上瀬谷通信施設

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上瀬谷通信施設の海軍広場、2011年11月8日の防災訓練で撮影

上瀬谷通信施設(かみせやつうしんしせつ)は神奈川県横浜市旭区上川井町と瀬谷区北町・瀬谷町に位置する 2,422,396在日米海軍基地

接収と囲障区域外の利用許可[編集]

上瀬谷通信施設の海軍広場のヘリポート、2011年11月8日の防災訓練で撮影

かつての日本海軍の倉庫施設が太平洋戦争の終戦により米軍接収され通信基地となった。いったん接収解除されるも1951年に再接収された。現在は部隊は常駐しておらず、在日米海軍厚木航空施設司令部の管理下となっている。

事務所等の囲障区域(フェンス等で囲まれた内側)は立入禁止区域となっているが、囲障区域外は農耕野球場等の使用が認められているほか環状4号線(通称「海軍道路」)が通過しており一般の通行が認められている。また、海軍道路沿いに桜が多く植えられていることからお花見スポットとしても知られており、毎年4月の第1週目の土曜日には施設内の海軍広場で「日米親善桜祭り」が開催される。2015年6月には当施設を含めた土地全体が日本へ返還される見込みである[1]

瀬谷区の15%近くの面積を占めており、また瀬谷区の北半分は戦後長らく米軍により「電波障害防止地域」に指定されていたため、瀬谷区の開発は遅れることとなった。

基地概要[編集]

上瀬谷通信施設周辺の空中写真。画像上方に東名高速道路横浜町田インターチェンジ、左上から右側中央にかけて斜めに走る道路は国道16号保土ヶ谷バイパス、通信施設敷地中央を南北に走る直線道路が通称「海軍道路」である。
1983年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
  • 市町村別面積比率:国有地 45.2%、市有地9.4%、民有地45.4%
  • 管理部隊:厚木航空施設司令部
  • 施設番号:FAC 3096

当施設は、アメリカ国家安全保障局(NSA)の電波受信の施設であったが、現在は電波受信施設として使用されていない[注 1]。周辺に設定されていた「電波障害防止地域」も1995年4月1日に解除されている。なお電波送信は横浜市泉区深谷通信所で行われていた。

かつては海軍保安群司令部(NSGC)隷下の海軍保安群上瀬谷(NSGA Kamiseya)が中心となり、NSAの指揮下で電波傍受・暗号解読・分析・通信保全などが行われていたが、1973年(昭和48年)に大部分が三沢飛行場青森県)の姉沼通信所(通称・セキュリティ・ヒル)に移駐した(海軍保安群三沢/NSGA Misawaとして活動)。残った部隊は海軍保安群上瀬谷分遣隊(NSG Det. Kamiseya)となり、那覇海軍航空施設(NAF Naha、沖縄県)から移駐してきた第7艦隊(7FLT)隷下の第72、第57タスクフォース(CTF72, CTF57)や第1哨戒偵察航空団司令部(CPRW-1)とともに引き続き施設を運用。1980年代にはさらに艦隊海洋監視情報施設(FOSIF)や統合情報司令部太平洋分遣隊(JICPACDET)といった重要組織も配置されていたが、冷戦終結で大部分が他の施設へ移駐し、1995年(平成7年)には海軍通信施設(NAVCOMMFAC)に所属する「海軍無線受信施設上瀬谷(NRRF Kamiseya)」としての運用から、厚木航空施設司令部の管理する「海軍支援施設上瀬谷(NSF Kamiseya)」へと変わった。2003年(平成15年)には第1哨戒偵察航空団司令部の三沢飛行場移駐が発表され、施設警備を担当していた海兵隊(Marine Barracks Det. Kamiseya)も撤退。現在は無人となっている[2]

なお、米軍に接収されたあと、当時相模鉄道瀬谷駅から当施設への引込線(現在の海軍道路)脇には平和への祈りを込めてソメイヨシノが植えられた。また、海軍道路には昭和40年代くらいまで北門、南門と呼ばれる門柱が残されていた。

沿革[編集]

  • 1945年8月:終戦により旧日本海軍横須賀海軍資材集結所であった当所を米軍が接収する。
  • 1947年10月16日:接収解除
  • 1951年3月15日:米海軍により再接収。
  • 1965年9月24日:基地内で火災事故発生。12人が死亡[3]
  • 1977年3月20日:施設内の国有農地が一部耕作者へ売り渡される。
  • 1977年4月1日:海軍道路(横浜市主要地方道18号環状4号線)用地が横浜市と米軍による共同使用となる。
  • 2003年10月:当施設にあった「司令部」が青森県三沢飛行場へ移転。
  • 2004年10月18日:日米合同委員会で日本への返還の方針が合意された。
  • 2015年6月:当施設を含めた土地全体が日本へ返還される見込み[1]

事故[編集]

1965年9月24日、オペレーションビルの一棟で火災が発生し、12人の米軍人が死亡した。死者が発生した直接の原因は、施錠された出口から脱出することが困難だったためであった。ほとんどの者は煙に巻かれて死亡した。公式な調査で火災の原因は漏電であったことが判明している。しかし、数人の目撃者の証言では、当時設置されたばかりの焼却炉の通気壁が不適切だったことが火災の原因としている。

なお、火災発生時には日本の消防も駆けつけたが、火災が発生したのが米軍基地内のため消火作業を行うことができなかった。

アメリカ国家安全保障局との関係[編集]

上瀬谷通信施設は、アメリカ国家安全保障局(NSA)の歴史を語るうえで欠かせない場所となっている。それは、以下の事件の舞台となったためである。

1960年代前半に、上瀬谷通信施設に勤務していた二人のNSA職員が同性愛の関係となった。当時のアメリカでは同性愛は社会的に認められていなかったため、迫害を恐れた二人はそろってソ連に亡命をした。その際、二人がNSAについてソ連当局に告白したため、アメリカ政府はそれまで公式には認めていなかったNSAの存在を公式に認めざるを得なくなった。この事件以降、同様の事件を防ぐためにNSA内部では、アメリカの社会に先駆けていくつかの条件の下に同性愛者を許容することとなった[4]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ NSAの部隊が撤収していることは、ジェイムズ・バムフォード『すべては傍受されている-米国国家安全保障局の正体』で明らかにされている。

出典[編集]

  1. ^ a b 横浜・米軍施設の深谷通信所が6月返還へ、上瀬谷は来年6月(神奈川新聞:カナロコ 2014年3月25日)
  2. ^ http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f4937/p128047.html (平成23年3月末現在従業員数0人)
  3. ^ http://www.navycthistory.com/kamimemorial_intro.html A tribute to KAMISEYA on the 40th anniversary of the fire that took place on Sept 24, 1965
  4. ^ ジェイムズ・バムフォード『パズル・パレス-超スパイ機関NSAの全貌』

参考文献[編集]

  • ジェイムズ・バムフォード(瀧澤一郎訳)『パズル・パレス-超スパイ機関NSAの全貌』早川書房、1986年。ISBN 4152033177
  • ジェイムズ・バムフォード(瀧澤一郎訳)『すべては傍受されている-米国国家安全保障局の正体』角川書店、2003年。 ISBN 4047914428

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度29分11秒 東経139度29分25.6秒