富士 (列車)

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寝台特急「はやぶさ・富士」 2005年3月8日 東海道本線真鶴駅 - 湯河原駅間にて撮影
「富士」ヘッドマーク
大分駅に到着した「富士」
客車の最後尾とテールマーク

富士(ふじ)とは、2009年3月14日のダイヤ改正まで東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)、および九州旅客鉄道(JR九州)が東京駅 - 大分駅間を東海道本線山陽本線日豊本線経由で運行していた寝台特急列車ブルートレイン)である。なお、同日のダイヤ改正で併結する「はやぶさ」とともに廃止された[1][2][3]


なお、「富士」の愛称は1964年昭和39年)10月1日以前までは東海道本線電車特急の一員であり、また日本における列車愛称の項目にあるように戦前に制定されている「日本最古の列車愛称」でもあった。そのため、列車沿革では寝台特急以前の「富士」と、廃止直前までの運行経路である東京対日豊本線夜行列車の沿革を掲載している。

目次

[編集] 沿革

東海道本線優等列車沿革山陽本線優等列車沿革の項目も参照)

[編集] 寝台特急以前の「富士」

[編集] 戦前・日本初 特別急行1・2列車「富士」

  • 1912年明治45年)6月15日 東海道山陽本線新橋駅 - 下関駅間に、一等二等車のみで編成された日本初の特別急行列車として1・2列車が運行開始。最後尾には一等展望車を連結。
    運行当時より1・2列車の終着駅であった下関から当時日本領であった朝鮮釜山鉄道省による鉄道連絡船関釜航路が運航されており、そこから先の鉄道・航路と連絡し朝鮮、満州中国、さらにはシベリア鉄道を経由してパリフランス)、ロンドンイギリス)に至るまでの国際連絡運輸が行われていた。1・2列車はその一翼を担うことにもなるため日本の威信をかけ、当時の最高水準ともいえる設備とサービスを有していた。ソファーや書棚が置かれ、一角には貴賓・高官用の特別室を設けた展望車を連結したほか他の当時の多くの列車の食堂車が「和食堂車」であったのに対して1・2列車は高貴な「洋食堂車」を連結していたことなどがその例といえる。
  • 1914年大正3年)12月20日 東京駅の開業に伴い、1・2列車は東京方の始発・終着駅を同駅とする。
  • 1925年大正14年)9月23日 海田市駅付近の豪雨に伴う土砂崩壊により特急第1列車が脱線転覆。(山陽本線特急列車脱線事故)多数の死傷者を出したことから強度に優れる客車の鋼製化を促す契機となった。
  • 1929年昭和4年)9月15日 特別急行列車に列車愛称鉄道省公募により初めて命名。1・2列車には「富士」、1923年大正12年)7月1日から運行していた特急3・4列車に「」とした。
    この当時も1・2列車は一等・二等車のみ、そして特急3・4列車は三等車のみの編成であった。最後尾の一等展望車には同年11月からテールマークが取り付けられている。
    列車名の由来は日本を代表する山である「富士山」からとされるが、一般からの公募によって決められた。この時の公募については列車愛称の項目も参照。
    • また、同年から1930年(昭和5年)にかけ1925年の事故に鑑み「富士」用の鋼製客車が製造され、順次これまで使用されてきた木造客車を置き換える。また、このとき作られた一等展望車は「白木屋式」と呼ばれるスマートな洋式内装のものと漆塗りや金メッキ金具を用いた「桃山式」と呼ばれる豪華な装飾が施されたものの2種類が存在した。
  • 1934年昭和9年)12月1日 丹那トンネル開通に伴うダイヤ改正で、「富士」にも三等車が連結される[4]
  • 1935年(昭和10年)7月 「富士」に連結していた一等寝台車(現行ではA寝台車に相当する)マイネ37130号車シャワー室を設置。ただし同車のみ1両しか改造されなかっため、4日に1本のみであった。使用は一・二等客に限られ、使用する際は車掌から30銭の「浴券」を購入した。しかし4日に1本という運用頻度から利用が低迷し、同年10月頃には休止となっている[5]
  • 1942年昭和17年)11月15日 関門トンネル開通に伴い、「富士」は運行区間を東京駅 - 長崎駅間に拡大。また上海航路の客船が到着する日には下り列車のみ、それとの連絡を図るため港に隣接した長崎港駅を発着駅にしていた。
  • 1943年昭和18年)7月1日 それまでの特急列車を「第一種急行」、急行列車を「第二種急行」とする。「特急列車」の呼称は、制度上はここで消滅している。
  • 1943年昭和18年)10月1日 運転区間を、東京駅 - 博多駅間に縮小。
  • 1944年昭和19年)4月1日 太平洋戦争の激化により運行中止。

[編集] 戦後・「富士」の変遷

戦後、「富士」の列車愛称は戦前に日本を代表する列車名称であったことから「それにふさわしい列車が出るまでは」と使用に慎重な姿勢が続いた。結局、1961年10月のダイヤ改正で列車の増発により東海道本線の電車特急に使用されたが「機会を逸した」との意見も少なからずあったとされる。

「機会を逸した」とは、例えば「九州特急」の仮称があった「あさかぜ」の設定時に「富士」の名称を用いることが検討されたが採用されず、「ビジネス特急」の仮称があった「こだま」の名称公募の際も"「富士」は将来別途使用の計画がある"という理由で温存され投票対象から除外された。
しかし、1950年(昭和25年)頃には新宿駅 - 河口湖駅間で運行された行楽臨時列車に一時「富士」の名称を使用したとされる。これについては、「ホリデー快速河口湖」も参照されたい。
  • 1961年(昭和36年)10月1日 東京駅 - 神戸駅宇野駅間の151系電車特別急行列車に「富士」と命名。「つばめ」、「はと」、「こだま」と並び東海道本線の昼行特急列車群の一翼を担う。
    設定当時、「四国特急」の仮称があったとされる東京駅 - 宇野駅間を運行した「(下り)第1富士」、「(上り)第2富士」は当時夜行急行列車だった「瀬戸」と同じく四国連絡列車の1つとなり、その折り返し運用として大阪駅 - 宇野駅間を運行する特急「うずしお」が設定された。しかし、東京駅 - 神戸駅間を運行した「(下り)第2富士」、「(上り)第1富士」はそれまでの「(下り)第2こだま」、「(上り)第1こだま」を名称変更する形となった。
    なお、東京駅 - 宇野駅間の765.7kmは当時の昼行電車特急列車運行区間としては最長であった。また、「富士」で号数がつく唯一の例となった。しかし、翌1962年(昭和37年)6月10日で「(下り)第1つばめ」、「(上り)第2つばめ」が広島駅へ延伸されたのに伴い「(下り)第1富士」、「(上り)第2富士」の持っていた最長記録は同列車の894.2kmに更新された。
  • 1964年(昭和39年)4月24日 東海道本線草薙 - 静岡駅(当時)間を運転中の「(下り)第1富士」が踏切を横断中のダンプカーと衝突。この事故で大破した一等特別席"パーラーカー"「クロ151-7」は廃車となった。詳細はクロ151-7脱線大破事故を参照。
  • 1964年9月30日 翌10月1日に控えた東海道新幹線開業により東海道本線の電車特急は新幹線列車へ移行し、全廃されることとなった。このため、昼行列車としての「富士」は廃止。「富士」の愛称は下記の寝台特急に移行した。

[編集] 東京 - 日豊本線夜行列車「高千穂」、「富士」

1964年(昭和39年)10月以降、「富士」は日豊本線直通の寝台特急となりそれ以前から既に運行されていた東京 - 西鹿児島間急行列車「高千穂」の上位格の列車となった。翌1965年(昭和40年)10月1日には宮崎県へ乗り入れ、初の同県対東京直通特急となった。

なお「あさかぜ」以来、東京と九州各地を結ぶ寝台特急列車に国鉄での呼称として九州特急が知られるが「富士」はそのうち愛称を個別に与えられた最後発列車となった。

そのため、本節では同じ日豊本線を運行していた急行列車高千穂」(たかちほ)など、東京圏から日豊本線に直通した列車群についても沿革中に記す。

[編集] 東京 - 東九州連絡急行「たかちほ」→「高千穂」と周辺列車群

  • 1951年(昭和26年)11月25日 東京駅 - 都城駅間を運行する夜行急行列車として501・502列車が運行を開始する。
    東京駅 - 門司駅間は、東京駅 - 熊本駅間急行31・32列車との併結。大分県・宮崎県からは初の東京直通列車でもあった。
  • 1952年(昭和27年)11月 501・502列車に「たかちほ」と命名。同時に31・32列車には「阿蘇」(あそ)の愛称が与えられる。
  • 1954年(昭和29年)10月1日 「たかちほ」は併結列車を東京駅 - 博多駅間急行「玄海」(げんかい)に変更。同時に、半室合造車ながら二等寝台車を連結。
  • 1956年(昭和31年)11月19日 「高千穂」は併結を取りやめて全区間単独運転となり、運行距離を延長して東京駅 - 西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)間の運行とする。同時に食堂車を連結。また、列車愛称も「高千穂」と漢字表記とする。
    この時から日本最長距離を走る列車となり、全区間走破には31時間28分を要した。しかし東京・大阪から鹿児島へは到達時分の短い鹿児島本線経由が一般的であったため、同列車を全区間乗り通す客はそれほどいなかったといわれている。
  • 1961年(昭和36年)10月1日 東京駅 - 大分駅間を運行する夜行急行列車「ぶんご」が運転を開始する。また観光団体専用列車として、東京駅 - 大分駅・長崎駅間を運行する「九州観光団体専用列車」(きゅうしゅうかんこうだんたいせんようれっしゃ)が設定される。
  • 1963年(昭和38年)6月1日 寝台特急「みずほ」に20系客車を充当。同時に大分駅発着編成を連結する。
    このとき20系客車を使用するにあたり初めての二階建て列車として運用された。なお、編成図はこちらを参照されたい。

[編集] 最長九州特急「富士」と最長夜行急行「高千穂」

  • 1964年(昭和39年)10月1日 東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. 特急「みずほ」の大分駅発着編成の乗り入れを終了。代わりに東京駅 - 大分駅間を運行する寝台特急列車として「富士」の運行を新たに開始。「富士」には20系客車を使用する。
      • このとき「富士」の一部客車は下関駅増解結を行い、大分駅乗り入れ編成は従前の「みずほ」と同じく8両であった。
    2. 「ぶんご」運転を終了する。
  • 1965年(昭和40年)10月1日 このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. 特急「富士」、運行区間を日豊本線経由で西鹿児島駅まで延長。
      東京駅 - 西鹿児島駅間1,574.2kmを実に24時間以上かけて運行することから同じ区間を走る「高千穂」とならび、日本最長運転の定期旅客列車となった。なお、この日本記録は「高千穂」が1975年(昭和50年)3月10日に廃止され、「富士」が1980年(昭和55年)10月1日に運行区間を短縮して以降破られていない。
    2. 「九州観光列車」の名称を「九州第1観光号」に変更。また、大分駅発の上りのみ運行となる。
  • 1967年(昭和42年)10月1日 「九州第1観光号」の名称を行き先毎に変更し同列車の長崎駅編成に「五島」(ごとう)、大分駅編成に「くにさき」の名称が与えられる。
  • 1968年(昭和43年)10月1日 このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. 「高千穂」は、鹿児島本線経由の急行「霧島」との併結列車となる。
      • 同時に「高千穂」の編成からは寝台車・食堂車廃止。
    2. 「くにさき」運行区間を新大阪駅・大阪駅 - 大分駅間に短縮。「べっぷ(下り)3号、(上り)2号」に名称を変更する。
  • 1970年(昭和45年)10月1日 「高千穂」に併結される鹿児島本線急行列車の名称を「桜島」(さくらじま)に変更。
  • 1972年(昭和47年)3月15日 「桜島」の食堂車の連結を終了。
  • 1975年(昭和50年)3月10日 山陽新幹線博多駅乗り入れに伴うダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. 「富士」、使用車両を24系24形客車に変更。このときの編成図はこちらを参照されたいが「はやぶさ」、「出雲」と運用上も同じとした。
    2. 急行「高千穂」、名古屋駅 - 宮崎駅間の臨時列車に格下げ。

[編集] 九州特急凋落の時代と「富士」

  • 1976年(昭和51年)10月1日 使用車両を24系25形客車に変更。「はやぶさ」、「出雲」と同時に東京発着の定期寝台特急初の2段B寝台車を投入。同時に新形の1人用個室A寝台、「オロネ25形車両」も連結される。
  • 1978年(昭和53年)2月1日 「あさかぜ1・4号」(いわゆる博多「あさかぜ」)の24系25形化に伴い食堂車の運用を捻出するため、食堂車は大分回転の付属編成となる。同様の措置は共通運用だった「はやぶさ」、「出雲」でも行われた。→当時の編成図はこちらを参照されたい。
    当時の国鉄では需要減が続いていた在来線の食堂車を新製しない方針であったため、運用が丸一日となる「富士」、「はやぶさ」の食堂車を途中駅折り返しとすることで終着駅での滞泊を無くし車両基地であった東京・品川運転所に戻る日を一日早めることで必要車両数を削減し、「あさかぜ」へ振り向けることが可能となった。
  • 1979年(昭和54年)9月25日 日豊本線全線電化により宮崎駅 - 西鹿児島駅間の牽引機であるDF50形ディーゼル機関車による牽引を廃止。ED76による牽引は終点の西鹿児島駅まで延長された。
  • 1980年(昭和55年)10月1日 このときのダイヤ改正で、利用者の減少により運行区間を宮崎駅までに短縮。これにより、日本最長距離特急の座を「はやぶさ」に譲る。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 廃止されていた九州内のヘッドマーク取り付けが復活。
  • 1984年10月19日 西明石駅を通過中の上り「富士」が脱線してホームに激突、32名が負傷する事故発生。西明石駅列車脱線事故を参照。
  • 1985年(昭和60年)3月14日 東京駅 - 下関駅間の牽引機をEF66形に変更。また、これを機に「富士」のヘッドマークを円形から戦前の「富士」同様の山型のものに変更した。
  • 1986年(昭和61年)3月3日 「富士」に4人用B個室寝台「カルテット」(オハネ24形700番台)を連結。
  • 1986年11月1日 このときのダイヤ改正に伴い「富士」の客車の受持ちを品川運転所から鹿児島運転所(基本編成)、熊本運転所(付属編成)へ変更。「はやぶさ」と共通編成となり、ロビーカーを連結開始。「カルテット」は「あさかぜ1・4号」へ変更。なお、編成図はこちらを参照されたい。

[編集] JR化以降の展開

  • 1989年(平成元年)3月11日 「富士」に1人用B個室寝台「ソロ」(オハネ25形1000番台)を連結。編成図はこちらを参照されたい。
  • 1990年(平成2年)3月10日 「富士」南宮崎駅まで運行区間を1駅延長。
  • 1991年(平成3年)3月16日 東日本旅客鉄道(JR東日本)東京車掌区が「成田エクスプレス」運行開始に伴う人員確保のため「富士」からの乗務を降り、JR九州大分車掌区(現・大分鉄道事業部大分車掌センター)が全区間を担当することになる。
  • 1993年(平成5年)3月18日 「富士」食堂車が営業を終了。
  • 1997年(平成9年)11月29日 「富士」運行区間を大分駅までに短縮。また、食堂車であったオシ24形の連結終了。最終的な24系25形のみで運行された編成図はこちらを参照されたい。

[編集] 九州特急の終焉

  • 1999年(平成11年)12月4日 寝台特急列車の系統整理により、東京駅よりJR九州管内を結ぶ寝台特急列車は「さくら・はやぶさ」と「富士」の2往復のみとなった。
PJRPJRN
1999年より2002年までの東京対九州諸都市連絡寝台特急の編成図
列車名・
運行区間
富士」・大分駅 - 東京駅
はやぶさ さくら
熊本駅 - 東京駅間 長崎駅 - 東京駅間
号車   1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
座席種別 C B B B B B L A1 B B B1 B B B B
使用車両 24系客車 14系客車
座席種別凡例
A1=1人用個室A寝台「シングルデラックス」
B1=1人用個室B寝台「ソロ」
B=開放式B寝台
L=ロビーカー
C=電源荷物車
    • 変更概要は以下の通り。
      • 「さくら」は長崎鉄道事業部長崎運輸センター所属の14系客車の6両編成、「はやぶさ」は熊本鉄道事業部熊本運輸センター所属の24系客車9両となり、東京駅 - 鳥栖駅間で「はやぶさ」・「さくら」として併結運転を行った。
      • 従来「はやぶさ」・「富士」は共通運用であったため、「富士」編成は「はやぶさ」編成の24系25形客車9両と「さくら」編成の14系客車6両を併結した15両編成となった。
      • また、編成単位での14系客車と24系客車の併結運転は史上初であり、サービス用電源はそれぞれ各編成の連結する電源車(カニ24形及びスハネフ14・15形)から供給された。なお、14系客車には非常時等に備え、併結運転対応工事が施された。
      • 6両編成となった「さくら」には、従前「はやぶさ」及び「富士」に連結されていたオハネ25形1000番台を改造し、新たにオハネ15形2000番台1人用B個室寝台車「ソロ」が連結されたが、開放型A寝台車(オロネ14形)と食堂車(オシ14形)の連結は終了した。オロネ14形、オシ14形の運用離脱により、残る14系14形はスハネフ14形のみとなり、これ以降、24系25形からの編入改造車を含む14系15形が主体の編成となった。
      • なお、「富士」・「はやぶさ」には個室A寝台「シングルデラックス」・「ロビーカー」は引き続き24系編成に連結されたが、個室B寝台「ソロ」については、オハネ25形1000番台をオハネ15形2000番台に改造の上、14系編成に移された。また、オハネ25形2両をオハネ15形1100番台に追加改造し、14系編成に組み込んだ。
    • なお、12月3日発の「富士」・「はやぶさ」・「さくら」の運行状況は以下の通りであった。
      • 「富士」・「はやぶさ」は下り列車は従前の編成で運行。但し、上りについては編成図の「はやぶさ」編成をそれぞれ単独で運行。
      • 「さくら」については車両運用の都合上、佐世保編成について下りのみ東京駅 - 門司駅間の運転とした。門司駅で分割後、大分駅へ回送し、12月4日発の上り「富士」に連結。上掲の編成での運行となった。また、上りについては、編成図の「さくら」編成を長崎・佐世保両駅より運行し、肥前山口駅で2本繋げる形で運行。


    • また、「富士」の担当車掌区がJR西日本下関乗務員センターに変更。ただし、上りの広島 → 東京間のみ広島車掌区が担当した。
  • 2002年(平成14年)3月23日 「さくら」の開放式B寝台を1両、「はやぶさ」は2両減車。「さくら」は5両編成とし「はやぶさ」は7両編成となり、「富士」は12両編成での運行となる。
単独運転時代の「富士」
  • 2005年(平成17年)3月1日 この時のダイヤ改正で「はやぶさ」に併結していた「さくら」が廃止、同時に「富士」は「はやぶさ」との併結列車となり使用車両は全車14系客車となった。これに伴い「ロビーカー」と荷物車の連結が無くなり、小荷物輸送の「ブルートレイン便」の取扱いも終了した。
    改正に先立ち、オロネ25形をオロネ15形3000番台に改造するため下りは1月12日から2月22日まで、上りは1月13日から2月23日までの間、個室A寝台「シングルデラックス」の連結を中止していた。
    また、運行変更に伴う車両回送列車は以下のような手順で行われた。
    • 2005年3月1日定刻に東京駅到着後、田町車両センターへ回送し旧「さくら・はやぶさ」、旧「富士」の14系客車を分割後、2編成併結の上、下り「富士・はやぶさ」となった。24系客車については3月2日発で品川から熊本へ2編成併結で返却回送された。3月1日着下り「富士」の24系客車については大分駅で分割後熊本へ回送された。
  • 2009年(平成21年)2月1日 - 2月28日 列車廃止間近の特需への対応策として、上り列車に限り大分駅→小倉駅間では乗車券指定席特急券でB寝台に乗車することを可能にした。[6]
  • 2009年3月13日 この日に始発駅を発車する列車をもって「富士」、「はやぶさ」ともに廃止。これにより、関門トンネルを越えて運行する定期旅客優等列車自体が運行されなくなった。

[編集] 廃止直前の運行概況

2005年3月1日ダイヤ改正に伴い、使用車両等が変更された。また、東京駅 - 門司駅間は「はやぶさ」と併結運転となっていた。

なお、列車番号は下り=1列車(いわゆる1レ)、上り=2列車(2レ)として全区間運行された。

[編集] 停車駅

廃止時点の停車駅
駅名\
運行方向
下り 上り
東京駅
品川駅 [7] [7]
横浜駅
熱海駅
沼津駅
富士駅
静岡駅
浜松駅
豊橋駅
名古屋駅
岐阜駅
米原駅 (運) (運)
京都駅
大阪駅 (運)
尼崎駅 [8] [9]
姫路駅 (運)
岡山駅 (運)
福山駅
駅名\
運行方向
下り 上り
尾道駅
広島駅
岩国駅
柳井駅
下松駅
徳山駅
防府駅
新山口駅
宇部駅
下関駅
門司駅 [10] [10]
小倉駅
行橋駅
中津駅 [11]
宇佐駅
杵築駅 (運)[12]
別府駅
大分駅
  • ●:停車。
  • ↓・↑:通過(矢印方向に運行)。
  • (運):運転停車
  • ( ):臨時停車。
  • 下りの下松駅→大分駅間では、乗車券立席特急券でB寝台に乗車が可能であった。表では、の地色部分で表記されている。

[編集] 客車編成

PJRPJRN

2005年3月15日以降の「はやぶさ」・「富士」編成図
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
喫煙・禁煙 喫煙席 禁煙席 喫煙席 禁煙席
座席種類 B A1 B1 B B B B A1 B1 B B B
形式 スハネフ14形* オロネ15形
3000番台
オハネ15形
2000番台
オハネ15形 オハネ15形 スハネフ14形* スハネフ14形* オロネ15形
3000番台
オハネ15形
2000番台
オハネ15形 オハネ15形 スハネフ14形*
下り列車 熊本駅 「はやぶさ」 東京駅 大分駅 「富士」 東京駅→
上り列車 ←大分駅 「富士」 ←熊本駅 「はやぶさ」
*スハネフ14形はスハネフ15形の場合もある。
座席種別凡例
  • A1=A寝台1人用個室寝台「シングルデラックス」
  • B1=B寝台1人用個室寝台「ソロ」
  • B=開放式B寝台

客車概要

熊本車両センターに所属する14系客車が使用された。
  • 運用的には「スハネフ14(15)形-オロネ15形3000番台-オハネ15形2000番台-オハネ15形-オハネ15形-スハネフ14(15)形」1編成を上り「はやぶさ」→下り「富士」→上り「富士」→下り「はやぶさ」とする運用を組み合わせる形で使用されていた。
  • 「富士」「はやぶさ」に使用された14系の製造時の形式は、14系14形が5両(スハネフ14形0番台)、14系15形が9両(スハネフ15形、オハネ15形0番台)、24系24形が1両(オハネフ24形を改造したスハネフ14 101)、24系25形が16両(オロネ15形3000番台、オハネ15形2000番台、オハネ15形1100番台)と20系を除く旧国鉄が設計・製造した寝台特急用客車の全形式にわたった。
  • このため、趣味的に見ると、銀帯の車両が多数派となっているが、もともと白帯であるスハネフ14形に加え、更新改造時にステンレスによる銀帯を白帯塗装に変更した15形車両も存在するため、帯の色が統一された編成となることはほとんどなかった。運行廃止直前の時点では、スハネフ14形、スハネフ15形の一部、オハネ15形1100番台が白帯、スハネフ15形の一部、オハネ15形0番台、オハネ15形2000番台、オロネ15形3000番台が銀帯となっていた。
「はやぶさ」・「富士」に使用されていた14系客車


[編集] 牽引機関車

  • なお、運転士は各旅客会社が自社区間を担当。
廃止時点での牽引機関車一覧
運行区間 使用機関車 所属会社 機関車所属部署
東京 - 下関間 EF66形電気機関車 西日本旅客鉄道(JR西日本) 下関地域鉄道部下関車両管理室
下関 - 門司間 EF81形電気機関車 JR九州 大分鉄道事業部大分車両センター
門司 - 大分間 ED76形電気機関車

[編集] 担当車掌の所属組織

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 朝日新聞 (2008-12-19). "ブルトレ、東京駅から消える 3月に富士・はやぶさ廃止". 2008-12-21 閲覧。
  2. ^ 東日本旅客鉄道(JR東日本) (2008-12-19). "2009年3月ダイヤ改正についてPDF". 2008-12-21 閲覧。
  3. ^ 東海旅客鉄道(JR東海) (2008-12-19). "平成21年3月ダイヤ改正について 別紙PDF". 2008-12-21 閲覧。
  4. ^ 同時に「櫻」にも二等車が連結された。
  5. ^ なお戦前のシャワー室休止の時期に関しては諸説あり、マイネ37130号車の項目では1938年5月とされている。
  6. ^ JR九州 (2008-12-25). "JR九州ニュースリリース". 2009-1-29 閲覧。
  7. ^ a b 品川駅の場合、大幅な遅延など不測の事態などによる停車が主体で一般的ではない。同駅止まりになるケースが殆ど。その場合、品川駅 - 小田原駅間は東海道貨物線経由での運転となり横浜駅は通らず、小田原駅に臨時停車した。
  8. ^ 尼崎駅は大阪駅の工事で北方貨物線を経由する場合に限り大阪駅の代わりに停車。
  9. ^ 尼崎駅は大阪駅の工事で北方貨物線を経由する場合に限り大阪駅の代わりに運転停車。
  10. ^ a bはやぶさ」分割・併合実施のため下り列車は26分、上り列車は17分停車。
  11. ^ 九州内では電車特急に比べ速度が劣るため、上りは中津駅で「ソニック」48号に追越されるダイヤを組んでいた。
  12. ^ 九州内では電車特急に比べ速度が劣るため、下りは杵築駅で「ソニック」9号に追越されるダイヤを組んでいた。

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