あさかぜ (列車)

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「あさかぜ」の牽引機
EF66形電気機関車
「あさかぜ」に使用された
24系客車
「あさかぜ」ヘッドマーク

あさかぜは、1956年から2005年まで東京駅 - 下関駅博多駅間を東海道本線山陽本線鹿児島本線経由で運行していた日本国有鉄道(国鉄)・JR寝台特別急行列車である。このページでは、東京と中国地方・九州を結んだ急行列車の沿革についても記述する。

概要[編集]

国鉄が1956年に東京駅 - 博多駅間に設定した寝台特急であり、ブルートレインの先駆けとして、また、東海道・山陽本線および九州内の代表格列車の一つとして知られた。1960年代には冷暖房完備の20系客車が新造投入され、国鉄を代表する花形列車として人気を集めた。20系客車は「日本最初のブルートレイン」として「あさかぜ」に投入されたことからあさかぜ形客車」の別称もある[要出典]。また、関西圏を深夜に走行して東京と九州を直通させる列車ダイヤは、以降の同様な直通列車の設定に大きな影響があったとされる[要出典]。当初は二等寝台車のちにA寝台の割合が高かった編成の豪華さから、殿様列車殿様あさかぜと通称された[1]。また、運行前の仮称として「九州特急」の名称が与えられた[要出典]

1970年代以降は、航空機東海道・山陽新幹線高速バスが台頭したため、まずは優等旅客が航空機利用への転移によって減少しはじめ、1975年には全A個室寝台車ナロネ20形の連結が廃止された。さらに1970年代後半以降の国鉄運賃・料金の大幅な値上げなどによってB寝台車の利用者も減少していった。運行後期の乗車率は20[2] - 30%程度[3]と低迷していた。このため、東京駅 - 博多駅間の1往復が1994年12月2日に定期運転を終了[4]し、2000年12月を最後に臨時列車としても運転を終了、東京駅 - 下関駅間の1往復も、2005年3月に廃止された[5]

列車名称の由来[編集]

あさかぜは「に吹く」というさわやかなイメージから[要出典]列車名の選定に際しては、「夜行列車天体にちなむ名前」となっていたが、同時に「特別急行列車ではないしは自然現象に由来するものまたは、日本を象徴するもの」となっていた[要出典]。そのことから「特別急行列車」という点を意識したものが重視された[要出典]

当初は「富士」を使用する予定とされていたが、富士山の麓に近い富士駅付近を通過するのは夜間・早朝に掛かり見づらいことから、特急列車という点を意識し「朝に吹く風」というさわやかなイメージをもつ「あさかぜ」に決まったとされる[要出典][注釈 1]

廃止直前の運行概況[編集]

停車駅[編集]

東京駅 - 横浜駅 - 熱海駅 - 静岡駅 - (浜松駅) - (名古屋駅) - 〔大阪駅〕 - 〔姫路駅〕 - 岡山駅 - 〔倉敷駅〕 - 〔新倉敷駅〕 - 福山駅 - 尾道駅 - 三原駅 - 西条駅 - 広島駅 - 宮島口駅 - 岩国駅 - 柳井駅 - 光駅 - 徳山駅 - 防府駅 - 新山口駅 - 宇部駅 - 下関駅

  • ( )は下り列車のみ停車、〔 〕は上り列車のみ停車
  • このほか、下り列車が米原駅・大阪駅に、上り列車が名古屋・米原駅に運転停車していた。

使用車両[編集]

1998年7月10日以降 廃止までの編成
あさかぜ
← 博多
東京 →
編成 基本編成 付属編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
種別 CB B A1 LSIV B B B B B B B B B
客車
形式
オハネフ25
300番台
オハネ25 オロネ25
300番台
スハ25 オハネ25 オハネ25 オハネフ
25
オハネ25 オハネフ
25
オハネ25 オハネ25 オハネ25 オハネフ
25
  • 通常期は9両編成で、多客期は付属編成を併結し13両で運転
記号凡例

西日本旅客鉄道(JR西日本)の下関地域鉄道部下関車両管理室に所属していた24系25形客車が使用されていた。

なお、下りは岩国駅 - 下関駅間、上りは下関駅 - 広島駅間において立席特急券B寝台を普通座席車扱いで利用できた(寝台券も参照)。

「あさかぜ」の沿革[編集]

「あさかぜ」の設定[編集]

  • 1956年(昭和31年)11月19日このときのダイヤ改正にて、日本における第二次世界大戦後初の夜行特急列車として東京駅 - 博多駅間に「あさかぜ」を運転開始。
  • 1957年(昭和32年)3月19日:「あさかぜ」の混雑緩和のため東京駅 - 広島駅間で増結を行う(編成の詳細)。
    • 7月20日:「あさかぜ」混雑緩和のため、東京駅 - 博多駅間を運行する不定期夜行特急列車「さちかぜ」が運行される。
      • 「さちかぜ」は名目上臨時列車格となる「不定期列車」として運行されたが、実際には毎日運行となった。また運行ダイヤは「あさかぜ」の下り30分後、上り30分後と続行運転となった。
    • 10月1日:「さちかぜ」定期列車化。運行区間を東京駅 - 長崎駅間とする。また、「あさかぜ」の編成組成を一部変更。「あさかぜ」の全車両東京駅 - 博多駅間の運行となる。
      • この「さちかぜ」はのちに「平和」(へいわ)→「さくら」となる。

20系固定編成客車「あさかぜ」の登場[編集]

  • 1958年(昭和33年)10月1日:「あさかぜ」に新たに開発された20系客車に置き換えられる。
  • 「あさかぜ」の食堂車担当が日本食堂から都ホテルに移行。従来の日本食堂営業クルーは「はやぶさ」の食堂車営業に移行する。
  • 1960年 (昭和35年) : 年末年始の臨時列車として「臨時あさかぜ」を東京駅 - 熊本駅間で運転(下り基準・12月24日 - 1月14日、上りは1日繰り下げ)。
    • 「あさかぜ」の名称で博多駅以南に運転されたのはこの時だけ。後のダイヤ改正で不定期特急「みずほ」として毎日運転される。
  • 1961年(昭和36年)10月1日:サンロクトオ」のダイヤ改正により、東京駅発着の東海道本線特急列車で客車列車が「あさかぜ」を含めた九州特急のみとなり、列車番号が従来の7・8列車から3・4列車となる。
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月20日:前1963年12月20日に実施した東京駅 - 広島駅間の牽引電気機関車をEF58形からEF60形への交代に伴う「あさかぜ」編成の変更を実施。「あさかぜ」に一等寝台車が集中するいわゆる「殿様あさかぜ」として著名となる編成を組んだ。そのときの編成は下記を参照されたい。
  • 1965年(昭和40年)10月1日:この日までに、1964年6月から始まった「あさかぜ」ほか九州特急の一等座席車以外の全車寝台化が完成[6]
  • 1968年(昭和43年)10月1日:臨時列車として運行されていた:「あさかぜ」の1往復を定期化して、2往復体制となる。
  • 1970年(昭和45年)10月1日:東京駅 - 広島駅間を呉線経由で運行されていた寝台急行列車「安芸」を格上げ統合。「あさかぜ」3往復体制となる。
    • ただし、格上げされた特急列車「あさかぜ」の方は山陽本線経由であり、運転時間帯も多少異なる。この列車は、東京駅 - 下関駅間を運行、「あさかぜ」(下り)3号・(上り)1号とした。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月15日:東京駅 - 博多駅間運行の1往復「あさかぜ」(下り)2号・(上り)3号を14系客車に置き換える。
    • 7月15日:博多発着列車で20系客車で運行されている「あさかぜ」(下り)1号・(上り)2号の編成を変更。個室2両を含むA寝台車5両とグリーン車が1両連なる編成となる。そのときの編成は下記を参照されたい。

山陽新幹線全通後[編集]

20系「あさかぜ」
(東京駅)
  • 1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線博多駅開業によるダイヤ改正を実施。
    1. 「あさかぜ」の運行体系を変更。14系客車を使用した博多発着「あさかぜ」(下り)2号・(上り)3号を廃止し、「あさかぜ」2往復体制となる。
    2. 20系客車を使用した博多発着「あさかぜ」(下り)1号・(上り)2号に連結していたグリーン車の連結と20系客車では唯一の全室個室寝台車であったナロネ20形の連結を終了。このときの編成図は下記を参照されたい。また、食堂車担当であった都ホテルが新幹線食堂車営業移行により日本食堂門司営業所に移管する。
    3. 下関駅発着「あさかぜ」(下り)2号・(上り)1号は「瀬戸」と共通運用化された。このときの編成図は下記を参照されたい。
  • 1976年(昭和51年)8月:「あさかぜ」51号に24系25形客車を使用。臨時ながら東京駅発着の寝台特急として初の2段B寝台投入。
  • 1977年(昭和52年)9月28日:東京駅 - 下関駅間運行の「あさかぜ」(下り)2号・(上り)1号を、24系25形客車に置き換え[注釈 2]
  • 1978年(昭和53年)2月1日:東京駅 - 博多駅間運行の「あさかぜ」(下り)1号・(上り)2号も、24系25形客車に置き換える。
    • このとき、食堂車は新たに製造を行わず、先に24系25形に置き換えられていた「富士」「はやぶさ」「出雲」の食堂車を基本編成から途中駅折り返しの付属編成に連結を変更して車両を捻出した。 
  • 1986年(昭和61年):「あさかぜ」1・4号は、EF30形の退役に伴い、門司駅での機関車付け替えを廃止。下関駅 - 博多駅間はEF81形400番台が通しで牽引することとなった。[注釈 3]
ED75「あさかぜ」ヘッドマーク付き
(竹下客車区)
  • 11月29日:「あさかぜ」1・4号のB寝台車、食堂車のグレードアップを行う。4人用個室B寝台「カルテット」の連結も開始。
  • 1987年(昭和62年)3月14日:「あさかぜ1・4号」、ミニロビーとシャワー室を備えたB寝台個室車両を連結開始。

国鉄分割民営化以降[編集]

EF66 55牽引24系25形「あさかぜ1号」
(1988年)
EF81形400番台牽引24系25形「あさかぜ4号」
(博多駅)
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、博多駅発着の「あさかぜ」1・4号を東日本旅客鉄道(JR東日本)が、下関駅発着の「あさかぜ」3・2号をJR西日本が担当するようになる。
  • 1990年平成2年)3月10日:「あさかぜ」2・3号に、1人用個室A寝台車(オロネ25形300番台)およびミニロビーとシャワー室を備えた車両(オハ25形300番台およびスハ25形300番台)の連結を開始。
  • 1993年(平成5年)3月18日:「あさかぜ」1・4号の食堂車営業を休止。
  • 1994年(平成6年)12月3日:このときのダイヤ改正に伴い以下のように変更。
    1. 「あさかぜ」1・4号」が、「あさかぜ」81・82号として臨時列車に格下げ。これにより、定期「あさかぜ」は九州に乗り入れなくなる。
    2. 「あさかぜ」2・3号は全車両が下関駅直通運転となる。
  • 1997年(平成9年):長野新幹線車内販売従業員確保のために「あさかぜ」の車内販売および売店営業を中止。
  • 2000年(平成12年):12月の運転を最後に、東京駅 - 博多駅間の臨時「あさかぜ」81・82号を廃止。
  • 2004年(平成16年)10月27日 - 11月27日:大阪駅工事に伴い、深夜に運転停車する下り下関行き列車が同駅を通れないため、茨木駅 - 尼崎駅間を北方貨物線経由で迂回運転。
  • 2005年(平成17年)3月1日:「あさかぜ」廃止。
    • 最終列車となった2月28日寝台券は、下り下関行き列車は発売開始後30秒で、上り東京行き列車は発売開始後90秒で完売した[3]
    • 上り東京行き列車は「2005.2.28」の日付が付いた特別ヘッドマークを装着して運行された。

使用車両・編成の歴史[編集]

車両用途と等級の変遷[編集]

下表に、あさかぜに使用された車両とその用途・座席の等級を示す。

旧国鉄では1960年6月30日まで三等級制度下で、1969年5月9日まで二等級制度下で運賃特別急行料金寝台料金が決められた。そのため、時期により一等車二等車の定義が異なる。本列車の登場時から1960年6月30日までの二等寝台車および1969年5月9日まの一等寝台車は使用車種・寝台装備の関係で、ABCの三段階での表記をおこなった。そのため、単一運賃制度を採用した1969年5月10日以降のA寝台B寝台との混用を避けるため、1960年6月30日までの二等寝台車については「二等寝台車 (A) 」、1969年5月9日までは「一等寝台車 (A) 」のように表記する[注釈 4][7]

車両形式と用途・座席等級
車両形式 1960年6月まで 1969年5月まで 1969年5月から
在来形車両[注釈 5] 20系客車
  マニ20・カニ21・カニ22 電源荷物合造車
スハニ32オハニ36[8]   三等・荷物合造車 -
マシ35オシ17 ナシ20 食堂車
  ナロネ20 二等寝台車 (A) 一等寝台車 (A) 個室A寝台車[注釈 6]
ナロネ21 二等寝台車 (B) 一等寝台車 (B) 開放式A寝台車
  ナロネ22 二等寝台車 (A) (B) 一等寝台車 (A) (B) 個室・開放合造
A寝台車
マロネ40   -
マロネ29マロネフ29   二等寝台車 (C)
スロ54ナロ10   二等車[注釈 7] 一等車 -
  ナロ20 二等車 グリーン車
ナハネ10・ナハネ11
スハネ30形
ナハネ20 三等寝台車 二等寝台車 B寝台車
ナハネフ20・21・22・23
ナハ10・ナハフ10スハフ43 ナハ20・ナハフ20 三等車 二等車 -


登場時・在来形客車による編成[編集]

20系客車が登場した1958年10月まで、特急列車の号車表記は進行方向から1号車、2号車と表示した。

本表では下り博多行き列車の場合を基準とした表記(左から1号車、2号車…)を行う。上り東京行き列車の場合は図の右側が進行方向となるが、実際の号車表記は右端の車両から1号車、2号車…の順であった。

1956年11月19日運転開始時の編成図[9]
あさかぜ
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
車両
形式
スハニ
32[8]
ナハネ
10
ナハネ
10
ナハネ
10
ナハ
10
ナハフ
10
マシ
35
スロ
54
マロネ
40
マロネフ
29



1957年3月20日増結時の編成図
あさかぜ
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 増1 増2
車両
形式
スハニ
32[8]
マロネ
40
マロネフ
29
スロ
54
マシ
35
ナハネ
10
ナハネ
10
ナハネ
10
ナハ
10
ナハフ
10
ナハ
10
ナハフ
10
  • 増1・2号車は東京駅 - 広島駅連結
  • 1957年5月頃より、2 - 3号車間に「増結車」としてマロネ40形車両を全区間増結



1957年7月 - 8月の「さちかぜ」編成図
さちかぜ
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9
車両
形式
マロネフ
29
マロネ
40
スロ
54
マシ
35
ナハネ
10
ナハネ
10
ナハ
11
ナハ
11
ナハフ
11



1957年10月1日ダイヤ改正時の編成図
あさかぜ
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
車両
形式
スハニ
32[8]
マロネ
40
マロネ
40
マロネ
29
ナロ
10
オシ
17
ナハネ
10
ナハネ
10
ナハネ
10
ナハ
10
ナハフ
10
  • この頃、ナハネ10形車両の代わりにナハネ11形車両を用いる場合もあった[10]


20系客車投入後[編集]

1958年(昭和33年)10月1日
20系客車に置き換え。
PJRPJRNC
あさかぜ[6]
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
マニ20 ナロネ20 ナロネ21 ナロネ21 ナロ20 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハ20 ナハフ20



1959年(昭和34年)7月20日
さくら」に20系が導入。
PJRPJRNC
あさかぜ[11]
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
マニ20 ナロネ20 ナロネ21 ナロネ21 ナロネ21 ナロ20 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハ20 ナハフ20



1960年(昭和35年)7月20日
はやぶさ」に20系が導入。これに伴い、「あさかぜ」も増結を行い14両編成化。
PJRPJRNC
あさかぜ[12]
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
カニ21 ナロネ20 ナロネ21 ナロネ21 ナロネ21 ナロネ21 ナロ20 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハ20 ナハフ20



1960年(昭和35年)12月
臨時「あさかぜ」運行。翌1961年(昭和36年)10月登場の「みずほ」の元となるが、登場時の使用車両とは大いに異なり、臨時列車ながら20系客車を意識した車両を用いた。
1960年末 - 1961年初運行の「臨時あさかぜ」編成図
PJRPJRNC
臨時「あさかぜ
← 熊本
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
座席 2 1B 1B 2s 2s 2s 2 2s 2s 2s 2s 2
使用
車両
スハフ
43
オロネ
10
オロネ
10
ナハネ
11
スハネ
30
スハネ
30
スハフ
43
スハネ
30
スハネ
30
スハネ
30
スハネ
30
スハフ
43
区間 全区間連結 東京駅 - 博多駅間連結
凡例
1B=一等寝台車(B)
1=一等座席車
2s=二等寝台車
2=二等座席車
D=食堂車
一等寝台車の等級については、A寝台を参照のこと。


1964年(昭和39年)3月20日
東京駅 - 広島駅間の牽引機をEF58形からEF60形500番台に変更。
これにより牽引定数が向上し、「みずほ」から転入する形でナロネ22形を1両増結。
1964年3月20日以降の編成図
PJRPJRNC
あさかぜ
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
カニ21 ナロネ20 ナロネ22 ナロネ21 ナロネ21 ナロネ21 ナロ20 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハ20 ナハフ20



1968年10月1日ダイヤ改正・2往復体制化[編集]

1968年(昭和43年)10月1日
ヨンサントオのダイヤ改正により、2往復体制となる[13]
PJRPJRNC
あさかぜ (下り)1号・(上り)2号
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
カニ21 ナロネ20 ナロネ22 ナロネ21 ナロネ21 ナロネ21 ナハネ20 ナロ20 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネフ22



1968年10月1日 - 1972年7月 編成図
PJRPJRNC
ナロネ22形連結列車
PJRPJRNC
← 博多駅
東京駅 →
基本編成 付属編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
カニ
21
ナロネ22 ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナシ
20
ナハネ
20
ナハネフ
23
ナロネ
21
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネフ
22
運用については、下記を参照のこと。車両詳細については、国鉄20系客車を参照のこと。


連結時期 列車名 基本編成 付属編成 備考
1968年10月1日
- 1972年3月
さくら 東京駅 - 長崎駅 東京駅 - 佐世保駅

付属編成の肥前山口駅 - 佐世保駅間は
簡易電源車「マヤ20形」を8号車前頭に連結。
早岐駅- 佐世保駅間 逆編成

あさかぜ
下り 2号
上り 1号
東京駅 - 博多駅 東京駅 - 下関駅

1970年(昭和45年)10月1日より、
「あさかぜ(下り・上りとも)2号」に変更

1972年3月 - 7月 はやぶさ 東京駅 - 西鹿児島駅 東京駅 - 長崎駅間

付属編成の鳥栖駅 - 長崎駅間は
簡易電源車「マヤ20形」を8号車前頭に連結。

あかつき
下り 1号
上り 3号
新大阪駅 - 西鹿児島駅間 新大阪駅 - 長崎駅間


昭和40年代後半・モノクラス制下[編集]

1970年(昭和45年)10月1日
東京駅 - 下関駅間の1往復を増発。
編成は東京 - 博多間運行の(下り)1・2号、(上り)2・3号と同様。
「あさかぜ」3・1号登場時の編成図
あさかぜ(下り)3号・(上り)1号
PJRPJRNC
← 下関駅
東京 →
基本編成 付属編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
カニ
21
ナロネ
21
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナシ
20
ナハネ
20
ナハネフ
23
ナロネ
21
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネフ
22
付属編成は東京駅 - 広島駅間



1972年(昭和47年)3月15日
同日改正により、東京 - 博多駅間の1往復が使用車両を変更。14系客車使用となった。
  • (下り)1号・(上り)2号(東京 - 博多間)= 1968年10月1日の(下り)1号・(上り)2号と同編成
  • (下り)3号、(上り)1号(東京 - 下関間)= 1970年10月1日の(下り)3号・(上り)1号と同じ編成
  • (下り)2号、(上り)3号(東京 - 博多間)
1972年登場当時14系寝台客車編成図
PJRPJRNC
東京 →
14系客車登場当時編成図
編成 基本編成 付属編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
座席種別 B A B B D B B B B B B B B B
形式 スハネフ
14
オロネ
14
オハネ
14
オハネ
14
オシ
14
オハネ
14
オハネ
14
スハネフ
14
スハネフ
14
オハネ
14
オハネ
14
オハネ
14
オハネ
14
スハネフ
14
座席種別
A=開放式A寝台
B=開放式3段B寝台
D=食堂車
 
1972年(昭和47年)3月15日品川客車区導入時の運用
列車名 基本編成 付属編成
さくら 東京駅 - 長崎駅 東京駅 - 佐世保駅
あさかぜ(下り)2号・(上り)3号 東京駅 - 博多駅 東京駅 - 下関駅
みずほ 東京駅 - 熊本駅
Template:JNR PC14 Primary Format 1972 at Shinagawa Depot
PJRPJRNC


1972年(昭和47年)7月15日
品川客車区所属20系客車の編成改変に伴い、「あさかぜ」(下り)1号・(上り)2号の組成を変更。
この際、ナロネ22形車両を「あさかぜ」(下り)1号・(上り)2号に集中させる形となった。これにより従前より、寝台車を含め一等車→A寝台・グリーン車で構成される割合が高かった「あさかぜ(下り)1号・(上り)2号」の編成の豪華さが際だつ様になった。
これ以降、「はやぶさ」「富士」「出雲」に24系客車が投入されるまでの間、東京発着のブルートレインに変更がないことから、この編成がいわゆる「殿様あさかぜ」の最終形とされる。
なお、(下り)3号・(上り)1号(東京駅 - 下関駅間)、(下り)2号・(上り)3号(東京駅 - 博多駅間)の編成については変更がなかった。
1972年7月15日以降の編成図[12]
PJRPJRNC
あさかぜ (下り)1号・(上り)2号
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
カニ21 ナロネ20 ナロネ22 ナロネ22 ナロネ22 ナロネ21 ナハネ20 ナロ20 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネフ22



1975年以降[編集]

1975年(昭和50年)3月10日
山陽新幹線博多駅乗り入れ。
これに伴い、「あさかぜ」(下り)2号・(上り)3号は廃止。
また、「あさかぜ」(下り)1号・(上り)2号は従来の編成を大幅に変更し、下関駅発着であった「あさかぜ」(下り)2号・(上り)1号の編成も変更。
1975年3月10日改正時の編成図
PJRPJRNC
あさかぜ (下り)1号・(上り)2号
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
カニ21 ナロネ22 ナロネ22 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナシ20 ナハネフ23 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネフ22
東京駅 - 博多駅間で運転



1975年(昭和50年)3月 - 1977年(昭和52年)9月
あさかぜ」1号・2号、「瀬戸」 列車編成図
PJRPJRNC
← 下関・宇野
東京 →
基本編成 付属編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 10 11 12 13 14
カニ
21
ナロネ
21
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナシ
20
ナハネ
20
ナハネフ
23
ナロネ
21
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネフ
22

  • 所属区:基本編成=下関運転所、付属編成=広島運転所
  • 「あさかぜ(下り)2号・(上り)1号」は付属編成を東京駅 - 広島駅間連結
  • 瀬戸」は全区間付属編成連結、5号車は営業休止



1977年(昭和52年)10月1日
「あさかぜ」(下り)2号・(上り)1号に24系25形を導入。編成を共用している「瀬戸」と同じく東京発着としては初めてB寝台のみのモノクラス編成で運行する。
また、「あさかぜ」(下り)1号・(上り)2号が東京発着では最後の20系使用の特急列車となる。
1977年10月1日改正時の編成図
PJRPJRNC
あさかぜ (下り)1号・(上り)2号
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
カニ21 ナロネ22 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナシ20 ナハネフ23 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネフ22
東京駅 - 博多駅間で運転され、20系「あさかぜ」最終形となった。
なお、最終日であった1978年(昭和53年)1月31日の「あさかぜ」(下り)1号の2号車はナロネ21を連結せず、ナロネ22とした。


PJRPJRNC
「あさかぜ」(下り)2号・(上り)1号→「あさかぜ」3・2号/「瀬戸」
東京
24系25形客車
編成 基本編成(下関運転所 付属編成(広島運転所
号車   1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
座席種別 EG/C B B B B B B B B B B B B B
客車形式 カニ
24
オハネフ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
オハネフ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
  • 座席種別記号:B=2段式開放B寝台、EG/C=電源荷物合造車
  • 「あさかぜ(下り)2号・(上り)1号」→「あさかぜ3・2号」は付属編成を東京駅 - 広島駅間連結
  • 瀬戸」は全区間連結



1978年(昭和53年)2月1日
「あさかぜ」(下り)1号・(上り)2号に24系25形を導入。ただし、「はやぶさ」・「富士」・「出雲」と同じく個室A寝台・食堂車を連結した編成内容となる。
1978年1月下旬 - 1986年10月までの24系25形車両使用列車編成図
PJRPJRNC
あさかぜ1・4号」 「はやぶさ」 「富士」 「出雲」(1・4号)
東京 →
  基本
編成
付属
編成A
付属
編成B
号車 EG/C 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
座席種別 A1 B B B B B B D B B B B B
客車
形式
カニ
24
オロネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
オハネフ
25
オシ
24
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
オハネ
25
オハネフ
25
記号凡例
運用概要
列車名 基本編成 付属編成 備考
A B
「はやぶさ」 東京駅 - 西鹿児島駅 東京駅 - 熊本駅 1985年3月14日より8 - 9号車にロビーカーを連結。
ロビーカーを9号車とし、以降1両づつ車両号車を増やす。
「富士」 東京駅 - 西鹿児島駅間 東京駅 - 大分駅
  • 1980年10月1日より運行区間を東京駅 - 宮崎駅間に短縮。
  • 1986年3月より4号車を2段式開放B寝台(オハネ25形)から
    4人用B個室寝台「カルテット」(オハネ24形700番台)に変更。
「あさかぜ1・4号」 東京駅 - 博多駅  
「出雲」 東京駅 - 浜田駅 東京駅 - 出雲市駅 不連結 1978年10月1日より列車名が「出雲1・4号」に変更。


1986年(昭和61年)11月
「あさかぜ」1・4号の編成を変更。
「あさかぜ」2・3号については、国鉄時代の間は1977年10月1日改正時の編成のままで推移した。
1986年11月1日以降の編成図
あさかぜ 1・4号
← 博多
東京 →
号車   1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
座席
種別
EG/C B B B B4 A1 B D B B B B B B B
客車
形式
カニ24
100番台
オハネフ
100番台
オハネ25 オハネ25 オハネ24
700番台
オロネ25
700番台
オシ24 オハネ25 オハネフ25 オハネ25 オハネ25 オハネ25 オハネ25 オハネ25 オハネフ25
記号凡例
  • なお、食堂車「オシ24形」は1986年昭和61年)12月中旬より改造。「オハネ24形700番台」となる。


JR化以降の編成[編集]

1987年(昭和62年) 国鉄分割民営化
これに際して、JR東日本受け持ちの「あさかぜ」1・4号にグレードアップが施される。この際、塗色を変更。全車両金帯化。
1987年3月14日以降の編成図
あさかぜ 1・4号
← 博多
東京 →
号車 EG/C 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
座席
種別
B B B B4 A1 B2 D B B B B B B B
客車
形式
カニ24
100番台
オハネフ
100番台
オハネ25 オハネ25 オハネ24
700番台
オロネ25
700番台
スハネ25
700番台
オシ24
700番台
オハネフ25 オハネ25 オハネ25 オハネ25 オハネ25 オハネ25 オハネフ25
記号凡例


1990年(平成2年)
JR西日本受け持ちの「あさかぜ」3・2号についても、アップグレードを行う。
PJRPJRNC
「あさかぜ」3・2号・「瀬戸」グレードアップ編成
東京 →
スハ25形連結編成
編成 基本編成 付属編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
座席種別 CB B A1 LEG B B B B B B B B B
客車形式 オハネフ25
300番台
オハネ
25
オロネ25
300番台
スハ25
300番台
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
オハネフ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
スハ25形非連結編成
編成 基本編成 付属編成
号車 EGC 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
座席種別 B B A1 L B B B B B B B B B
客車形式 カニ24
100番台
オハネフ
25
オハネ
25
オロネ25
300番台
オハ25
300番台
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
オハネフ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
座席種別記号凡例
A1=A寝台「シングルデラックス」
B=開放式B寝台
L=ラウンジカーシャワー室・売店自動販売機付)
C=荷物室
EG=サービス電源発生装置
改造車についての詳細は、国鉄24系客車#「あさかぜ」3・2号、「瀬戸」用改造車を参照。
  • 運行区間
    • 「あさかぜ3・2号」:基本編成・東京駅 - 下関駅、付属編成・東京駅 - 広島駅間連結
    • 「瀬戸」:全編成・東京駅 - 高松駅間運行
  • 運用上の特色
    • スハ25形非連結編成には、スハ25をオハ25の代用として、パンタを下げた状態で使用される事があった。また、1号車のオハネフ25は車掌室が下り下関駅・高松駅方向先頭方向に向かうよう方向転換された。
    • スハ25形連結編成にはオハネフ25 300番台が登場されるまで荷物車代用で「日本海モトとレール」用のマニ50 5000番台が下り下関駅・高松駅方向先頭に連結されたことがあった。



1994年(平成6年)
「あさかぜ」1・4号廃止。「あさかぜ」下関発着1往復のみが定期列車として存続。
1994年から1998年までの編成図
PJRPJRNC
あさかぜ」「瀬戸
← 下関/高松
東京 →
スハ25形連結編成
編成 基本編成 付属編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
座席 CB B A1 LEG B B B B B B B B B
客車
形式
オハネフ25
300番台
オハネ
25
オロネ25
300番台
スハ25
300番台
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
オハネ
25
オハネフ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
スハ25形非連結編成
編成 基本編成 付属編成
号車 (電源車) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
座席 EGC B B A1 L B B B B B B B B B
客車
形式
カニ24
100番台
オハネフ
25
オハネ
25
オロネ25
300番台
オハ25
300番台
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
オハネ
25
オハネフ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
  • 「あさかぜ」は東京駅 - 下関駅間、「瀬戸」は東京駅 - 高松駅間で運転され、「あさかぜ」「瀬戸」とも付属編成は季節により連結していなかった。
  • スハ25形非連結編成には、スハ25をオハ25の代用として、パンタを下げた状態で使用される事があった  
  • 1号車のオハネフ25は方向転換された。(車掌室が下り方向)
凡例
A1=A寝台「シングルデラックス」
B=開放式B寝台
L=ラウンジカーシャワー室・売店自動販売機付)
C=荷物室
EG=サービス電源発生装置

改造車についての詳細は、国鉄24系客車#「あさかぜ」3・2号、「瀬戸」用改造車を参照。


廃止後の車両[編集]

  • 車両の50両ほどがタイに無償提供され運行している。

東京対中国地方・九州優等列車沿革[編集]

もともと「あさかぜ」の運行に際しては、それぞれ昼行列車であるが、東海道本線で運行していた特急列車である「つばめ」・「はと」と、山陽本線運行の「かもめ」の所要時間を合算した17時間30分を目安に設定したとされる。「つばめ」・「はと」は、本改正時で全区間電気機関車による牽引に改めて東京駅 - 大阪駅間を7時間30分、「かもめ」は京都駅 - 博多駅間で関門間を除き全区間蒸気機関車牽引で10時間40分で運行されていた。この17時間30分は単純に重複する京都駅 - 大阪駅間の所要時間を除いた時間であった。実際の「あさかぜ」のダイヤとしては、両特急の到達時分を合算した17時間30分から、停車時間などの短縮5分を差し引いた17時間25分というダイヤが設定された[14]

また、戦前の「富士」1944年(昭和19年)の運行末期には東京駅 - 博多駅間は20時間3分として設定されていたが、この所要時間では当時すでに22時間程度で運行されていた東京対九州急行列車群と遜色がなくなった。しかし、その運行時間が問題となった。理論上、考え得る時間帯は以下のとおりであった。

  1. 「かもめ」の設定時にすでに検討されたとされる山陽特急の東京駅乗り入れ不可の代替。つまり、「かもめ」上り方始終着駅である京都駅、または大阪駅で東京駅方面の夜行急行列車「彗星」・「明星」に接続するダイヤを1列車にまとめる。この場合、設定された時間であると深夜に東京駅を発つ形になり、東京圏での利用が期待できない。
  2. 戦前の「富士」のダイヤでは午後東京駅出発し、出発日内に大阪駅に到着。翌昼博多駅に到着するダイヤを組んでいた。この場合では22時間程度で運行していた急行列車群の内、山陽本線を夜行列車とする列車群と大差がなかった。また、東海道本線部分では当時の「つばめ」・「はと」の内どちらかを延長する形とするか、特急の続行運転の形となり、また山陽本線で夜行急行列車を追い抜く形となり、不効率となる。
  3. 夕刻に東京駅を出発。関西圏を深夜帯に通過し、翌朝博多駅に到着。しかし、この際に関西圏の扱いをどうするかという問題が生じる。

「あさかぜ」のダイヤを決定する際に上記の3案のうち第3案を採用したのは、すでに関西圏を無視してでも東京対中国・九州圏を直通する需要が認められたことや、航空機の深夜便「ムーンライト号」の存在があったためとされている。しかし、関西圏を深夜に通過させる案は大阪鉄道局からの強い反発を招いた。これに対する推進派の西部総支配人篠原武司は、九州側ダイヤを「あさかぜ」運行を前提で組んで承認を受けた後「大阪が反対するのなら、大阪駅は通さず同駅北を通る北方貨物線を経由して運転させる、迷惑はかけない」と言って説得したという[15][16]

結局、関西始発の九州方面急行列車「玄海」・「天草」を同時に登場させるということで、関西側が折れる事になった。また深夜ではあるが、京都駅・大阪駅・神戸駅では客扱い停車をする事になった[注釈 8][16]

関西圏を深夜に通過するダイヤはほとんど例のない設定であったが、東京対九州間のビジネス利用に最適な時間帯設定となり、下記のような編成でありながら高い乗車率を達成するという成功を収めた。のちに、この東京対九州間の夜行特急列車群を「九州特急」と称するようになった[16]

戦後・急行列車復活[編集]

  • 1947年昭和22年)4月:東京駅 - 門司駅間に夜行急行列車5・8列車運転開始。
  • 1948年(昭和23年)7月1日:東京駅 - 広島駅間に呉線経由の臨時急行列車2003・2004列車を運転開始。
  • 1949年(昭和24年)9月15日:東京駅 - 姫路駅間を運行する夜行急行列車41・44列車運転開始。
  • 1950年(昭和25年)
    • 5月11日:急行41・44列車を呉線経由で広島駅まで運行区間を延長。同時に列車番号を22・23列車に改める。
    • 10月1日:22・23列車に宇野線宇野駅発着編成を東京駅 - 岡山駅間で連結。現在の「サンライズ瀬戸」に相当する列車となった。また、急行5・8列車の運行区間を東京駅 - 博多]間とし、列車番号37・38列車に変更する。
    • 11月8日:急行列車に列車名を与えることとなり、以下の列車に列車愛称が与えられた。
      • 東京駅 - 博多駅間を運行する急行37・38列車:「筑紫」(つくし)
      • 東京駅 - 広島駅間を運行する急行22・23列車:「安芸」(あき)
        • 「安芸」の名称については、それ以前にも広島鉄道管理局独自で「ひばり」の愛称がこの列車に付けられていたが、「鳥類の愛称は特急に付ける」ことを原則としていたため、本社の指導で変更させられた。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月1日大阪駅 - 博多駅間に1往復の臨時急行列車が運転開始。
    • 9月15日:「安芸」の宇野発着編成を分離独立、「瀬戸」とする。
  • 1952年(昭和27年)9月1日:大阪駅 - 博多駅間運行の臨時急行列車が定期列車に格上げられ、「げんかい」と命名。
  • 1953年(昭和28年)
    • 3月15日:「げんかい」、東京駅 - 大阪駅間を延長し、東京駅 - 博多駅間の列車となる。また、「筑紫」の運行区間を鹿児島本線経由東京駅 - 鹿児島駅間とする。
    • 6月20日:「げんかい」に食堂車を連結。
  • 1954年(昭和29年)10月1日:急行「阿蘇」の混雑を解消するため、同列車の東京駅 - 門司駅間で併結していた「高千穂」の併結相手を、「げんかい」に改める。
  • 1955年(昭和30年)7月1日:「げんかい」の表記を漢字書きの「玄海」に変更。
  • 1956年(昭和31年)4月1日:「玄海」に三等寝台車を連結開始。
  • 1956年(昭和31年)11月19日このときのダイヤ改正
  • 1962年(昭和37年)
    • 6月10日:同年5月12日に完成した三原駅 - 広島駅間電化に伴うダイヤ改正により、従来153系電車により東京駅 - 大阪駅を運行していた夜行急行列車「第二よど」を広島駅まで延長。東京駅 - 広島駅間運行の夜行急行列車「第二宮島」(だいにみやじま)として運転開始。
    • 10月1日:「安芸」、寝台車主体の編成となる。
  • 1964年(昭和39年)
    • 10月1日:東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、東海道本線夜行急行列車の再編を行う。それにより、以下のように変更。
      1. 「第二宮島」、昼行の「第一宮島」ともども大阪駅 - 広島駅間運行となり、運行時間も変更となる。→以下、山陽本線優等列車沿革を参照されたい。
      2. 「筑紫」、運行区間を大阪駅 - 博多駅間とし、列車名を平仮名の「つくし」とする。→以下、山陽本線優等列車沿革を参照されたい。
    • 12月:東京駅 - 下関駅間を運行する電車急行列車として「長州」(ちょうしゅう)が運転を開始する。
  • 1965年(昭和40年)10月1日:この日までに、1964年6月から始まった「あさかぜ」ほか九州特急の一等座席車以外の全車寝台化が完成[6]
  • 1966年(昭和41年)3月25日:「長州」季節列車化。 
  • 1970年(昭和45年)10月1日:東京駅 - 広島駅間を呉線経由で運行されていた寝台急行列車「安芸」を格上げ統合。「あさかぜ」3往復体制となる。

山陽新幹線全通後[編集]

国鉄分割民営化以降[編集]

急行「玄海」
(1990年 岡山駅)
  • 1990年(平成2年)ごろ:品川駅 - 博多駅間に臨時急行「玄海」を運転開始。
    • もともと臨時寝台特急「あさかぜ」81・82号であったが、当時使用していた20系車両が老朽化していたため急行に格下げとなったものである。
  • 1994年(平成6年)12月3日:このときのダイヤ改正に伴い以下のように変更。
    1. 同日付で東京駅 - 熊本駅・長崎駅間を運行していた「みずほ」が廃止となり、「さくら」が長崎駅発着編成・佐世保駅発着編成とも九州旅客鉄道JR九州の車両に共通化されたためJR東日本の車両は九州に入らなくなる。
    2. 臨時急行「玄海」廃止。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 「夜行列車に『あさかぜ』はおかしいのではないか」という疑問に対しては「朝風とともに着くのだ」と返したという。[要出典]
  2. ^ 上りは下関発25日から。『時刻表』1977年10月号編成表
  3. ^ ごくまれに門司 - 博多間では、ED75等による牽引も有った。
  4. ^ (A)は旧一等寝台車(イネ)の区分室、(B)はマロネ40形の区分室以外やマロネ41形など、冷房車の開放寝台で所謂プルマンタイプ(下段の昼間時状態が向かい合わせクロスシート)のもの、(C)は(A)(B)のどちらにも該当しないもので、マロネ29形のような開放寝台の所謂ツーリストタイプ(下段の昼間時状態がロングシート)のものや、全車4人用区分室ながら非冷房車のスロネ30形など、従前からの二等寝台車がこれにあたる。1955年の一等寝台車廃止(二等寝台車に編入)の過程で、二等寝台車の設備が形式毎に格差が生じることになったため、寝台設備毎に二等寝台(1960年7月以降は一等寝台)A・B・Cクラスとして、寝台料金に格差を付けていた。余談だが583系寝台電車の設備が「Bロネの3段化」と言われるのは、元となるプルマンタイプの開放寝台が一等寝台(ロネ)Bクラスに該当していたためである。
  5. ^ いわゆる「在来形車両」という定義は20系客車以前に設計・製造されたスハ43系客車までの車両と、20系客車と同時期に設計・製造されたがスハ43系までの車両と混用される前提で設計された10系客車および昭和初期までの木製客車に鋼体化改造を行った60系客車を指す。Wikipediaの「国鉄・JRの客車」一覧では「鋼製一般形客車」に該当する。詳細は、客車および国鉄20系客車を参照されたい。
  6. ^ ナロネ20の場合、正確には2人用区分室は1人用個室「ルーメット」2人分での販売ではなく、開放式寝台と同等の料金となった。しかし、販売上ではマルス上で販売しない「2人用個室」として取り扱われたとされる。
  7. ^ スロ54形・ナロ10形車両はいわゆる「特別二等車」であるが、特別急行列車の場合、他の列車でも「二等車」として扱われた。特別二等車を参照のこと。
  8. ^ 当時の客車列車はまだ自動ドアの時代ではなかったため、運転停車という概念は存在しなかった。京都・大阪の両駅で深夜時間帯に客扱いをしなくなったのは、手動ながら扉の一斉施錠が可能な20系客車に置き換えられてからかなり年月が経った1970年以降である。

参照元[編集]

  1. ^ ““殿様あさかぜ”体験記”. 鉄道ピクトリアル 2009年 04月号 (電気車研究会). (2009-02-21). ISBN 4910064110491. 
  2. ^ 東京駅発、消えゆくブルトレ「銀河」「富士」「はやぶさ」…利用客減、廃止の方向 - 朝日新聞 2007年11月26日
  3. ^ a b 『「あさかぜ」最終列車、1分半で完売 ツアーも人気』 - asahi.com(朝日新聞) 2005年1月27日
  4. ^ 雑誌『鉄道ファン』交友社 Vol.45 No.527 P81
  5. ^ 雑誌『鉄道ファン』交友社 Vol.45 No.527 P87
  6. ^ a b c 「鉄道ピクトリアル」399 p.70以下
  7. ^ 『鉄道ピクトリアル』アーカイブスセレクション16「国鉄の客車 1950〜1960」p51・p67・p71
  8. ^ a b c d 三宅俊彦著『列車名変遷大事典』(ネコパブリッシング 2006年 ISBN 4-7770-5182-X)によると、場合によりスハニ32形車両の代わりにスハニ36形車両も連結された。
  9. ^ 鉄道ピクトリアル』399 p.61
  10. ^ 三宅俊彦著『列車名変遷大事典』(ネコパブリッシング 2006年 ISBN 4-7770-5182-X
  11. ^ 寺本光照『国鉄在来線黄金時代の軌跡』イカロス出版刊「j train」No.32-
  12. ^ a b 関祟博諸河久著『ブルートレイン』p.108(保育社カラーブックス483 1979年 ISBN未設定書籍のため国立国会図書館NDL-OPACによる検索結果)、三宅俊彦著『列車名変遷大事典』(ネコパブリッシング 2006年 ISBN 4-7770-5182-X
  13. ^ 鉄道ピクトリアル電気車研究会 216号 p.8
  14. ^ 雑誌『鉄道ファン』交友社 Vol.45 No.527 P65
  15. ^ 『新幹線発案者の独り言』79-81ページ
  16. ^ a b c このダイヤについては阪田貞之著『列車ダイヤの話』(旧中央公論社 1964年 中公新書 ISBN未設定書籍のため国立国会図書館NDL-OPACにより検索結果)に詳しい。

参考文献[編集]

  • 『鉄道ピクトリアル』No.399 1982年1月号 <特集>ブルートレィン概史 電気車研究会
金野智「ブルートレィン前史」 P.57 - P.62
寺本光照「ブルートレィン(寝台特急列車)の変遷」 P.69 - P.81
  • 『鉄道ピクトリアル』No.216 1968年11月号 <特集>話題の中の客車
石本文昭「43・10からの客車運用と配置」P.7 - P.10

関連項目[編集]