中央区 (さいたま市)
| ちゅうおうく 中央区 |
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|---|---|
| 国 | |
| 地方 | 関東地方 |
| 都道府県 | 埼玉県 |
| 市 | さいたま市 |
| 団体コード | 11105-8 |
| 面積 | 8.39km² |
| 総人口 | 96,936人 (推計人口、2012年12月1日) |
| 人口密度 | 11,550人/km² |
| 隣接自治体 隣接行政区 |
さいたま市:大宮区、桜区、浦和区、南区 |
| 区の花 | バラ |
| 区の色 | ■バラ色 |
| 中央区役所 | |
| 所在地 | 〒338-0002 埼玉県さいたま市中央区下落合5丁目7番10号 |
| 外部リンク | さいたま市中央区役所HP |
| 特記事項 | 世帯数:39,111世帯(2006年1月1日) NTT市外局番:048(区内全域) 番号区画コード:254 経度・緯度は世界測地系 |
| ウィキプロジェクト | |
参考:中央区についての情報のうち、旧与野市に直接関係あるものや区誕生前の歴史については与野市を参照されたい。
中央区(ちゅうおうく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちの1つである。
その区域は旧与野市域にほぼ相当する。
目次 |
地理 [編集]
位置 [編集]
埼玉県の県庁所在都市であるさいたま市の中央部西寄りに位置する。区域は南側を先端としたくさび状をしている。また、南北方向に約5.5km、東西方向に約3.5kmの広がりを持つ[1]。
また、区域はさいたま市が2001年(平成13年)の新設合併により誕生する以前の旧与野市域にほぼ相当する。但し、同市の北東側に位置する旧浦和市上木崎1丁目及び旧大宮市北袋町1丁目・吉敷町2丁目・錦町のそれぞれ一部(現:中央区新都心の一部)も中央区に含まれる。
これは、さいたま市の政令指定都市移行にあたって行政区を設定する過程で、旧与野市・浦和市・大宮市の3市にまたがっていた「さいたま新都心土地区画整理事業区域西側地区(さいたま新都心のうち東北本線以西の地域)」を、一体的にこの区に編入することとなったことによる[2]。このため、中央区の面積は旧与野市の8.29km2よりもわずかに広い8.39km2である。
地形 [編集]
関東平野に位置し、また区内および近隣の河川が北から南に流れる同区の地形は、台地と低地が南北方向に縞模様を描く形となっており、東から台地-低地-台地-低地と並んでいる。
このうち最も東に位置するのは、大宮台地(北足立台地)の浦和・大宮支台である。その西側には鴻沼川(霧敷川)を中心に形成された幅約500mの鴻沼低地が形成されている。さらにその西側には大宮台地(北足立台地)の与野支台があり、区の最西部は区の西方を流れる荒川沿いに形成された荒川低地となっている[3]。
このような地形条件から区全体の標高は低く、最低6mで、最高でも17mとなっている[4]。
土地利用 [編集]
区内のほとんどは住宅地で占められており、平成17(2005)年時点で区の全域が人口集中地区(DID)に含まれている。但し、鴻沼川(霧敷川)の両側は市街化調整区域となっており、農地も多くみられる。
区役所やさいたま市中央消防署、市立与野図書館といった行政施設は区のほぼ中央の鴻沼低地に位置している。また区北東端はさいたま新都心となっており、関東甲信越地方を所掌する国の行政機関やさいたまスーパーアリーナが立地している。
歴史 [編集]
区誕生前の歴史については与野市を参照されたい。
区名の由来 [編集]
旧与野市域をほぼそのまま継承していながら、区名は「与野区」ではなく「中央区」である。区内に「与野」を含む町丁名は現存しないため[5]、「与野」の地名は駅名や学校名などに残るのみとなった。
区名は、「さいたま市区名選定委員会」(委員長:井原勇旧与野市長)が2002年(平成14年)10月2日に提出した報告文書「さいたま市の区の名称について」の内容をうけて決定された。
このさいたま市区名選定委員会では、第4回委員会[6]の場で提示された井原勇委員長の私案による区名が、議論の末そのまま報告に盛り込まれた[7]。この委員長私案においては、区名の理由は「さいたま新都心を擁し、地理的に市域の中央に位置していること」とされている[8]。
区名選定に先立って行われた区名公募では「与野区」という応募が過半数を占め[9]、またその後行われたはがきによる「区名投票」でも「与野区」という名称案が48.99%となり[10]、いずれも2位の「中央区」に大差をつけて1位となった。しかし「さいたま市区名選定委員会」では、当時の委員長で旧与野市長の井原勇等が「中央区」という私案を提示し、かつその区名の使用を主張した。これに対して学識経験者として委員参加した田代脩委員(埼玉大学教授や)、田中信明委員(読売新聞社さいたま支局支局長)は投票結果や歴史的な地名を無視しているとして反対意見を示したが、最終的に挙手による採決の結果、投票結果を覆す形で「中央区」の名称が採用されることとなった[11]。
なお、区名決定後の2002年(平成14年)には「「中央区」の区名を「与野区」に変更を求める」旨の請願がさいたま市議会に提起されたが、これも不採択となった[12]。
2013年現在、全国の政令指定都市における「中央区」を名乗る行政区の内、唯一市役所、道府県庁(道府県庁所在地の場合)の庁舎いずれもが置かれていない「中央区」となっている。
沿革 [編集]
- 1889年4月1日 - 北足立郡与野町、小村田村、下落合村、上落合村、中里村、大戸村、鈴谷村、上峰村、八王子村、円阿弥村が合併して与野町となる。
- 1958年7月15日 - 市制施行により与野市となる。
- 2001年5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併してさいたま市となる。
- 2003年4月1日 - 政令指定都市移行に伴い、旧与野市とさいたま新都心西側地区を区域とする中央区が設置される。
行政・政治 [編集]
庁舎 [編集]
区長、区民会議 [編集]
区長は野原勇である。
さいたま市では、全行政区に「区民会議」が設置されている。中央区区民会議は中央区コミュニティ会議推進協議会からの推薦を受けた者、および公募により選ばれた者15名程度で構成されている。
選挙区 [編集]
中央区は、以下の選挙区に属している。
地域 [編集]
地名等 [編集]
- 上峰
- 円阿弥
- 大戸
- 上落合
- 桜丘
- 下落合
- 新都心
- 新中里
- 鈴谷
- 八王子
- 本町西
- 本町東
住宅団地 [編集]
- 与野高層住宅(下落合3丁目)
- 与野ハウス(上落合1丁目9 日本初の超高層団地 1975年 住友不動産)
- 与野上落合住宅(上落合7)
- 与野大戸住宅(大戸)
- 与野中里住宅(新中里)
- UR与野団地(下落合 1958年8月 建替済 旧日本住宅公団関東支所)
主要施設 [編集]
- さいたま新都心
- さいたまスーパーアリーナ
- ラフレさいたま
- けやきひろば
- ランドアクシスタワー
- 彩の国さいたま芸術劇場
- 与野公園
- さいたま市立図書館(与野図書館・南分館・西分館)
- イオンモール与野
- アルーサ北与野
- さいたま赤十字病院
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行政 [編集]
経済 [編集]
企業
交通 [編集]
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 国際興業 - 東急系の中仙道乗合自動車が与野自動車を合併し、中山道を中心に運行。1944年同じ東急系の東都乗合自動車が合併。1946年東都乗合は国際興業に買収され、1951年国際興業に吸収合併。区内の大部分を運行する。
- 西武バス - もともとは浦和駅東側を運行していた東浦自動車が母体。1946年国土計画興業(現・プリンスホテル)・西武鉄道関連のバス事業を統合して西武自動車(現・西武バス)が成立。現在は区内南部が中心。
教育 [編集]
小学校 [編集]
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中学校 [編集]
市立
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私立
高等学校 [編集]
関連項目 [編集]
- 中央区 - 全国の中央区の一覧
外部リンク [編集]
脚注 [編集]
- ^ 中央区ホームページ「中央区のプロフィール 地勢」
- ^ さいたま市行政区画審議会答申「行政区画の編成及び区役所の位置」
- ^ 与野市総務部市史編さん室(1998)3-5頁、7頁
- ^ 中央区ホームページ「中央区のプロフィール 地勢」
- ^ なお、過去には「明治の大合併」以前の与野町域を範囲とする「大字与野」が存在していたが(与野市総務部市史編さん室 1998:254頁、1947年(昭和22年)には大字小村田を編入。)、現在では「本町東(ほんまちひがし)」「本町西(ほんまちにし)」となっている。
- ^ 2002年(平成14年)9月30日開催。
- ^ これは、政令指定都市への移行時に設置された他の8区についても同様である。
- ^ さいたま市区名選定委員会 第4回審議結果 なお、2005年(平成17年)にさいたま市は東隣の岩槻市を編入したため、それ以降の中央区は同市の中心部よりは西側によっている。
- ^ 区名案募集 集計結果
- ^ 区名投票 集計結果
- ^ さいたま市区名選定委員会 第4回審議結果
- ^ さいたま市議会平成14年12月定例会(12月20日)における岡崎康司総務委員長の発言
参考文献 [編集]
- 与野市総務部市史編さん室編 『与野の歴史』 与野市、1992年。
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