国際興業バス

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国際興業の乗合バス車両
国際興業の高速バス車両
国際興業の観光バス車両。2008年7月に観光バス事業を国際興業観光バスへ移管(写真は移管前のもの)。高速バス車両と塗り分けが若干異なる。

国際興業バス(こくさいこうぎょうバス)は、国際興業が経営するバス事業である。乗合バスの営業エリアは、東京都北東部(豊島区板橋区練馬区新宿区中野区杉並区北区足立区)から埼玉県南部(志木市富士見市和光市朝霞市新座市戸田市川口市蕨市さいたま市草加市越谷市)にかけての地域と、飯能周辺(埼玉県飯能市入間市日高市毛呂山町および東京都青梅市)に広がり、事業を営んでいる。10の乗合バス営業所と900台強の車両を有する大手のバス事業者である。次停留所の車内アナウンスの始めの出だしでは、都内の事業者としては珍しくメロディーチャイムを採用しており、一般路線バス・コミュニティバスともタイプが異なるものを使用している。また、イラストレーターには2004年(平成16年)以降一貫して藤沢チヒロを起用している。

なお、貸切バスは国際興業観光バスが東京・埼玉・神奈川の3都県において事業を営んでいる。

「国際興業バスまつり」(2004年(平成16年)より、毎年冬にさいたま東営業所で開催)のほか、バス廃車・引退時にイベントを開催するなど、バスファンへのサービスにも、積極的に取り組んでいる。

目次

[編集] 沿革

国際興業バスは、終戦直後の1946年(昭和21年)に国際商事(当時の国際興業の社名)が東京急行電鉄より東京観光自動車、東都乗合自動車を譲受し、その後まもなく両社を合併したことにより成立した。ここでは、主に乗合バスの沿革について、前身の東都乗合自動車時代を含めて記述する。

[編集] 東都乗合自動車

東都乗合自動車は1935年(昭和10年)に設立された会社であるが、当初は板橋赤羽周辺にいくつかの路線を有するのみの小さな事業者であった。同社のバス路線は独自に開設されたものではなく、前身の事業者として板橋乗合自動車がある。板橋乗合は1919年(大正8年)の創業で、最初の路線は巣鴨駅前 - 地蔵尊前 - 庚申塚 - 板橋駅前間であった。その後、志村兵器庫前(現・赤羽車庫付近)まで延長、さらに大塚駅前 - 庚申塚、練馬横町(現・大和町) - 上板橋 - 豊島園の区間、および志村 - 赤羽駅 - 志茂を開通するなど、周辺に路線を広げていき、これをほぼそのまま東都乗合が継承した。

東都乗合は京王電気軌道(現在の京王線を運営していた会社)の関連会社であったが、これは設立後に同社の傘下に収まったとの説もあれば、設立時において京王電気軌道と玉川電気鉄道の共同出資会社であったとの説もある。

1936年頃の国際興業バス前身事業者の路線網(東京)

その後、東都乗合は太平洋戦争下における陸上交通事業調整法、陸運統制令といった戦時統制の後押しなどもあり、大東急成立で同系列となった営業地域の近い鳩ヶ谷自動車、中仙道乗合自動車の2社を合併することとなる。以下、その2社について記す。

[編集] 鳩ヶ谷自動車

鳩ヶ谷自動車も東都乗合と同じく、昭和初期以来京王電気軌道の傘下にあった会社であるが、その設立は1916年(大正5年)と早い時期のことである。最初の路線は鳩ヶ谷 - 川口駅間で、その後、北は西立野・野田・風渡野(東武野田線七里駅付近)へと路線を延ばし、南は東京に出張所を設けて赤羽 - 下十条 - 王子間を結ぶ運行を開始した。さらに新荒川大橋の架橋により川口 - 赤羽間の連絡をつけるなど、岩槻街道周辺を中心に発展を続けた。

その後、1932年(昭和7年)に越谷浦和志木など、現在の国道463号周辺における東西方向の路線拡充がなされている。

さらに1936年(昭和11年)には川口乗合自動車を合併し、同社の路線を継承した。川口乗合も川口 - 赤羽間に路線を有し、この間では鳩ヶ谷乗合とライバル関係にあったが、ほかに川口駅を起点に東は荒川沿いを千住まで、西は笹目を経て美女木までの路線を運行していた。

[編集] 中仙道乗合自動車

中仙道乗合自動車は、社名の通り中山道周辺において営業していた会社であり、設立は1932年(昭和7年)である。当初の路線は、王子乗合自動車商会から継承したもので、王子駅 - 金沢橋 - 板橋役場前 - 戸田村間であった。その後、埼玉県内でも中山道に沿って浦和大宮へと路線を延ばしていくが、経営状況は極めて悪かった。このため、昭和の初期には他社への身売りが検討され、東京大宮乗合自動車を買収先として一旦契約がなされている。しかし、同社の将来性に着目していた東京横浜電鉄(現在の東横線を運営していた会社)の五島慶太がこれに割って入り、1936年(昭和11年)に同契約を破棄、一転して中仙道乗合は東横傘下に収まることとなる。

以後、埼玉県内の中山道周辺で競合していた各事業者の合併・買収を進めていく。すなわち、浦和 - - 戸田橋間、蕨駅 - 笹目間などを運行していたワラビ乗合、与野町周辺で営業していた与野自動車、浦和 - 美女木周辺で営業していた美谷本乗合などである。

また、1940年(昭和15年)には同じ東横傘下の姉妹会社であった池袋乗合自動車を合併した。池袋乗合は、池袋から旧・川越街道成増石神井方面に向け、交通の結節点を効率よく結んだ路線網を有する優良会社であった。なお、同社路線のうち成増 - 石神井間は石神井成増間自動車商会から1934年(昭和9年)に引き継いだものである。

[編集] 国際興業バスの成立

以上のようにして、東都乗合自動車は東京城北地域から埼玉県の中山道岩槻街道国道463号周辺に路線を有する大規模なバス事業者となった。この東都乗合が東急傘下を離れ、国際興業に譲渡されたのは1946年(昭和21年)11月のことである。これは、五島慶太と国際興業創業者の小佐野賢治との個人的なつながりによるところが大きく、五島は会社の譲渡にとどまらず、東急からバス経営のノウハウを持つ社員を送り込み、その後の事業拡大を支えた。なお、東都乗合は、会社経理応急措置法下の特別経理会社に指定されていたため、この指定が解除されるまで国際興業による吸収合併は認められなかった。指定解除により直営となったのは1950年(昭和25年)12月のことであり、これをもって国際興業バスが成立した。国際興業はこの間、わずかに1年間であるが、小田急バスの前身、武蔵野乗合自動車の経営にも参加している。

戦後の路線拡張は、他の民営各社と同様、都営バスとの共同運行による都心乗り入れ路線に力が注がれた。1947年(昭和22年)6月に大山 - 東京駅降車口間、志村橋 - 東京駅降車口間が開通、続いて上板橋 - 東京駅降車口間、川口駅 - 赤羽駅 - 東京駅八重洲口間、川口駅 - 浅草 - 東京駅八重洲口間などの運行が相次いで開始された。また、東武鉄道関東バス西武バスのエリアに乗り入れる形で、川越街道成増以西・中野草加所沢方面などにも足を伸ばし、着実にエリアを拡大していった。

路線の拡張に伴い、昭和30年代に入ると営業所の新設や出張所の格上げが相次いだ。1958年(昭和33年)9月には池袋営業所練馬分車庫が開設され、1962年(昭和37年)に練馬営業所となった。また、1958年(昭和33年)12月に川口営業所が川口市青木町に開設されたことを受け、北区稲付町にあった旧・川口営業所は志村営業所赤羽出張所となり、後年移転のうえ営業所に格上げされた。

[編集] 年譜

  • 1916年(大正5年)7月1日 - 鳩ヶ谷自動車(鳩ヶ谷市)設立
  • 1919年(大正8年)
    • 2月19日 - 板橋乗合自動車(東京都板橋区)、板橋 - 巣鴨間開業。
    • 月日不明 - 柏木代八と本橋藤太郎、名栗地区で開業。
  • 1930年(昭和5年)2月11日 - 山口泰治、現在のさいたま市大宮区で開業。
  • 1932年(昭和7年)1月10日 - 中山道乗合自動車、王子乗合自動車(東京都北区)の事業を承継して開業。
  • 1933年(昭和8年)5月19日 - 川口乗合自動車(川口市)、川口乗合合資会社を改組して発足。
  • 1934年(昭和9年)3月6日 - 小林宇平、山口泰治より大宮地区のバス路線を譲受。
  • 1935年(昭和10年)
    • 4月27日 - 柏木真八、柏木代八と本橋藤太郎より名栗地区のバス路線を譲受。
    • 6月13日 - 富士団体貸切自動車(観光バス会社)が設立。
    • 8月10日 - 東都乗合自動車が設立され、板橋乗合自動車の路線を承継。
      (一説には5月10日に京王電気軌道(京王電鉄の母体)と玉川電気鉄道(東急玉川線の母体)が共同で同社を設立した事になっている)。
  • 1936年(昭和11年)
    • 1月 - 富士団体貸切自動車、東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)の傘下に入る。
    • 4月6日 - 富士団体貸切自動車、東京観光自動車に改称。
    • 8月24日 - 中仙道乗合自動車、東京横浜電鉄の傘下に入る。
    • 10月 - 中仙道乗合自動車、ワラビ自動車(蕨市)を買収し、事業を吸収。
    • 10月 - 東京横浜電鉄は与野自動車(さいたま市中央区)を傘下におさめる。
    • 11月29日 - 鳩ヶ谷自動車、川口乗合自動車を合併。
  • 1937年(昭和12年)
    • 5月19日 - 中仙道乗合自動車、与野自動車を合併。
    • 9月 - 東京横浜電鉄は池袋乗合自動車を傘下におさめる。
    • 11月 - 中仙道乗合自動車、美谷本乗合(さいたま市南区)を買収し、事業を吸収。
  • 1938年(昭和13年)
    • 月日不明 - 京王電気軌道、東都乗合自動車と鳩ヶ谷自動車を傘下におさめる。
    • 4月1日 - 東京横浜電鉄、玉川電気鉄道を合併し、東都乗合自動車は京王・東横両社の関係会社となる。
  • 1940年(昭和15年)
  • 1942年(昭和17年) - 東京観光自動車、営業を休止。
  • 1944年(昭和19年)
    • 5月31日 - 東京急行電鉄、京王電気軌道を合併し、東都乗合自動車および鳩ヶ谷自動車を傘下におさめる。
    • 12月30日 - 東都乗合自動車、中仙道乗合自動車および鳩ヶ谷自動車を合併。
  • 1946年(昭和21年)
    • 5月15日 - 国際商事、東京急行電鉄より東京観光自動車を買収。観光バス事業に進出。東京観光自動車、駐留軍輸送関係を中心に観光バス事業を再開。
    • 11月19日 - 国際商事、東京急行電鉄より東都乗合自動車を買収。乗合バス事業に進出。
  • 1947年(昭和22年)
    • 6月16日 - 国際商事、東京観光自動車を合併。国際興業に改称。国際興業観光バス発足。
    • 6月25日 - 東都乗合自動車、東京都交通局と協定を結び都心乗り入れを開始。
  • 1949年(昭和24年)8月1日 - 武蔵野乗合自動車(武蔵野市1932年(昭和7年)6月1日設立)を児玉衛一より買収。
  • 1950年(昭和25年)
  • 1951年(昭和26年)3月15日 - 名栗林材交通(飯能市)設立。柏木真八のバス事業を承継。
  • 1952年(昭和27年)
    • 1月 - 鳩ヶ谷車庫 - 岩槻駅 - 蓮田駅間を運行開始。
    • 10月 - 警察予備隊(のち自衛隊)の特定輸送事業を開始(1957年(昭和32年)10月終了)。
  • 1953年(昭和28年)8月 - 神戸タクシー(神戸市のタクシー会社で、現存する2社の神戸タクシーとは無関係)、観光バス事業を開始
    (この時採用したカラーリングが現在の国際興業グループ統一デザインとなっている)。
  • 1955年(昭和30年)3月17日 - 太平バス(さいたま市大宮区)設立。小林宇平のバス事業を承継。
  • 1956年(昭和31年)9月 - 渉外部新設。米軍バス事業を拡大。
  • 1957年(昭和32年)1月10日 - 飯能自動車、名栗林材交通を合併し、飯能交通と改称。
  • 1958年(昭和33年)11月22日 - 大阪交通(大阪市のタクシー会社。観光バスも営業)を傘下におさめ、大阪進出。
  • 1959年(昭和34年)
    • 3月1日 - 太平バスを買収。
    • 6月1日 - 太平バスを合併。飯能交通を買収。
    • 6月25日 - 神戸タクシーを傘下におさめ、神戸進出。
    • 10月26日 - 飯能交通を合併。
  • 1960年(昭和35年)
    • 1月14日 - 大阪交通、神戸タクシーを合併。
    • 3月30日 - 大阪交通、国際興業を合併し、国際興業と改称。東京に本店を移転。
    • 4月1日 - 帝産オートより川越営業所(1949年(昭和24年)開業。川越市)の一部を譲受。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - ワンマンバスの運行を開始。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1970年(昭和45年)11月10日 - 東武鉄道と路線調整。
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月1日 - 東京タワー観光バスを合併。
    • 6月1日 - 山梨交通東京営業所を承継。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 西武バスと路線調整。
  • 1977年(昭和52年)9月30日 - 米軍バス事業全廃。
  • 1986年(昭和61年)12月10日 - 深夜バス運行開始。
  • 1988年(昭和63年)7月21日 - 国際興業初の夜行高速バス東京駅八重洲南口 - 盛岡駅線「らくちん号」、運行開始。
  • 1989年(平成元年)12月13日 - 深夜急行バス池袋駅西口 - 大宮駅東口間、運行開始。
  • 1993年(平成5年)3月15日 - 川越営業所志木分車庫と観光川口営業所を廃止統合して西浦和営業所設立。同時に、川越営業所は西浦和営業所川越分車庫となる。
  • 1995年(平成7年)1月20日 - 川越分車庫の廃止閉鎖に伴い川越地区路線を西武バスに譲渡。
  • 1997年(平成9年) - 2000番台中型車の導入に伴い担当車両制度を廃止。
  • 2000年(平成12年)10月16日 - 浦和・大宮両営業所を廃止統合してさいたま東営業所を設立。
  • 2002年(平成14年)
  • 2004年(平成16年)
  • 2006年(平成18年)6月18日 - 河川整備の関係で川口営業所をこれまでの青木から東本郷に移転。
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)
    • 7月1日 - 直営に残存していた貸切バス事業及び貸切バス車両を国際興業観光バスへ合流(直営の貸切バス事業も継続)。
    • 7月30日 - 飯能営業所において、ICカード乗車券「PASMO」を導入。これをもって、国際興業バス全営業所へのPASMO導入が全て完了。
  • 2010年(平成22年)

[編集] 営業所および営業路線

[編集] 営業所、案内所

国際興業の乗合バス営業所は、下に掲げる通り、都内4箇所・埼玉県内6箇所の計10箇所がある。

1950年(昭和25年)12月の国際興業バス成立時には、乗合自動車部内に主に都内の路線を担当する営業第一課と、主に埼玉の路線を担当する営業第二課が置かれ、第一課の管轄下に池袋・板橋・志村の3営業所、第二課の管轄下に川口・浦和・鳩ヶ谷の3営業所が置かれた。ただし、川口営業所は当初、赤羽駅に近い北区稲付町に置かれ、同駅周辺における都内路線の一部も担当していた。

都内では、1953年(昭和28年)に板橋営業所が西巣鴨へ移転、巣鴨営業所となり、旧・板橋営業所敷地は板橋分車庫となった。1958年(昭和33年)には、池袋営業所に練馬分車庫が開設され、川口営業所は川口市内に移転、旧・営業所は志村営業所赤羽出張所となった。その後、赤羽出張所の移転・営業所への昇格、板橋分車庫の廃止と清水町分車庫の開設が行われたのち、1963年(昭和38年)に巣鴨営業所が廃止され、同時に練馬分車庫が営業所に昇格するとともに赤羽営業所が清水町に移転し、巣鴨の路線は両営業所に継承された。

埼玉では、前述の川口営業所の移転開設ののち、中小事業者の合併・路線譲受に伴い営業所の増設が続いた。すなわち、1959年(昭和34年)に太平バスの合併により大宮営業所が、飯能交通の合併により飯能・名栗両営業所(名栗営業所はのちに出張所)が、1960年(昭和35年)に帝産オートの一部路線譲受により川越営業所がそれぞれ開設された。その後、1965年(昭和40年)に川越営業所志木分車庫、1971年(昭和46年)に戸田営業所、1993年(平成5年)に西浦和営業所(志木分車庫が移転)と、京浜東北線 - 東武東上線間で営業所の新設が相次ぎ、一方で川越営業所は分車庫に格下げののち1995年(平成7年)に廃止され、所管路線は西武バスに譲渡された。また、2000年(平成12年)には、浦和・大宮両営業所が統合の上さいたま市上野田に移転、さいたま東営業所となって再出発をきった。

このように、都内の営業所は1960年代にはほぼ現状のように落ち着いたが、埼玉では競合事業者との路線調整が数度にわたり行われたこと、郊外人口の増加による需要増が続いたことなどから、1990年代から2000年代にかけても新設や移転・統合などの再編成が続いている。

東京都内(社番順)
埼玉県内(社番順)

また、国際興業バスでは、高速バス乗車券や定期券の販売等を行う案内所を主要ターミナルである池袋駅西口、成増駅北口、赤羽駅西口、蕨駅西口、川口駅東口、浦和駅西口、大宮駅東口、飯能駅北口にそれぞれ設置している。このうち、池袋駅西口の案内所は「国際興業総合案内所」と呼ばれ、東北方面の高速バスの出発場所・待合所ともなっていたが、現在はすべて池袋駅西口からの発車となっている。

廃止された営業所
  • 巣鴨営業所
  • 東京営業所(江東区越中島1-2-1)
    • 道路事情や運営上の問題から板橋区の小豆沢車庫から観光バス30台が転籍し、1959年(昭和34年)4月本社営業所越中島車庫として発足。1964年(昭和39年)本社営業所を廃止し、同所を観光東京営業所として開設した。長らく観光バスの営業所であったが1988年(昭和63年)7月に、東京 - 盛岡線開設のため乗合バスの営業所としても開設(観光バス営業所と併設)した。乗合バスの営業所としては所属台数4台で高速バスのみ担当しており東京 - 盛岡線の他、東京 - 八戸線、そして当時国際興業側でも受け持っていた池袋 - 能代線を担当していた。1999年(平成11年)に観光・乗合ともバスの営業所としては閉所した(後に一時期、同所はハイヤー営業所となった)。

[編集] 高速路線

高速バス路線は、都内・埼玉県を起点に東北への長距離4路線と、茨城への近距離1路線、大宮周辺から羽田・成田両空港への直通路線を運行する。以前は関西への路線もあって、近畿日本鉄道(現・近鉄バス)との共同運行により、大宮 - 京都大阪間を「サテライト号」として運行していたが、廃止された。この路線については下記「やまと号」が奈良から大阪へ延長することでカバーしていたが、こちらも2007年(平成19年)2月28日をもって廃止されたため、関西方面への高速路線は事実上消滅したことになる。

[編集] 現行路線

東京都豊島区岩手県花巻市遠野市釜石市上閉伊郡大槌町経由して山田町との間を結ぶ夜行高速バス(系統名:山田 - 池袋線)。1日1往復。志村営業所担当。
路線沿革
  • 2007年(平成19年)4月25日 - 岩手県交通の単独運行で運行開始(国際興業は東京側の予約・発券業務のみを担当)。
  • 2007年(平成19年)7月1日 - 国際興業が同路線の運行に参入し、共同運行化。
車両
利用状況
年度 運行日数 運行便数 年間輸送人員 1日平均人員 1便平均人員
2007(平成19)年度 342 732 10,838 31.7 14.8
その他
  • 釜石市と池袋とを結ぶ夜行高速バスは、けせんライナー大船渡市気仙沼市一関市経由)と合わせ、実質2往復となった。しかし、異なる系統で往復利用する場合には往復割引が適用されず、異なる路線ごとの片道運賃が必要となる。

(以下の路線は、当社が予約・発券業務のみを担当する)

[編集] 廃止路線

運行経路
※:斜字区間は十和田観光電鉄担当便のみ運行。
渋谷駅渋谷マークシティ) - ( ← 国際興業総合案内所〈池袋駅西口案内所〉) - 池袋駅西口 - 大宮駅東口⇔青森港フェリーターミナル - 青森駅通り - ホテル青森( - 道の駅ゆ〜さ浅虫前 - 新あおもり農協 平内支店前 - 野辺地案内所 - 日本原燃入口 〈下北交通バス:大石平停留所と同位置〉 - 六ヶ所役場前 - 六ヶ所ショッピングセンター『リーヴ』前)
路線沿革
東北新幹線八戸駅延伸に伴う東北本線寝台特急はくつる号廃止を受けて新規参入に踏み切った。
それ以降の歴史などについては十和田観光電鉄三本木営業所#廃止路線を参照。

[編集] 深夜急行路線

ミッドナイトアロー成増・朝霞台

国際興業では、一般路線の深夜バスとは別に、池袋・大宮両駅を起点とする中距離の深夜急行バスを運行している。1989年(平成元年)開業の池袋~大宮線に始まり、2005年(平成17年)開業の大宮~蓮田・久喜線まで拡張が続き、現在は以下の8路線体制となっている。これらの路線には、原則としてロマンスシートを装備した座席定員の多い車両が充当される。

[編集] 自治体からコミュニティバス運行の委託を受けている路線

※:国際興業が担当する路線・系統のみ掲載

東京都
埼玉県

[編集] 車両

[編集] 概説

乗合バス車両の乗り分けの違い
右:旧塗装<更新後>/左:現行塗装

国際興業バスでは、いすゞ系列の販売会社(北海道いすゞ自動車)を傘下に持つ関係から、一部の小型車両を除くほぼ全車をいすゞ自動車より、北海道いすゞ自動車をディーラーとして[1]導入している。一般乗合車両は、大型車と中型車を並行投入しており、車体はエルガキュービックなどの純正仕様である。高速・貸切もスーパークルーザーガーラが導入されているが、ごく少数の日野・セレガが例外的に導入されている。

大型車のホイールベース(以下WB)はやや短めの4.8メートルクラスが主に選択されているが、1993年(平成5年)から1995年(平成7年)に標準的なWB5.3mクラスの車両がまとまった台数配備されているほか、1985年(昭和60年)から1991年(平成3年)にかけてWB4.3メートルの短尺車種(キュービックLT)の導入実績もある(後者は2003年(平成15年)3月全廃済。前者についても廃車が進んでおり、2010年(平成22年)12月全廃予定)。また、1999年(平成11年)には、いすゞの乗合バス車両のモデルチェンジを機に、閑散路線・狭隘路線での使用を目的とした小型車(エルガミオ7m車)が導入されている。小型車はその後、コミュニティ路線の拡張等により増車が進んでいるが、いすゞが7m車の製造を短期間で打ち切ったことや、路線委託者の意向を踏まえて車種選択を行うケースがあることなどから、日野自動車三菱ふそうトラック・バスクセニッツ等の他社より購入した車両も一部にある。UDトラックス(旧:日産ディーゼル)の車両は米軍輸送を担当していた1970年代前半までは在籍していたが、それ以降は在籍していない。

なお、大手事業者としては珍しく他社からの移籍車も少数存在しており、江ノ島電鉄から1台、淡路交通から8台が移籍している。(ワンロマ#国際興業バスの項も参照)

[編集] 路線車

KKKロゴの入った車両(2006年3月の「さよならBU型バスおわかれイベント」にて)

乗合バス車両のカラーリングは、東都乗合時代は緑と黄色を基調とするものであったが、国際興業バスの発足後ピンクグレーとマルーンの2色塗りとなり、さらに1959年(昭和34年)に現行デザインの基礎となる白地に濃淡2系統の緑色を配したものとなった。この際、ローマ字による社名表記とその略称である「KKK」をかたどったロゴが採用された。その後、1998年(平成10年)度にノンステップ車両が導入されたのを機に、薄緑色の部分が鮮やかな黄緑色に変更され、ロゴ等の細部の意匠変更が行われた。さらに、2002年(平成14年)度に再度マイナーチェンジが行われて今に至る。なお、1997年(平成9年)度までの車両は、「KKK」のロゴが消去されたのち、黄緑色への塗り替えと新しいロゴの付与が徐々に進行している。

なお、他社からの譲渡車を除き、ドアブザーはドアが完全に閉まるまで鳴り続ける。2010年(平成22年)度導入車両よりドアブザーがチャイム形式に変更され、また屋根の色も白色化された。

[編集] 高速・貸切車

観光・高速車両のカラーリングは、日野・ブルーリボンのメーカーのカタログ撮影車塗装(通称:ブルーリボンカラー)を採用しているが、観光・高速とも塗り分けが若干異なる。なお、側面・後面にて刻まれているローマ字表記では、グループ内の各社ごと(例えば、国際興業では「Kokusai Kogyo Bus」で表記し、またグループ事業者の十和田観光電鉄では「Towada Kanko」で表記)にて記されているが、近年投入されている新車及びグループ内各社への譲渡分については、原則「Kokusai Kogyo Group」で表記(ただしそれ以前に投入されている既存車に関しては、Group表記への書き換えは行われない)されており、この場合における所属事業者(社名)表示は「正面の行灯」及び「側面の前側上部または後面下部」でのみに記されているため、どこの所属であるかは見分けが付かなくなってきている。

[編集] 廃車車両の譲渡

同グループ会社である十和田観光電鉄への譲渡車両
グループ外の那覇バスへの譲渡車両

[編集] 概要

国際興業で廃車となったバス車両は、グループ内の各バス事業者を中心に譲渡され、引き続き使用されることが多い。時に近年は、ノンステップバスの導入や首都圏のディーゼル車規制などによって入れ替わりが進み、現役使用に十分耐えうる車両が数多く地方に転出するようになった。近年では、ディーゼル規制をクリアしている車両の移籍も進んでいる。

グループ内の主な譲渡先としては、青森の十和田観光電鉄、秋田の秋北バス、岩手の岩手県交通、山梨の山梨交通などがある。例えば岩手県交通では、岩手県北自動車と「共通バスカード」を導入しているため、首都圏の「バス共通カード取扱車」のステッカーをそのまま流用している車両もあるなど、見た目はほぼ国際興業時代と変わらないことが多い。

グループ外の事業者への譲渡先としては、沖縄の那覇交通(現:那覇バス)、八戸市交通部茨城オート関鉄グリーンバス川中島バス京都急行バス中国ジェイアールバスサンデン交通産交バス鹿児島交通等があり、近年ではこうしたグループ外のバス事業者への譲渡も増加傾向にある。

[編集] カラーリング

グループの事業者は、従来、乗合バスにそれぞれ独自の塗色を施しており、国際興業からの譲渡車両も各事業者独自の塗色への塗り替えを行っていた。

しかし、1999年(平成11年)に自社発注が基本だった山梨交通も国際興業から中古車両の導入を始めることとなり、この際、コストの削減のため国際興業カラーを変更せず、社名のみを書き換えることで対応した。

また2000年代に入ると、他の3社も同様に事業者毎の塗色への変更をやめ、もとのカラーを踏襲するようになった。さらに、自社発注の新車および国際興業グループ外の事業者からの中古車も、原則的に同じ塗装、もしくは明るい緑の国際興業新カラーを施すようになっている。

現状では、譲渡車については濃い緑の旧カラーが多くを占めているが、岩手県交通などには国際興業で既に新カラーとなっていた世代の車両もそのまま入ってきているほか、山梨交通では初期に国際興業から導入した車両を国際興業の新カラーに変更している。

余談だが、岩手県交通の前身である岩手中央バス(1970年(昭和45年)にグループ入り)では、国際興業からの譲渡車両の一部を、塗装はそのままに社名を書き換えたり、「KKK」ロゴを広告などで隠しただけで導入していた。岩手県交通への合併後もそのまま使用していた車両もあったため、グループの方針は岩手県交通における事実上の国際興業カラー復活となった。

グループ外への譲渡車ついては、外装は事業者毎の塗色への全面的に変更されている。それ以外の内装などについてはあまり手を加えられず、車内は国際興業時代と変わらない雰囲気となっている場合も多い。

[編集] さいたま国際バス

国際興業では、バス事業の規制緩和を前にした経営効率化の流れの中で、2001年(平成13年)9月に子会社・さいたま国際バスを埼玉県戸田市に設立し、翌2002年(平成14年)5月より一部路線の移管を行った。移管されたのは、戸田営業所管内の南浦和駅 - 下笹目線(南浦06系統)、武蔵浦和駅 - 下笹目線(武浦01系統)の2路線であり、同年秋からは国際興業の一部路線の運行管理業務の受託も開始した。しかし、設立からわずか2年余りを経た2004年(平成16年)4月1日に同社は解散し、国際興業に統合された。

[編集] 脚注

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  1. ^ バスジャパンニューハンドブック33「国際興業・山梨交通」p26

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク

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