銀河 (列車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
銀河
「銀河」(2000年8月 根府川駅 - 早川駅間)
「銀河」
(2000年8月 根府川駅 - 早川駅間)
運行鉄道事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
列車種別 急行列車
運転区間 東京駅 - 大阪駅
経由線区 東海道本線
使用車両
(所属区所)
24系客車宮原総合運転所
EF65形電気機関車田端運転所
運転開始日 1950年10月1日
運転終了日 2008年3月14日
備考 廃止時のデータ
使用されていた24系客車
(2006年3月 東京駅
使用されていた20系客車
(1983年8月 宮原客車区

銀河(ぎんが)とは、日本国有鉄道(国鉄)および分割民営化後は西日本旅客鉄道(JR西日本)が、東京駅 - 大阪駅間を東海道本線経由で運行していた寝台急行列車である。

目次

[編集] 概要

1949年9月に東京駅 - 神戸駅間で、これまで一等二等車のみで組成された夜行急行列車である15列車・16列車に「銀河」の名称を与えて運転を開始。列車最後尾には特急列車並みの行灯式テールマークが取り付けられた。

しかし戦前名士列車に準えた豪華な編成があだとなって利用が伸び悩み、当時まだ混雑する列車が多い中でガラガラの状態で走っていたため批判を呼ぶことになり、わずか9日後の9月24日には三等車を連結するようになりテールマークも外された。

1976年頃より運行距離(営業キロ556.4km)から特急化も考えられたが、運行区間である東京駅 - 大阪駅間では有効時間帯の問題からさほど所要時間も変わらないことから「単なる値上げ」とも取られかねず、また繁忙期に運転されていた「銀河」の臨時増発列車は座席車中心で編成されていたこともあり急行列車として存置された。

2000年代に入ってからは車両の老朽化や利用客の低迷が続き、2008年3月15日ダイヤ改正に伴い同年3月14日発(始発駅基準)の運行をもって廃止された。

[編集] 列車名の由来

列車名の由来は天体の銀河である。

この名称は東京駅 - 大阪駅間で運行されていた列車のほか、北海道ちほく高原鉄道銀河鉄道のイメージで命名された自社線の名称にちなみ、同社のふるさと銀河線で運行されていた快速列車に用いられた事例がある。

[編集] 運行概況

上下とも東海道新幹線最終列車(東京駅・新大阪駅21:20発)や飛行機よりも遅い時間(東京駅23:00発、大阪駅22:22発)に出発し、翌朝の新幹線の始発列車(東京駅→新大阪駅8:25着、品川駅→新大阪駅8:19着、新大阪駅→東京駅8:26着)に乗るよりも早い時間に寝ながら東京駅・大阪駅(大阪駅7:18着、東京駅6:42着)に到着し、近郊の目的地へも朝一番に到着可能なことや、東京大阪をB寝台利用で移動する場合、「のぞみ」の普通車指定席で移動した場合の運賃・料金の合計額とほとんど変わらないことが売りであった。

早朝に東京・大阪に到着できたため、ターミナルから距離のある場所でも朝一番から活動可能であり、東京・大阪に朝ちょうど良い時間に着くために、途中の停車時間を多めにとることなどで到着時刻を調整していた。列車番号は全区間下りが101、上りが102であった。

運転開始当初は1往復であったが、1968年10月に東京駅 - 大阪駅間で運行されていた寝台急行「明星」を統合して「銀河」は2往復になった。また、座席夜行「なにわ」廃止により、大阪駅発着の季節列車を1往復も設定されていたが、1975年に1往復を特急列車に格上げして運転区間を米子駅まで変更し、「いなば」として分離して以後は1往復体勢が続いていた。

1998年7月からは臨時の「銀河」81号・82号のダイヤを利用して、285系電車「サンライズエクスプレス」による寝台特急「サンライズゆめ」の運行を開始。しばらくは運行日を違えて併存したものの、その後は「サンライズゆめ」に変更された。

[編集] 停車駅

東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 大船駅 - 小田原駅 - 熱海駅 - 〔沼津駅〕 - 〔富士駅〕 - (静岡駅) - 〔名古屋駅〕 - (岐阜駅) - 米原駅 - 大津駅 - 京都駅 - 新大阪駅 - 大阪駅

  • ( )は下り列車のみ停車、〔 〕は上り列車のみ停車。また、大幅遅延により、品川駅止まりで運転することもあった。この場合、小田原駅から東海道貨物線を走行し、大船駅、横浜駅を通らなかった。

[編集] 使用車両・編成

最終期の編成
銀河
← 大阪
東京 →
  1 Rauchen Verboten.svg 2 Rauchen Verboten.svg 3 Rauchen Verboten.svg 4 Rauchen Verboten.svg 5 6 Rauchen Verboten.svg 7 8
EG A B B B B B B B
カニ
24形
[* 1]
オロネ
24形
[* 2]
オハネ
25形
[* 3]
オハネ
25形
オハネ
25形
オハネ
25形
オハネフ
25形
オハネ
25形
オハネフ
25形
  • 7号車・8号車が増結される場合があった。
記号凡例
A=開放式A寝台
B=開放式B寝台
EG=電源車
  1. ^ カニ24形にはまれに「トワイライトエクスプレス」塗装の車両が連結されることがあった。
  2. ^ オロネ24形は0番台または100番台を使用した。車両運用上および接客面で番台間での大きな差異はない。詳細は使用車両の項目を参照のこと。
  3. ^ オハネフ25形が使用される場合もあった。

機関車は東日本旅客鉄道(JR東日本)の田端運転所に所属するEF65形電気機関車が牽引していた。ごくまれにジョイフルトレイン「スーパーエクスプレスレインボー」の牽引指定機関車であった1118号機を使用することもあった。また、車両運用の関係で東京へ送り込むブルートレイン用の下関総合車両所運用検修センターのEF66形電気機関車全般検査前の機関車を使用したこともあった。特急ではなく急行のため、機関車にヘッドマークは装着されなかった。

客車はJR西日本の宮原総合運転所に所属する24系客車7両(繁忙期には9両)を使用していた。全車寝台車で編成され、開放式のA寝台B寝台のみを連結し、個室や、座席車は連結されていなかった。

A寝台は二段式の定員は28名で1号車に連結され、喫煙室および更衣室があった。1号車以外はすべて二段式のB寝台で、定員は32名または34名であった。車内販売は営業していなかった。

なお、廃止されるまでに使用された14系客車および廃止時に走行していた24系客車などはタイ国有鉄道からの譲渡の依頼があり、日本から輸送されて使用されている。日本からタイに送られた客車は100両を超えているといわれている[1]

[編集] 担当車掌区

全区間JR西日本大阪車掌区が担当していた。

[編集] 利用状況と競合交通機関

東京駅 - 大阪駅間という以前は夜行列車でも需要が見込めた区間や、上記の通り新幹線の走らない非有効時間帯を利用して移動できるメリットがあった。

利用者層はビジネス客が多く利用していた[2]。行楽シーズンには「ドリーム号」(「ドリーム大阪号」、「ドリーム京都号」)等の夜行高速バスを敬遠したいお年寄りや、TDLUSJに向かう小さな子供を含む家族連れも多かった。

乗車率はJR発足時の1987年は8割程度だったが[3]2000年代に入ってからは夜行列車の衰退の影響を受けゴールデンウィーク旧盆年末年始[4]など一部の期間を除けば低迷しており、2006年の平均乗車率は40%強[5]、2007年後期の乗車率は40%程度[2]であった。乗車率が低下した要因として、東海道新幹線が早朝深夜に運行されるようになったことや深夜バスの普及、ホテル宿泊料金の価格破壊といった影響があった[2]。このため減車を余儀なくされ、A寝台・B寝台とも開放式寝台のみで個室寝台がないことや、車両の老朽化も影響して季節列車(臨時列車)への格下げや廃止説もたびたび浮上した。

2008年3月中旬のダイヤ改正で『「あかつき」「なは」とともに廃止になる見込み』と一部報道機関によって報じられた後に存続を求める声があり、大船駅の東海道線下りホームには利用を促すポスターも掲出されたことがあったが、2007年12月時点の乗車率は3〜4割に落ち込んでいたこともあり[3]、結局2008年3月14日の運行をもって廃止された。

[編集] 沿革

使用されていた20系客車
(1985年頃 新大阪駅)
使用されていた14系客車
(1985年頃 大阪駅)
使用されていた20系客車
(大阪駅)
  • 1945年昭和20年)11月東京駅 - 大阪駅間に11・12列車が運転開始。
    • 戦前は海外渡航の観点から神戸駅発着となっていたが、占領下のため大阪駅発着での運転となった。
  • 1949年(昭和24年)9月15日:ダイヤ改正により東京駅 - 大阪駅間で東海道本線を経由する15・16列車(11・12列車を改称)「銀河」が運転開始。
  • 1950年(昭和25年)10月1日:ダイヤ改正で「銀河」が神戸駅まで延長。
  • 1956年(昭和31年)3月20日:「銀河」に三等寝台車を連結。
  • 1963年(昭和38年)10月:「銀河」座席緩急車を三等寝台緩急車と交換。これにより全寝台車編成となる。
  • 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業によるダイヤ改正で廃止された「彗星」のオシ16形を連結。
  • 1965年(昭和40年)
  • 1967年(昭和42年)10月1日:ダイヤ改正により「銀河」が寝台列車に復帰。
  • 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により東京駅 - 大阪駅間で運行されていた寝台急行列車明星」を統合し、「銀河」は2往復(101 - 104列車)になる。また、座席夜行「なにわ」廃止により、大阪駅発着の季節列車を1往復設定。
    • なお、従来の「銀河」はこの時点で上下とも「銀河」2号となり、「明星」は上下とも「銀河」1号となった。
  • 1972年(昭和47年)3月15日:ダイヤ改正により「銀河」2号は姫路駅発着から大阪駅発着に変更。また、上下とも「銀河」1号に東京駅 - 紀伊勝浦駅間の急行「紀伊」を併結。
  • 1975年(昭和50年)3月10日:ダイヤ改正により「紀伊」連結の「銀河」1号は、東京駅 - 京都駅間を特急に格上げ。運行区間も山陰本線米子駅まで立替え延長して「いなば」となる。同時に14系客車に置き換えた。
    • 定期「銀河」は実質1往復削減の1往復に変更、季節列車1往復は存置。多客期はさらに下り臨時1本も運行。
  • 1976年(昭和51年)2月20日:「銀河」を20系客車に置き換え。
  • 1980年(昭和55年)7月:「急行」の文字のみだったテールマークから、列車愛称とイラストが入ったテールマークに変更。客車急行列車として絵入りテールマークの復活となる。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:ダイヤ改正により、上り東京着が長年続いた朝9時台から朝6時台に変更。上り大阪発も若干早まるが、途中駅での「瀬戸」や「出雲」4号の待避はなくなる。
  • 1985年(昭和60年)3月14日:ダイヤ改正により「銀河」が20系客車から14系客車に置き換え。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:ダイヤ改正により定期「銀河」が14系客車から24系25形客車に置き換え。
  • 1991年平成3年)3月16日:ダイヤ改正により、これまでJR東日本東京車掌区が車掌乗務を担当していたが特急「成田エクスプレス」の運行開始に伴う人員確保のため、全区間でJR西日本大阪車掌区に担当を変更。
  • 1998年(平成10年)7月10日:ダイヤ改正により臨時列車「銀河」81号・82号のダイヤを利用し、285系電車「サンライズエクスプレス」による寝台特急「サンライズゆめ」が運行を開始。しばらくは運行日を違えて併存したものの、その後「サンライズゆめ」に変更された。
  • 2001年(平成13年)3月3日:ダイヤ改正により1両減車される。
  • 2008年(平成20年)3月15日:ダイヤ改正により廃止。

[編集] 登場する作品

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 芦原伸『さらばブルートレイン! 昭和鉄道紀行』 講談社 2008年 p.193
  2. ^ a b c 「銀河」:惜しまれラストラン 高度成長支えたブルトレ - 毎日新聞 2008年3月14日
  3. ^ a b 石鍋仁美 NET EYE プロの視点 寝台急行「銀河」、復活の日ウェブ魚拓) - 日本経済新聞 2008年3月19日
  4. ^ 駆け込み? 3月廃止の寝台急行「銀河」前年比32%急増 - MSN産経ニュース 2008年1月7日
  5. ^ 消え行くブルトレ…残るは7本 JRダイヤ改正 - MSN産経ニュース 2007年12月20日

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語