相模線
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電化前に使用されていたキハ35系(1988年頃、橋本駅にて撮影)
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相模線(さがみせん)は、神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅と相模原市の橋本駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)。全線が東京近郊区間に入る。
元は相模鉄道の路線であったが、後に国有化された。以前は寒川駅から西寒川支線が分岐していたが、1984年に廃止されている。
目次 |
[編集] 路線データ
- 管轄・路線距離(営業キロ):
- 軌間:1067mm
- 駅数:18駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
- 保安装置: ATS-PN
- 運転指令所:橋本CTCセンター
[編集] 運行形態
全列車が相模線用に投入された205系500番台4両編成で運転される。基本的には茅ヶ崎駅~橋本駅の線内折り返し運用だが、一部の列車は橋本駅から横浜線に乗り入れて八王子駅まで運転されている。また、茅ヶ崎~海老名駅の区間運転も行われている。
電化以前は橋本~南橋本、橋本~原当麻、橋本~厚木、厚木~茅ヶ崎、寒川~茅ヶ崎の区間運転も行われていた。
南側は相模川の東岸沿いを通り、北側は相模原台地の西側を築堤や切通しで登り詰める。
[編集] 車両
相模線では電化以前(少なくとも1976年以降)からドアの開閉をボタン方式(半自動)で行っているため、この車両は電化以後も引き続きボタン方式を採用している。
また、全駅・全列車[1]で通年・終日に亘ってドア開閉をボタン方式で行っているのは、JR東日本の東京近郊区間では相模線だけであったが、2006年12月1日より川越線・八高線と宇都宮線の一部区間でも実施している(JR東日本の東北地区では仙石線・仙山線・磐越東線などで実施されている)。205系の新製配置から現在まで転入・転出・改造・廃車が何もない。これはJR東日本の205系運用線区では唯一の例である。また列車の向きを中央本線に合わせたため横浜線や東海道線とは方向が逆である(八王子方が偶数向き、横浜線・東海道本線は八王子・東京方奇数向き。これは205系500番台が当初豊田電車区所属だったため)。
号車番号などに関しては、横浜線の記事を参照のこと。
パンタグラフは2号車の4号車側に設置されている。
[編集] ラインカラー
- ラインカラーは相模川をイメージした色(水色の濃淡)■で、車体の帯は2色である。
[編集] 歴史
[編集] 開業前
- 1915年(大正4年) - 会社設立が計画され、10月21日に最初の定款が作成される。当初の計画では、茅ヶ崎~寒川~厚木~原当麻~久保沢(城山町)付近~相原へ向かう路線であった。
- 1916年(大正5年)6月26日 - 相模鉄道の発起人鳥越一之助ほか36名に対して茅ヶ崎~寒川間の軽便鉄道敷設免許が交付される。
- 1917年(大正6年)12月18日 - 相模鉄道の創立総会が高座郡茅ヶ崎町茅ヶ崎の伊藤里之助宅にて開催。資本金は60万円、本社所在地は茅ヶ崎町茅ヶ崎5573-2に置かれた。
- 1918年(大正7年)1月4日 - 相模鉄道株式会社の設立登記がされる。
- 1919年(大正8年)7月10日 - 相模鉄道が日本鋼管との間に軌条約8km分の購入契約を結ぶ。
- 1920年(大正9年)1月10日 - 茅ヶ崎駅への乗り入れ連絡が承認される。乗り入れ工事は鉄道院によって施工。
- 5月末 - 乗り入れ工事完成。工事期間中に茅ヶ崎停車場共同使用願及び連帯輸送開始願を鉄道院に提出。
- 7月 - 砂利の採取地を寒川村一之宮、宮山及び神田村田村(現・平塚市田村)と決める。
- 1921年(大正10年)5月29日 - 茅ヶ崎~寒川間5.0kmにて試運転。貨車3両を連結して寒川~川寒川間試運転。開業に向け、鉄道省からテンダー式蒸気機関車4両、4輪客車2両、4輪無蓋車11両、4輪緩急車3両の計18両の払い下げを受けた。以上のように書かれた資料もあるが、当時の話では2両しか機関車がなかった(1924年参照)とされ、払い下げが記述通りに行われたのか、記憶違いかは不明である。
- 9月12日 - 鉄道係員服務規則、鉄道係員懲罰規定、旅客及び貨物運輸規則、貨物運賃および料金規則、貨物営業マイル程、運賃割引準則、増運賃規則、列車運転時刻などの諸規則が認可される
[編集] 開業後
- 1921年(大正10年)9月28日 - 相模鉄道線 茅ヶ崎~川寒川間(4.0mi.≒6.44km)開業。香川駅、寒川駅、川寒川駅開業。当時は28kgレールを使用していた。
- 1922年(大正11年)5月10日 - 砂利支線(貨物線・後の西寒川支線)寒川~四之宮間(1.2M≒1.93km)が開業。四之宮駅開業。同支線は本線開業時から存在していた。
- 1923年(大正12年)2月5日 - 東河原駅(後の西寒川駅)開業。
- 1924年(大正13年)3月28日 - 会社定款を一部変更し、軽便鉄道から地方鉄道法による鉄道に変更。
- 「大正12・13年頃の機関区には機関士3人、機関助手3人、技工1人、炭水夫1人、主任1人しかいなかった。機関車も101号と102号の2両しかなく、その2両で寒川まで運行していた」と相模鉄道社内報(1977年10月)に当時の話として載っている。
- 1925年(大正14年)7月8日 - 茅ヶ崎~寒川~四之宮間に対する政府補助金の申請が許可される。この前後に茅ヶ崎駅構内に機関庫1棟、川寒川駅・四之宮駅に貨物扱所、寒川~川寒川間の四之宮分岐点に信号所などを新設する
- 7月 - 自社施設として汐留駅に砂利荷揚場新設。震災復興資材として砂利供給の拠点となった。
- 1926年(大正15年)1月25日 - 寒川~厚木間の起工式開催。工区は2区に分けられ倉見駅までを先行工区とし、併せて厚木までの線路用地及び停車場用地の買収も進めた。
- 1930年(昭和5年)4月 - 厚木起点5.6kmまでの区間で軌条敷設・砂利散布、つき固め工事完了。
- 4月1日 - マイル表示からメートル表示に変更(茅ヶ崎~厚木 9.1mi.→14.6km、寒川~川寒川間 0.9mi.→0.9km、寒川~四之宮間 1.2mi.→2.0km)。
- 1931年(昭和6年)11月 - 厚木起点5.6km以北から橋本までの区間で軌条敷設・橋本駅連絡工事、通信設備、駅などの諸工事も完了。
- 1932年(昭和7年)5月 - 原当麻~橋本間に対して鉄道省から補助金の交付を受ける。
- 6月 - ガソリン自動客車を導入。導入当時の話として「ボディーが高く、すぐに脱線してしまう。寒川駅の分岐点から少しでも入ると脱線してしまう。これではとても本線を走る事ができない、何度やっても脱線する。そこで、機関区でボディーの高さを2センチほど低くしたら脱線しなくなった。」と相模鉄道社内報(1977年10月)に当時の話として載っている。
- 6月1日 - 円蔵停留場、上磯部停留場開業。
- 11月1日 - 中新田停留場、大河原停留場(現在の南橋本駅)開業。
- 1935年(昭和10年)6月23日 - 入谷駅開業。
- 1936年(昭和11年)1月15日 - 国鉄八王子駅へ直通運転開始。同時に運転本数を増やし、スピードアップを行う。
- 1937年(昭和12年) - 厚木駅構内に小田急連絡線が設置される。
- 1938年(昭和13年)9月29日届出 - 座間新戸駅を陸士前駅に改称。
- 1939年(昭和14年)10月1日届出 - 東河原駅を昭和産業駅に改称。
- 1940年(昭和15年) - 陸士前駅を相武台下駅に、大河原停留場を相模町停留場に改称。
- 1941年(昭和16年)3月3日 - 香川台停留場開業。
- 4月1日届出 - 相模町停留場を駅に格上げ。
- 1942年4月 - 海軍が昭和産業の工場を買収。当線での軍需輸送が始まる。
- 10月30日届出 - 昭和産業駅を四之宮口駅に改称。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 神中鉄道と相模鉄道の合併により、相模鉄道相模線となる。
[編集] 国有化後
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 戦時買収私鉄に指定され国有化、国鉄相模線となる。
- 停留場を駅に格上げ。日東駅を北茅ヶ崎駅に、上溝駅を番田駅に、本上溝駅を上溝駅に、相模町駅を南橋本駅に、四之宮口駅を西寒川駅に改称。円蔵停留場、本座間停留場廃止。休止中の香川台停留場、中新田停留場、上今泉停留場、上磯部停留場、作ノ口停留場廃止。四之宮駅を西寒川駅に併合し廃止 (-0.5km)。厚木駅が茅ヶ崎方に0.4km、原当麻駅が茅ヶ崎方に0.3km移転など一部で改キロ。
- 1946年(昭和21年)4月25日 - 社家~厚木間に山王原信号場を開設。
- 1949年(昭和24年)3月2日 - 山王原信号場廃止。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 寒川~西寒川間の旅客営業を廃止。1946年頃から旅客列車の運行はなかった。
- 1960年(昭和35年)11月15日 - 寒川~西寒川間旅客営業再開。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 相模線管理所発足。
- 1966年(昭和41年)3月25日 - SL運転廃止。
- 1984年(昭和59年)3月31日 - 西寒川支線廃止に伴うさよなら列車を寒川~西寒川間で運転。
- 4月1日 - 西寒川支線 寒川~西寒川間 (1.5km) 廃止。西寒川駅廃止。
- 1985年(昭和60年)9月3日 - お座敷列車「江戸」が団体列車として全線を2往復運転。
- 1986年(昭和61年)3月3日 - ダイヤ改正で試行列車として運転されていた22本が定期列車になる。
- 1987年(昭和62年)3月21日 - 海老名駅開業。
- 4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が茅ヶ崎~厚木間、南橋本~橋本間の第二種鉄道事業者となる。厚木~南橋本間の貨物営業を廃止。
- 1989年(平成元年)3月6日 - 電化工事着工。
- 1991年(平成3年)3月16日 - 全線電化。205系電車運転開始。
- 1997年(平成9年)7月1日 - 日本貨物鉄道の南橋本~橋本間の第二種鉄道事業 (2.0km) が廃止。
- 1998年(平成10年)9月28日 - 茅ヶ崎~厚木間の貨物列車がこの日で運転終了。
元々は貨物輸送中心で乗客が少なかったローカル線だったが、ダイヤ改正による本数増加で利用価値が見直され、海老名駅の開業、全線電化、横浜線との直通運転開始、橋本駅への京王相模原線乗り入れなどにより、通勤・通学路線として完全に定着している。
[編集] 駅一覧・接続路線
| 駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | 接続路線 | 所在地 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 茅ヶ崎駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:東海道線・湘南新宿ライン | 神奈川県 | 茅ヶ崎市 |
| 北茅ヶ崎駅 | 1.3 | 1.3 | |||
| 香川駅 | 2.1 | 3.4 | |||
| 寒川駅 | 1.7 | 5.1 | 高座郡寒川町 | ||
| 宮山駅 | 2.1 | 7.2 | |||
| 倉見駅 | 1.4 | 8.6 | |||
| 門沢橋駅 | 1.4 | 10.0 | 海老名市 | ||
| 社家駅 | 1.6 | 11.6 | |||
| 厚木駅 | 2.6 | 14.2 | 小田急電鉄:小田原線 相模鉄道:厚木線(貨物線) |
||
| 海老名駅 | 1.7 | 15.9 | 小田急電鉄:小田原線 相模鉄道:本線 |
||
| 入谷駅 | 3.0 | 18.9 | 座間市 | ||
| 相武台下駅 | 1.7 | 20.6 | 相模原市 | ||
| 下溝駅 | 2.9 | 23.5 | |||
| 原当麻駅 | 1.3 | 24.8 | |||
| 番田駅 | 2.1 | 26.9 | |||
| 上溝駅 | 1.5 | 28.4 | |||
| 南橋本駅 | 2.9 | 31.3 | |||
| 橋本駅 | 2.0 | 33.3 | 東日本旅客鉄道:横浜線 京王電鉄:相模原線 |
||
| 一部横浜線八王子駅まで直通運転 | |||||
[編集] 廃止区間
括弧内は起点からの営業キロ。
- 西寒川支線
- 寒川駅 (0.0km) - 西寒川駅 (1.5km) - 四之宮駅 (2.0km)
- 貨物支線
- 寒川駅 (0.0km) - 川寒川駅 (0.9km)
[編集] 廃駅・廃止信号場
#廃止区間にある駅を除く。カッコ内は茅ヶ崎駅起点の営業キロ
- 円蔵停留場 - 1944年廃止、北茅ヶ崎~香川間(1940年の移転前は 2.0km、移転後は不明)
- 香川台停留場 - 1943年休止、北茅ヶ崎~香川間
- 山王原信号場 - 1949年廃止、社家~厚木 (12.9km)
- 中新田停留場 - 1943年休止、社家~厚木間 (13.9km)
- 上今泉停留場 - 1943年休止、海老名~入谷間 (17.3km)
- 本座間停留場 - 1944年廃止、入谷~相武台下間 (19.7km)
- 上磯部停留場 - 1943年休止、相武台下~下溝間 (22.6km)
- 作ノ口停留場 - 1943年休止、上溝~南橋本間 (30.2km)
[編集] 相模線沿線スタンプらりー
2008年(平成20年)3月22日に、神奈川県や相模線沿線の市町村などが主催する「相模線沿線スタンプらりー」が開催される。内容は制限時間内に茅ヶ崎・宮山・海老名・入谷・橋本の各駅構内に設置されたスタンプを回収して回り、すべて制覇した者にはオリジナルの記念品(非売品)が贈呈される。さらにその後、相模線に関する記念クイズ(全5問)が出題され、全問正解者にのみ「相模線オリジナルジグソーパズル」が贈呈される。参加中はこの5駅を自由に回ることができ、相模線以外の路線の使用も許される。参加費は無料だが、参加に伴う運賃などはすべて自己負担となる。
[編集] その他
- 相模線はJR東日本の東京近郊区間内で八高線と共に最後まで気動車が運行されていた路線である。1991年に相模線が電化されたことにより、神奈川県は当時鉄道路線がなかった沖縄県を除けば日本で初めて入れ換え用や貨物線用以外のディーゼル機関車や気動車が存在しない(貨物専用線を除いた県内すべての鉄道旅客路線が電化されており、なおかつ他線区から乗り入れる気動車列車が全くない)県となった。これは八高線の電化による東京都より5年早い。
- 気動車の首都圏色(朱色5号一色)は、1976年に当線の気動車に施されたのが初めてである。首都圏色はその後日本全国に波及した。また、気動車において地域別のカラーリングを採用したのも、1985年にクリーム1号地に青20号の帯というデザインが施された当線の気動車が初めてである。
- 当時、採算性の悪かった相模線を国有化した理由は、戦時体制のもと、都心が攻撃された場合の東海道本線と中央本線を短絡する路線を確保するためである。
- 国鉄分割民営化以前に相模鉄道が当路線の譲受を検討したことがあった。詳細は相模鉄道の項を参照。
- 相模線内各駅の発車メロディは、音楽が茅ヶ崎駅と上溝駅以外は統一されており、石丸電気の旧CFソングに近い感じになっている(茅ヶ崎駅は発車ベル、上溝駅は「せせらぎ」のフェードアウト版)。ただし2種類の編曲を採用しており、前者は橋本・原当麻・入谷・海老名・門沢橋の各駅、後者は南橋本・番田・下溝・相武台下・厚木・社家・倉見~北茅ヶ崎間の各駅で使用されている。なお、電化当時は全駅で前者の発車メロディが採用されていた(総武本線の佐倉駅でも過去に使用されていた)。また、自動放送は上溝がユニペックス型放送、茅ヶ崎がATOS、海老名・原当麻・橋本が東海道型放送、それ以外の駅は仙石型放送である。
- 茅ヶ崎駅~厚木駅の交換駅は、長編成の貨物列車に対応して、有効長が長くとられている[2]。
[編集] 今後の予定
全線に亘り、複線化、編成の増強、行き違い設備を持つ駅の増設が計画されている。また南橋本~上溝間(作の口駅)、下溝~相武台下間(磯部駅)、入谷~海老名間(上今泉駅)、厚木~社家間(海老名運動公園前駅)、香川~北茅ヶ崎間(西久保駅)への新駅の設置も計画されている(駅名はすべて仮称)。
[編集] 脚注
- ^ 直通先の横浜線内では車掌の一括操作によりすべてのドアが開閉する。橋本駅では八王子行も含めて相模線ホームに発着のため半自動扱い。
- ^ 相模鉄道の新車搬入においては、最大で20m車の10両編成となるため、機関車の分を含めれば少なくとも11両分は必要で、これに過走余裕が加わる。
[編集] 関連項目
- JR東日本東京近郊路線
- ■東海道本線(東海道線)・■横須賀線・■■湘南新宿ライン・■山手線・■埼京線(赤羽線)・■南武線・■鶴見線・■武蔵野線・■横浜線・■京浜東北線・■根岸線・■相模線・■中央本線(■快速・■各駅停車)・■青梅線・■五日市線・■八高線・■宇都宮線(東北本線)・■日光線・■常磐線(■快速・■各駅停車)・■■川越線・■高崎線・■上越線・■両毛線・■水戸線・■総武本線(■快速・■各駅停車)・■京葉線・ ■外房線・■内房線・■■成田線・■東金線・■伊東線

