが、赤羽線で運用されたことは無い。

歴史[編集]

現在でも沿線には「赤羽線」の名称が残っている

現在の東北本線などを敷設した日本鉄道が、現在の東海道本線との連絡線として1885年明治18年)に敷設した赤羽駅 - 新宿駅 - 品川駅の路線(品川線)が起源である。つまり、赤羽線は山手線の元の本線だった。現在も池袋駅では山手線のほうが東にカーブを描いているのはそのためである。

1903年(明治36年)、同じ日本鉄道の路線だった常磐線(こちらも当時は、田端駅 - 三河島駅間が本線だった)へ線路をつなげるために、池袋駅から田端駅へ支線(豊島線)が造られた。1906年(明治39年)に日本鉄道が国有化された後、1909年(明治42年)に赤羽駅 - 品川駅間、池袋駅 - 田端駅間を山手線とした。しかし電車は品川駅 - 池袋駅 - 田端駅 - 上野駅と運行するようになり、また1925年大正14年)に山手線が環状運転を行うようになったときも、環状運転をする電車は池袋駅 - 田端駅間を運行したため、実質的に池袋駅 - 赤羽駅間の方が支線のような状態となった。以降、池袋駅 - 赤羽駅間での区間運転のみの列車が運行され、赤羽線、赤チョンなどと呼ばれる。

1972年昭和47年)、線路区間表示等が変更された際に、正式に池袋駅 - 田端駅間の方が山手線の本線となり、池袋駅 - 赤羽駅間を山手線から分離、それまで通称として使われてきた「赤羽線」が正式に線の名称となった。

国電として101系・103系電車が路線ごとに特定のカラーリングを導入し、新性能化に際して山手線の黄色の101系が転用されたため、黄色が赤羽線の路線色となった。しかし、101系運用時より黄緑色の山手線の103系による代走がたびたびあったほか、関西地区から借り入れの朱色の101系が走ったこともあった。また、1978年(昭和53年)に101系が山手線から転用の103系に置き換わった後も、転用直後あるいは一時借り入れで黄緑色の車両が多かったうえ、1編成を山手線との共通予備として黄緑色(一部の車両は黄色から黄緑色に戻した)としたため、黄緑色編成および黄緑・黄色の混色編成が多く見られた。

浦和・大宮方面と池袋・新宿といった、山手線の西側を結ぶ短絡線として、利用が多い路線であったが、1985年(昭和60年)に東北本線別線(赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅)が開業し、同時に川越線の電化も行われ、赤羽線との直通運転が開始され、この時から赤羽線と東北本線別線は「埼京線」として案内されるようになった。なお、埼京線は山手線と同じ黄緑色のラインカラーとなり、埼京線開業までに黄色の車両は全て黄緑色に塗り替えられた。

年表[編集]

  • 1885年明治18年)3月1日日本鉄道品川線 品川駅 - 赤羽駅間が開業。現在の赤羽線にあたる区間に板橋駅が開業。
  • 1902年(明治35年)5月10日:池袋信号所が開設。
  • 1903年(明治36年)4月1日:池袋信号所が駅に変更され、池袋駅が開業。
  • 1905年(明治38年)6月10日:十条駅(貨物駅)が開業。
  • 1906年(明治39年)
    • 2月7日:十条駅(貨物駅)廃止。
    • 11月1日:日本鉄道が国有化。
  • 1909年(明治42年)
  • 12月16日:赤羽駅 - 池袋駅 - 品川駅間が電化。赤羽駅 - 池袋駅間で電車運転開始。
  • 1910年(明治43年)11月1日:十条駅開業。
  • 1924年大正13年)12月25日:板橋駅 - 池袋駅間が複線化。
  • 1925年(大正14年)
    • 2月13日:十条駅 - 板橋駅間が複線化。
    • 3月31日:赤羽駅 - 十条駅間が複線化。
  • 1972年昭和47年)7月15日:池袋駅 - 赤羽駅間 (5.5km) が赤羽線として山手線から分離。
  • 1983年(昭和58年)
    • 3月2日:赤羽駅ホームを高架線に切り替え。
    • 10月2日:池袋駅の改良工事が完成。発着番線を旧4番線(現8番線)から新1・2番線(現3・4番線)に切り替えると共に、8両編成を10両編成に増強。
  • 1984年(昭和59年)12月2日自動列車制御装置 (ATC) 使用開始。ただし、池袋駅 - 板橋駅間は貨物列車も運行していたため、バックアップ区間として使用開始(現在は通常ATC区間)。
  • 1985年(昭和60年)9月30日列車集中制御装置 (CTC) が導入。東北本線別線が開業、池袋駅 - 大宮駅間が埼京線として川越線とも直通運転開始。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が継承。日本貨物鉄道が池袋駅 - 板橋駅間の第二種鉄道事業者となる。板橋駅 - 赤羽駅間の貨物営業廃止。
  • 1996年平成8年)3月16日:池袋駅 - 板橋駅間の貨物列車設定廃止。
  • 1999年(平成11年)3月31日:池袋駅 - 板橋駅間の日本貨物鉄道の第二種鉄道事業が廃止。

駅一覧[編集]

駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 所在地
[山][区] 池袋駅 - 0.0 豊島区
[区] 板橋駅 1.8 1.8 板橋区
[区] 十条駅 1.7 3.5 北区
[区] 赤羽駅 2.0 5.5

廃駅[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 鉄道要覧』には「赤羽線」の名で東日本旅客鉄道の路線として掲載。
  2. ^ 旅客運賃・料金は、旅客の実際乗車する経路及び発着の順序によって計算する。
  3. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年 ISBN 978-4533029806

関連項目[編集]

座標: 北緯35度45分6秒 東経139度43分20秒 / 北緯35.75167度 東経139.72222度 / 35.75167; 139.72222