ムーンライトながら
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ムーンライトながらは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が東京駅 - 大垣駅間を東海道本線経由で運行している臨時夜行快速列車。
1996年(平成8年)3月16日のダイヤ改正の際、指定席の設定に伴い列車愛称が付けられた。それまで利用者の間では終着駅の名前から大垣夜行などと呼ばれていた。
なお、臨時列車化される以前は東海旅客鉄道(JR東海)所有車両で運行されていたが、臨時列車化以降はJR東日本所有車両での運行となっている。
目次 |
[編集] 運行概況
[編集] 2009年3月13日まで
373系電車9両編成(3両編成を3本連結)で、1日1往復運転されていた。夜行列車だが、臨時列車を含めて車内灯の消灯・減灯は実施しておらず、全列車全区間が禁煙であった。定期列車は上りは豊橋・浜松・熱海駅で、下りは熱海・静岡・豊橋駅で運転士が交替。また、臨時列車は上下線とも国府津(旅客扱なし)・熱海・豊橋駅で運転士が交替を行っていた。
列車番号は上り東京行きが390M、下り大垣行きが391M。
[編集] 下り
東京駅から豊橋駅までは全車両が指定席、豊橋駅から大垣駅までは全車両が自由席となった。7 - 9号車は豊橋駅発の飯田線特急「伊那路1号」に充てるため、名古屋駅で分割した。このため、下りの「ムーンライトながら」に大幅な遅れが発生した場合、豊橋駅で接続列車を用意して乗り換えを促した上で車両の切り離しを行うことがあった。なお、「伊那路3号」の車両は「ムーンライトながら」終着駅の大垣駅で切り離される。
下りの終着駅である大垣駅では、「ムーンライトながら」の到着ホームと後続列車の発着ホームが違うため青春18きっぷシーズンには、「ムーンライトながら」が到着すると、米原方面へ向かう列車の席を確保するため跨線橋に乗り継ぎ客が殺到し、駅構内が混雑した。改札前や階段には「構内10km/h以下」と乗客に向けて書かれた看板が掲げられていた。
- 停車駅(2007年3月 - 2009年3月13日発車まで)
- 東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 大船駅 - 小田原駅 - 熱海駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 豊橋駅~(以降は三河塩津駅と尾頭橋駅を除いて各駅に停車)~大垣駅
- 名古屋都市圏における始発列車でもあるので、豊橋以西では三河塩津駅と尾頭橋駅を除いて各駅に停車した。三河塩津駅と尾頭橋駅はホームの有効長が8両編成分であり、373系9両編成で組成される「ムーンライトながら」が入りきらず、また373系がドアカット機能を持たないため、通過扱いとなっていた。
[編集] 上り
大垣駅から東京駅までの全区間全車両が指定席。下りのような車両の増解結は行われなかった。名古屋駅では最後部1号車の大垣寄り乗降扉付近に新聞が積み込まれ、浜松駅まで新聞輸送の一端を担っていた。
- 停車駅
- 大垣駅 - 穂積駅 - 岐阜駅 - 尾張一宮駅 - 名古屋駅 - 金山駅 - 大府駅 - 刈谷駅 - 安城駅 - 岡崎駅 - 蒲郡駅 - 豊橋駅 - 浜松駅 - 静岡駅 - 沼津駅 - 熱海駅 - 小田原駅 - 大船駅 - 横浜駅 - 品川駅 - 東京駅
- 下りと同様に、東京駅へ到着した上り列車は静岡車両区への回送を兼ね、静岡駅行下り普通列車となった。
[編集] 臨時列車
春休み・ゴールデンウィーク・夏休み・冬休みといった多客時には、臨時列車として「ムーンライトながら91号」(下り・東京発大垣行)及び「ムーンライトながら92号」(上り・大垣発東京行)を東日本旅客鉄道(JR東日本)所有の183系・189系を使用して運行した。両列車とも全車・全区間が指定席で、定期列車と停車駅も異なるので、注意が必要であった。
2007年頃からは運行日が減少しており、春期と冬期は週末のみの運行が多く、夏季もお盆の時期までの週末を中心とし、一部の平日の運行がなくなっていた。当初、「ムーンライトながら91号」は品川始発だったが、2007年3月のダイヤ改正で定期列車と同じく東京始発となった。
1989年(平成元年)末から2003年(平成15年)5月のゴールデンウィークまでは同区間で臨時列車が運行されていた。この臨時列車は普通列車として誰でも乗車でき、利用者の間では「臨時大垣夜行」・「大垣夜行救済臨」・「垣臨」などと呼ばれた。165系モントレー色・169系三鷹色・167系・113系10両もしくは8両編成が使用されていた。停車駅は概ね「ムーンライトながら91号・92号」と同じだが、大垣行のみ品川~小田原間は各駅に停車していた。
「ムーンライトながら91号」は定期列車より1時間ほど早く大垣に到着し、「ムーンライトながら92号」は5分ほど遅れて東京に到着していた。これらの列車は、前述した臨時列車(通称:臨時大垣夜行)の置き換えとして2003年夏に運行を開始した。
なお、下記の通り臨時列車自体はそれ以前にも運行されていたが、市販の時刻表に初掲載された1989年を初出とした。
かつては4・5号車が喫煙車だったが、2007年3月21日以降は全席禁煙となった。定期列車と同じく熱海・浜松両駅で車掌が交代した。
- 停車駅(2007年3月現在)
- 下り(91号)
- 東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 小田原駅 - 熱海駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 豊橋駅 - 名古屋駅 - 尾張一宮駅 - 岐阜駅 - 穂積駅 - 大垣駅
- 上り(92号)
- 大垣駅 - 穂積駅 - 岐阜駅 - 尾張一宮駅 - 名古屋駅 - 金山駅 - 大府駅 - 刈谷駅 - 安城駅 - 岡崎駅 - 蒲郡駅 - 豊橋駅 - 浜松駅 - 静岡駅 - 沼津駅 - 熱海駅 - 小田原駅 - 横浜駅 - 品川駅 - 東京駅
- 2007年3月現在、上り列車は国府津駅で熱海駅から乗務している運転士と交代するための運転停車を行なった。
[編集] 利用状況
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ムーンライトながらの車内。車掌は車内改札をしている(2007年3月3日、上り「ムーンライトながら」で撮影)
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「ムーンライトながら」は人の流動が多い区間を走行すること、乗車券と指定席券のみで乗車できる快速列車であることから、安価な移動手段として人気がある。
なお、373系の車端部のコンパートメント席は指定席券の予約システム「マルス」では別列車扱い(指定券や主要駅の指定券券売機画面にはムンライトながら(コ)と表示される)なので、購入時に指定しなければ発券されず、多客時には通常の座席が先に満席になる場合が多かった。
指定席券の発売開始は「乗車する列車が始発駅を発車する日の1か月前の10時」であり、日付が変わった後に停車する小田原以遠から下り列車に乗車する予定で指定席券を購入する際、発売開始日を「乗車日の1か月前」と誤認していると、同日の10時に購入しようとしても既に完売となっている場合がある。また毎年8月中旬と12月下旬に東京都で開催されるコミックマーケットの開始日前夜発の上りと終了日発の下りは特に指定席券が取りにくいと言われ、発売開始してから1分も経たずに完売することが多い。
青春18きっぷの使えない時期は、ビジネスマンや、東海道新幹線の最終列車に乗り遅れた人などの利用が多く、名古屋駅で東海道新幹線に乗り継ぐ利用客も見られ、金曜日から日曜日を中心に満席になることが多々ある。また、関西-北関東の夜間移動経路としても、コスト・時間面では東京都区内-大阪市内で効かなかったJRの往復割引が使える、需要が少ないため直行の格安ツアーバスが存在しないこともあり夜行バスと同等であり、乗換の手間はあるものの途中下車が自由、定時性に優れる、状況によって追加料金で新幹線等を利用可能、などの面から利用される場合も多かった。
[編集] 2007年3月改正前まで
下り列車は途中の小田原から自由席となる車両があったため、「ムーンライトながら」の指定席券を取る場合、希望の区間が満席でも下りなら小田原まで、上りなら熱海までの指定券は残っている場合も多かった。指定券を確保する確率を増すため、鉄道ファンなどの間ではこの区間の指定券を第2希望として設定としておくという方法が知られていた他、指定券を確保できなかった乗客も一部の車両が自由席となっていた小田原駅から乗車することができたので、同駅には指定券を購入しなかった、あるいは満席で購入できなかった客の行列が、東海道線の普通列車もしくは新宿方面からの小田急小田原線の乗客を中心にできることがあった。しかし、青春18きっぷの利用可能期間には小田原から自由席となる4 - 9号車も指定席区間からの乗客で既に満席になっていたり、1駅前の国府津から乗車する客もいて、乗車しても着席できない場合がほとんどであった。
夜行利用以外に運転区間両端での始発・最終列車としての一面もあった。下りでは東京 → 小田原間に限り定期券での利用が不可能であるものの、東海道新幹線、東海道線の普通列車、小田急線からの小田原乗り換えで三島・沼津への帰宅客や、浜松・豊橋・岡崎などから名古屋方面へ向かう通勤客の利用も多かった。上りでは、朝一番に東京に到着でき、かつ各線の始発列車に接続することが可能であったことから、沼津・熱海・小田原などから羽田空港や成田空港、上野駅以北などへ向かう乗客の利用も見られた。このため、4 - 9号車は下りは小田原駅から、上りは熱海駅から自由席として利用客の便宜を図っていた。なお、成田空港へは沼津・小田原から直行バスも運行されている。
また、上り列車は全区間において定期券での乗車が可能であるため、岐阜・名古屋・金山 → 岡崎・蒲郡・豊橋・浜松間で同列車をホームライナーや最終電車の代わりとして愛用するサラリーマンも多かった。
2007年3月18日のダイヤ改正前日の17日発は形式上定期列車は運休となり、臨時扱いで上りは「ムーンライトながら70号」、下りは「ムーンライトながら71号」として運転された。使用車両は定期列車と同じ。これらの発車時刻は改正前のままで、深夜日付が変わる頃に改正後のダイヤになった。そのため、70号は富士駅、川崎駅、新橋駅を通過したが、71号は平塚駅、国府津駅、および新設の野田新町駅にも停車した。
[編集] 2007年3月改正から2009年3月改正まで
2007年3月18日のダイヤ改正により、9両編成の全車指定席区間が下りは東京~豊橋間(豊橋~大垣間は全車自由席)に、上りは大垣~東京間の全線に拡大したことから、このダイヤ改正以降は事実上、首都圏~中京圏の移動の際は指定券なしに「ムーンライトながら」へ乗車できなくなった。併せて9両編成全車が全区間禁煙車となった。また、臨時快速「ムーンライトながら91・92号」は下りの91号の始発が品川駅から東京駅に変更され、下り・上り共に大船駅が通過となった。
東京駅では下りの発車時刻が33分繰り上がり(23時43分発が23時10分発に)、上りの到着時刻が23分繰り下がった(4時42分着が5時05分着)。これにより東京駅側での滞在時間が約19時間から約18時間に減り、東北・上越新幹線の一部の最終列車からの連絡が事実上不可能となった。
また、常磐線についても接続する列車が上りは早く(ただし佐和以北については変化なし)、下りは遅くなった。そのため普通列車(中距離列車)に限ると、初電が上野駅5時10分発のため本列車からの乗り継ぎは当然出来ず、次の列車まで30分以上待つこととなり、常磐線各駅への到着時間は改正前より遅くなった。その最たる例が仙台駅までの到達時間である。改正前には始発から水戸駅・いわき駅方面へ乗り継いで北を目指す場合、正午前後には仙台駅へ到着出来たのだが、改正以後の到着時間は14時近くとなった。なお、上野駅着の上り普通列車に大幅な遅延が生じた場合、本列車が通常通り発車した場合でも先の駅(主に小田原駅)で後発の東海道線普通列車からの接続待ちを行うこともある。
東北本線についても始発列車が常磐線と同じく上野駅5時10分発のため本列車からの乗り継ぎは出来なくなったが、逆に北を目指す場合は改正前の郡山駅または福島駅での所謂「待ちぼうけ」が無くなったため、仙台駅へは改正前と同じく正午前後に到着出来る。但し、東北本線各駅への到着時間も常磐線と同じく改正前より遅くなった。
定期列車については下りが平塚駅と国府津駅、上りは富士駅、川崎駅、新橋駅が新たに通過駅となり、下りは同日から開業する野田新町駅が新たに停車駅となった。
ダイヤがスライドした影響で、いわゆる「日付の変わる駅」も変更になった。「ムーンライトながら」・「ムーンライトながら91号/92号」を日付を跨いで利用する場合、「日付が変わる最初の停車駅(日付の変わる駅)」までは普通乗車券もしくは出発日付の青春18きっぷが必要だったが、その「日付が変わる駅」は下り列車では横浜駅から小田原駅に、上り列車では定期列車は大府駅、92号は刈谷駅となった。
JR東海管内では定期券+指定券で乗車できるが、熱海以東のJR東日本管内では不可。
2009年3月13日東京駅・大垣駅双方発の列車をもって、定期列車としての運行を終了した。但し、最終日の下り列車は臨時列車9391Mとして静岡駅以西で時刻を変更して運行した。概要としては、岡崎駅から大垣駅までは、改正後に代替として設定される普通列車に約5分先行する形となり、3月14日に開業する南大高駅には停車しなかった。
[編集] 2009年3月改正以降
豊橋駅には上り、小田原駅には下りのみの停車となるなど、停車駅が「ムーンライトながら91号/92号」よりも少なくなった。上り列車が0時を過ぎて最初に停車する駅はダイヤ改正前の刈谷駅から豊橋駅に変わった(下り列車は改正前と変わらず小田原駅)。
- 2009年3月14日以降の停車駅
- 下り
- 東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 小田原駅 - 沼津駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 名古屋駅 - 岐阜駅 - 大垣駅
- 東京駅の発車時間は改正前の定期列車と同じ23時10分だが、大垣駅の到着時間は改正前の「ムーンライトながら91号」と同じ5時55分(改正前の定期列車より約1時間早い)となり、停車駅は「91号」よりも少なくなった。
- 上り
- 大垣駅 - 岐阜駅 - 名古屋駅 - 豊橋駅 - 浜松駅 - 静岡駅 - 沼津駅 - 横浜駅 - 品川駅 - 東京駅
- 東京駅の到着時間は改正前の定期列車と同じ5時5分だが、大垣駅の発車時間は改正前の「ムーンライトながら92号」より早い22時48分となり所要時間が増えたにもかかわらず停車駅は削減されている。
[編集] 車両運用
臨時列車化された現在は、JR東日本・田町車両センターの183・189系10両編成(H101・H102)が主に使用される。いわゆる国鉄時代の特急形車両で、現在は団体列車や臨時列車などに使用されている。
[編集] 愛称の由来
「東海 (列車)」も参照
「ながら」とは、東海道線西岐阜駅 - 穂積駅間(岐阜県)で渡る「長良川」にちなんでいる。そこに以前からJR各社が夜行快速列車名に採用している「ムーンライト」を加えたものである。それまで新宿駅 - 村上駅間に運行されいた夜行快速列車「ムーンライト」号は、「ムーンライトえちご号」に改称した。
373系電車には長良川名物「鵜飼い」を図案化したヘッドマークが用意されていた。臨時列車化した現在は「快速」表示のみとなっている。
過去、東京駅 - 大垣駅間を走る臨時準急列車に「ながら」という愛称名があった。名古屋駅 - 大垣駅間を走る「ホームライナーながら」という列車もあった。
[編集] 東海道本線夜行普通列車沿革
[編集] 戦前
1889年(明治22年)7月に東海道本線新橋駅~神戸駅間が開業した。この時下記の時刻で設定された1往復の夜行列車が東海道本線夜行列車の起源といえる。しかし、当時の列車は特に夜行を意識していたものではなく、列車の速度が遅いため、東海道本線全線を走ろうとすると、夜間帯にも走行しなければならないという理由で運転されていたと考えられる。
- 新橋1645→名古屋440・500→大阪1140・1145→神戸1250
- 神戸1730→大阪1830・1836→名古屋104・109→新橋1340
大正~昭和初期になると東海道本線には1日5~7往復の夜行普通列車が設定(東京~名古屋間または名古屋~大阪間が夜行になっていた)される。東京駅から大阪駅の他、参宮線の鳥羽駅、山陽本線の姫路駅・岡山駅・下関駅までを結ぶ列車が現れ、設備の面では食堂車や寝台車を連結された列車も存在するなど、黄金期を迎えた。1934年(昭和9年)12月の丹那トンネル開通に伴うダイヤ改正時の概況を示すと、下記の通りになる。
- 下り
- (717)名古屋2310→大阪455・500(姫路着650)
- (23)東京1530→名古屋2351・2347→大阪524・529(下関着1930)
- (35)東京1930→名古屋242・248→大阪627・632(岡山1033着)
- (241)東京2230→名古屋604・609(鳥羽着930) ※二等寝台車連結
- (37)東京2320→名古屋754・800→大阪1145 ※二等寝台車・食堂車連結
- (39)東京2340→名古屋825・831→大阪1311
- 上り
- (34)大阪1535→名古屋2016・2022→東京500
- (36)大阪1623→名古屋2109・2115→東京525 ※二等寝台車・食堂車連結
- (22)(下関発500)大阪1750・1757→名古屋2149・2155→東京600
- (242)(鳥羽発1848)名古屋2208・2212→東京625 ※二等寝台車連結
- (38)大阪1847→名古屋2352・2357→東京1010
- (40)大阪2320→名古屋401・407→東京1305
- (42)(岡山発2000)大阪2350・2355→名古屋530・536→東京1425
1942年(昭和17年)11月に関門トンネルが開通し、下りでは東京駅~長崎駅・久留米駅間、上りに至っては鹿児島駅~東京駅間を直通運転する列車(34列車・当時1493.1km・所要41時間25分、時刻は下記)も設定された。東京と九州を結ぶ普通列車が他にも何本か設定されるなど、運行区間と本数においては最も充実した時代といえた。しかし、その後は太平洋戦争の戦況が悪化し、軍需用貨物列車増発のため旅客列車が削減されていくようになり、1944年4月には寝台車の連結も廃止される(食堂車の消滅時期は不明)。
- (34)鹿児島2100→博多704・730→広島1537・1542→大阪011・020→名古屋533・541→東京1425
終戦時、東海道本線には下り6本、上り7本の夜行列車が設定されていた。但し、特急・急行列車削減の代替という側面(この当時、特急列車は全廃、急行列車は他の線区含めて、東京~下関間の1往復のみとなっていた。)もある。また、設定はされていても、実際は空襲による路線・車両の被害などで運転されなかった列車も多いという。
[編集] 戦後
戦後は終戦時以上に受難の時代を迎える。特に1945年(昭和20年)秋~1948年(昭和23年)は車両や設備の荒廃、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による車両の接取(連合軍専用列車も参照)、労働者不足などが原因の燃料の石炭不足などで列車が削減され、時刻表に掲載された通りに列車を運転できない事態も多く発生した。
特に1947年(昭和22年)初頭には冬の石炭不足で列車が大幅に削減され、急行列車が全廃されてすべて普通列車になり、東海道本線の夜行列車は東京駅~門司駅間の1往復、東京駅~沼津駅間の下り臨時列車1本(夜行といえるか否かは微妙な時刻)、そして上りの名古屋駅~東京駅間1本のみとなった。
1947年(昭和22年)6月には、復員・引揚列車を兼ねた列車(列車番号8000番台。普段は一般旅客列車として運転するが、復員・引揚客のある時は一般旅客の乗車制限を行う列車。)が登場する。この列車の混雑は激しく、座るためには列車の発車の相当前から始発駅で並ぶ必要があった。しかし、切符が販売制限されていたということもあり、座れるかどうかより列車に乗れるかどうかの方が問題だったといわれている。
- 下り
- (8015)東京1455→名古屋2336・2345→大阪523(復員)
- (8017)東京2240→名古屋746・754→大阪1306・1325→広島2324・2340→早岐1341(復員)
- (847)東京020→沼津307
- 上り
- (714)名古屋2032→東京525
- (8012)南風崎1612→広島520・530→大阪1502・1535→名古屋2115・2125→東京555(復員)
- (8014)南風崎100→広島940・955→大阪1750・1805→名古屋2220・2230→東京628(不定期復員)
- (8016)大阪2258→名古屋400・410→東京1304
世情が落ち着くのに応じて輸送力も回復していくが、戦後は急行・準急列車の増発が中心となり、長距離普通列車はそれほど増発されなくなった。その中で1956年11月には東海道本線の全線電化が完成し、この時のダイヤ改正で夜行普通列車は下り4本・上り3本(東京駅~門司駅・大阪駅間)に増発、戦後の最盛期を迎える。
- 下り
- (111)東京1420→名古屋2304・2330→大阪510・535(門司着2202)
- (129)東京2150→名古屋529・540→大阪1027
- (131)東京2335→名古屋721・730→大阪1229
- (421)東京2340→名古屋1010・1020→大阪1450
- 上り
- (130)大阪1622→名古屋2100・2110→東京455
- (132)大阪1810→名古屋2226・2235→東京540
- (112)(門司発726)大阪2257・2330→名古屋415・425→東京1253
しかし、これ以降は特急・急行列車の増発のため、徐々に削減されていく。1961年10月には大規模なダイヤ改正(通称「サンロクトオ」)により特急・急行が増発される傍らで、2往復(東京駅~姫路駅・大阪駅間)に削減される。
- 下り
- (143)東京1456→豊橋2158・2201→名古屋2338・2357→大阪450・507(姫路着652)
- (145)東京2330→豊橋458・502→名古屋630・637→大阪1047
- 上り
- (144)(姫路発1255)大阪1444・1450→名古屋1945・1954→豊橋2122・2124→東京456
- (146)大阪2350→名古屋411・432→豊橋619・629→東京1327
1967年10月には、東京駅~大阪駅間の1往復(下りは東京~名古屋間、上りは大阪~名古屋間が夜行運転)と豊橋駅~東京駅間の上り列車1本のみとなる。しかし、東海道新幹線が開業した後であっても利用客は多く、特に繁忙期には数時間並ばなければ座れないことも多かったといわれる。
- 下り
- (143)東京2330→豊橋458・504→名古屋633・642→大垣735・736→大阪1058
- 上り
- (144)大阪2350→大垣327・327→名古屋428・447→豊橋635・641→東京1345
- (350M)豊橋2201→東京440
[編集] 大垣夜行時代
前述の夜行普通列車は、東海道本線の普通列車で唯一の客車列車となっていたことから、合理化のため1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正(「ヨンサントオ」)において廃止することが決定していた。しかし、そのことが新聞などで発表されると廃止反対の要望書が国鉄本社などに多く寄せられ、当時の国鉄総裁・石田礼助が「この夜行列車を存続させるべきである」と判断したこと、またこの列車には荷物・郵便輸送の役割もあった事情などから、急行形電車を使用して存続することになった。
電車化に際し、運転区間が大垣駅までに短縮され、一般に大垣夜行と呼ばれることとなる。実際には下り列車のみ、翌1969年10月まで、大垣から分岐する東海道線支線の美濃赤坂駅行だったが、枝線の終着駅行きでは一般利用者に行き先がわかりにくく、すぐ大垣止まりに変更となった。
大垣発着となったのは、ここに車両基地の大垣電車区があり、運用上好都合なためである。なお、上りは前述の豊橋駅~東京駅間の列車を大垣発に延長した格好となった。この列車の人気は高く、特に青春18きっぷの販売が開始されると、その利用可能期間となる夏・冬・春の繁忙期にはラッシュ時の通勤列車並みもしくはそれ以上に混雑する列車となった。
- 下り
- (143M)東京2330→豊橋440・446→名古屋622・629→大垣659・705(美濃赤坂着727)
- 上り
- (144M)大垣2032→名古屋2116・2118→豊橋2237・2238→東京435
- 特に下りは「大垣行き(夜行)電車」なので「垣電」と呼ぶ利用者も少なからずいた。
- 電車化後しばらくの間は客車時代の番号を踏襲した143Mと144Mを名乗ったが、後に東京〜名古屋駅間運行の普通列車と同じ体系(3XXM)に変更されている。下りの場合でみると、白紙ダイヤ改正ごとに347M→345M→375Mと変化している。
- かつては、上り列車に限り清水駅(深夜1:10過ぎ)と浜松駅~静岡駅の各駅に停車していた時期もあった。
- 青春18きっぷの販売が開始される前はグリーン車から席が埋まっていたが、青春18きっぷの販売が開始されてからは普通車から席が埋まるようになり、特に下りの始発駅である東京駅では数時間前から行列が出来ていた。青春18きっぷが発売されない時期は、東京ミニ周遊券などの利用客が、格安料金でゆったり過ごせるとしてグリーン車を利用することも多かった。
- 深夜の静岡駅では1990年代まで駅弁の立ち売りがあり、長めにとっていた停車時間を利用して駅弁を購入することができた。末期は小ぶりの幕の内弁当1種類のみの販売であったが、それでも売れ残りではなくこの列車のために調製されたものであった。
- 小説では西村京太郎『大垣行345Mの殺意』とつかこうへい『青春かけおち編』に大垣夜行が登場している。
1986年11月1日に国鉄最後のダイヤ改正が実施され、荷物列車がほぼ全廃となったことから、上り列車に関してスピードアップが行われる。これにより、名古屋駅の発車時刻が新幹線の東京駅行最終「ひかり」の発車した約1時間後となり、列車の需要拡大につながった。
- 改正前
- (340M)大垣2101→名古屋2142・2144→東京439
- (ひかり170号)名古屋2141→東京2346
- 改正後
- (340M)大垣2215→名古屋2257・2259→東京442
- (ひかり288号)名古屋2202→東京2352
1987年3月末には、4月1日の分割・民営化を前に殺到した謝恩フリーきっぷの乗客に対応するため、田町電車区の167系8両による臨時列車が突発で設定された。これが「臨時大垣夜行」(現在の「ムーンライトながら91・92号」)の起源といわれている(諸説あり、詳細は不明)。この列車はその後も多客期に品川(東京)~名古屋間に設定され、1989年(平成元年)12月からは時刻表にも掲載されるようになり、平成の初め頃までは朝の通勤時対策として豊橋~名古屋間のみを運転される日もあった。なお、設定当時の「臨時大垣夜行」は近郊形の113系による運行であった。同電車を使用した列車のうち、JR東日本の車両で運行したものは自社管理区間で使用する車両を充当したことからグリーン車も連結されていた。なお、1990年(平成2年)8月の旧盆の6日間だけは定期の列車が米原駅まで延長運転された。
1994年になると、臨時大垣夜行も波動用の急行形車両を使用するようになる。当時の東京駅は東北新幹線ホーム増設工事のため東海道本線ホームが狭い仮ホームとなっており、混雑期に行列が危険な状態となってしまうため、定期・臨時ともに下り列車は品川駅始発で運転された。
[編集] ムーンライトながら
1996年3月に、前述のような混雑の解消、通勤客など短距離利用者と長距離利用者との分離、そして長距離利用者の着席確保を狙い、特急形車両である373系を使用した指定席列車となり、「ムーンライトながら」と命名された。この時に長らく連結されていたグリーン車は廃止となった。また、車両が急行形11両から特急形9両となり座席数が減少するため、お盆や年末年始など特に混雑が激しい時期のみ運行される場合が多かった臨時列車を、青春18きっぷが使用できる時期は学校の長期休業期間を中心に多くの日に運転、名古屋発着であった運転区間も大垣まで延長するようになった。
2001年夏にはJR東海所有の165系が事実上全廃されたのに伴い、一部の臨時大垣夜行が近郊形の113系10両編成で運行された。しかし、セミクロスシートで座席数が少ないことや、片側3扉で半自動扉が設置されていないことから、乗客には大変不評だったといわれている。そのため、以後は原則としてJR東海の車両は使用せず、すべてJR東日本の波動用急行形電車を使用するようになった。ただし、この頃までは最混雑時には続行で突発の臨時便が運行されたこともあり、これには急行形以外に115系や113系など近郊形電車も使用されていた。
2003年には、それまで使用していた田町電車区の167系が全廃されたため、2年ぶりにJR東海113系が運用に復帰、JR東日本は新前橋電車区の165系を使用し、1日おきに担当した。全車自由席の無愛称列車としてはこれが165系最後の運転となった。7月には、臨時大垣夜行は従来の車両持ち合いからJR東日本所有の波動輸送用の特急形車両183・189系を利用する指定席列車となり、「ムーンライトながら」の臨時増発列車として「91・92号」の名が与えられた。これは、定期列車がJR東海からJR東日本への片乗り入れの体制を取っていたことや、JR東日本の急行形車両も老朽化により廃車されたことによる。
2007年3月18日のダイヤ改正で、前述のとおり「ムーンライトながら」の運行形態が変更され、運行時間の変更、全席禁煙化の他、停車駅も削減された。
2009年3月14日のダイヤ改正で、運行は混雑時期のみ(年間約120日[1])の臨時列車となることがJR東日本およびJR東海より発表された[2][3]。また、臨時列車化により停車駅も減少し、使用される車両も373系から「ムーンライトながら91号・92号」で使用されている波動輸送用のJR東日本183系・189系に変更された。なお、「ムーンライトながら」の間合い運用で運転されていた373系電車による東京 - 静岡間の普通列車の運転は、これまで同様373系で運転されている。今回の改正で夜間に静岡駅から大垣駅まで、ホームライナーや普通列車として373系電車が送り込まれるようになった。この車両は翌朝のホームライナーや飯田線特急伊那路号に運用されている。また大垣~豊橋間の上り最終列車、岡崎~大垣間の下り始発列車としての側面もあった同列車は、313系ないし311系等を使用した普通列車に置き換えられている。
[編集] 脚注
- ^ 東京発ブルトレ終焉「はやぶさ・富士」廃止へ 産経新聞 2008年12月19日
- ^ 2009年3月ダイヤ改正についてPDF JR東日本 2008年12月19日
- ^ 平成21年3月ダイヤ改正についてPDF JR東海 2008年12月19日
[編集] 関連項目
[編集] 鉄道
[編集] 競合する夜行高速バス路線
- ドリームなごや号・レディースドリームなごや号- 東京駅 ~ 名古屋市内・名古屋駅(一部は尾張一宮駅・岐阜駅まで延長)を結ぶJRバス夜行高速バス路線。
- 青春ドリームなごや号・青春レディースドリームなごや号 - 東京駅 ~ 東名上郷・東名豊田・名古屋市内・名古屋駅を結ぶJRバス夜行高速バス路線。
- ニュードリーム名古屋号 - 新宿駅南口 ~ 春日井駅・名古屋駅を結ぶJRバス夜行高速バス路線
- パピヨン号 - 新宿駅西口 ~ 美濃・関・名鉄岐阜駅を結ぶ夜行高速バス路線
- 中央高速バス名古屋線(中央道高速バス新宿線) - 新宿駅西口 ~ 中津川・多治見・桃花台・名鉄BC(名古屋駅)間を結ぶ高速バス路線、昼行2便・夜行2便
- 知多シーガル号 - 東京駅・東名江田 ~ 知立駅・刈谷駅・知多半田駅を結ぶ高速バス路線、昼行1便・夜行1便
- ドリームとよた号 - 東京駅 ~ 岡崎駅・豊田市・瀬戸経由で名古屋駅を結ぶJRバス夜行高速バス路線
- 新宿・豊橋エクスプレス ほの国号 - 練馬駅北口・新宿駅西口 ~ 豊川駅・豊橋駅・三河田原駅を結ぶ夜行高速バス路線、上りは渋谷駅降車も可能
- ファンタジアなごや号 - 西船橋駅・TDR(東京ディズニーリゾート)・東京テレポート駅(お台場)・横浜駅YCAT ~ 名古屋市内・名古屋駅を結ぶ夜行高速バス路線
- ドリーム静岡・浜松号 - 東京駅 ~ 静岡駅・浜松駅を結ぶJRバス夜行高速バス路線。
- 京阪神ドリーム静岡号 - 静岡駅・浜松駅 ~ 京都駅・大阪駅・三ノ宮駅を結ぶJRバス夜行高速バス路線
- 静岡成田空港線 - 新静岡・静岡駅 → 成田空港行き夜行高速バス路線。夜行便は成田空港行きのみ
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