小海線

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JR logo (white).svg 小海線
南アルプスを背に走る小海線(2007年11月23日 小淵沢駅 - 甲斐小泉駅間)
南アルプスを背に走る小海線
(2007年11月23日 小淵沢駅 - 甲斐小泉駅間)
小海線の路線図
路線総延長 78.9 km
軌間 1067 mm
最大勾配 33 パーミル

小海線(こうみせん)は、山梨県北杜市小淵沢駅から長野県小諸市小諸駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線地方交通線)である。「八ヶ岳高原線」の愛称が付けられている。

概要[編集]

八ヶ岳東麓の野辺山高原から千曲川の上流に沿って佐久盆地までを走る高原鉄道である。甲斐小泉 - 海尻間は標高1000mを超える高所を走っており、清里 - 野辺山間には標高1375mのJR鉄道最高地点がある。また、野辺山駅は標高1345mのJR線最高駅であるほか、甲斐小泉から松原湖までの9駅がJRの標高の高い駅ベスト9に入っている(10位は近隣の中央本線富士見駅)。

山梨県内で唯一の非電化路線である。

小淵沢駅から小諸方面の1kmの区間は東日本旅客鉄道八王子支社[1]、甲斐小泉駅 - 小諸駅間は東日本旅客鉄道長野支社が管轄している。ただし、終点である小諸駅はしなの鉄道の管理下に置かれている(共同使用駅のため、JRの駅としては長野支社管内と扱われる)。

小淵沢駅 - 野辺山駅間は旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」に含まれ、小淵沢駅・清里駅・野辺山駅でICカード乗車券「Suica」が利用可能である[2]

路線データ[編集]

  • 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者
  • 区間(営業キロ):小淵沢駅 - 小諸駅間 78.9km
  • 軌間1067mm
  • 駅数:31駅(起終点駅含む)
    • 小海線所属駅に限定した場合、起点の中央本線所属の小淵沢駅が除外され[3]、30駅となる。なお、終点の小諸駅はかつて信越本線所属であったが[3]、同線のしなの鉄道への移管により、JRの駅としては小海線所属に変更された。
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:特殊自動閉塞式(電子符号照査式)
  • 保安装置:
  • 最高速度:85km/h
  • 運転指令所:長野総合指令室 (CTC)

沿線風景[編集]

始発駅の小淵沢駅から見上げる八ヶ岳は雄大である。発車してすぐ広い斜面を大きく曲がりながら登ってゆく。林の中の別荘地を抜けると清里で、駅周辺は1980年頃から観光化が進んでカラフルになった。この先、車窓が開けて高原野菜の畑地が目立つようになり、野辺山までの間、八ヶ岳が左手に見える。JR鉄道最高地点は中央分水界でもある。最高地点標識を過ぎると、右手の林の中に野辺山電波天文台の大アンテナが見える。この天文台は年末年始を除き毎日見学が可能で、見学コースも充実している。下り勾配にかかり、信濃川上駅からは千曲川沿いの谷間を進み、小海駅までに千曲川を7回横断する。小海駅からは千曲川の右岸を走ってゆく。佐久平に入ると、車窓には市街地と水田が交錯するようになり、高原列車の風情は薄らいで通勤・通学路線に変化する。佐久市に入ると千曲川は北西方面に曲がって行く。岩村田駅から中佐都駅までは高架になっており長野新幹線国道141号線を乗り越える。乙女駅からはしなの鉄道線と並走し、終点の小諸駅に到着する。

八千穂駅 茂来山 高岩駅 馬流駅 小海駅 松原湖駅 海尻駅 御座山 佐久海ノ口駅 佐久広瀬駅 高天原山 信濃川上駅 甲武信ヶ岳 小川山 金峰山 秩父山地 野辺山駅 清里駅 飯盛山 金ヶ岳 富士山Okuchichibu Mountains from Mt.Yokodake 01-6.jpg
画像の詳細
八ヶ岳横岳より見た小海線沿線の山々(2012年8月撮影)

運行形態[編集]

現在は、普通列車のみの運転で、他線との直通運転はない。小淵沢駅 - 小諸駅間の列車がおおむね1 - 2時間毎に運転されるほか、小海駅・中込駅 - 小諸駅間の区間運転列車があり、中込駅 - 小諸駅間は通勤時間帯には約20分毎の運転となる。また、観光シーズンになると小淵沢駅 - 野辺山駅間に1日3 - 4往復ほど、「八ヶ岳高原列車」と称する臨時普通列車が運行される。

キハ110系気動車置き換え完了後の1992年3月14日からワンマン運転を開始した。列車編成は1 - 3両で、中込駅で列車の増結・切り離しが行われる場合がある。車両基地は中込駅にあり、1991年4月1日に中込運輸区から改組された小海線営業所が全線を統括している。

JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)が運営していた時代には、水曜日と木曜日に運休する列車があった。

1968年から1975年まで、循環運転急行列車「のべやま」・「すわ」が以下の経路で運行されていた。なお、「すわ」は塩尻駅先着とし、「のべやま」は小諸駅先着とした。

2007年7月31日からは、世界初のシリーズ式ハイブリッドシステムを導入した新型車両キハE200形が運行されている。公募により「こうみ」の愛称が付けられた。

過去に運行されたイベント列車[編集]

一時期、高原列車としてのイメージを生かすべく、いくつもイベント列車が運行された。

ときめきの恋列車[編集]

1986年夏に、小海線のキハ52形気動車のうちの2両(122・123)が、白地に八ヶ岳連峰と気球飛行船が描かれた塗色に変更され、小淵沢駅 - 軽井沢駅間を結ぶ臨時列車「ときめきの恋列車」として運行された。内装も変更されており、天井は夜空をイメージした濃い青に塗られ、夜光塗料で星座模様が描かれたものであった。ただし、正確な星座を描いたわけではなく、「ときめきの恋」「JNR」など、遊び感覚も多分に盛り込まれていた。1991年頃までこの塗色のまま他車と共通運用となっていた。

マザーグーストレイン[編集]

1987年、JR東日本と長野市のファンシー雑貨店「クリエイティブヨーコ」との共同による、「マザーグーストレイン」が運行された。車両はマニ50形荷物車の改造車が使用された。

葉ッピーきよさと[編集]

1988年夏から1992年まで、新宿 - 清里間を中央本線から直通運転する臨時快速「葉ッピーきよさと」が運行された。

使用車両は、長野支社所属の簡易リクライニングシートに改装された169系電車で、小海線内では非電化のためDD16形ディーゼル機関車に牽引される形式を取った。

初年度は北長野運転所(現在の長野総合車両センター)所属の「みすず」用4両編成を使用し、小海線内では冷房などの電源車代用としてスハフ12形客車を連結した。翌1989年以降は松本運転所(現在の松本車両センター)所属の3両編成(通称「改座車」)に変更され、牽引機となるDD16 301・302に静止形インバータ (SIV) を搭載したため、電源車の連結がなくなり、また電源容量の関係で小海線内では冷房使用は不可となった。

なお、小淵沢駅ではホームに面していない線路で機関車の連結・解放を行うため運転停車であった。

信州循環列車・ぐるっと信州ときめき号[編集]

1993年から1997年に、前述の循環急行「のべやま」「すわ」と同一のコースをたどる臨時快速「信州循環列車」が運行された。1995年の運転ではシャトル・マイハマを千葉支社から借り入れ、電源車代用のスハフ12を連結した編成をDD16 301・302がプッシュプルで運転した。

運転初年度の設定は、秋田にあったキハ58系エレガンスアッキーを使用し、全車グリーン車自由席の設定で運転されたが、団体乗車等で混雑のために飯山色のキハ52(普通車自由席)を増結して運転、その後は飯山線キハ58系(全車普通車指定席)、キハ110系となるが、キハ110系使用開始時は秋田から特急秋田リレー仕様のまま長野へ転属になったため、一般化改造工事が終了するまで全車指定席として設定され、その後は全車自由席に変更された。基本の運転パターンは長野駅 → 松本駅 → 小淵沢駅 → 小諸駅 → 長野駅であったが、これと逆周りに運転する日も設定された。

だが、1997年9月30日をもって信越本線横川駅 - 軽井沢駅間が廃止となり、軽井沢駅 - 篠ノ井駅間がしなの鉄道線に経営分離されて程なくして、小諸駅での小海線とかつての信越本線とを結ぶ線路が分断された。

これにより同列車も運行終了となったが、2004年10月に、JR東日本としなの鉄道の共同企画で「ぐるっと信州ときめき号」として復活した。これは、しなの鉄道線小諸から189系直流特急形電車で篠ノ井駅、篠ノ井線経由で塩尻駅、塩尻駅から中央本線上諏訪駅まで、上諏訪からはキハ110系気動車が小淵沢駅・小海線経由でしなの鉄道線小諸駅までを運行した列車で、かつてのように車両を乗り換えずに一周することはできなかった。

2008年1月に運転された「ぐるっと信州ときめき号」では、小諸駅からしなの鉄道線・篠ノ井線・中央本線を経て小淵沢までは485系電車「いろどり(彩)」、小海線小淵沢から小諸まではキハE200形気動車が使用された。

使用車両[編集]

現在の使用車両[編集]

小海線のキハ110形100番台
小海線を走行するキハE200(2007年8月12日)

すべて気動車で運転されている。

過去の使用車両[編集]

以上はいずれも、中込機関区(のちの中込運輸区、現在の小海線営業所)所属の気動車。急勾配があるため、主にエンジンを2台載せた強力気動車が使用された。

1972年まで、C56形蒸気機関車が運行され、「高原のポニー」の愛称で親しまれた(末期は貨物のみ)。営業運転が廃止された翌1973年には夏季の2か月間の日曜日に臨時列車「SLのべやま号」が運行された。これはリバイバルトレインの始まりの一つに数えられている。

また、1972年の蒸気機関車運用終了後は、貨物列車の運行にはDD16が使用された[4]

客車は、オハフ45や、オハフ61などが使用されていた。[4]

佐久鉄道の車両[編集]

  • 機関車 - すべてタンク機関車
    • 1-3 開業にあたり国鉄より1150形3両の払下げを受けた。国有化以前の1928年に1・3が笠原鉄道へ、2が八日市鉄道(近江鉄道)へ売却される。
    • 4 1915年[5]雨宮製作所製。営業運転には使用されず専ら工事列車に使用されていた[6]。国有化前に処分され[7]川崎埠頭1号となる[8]
    • 11-12 1923年に川崎造船所より新製された。国有化により1265形(1265・1266)となる。
    • 13-15 11-12と同形車で河東鉄道(長野電鉄)で電化により余剰となった機関車(4・1・2)を1926年に1両、1929年に2両を購入した。国有化により1265形(1267-1269)となる。
    • 3301-3303 1927年に国鉄より3300形(3313・3309・3303)の払下げをうけた。国有化により旧番号に復する。
  • 客車
    • ロハ1 - 2 開業にあたり国鉄より元甲武鉄道の電車(デ963[9])を購入。1927年にハユフ4・5となり国有化時も在籍していた[10]。詳細は「甲武鉄道の電車」を参照。
    • ハ3 - 6 開業にあたり国鉄より元甲武鉄道の電車(デ963)を購入。1920年に改番されハ8・1・2・3となる。1927年ハ1-3が新宮鉄道へ売却されハ8は国有化時も在籍していた。
    • ハ4-7(4-6は2代目) 1917年[11]名古屋電車製作所で新製された。国有化前に尾花沢鉄道の開業用に売却された[12]
    • フハ10-13 国有化時在籍[13]
    • ユニフ3・4 有田鉄道より荷物車を購入(1920年3月認可[14])。元南海の客車で1906年製。当初ワフ1・2、国有化時も在籍。1936年廃車[15]
    • ホハ21-23、31-33、41・42 1925年日本車輌製造により製作された木製ボギー客車群。将来電化することを想定し、31-33はパンタグラフ取付台とブリルタイプの電動車用台車を装備していた。国有化後形式2480(ホハ2480-2487)となった。全車1956年に廃車された時には救援車ホエ7000となっていた[16]
  • ガソリンカー - バスとの対抗から1930年より運行を始めた。詳細は「買収気動車#佐久鉄道(現・小海線の一部)」を参照。
    • キホハニ51-56 国有化によりキハニ40600-40605となる。
    • キホハ57・58 国有化によりキハ40500・40501となる。

歴史[編集]

小諸駅 - 小海駅間は私鉄の佐久鉄道(さくてつどう)によって1919年に全通した。佐久鉄道は南は甲府まで、北は直江津長岡までの鉄道を計画し、身延線の前身である富士身延鉄道と結んで中部横断鉄道となることを構想していた。小諸駅以北のうち屋代 - 須坂間の敷設免許を1920年に取得したが、同年に地元有志らと共に設立した河東鉄道(長野電鉄の前身)に譲渡した。小海以南の建設は第一次世界大戦後の不況で計画が進まなかった。その後、小海駅 - 小淵沢駅間が国鉄線として小海側と小淵沢側の双方から建設が進められ、佐久鉄道から買収・国有化した区間と合わせて、1935年に全線が開通した。

当初は富士見駅を起点とする予定であったが、用地の買収や工事などの関係から小淵沢駅起点に変更された(小淵沢駅 - 甲斐小泉駅間に急カーブがあるのはそのためである。)[17]

野辺山高原付近で大量発生し、線路を横切って移動するキシャヤスデの大群により、空転で列車の運行ができなくなったことが度々ある[18]

1984年まで貨物列車も運行されていた。また、1953年からの11年間、野辺山-信濃川上間の川上村埋原(うずみはら)地区では周辺道路の不備に伴う地元の要望があり、本来駅ではないところに貨物列車が臨時停車して、白菜やレタスなどの高原野菜の積み込みを行うという全国でも唯一の光景が見られた。夏季のみ行われたこの臨時停車は、地元では通称埋原野菜駅と呼ばれていたが、野辺山駅までの道路整備の完成と準急列車運転により駅間での停車が危険となったため、1964年の夏季を以って終了、以後の貨物扱いは野辺山駅に集約された[19]

小海線の最急勾配は33であるが、この上り勾配はC56形蒸気機関車が牽引する列車にとっては過酷な区間で、列車速度は低速であった。その後、勾配対応型の2基エンジン形気動車が投入されても均衡速度は35km/hに留まった。後年、強力エンジンと多段変速機を装備した新型気動車の登場により、登坂速度は向上したが、小淵沢-小諸間78.9kmは最速の普通列車でも130分以上を要しており、大幅な速度向上までには至っていない[20]

佐久鉄道[編集]

佐久鉄道で使われた気動車・キホハニ56。鉄道省買収後、三岐鉄道別府鉄道を経て復元保存
(2008年10月30日 佐久市旧中込学校)
  • 1913年(大正2年)1月4日:東信軽便鉄道[21]に対し鉄道免許状下付(北佐久郡小諸町-佐久郡小海村間、北佐久郡岩村田町-同郡御代田村間、同郡岩村田町-同郡中津村間 軌間762mm)[22]
  • 1914年(大正3年)2月6日:起業目論見変更許可(北佐久郡小諸町-南佐久郡中込村間 佐久軽便鉄道)[23]
  • 1915年大正4年)
    • 8月8日佐久鉄道 小諸駅 - 中込駅間(8.3M≒13.36km)開業。乙女停留場・土橋停留場(現在の三岡駅付近)・市村停留場(現在の美里駅付近)・中佐都停留場(現在の中佐都駅)・岩村田駅・久保停留場(現在の北中込駅)・中込駅が開業[24]
    • 9月3日:鉄道免許状下付(南佐久郡中込村-同郡青沼村間)[25]
    • 12月28日:中込駅 - 羽黒下駅間(4.8M≒7.72km)延伸開業。大奈良停留場・三反田駅(現在の臼田駅)・入沢停留場・羽黒下駅が開業[26]
  • 1916年(大正5年)6月6日:滑津停留場が開業[27]
  • 1918年(大正7年)2月22日:鉄道免許状下付(南佐久郡青沼村-同郡南牧村間)[28]
  • 1919年(大正8年)
    • 3月11日:羽黒下駅 - 小海駅間(5.9M≒9.50km)が延伸開業。海瀬停留場・佐久穂積駅(現在の八千穂駅)・高岩停留場・馬流停留場・小海駅が開業[29]
    • 5月8日:鉄道免許失効(1918年2月22日免許 南佐久郡小海村-同郡南牧村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請を為ササルタメ)[30]
  • 1920年(大正9年)
    • 5月3日:鉄道免許状下付(埴科郡埴生村-上高井郡須坂町間)[31]
    • 9月6日:河東鉄道に鉄道敷設権譲渡(1920年5月3日免許 埴科郡埴生村-上高井郡須坂町間)[32]
  • 1925年(大正14年)4月14日 :三岡駅が開業。土橋停留場・市村停留場が廃止[33]
  • 1930年昭和5年)
    • 4月1日:営業距離がマイル表記からメートル表記に変更(19.0M→30.6km)。
    • 11月12日ガソリン動力併用認可を受ける。
    • 12月20日:気動車運行開始。同年から翌年にかけ日本車輌製造本店でガソリン動車8両が新製されて旅客列車に投入し、経費節減の効果を上げる。これに先立ち電化による電車運行も検討されていたが、気動車の運行成績が良好であったため、電化計画は放棄された[34]
佐久鉄道輸送・収支実績
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1915 62,928 4,528 13,916 6,378 7,538 5,140
1916 351,413 43,669 69,219 38,395 30,824 13,625
1917 491,023 66,483 93,751 50,750 43,001 寄付金その他15,390 建設費償却金15,350 6,568
1918 558,767 86,462 157,977 84,891 73,086 郡補助金2,900 建設費償却金11,000 325
1919 760,901 106,779 205,250 129,305 75,945 株式配当郡補助金26,898 建設費償却金26,898 2,101
1920 898,293 120,956 325,465 234,189 91,276 郡補助金13,075
積立金繰入192,986
公債利子1,083
建設費及貯蔵物品償却金240,082 27,062
1921 761,399 110,856 359,716 220,224 139,492
1922 861,496 131,915 387,810 215,723 172,087
1923 923,796 120,113 407,346 228,610 178,736 雑損8,959 32,710
1924 1,029,499 140,582 460,098 214,256 245,842 建設補助金5,900 償却金38,457雑損7,149 24,240
1925 1,109,839 144,151 494,860 220,772 274,088 建設寄付金8,420 償却金20,379雑損21,799 7,436
1926 1,111,599 147,130 515,181 250,434 264,747 寄付金2,000 雑損2,184 8,268
1927 1,049,431 135,676 479,228 267,071 212,157 雑損3,926 15,415
1928 1,055,057 130,824 469,582 269,311 200,271 積立金繰入7,119 雑損2,145償却金7,119 26,474
1929 1,004,631 129,149 454,026 241,607 212,419 自動車業187 株式減価償却金13,769雑損4,600 20,464
1930 857,488 95,612 373,245 220,061 153,184 自動車業1,101雑損2,545 16,737
1931 763,815 91,124 340,742 173,433 167,309 雑損7,170自動車業10,913 22,258
1932 631,993 82,358 301,147 166,519 134,628 雑損844自動車業262 26,221
1933 634,754 101,344 329,850 168,643 161,207 自動車3,116雑損26,186 8,659
1934 466,338 91,644 257,989 148,852 109,137 自動車業19,524雑損償却金86,472 5,608
  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

小海北線[編集]

  • 1932年(昭和7年)12月27日小海線 小海駅 - 佐久海ノ口駅間 (8.9km) が開業。松原湖駅・海尻駅・佐久海ノ口駅が開業。
  • 1933年(昭和8年)7月27日:小海南線開業に伴い、小海北線に改称。
  • 1934年(昭和9年)9月1日:佐久鉄道線 小諸駅 - 小海駅間を買収・国有化し編入[35]。停留場が駅に変更。機関車8両、ガソリンカー8両、客車17両、貨車59両を引き継ぐ[36]
  • 1935年(昭和10年)1月16日:佐久海ノ口駅 - 信濃川上駅間 (7.9km) が延伸開業。佐久広瀬駅・信濃川上駅が開業。

小海南線[編集]

  • 1933年(昭和8年)7月27日:小海南線 小淵沢駅 - 清里駅間 (17.5km) 間が開業。甲斐小泉駅・甲斐大泉駅・清里駅が開業。

小海線(全通後)[編集]

  • 1935年(昭和10年)11月29日:清里駅 - 信濃川上駅間 (14.0km) が延伸開業し全通。小海南線が小海北線を編入し小海線に改称。野辺山駅が開業。
  • 1944年(昭和19年)
    • 3月1日:久保駅が北中込駅に改称。滑津駅(初代)が廃止。
    • 11月11日:馬流駅・入沢駅・大奈良駅・乙女駅が営業休止。
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月1日:滑津駅(2代目)が開業。馬流駅・青沼駅(旧 入沢駅)・龍岡城駅(旧 大奈良駅)・乙女駅の営業再開。
    • 5月1日:太田部駅が開業。
    • 7月10日:東小諸駅が開業。
  • 1959年(昭和34年)10月1日:佐久穂積駅が八千穂駅に改称。
  • 1963年(昭和38年)10月1日:三反田駅が臼田駅に改称。
  • 1972年(昭和47年)10月1日:この日をもって蒸気機関車の運行が廃止[37]
  • 1973年(昭和48年)7月15日 - 9月23日:小淵沢駅 - 中込駅間で蒸気機関車復活運転[38]
  • 1984年(昭和59年)2月1日:全線で貨物営業が廃止。
  • 1986年(昭和61年)
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が継承。
  • 1988年(昭和63年)12月1日:美里駅が開業。
  • 1991年平成3年)11月8日:キハ110系気動車が投入。
  • 1992年(平成4年)3月14日:ワンマン運転開始。
  • 1995年(平成7年)10月12日:岩村田駅 - 中佐都駅間が高架化。
  • 1997年(平成9年)10月1日:佐久平駅が開業。
  • 2007年(平成19年)7月31日:営業用車両としては世界初のハイブリッド気動車キハE200形が投入。
  • 2014年(平成26年)4月1日:小淵沢駅・清里駅・野辺山駅でICカード乗車券「Suica」サービス開始[2]

駅一覧[編集]

  • 標高の単位は m(メートル)、小数点以下切り捨て。括弧内はJR線での順位
  • 定期列車は全列車普通列車(すべての駅に停車)
  • 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 標高 接続路線 線路 所在地
小淵沢駅 - 0.0 881 東日本旅客鉄道中央本線 山梨県 北杜市
甲斐小泉駅 7.1 7.1 (6) 1044  
甲斐大泉駅 5.1 12.2 (3) 1158  
清里駅 5.3 17.5 (2) 1274  
野辺山駅 5.9 23.4 (1) 1345   長野県 南佐久郡 南牧村
信濃川上駅 8.1 31.5 (4) 1135   川上村
佐久広瀬駅 3.4 34.9 (5) 1073   南牧村
佐久海ノ口駅 4.8 39.7 (7) 1039  
海尻駅 2.4 42.1 (8) 1034  
松原湖駅 2.7 44.8 (9) 0967   小海町
小海駅 3.5 48.3 865  
馬流駅 1.6 49.9 841  
高岩駅 1.8 51.7 812   佐久穂町
八千穂駅 2.2 53.9 785  
海瀬駅 2.6 56.5 755  
羽黒下駅 1.3 57.8 740  
青沼駅 1.7 59.5 722   佐久市
臼田駅 1.4 60.9 709  
龍岡城駅 1.2 62.1 700  
太田部駅 2.0 64.1 685  
中込駅 1.4 65.5 673  
滑津駅 1.0 66.5 665  
北中込駅 1.9 68.4 692  
岩村田駅 2.2 70.6 705  
佐久平駅 0.9 71.5 701 東日本旅客鉄道:北陸新幹線長野新幹線
中佐都駅 0.9 72.4 699  
美里駅 1.4 73.8 703   小諸市
三岡駅 1.5 75.3 705  
乙女駅 1.1 76.4 695  
東小諸駅 1.0 77.4 681  
小諸駅 1.5 78.9 663 しなの鉄道しなの鉄道線

廃駅[編集]

( )内は小淵沢駅起点の営業キロ。

  • フォトデッキ駅:1986年のみ営業、清里駅 - 野辺山駅間
  • 市村停留場:1925年4月14日廃止、中佐都駅 - 美里駅間(約73.7km)
  • 土橋停留場:1925年4月14日廃止、三岡駅 - 乙女駅間(約75.3km)

過去の接続路線[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 中央線まめちしき 支社概要 プロフィール - 東日本旅客鉄道八王子支社
  2. ^ a b Suicaの一部サービスをご利用いただける駅が増えます (PDF) - 東日本旅客鉄道、2013年11月29日。
  3. ^ a b 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6
  4. ^ a b 郷土出版社「小海線をゆく」ISBN 4-87663-305-3
  5. ^ 中川浩一『軽便王国雨宮』58頁
  6. ^ 『佐久鉄道と小海線』231頁
  7. ^ 『鉄道統計資料』昭和5年度版の地方鉄道車両現在表によれば機関車1両減となっている
  8. ^ 臼井茂信『機関車の系譜図 3』366頁
  9. ^ 『客車略図 上巻』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  10. ^ 吉川文夫「私鉄へ行った国電の始祖(甲武電車)」『レイル』No.38、プレスアイゼンバーン
  11. ^ 初代4-6の改番は1920年のため3年間のブランクは不明
  12. ^ 鈴木 洋・ 若林 宣 『山形交通高畠線・尾花沢線 』ネコパブリッシング、2006年、47頁
  13. ^ 大幡哲海「昭和戦前期、買収客車改番一覧」『RailFan』No.519、21頁
  14. ^ 青木栄一「有田鉄道ノート」『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道図書刊行会、1977年
  15. ^ 澤内一晃「南海の二軸客車」『鉄道ピクトリアル』No.835、86-87頁
  16. ^ 瀬古龍雄「木製客車メモランダム」『鉄道ピクトリアル』No.365、68頁
  17. ^ 大泉ハツラツ人探訪 - 北杜市観光協会 大泉支部
  18. ^ 研究の“森”からNo.52 キシャヤスデ大発生の謎 - 森林総合研究所
  19. ^ 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年、p.262。
  20. ^ 日本の鉄道史セミナー』(p196)
  21. ^ 発起人の中に佐藤秀松、蜅沢備、大淵龍太郎、小沢信之甫ら雨宮製作所関係者がいた『佐久鉄道と小海線』13頁
  22. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年1月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 「軽便鉄道起業目論見変更」『官報』1914年2月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1915年9月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年1月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1916年6月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  28. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1918年2月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  29. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1919年3月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  30. ^ 「軽便鉄道一部免許失効」『官報』1919年5月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  31. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年5月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  32. ^ 「鉄道譲渡」『官報』1920年9月07日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  33. ^ 官報では三岡駅は15日「地方鉄道駅廃止並設置」『官報』1925年4月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  34. ^ 湯口徹『内燃動車発達史 上巻・戦前私鉄編』2004年、p.135 - p.136。
  35. ^ 「鉄道省告示第395・396号」『官報』1934年8月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  36. ^ 『鉄道統計資料. 昭和9年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  37. ^ 池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、p.15。
  38. ^ 池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、p.21。
  39. ^ 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越』新潮社、2008年、p.41。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]