豊橋駅
| 豊橋駅* | |
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東口遠景(2011年7月23日)
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| とよはし - Toyohashi | |
| 所在地 | 愛知県豊橋市花田町字西宿 |
| 所属事業者 | ■名古屋鉄道(名鉄) |
| 電報略号 | トヨ |
| 駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
| ホーム | 2面3線(新幹線) 5面8線(在来線) |
| 乗車人員 -統計年度- |
(JR東海)26,496人/日 (名鉄)16,499人/日(降車客含まず) -2010年- |
| 開業年月日 | 1888年(明治21年)9月1日 |
| 乗入路線 4 路線 | |
| 所属路線 | ■東海道新幹線 |
| キロ程 | 293.6km(東京起点) |
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◄浜松 (36.5km)
(42.7km) 三河安城►
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| 所属路線 | ■■東海道本線 |
| キロ程 | 293.6km(東京起点) |
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◄二川 (6.9km)
(4.8km) 西小坂井►
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| 所属路線 | ■■飯田線 |
| キロ程 | 0.0km(豊橋起点) |
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(1.5km) 船町►
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| 所属路線 | ■名古屋本線 |
| キロ程 | 0.0km(豊橋起点) |
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(5.0km) 伊奈►
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| 乗換 | 新豊橋駅(豊橋鉄道渥美線) 駅前駅(豊橋鉄道東田本線) |
| 備考 | 共同使用駅(JR東海の管轄駅) JR東海:駅長配置駅(管理駅) JR東海:みどりの窓口 有 |
豊橋駅(とよはしえき)は、愛知県豊橋市花田町字西宿にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・名古屋鉄道(名鉄)の駅である。
目次 |
概要 [編集]
愛知県東部、東三河地区の中心都市・豊橋市に位置し、その中心市街地に立地する駅である[1]。隣接する駅も含めて多数の鉄道路線が伸び、加えて路面電車・路線バスなどの公共交通機関も集中しており、「東三河の交通拠点」として位置づけられている[1]。
豊橋駅はJR東海・JR貨物・名鉄の3社が運営。乗り入れる路線は、JR線は東京駅(東京都)と新大阪駅(大阪市)を結ぶ東海道新幹線、東京駅と神戸駅(神戸市)を結ぶ東海道本線、豊橋駅を起点に辰野駅(長野県)までを結ぶ飯田線、名鉄は豊橋駅を起点に名鉄岐阜駅(岐阜県)に至る名古屋本線、計4路線である。また、隣接する新豊橋駅からは三河田原駅までを結ぶ豊橋鉄道渥美線、駅前停留場からは路面電車の豊橋鉄道東田本線の2路線がそれぞれ伸びている。
このうち愛知県の中心・名古屋市へは、JR東海道新幹線・東海道本線と名鉄名古屋本線の3路線が通じる。この区間ではJR東海・名鉄の両社から各種特別企画乗車券が発売されており、激しいシェア争いが展開されている。ただし豊橋駅は両社の「共同使用駅」であり、構内を共有している。
貨物営業を担当するJR貨物は東海道本線と飯田線において第2種鉄道事業者として貨物列車を運転しているが、豊橋駅に停車する貨物列車は存在しない。ただし、コンテナ取扱駅としての機能は豊橋オフレールステーションとして残存する。
駅の開業は1888年(明治21年)。当初からの東海道本線に加え1897年(明治30年)に飯田線、1927年(昭和2年)に名鉄線が乗り入れ、1964年(昭和39年)に東海道新幹線が開通して現在の路線網ができあがった。JR2社と名鉄が運営する現在の体制になったのは1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によるものである。
沿革 [編集]
開業までの経緯 [編集]
豊橋駅は、1888年(明治21年)9月1日に開業した[2]。
東京から横浜まで、日本で最初の鉄道が開業したのが江戸時代から明治に変わって6年目の1872年(明治5年)のことである。その後1884年(明治17年)、東京と大阪を結ぶ幹線鉄道計画が決定する。当初の計画では、本州内陸部の中山道のルートが構想されていたが、2年後の1886年(明治19年)7月東海道のルートに変更され、幹線鉄道の建設が開始された。豊橋はこの東海道沿いの町であり、江戸時代は東海道の宿場町(吉田宿)、吉田藩の城下町、さらには豊川の湊町として栄えた場所である[3]。
愛知県下では1886年に知多半島で既に鉄道が開通し、西へ向かって順次延伸されていた。東海道の鉄道建設決定後、ただちに東への延伸も開始される。その第1歩として、1888年9月1日、既存路線の中間の大府駅から、静岡県の浜松駅まで線路が新たに開通した[4]。豊橋駅の開業は、この区間の開通によるものである。東京から神戸までの、現在の東海道本線にあたる鉄道が全線にわたって開通したのは翌1889年(明治22年)のことである。
開業と発展 [編集]
駅が開設されたのは、当時の町の中心から西南に約600メートル離れた場所で[5]、所在地は豊橋町ではなく渥美郡花田村西宿であった[6]。とはいえ駅の開業は、豊橋が発展する契機となった[5]。市街地の様相も駅の開設によって変化した。駅の開設により、駅前から市街地の上伝馬町まで停車場通り(後の常盤通)が建設されるが、当初駅・通りの周囲には田畑が広がり、駅前には旅館3軒・貨物を扱う運送屋1軒という状態であった[7]。しかしその後、徐々に駅周辺は新たな町の中心地として発展してくことになる[5]。なお、1906年(明治39年)に豊橋町は花田村を合併、さらに市制を施行して豊橋市となっている。
東海道本線に続いて、1897年(明治30年)7月15日に現在の飯田線にあたる、豊川駅までの路線が開通する。開通当初は豊川鉄道という私鉄が運営していた。同社は元々、宝飯郡下地町(現・豊橋市、豊川北側の地域)と豊川を結ぶ鉄道を計画していた[8]が、豊川に架橋して東海道本線豊橋駅に接続する路線とした[9]。この豊川鉄道は、当初豊橋駅を共用していたが、1899年(明治32年)に北側へ分離して吉田駅を開設している[10]。
1908年(明治41年)、市に隣接する高師村(現・豊橋市)に陸軍の第15師団が設置された[11]。師団の設置は「市制施行以来、豊橋市を最も大きく変容させた」とされる[11]が、このことは市の玄関口である豊橋駅にも影響を与えた。師団の設置を契機とする乗客や貨物の増加、それに戦時における師団の移動という観点からも駅の拡張が希求されるようになるのである[12]。1911年(明治44年)、駅の拡張工事が着工され、1916年(大正5年)に新駅舎が完成した[13]。開業時からの旧駅舎は建坪約45坪(150m²)で平屋建て・瓦葺きの建物であった[6]が、新駅舎は約145坪(480m²)の平屋建てで、屋根は石磐葺、入り口には車寄せを設けた近代的な建物となった[14]。
1920年代には、豊橋駅周辺に相次いで私鉄路線が加わる。1925年(大正14年)、市内に豊橋電気軌道(現・豊橋鉄道東田本線)の路面電車が開通し、駅前に乗り入れて駅前停留場を設置した。1927年(昭和2年)には、渥美半島の田原とを結ぶ渥美電鉄(現・豊橋鉄道渥美線)が駅前に新豊橋駅を設置する。同じ年、愛知電気鉄道豊橋線(現・名鉄名古屋本線)が全通し、豊川鉄道の吉田駅への乗り入れがなった(後述)。この吉田駅はこれに先立つ大正末期に駅舎が、階上に食堂を併設する、三角形の側壁を特徴とする鉄筋コンクリート造の建物に改築されている[15]。
同じ時期、国鉄豊橋駅にも手が加えられ、1927年に再度の駅舎改築、次いで1929年(昭和4年)には西口が新設された[16]。
愛知電気鉄道の乗り入れ [編集]
名鉄の前身にあたる愛知電気鉄道は、1927年6月1日より吉田駅に乗り入れた。
愛知電気鉄道は1912年(明治45年)に知多半島西部で路線(現・常滑線)を開通させ、1917年(大正6年)からはその起点神宮前駅(名古屋市)から東へ路線を延ばし始めた[17]。路線は1923年(大正12年)に東岡崎駅(岡崎市)へと達し、1926年(大正15年)には豊川鉄道に接続する小坂井駅(吉田駅から当時2つ目の駅)まで開通した。豊橋への乗り入れは、愛知電気鉄道が新たに単線を敷設し、既存の豊川鉄道線の単線とをあわせて両社の共用する方式をとり、伊奈信号所(現・伊奈駅)から吉田駅までの新線が1927年に開通して愛知電気鉄道は吉田駅への乗り入れを果たした[18]。当該区間の開通により、愛知電気鉄道豊橋線神宮前・吉田間は全線開通をみた。
全通なった豊橋線には高速運転をする特急列車や急行列車が新設され、その所要時間は特急63分・急行72分と同区間の国鉄東海道本線に比して4-50分速い高速運転を実施した。さらに1930年(昭和5年)からは「超特急あさひ」が1往復新設され、神宮前・吉田間を57分で結んだ。このような愛知電気鉄道の優位を前に、短期間のうちに乗客は国鉄から愛知電気鉄道に流れた[19]。
この愛知電気鉄道は1935年(昭和10年)に名鉄に合併され、豊橋線も名鉄の豊橋線となっている。
戦災と復興 [編集]
太平洋戦争中の1943年(昭和18年)、豊川鉄道の路線は国有化され、国鉄飯田線の一部となった。これに伴い吉田駅は豊橋駅に併合され[20]、吉田駅を豊川鉄道と共同使用していた名鉄も豊橋駅への乗り入れ・国鉄との共同使用へと変更された[21]。
戦争末期の1945年(昭和20年)6月19日夜、豊橋の街はアメリカ軍によって空襲される(豊橋空襲)。空襲で市街地の約90%が焼失する被害を受け[22]、豊橋駅でも機関区と配電室を除いて被災し[23]、駅舎は全焼した。東海道本線が平常運転に復するのには1週間を要し、さらに駅における一般乗降客の取り扱い再開は7月20日まで待たねばならなかった[23]。なお、飯田線は6月22日に運転を再開、名鉄線は翌23日に再開した[23]。
空襲後、駅舎は東海道本線側についてはバラックで営業を続け[24]、飯田線・名鉄線側(旧吉田駅)については戦災当時の残骸のまま使用されていた[25](コンクリート壁だけが焼け残っていた[26])が、空襲から5年後の1950年(昭和25年)に新駅舎が再建された[27]。この駅舎は、国鉄以外の企業・自治体などが駅舎の改築工事費を分担し、竣工後に一部を商業施設などに使用する「民衆駅」の第1号として有名である[28]。木造2階建て・建坪560坪(1850m²)で、1階に飲食店・理髪店・雑貨店など民間の商業施設が、2階には市民出資の百貨店が入居した[29]。同時期に、駅前広場の拡張も実施された。従来の広場面積は4,000m²であったが、これを拡張して18,600m²とした。広場には、防火用水と広場の美化を目的に噴水も設置された[30]。
戦後の展開 [編集]
1953年(昭和28年)、東海道本線の電化区間が豊橋駅を経て名古屋駅まで到達した。これにあわせて東京駅と大阪駅を結ぶ特急「はと」が豊橋駅への停車を開始した[31]。
一方、名鉄では1948年(昭和23年)、名岐線と豊橋線が一体化されて豊橋駅と新岐阜駅(岐阜県岐阜市、現・名鉄岐阜駅)を結ぶ「名古屋本線」と改称された。一体化に伴って豊橋と岐阜を結ぶ直通列車の運転が開始されている[32]。
1964年(昭和39年)10月1日、東海道新幹線が東京駅から新大阪駅までの区間で開通する。このとき、豊橋には新幹線の駅も新設された[33]。新幹線が建設された豊橋駅西口は鉄筋コンクリート造2階建ての橋上駅舎に改築された[34][28]。
新幹線の開通と、東三河地域の工業開発により乗降客数のさらなる増加が見込まれたことにより、1970年(昭和45年)、駅舎が改築された[35]。新駅舎は、地下1階・地上3階建て[35]、鉄筋コンクリート造の駅ビルとして開業した[36]。駅ビル「豊橋ステーションビル」は100余りの店舗が入居する商業施設を兼ねており、運営会社として豊橋市も出資する豊橋ステーションビル株式会社が設立された[35]。また、駅ビル建設と平行して市は駅前の整備にも着手。駅前の混雑解消と歩行者・車両の分離を図って、1976年(昭和51年)までに東口コンコースと駅前街区などを結ぶ地下道と、西口と東口を結ぶ東西連絡地下道からなる、総延長約700mの地下道が完成した[35]。
JR発足後 [編集]
1987年(昭和62年)、国鉄の分割・民営化により国鉄豊橋駅の旅客営業はJR東海に、貨物営業はJR貨物に継承された。
豊橋駅に関するJR発足後の大きな事業として、駅ビルの再度の改築が挙げられる。JR東海は会社発足当時から、1970年の建築から20数年を経て陳腐化した駅ビルのリニューアルを計画していた。豊橋市側でも東西自由通路を整備し駅周辺の活性化を図る計画があり、1990年(平成2年)にJR東海と市は駅ビルリニューアル・自由通路整備等の推進で合意、東西自由通路・橋上駅舎・東口駅前広場の整備と駅ビル増改築からなる「豊橋駅総合開発事業」が進められることになった。1994年(平成6年)に本体工事に着手、市政90周年に合わせた1996年(平成8年)、まず第1段階として自由通路と橋上駅舎が完成。第2段階として1997年(平成9年)までに商業施設とホテルからなる駅ビルが開業した[28][37]。駅ビルは既存ビルに2層増築して5階建てのビルとし、その線路側に13階建てのホテル棟を新築して延べ床面積を従来の4倍にあたる約40,000m²とした[37]。東口駅前広場の整備は1998年(平成10年)に完成。約5,000m²のペデストリアンデッキが整備され、デッキ下の1階部分にはバス・タクシー・路面電車といった公共交通機関のターミナル機能が集約された。このうち路面電車については軌道が約150m延伸され、駅に直結する形となった[38]。
続いて2004年(平成16年)から、東口南側の地域において再開発事業が開始された。駅近くにありながら東海道本線と豊橋鉄道渥美線に挟まれているため低未利用地であった(それまで駐車場として使用されていた)貨物駅・操車場跡地を再開発する事業である[39][40]。2008年(平成20年)6月低未利用地の活用と渥美線との乗り換え利便性向上を目的とした渥美線新豊橋駅の移設が完成、それに先立つ3月には新豊橋駅との乗り換え距離を短縮する南口自由連絡通路が整備された[40]。
年表 [編集]
- 1888年(明治21年)9月1日 - 官設鉄道の駅として、豊橋駅開業[2]。
- 1897年(明治30年)7月15日 - 豊川鉄道が豊川駅まで開通、同鉄道の豊橋駅開設[20]。
- 1899年(明治32年)12月11日 - 豊川鉄道の豊橋駅が吉田駅に改称[20]。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名松制定、豊橋駅を通る官設鉄道線を東海道本線と命名。
- 1916年(大正5年)7月10日 - 駅舎を改築、新駅舎使用開始[41]。
- 1925年(大正14年)7月14日 - 駅前に、豊橋電気軌道(現・豊橋鉄道東田本線)の駅前停留場が開業。
- 1927年(昭和2年)5月27日 - 駅舎を改築[16]。
- 1927年(昭和2年)6月1日 - 吉田駅に、愛知電気鉄道豊橋線が乗り入れ。
- 1927年(昭和2年)10月1日 - 駅前に、渥美電鉄(現・豊橋鉄道渥美線)の新豊橋駅が開業。
- 1929年(昭和4年)4月21日 - 西口を開設[16]。
- 1935年(昭和10年)8月1日 - 名古屋鉄道(名鉄)が愛知電気鉄道を合併。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 豊川鉄道が国有化され飯田線となる[20]。あわせて吉田駅を豊橋駅に統合[20]、豊橋駅は国有鉄道と名鉄の共同使用駅となる。
- 1945年(昭和20年)6月20日 - 空襲で駅全焼[42]。
- 1946年(昭和21年)2月1日 - 西口の営業を再開[42]。
- 1948年(昭和23年)5月16日 - 名鉄豊橋線、名古屋本線に改称。
- 1950年(昭和25年)3月14日 - 「民衆駅」の新駅舎が竣工。3月30日に国鉄総裁加賀山之雄臨席で竣工式を挙行、4月1日より駅舎開業[27]。
- 1953年(昭和28年)7月21日 - 東海道本線の浜松駅から名古屋駅まで電化。この日から特急「はと」が豊橋駅に停車を開始[31]。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 東海道新幹線開通、新幹線停車駅となる[33]。
- 1970年(昭和45年)7月1日 - 新駅舎「豊橋ステーションビル」が営業開始[35]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[2]。
- 1987年(昭和62年)3月15日 - 国鉄二俣線の廃止に伴い9・10番線ホームが廃止される。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄豊橋駅はJR東海・JR貨物が継承[2]。
- 1996年(平成8年)9月16日 - 橋上駅舎・東西自由通路の供用を開始[28]。
- 1997年(平成9年)3月9日 - 駅ビルの商業施設「カルミア」が開業[37]。
- 1997年(平成9年)6月11日 - 駅ビルのホテル「ホテルアソシア豊橋」が開業[37]。
- 1998年(平成10年)2月19日 - 駅前停留場が東口駅前広場のペデストリアンデッキ下(現在地)に設置。
- 1998年(平成10年)3月 - ペデストリアンデッキ新設など東口駅前広場の整備が完成[38]。
- 1998年(平成10年)10月3日 - JR貨物、豊橋駅を「自動車代行駅」に指定。コンテナ貨物列車の設定廃止[43]。
- 2003年(平成15年)10月1日 - 新幹線ダイヤ改正で「ひかり」停車本数増加(1日上下6本から16本へ)[44]。
- 2005年(平成17年)6月25日 - 名鉄においてトランパスが利用可能に(2012年(平成24年)2月29日をもってサービス終了[45])。
- 2006年(平成18年)11月25日 - JR東海においてICカードTOICAが利用可能に。
- 2008年(平成20年)3月11日 - 南口自由連絡通路を新設[46]。
- 2011年(平成23年)2月11日 - 名鉄においてICカードmanacaが利用可能に。
- 2012年(平成24年)4月21日 - TOICA・manaca相互利用開始。当駅構内には乗り換え用簡易改札機が設置された。
構造 [編集]
ホーム・配線 [編集]
豊橋駅のホームは、大きく分けて東側にJRの在来線(東海道本線・飯田線)と名鉄線のホームが、西側に新幹線のホームが配置されている。新幹線の駅は高架駅である例が多いが、豊橋駅は地上駅で、在来線のみならず新幹線も線路やホームがほぼ地平レベルに存在する[47]。
在来線・名鉄線 [編集]
在来線・名鉄線のホームは計5面8線[47]。ホームの形状は、片側のみに線路が接する単式ホーム(1面1線)、両側に線路が接する島式ホーム(2面4線)、そしてホームの端が同一平面で繋がった頭端式ホーム(櫛形ホーム・2面3線)が混在する[47]。ホーム番号は東側を起点に1番線から8番線まであり、頭端式ホームの3線が1・2・3番線、単式ホームの1線が4番線、島式ホームの4線が5・6・7・8番線である[47]。頭端式ホームは4番線の単式ホームの北側を切り欠いた形で、同一平面上で移動が可能である[47]。
1・2番線に飯田線の列車が、3番線に名鉄線の列車が発着し、4-8番線には東海道本線の列車が発着する[47]。ただし、使用頻度はごくわずかだが4番線も飯田線の列車が使用する[47]。ホームの使用状況を表で示すと以下のとおりである。
| 番線 | 路線名 | 方向 | 行先 |
|---|---|---|---|
| 1・2 | ■飯田線 | 下り | 豊川・飯田方面[48] |
| 3 | ■名鉄名古屋本線 | 下り | 東岡崎・名鉄名古屋方面 |
| 4 | ■東海道本線 | 下り | 岡崎・名古屋方面[49] |
| ■飯田線 | 下り | 豊川・飯田方面[48] | |
| 5 - 8 | ■東海道本線 | 下り | 岡崎・名古屋方面[49] |
| 上り | 浜松・静岡方面[50] |
8番線の西側にもう1面島式ホームがある。これはかつて豊橋駅まで直通運転していた二俣線(現・天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線、2つ東の新所原駅が起点)のホームで、直通運転をとりやめた現在では留置線に使用されるのみである[47]。このため9・10番線は欠番となっている[47]。
構内にはホームに隣接しない線路も複数存在する[47]。そのうち東海道本線の浜松寄り東側に伸びる線路は、豊橋鉄道渥美線の花田信号所に繋がる[47]。ここはかつて渥美線との間で貨車の受け渡しが行われた場所で、現在では新車搬入の際などに使用される[47]。また構内の名古屋寄り(1・2番線ホーム北側)には豊橋運輸区が設置されている[51]。
建設時の経緯から飯田線の前身・豊川鉄道と名鉄の前身・愛知電気鉄道は、豊橋駅から平井信号場までの約4kmの区間において線路を共用したが、これは両者がJR・名鉄となった現在でも残る。この共用区間では、名鉄の列車本数は1時間あたり最大6本と協定によって制限されている[47]。
新幹線 [編集]
新幹線のホームは計2面3線で、ホームの形状は単式ホーム(1面1線)および島式ホーム(1面2線)である[47]。ホーム番号は東側(在来線側)から11番線・12番線・13番線の順で、島式ホーム東側が11番線、その反対側が12番線、単式ホームが13番線である[47]。基本的に、12番線を上り列車が、13番線を下り列車が使用する[47]。11番線はダイヤが乱れた際の予備のホームで通常列車は発着せず、工事用車両の留置に供される[47]。12番線と13番線の間には上下の通過線が通る[47]。
13番線は単式ホームであるが、反対側(西側)に14番線を増設するスペースが確保されている[47]。
| 番線 | 路線名 | 方向 | 行先 |
|---|---|---|---|
| 11・12 | 上り | 新横浜・東京方面 | |
| 13 | 下り | 名古屋・新大阪方面 |
駅舎 [編集]
駅舎は東西自由通路を併設する橋上駅舎[28]であり、ホームの上空部分に設置されている。橋上の改札階とホームの移動用に階段のほか、エスカレーター・エレベーターが各ホームに設置されている[52]。改札口はJR線・名鉄線改札口と新幹線改札口の2か所で、どちらも自由通路に面する[52]。
みどりの窓口設置駅。JR東海の駅としては駅長配置駅(直営駅)であり、管理駅として二川駅を管理している[53]。
駅ビル [編集]
駅ビルは東口側にあり、橋上駅舎とあわせて整備された。地下1階・地上5階建ての建造物と、飯田線・名鉄線上空部分を含めた地上13階建ての高層棟が一体となったビルである[28]。名称は「豊橋ステーションビル」で、地下1階から地上4階までが商業施設、地上1・2階の一部と5階から13階までがホテルとして使用されている[54]。商業施設の名称は「カルミア」で豊橋ステーションビル株式会社が運営、ホテルの名称は「ホテルアソシア豊橋」で株式会社ジェイアール東海ホテルズが運営する。ビルの2階部分に駅の改札口へ通じる自由通路が通り、その自由通路から豊橋鉄道新豊橋駅へ通じる南口自由連絡通路が分かれる[55]。
配線図 [編集]
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貨物の取り扱い [編集]
豊橋オフレールステーション [編集]
豊橋オフレールステーション(略称:豊橋ORS)は、豊橋市北島町中川原(船町駅北東側)にあるJR貨物のコンテナ取扱駅である[56]。コンテナ取扱駅ながら貨物列車が発着せず、列車輸送にかえて最寄の列車発着駅までトラックによる代行輸送を行う「オフレールステーション」のひとつ[57]。豊橋ORSの場合、トラック便はは西浜松駅(浜松市)との間に1日3往復設定されている[58]。大型コンテナおよび産業廃棄物の取り扱いは豊橋ORSでは行っていない[56]。
豊橋駅はかつて貨物列車が発着していたが、1998年(平成10年)10月3日より発着のない「自動車代行駅」に変更された[43]。さらに2006年(平成18年)4月1日、トラックで代行輸送を行うコンテナ基地の名称を統一した際、ORSとなった[59]。列車の発着がないものの豊橋ORSには線路が残る。しかし、車止めが設置されており旅客駅側とは分断されている[47]。
その他 [編集]
国鉄(のちJR貨物)が展開する「物資別適合輸送」の1つにかつては飼料輸送があり、国鉄は日本飼料ターミナル株式会社を1969年(昭和44年)に設立、配合飼料の中継サイロ基地を養鶏が盛んな場所へと設置していた。この中継基地が1969年12月、豊橋駅にも新設されている。しかし、1970年代後半以降の利用の低下で基地は閉鎖され、会社そのものも1986年(昭和61年)に解散した[60]。
豊橋駅は貨車操車場の機能を持っていた時期がある。飯田線沿線の佐久間ダム建設の際、ダム建設資材輸送のための飯田線輸送力増強の一環として、豊橋駅の操車場機能が強化され、1955年(昭和30年)駅が拡張された[61]。操車場としての分類は1978年10月ダイヤ改正の時点で「地区指定組成駅」であった[62]が、1984年2月ダイヤ改正に伴うヤード集結系貨物輸送の廃止によって役目を終えた。
利用状況 [編集]
JR東海・名古屋鉄道(以下、出典の関係から「乗車人員」と「乗降客数」が混在しているため、比較の際は注意を要する)
- JR東海 - 愛知県統計年鑑によれば、2009年度の一日平均乗車人員は26,183人であった[63]。
- 名古屋鉄道 - 愛知県統計年鑑によれば 2008年度の年間の乗車人員は、のべ594万3,436人(一日平均16,283人)であった[64]。また、名古屋鉄道データBOOKによると、2009年度の一日平均乗降客数は32,990人である。名鉄の駅の中では、名鉄名古屋駅、金山駅、栄町駅、東岡崎駅、名鉄岐阜駅に次いで6番目に乗降人員が多い。
- JR貨物 - 2005年度の発送貨物は89,081トン、到着貨物は51,135トンであった。
また豊橋市統計書によれば、JR・名鉄豊橋駅の一日平均乗車人員は合計で2007年度42,241人、2008年度42,294人、2009年度40,530人、2010年度41,202人、2011年度41,382人であった。また、名鉄交通広告の公式ホームページによると、2008年度のJR・名鉄豊橋駅の一日平均乗降客数は合計88,288人であった。
愛知県統計年鑑による、近年の一日平均乗車人員推移は下表の通り。なお、名鉄の豊橋駅乗車人員は2005年度以降は、他の交通機関との連絡(乗り換え)人員を含んでいるので、2004年度以前のものと2005年度以降の数値を比較する場合は注意が必要である。
| 年度 | JR東海 | 名古屋鉄道 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1995年 | 26,633 | 19,343 | [65][66] |
| 1996年 | 26,910 | 19,148 | [67][68] |
| 1997年 | 26,574 | 18,517 | [69][70] |
| 1998年 | 25,989 | 17,945 | [71][72] |
| 1999年 | 25,355 | 17,455 | [73][74] |
| 2000年 | 25,706 | 16,773 | [75][76] |
| 2001年 | 25,610 | 16,278 | [77][78] |
| 2002年 | 20,323 | 15,657 | [79][80] |
| 2003年 | 25,218 | 15,674 | [81][82] |
| 2004年 | 25,700 | 15,528 | [83][84] |
| 2005年 | 26,342 | 17,336 | [85][86] |
| 2006年 | 26,560 | 17,091 | [87][88] |
| 2007年 | 27,045 | 16,902 | [89][90] |
| 2008年 | 27,313 | 16,886 | [91][92] |
| 2009年 | 26,138 | 16,283 | [93][94] |
| 2010年 | 26,496 | 16,499 | [95][96] |
ダイヤ [編集]
名古屋方面には、JR東海道本線・東海道新幹線と名鉄名古屋本線が競合しているため、高速・高密度化が図られている。東海道本線は、2006年10月から平日早朝は8分おきに名古屋方面への快速列車が発車し、名鉄も平日始発から7時台まですべての列車を特急列車へと改正し(2011年3月より名鉄は8時台まで拡大)、JR快速・名鉄特急共名古屋駅・名鉄名古屋駅まで最短50分弱で到達する。JR東海からは「名古屋往復きっぷ」「名古屋〜豊橋カルテットきっぷ」、名鉄からは「なごや特割2」「なごや特割30」という特別企画乗車券が発売されており、現在も激しいシェア争いが展開されている。東海道本線の運行形態は概ね普通列車2本(30分ヘッド)・快速列車4本(各種15分ヘッド)であるが、朝夕は増便される。夜間は普通列車の代わりに区間快速で運用する(この時間帯での普通列車は岐阜 - 岡崎間での運転が多く、区間快速は豊橋 - 岡崎間は各駅停車であるため)。日中の名鉄の運行形態は急行列車2本(30分ヘッド)・特急列車4本(各種13・17分ヘッド)である。
浜松方面には、東海道本線の普通列車(各駅停車および一部快速列車の直通。浜松駅まで所要時間32 - 33分程度、距離36.5km)が、概ね1時間に3本程運行されている[97]。
飯田線には、特急「伊那路」を除くと豊川駅以北へ行く普通列車(一部を除き船町駅と下地駅は通過)が概ね1時間に1~2本程、豊川駅折り返しの区間列車が概ね1時間に2本程運行されている。
東海道新幹線は、「のぞみ」は全便通過で、東京 - 名古屋・新大阪間の「ひかり」が上下ほぼ2時間毎と「こだま」が停車する(2012年3月現在)。
JR在来線の優等列車は、飯田線の特急「伊那路」(豊橋駅発着)が停車する。
駅弁 [編集]
主な駅弁は下記の通り[98]。
- 稲荷寿し
- 串づくし
- 稲荷詣で
- 壺屋浪漫
- 潮騒ちらし
- 三河路
- ヒレカツ弁当
- 花まつり弁当
- 中華幕の内
- うなぎ飯
- 手筒花火
壺屋弁当部による「稲荷寿し」が元来当駅の名物である。
駅周辺 [編集]
東口 [編集]
- 豊橋駅ビル
- 豊鉄ターミナルビルエモア
- 豊橋鉄道本社
- 豊鉄ターミナルホテル
- ココラフロント
- 豊橋商工会議所
- こども未来館
- 豊栄ビル
- 名豊ビル
- 開発ビル(元々は長崎屋だった商業ビル。現在は以下の公共施設などが入居している。)
- 豊橋市駅前窓口センター
- 豊橋市駅前文化ホール
- 愛知県県民プラザ 旅券センター
- ほの国百貨店
- 精文館書店 本店
- 松葉公園
- 豊橋駅前郵便局
- 新豊橋駅(豊橋鉄道渥美線)
- 駅前駅(豊橋鉄道東田本線)
- 愛知県道143号豊橋停車場線(駅前大通)
- 愛知県道388号大山豊橋停車場線、愛知県道393号豊橋港線、愛知県道496号白鳥豊橋線(大橋通、駅名の由来となった橋の豊橋がある)
- 広小路
- あいち情報専門学校
南口 [編集]
2008年3月11日オープン。6月5日移転開業の豊鉄渥美線新豊橋駅との接続を図るために新設された。
- 新豊橋駅ビル(1-3階)
-
フロア 施設 備考 3階 東進衛星予備校 豊橋駅前校 予備校 名鉄保険代行 豊橋営業所 保険代理店 2階 RIPPLE 豊鉄グループインフォメーションセンター・東三河地域の交流、情報発信コーナー ジェムウォッチ 時計店 glad ジュエリー・雑貨店 サンクス 新豊橋駅店 コンビニエンスストア 東海労働金庫 豊橋支店 新豊橋駅出張所 ATMのみ 1階 新豊橋駅 名鉄・豊鉄チケットセンター
西口(西駅) [編集]
西口は西駅(にしえき)という通称があり、西口のバス停も「西駅前」を名乗る。近くには、愛知県立豊橋養護学校Bコースのバス停がある。
バス路線 [編集]
豊橋駅前(東口、豊橋駅バスセンター)発着および西駅前(西口)発着に分かれている。
一般路線バス [編集]
豊橋市内をはじめ、豊川市、新城市、田原市など東三河各方面への路線がある。2013年4月1日、名鉄バス東部の路線廃止に伴い、すべて豊鉄バスの運行となった。
- 1番のりば
- 2番のりば
- 3番のりば
- 4番のりば
- ■岩田団地線 豊橋駅前 - 台町 - 大池 - 三の輪東 - 岩田団地
- ■西口線 豊橋駅前 - 台町 - 才ノ神 - 佐藤西 - 西口
- ■天伯団地線 豊橋駅前 - 台町 - つつじが丘一丁目 - 江島町 - 西幸 - 藤並 - サイエンスコア入口 - 天伯団地
- 5番のりば
- ■豊橋和田辻線 豊橋駅前 - 舟原 - 豊橋創造大学正門・創造大東 - 牛川 - 和田辻 - 和田辻東 - 嵩山・四ツ谷
- ■二川線 豊橋駅前 - 舟原 - 瓦町 - 殿田橋 - 二川駅 - シンフォニアテクノロジー - 一里山
- 6番のりば
- 7番のりば
- 西駅前のりば
高速バス [編集]
- 新宿・豊橋エクスプレス ほの国号 - 豊鉄バスと関東バスの共同運行。
- ほの国号 - 豊鉄バス単独運行。
- 植田車庫前 - 豊橋駅前 - 豊川駅東口 - 京都深草 - 京都駅八条口
隣の駅 [編集]
- 東海旅客鉄道
- ■東海道新幹線(各列車の停車駅は列車記事参照)
- ■東海道本線
- ■飯田線
- 名古屋鉄道
- ■名古屋本線
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ a b 「豊橋市中心市街地活性化基本計画」 (PDF)(豊橋市ウェブサイト)、2011年11月24日閲覧
- ^ a b c d 『停車場変遷大事典』2、p24
- ^ 『角川日本地名大辞典』23、p1780
- ^ 『停車場変遷大事典』1、p143
- ^ a b c 『豊橋市史』第三巻、pp166-167
- ^ a b 『鉄道開通』、p13
- ^ 『豊橋市史』第三巻、p825
- ^ 『豊橋市史』第三巻、p830
- ^ 『豊橋市史』第三巻、p832
- ^ 『鉄道開通』、p15
- ^ a b 『豊橋市史』第三巻、p167
- ^ 『豊橋市史』第三巻、p175
- ^ 『豊橋市史』第三巻、p176
- ^ 『鉄道開通』、p14
- ^ 『飯田線 1897~1997』、p27
- ^ a b c 『豊橋市史』第四巻、p768
- ^ 『名鉄百年史』、p74,101
- ^ 『名古屋鉄道百年史』、p141-142
- ^ 『名古屋鉄道百年史』、p143-145
- ^ a b c d e 『停車場変遷大事典』2、p97
- ^ 『名鉄百年史』、p201
- ^ 『豊橋市戦後復興誌』
- ^ a b c 『豊橋市戦災復興誌』、pp273-274
- ^ 『豊橋のチンチン電車』、p69
- ^ 『豊橋市戦災復興誌』、p275
- ^ 『豊橋のチンチン電車』、p59
- ^ a b 『豊橋市戦災復興誌』、p277
- ^ a b c d e f 『東海旅客鉄道20年史』、pp265-266
- ^ 『鉄道開通』、p18
- ^ 『豊橋市戦災復興誌』、p121,203-204,281
- ^ a b 『豊橋市戦災復興誌』、p279,442
- ^ 『名鉄百年史』、pp250-251
- ^ a b 『停車場変遷大事典』2、p59
- ^ 『鉄道開通』、p80
- ^ a b c d e 『豊橋市百年史』、pp468-471
- ^ 『鉄道開通』、p23
- ^ a b c d 『東海旅客鉄道20年史』、pp299-300
- ^ a b 『豊橋市百年史』、pp679-680
- ^ 東日ニュース、東日新聞2008年2月25日配信
- ^ a b 『豊橋市百年史』、pp880-881
- ^ 『豊橋市史』第四巻、p744
- ^ a b 『豊橋市史』第四巻、pp783-784
- ^ a b 『貨物鉄道百三十年史』中巻、p148
- ^ 『豊橋市百年史』、pp1017-1018
- ^ トランパス対応「SFパノラマカード」・「回数乗車券」の発売及び利用終了のお知らせ | 名古屋鉄道
- ^ 豊橋ステーションビル会社案内、2011年11月24日閲覧
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻、p34,36・pp6-7(配線図)
- ^ a b 豊橋駅 発駅時刻表 飯田線 (PDF)(JR東海ウェブサイト)、2011年10月5日閲覧
- ^ a b 豊橋駅 発駅時刻表 東海道線〔下〕 (PDF)(JR東海ウェブサイト)、2011年10月5日閲覧
- ^ 豊橋駅 発駅時刻表 東海道線〔上〕 (PDF)(JR東海ウェブサイト)、2011年10月5日閲覧
- ^ 『JR・私鉄全線各駅停車』5、p64
- ^ a b 豊橋駅 駅構内図(JR東海ウェブサイト)、2011年10月7日閲覧
- ^ 『東海旅客鉄道20年史』、pp732-733
- ^ 「来年3月に一部オープン 豊橋ステーションビル/愛知」、朝日新聞1996年3月6日付朝刊、愛知面
- ^ カルミア フロアガイド、2011年10月17日閲覧
- ^ a b JR貨物 エリア別サービス案内 東海支社(JR貨物ウェブサイト)、2011年10月6日閲覧
- ^ 『2011 JR貨物時刻表』、p172
- ^ 『2011 JR貨物時刻表』、p124
- ^ 「貨物駅の廃止及び呼称の統一について (PDF)」、2006年3月16日付JR貨物ニュースリリース、2011年10月6日閲覧
- ^ 『貨物鉄道百三十年史』中巻、pp432-433
- ^ 『豊橋市戦災復興誌』、p184
- ^ 『鉄道貨物輸送近代化の歩み』、p108
- ^ 愛知県統計年鑑 平成22年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成23年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成9年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成9年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成10年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成10年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成11年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成11年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成12年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成12年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成13年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成13年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成14年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成14年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成15年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成15年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成16年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成16年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成17年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成17年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成18年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成18年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成19年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成19年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成20年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成20年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成21年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成21年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成22年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成22年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成23年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成23年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成24年度刊 鉄道(JR)駅別乗車人員
- ^ 愛知県統計年鑑 平成24年度刊 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 大体の形態は2本が浜松 - 豊橋間での運転、1本は掛川行であるが、3本共浜松行であったり、1本が浜松行、もう1本が掛川行、さらにもう1本が静岡・沼津方面行というように例外も多々ある。岐阜や大垣・米原(後者は主に快速列車)からの直通や、早朝からラッシュ時にかけてと昼間の1本、夜間の2本は豊橋から静岡・沼津方面への直通列車も設定されている。
- ^ JR時刻表2010年8月号(交通新聞社刊)174ページ
参考文献 [編集]
- 石野哲(編) 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編) 『角川日本地名大辞典』23 愛知県、角川書店、1989年。ISBN 978-4-04-001230-8。
- 貨物近代化史編集委員会(編) 『鉄道貨物輸送近代化の歩み』 日本貨物鉄道、1993年。
- 川島令三 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6。
- 『豊橋のチンチン電車 夢を乗せて走る市内線の70年 写真集』 郷土出版社、1998年。ISBN 4-87670-109-1。
- 東海旅客鉄道(編) 『東海旅客鉄道20年史』 東海旅客鉄道、2007年。
- 豊橋市史編集委員会(編) 『豊橋市史』第三巻近代編、豊橋市、1983年。
- 豊橋市史編集委員会(編) 『豊橋市史』第四巻現代編、豊橋市、1987年。
- 豊橋市戦災復興誌編纂委員会(編) 『豊橋市戦災復興誌』 豊橋市、1958年。
- 豊橋市百年史編集委員会(編) 『豊橋市百年史』 豊橋市、2008年。
- 豊橋市二川宿本陣資料館(編) 『鉄道開通 列車に乗って東へ西へ』 豊橋市二川宿本陣資料館、2009年。
- 名古屋鉄道広報宣伝部(編) 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年。
- 日本貨物鉄道貨物鉄道百三十年史編纂委員会(編) 『貨物鉄道百三十年史』中巻、日本貨物鉄道、2007年。
- 宮脇俊三(編) 『JR・私鉄全線各駅停車』5 東海道570駅、小学館、1992年。
- 吉川利明 『飯田線 1897〜1997』 東海日日新聞社、1997年。
外部リンク [編集]
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