東京高速鉄道

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東京高速鉄道株式会社(とうきょうこうそくてつどう)は、現在の東京地下鉄銀座線新橋駅 - 渋谷駅間を建設した鉄道事業者である。

目次

[編集] 経緯

もともと東京市1943年昭和18年)7月1日東京府と合同して東京都になる)は、市内交通の公営主義に基づき地下鉄をも市営として建設する計画を持っていたが、予算の問題から実現が遅れていた。しかし一部の企業家は、東京地下鉄道が好成績を収めているのを見て十分な採算性があると考え、東京市の持つ地下鉄建設免許の譲渡を請願した。それを東京市が認めたため、1934年(昭和9年)9月5日、建設運営を行う会社として東京高速鉄道が設立された。当初は前年までに会社を設立することが免許譲渡の条件とされていたが、資金が集まらなかったため延期され、東京横浜電鉄(現:東京急行電鉄)系列の総帥、五島慶太を発起人に加える形でようやく設立にこぎつけた。そのため、五島が経営の主導権を握ることになった。

譲渡された免許区間は渋谷 - 東京(丸ノ内)間と新宿 - 築地間であったが、東京高速鉄道は東京横浜電鉄のターミナルがある渋谷からの建設を開始し、1938年(昭和13年)11月18日、青山六丁目駅(現:表参道駅) - 虎ノ門駅間を開通させた。この時、資金難からホームの長さを3両分にするなど、先行する東京地下鉄道や大阪市電気局(現:御堂筋線)とは違って建設コストを徹底的に削減して建設したため、後に銀座線の6連化をする際には、同社が建設した区間に関しては多額な費用を投じ、ホームを延伸する工事をしなければならなかった。

その後、東京高速鉄道は新橋駅まで延伸し、東京地下鉄道線との直通運転を目論むが、早川徳次率いる東京地下鉄道は京浜地下鉄道を設立、新橋駅から品川駅まで延伸して京浜電気鉄道(現:京浜急行電鉄)との直通運転を計画していたことから、両者を同時に乗り入れさせるのはダイヤ的に困難だとしてこれを拒否した。

五島はこの計画を阻止しようと考え、京浜電気鉄道と東京地下鉄道の株式を抑えて京浜電気鉄道を支配下に置き、さらに東京地下鉄道を東京高速鉄道に合併させようとした。しかし、五島が押さえることのできた東京地下鉄道株式は35%に留まったため、五島派と早川派による経営権の争奪競争に発展。東京地下鉄道の従業員らも合併には猛反対していたこともあり、株主総会が両派それぞれ別の場所で開かれようとする異常事態に陥る。ついには当時の内務省が仲裁に乗り出し、五島・早川の両者が地下鉄事業から手を引くことを条件に調停を行って、議決権の棚上げも決められた。

その後も五島は東京高速鉄道取締役を退かず、東京高速鉄道側から東京地下鉄道に多くの役員を送り込んだため、事実上この競争は早川の敗北となった。またこれは、五島慶太の「強盗慶太」というあだ名を広めるひとつの要因ともなった。旧東京地下鉄道出身と旧東京高速鉄道とのしこりは、職員間の感情的な対立などの形で、戦後も長らく尾を引くこととなる。

1939年(昭和14年)1月15日、東京高速鉄道は新橋駅への延伸を果たすが、東京地下鉄道側は直通の準備ができていないことを理由に自社駅への乗り入れを拒否したため、東京高速鉄道は独自に駅を建設し、東京地下鉄道の駅への乗り入れが実現する9月までの8か月間は、2つの新橋駅が壁を隔てて対峙することになった。

1941年(昭和16年)7月4日、戦時中の交通事業再編・統制を行うための陸上交通事業調整法に基づき、東京地下鉄道と東京高速鉄道は、未成に終わりペーパー会社となっていた京浜地下鉄道とともに、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)として統合された。

東京高速鉄道が建設した新橋駅のホームは現存しており、車両留置や資材置き場などに活用されている。通常は一般の立ち入りは許可されていないものの、テレビ雑誌などで「幻の駅」として度々紹介され、特別イベントで公開されることがある。なお、営団地下鉄時代にもこの種のイベントは開催された例があり、「幻の駅体験」として旧ホームに入線する列車を設定し、車内からホームを見物する機会が設けられていた。

[編集] 以後への影響

東京市は市内交通の公営主義を唱えていたのに、東京高速鉄道へ免許を譲渡したことで、当時の鉄道省からの信用を失ってしまい、戦後東京都が営団地下鉄の都営化を主張した時も、東京都だけで地下鉄の建設運営を行うことは不可能と判断され、これも当時の運輸省が阻止した。以後、東京における地下鉄整備は、営団地下鉄と都営地下鉄東京都交通局)が分担して行うことが方針として定められた。2004年(平成16年)4月1日に営団地下鉄が再編によって東京地下鉄(東京メトロ)となった現在でも、原則としてそれは引き継がれている。東京の地下鉄運営団体が2つ存在するのは、このような経緯によるものである。

[編集] 車両

[編集] 関連企業

東京環状乗合自動車 (通称・黄バス)
1930年(昭和5年)、王子電気軌道が傍系会社・王子環状乗合自動車として設立。坂本二丁目-宮地-山谷、宮地-三ノ輪の二線で営業を行っていた。1935年(昭和10年)、ダット乗合自動車、日比谷乗合自動車を合併。こののち王子電気軌道の資本から東京高速鉄道の資本に移り、1938年(昭和13年)5月1日、元来の路線を王子電気軌道に譲渡。最終的には下記の路線を運行していた。1942年(昭和17年)2月1日、陸上交通事業調整法に基づき東京市電気局に買収される。現在の都営バス路線の一部。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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