相模鉄道
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | 相鉄(そうてつ) |
| 本社所在地 | 〒220-0004 神奈川県横浜市西区北幸二丁目9番14号 |
| 電話番号 | 045-319-2057 |
| 設立 | 1964年(昭和39年)11月24日(注1) |
| 業種 | 陸運業 |
| 事業内容 | 旅客鉄道事業 |
| 代表者 | 沼野 恵一(代表取締役社長) |
| 資本金 | 1億円 (2009年9月16日現在) |
| 発行済株式総数 | 7億株 (2009年9月16日現在) |
| 従業員数 | 1117人(2009年9月16日現在) |
| 決算期 | 毎年3月31日 |
| 主要株主 | 相鉄ホールディングス株式会社 100% |
| 外部リンク | www.sotetsu.co.jp |
| 特記事項:注1:2009年9月16日に、旧相模鉄道株式会社(現:相鉄ホールディングス株式会社)の会社分割に伴い事業を承継し、商号を相鉄準備会社株式会社から現商号に変更 | |
相模鉄道株式会社(さがみてつどう、英: Sagami Railway Co.,Ltd.、略称・相鉄〈そうてつ、SOTETSU〉)は、神奈川県に路線網を持つ鉄道会社である。大手民鉄に含まれる。本社所在地は横浜市西区北幸二丁目9番14号。パスネットの符丁はSTである。
目次 |
[編集] 概要
相鉄グループの主要企業の一つである。旧相模鉄道が持株会社化して相鉄ホールディングスとなるのに伴い、休眠状態だった完全子会社の株式会社大関[1]を2009年1月22日に業態変更の上相鉄準備会社株式会社に商号を変更し、同年9月16日に同社の鉄道事業を承継し、商号を相模鉄道株式会社に変更して営業を開始した。
以前準大手であったが、1990年5月31日から大手民鉄に分類されるようになった。日本民営鉄道協会に加盟している大手民鉄16社の中では営業距離が最短であるとともに[2]、社員数が最も少ない会社でもある。
関東地方の大手民鉄で唯一東京都内に乗り入れておらず、また他社との相互直通運転も行っていないが、神奈川東部方面線として西谷(横浜市保土ケ谷区) - JR東海道貨物線横浜羽沢(同市神奈川区)間に連絡線を設置し、横須賀線(湘南新宿ライン)や東急東横線・目黒線とその乗り入れ先会社線へ直通させる構想が持ち上がっている(後述)。
労働組合の力が比較的強く、相鉄労働組合(私鉄総連加盟団体)では毎年のように労働環境改善を訴えてのストライキが計画されている。ただし、実際に実行されるのは近年ではまれで大抵は直前撤回になっているが、それでも大手私鉄の中では多いほうである。なお、相鉄労働組合の組合員には鉄道事業やバス事業以外のホールディングスの子会社の社員も含むが、電車・バスのストライキだけを計画していることが多い。
[編集] 歴史
現在のJR相模線にあたる路線を開業させたのが、かつての相模鉄道である。現在の相鉄本線に当たる部分を開業させたのは神中鉄道(じんちゅうてつどう)という会社で、後にこの相模鉄道に吸収されるが、その後現在の相模線部分は国有化され、残った神中鉄道由来の区間は吸収合併時の名称である相模鉄道を名乗り続けている。以上が概要であるが、以下に年代を含め詳しく記述する。
相模鉄道は1917年12月に当時の高座郡茅ヶ崎町で設立され、1921年9月に茅ヶ崎(神奈川県茅ヶ崎市) - 寒川(同県高座郡寒川町)間を開業し、1931年4月に橋本駅(同県相模原市)まで全通した。同年11月からは八王子駅(東京都八王子市)まで直通列車を走らせ、1940年12月には相模原駅 - 上溝駅 - 水郷田名間の乗合自動車事業も開始するなど意欲的であったが、業績が不振であったため、翌1941年6月に東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)の傘下に入り、経営再建を図ることとなった[3]。
一方、神中鉄道は、鎌倉郡瀬谷村(現在の横浜市瀬谷区)の素封家、小島政五郎らが中心となって起業し、奇しくも相模鉄道と同じ1917年12月に神中軌道、1919年6月に神中鉄道として設立された。こちらは厚木駅から建設を始め、1926年5月12日に二俣川 - 厚木間を開業させた。その2か月後の7月には寒川方面から厚木駅に乗り入れた相模鉄道と接続し、旅客輸送や相模川の砂利輸送の営業を行った。
神中鉄道の開業当時は、厚木・相模国分・相模大塚・大和・瀬谷・二ツ橋(三ツ境3号踏切付近)・三ツ境・二俣川の各駅で営業を開始した。相鉄社内報(1977年10月)に掲載されている座談会によれば、開業当時の話として「二俣川駅には駅長と駅手4名の合計5名。厚木駅には、運輸課長代理兼務の駅長と助役2名、駅夫4名、出札掛1名、車掌2名がいた。中間駅は、駅長と出札・改札を兼ねた駅手1名の2名のみ。全線でも26名しか駅にはいなかった。」とある。また、「機関庫には、機関士と機関助手、検査掛、炭水夫がいた。」とも話している。
二俣川駅から先は細切れに延長されたが、業績は不況下で低迷した。同年12月1日には星川駅(現・上星川駅)まで、1927年には北程ヶ谷駅(現・星川駅)まで、1929年には西横浜駅までと細切れに開業した。1931年10月25日に西横浜 - 平沼橋間の省線の側線を借り入れて営業を開始し、1933年12月27日になってやっと横浜駅に乗り入れた。全通により乗客は増加したが、業績は低迷したままで開業以来の赤字は拡大する一方であったため、1939年9月に同駅で接続する東京横浜電鉄の傘下に入り、再建を図ることとなった。
1941年1月20日には相模国分駅から海老名駅への新線建設(0.5km)に着手し、同年11月25日に完成した。同時に小田急小田原線相模厚木駅(現・本厚木駅)へディーゼル自動客車での乗り入れを開始し(1964年11月5日中止)、神中鉄道発足時からの悲願であった厚木町(現・厚木市)乗り入れを他社線直通運転ながら達成した。しかし、小田急は1943年3月31日まで同社の海老名国分駅を移転せず、海老名駅(現在より新宿方に200m程の位置)の共同使用まで客扱いをせずにいた。また、神中鉄道の海老名延長に伴い厚木線は貨物輸送のみとなった。
こうして、前述の厚木で隣接していた両社は同じ東急の傘下に入る。同年4月には経営合理化のため相模鉄道が神中鉄道を吸収合併、それぞれ「相模鉄道相模線」、「相模鉄道神中線」となる。しかし、1944年6月に戦時体制下における東海道本線と中央本線間のバイパス路線として相模線が国有化されて鉄道省に編入されたために、神中線部分のみが相模鉄道(以下相鉄)として存続するという憂き目にあう。こうして経営基盤とも言える相模線を失う一方で、厚木飛行場の開設などにより神中線の乗客や貨物輸送は急増した。しかしながら、脆弱な神中線の輸送力はもはや限界であり、これを克服するにはもはや相鉄の手には負えない事態となってしまった。このため、1945年6月から1947年5月までの間に親会社である東急へ鉄道事業一切を委託し、戦時下終戦直後の混乱期を乗り切ることとなった。この当時、現在の本線にあたる名称は「東急厚木線」または「東急神中線」と呼ばれていた。
1947年6月に東急から派遣されていた川又貞次郎ら役職員は、経営民主化を理由に東急が保有する相鉄株式を取得して、ここに東急から独立し、厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。
その後1952年に、米国のスタンダード・オイル社から横浜駅西口の土地24688m²を買収。これを開発していくことで相鉄の経営基盤を安定的にするものとなった。
そして1960年前後に小田急電鉄を通じて東急グループが再買収の動きを起こした。東急は鉄道よりもむしろこの横浜駅西口の土地が目当てであった。相鉄の経営を立て直した矢先に買収を仕掛けてきた東急の行動には川又社長も憤慨し、川又社長以下経営陣は既存株主に対して売却しないように働き掛け、また三井銀行社長の佐藤喜一郎(横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資して買収を防いだ。この結果、相鉄のメインバンクは現在も三井住友銀行となっており、後にこの一件が引き金となって東急の多摩田園都市開発に対抗し、いずみ野線沿線開発を行った。東急は相鉄沿線でも二俣川東急ニュータウンや東急白根ニュータウンといった大規模開発を行った。また、現在も相鉄ホールディングスの筆頭株主が小田急電鉄となっているのはこの時の名残りである。
戦中から戦後にかけては、厚木飛行場への輸送が行われた関係で路線基盤の増強などが進み、1942年6月から現在の東急東横線からの配電で横浜 - 西谷間が600V電化されたのを皮切りに、1943年8月から現在の小田急小田原線からの配電で海老名 - 相模大塚間が1500V電化され、1944年9月には二俣川駅を境に電圧が異なるものの本線の全線電化が完成している。なお、1946年12月に現在の京急本線からの配電に変更して全線が1500V化され、厚木貨物線の電化も1949年11月に行われた。
また、全線の複線化も飛行場への対策としてすでに敷地を確保してあったため進捗が早く、1951年11月から西横浜 - 上星川間の複線化を皮切りに翌1952年12月までに数度に分けて希望ヶ丘駅までが複線化された。横浜方向も当時の国鉄から西横浜 - 横浜間の貨物線部分の譲渡を受けるなどして1957年1月に複線化されている。その名残りで相鉄下り線の架線柱はJR線と共用になっているところがある。その後も1960年11月までには数度に分けて大和駅までが複線化され、1964年11月には相模大塚駅までが複線化されたが、この部分は1961年1月に墜落した米軍機が線路を横切って不通となる事故を起こされたため(この付近では1959年と1962年にも墜落事故が起きている)、その対策を兼ねて線路を掘り下げ、防護トンネルを通過する形にしている。1966年4月には大塚本町駅(当時、現在のかしわ台駅東口)まで複線化し、1967年4月にはかしわ台工機所(車両基地)の完成とともにここまで複線化され、1973年9月には相模国分(信号場)まで複線化し、本線の全線複線化が完成したのは海老名駅の移転後となる翌1974年3月となった。
その後も運輸政策審議会の答申により平塚方面への新線となるいずみ野線を建設することになり、まず1976年4月に二俣川 - いずみ野間を開通し、その後しばらくの間宅地開発に専念して沿線の住民を増加させた後、1990年4月にいずみ中央駅まで延伸されたが、この開通により日本民営鉄道協会における大手としての要件を満たしたため、同年5月31日には正式に大手民鉄としての認定を受けた。大手民鉄の認定は1949年12月1日認定の京阪電気鉄道以来41年振り15社目である。その後も1999年3月に湘南台駅まで延伸させ、小田急江ノ島線(後に横浜市営地下鉄1号線も)と接続させたところで現時点では一段落つけた形になっている。
なお、日本国有鉄道(国鉄)末期に民営化議論がまだ強く推進される前に、電化されて長編成の冷房通勤電車が走る相鉄本線に対して、非電化ローカル線として取り残されていた国鉄相模線を国有化前の経営母体である相鉄に返還譲渡するという検討がされたが、現職の職員を含めての引き取り条件が妥結せず、実現しなかった。その後の對馬好次郎社長就任時には相模線買取を検討したものの果たせなかった。当時の相模線が、営業係数400を越える赤字路線であったことが実現しなかった理由として挙げられる。なお、同線はそのまま1987年4月1日にJR東日本へ継承され、1991年3月16日に電化されている。
[編集] 路線
一般には相鉄線として親しまれている。以下の3つの路線を持つ。全ての路線が電化されている。
このうち、一般の旅客が利用できるのは本線といずみ野線のみである。厚木線は本来貨物線であり、イベント時を除いて一般の旅客は乗ることができない。各駅のホームの長さは10両編成分の長さが取られている。
このほかにも1948年9月に西横浜駅から国鉄保土ヶ谷駅(貨物駅)までの貨物線を開通させていたが、東海道線・横須賀線の分離による東海道貨物線の移転とともに1979年10月をもって廃止された。
[編集] 車両
[編集] 特徴
電車に関しては、終戦からの中古車主体の頃の台車は主に国鉄型(DT-10系やDT-13など)や住友KS-30Lなどのいわゆるイコライザー・タイプのものが使用されていたが、昭和30年代から比較的近年まで技術的個性が強くなり、直角カルダン駆動と車輪外側に露出したディスクブレーキ、旧6000系から新7000系までの新造車(改造車の2100系と5000系を除く)は希少な「日立式電磁直通ブレーキ」(正式名称は「電磁直通弁式電磁直通空気ブレーキ」)が採用されるなど、走行装置関係がきわめて特徴的であった。
相鉄では長らく、大手私鉄の鉄道車両としては珍しく日立製作所製の車両が占める割合が高く(東急車輛製造製の2100系・5000系・9000系・10000系を除く)、さらにはグループ企業を含めてエレベーターやエスカレータを始め、蛍光灯などの小物まで至るところで日立製が使われてきたが、これは同社が試作した旧5000系を導入したためといわれる[4]。近年では三井銀行(現・三井住友銀行)出身の對馬前会長の影響で三井グループの東芝製(一部の自動改札機・定期券発売機・情報システム機器など)が多く採用されている。
パンタグラフについてもやはり特徴的で、1975年までの新車は旧型国電車両でも使用されていた骨組みがパイプではなく鉄板製のPS-13形を搭載していた。また、相鉄ではパンタグラフは部品扱いで形式ごとに固定されたものではなかったため、最新鋭車両にPS-13形が搭載されたり、1編成の中に3種類のパンタグラフが混在していることもあった。中古車主体の時代(昭和20 - 30年代)を見てみると、PT-42系(小田急と乗り入れていたためか1965年 - 1966年頃になくなった模様)やTDK C-5Aのほか、相鉄入線前から元々搭載されていてそのまま使ったとおぼしきものもあったようである。変わったところでは日立K-100CというPS-13とPS-16を合成したような形態のものもあり、5000系と6000系の一部で使われていた。基本的にバネ上昇、圧縮空気下降方式である。
このように、何かと特徴的ではあったが、シングルアーム式パンタグラフの導入も比較的早く、1994年には実車試験も始められていた。現在、10000系で使われているPS-33B形とそれ以外の系列で使われている東洋電機PT-7103形の2種類がある。
一部の車両では試験的にヒートポンプ式冷暖房兼用空調装置を搭載していた。この装置の通勤型車両での採用例自体が珍しく、特に(旧)6000系の6021号車では温風を座席下にダクトで送り込む方式も試験運用されていたが、結局本格的な採用にはならなかった。また、相鉄の空調装置は基本的に集中式であるが、9000系だけは例外的に集約分散式となっている。
なお、相鉄は冷房化の開始時期や進捗が早く、1987年(昭和62年)には関東地方の私鉄で初めて(ただし戦後の新規開業路線を除く)冷房化率100%を達成した。
車体も、2100系から9000系までアルミ合金車を採用した。このうち7000系までは骨組み部分が外側から明確に判るよく似た無骨な外観を持っている。接客設備にも特徴が多く、1972年に日本で初めてパワーウインドウ(油圧式。一般営業用では世界初であったとも言われている)を導入したほか、新7000系の最終増備車と8000系・9000系の編成内の2両に4扉セミクロスシートを設置している。パワーウインドーは相鉄と阪急、京阪、小田急などごく一部でしか採用されていない(装置も相鉄は油圧式なのに対し阪急・京阪・小田急は空気式)。4扉セミクロスシートはJR東日本がE217系などの近郊形車両の4扉化に当たり参考にしたと言われている。
しかし、このような特徴は製造コストが高いためか、コストダウンを主な目的に登場した10000系はJR東日本のE231系の基本設計に基づいた車両で、相鉄で初のステンレス車両となっただけでなく、上記に挙げた技術的特徴はすべて解消されてしまった。これにより10000系からの車両はJRと共同開発した東急車輛製造製が中心となり、中にはJR東日本の新津車両製作所(新潟県新津市、現:新潟市秋葉区)によって製造された車両も含まれている。
過去には地方私鉄で使いやすい車両が揃っていて、比較的コンスタントに譲渡車があった。旧相模鉄道・神中鉄道時代の車両も含めると、電車から気動車、客車、果てはSLや貨車に至るまで100両ほどあるといい、譲渡先からの再転出分も含めるとほぼ日本全国で足跡を残しているようである。しかし、自社で車両を新造するようになってからは上記の技術的特徴のほか、大手私鉄で最も大きくなった車両限界や冷房付きで大型の20m両開き4ドア車であることもあってか、地方の私鉄への車両払い下げ自体が敬遠されており、1970年代に伊豆箱根鉄道に旧型車2000系を譲渡(150形、事業用として1両が残存→伊豆箱根鉄道コデ165形電車参照)して以降は譲渡例がない。
なお、2009年6月現在、鉄道友の会から賞を受けた車両は1系列も存在しない(大手私鉄では阪神電気鉄道も同様)。
[編集] 車両番号の付け方
相鉄では10000系までの車両では車両番号には役割に応じたものを付けるようにしており、百の位の数字で区別できるようになっている。詳しくは各系列の記事に譲るものの、以下に主な例を示す。
- 000番台…横浜側に組成される制御電動車(例:7006号車)
- 100・200番台…中間電動車(電動車ユニットを組むものが多いが一部形式では例外もあり)(例:8119号車と8219号車のユニット、7103号車と7104号車のユニット、5153号車〈独立電動車であり、例外の一例〉)
- 300番台…中間電動車(独立している電動車を指す。ただし一部古い形式では例外がある)(例:7351号車、10301号車)
- 500番台…海老名・湘南台側に組成される制御車(例:9502号車)
- 600番台…中間付随車(例:5656号車)
- 700番台…横浜側に組成される制御車(例:7703号車)
※ここでいう、電動車ユニットとは電動車2両を1ペアと扱い、このうち1両だけに架線の電流をモーター用に調整する制御装置とモーターを搭載し、もう1両はモーターだけを搭載して必要な電流は隣の車両から供給する方法を指す。対して独立電動車とは1両に制御装置もモーターも搭載する方式を指す。一般に長編成固定状態で運用する場合、制御装置を減らせる電動車ユニット方式の方がコスト削減できるが、短編成に分離しにくくなり柔軟な運用がしづらい欠点がある。
更新工事や増備途中などで制御装置をVVVFインバータ制御に変更した場合、下二桁を51から付け始めるのも特徴である(7000系抵抗制御の編成でも電動車の下二桁が50番台の車両が一部あるが、これは中間電動車の両数が多いためで抵抗制御の車両である。7000系のVVVF制御の車両は独立電動車の7350番台である)。ただし、その時でも正式な系列名称(相鉄公式)は変えていない、新7000系VVVFインバータ車を例にとると、該当編成は7050系ではなく新7000系として扱われている(その他の例に2代目5000系、3000系など)。
ただし、2008年秋から導入した11000系は第一編成が横浜側から11001,11101…、第二編成が同11002,11102…と順番に番号を振られている。すなわち末尾の数字が編成を表し、百の位の数字が編成中の号車を表す(1号車は0、2号車は1、…、10号車は9)ものに変更されており、この番号の付け方の法則は成り立たない。
[編集] 現有車両
事業用の車両を含め、現在在籍するすべての系列は電車である。各系列の在籍期間、車両数、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。営業運転では最大10両編成が運用される。
2007年4月より、これまで各系列別に施していた車体の塗装を、新7000系 - 10000系の各系列において相鉄の新コーポレートカラーの相鉄ブルーと相鉄オレンジの新塗装に塗り替えることが発表された。デザインは10000系に準じている。最初の編成は9000系9707Fで、同年3月に塗装を完了し、4月22日にいずみ野駅でお披露目式が行われた。その後も順次変更し、2010年度末までに全車両の変更が終了する予定である。なお、2008年度新造の11000系については登場当初から新塗装となっている。
今後予定されている神奈川東部方面線の開通でJR線と直通することになるので、これに合わせ既存車両の保安装置の改修が進められている。このうち、現行ATSをJR仕様の保安装置であるATS-PとEB装置の設置、また列車無線を誘導無線からデジタル列車無線に切り替える計画である。これに基づき既存の8000系や9000系車両など車両側でも工事が進められている。
乗客の増加とともに1編成当たりの車両数を徐々に増やし、1980年代前半からは10両編成を中心に製造してきたが、近年は利用者の減少などで2002年の10000系20両以来中断されたていた。しかし、JR直通を意識して2009年に登場した11000系では再び10両編成車の製造が行われている。
かつては相模川の砂利やセメント輸送、米軍基地の貨物輸送を行っていた関係で貨車や電気機関車も在籍していた。ただし、多くの貨車は私有貨車であったために、相模鉄道として所有するものは少ない。また、前述のように近年の車両は走行設備が特殊な車両が多く、地方私鉄への譲渡車両は30年以上全く出ていない状況が続いている。
[編集] 一般型車両
[編集] 事業用車両
- モヤ700形 - 7000系から改造された計測・救援用電車
このほかに車籍は有しないものの、各種保線用のモーターカーがある。
[編集] 廃系列
[編集] 一般型車両(電車)
- 新6000系
- 旧6000系 - 2両がかしわ台車両センターに静態保存されている。
- 5000系
- 3000系
- 2100系
- 2000系モハ2000形 - 一部をモニ2000形や2100系に改造した。一部伊予鉄道や伊豆箱根鉄道へ譲渡。
- 1000系
[編集] 事業用車・貨車
- 2000系モニ2000形 - 事業用電車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
- ED10形 - 電気機関車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
- トフ400形 - 貨車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
- トム260形 - 貨車
- トム600形 - 同上
- ホキ800形 - 同上
[編集] 今後の予定・計画
[編集] 立体交差事業
和田町駅東方から天王町駅(保土ケ谷区東部地域)まで約1.8kmの連続立体交差事業が着工されており、2012年度に竣工する予定である。完成後は星川駅が2面4線(現在と同じ)、天王町駅が島式ホーム1面2線の高架駅にそれぞれ改築される。これに関連して星川駅構内にあった留置線と車掌区は西横浜駅へ移転した。なお、天王町駅は着工以前から2面2線の高架式ホームとなっている。
[編集] 東京都心方面への乗り入れ計画
詳細は「神奈川東部方面線」を参照
かつて運輸政策審議会の答申による「神奈川東部方面線」として、相鉄側がいずみ野線を二俣川駅から延伸して新横浜駅までを建設し、東京急行電鉄が東横線大倉山駅から新横浜駅まで新線を建設し、これら2路線を接続させて相互直通運転を行う計画が持ち上がったが、計画は長らく進まなかった上、バブル崩壊のあおりも受け、この計画は事実上頓挫していた。
その後、相鉄はJR東日本に対して相互直通運転の計画を持ちかけ、2004年9月にJRとの相互直通運転計画を相鉄側が発表した。さらに2006年には東急との相互直通運転も実施すると発表され、JRとの相互直通運転を「相鉄・JR直通線」、東急との相互直通運転を「相鉄・東急直通線」とし、当初の神奈川東部方面線とは多少経路が変更されているものの、これら2路線を合わせて「神奈川東部方面線」(いずれも仮称)を形成することとした。なお、東急との接続路線は当初予定されていた東横線から目黒線に計画が変更されている。
[編集] 特急の導入計画
前述した神奈川東部方面線計画と関連し、本線全区間において通過運転を行う新たな種別として「特急」の導入が検討されている。そのため、瀬谷駅を上り線のみ待避可能な2面3線から上下線待避可能な2面4線に整備される予定である。これは、横浜駅を経由しない神奈川東部方面線が実現すると、同駅が空洞化されるのではないかとの声があることから、相鉄グループ全体を挙げてのプロジェクトの一環である[5]。
[編集] 海老名駅の改築
近年のバリアフリー化に伴い、順次駅舎へのエスカレータとエレベーターの設置を進めている。中でも、海老名駅については小田急と相鉄の駅舎がともに老朽化し、かつ手狭にもなっていることから、新しい駅舎を建設することになった(小田急は新築、相鉄は一部改良)。その際に当時の厚木市長の呼び掛けで両者関係者出席の下で相鉄の駅から小田急小田原線本厚木駅への乗り入れに関するシンポジウムが開催されたが、海老名駅の新築計画が白紙になることや、相鉄の筆頭株主である小田急側が難色を示していることもあり、今後の動向が注目されている。これは、相鉄側の主張によると、小田急線のみならず、他社線との相互直通については利便性向上や沿線価値の向上、新たな輸送需要喚起になるため、今後の研究課題としている。しかしながら、
- 車両や運転保安設備などに互換性がない。
- 小田急とのダイヤ調整が必要である。
- 海老名駅の構造など大規模な設備投資が必要。
などの課題があり、実現性が乏しいとしている。
そのような中で、横浜駅に次ぐターミナル駅でもある海老名駅のホームを改修し、幅をおよそ4割拡張する。2007年秋から仮設乗り場の建設を行っており、当初は2008年9月までに完成させることが発表されたが、工事が遅れ翌2009年6月に竣工した。
[編集] その他の予定・計画
- 神奈川東部方面線に関連して、いずみ野線湘南台 - JR東海道本線平塚間の延伸計画もあるが、こちらは上記の都心直通計画が実現した後に取り掛かるとされている。2009年には、相鉄による本延伸計画の免特許期限が切れたが、10年延長されている。また、採算性の問題などから同区間内を大型の鉄道ではなくコストが比較的安価なLRTにより結ぶべきという声も存在する。
- 本線の二俣川駅から横浜駅まで地下新線を建設して複々線化する構想もあったが、乗客数の増加が止まり構想が流れているため、神奈川東部方面線の建設に移行している。
- 駅の案内サインを2007年12月中旬に変更したさがみ野駅を皮切りに、バリアフリーを取り入れ、LED照明を利用した省エネタイプのものに順次交換予定である(平沼橋駅の横浜寄り1か所の駅名標もこの仕様)。このサイン計画はかつての営団地下鉄やみなとみらい線等、多くの公共空間のサイン計画を主導した黎デザイン社が手がけている。新サイン計画では、一部サインに中国語や韓国語の表記も用いられている上、改札付近には近隣鉄道のネットワーク図も新たに設けられている。将来に備えてかさがみ野駅の横浜方面の案内板には「横浜 新宿 渋谷方面」と表記された案内が交換時に見られたが、その後「大和 二俣川 横浜方面」とされた。
- 各駅に冷暖房完備の待合室を設置する予定である。
[編集] 運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2004年12月1日現在。
| キロ程 | 運賃(円) |
|---|---|
| 初乗り3km | 140 |
| 4 - 7 | 170 |
| 8 - 11 | 190 |
| 12 - 15 | 220 |
| 16 - 19 | 250 |
| 20 - 23 | 270 |
| 24 - 25 | 300 |
いずみ野線に跨って乗車する場合は、同線内の乗車区間・キロ数に応じた加算運賃が必要となる。
| 乗車キロ数 | 6kmまで | 7 - 9km |
| 二俣川 - いずみ中央 | 20円 | 40円 |
| いずみ中央 - 湘南台 | 30円 | |
各区間を跨って乗車する場合はそれぞれの額の合計が加算額となる(例:いずみ野 - 湘南台間の場合はいずみ野 - いずみ中央間が2.2kmなので「二俣川 - いずみ中央6kmまでの加算額20円」 + 「いずみ中央 - 湘南台の加算額30円」 = 50円)。
[編集] 1日乗車券
2005年から毎年、夏から11月にかけて相鉄全線(バスを除く)が乗り降り自由な「相鉄・鉄道全線1日乗車券」を大人600円・小児300円で発売している。発売期間は2005年と2006年が8月1日 - 11月30日であったが、2007年以降は期間が7月下旬からに拡大されている。
さらに、2007年7月1日からは横浜都心部の横浜市営地下鉄ブルーラインと横浜市営バスが乗り降り自由な「相鉄発 みなとぶらりチケット」を横浜駅と湘南台駅を除く各駅で発売している。
[編集] フリーパス
相鉄は、上記の経緯により小田急電鉄との関係が深く、小田急線で発売している各種フリーパスも発売している。特典には相鉄線乗車駅から小田急線乗り換え駅(大和駅または海老名駅)までの往復割引乗車券が追加されている(湘南台駅乗り換えは発売していないため、いずみ中央駅などいずみ野線内で江の島・鎌倉フリーパスを購入しても大和駅経由になる)。そのため、パンフレットも小田急と同じものが使われている。
[編集] その他
- 大手私鉄、特に料金不要の列車しか運行していない会社では珍しい存在になりつつある「旅客専務車掌」(JRでいう乗客専務車掌、車内での乗客サービスのみを行う)による車内巡回が行われており(主に本線)、乗り越し精算、他社線連絡乗車券の発売などを行っている。以前は6000系の柄のものなど車掌区オリジナルのパスネットも発売していた。しかし、人員削減や合理化により車掌の車内巡回そのものを取りやめる会社が増える中、乗客サービス専門の車掌が車内を巡回する姿は貴重となっている。
- 他に珍しいものとして、過去には1960年代にお買い物電車「オカイモノ急行」を運行していた。
- 1983年にフジテレビ制作、山田太一脚本のドラマ『早春スケッチブック』の舞台として、本線の希望ヶ丘駅周辺一帯や近接するいずみ野線の南万騎が原駅付近をはじめ、本線沿線(瀬谷駅前広場や横浜駅周辺)や電車内でロケが行われた。ちなみに相鉄はこのドラマの制作に協力しており、オープニングでは旧6000系(クハ6517編成)が希望ヶ丘駅ホームに入線して来るシーンや、本編中に当時まだ宅地開発途上であった本線の沿線風景、登場人物が電車に乗車しているシーンがよく登場している。
- 本線の希望ヶ丘駅といずみ野線のゆめが丘駅では縁起物の硬券の片道乗車券を発売している(愛称は「ゆめきぼきっぷ」)。以前は往復乗車券の様式で発売していたが、現在は「希望ヶ丘駅→ゆめが丘駅」と「ゆめが丘駅→希望ヶ丘駅」の2種類で発売されており、受験生に好評である。受験シーズンになると、購入者に特製の絵馬がプレゼントされる。これに合わせて両駅には絵馬掛けが設置されるが、掛けられた絵馬はシーズンオフになると寒川神社に奉納した上で「お焚き上げ」される。
- 特に告知していないが、相鉄線各駅では硬券入場券を販売している。おまけとして昔の駅舎写真を印刷したポストカードがもらえることがある。なお、創立90周年を記念して入場券セットを発売したことがある。
- 相鉄グループの新CIロゴ制定と同時に、鉄道カンパニー独自に「速く、遠くに、快適に」のスローガンを掲げている。
- 最近では、10000系編成において日立のコーポレート・ステートメント「Inspire the Next」やグループ企業の横浜ケーブルビジョン、そして2009年の横浜港開港150周年を記念したラッピング電車が2007年から数種運行されている。またラッシュ時には4号車を女性専用車として運行している。
- 主要駅に設置されている発車標は新陽社製を、中間駅の接近案内表示器は京三製作所製をそれぞれ採用している[6]。いずれも電車が来ることを知らせるチャイムを設置しており、バリアフリー化を推進している。
- 沿線の海老名市は東海地震に対する地震防災対策強化地域に含まれており、東海地震の警戒宣言が発令された場合、相鉄では本線の大和 - 海老名間で列車の運行が中止されることになっている[7]。
- 2009年6月26日には、近年の大手私鉄では珍しいストライキ(前述の持株会社化に伴う転籍などの労働条件を巡る問題[8])が始発から6時50分まで行われた。なお、日本民営鉄道協会加盟鉄道会社のストライキとしては、2004年3月28日の同じ相鉄以来である[9]。
[編集] 提携など
- 東日本旅客鉄道 - 相互乗り入れ予定
- 東京急行電鉄 - 同上
- 東京地下鉄 - 南北線からは乗り入れ予定、副都心線からは未定
- 東京都交通局 - 相互乗り入れ予定
- 埼玉高速鉄道 - 同上
- これにより相鉄の列車は東京都および一部は埼玉県まで運行される予定である。
- 東武鉄道 - 未定
[編集] 関連項目
- 相鉄グループ
- 相鉄バス
- 百獣戦隊ガオレンジャー - スーパー戦隊シリーズ25作目で、相鉄の駅の数と同じことから2001年にタイアップして同社でスタンプラリーが実施された。
- 早春スケッチブック - 1983年に放送されたフジテレビ系列のテレビドラマ。
- がくえんゆーとぴあ まなびストレート! - 作中で相鉄をモデルとした鉄道路線図が登場する。
- 天才柳沢教授の生活 - フジテレビ系列のテレビドラマ。作中の柳沢教授の最寄り駅が相鉄の希望ヶ丘駅。
[編集] 脚注
- ^ 横浜地下街ザ・ダイヤモンドで同名のきしめん店を経営していたが、2006年に事業をグループ外企業に譲渡し、休眠状態になっていた。
- ^ 相鉄が大手私鉄に入る前は、阪神電気鉄道が最短であった。
- ^ 大東急時代の名残で、東急資本でありながら近年まで「相鉄運輸」と名乗る企業があった。2002年に東急運輸を合併して東急ロジスティックとなり、2006年にティーエルロジコムへと社名変更している
- ^ 同社のデモンストレーションとしての意味合いが大きい。類似例では全線開通に際して資金面などの協力を受けた新京成電鉄と三菱電機、阪急電鉄と東芝、京阪電気鉄道と東洋電機製造との関係や、車両メーカー主導による交通システム実用化路線である東京モノレール(日立製作所)・湘南モノレール(三菱重工業・三菱電機)などの例がある
- ^ 2009年11月1日付東京新聞より http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20091101/CK2009110102000060.html
- ^ 横浜駅では乗車ホームに発車標が、降車ホームに接近案内表示器がそれぞれ設置されている。また、かつて海老名・大和・いずみ中央の各駅では日本信号製の発車標を使用していた。
- ^ 東海地震の情報と対策 神奈川県
- ^ 相模鉄道、ラッシュ前に2時間スト読売オンライン、2009年6月26日
- ^ 相模鉄道、早朝ストで5万人に影響アサヒコム、2009年6月26日
[編集] 参考文献
- 『相鉄七十年史』相模鉄道
- 長谷川弘和 『横浜の鉄道物語 陸蒸気からみなとみらい線まで』 JTBパブリッシング 2004年 ISBN 4-533-05622-9
[編集] 外部リンク
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