中央区 (さいたま市)

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ちゅうおうく
中央区
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
さいたま市
団体コード 11105-8
面積 8.39km²
総人口 98,004
推計人口、2014年2月1日)
人口密度 11,680人/km²
隣接自治体
隣接行政区
さいたま市大宮区桜区浦和区
南区
区の花 バラ
区の色 バラ色
中央区役所
所在地 338-0002
埼玉県さいたま市中央区下落合5丁目7番10号
北緯35度53分2.1秒東経139度37分34.4秒
さいたま市中央区役所
外部リンク さいたま市中央区役所HP

中央区 (さいたま市)位置図

特記事項 世帯数:39,111世帯(2006年1月1日)
NTT市外局番:048(区内全域)
番号区画コード:254
経度・緯度は世界測地系
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参考:中央区についての情報のうち、旧与野市に直接関係あるものや区誕生前の歴史については与野市を参照されたい。

中央区(ちゅうおうく)は、埼玉県さいたま市を構成する10のうちの1つである。

その区域は、旧与野市域にほぼ相当する。

地理[編集]

位置[編集]

埼玉県の県庁所在都市であるさいたま市の中央部西寄りに位置する。中央区の区域は南側を先端としたくさび状をしており、南北方向に約5.5km、東西方向に約3.5kmの広がりを持つ[1]

さいたま市は2001年(平成13年)浦和市大宮市与野市の2市が合併して誕生したが、現在の中央区の区域は、このうち旧与野市域にほぼ相当する。但し、現中央区の区域と旧与野市の市域はわずかに異なっており、旧与野市の全域に加えて、同市の北東側に位置する旧浦和市上木崎1丁目、及び旧大宮市北袋町1丁目・吉敷町2丁目・錦町のそれぞれ一部も、中央区に含まれる(現:中央区新都心の一部)。

これは、さいたま市が政令指定都市に移行するにあたり行政区を設定する過程で、旧3市にまたがっていた「さいたま新都心土地区画整理事業区域西側地区(さいたま新都心のうち東北本線以西の地域)」を、一体的にこの区に編入することとなったことによる[2]。このため、中央区の面積は、旧与野市の8.29km²よりもわずかに広い8.39km²である。

地形[編集]

さいたま市中央区周辺の地形

関東平野の中に位置するさいたま市中央区は、区の全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜4.7m(大戸2丁目)、最も高い地点でも標高16.6m(鈴谷4丁目)である[3]。区内および近隣の河川の多くは、北から南に向かって流れる。地形は、これらの河川に沿って台地低地とが南北方向に縞模様を描く形となっており、東から台地-低地-台地-低地と並んでいる。

このうち最も東に位置するのは、大宮台地(北足立台地)の浦和・大宮支台である。その西側には鴻沼川(霧敷川)を中心に形成された幅約500mの鴻沼低地が形成されている(谷底平野)。さらにその西側には大宮台地(北足立台地)の与野支台があり、区の最西部は区の西方を流れる荒川沿いに形成された荒川低地となっている[4]

土地利用[編集]

区内839haのうち482.9haを宅地が占め、農地や山林はきわめて少ない[5]平成17(2005)年時点で区の全域が人口集中地区(DID)に含まれている。但し、鴻沼川(霧敷川)の両側は市街化調整区域となっており、農地や空地がみられる。

与野の古くからの市街地(本町)は大宮台地の与野支台にあるが、区役所やさいたま市中央消防署、市立与野図書館といった行政施設の多くは、その東側の鴻沼低地におかれている。区北東端はさいたま新都心地区に含まれており、関東甲信越地方を所掌する国の行政機関やさいたまスーパーアリーナがある。

町字[編集]

  • 上峰
  • 円阿弥
  • 大戸
  • 上落合
  • 桜丘
  • 下落合
  • 新都心
  • 新中里
  • 鈴谷
  • 八王子
  • 本町西
  • 本町東


歴史[編集]

区誕生前の歴史については、与野市の記事を参照されたい。

区名の由来[編集]

旧与野市域をほぼそのまま継承していながら、区名は「与野区」ではなく「中央区」である。区内に「与野」を含む町丁名は現存せず[6]、「与野」の地名は駅名や学校名などに残るのみとなった。

区名は、「さいたま市区名選定委員会」(委員長:井原勇与野市長)が2002年(平成14年)10月2日に提出した報告文書「さいたま市の区の名称について」の内容をうけて決定された。

このさいたま市区名選定委員会では、第4回委員会[7]の場で提示された井原勇委員長の私案による区名が、議論の末そのまま報告に盛り込まれた[8]。この委員長私案においては、区名の理由は「さいたま新都心を擁し、地理的に市域の中央に位置していること」とされている[9]

区名選定に先立って行われた区名公募では「与野区」という応募が過半数を占め[10]、またその後行われたはがきによる「区名投票」でも「与野区」という名称案が48.99%となり[11]、いずれも2位の「中央区」に大差をつけて1位となった。しかし「さいたま市区名選定委員会」では、当時の委員長で旧与野市長の井原勇が「中央区」という私案を提示し、かつその区名の使用を主張した。これに対して学識経験者として委員参加した田代脩委員(埼玉大学教授や)、田中信明委員(読売新聞社さいたま支局支局長)は投票結果や歴史的な地名を無視しているとして反対意見を示したが、最終的に挙手による採決の結果、投票結果を覆す形で「中央区」の名称が採用されることとなった[12]

なお、区名決定後の2002年(平成14年)には「「中央区」の区名を「与野区」に変更を求める」旨の請願がさいたま市議会に提起されたが、これも不採択となった[13]

2013年現在、全国の政令指定都市における「中央区」を名乗る行政区の内、唯一市役所、道府県庁(道府県庁所在地の場合)の庁舎いずれもが置かれていない「中央区」となっている。

沿革[編集]

行政・政治[編集]

庁舎[編集]

中央区役所は、旧与野市役所の庁舎におかれている。

区長、区民会議[編集]

区長は丸山信弘である。

さいたま市では、全行政区に「区民会議」が設置されている。中央区区民会議は中央区コミュニティ会議推進協議会からの推薦を受けた者、および公募により選ばれた者15名程度で構成されている。

選挙区[編集]

中央区は、以下の選挙区に属している。

施設・名所[編集]

再開発[編集]

劇場[編集]

商業施設[編集]

住宅団地[編集]

  • 与野高層住宅(下落合3丁目)
  • 与野ハウス(上落合1丁目9 日本初の超高層団地 1975年 住友不動産)
  • 与野上落合住宅(上落合7)
  • 与野大戸住宅(大戸)
  • 与野中里住宅(新中里)
  • 都市再生機構与野団地(下落合 1958年8月 建替済 旧日本住宅公団関東支所)

公園・寺社[編集]

  • 与野公園:1877年(明治10年)開園。1977年(昭和52年)に造園されたバラ園が有名であり、バラは旧与野市民の花および現中央区の花である。
  • 妙行寺:金比羅堂境内に推定樹齢1000年のカヤの巨木があり、「与野の大かや」として知られる。カヤは旧与野市の木であった。
  • 与野七福神

保健医療施設[編集]

さいたま新都心・けやき広場のイルミネーション 
与野公園のバラ園 
妙行寺の大かや 
さいたま市保健所 

行政[編集]

経済[編集]

中央区は、東京や浦和区・大宮区に対する郊外という側面と、桜区・西区に対する中心部としての側面を併せ持つ。

企業[編集]

通勤・通学流動[編集]

東京都心部から約25kmの距離にあるさいたま市中央区は、さいたま市の他の区と同様、東京都心部への通勤・通学者が多く、東京の郊外都市としての性格が強い。同時に、さいたま市内において行政・商業・業務など都市機能の集積した浦和区大宮区への通勤・通学者も多く、これらの地域に対する郊外としての特徴も持つ。

一方で、西区桜区に対しては、中央区から流出する通勤・通学者よりも、中央区に流入する通勤・通学者の方が多い。

2010年現在、中央区の夜間人口96,055人に対して昼間人口は94,538人であり、昼夜間人口比率は98.4%である。この昼夜間人口比率は、東京の郊外としての性格が強い埼玉県(昼夜間人口比率88.6%)やさいたま市(昼夜間人口比率92.8%)の中では、比較的高い水準にある。

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

  • 国際興業 - 東急系の中仙道乗合自動車が与野自動車を合併し、中山道を中心に運行。1944年同じ東急系の東都乗合自動車が合併。1946年東都乗合は国際興業に買収され、1951年国際興業に吸収合併。区内の大部分を運行する。
  • 西武バス - もともとは浦和駅東側を運行していた東浦自動車が母体。1946年国土計画興業(現・プリンスホテル)・西武鉄道関連のバス事業を統合して西武自動車(現・西武バス)が成立。現在は区内南部が中心。

道路[編集]

教育[編集]

小学校[編集]

  • さいたま市立与野本町小学校
  • さいたま市立上落合小学校
  • さいたま市立大戸小学校
  • さいたま市立下落合小学校
  • さいたま市立与野西北小学校
  • さいたま市立鈴谷小学校
  • さいたま市立与野八幡小学校
  • さいたま市立与野南小学校

中学校[編集]

市立

  • さいたま市立八王子中学校

私立

高等学校[編集]

社会教育施設[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 中央区ホームページ「中央区のプロフィール 地勢」
  2. ^ さいたま市行政区画審議会答申「行政区画の編成及び区役所の位置」
  3. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
  4. ^ 与野市総務部市史編さん室(1998)3-5頁、7頁
  5. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
  6. ^ なお、過去には「明治の大合併」以前の与野町域を範囲とする「大字与野」が存在していたが(与野市総務部市史編さん室 1998:254頁、1947年(昭和22年)には大字小村田を編入。)、現在では「本町東(ほんまちひがし)」「本町西(ほんまちにし)」となっている。
  7. ^ 2002年(平成14年)9月30日開催。
  8. ^ これは、政令指定都市への移行時に設置された他の8区についても同様である。
  9. ^ さいたま市区名選定委員会 第4回審議結果 なお、2005年(平成17年)にさいたま市は東隣の岩槻市を編入したため、それ以降の中央区は同市の中心部よりは西側によっている。
  10. ^ 区名案募集 集計結果
  11. ^ 区名投票 集計結果
  12. ^ さいたま市区名選定委員会 第4回審議結果 
  13. ^ さいたま市議会平成14年12月定例会(12月20日)における岡崎康司総務委員長の発言

参考文献[編集]

  • 与野市総務部市史編さん室編 『与野の歴史』 与野市、1992年。