ムーンライトながら

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ムーンライトながら
ムーンライトながらに使用されている185系電車
ムーンライトながらに使用されている185系電車
運行事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
列車種別 快速列車
運行区間 東京駅 - 大垣駅
経由線区 東海道本線
使用車両
(所属区所)
185系電車
大宮総合車両センター所属)[1]
運行開始日 1996年3月16日
備考 上記は2013年冬季のデータ。

ムーンライトながらは、東京駅 - 大垣駅間を東海道本線経由で運行する夜行快速列車である。かつては定期運転されていたが、2009年平成21年)3月14日以降は臨時列車となっている。

本項では、東海道本線における夜行普通列車の沿革についても記述する。

概要[編集]

「ムーンライトながら」は1996年(平成8年)3月16日ダイヤ改正の際、それまで東京駅 - 大垣駅間で運転されていた通称大垣夜行」を代替する形で設定された。

1889年明治22年)7月に東海道本線新橋駅 - 神戸駅間が開業したことにより、同区間で運転された1往復の夜行列車が東海道本線夜行列車の起源といえるが、当時の列車は特に夜行を意識していたものではなく、列車の速度が低いため、東海道本線の全線を通して運転すると夜間帯にも走行する必要があった。以後、東海道本線を走破する普通列車は多数設定されたが、太平洋戦争以後は東海道本線の電化の進捗に伴って普通列車の電車化が進み、同時に運転系統の分割もあって長距離列車の減少が続き、東海道新幹線開業後の1968年昭和43年)にはわずか1往復となっていた。

最後まで残った1往復の夜行普通列車も、東海道本線東京駅発着の普通列車で唯一の客車列車となっていたことから、合理化のため1968年10月のダイヤ改正をもって廃止されることが決定していたが、廃止反対の要望書が日本国有鉄道(国鉄)本社などに多く寄せられたため、急行形電車を使用して存続することになり、運転区間も東京駅 - 大垣駅間に短縮され、これが後に「大垣夜行」と呼ばれることとになった。

その後も他の夜行定期普通列車が次々と廃止される中、途切れることなく運転され、国鉄がJRに移行した後も東海旅客鉄道(JR東海)に引き継がれ、夜行定期普通列車の孤塁を守っていたが、前述の1996年(平成8年)3月16日改正で373系電車に置き換えられ、全車指定席の快速「ムーンライトながら」となった。

JR以後には、「青春18きっぷ」のシーズンを中心に後述の増発列車も運行される盛況であったが、2002年(平成14年)にバス事業関係規制が緩和され、それにより低料金の高速バスなどが台頭して利用者が減少し、2009年(平成21年)3月14日からは、定期運用を廃止して青春18きっぷが使用できる夏休み冬休みを中心とした臨時列車扱いとなり、車両2013年(平成25年)8月までは、東日本旅客鉄道(JR東日本)所有車両である183系・189系(全車普通車8M2T編成)で運行されていた。その後、2013年(平成25年)12月からはJR東日本が所有する185系電車(全車普通車、4両 + 6両編成)に変更される[1]。これに伴い、4号車と5号車との間の通り抜けができなくなっている。 (臨時列車扱い前は、ホームライナーとして乗車する利用者もいた。)

愛称の由来[編集]

鵜飼いを図案化したヘッドマーク(373系)

列車愛称の「ながら」は、東海道本線西岐阜駅 - 穂積駅間(岐阜県)で渡る「長良川」にちなんでいる。そこに以前からJR各社が夜行快速列車名に採用している「ムーンライト」を冠したものである。それまで新宿駅 - 村上駅間に運行されていた夜行快速列車「ムーンライト」は、「ムーンライトえちご」に改称した。373系電車には長良川名物「鵜飼い」を図案化したヘッドマークが用意されていた。臨時列車のヘッドマークは「快速」・「臨時快速」の文字表示のみとなっている。

過去、1968年(昭和43年)9月までは東京駅 - 大垣駅間を走る臨時準急列車に「ながら」という愛称名があった。また、1996年(平成8年)3月までは名古屋駅 - 大垣駅間では「ホームライナーながら」という列車も運転されていたが、現在は「ホームライナー大垣」に名称が変更されている。

運行概況[編集]

2013年12月21日現在の編成図
ムーンライトながら
← 大垣
東京 →
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
  • 全車禁煙
  • 4号車と5号車の間は通り抜けできない。
凡例
指=普通車指定席

2009年3月14日以降[編集]

2009年(平成21年)3月14日以降の臨時列車化以降は、春休み夏休み年末年始といった青春18きっぷの利用期間を中心に運転されているが年々運転日が減少傾向にあり、特に春休み期間中の運転に関しては2009年(平成21年)の4週間から毎年1週間ずつ削減され、2012年(平成24年)に関しては僅か1週間の運転までに減少している。

運行の基本としては、2009年3月改正まで、東京駅 - 大垣駅間を運行していた「ムーンライトながら」91号・92号の運行概況が基となった。しかし、豊橋駅上りのみ、小田原駅は下りのみの停車となるなど、停車駅が91号・92号より少なくなった[2]。全車・全区間が指定席である。

なお、臨時列車化当初より、ゴールデンウィークシルバーウィーク鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷが利用出来る毎年10月14日(鉄道の日)前後の2週間においては運転されない。

停車駅[編集]

東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - (小田原駅) - 沼津駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 〔豊橋駅〕 - 名古屋駅 - 岐阜駅 - 大垣駅

臨時列車化された2009年(平成21年)3月14日時点の下り列車の東京駅発車時刻は、改正前の定期列車と同じ23時10分だが、大垣駅の到着時刻は改正前の「ムーンライトながら」91号と同じ5時55分(改正前の定期列車より約1時間早い)で、停車駅は91号よりも少なくなった。上り列車の東京駅到着時刻は、改正前の定期列車と同じ5時5分だが、大垣駅の発車時刻は改正前の「ムーンライトながら」92号より早い22時48分で、停車駅が削減されているにもかかわらず、所要時間が増えている。

使用車両・編成[編集]

2013年夏季まで使用されていた183・189系電車

2013年(平成25年)冬季からJR東日本の大宮総合車両センターに所属する185系10両編成が使用される[1]。いわゆる国鉄時代の特急形車両で、現在も特急『踊り子』・『あかぎ』やホームライナーなどに使用されている。全車両が普通車で、グリーン車は連結されていない。

臨時列車化されてから2013年(平成25年)夏季までは、JR東日本の大宮総合車両センター(元田町車両センター)に所属する183・189系10両編成 (H101, H102) が主に使用されていた。

2009年3月13日まで[編集]

下り終着の大垣駅では米原・大阪方面の普通列車に接続していた(左側・373系)。右側の車両は221系電車
沼津駅に停車中の373系・上り「ムーンライトながら」

1日1往復運転されていた。夜行列車だが、臨時列車を含めて車内灯の消灯・減灯は実施しておらず[3]、全列車全区間が禁煙であった。定期列車は上りは豊橋駅・浜松駅・熱海駅(JR2社の境界駅)で、下りは熱海駅・静岡駅・豊橋駅で運転士が交替、また、臨時列車は上下線とも国府津駅運転停車)・熱海駅・豊橋駅で運転士が交替を行っていた。

大垣駅では、「ムーンライトながら」の到着ホームと乗り継ぎ(大垣以西方面)列車の発着ホームが異なるため、青春18きっぷが有効な期間は、「ムーンライトながら」が到着すると、米原方面へ向かう列車の席を確保するため跨線橋に乗り継ぎ客が殺到し、さらにこの乗り継ぎが猛烈な勢いで駅構内を走るため、他の客との衝突などを防止するために、改札前や階段には「構内10 km/h 以下」の看板が掲げられていた。しかしながら、乗り継ぎ列車が4両編成と短い上に乗り換え時間も5分程度と少ないため、あまり効果はなかった。

列車番号は上り東京行きが390M、下り大垣行きが391Mであった。なお、東京駅へ到着した上り列車は静岡車両区への回送を兼ね、静岡駅行下り普通列車となった。

停車駅[編集]

下り(2007年3月 - 2009年3月13日発車まで)
東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 大船駅 - 小田原駅 - 熱海駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 豊橋駅 - 西小坂井駅 - 愛知御津駅 - 三河大塚駅 - 三河三谷駅 - 蒲郡駅 - 三ヶ根駅 - 幸田駅 - 岡崎駅 - 西岡崎駅 - 安城駅 - 三河安城駅 - 東刈谷駅 - 野田新町駅 - 刈谷駅 - 逢妻駅 - 大府駅 - 共和駅 - 大高駅 - 笠寺駅 -熱田駅 - 金山駅 - 名古屋駅 - 枇杷島駅 - 清洲駅 - 稲沢駅 - 尾張一宮駅 - 木曽川駅 - 岐阜駅 - 西岐阜駅 - 穂積駅 - 大垣駅
豊橋駅以西は、当列車が名古屋都市圏における始発列車を兼ねているため、三河塩津駅尾頭橋駅を除いて各駅に停車した。三河塩津駅と尾頭橋駅についてはホームの有効長が8両編成分であり、373系9両編成で組成される「ムーンライトながら」が入りきらず、また373系がドアカット機能を持たないため、通過扱いとなっていた。
東京方の後ろ寄り3両(7号車から9号車まで)は名古屋止まりであり、同駅到着時に切り離されていた。これは、切り離された3両が名古屋駅6時52分発ホームライナー豊橋2号(豊橋駅7時47分着)となり、さらに豊橋駅8時10分発伊那路1号飯田駅10時38分着)として運用されていたためである。
上り
大垣駅 - 穂積駅 - 岐阜駅 - 尾張一宮駅 - 名古屋駅 - 金山駅 - 大府駅 - 刈谷駅 - 安城駅 - 岡崎駅 - 蒲郡駅 - 豊橋駅 - 浜松駅 - 静岡駅 - 沼津駅 - 熱海駅 - 小田原駅 - 大船駅 - 横浜駅 - 品川駅 - 東京駅


旧使用車両[編集]

ムーンライトながら
← 大垣
東京 →
1 2 3 4 5 6 7 8 9
  • 全車禁煙
凡例
指=普通車指定席

JR東海の静岡車両区に所属する373系電車9両編成(3両編成を3本連結)で運転されており、1996年(平成8年)3月に「ムーンライトながら」として運転開始当初から使用されていた。373系の車端部にはコンパートメント席が設けられていた。この席を購入する場合、指定席券の予約システム「マルス」では別列車として取り扱われ、指定券や主要駅の指定券券売機画面にはムンライトながら(コ)と表示されていた。また、購入時に「コンパートメント席」などと指定しなければ発券されず、多客時で通常の座席が満席となっても、コンパートメント席が最後まで残る場合が多かった。

指定席は列車や区間により異なり、下り列車は東京駅から豊橋駅までは全車両が指定席、豊橋駅から大垣駅までは全車両が自由席となった。上り列車は大垣駅 - 東京駅間の全区間全車両が指定席であった。

前述した通り、下り列車の7 - 9号車は、豊橋駅発の飯田線特急伊那路」1号に充てるため、名古屋駅で分割した。このため、下りの「ムーンライトながら」に大幅な遅れが発生した場合、豊橋駅で接続列車を用意して乗り換えを促した上で車両の切り離しを行うことがあった。なお、「伊那路」3号に充当される車両は「ムーンライトながら」の終着である大垣駅で切り離される。上り列車は車両の増解結は行われなかったが、名古屋駅では最後部1号車の大垣寄り乗降扉付近に新聞が積み込まれ、浜松駅まで新聞輸送の一端を担っていた。

ムーンライトながら91号・92号[編集]

浜松駅で並ぶ定期「ムーンライトながら」(右)と臨時「ムーンライトながら」91号

「ムーンライトながら」91号・92号は、通称「臨時大垣夜行」の置き換えとして2003年(平成15年)夏に運行を開始した臨時列車で、JR東日本所有の183系・189系電車を使用して、春休みゴールデンウィーク夏休み冬休みといった多客時に運転を行っていた。両列車とも全車・全区間が指定席で、定期列車時代のムーンライトながらと停車駅が異なっていた。

2007年(平成19年)頃からは運行日が減少し、春期と冬期は週末のみの運行が多く、夏季もお盆の時期までの週末を中心とし、一部の平日の運行がなくなっていた。当初、「ムーンライトながら」91号は品川始発だったが、2007年(平成19年)3月のダイヤ改正で定期列車と同じく東京駅始発となった。「ムーンライトながら」91号は始発駅を定期列車の数分後に出発し続行運転に近い状態で運転、その後豊橋駅で定期列車を追い抜き、豊橋 → 大垣間も快速運転となっていたため1時間ほど早く大垣に到着していた。逆に「ムーンライトながら」92号は定期列車より先に大垣駅を発車するものの、沼津駅で抜かれていた。ただし上りは両列車とも全区間快速運転を行ってた上に続行運転だったため、時間差は最大でも十数分程度に留まっていた。

「ムーンライトながら」91号・92号の起源となる列車は、後述の沿革に記述された夜行臨時列車であったが長期間市販の時刻表には掲載されておらず、初掲載となった1989年(平成元年)末から2003年(平成15年)5月のゴールデンウィークまで同区間で運転されていた臨時列車(通称:臨時大垣夜行)が前身に該当する。この臨時列車は普通列車であり、該当する乗車券特別企画乗車券で乗車でき、利用者の間では「臨時大垣夜行」・「大垣夜行救済臨(おおがきやこうきゅうさいりん)」・「垣臨(がきりん)」などと呼ばれた。車両は165系電車モントレー色・169系電車三鷹色・167系電車113系電車の8両 - 11両編成が使用されていた。2001年(平成13年)以降の停車駅は概ね「ムーンライトながら」91号・92号と同じだが、大垣行のみ品川駅 - 小田原駅間は各駅に停車していた。

かつては4号車・5号車が一般車だったが、2007年(平成19年)3月21日以降は全席禁煙となった。定期列車と同じく熱海駅と浜松駅で車掌が交代した。

停車駅(2007年3月時点)[編集]

下り(91号)
東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 小田原駅 - 熱海駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 豊橋駅 - 名古屋駅 - 尾張一宮駅 - 岐阜駅 - 穂積駅 - 大垣駅
上り(92号)
大垣駅 - 穂積駅 - 岐阜駅 - 尾張一宮駅 - 名古屋駅 - 金山駅 - 大府駅 - 刈谷駅 - 安城駅 - 岡崎駅 - 蒲郡駅 - 豊橋駅 - 浜松駅 - 静岡駅 - 沼津駅 - 熱海駅 - 小田原駅 - 横浜駅 - 品川駅 - 東京駅

2007年(平成19年)3月時点において、上り列車は国府津駅で熱海駅から乗務している運転士と交代するための運転停車を行っていた。

利用状況[編集]

「ムーンライトながら」は人の流動が多い区間を走行すること、乗車券指定席券のみで乗車できる快速列車であることから、安価な移動手段として人気がある。

指定席券の発売開始は「乗車する列車が始発駅を発車する日の1か月前の10時」であり、日付が変わった後に停車する小田原以西から下り列車に乗車する予定で指定席券を購入する際、発売開始日を「乗車日の1か月前」と誤認していると、同日の10時に購入しようとしても既に完売となっている場合がある。また毎年8月中旬と12月下旬に東京都で開催されるコミックマーケットの開始日前夜発の上りと終了日発の下りは特に指定席券が取りにくいと言われ、発売開始の瞬間から毎輌約5秒の速さで完売する。その為にダフ屋が横行する事も屡々である。

しかしながら、指定券完売で満席のはずが実際は多くの空席を抱えたまま運行している場合が存在することが問題ともなっている[4]

2007年3月改正前まで[編集]

自由席が設定されていた時代、ピーク時には客室通路からデッキにまで乗客があふれていた(浜松駅にて)
2007年3月18日のダイヤ改正までは、下り列車で指定席券を入手できなかった乗客は一部の号車が自由席となる小田原駅で列を作って乗車していた
定期列車時代のムーンライトながら(373系電車)の車内。車掌は車内改札をしている(2007年3月3日 上り「ムーンライトながら」)

青春18きっぷの使えない時期は、ビジネスマンや、東海道新幹線最終列車に乗り遅れた客などの利用が多く、名古屋駅で東海道新幹線に乗り継ぐ利用客も見られ、下りの金曜日から日曜日を中心に満席になることが多々あった。また、関西 - 北関東関東 - 和歌山などの夜間移動経路としても、コスト・時間面では東京都区内-大阪市内で効かなかったJRの往復割引が使える、需要が少なく、直行の格安ツアーバスが存在しないこともあり、夜行バスと同等であり、乗換の手間はあるものの途中下車が自由、定時性に優れる、状況によって追加料金で新幹線等を利用可能、などの面から重宝される場合も多かった。

しかし、2000年代半ば以降、運輸行政の規制緩和による格安ツアーバスの台頭(後に法改正で高速路線バスと統合してツアーバス自体は消滅)、さらに航空機や新幹線における早朝割引の実施や格安ビジネスホテルの出現によるビジネス客の減少などもあり、青春18シーズン以外の時期の利用者は減少傾向にあった。

下り列車は途中の小田原駅から自由席となる車両があったため、「ムーンライトながら」の指定席券を取る場合、希望の区間が満席でも下りなら小田原まで、上りなら熱海駅までの指定券は残っている場合も多かった。指定券を確保する確率を増すため、鉄道ファンなどの間ではこの区間の指定券を第2希望として設定としておくという方法が知られていた他、指定券を確保できなかった乗客も一部の車両が自由席となっていた小田原駅から乗車することができたので、同駅には指定券を購入しなかった、あるいは満席で購入できなかった客の行列が、東海道線の普通列車もしくは新宿方面からの小田急小田原線の乗客を中心にできることがあった。しかし、青春18きっぷの利用可能期間には小田原駅から自由席となる4 - 9号車も指定席区間からの乗客で既に満席になっていたり、1駅前の国府津駅から乗車する客(もちろんルール違反)もいて、乗車しても着席できない場合がほとんどであった。

夜行利用以外に運転区間両端での始発・最終列車としての一面もあった。下りでは東京駅 → 小田原駅間に限り定期券での利用が不可能であるものの、東海道新幹線、東海道線の普通列車、小田急線からの小田原乗り換えで三島駅・沼津駅・富士駅・静岡駅への帰宅客や、浜松駅・豊橋駅・岡崎駅などから名古屋方面へ向かう通勤客の利用も多かった。また、三島方面から東京駅への新幹線通勤者にとっても、新幹線の最終を逃した後の帰宅の足として重宝されていた。上りでは、朝一番に東京に到着でき、かつ各線の始発列車に接続することが可能であったことから、沼津駅・熱海駅・小田原駅などから羽田空港成田空港上野駅以北などへ向かう乗客の利用も見られた。このため、4 - 9号車は下りは小田原駅から、上りは熱海駅から自由席として利用客の便宜を図っていた。なお、成田空港へは沼津・小田原から直行バスも運行されている。

また、上り列車は全区間において定期券での乗車が可能であるため、岐阜駅・名古屋駅・金山駅 → 岡崎駅・蒲郡駅・豊橋駅・浜松駅間で同列車をホームライナー最終電車の代わりとして愛用するサラリーマンも多かった。

2007年(平成19年)3月18日のダイヤ改正前日の17日発は形式上定期列車は運休となり、臨時扱いで上りは「ムーンライトながら」70号、下りは「ムーンライトながら」71号として運転された。使用車両は定期列車と同じ。これらの発車時刻は改正前のままで、深夜日付が変わる頃に改正後のダイヤになった。そのため、70号は富士駅・川崎駅・新橋駅を通過したが、71号は平塚駅・国府津駅、および新設の野田新町駅にも停車した。

2007年3月改正から2009年3月改正まで[編集]

2007年3月18日のダイヤ改正により、9両編成の全車指定席区間が下りは東京駅 - 豊橋駅間(豊橋駅 - 大垣駅間は全車自由席)に、上りは大垣駅 - 東京駅間の全線に拡大したことから、このダイヤ改正以降は事実上、首都圏 - 中京圏の移動の際は指定券なしに「ムーンライトながら」へ乗車できなくなった。あわせて9両編成全車が全区間禁煙車となった。また、臨時快速「ムーンライトながら」91・92号は下りの91号の始発が品川駅から東京駅に変更され、上下列車とも大船駅が通過となった。

東京駅では下りの発車時刻が33分繰り上がり(23時43分発が23時10分発に)、上りの到着時刻が23分繰り下がった(4時42分着が5時05分着)。これにより東北上越新幹線の一部の最終列車からの連絡が事実上不可能となった。

また、常磐線についても接続する列車が上りは早く(ただし佐和駅以北については変化なし)、下りは遅くなった。そのため普通列車(中距離列車)に限ると、初電が上野駅5時10分発のため本列車からの乗り継ぎは当然出来ず、次の列車まで30分以上待つこととなり、常磐線各駅への到着時間は改正前より遅くなった。その最たる例が仙台駅までの到達時間である。改正前には始発から水戸駅いわき駅方面へ乗り継いで北を目指す場合、正午前後には仙台駅へ到着出来たものが、改正以後の到着時間は14時近くとなった。なお、上野駅着の上り普通列車に大幅な遅延が生じた場合、本列車が通常通り発車した場合でも先の駅(主に小田原駅)で後発の東海道線普通列車からの接続待ちを行うこともある。

東北本線についても始発列車が常磐線と同じく上野駅5時10分発のため本列車からの乗り継ぎは出来なくなったが、逆に北を目指す場合は改正前の郡山駅または福島駅での待ち時間が短くなったため、仙台駅へは改正前と同じく正午前後に到着できた。ただし、東北本線各駅への到着時間も常磐線と同じく改正前より遅くなった。

定期列車については下りが平塚駅国府津駅、上りは富士駅川崎駅新橋駅が新たに通過駅となり、下りは同日から開業する野田新町駅が新たに停車駅となった。

ダイヤがスライドした影響で、いわゆる「日付の変わる駅」も変更になった。「ムーンライトながら」および「ムーンライトながら」91号・92号を日付を跨いで利用する場合、「日付が変わる最初の停車駅(日付の変わる駅)」までは普通乗車券もしくは出発日印付の青春18きっぷが必要で、その「日付が変わる駅」は下り列車では横浜駅から小田原駅に、上り列車では定期列車は大府駅、92号は刈谷駅となった。

JR東海管内では定期券と指定券で乗車できるが、熱海駅以東のJR東日本管内では乗車できない。

2009年(平成21年)3月13日東京駅・大垣駅双方発の列車をもって、定期列車としての運行を終了した。ただし、最終日の下り列車は臨時列車9391Mとして静岡駅以西で時刻を変更して運行した。概要としては、岡崎駅から大垣駅までは、改正後に代替として設定される普通列車に約5分先行する形となり、3月14日に開業する南大高駅には停車しなかった。

東海道本線夜行普通列車沿革[編集]

  • 本文中の( )は列車番号である。

太平洋戦争終結まで[編集]

1934年12月丹那トンネル開通に伴うダイヤ改正の概況
列車番号 717 23 35 241 37 39
備考       ※1 ※1 ※2  
東京駅   15:30 19:30 22:30 23:20 23:40
名古屋駅   23:51 2:42 6:04 7:54 8:25
2310 23:47 2:48 6:09 8:00 8:31
大阪駅 4:55 5:24 6:27   11:45 13:11
5:00 5:29 6:32      
終着駅 姫路
6:50
下関
19:30
岡山
10:33
鳥羽
9:30
   
列車番号 34 36 22 242 38 40 42
備考   ※1 ※2   ※1    
始発駅     下関
5:00
鳥羽
18:48
    岡山
20:00
大阪駅     17:50       23:50
15:35 16:23 17:57   18:47 23:20 23:55
名古屋駅 20:16 21:09 21:49 22:08 23:52 4:01 5:30
20:22 21:15 21:55 22:12 23:57 4:07 5:36
東京駅 5:00 5:25 6:00 6:25 10:10 13:05 14:25
  • ※1 = 二等寝台車
  • ※2 = 食堂車連結

1889年明治22年)7月に東海道本線新橋駅 - 神戸駅間が開業した。この時下記の時刻で設定された1往復の夜行列車が東海道本線夜行列車の起源といえる。しかし、当時の列車は特に夜行を意識していたものではなく、列車の速度が低いため、東海道本線の全線を通して運転すると、夜間帯にも走行しなければならないという理由で運転されていたと考えられる。

新橋駅16:45 → 名古屋駅4:40/5:00 → 大阪駅11:40 / 11:45 → 神戸駅12:50
神戸駅17:30 → 大阪駅18:30/18:36 → 名古屋駅1:04/1:09 → 新橋駅13:40

大正から昭和初期になると東海道本線には1日5 - 7往復の夜行普通列車が設定(東京駅 - 名古屋駅間または名古屋駅 - 大阪駅間が夜行になっていた)される。東京駅から大阪駅のほか、参宮線鳥羽駅山陽本線姫路駅岡山駅下関駅までを結ぶ列車が現れ、設備の面では食堂車寝台車が連結された列車も存在するなど、黄金期を迎えた。

1942年(昭和17年)11月に関門トンネルが開通し、下りでは東京駅 - 長崎駅久留米駅間、上りに至っては鹿児島駅 - 東京駅間を直通運転する列車(34列車・当時1493.1 km・所要41時間25分、時刻は下記)も設定された。東京九州を結ぶ普通列車が他にも何本か設定されるなど、運行区間と本数においては最も充実した時代といえた。しかし、その後は太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどり、軍需貨物列車増発のため旅客列車が削減されていくようになり、1944年(昭和19)4月には寝台車の連結も廃止される(食堂車の消滅時期は不明)。

(34) 鹿児島駅21:00 → 博多駅7:04/7:30 → 広島駅15:37/15:42 → 大阪駅0:11/0:20 → 名古屋駅5:33/5:41 → 東京駅14:25

終戦時、東海道本線には下り6本、上り7本の夜行列車が設定されていた。ただし、特急急行列車削減の代替という側面(この当時、特急列車は全廃、急行列車は他の線区を含めて、東京駅 - 下関駅間の1往復のみとなっていた。)もある。また、設定はされていても、実際は空襲による路線車両被害などで運転されなかった列車も多いという。

戦後[編集]

1947年6月のダイヤ
  8015 8017 847 列車番号 714 8012 8014 8016
復員 復員   備考   復員 復員  
14:55 22:40 0:20 東京駅 5:25 5:55 6:28 13:04
23:36 7:46   名古屋駅 20:32 21:25 22:30 4:10
23:45 7:54     21:15 22:20 4:00
5:23 13:06   大阪駅   15:35 18:05 22:58
  13:25     15:02 17:50  
  23:24   広島駅   5:30 9:55  
  23:40     5:20 9:30  
  諫早
13:41
沼津
3:07
終着駅/始発駅   南風崎
16:12
南風崎
1:00
 
1956年11月19日改正のダイヤ
111 129 131 421 列車番号 130 132 112  
14:20 21:50 23:35 23:40 東京駅 4:55 5:40 12:53
23:04 5:29 7:21 10:10 名古屋駅 21:10 22:35 4:25
23:30 5:40 7:30 10:20 21:00 22:26 4:15
5:10 10:27 10:27 14:50 大阪駅 16:22 18:10 23:30
5:35           22:57
門司
22:02
      終着駅/始発駅     門司
7:26
1961年10月改正のダイヤ
143 145 列車番号 144 146
14:56 23:30 東京駅 4:56 13:27
21:58 4:58 豊橋駅 21:24 6:29
22:01 5:02 21:22 6:19
23:38 6:30 名古屋駅 19:54 4:32
23:57 6:37 19:45 4:11
4:50 10:47 大阪駅 14:50 23:50
5:07   14:44  
姫路
6:52
  終着駅/始発駅 姫路
12:55
 

戦後混乱期終戦時以上に受難の時代となる。特に1945年(昭和20年) - 1948年(昭和23年)は、戦災による車両や設備の荒廃、車両と乗務員の不足、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) による車両の接取(連合軍専用列車も参照)、徴兵による労働力不足などが原因の燃料となる石炭不足などで列車が削減され、時刻表に掲載された通りに列車を運転できない事態も多く発生した。

特に1947年(昭和22年)初頭には冬の石炭不足で列車が大幅に削減され、急行列車が全廃されてすべて普通列車になり、東海道本線の夜行列車は東京駅 - 門司駅間の1往復、東京駅 - 沼津駅間の下り臨時列車1本(夜行といえるか否かは微妙な時刻)、そして上りの名古屋駅 - 東京駅間1本のみとなった。

同年6月には、復員兵引揚者輸送を兼ねた列車(列車番号8000番台。普段は一般旅客列車として運転するが、復員・引揚客のある時は一般旅客の乗車制限を行う列車。)が登場する。この列車の混雑は激しく、座るためには発車時刻の相当前から始発駅で並ぶ必要があった。しかし、切符が販売制限されていたということもあり、座れるかどうかより列車に乗れるかどうかの方が問題だったといわれている。

(8016) 大阪22:58 → 名古屋4:00/4:10 → 東京13:04

世情の落ち着きに応じて輸送力も回復していくが、戦後は急行・準急列車の増発が中心となり、長距離普通列車はそれほど増発されなくなった。その中で1956年(昭和31年)11月には東海道本線の全線電化が完成し、この時のダイヤ改正で夜行普通列車は下り4本・上り3本(東京駅 - 門司駅・大阪駅間)に増発、戦後の最盛期を迎える。

しかし、これ以降は特急・急行列車の増発のため、徐々に削減されていく。1961年(昭和36年)10月には大規模なダイヤ改正(通称「サンロクトオ」)により特急・急行が増発される傍らで、2往復(東京駅 - 姫路駅・大阪駅間)に削減される。

1967年(昭和42年)10月には、東京駅 - 大阪駅間の1往復(下りは東京駅 - 名古屋駅間、上りは大阪駅 - 名古屋駅間が夜行運転)と豊橋駅 - 東京駅間の上り列車1本のみとなる。しかし、東海道新幹線が開業した後であっても利用客は多く、特に繁忙期には数時間並ばなければ座れないことも多かったといわれる。また、その頃までは生活困窮者向けの半額乗車券(通称マル救切符)を持った利用客も多かった。

下り
(143) 東京2330 → 豊橋458・504 → 名古屋633・642 → 大垣735・736 → 大阪1058
上り
(144) 大阪2350 → 大垣327・327 → 名古屋428・447 → 豊橋635・641 → 東京1345
(350M) 豊橋2201 → 東京440


大垣夜行時代[編集]

臨時大垣夜行9375M
165系電車
2000年12月 名古屋駅

前述の夜行普通列車は、東海道本線の普通列車で唯一の客車列車となっていたことから、合理化のため1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正(「ヨンサントオ」)において廃止されることが決定していた。しかし、そのことが新聞などで発表されると廃止反対の要望書が国鉄本社などに多く寄せられ、当時の国鉄総裁石田礼助が「この夜行列車を存続させるべきである」と判断したこと、またこの列車には荷物郵便輸送の役割もあった事情などから、それまで運行されていた臨時急行列車『ながら3号』(東京駅23:46発、大垣駅7:16着)を普通列車化する形で、急行形電車を使用して存続することになった。因みに当時はまだ東名高速道路も部分的にしか開通しておらず、東京と名古屋・京阪神を結ぶ高速バスもまだなかったこともあって、寝台車の無い普通列車で格安移動する旅客もまだまだ多かった。

電車化に際し、運転区間が大垣駅までに短縮され、一般に大垣夜行と呼ばれることとなる。実際には下り列車のみ、大垣から分岐する東海道線支線美濃赤坂駅行だったが、枝線終着駅行きでは一般利用者に行き先がわかりにくく、1969年(昭和44年)10月1日、大垣止まりに変更となった。

大垣駅発着となったのは、ここに車両基地の大垣電車区(現在の大垣車両区)があり、運用上好都合なためである。なお、上りは前述の豊橋駅 - 東京駅間の列車を大垣発に延長した形になった[5]

下り
(143M) 東京23:30 → 豊橋4:40/4:46 → 名古屋6:22/6:29 → 大垣659/7:05(美濃赤坂着7:27)
上り
(144M) 大垣20:32 → 名古屋21:16/21:18 → 豊橋22:37/22:38 → 東京4:35

特に下り列車は「大垣行き(夜行)電車」なので「垣電」と呼ぶ利用者も少なからずいた。電車化後しばらくの間は客車時代の列車番号を踏襲した143Mと144Mを名乗ったが、後に東京駅 - 名古屋駅間運行の普通列車と同じ体系 (3xxM) に変更されている。下り列車の場合でみると、白紙ダイヤ改正ごとに347M → 345M → 375Mと変化している。下り列車の各駅停車区間は設定当初は掛川駅からであったが、1972年(昭和47年)には午前4時過ぎの浜松駅からとなり、1996年(平成8年)の「ムーンライトながら」化まで続いた。上り列車は1986年(昭和61年)までは静岡駅まで各駅に停車したのち、清水駅(深夜1:10過ぎ)に停車していたが、それ以降は豊橋駅まで各駅停車となった。なお「各駅停車」と記載しているが、名古屋近郊の新設駅は通過する場合があった。時期により通過駅は変動し、設定当初は下りのみ三河大塚駅三ヶ根駅、「ムーンライトながら」化直前は上下とも三河塩津駅尾頭橋駅を通過した。また、設定当初の下り列車は金谷駅に停車していた(上り列車は当時、各駅停車区間に含まれた)。1974年(昭和49年)には定期停車は取り止められるが、その後も臨時停車は1980年代後半まで続いた[6]登山シーズンには大井川鉄道(現・大井川鐡道)も下り列車に接続する臨時列車を深夜3時台より運行した程であった。

この列車の人気は高く、特に1982年(昭和57年)に青春18きっぷ(当初は青春18のびのびきっぷ)の販売が開始されると、その利用可能期間となる夏・冬・春の繁忙期にはラッシュ時通勤列車並み、もしくはそれ以上のとなった。特に通勤・退勤時間帯と重なる下りの東京駅 - 小田原駅間と岡崎駅 - 名古屋駅間での、青春18きっぷ有効期間中の混雑は甚だしかった。青春18きっぷの販売が開始される前はグリーン車から席が埋まっていたが、青春18きっぷの販売が開始されてからは普通車から席が埋まるようになり、特に下りの始発駅である東京駅では数時間前から行列が出来ていた。青春18きっぷが発売されない時期は、週末などを中心に東京ミニ周遊券や京阪神ミニ周遊券などの利用客が、格安料金でゆったり過ごせるとしてグリーン車を利用することも多かった。バブル景気による首都圏の地価高騰の影響で、東京への通勤圏静岡県東部まで広がった1980年代後半以降は、新幹線の最終を逃した新幹線通勤者の最終列車としての役割も果たすようになった。

深夜の静岡駅では1990年代初頭まで駅弁の立ち売りがあり、長めにとられていた停車時間を利用して駅弁を購入することができた。末期は小ぶりの幕の内弁当1種類のみの販売であったが、それでも売れ残りではなくこの列車のために調製されたものであった。小説では西村京太郎『大垣行345M列車の殺意』とつかこうへい青春かけおち編』に大垣夜行が登場している。なお車両は1982年(昭和57年)から翌年にかけて153 / 163(サロのみ)/ 165系(クハのみ)から165系に交代している。

1986年(昭和61年)11月1日国鉄最後のダイヤ改正が実施され、荷物列車がほぼ全廃となったことから、上り列車に関して前述した快速運転区間の拡大とあわせてスピードアップが行われる。これにより、名古屋駅の発車時刻が新幹線の東京駅行最終「ひかり」の発車した約1時間後となり、列車の需要拡大につながった。この時荷電の連結が無くなり、編成が普通車9両・グリーン車2両の11両に減車された。

改正前
(340M) 大垣21:01 → 名古屋21:42/21:44 → 東京4:39
(ひかり170号)名古屋21:41 → 東京23:46
改正後
(340M) 大垣22:15 → 名古屋22:57/22:59 → 東京4:42
(ひかり288号)名古屋22:02 → 東京23:52

1987年(昭和62年)3月末には、4月1日分割・民営化を前に殺到した謝恩フリーきっぷの乗客に対応するため、田町電車区(現在の田町車両センター)の167系8両による臨時列車が突発で設定された。これが「臨時大垣夜行」(→「ムーンライトながら91・92号」)の起源といわれている(諸説あり、詳細は不明)。この列車はその後も多客期に品川駅(または東京駅) - 名古屋駅間に設定され、1989年(平成元年)12月からは時刻表にも掲載されるようになり、大垣駅発着で運転されることが多くなった。平成の初め頃までは名古屋近郊の朝の通勤時対策として豊橋駅または岡崎駅[7] - 名古屋駅間のみに運転される日もあった。なお、設定当時の「臨時大垣夜行」は近郊形113系による運行であった。同電車を使用した列車のうち、JR東日本の車両で運行したものは自社管理区間で使用する車両を充当したことからグリーン車も連結されていた。1990年(平成2年)8月の旧盆の6日間だけは定期の列車が米原駅まで延長運転された。

時刻表掲載と前後して、臨時大垣夜行も波動用の急行形車両を使用するようになる。1993年(平成5年)頃から、東京駅は東北新幹線ホーム増設工事のため東海道本線ホームが狭い仮ホームとなっており、混雑期に行列危険な状態となってしまうため、定期・臨時ともに下り列車は品川駅始発で運転された。また、これまでは定期・臨時列車とも停車駅は同じであったが、この頃から下り臨時列車は浜松駅 - 豊橋駅間は各駅に停まった上で、豊橋駅 - 大垣駅間で快速運転(三河三谷駅共和駅稲沢駅にも停車)をするようになった。1996年(平成8年)の「ムーンライトながら」化の際も、浜松駅 - 豊橋駅間が無停車となった以外は、2001年(平成13年)までこの停車駅が踏襲された。

ムーンライトながら[編集]

1996年(平成8年)3月に、前述のような混雑の解消、通勤客など短距離利用者と長距離利用者との分離、そして長距離利用者の着席確保を狙い、特急形車両である373系を使用した指定席列車となり、「ムーンライトながら」と命名された。下りは東京近郊で快速運転を行うようになり、各駅停車(一部の駅をのぞく。以下同じ)区間の開始が浜松駅から豊橋駅に変更され、上りは名古屋近郊で快速運転を行うようになったほか、その他の停車駅の見直しも行われた。この時に長らく連結されていたグリーン車は廃止となった。また、車両が急行形11両から特急形9両となり座席数が減少するため、お盆や年末年始など特に混雑が激しい時期のみ運行される場合が多かった臨時列車(下りは品川→大垣間、上りは大垣→東京間)を、青春18きっぷが使用できる時期は学校の長期休暇期間を中心に多くの日に運転するようになった(この頃までは青春18きっぷの使用できないゴールデンウィークなどにも運転されていた)。なお、下りは臨時列車が定期列車より品川駅を僅かに遅く発車するものの大垣駅到着は臨時列車が僅かに早く、上りは臨時列車が定期列車より大垣駅を20分から30分程早く発車するものの東京駅到着は定期列車より僅かに遅いといったダイヤであった。臨時列車の名古屋近郊での停車駅は、上りは「ムーンライトながら」と同様の快速運転に改められた。

2001年(平成13年)春より大阪市此花区にオープンした大規模レジャー施設「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」への利便性を図って下り臨時列車の大垣到着が1時間繰り上げられると同時に豊橋駅→名古屋駅間がノンストップ運転となり、大垣駅から西を目指す利用者には大変便利となった。同年夏にはJR東海所有の165系が事実上全廃されたのに伴い、一部の臨時大垣夜行が近郊形のJR東海113系10両編成で運行された。しかし、セミクロスシートで座席数が少ないことや、片側3扉で半自動扉が設置されていないことから、乗客には大変不評だったといわれている。この後は原則としてJR東海の車両は使用せず、すべてJR東日本の波動輸送(臨時列車)用急行形電車を使用するようになった。ただし、この頃までは最混雑時には続行で突発の臨時便が運行されたこともあり、これには急行形以外に115系や113系など近郊形電車も使用されていた。

2003年(平成15年)には、それまで使用していた田町電車区の167系が全廃されたため、2年ぶりに113系が運用に復帰、JR東日本は新前橋電車区の165系を使用し、1日おきに担当した。全車自由席の無愛称列車としてはこれが165系最後の運転となった。7月には、臨時大垣夜行は従来の車両持ち合いから、JR東日本所有の波動輸送用特急形車両である183・189系を利用する指定席列車となり、「ムーンライトながら」の臨時増発列車として91・92号となった。これは、定期列車がJR東海からJR東日本への片乗り入れの体制を取っていたことや、JR東日本の急行形車両も老朽化により廃車されたことによる。

2007年(平成19年)3月18日のダイヤ改正で、前述のとおり「ムーンライトながら」の運行形態が変更され、運行時間の変更、全席禁煙化の他、停車駅も削減された。

2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正では、運行は混雑時期である年間約120日[8]のみの臨時列車となることが、JR東日本[9]およびJR東海[10]からそれぞれ発表された。この臨時列車化により、さらに停車駅も減少し、使用される車両も91号・92号で使用されてきた183・189系のみとなった[11]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 『鉄道ダイヤ情報』2013年12月号、交通新聞社
  2. ^ 停車扱いとすると、改札ホーム安全監視などに要員(駅員人件費)が発生する。
  3. ^ 就寝時間帯における車掌による案内放送は控えていた
  4. ^ Business Media 誠:杉山淳一の時事日想:満席のはずが乗客なし! 今日も“幽霊”が列車に乗っている2013年8月9日
  5. ^ それまでの144列車に相当する時間帯の列車は電車化のうえ大阪 - 大垣間が廃止されて大垣3:36発の東京行きとなったが、1972年(昭和47年)には大垣駅の早朝発車は廃止されている。
  6. ^ 『JR時刻表』弘済出版社、1988年8月号、p.137に臨時停車の記載あり。
  7. ^ 『JR時刻表』弘済出版社、1988年8月号、p.137に9423Mとして記載。
  8. ^ “東京発ブルトレ終焉「はやぶさ・富士」廃止へ”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2008年12月19日). オリジナル2009年2月1日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20090201070823/http://sankei.jp.msn.com/life/trend/081219/trd0812191556015-n1.htm 
  9. ^ 2009年3月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2008年12月19日
  10. ^ 平成21年3月ダイヤ改正について (PDF) - 東海旅客鉄道プレスリリース 2008年12月19日
  11. ^ 「ムーンライトながら」の間合い運用で運転されていた373系電車による東京 - 静岡間の普通列車の運転は、2013年3月ダイヤ改正まで373系で継続運転され、さらに今回の改正で、それまで「ムーンライトながら」が行ってきた翌朝のホームライナーや飯田線特急「伊那路」に運用される車両の回送は、静岡駅 - 米原駅間で運行するホームライナーや普通列車として373系電車が送り込まれるようになった。またこれまでの大垣駅 - 豊橋駅間の上り最終列車、岡崎駅 - 大垣駅間の下り始発列車としての役割は、313系電車311系電車等を使用した区間快速列車・普通列車に置き換えられた。以上は2009年当時の状況で、その後変更されている箇所もある。

関連項目[編集]

鉄道[編集]

並行する夜行便の高速乗合バス[編集]