日本海 (列車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
日本海
寝台特急「日本海」
寝台特急「日本海」
運行事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
西日本旅客鉄道(JR西日本)
列車種別 寝台特別急行列車
運行区間 大阪駅 - 青森駅
経由線区 東海道本線湖西線北陸本線信越本線羽越本線奥羽本線
使用車両
(所属区所)
24系客車(JR東日本青森車両センター
EF81形電気機関車(JR西日本敦賀地域鉄道部
運行開始日 1968年10月1日
備考 2012年3月17日現在

日本海(にほんかい)は、大阪駅 - 青森駅間を東海道本線湖西線北陸本線信越本線羽越本線奥羽本線日本海縦貫線)経由で運行している寝台特別急行列車である。2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正以降は、臨時列車となったが、2013年(平成25年)3月以降は列車が設定されていない。

概要[編集]

特急「日本海」は、大阪青森を結ぶ急行列車として1947年7月に運転を開始し、1950年11月に「日本海」と名付けられた。その後1968年に特急列車化されている。

京阪神東北地方を結ぶ列車としては、1924年7月31日の羽越本線全通時に、神戸駅 - 青森駅間で運転を開始した急行列車が最初である。

利用客の減少や車両老朽化のため、2012年3月17日ダイヤ改正で定期運行が終了し[1][2][3]、同日以降は臨時列車として、ゴールデンウィークなど多客期のみに運転される[4][5]

2013年春季以降は運行の設定がされていないが、JRからは存廃についての確定的な発表等は無いほか、同年1月の時点ではJR東日本は存廃について検討中としていた[6]。しかし、その後も「日本海」は設定されておらず[7]、現時点では2013年1月6日が運行最終日となっている[8]

定期運転最終列車の寝台券は発売開始後、下り(青森行き)は15秒、上り(大阪行き)は10秒で完売した[9]

運行概況[編集]

臨時列車化後のダイヤは下り列車が、大阪駅20:38発、青森駅12:42着となる。上り列車の青森駅発車時刻は、16:21発となるが、大阪駅の到着は定期列車時代と同じ10:27となる。このため、定期列車時代に比べて下り列車は1時間、上り列車は3時間ほど所要時間が長くなる。新青森駅への停車が臨時列車化と同時に無くなった。また、一部区間で実施していた立席特急券指定席特急券での乗車取り扱いも廃止された。

停車駅[編集]

大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 敦賀駅 - 福井駅 - 加賀温泉駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - 魚津駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新津駅 - 鶴岡駅 - 酒田駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅 - 東能代駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 青森駅

使用車両・編成[編集]

機関車はJR西日本の敦賀地域鉄道部に所属するEF81形機関車が、客車はJR東日本の青森車両センターに所属する24系客車7両編成(うち1両は電源・荷物車)が使用されている。座席はすべて開放式2段式B寝台となる。EF81形は上り列車の敦賀駅で交換される。

なお、EF81形は日本海の運転日前に予め2両が青森車両センターへ重連で回送され、1シーズンの運転全てが終了すると同様に2両が重連で敦賀まで返却回送される。

定期列車時代の運行概況[編集]

運転開始当初は1往復で米原駅を経由していたが、1975年3月に湖西線が開業したことによって同線を経由するようになり、同時に2往復体制となった。1988年3月には青函トンネルが開業したことにより、うち1往復が函館駅まで運転されるようになったが、2006年3月には函館駅乗り入れが廃止され、2往復とも大阪駅 - 青森駅間の運転に変更され、2008年3月に利用者の減少により1往復が廃止された。

比良おろしによる強風規制で湖西線の運転を見合わせている場合、米原駅経由で迂回運転が行われていた。また、冬季を中心に日本海沿岸を走る信越本線、羽越本線などの一部区間で強風や雪害の被害に遭いやすく、運休や大幅な遅延が発生することがあった[10]

2012年3月16日に大阪駅を始発とする定期運転最終列車の青森行きは所要時間が約4時間長くなっていた(8:45着→12:42着)。

車掌は、JR西日本の大阪車掌区が担当していた。

停車駅[編集]

大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 敦賀駅 - 福井駅 - 加賀温泉駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - 魚津駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新津駅 - 鶴岡駅 - 酒田駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅 - 東能代駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 青森駅

2008年3月14日までは、加賀温泉駅・魚津駅・糸魚川駅・大鰐温泉駅は1号・4号のみ停車、新津駅は1号 - 3号が、また、上記の停車駅のほか、2号・3号は村上駅あつみ温泉駅象潟駅八郎潟駅にも停車していた。

2010年12月4日から定期運転終了まで、東北新幹線八戸駅 - 新青森駅間開業に伴い、新青森駅にも停車するようになった。

使用車両・編成[編集]

定期列車最終運行時点における「日本海」編成図
← 大阪
青森 →
2010年12月5日現在の編成図
号車番号 1 2 3 4 5 6
座席種別 B B Rauchen Verboten.svg B Rauchen Verboten.svg B B Rauchen Verboten.svg B Rauchen Verboten.svg
車両形式 オハネフ
24形
オハネ
24形
オハネ
24形
オハネフ
24形
オハネ
24形
オハネ
24形
7 8 9 10  
B Rauchen Verboten.svg B Rauchen Verboten.svg B A Rauchen Verboten.svg EG/C
オハネ
24形
オハネ
24形
オハネフ
24形
オロネ
24形
カニ
24形
  • 7 - 8号車の車両は、連結しない日がある。
記号凡例
A=開放式A寝台、B=開放式B寝台、EG/C=電源荷物車Rauchen Verboten.svg=禁煙
 
日本海
← 大阪
青森 →
JR西日本が担当していた当時の「日本海」1号・4号
号車番号   1 2 3 4 5
座席種別 EG/C A1 B Rauchen Verboten.svg B Rauchen Verboten.svg B B Rauchen Verboten.svg
車両形式 カニ
24形
オロネ
25形
300番台[11]
オハネ
25形
オハネ
25形
オハネフ
25形
オハネフ
25形
6 7 8 9 10 11 12
B Rauchen Verboten.svg B Rauchen Verboten.svg B B Rauchen Verboten.svg B Rauchen Verboten.svg B Rauchen Verboten.svg B
オハネ
25形
オハネ
25形
オハネフ
25形
オハネ
25形
オハネ
25形
オハネ
25形
オハネフ
25形
  • 9 - 12号車の車両は、連結しない日があった。
記号凡例
A1=1人用A寝台個室「シングルデラックス」、B=開放式B寝台、EG/C=電源・荷物車、Rauchen Verboten.svg=禁煙

機関車[編集]

機関車は、全区間でJR西日本の敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室に所属するEF81形電気機関車が牽引する。「トワイライトエクスプレス」色の機関車が運用される場合もある。かつては、秋田駅 - 青森駅間でED75形が使用されたことがあるほか、羽越本線・奥羽本線の電化完成前、湖西線開業前にはDD51形EF70形EF65形EF58形などが使用されたことがある。

客車[編集]

客車はJR東日本の青森車両センターに所属する24系客車が使用されていた。2008年3月14日までは、1号・4号がJR西日本の宮原総合運転所に所属する24系客車で、2号・3号が青森車両センター所属車両で現行と同じ組成編成で運転されていた。運用状況によっては、オハネ24形・オハネフ24形はオハネ25形・オハネフ25形を使用する場合もあった。

特急化された1968年10月に青森運転所(現:青森車両センター)所属の20系客車を導入したが、湖西線経由になった1975年3月には14系寝台客車に置き換えられた一方で食堂車の連結は廃止された。ここで「日本海」に使用された14系は、長崎県佐世保市早岐客貨車区所属車が「あかつき」として大阪駅に発着する編成の間合い運用として充当されており、長崎県の客貨車区に所属する車両の定期営業列車が青森駅まで運用される稀有な運転体制となった。しかし「あかつき」と「日本海」のどちらかが遅延・運休するともう一方にも影響することがあった。1978年10月から当該列車は青森運転所の24系客車に変更され、早岐客貨車区所属の14系客車による広域運用は終了した。また、1975年に季節列車として設定されていた1往復(宮原客車区の14系座席車→24系25形客車を使用)も定期列車に格上げされた。

1988年の青函トンネル開業により1往復が函館駅までの運転になった際に食堂車復活の構想があり、食堂車が入る予定の5号車は欠車扱いとなった。サシ489形とサシ481形を種車として鷹取工場でスシ24形に改造、塗色も青20号となって宮原に配属された。しかし用意された食堂車スシ24形は再改造の上「トワイライトエクスプレス」に使用され、復活は実現しなかった。

2010年12月4日の東北新幹線の全線開業に伴い、新青森駅に停車するようになり、繁忙期の編成は12両から10両になった。そのため、オロネ24形が10号車となっていた。

なお、以下の区間ではB寝台普通車座席として利用できた(寝台券参照)。

2008年3月14日までは、B寝台は、1号の東能代駅→鷹ノ巣駅間は2号車、鷹ノ巣駅→青森駅間は2 - 4号車、3号の鶴岡駅→秋田駅間は3・4号車、秋田駅→青森駅間は3 - 6号車が立席特急券で、2号・4号の青森駅→秋田駅間は指定席特急券で6号車を座席として利用できた。

利用状況[編集]

公共交通機関において、京阪神と東北地方を結ぶ夜行バス路線の北限が仙台市山形市であるため、公共交通機関を利用した夜間移動では当列車が山形県庄内地方秋田県青森県を結ぶ唯一の手段となっていた。団体で修学旅行甲子園への応援や、就職受験など学生の利用も多かった[12][13]

定期列車時代後期の利用状況は、ほかの夜行列車・寝台列車と同様に利用客が航空機高速バスへの移行が進んだことや、宿泊料金を低減したホテルが増えたことも影響し、JR西日本によると乗客数はJR発足時の1987年(約530人)と比較して2010年代では約4分の1に減少しており、2010年度の平均乗車人数(1本当たり)は約130人で[14][15]、平均乗車率は5割程度だった[12][2]。さらに修学旅行の団体の利用も、少子化による生徒数の減少に加えて、航空機利用に切り替えたり、沖縄や海外を行き先に選ぶ学校が増えるなど多様化したこともあって、晩年は減少傾向にあった。

臨時列車[編集]

あおもり[編集]

1988年より20系客車が使用された臨時列車として「日本海」81・82号として設定され、定期列車と同じく大阪駅 - 青森駅間で運転されていた。のちに急行列車化されて「あおもり」に改称された。1994年からは583系電車に変更して運転されていたが、2000年以降は夏期のみの運転となり、2008年度を最後に運転されていなかったが[16]、JR東日本横浜支社は2014年9月5日に「583系あおもり号で行く 青森への旅」を実施。車中1泊2日。運転区間は、往路が横浜(19:51頃発)~青森(翌8:53着)だった[17]


東北夏祭り号[編集]

青森ねぶた祭りの開催に合わせて運転されていた急行列車。583系電車を使用し、神戸(のちに大阪)発青森行きのみ運転されていた[18][16]2007年度を最後に運転されていない。

沿革[編集]

日本海縦貫線全通とその後の展開[編集]

  • 1924年(大正13年)7月31日:羽越本線の全通により日本海縦貫線が完成し、神戸駅 - 青森駅間で急行列車(富山駅 - 青森駅間は普通列車)の運転を開始。
  • 1926年(大正15年)8月15日:全区間を急行列車化。
  • 1929年昭和4年)9月15日:運転区間を大阪駅 - 青森駅間に変更。
  • 1943年(昭和18年)2月1日:大阪駅 - 青森駅間の急行列車を廃止。

戦後急行「日本海」としての運転再開[編集]

「日本海」ブルートレイン化以降[編集]

  • 1968年(昭和43年)10月1日ヨンサントオの改正により、次のように変更。
    1. 急行「日本海」が廃止され、「きたぐに」に改称。
    2. 大阪駅 - 青森駅間で寝台特急「日本海」の運転を開始。当初は青森運転所(現在の青森車両センター)所属の20系客車が用いられた。
  • 1969年(昭和44年)12月6日:「日本海」が、北陸トンネル内で列車火災事故寝台特急日本海北陸トンネル列車火災事故)が発生。
    • 当時の規則では「火災が発生した場合は速やかに停車させなければならない」と規定されており、これに従えばトンネル内でただちに停車すべきところを、機関士が「トンネルを走り抜けてから消火した方が良い」と機転を利かせてトンネルから脱出して消火し、鎮火させたため死傷者は皆無であった。当時の国鉄は規則を無視した点を指摘して機関士を処分した。その3年後に「きたぐに」で同様の火災事故が発生し、30名の死者を出す惨事となった。「きたぐに」の事故後、規則に捉われずトンネルを脱出した「日本海」の機関士の判断が正しかったことが国鉄の実験で証明され[19]、当該機関士への処分は撤回され、国鉄の規則も改正された。
  • 1971年(昭和46年):名古屋駅 - 秋田駅間で臨時急行「あきた」の運転を開始。
  • 1973年(昭和48年):東北新幹線上越新幹線建設に伴い、臨時急行「あおもり」を日本海縦貫線経由に変更。
  • 1975年(昭和50年)3月10日:湖西線開業によるダイヤ改正により、次のように変更(1975年3月10日国鉄ダイヤ改正)。
    1. 「日本海」を湖西線経由に変更。車両は14系寝台客車に変更され、食堂車の連結を廃止。
    2. 14系座席車が使用された季節列車として、大阪駅 - 青森駅間で「日本海」1往復の運転を開始。「日本海」は2往復になる。
    3. 国鉄業務合理化の一環として「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出を取りやめ[20]
  • 1976年(昭和51年)3月15日:季節列車の「日本海」の使用車両を宮原客車区(現在の網干総合車両所宮原支所)の24系25形客車に変更。
  • 1978年(昭和53年)10月2日:季節列車の「日本海」を定期列車に変更。24系客車・24系25形客車各1往復に変更し、早岐客貨車区所属の14系客車の運用を終了。同時に下り2号を3号、上り1号を2号、上り2号を4号に変更。
  • 1982年(昭和57年)
    • 11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正により、以下のように変更。
      1. 「日本海」のA寝台車の連結を廃止。
      2. 「日本海」の使用車両を24系客車・24系25形客車各1往復から、24系25形客車2往復(所属は宮原客車区2往復)に変更。
      3. 同じ区間を走る急行列車「きたぐに」が大阪駅 - 新潟駅間の運転に変更されたため、大阪駅 - 青森駅間を運転する唯一の夜行列車になる。
    • 12月:名古屋駅 - 秋田駅間の臨時急行「あきた」が廃止された。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:「日本海」2・3号の受持ちが宮原客車区から青森運転所に変更。
  • 1985年(昭和60年)3月14日:「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出を再開。
  • 1986年(昭和61年)
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、「日本海」1・2号をJR西日本が、「日本海」3・4号をJR東日本がそれぞれ客車の管轄をする共同運行列車となる。

青函トンネル開業以降[編集]

「日本海モトとレール」(1992年 京都駅)
  • 1988年(昭和63年)3月13日:青函トンネル開業によるダイヤ改正のため、次のように変更。
    • 「日本海」2号と4号の客車の管轄会社を入れ替え
    • 「日本海」1・4号を大阪駅 - 函館駅間の運転に変更。
      この際、函館行きの初列車はトンネル開業の前日(3月12日)に大阪駅を出発という設定となったため、トンネル開業当日から運転開始とした「北斗星」に先駆け、営業運転で青函トンネルを通過した最初の寝台特急[21]になった。
    • 「日本海」3・2号に開放式A寝台車が連結される。
  • 1989年(平成元年)7月21日:大阪駅 - 札幌駅間で「トワイライトエクスプレス」の運転を開始。北海道内は渡島支庁内無停車で、胆振支庁石狩支庁のみに停車。当初は団体専用列車としての運転だったが、同年12月21日から臨時列車扱いに変更される。
  • 1990年(平成2年)
    • 9月1日:ダイヤ改正により3号・2号の編成が方転され、青森よりに電源車が連結されるようになった。
      これは共通運用である「あけぼの」「鳥海」「出羽」の上野駅騒音対策のための措置[22]
    • 12月:大阪駅 - 青森駅間で臨時急行「あおもり」の運転を開始。20系客車を使用。
  • 1994年(平成6年)春:20系客車の老朽化に伴い、臨時急行「あおもり」の使用車両を583系電車に変更。東北方面で20系客車を使用していた最後の営業列車であった。
  • 1998年(平成10年)
    • 8月22日:「日本海」1・4号の「日本海モトとレール」を終了。
    • 12月1日:「日本海」1・4号にA個室「シングルデラックス」連結開始。285系投入による寝台特急「瀬戸」の電車化に伴う余剰車が使用された。
  • 2004年(平成16年)
  • 2005年(平成17年)12月25日 - 2006年(平成18年)1月18日羽越本線脱線事故の影響により、全列車・全区間運休[26]
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)3月15日:「日本海」2・3号が廃止され、1往復になる[30]。客車は青森車両センター所属車両を継続して使用。
  • 2009年(平成21年):2000年代に入ってから夏季のみの運転となっていた臨時急行「あおもり」の運転がなくなる。
  • 2010年(平成22年)12月4日:東北新幹線八戸駅 - 新青森駅間開業に伴うダイヤ改正で、新たに新青森駅にも停車するようになる。
  • 2011年(平成23年)3月11日 - 3月17日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響により全区間運休[31]
  • 2012年(平成24年)3月17日:ダイヤ改正で定期運行を終了し臨時列車として運転されるようになる。同時に、新青森駅は通過となる。
  • 2013年(平成25年)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ “さようなら「日本海」「きたぐに」 鉄道ファンに見送られラストラン”. Sankei Biz (産経デジタル). (2012年3月17日). オリジナル2012年5月16日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120516044736/http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/120317/cpd1203171350005-n1.htm 
  2. ^ a b “乗車率5割程度 寝台特急「日本海」廃止で調整”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2011年11月18日). http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/11/18/kiji/K20111118002056060.html 
  3. ^ 『さらば「日本海」「きたぐに』玄光社 2012年 P32 - P35。花束贈呈シーンなど、4ページに渡り同日の写真を掲載。「お疲れ様!日本海、きたぐに」辻良樹 撮影。
  4. ^ 2012年3月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2011年12月16日
  5. ^ 平成24年春ダイヤ改正について (PDF) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年12月16日(2012年1月31日時点のアーカイブ
  6. ^ a b “夜行急行「きたぐに」完全引退 ブルトレ「日本海」は検討中”. MSN産経west (産経デジタル). (2013年1月31日). http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130131/wlf13013112510006-n1.htm 
  7. ^ a b 夏の増発列車のお知らせ (PDF) - JR東日本秋田支社、2013年5月17日、2013年11月2日閲覧。 に記載なし。
  8. ^ a b 冬の増発列車のお知らせ (PDF) - JR東日本秋田支社、2012年10月19日、2013年11月2日閲覧
  9. ^ 100系・300系新幹線最終列車および「日本海」「きたぐに」最終列車の発売状況について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2012年2月16日(2012年2月16日時点のアーカイブ
  10. ^ “日本海側大雪で夜行列車運休 JR東日本”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2012年2月17日). オリジナル2012年2月17日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120217073830/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120217/dst12021715190010-n1.htm 
  11. ^ 1号車のオロネ25形が検査のときは、京都総合運転所所属のオロネ14形が代走していた。
  12. ^ a b “寝台特急「日本海」存続支援、県に要望 JR労組 秋田”. asahi.com (朝日新聞社). (2012年1月12日). http://www.asahi.com/travel/aviation/TKY201201110638.html 
  13. ^ “安全貫いた腕に誇り 寝台「日本海」16日有終 秋田”. asahi.com (朝日新聞社). (2012年3月16日). http://www.asahi.com/travel/aviation/TKY201203150651.html 
  14. ^ “「きたぐに」「日本海」引退へ ダイヤ改正で3月”. 富山新聞 (富山新聞社). (2011年12月17日). http://www.toyama.hokkoku.co.jp/subpage/H20111217103.htm 
  15. ^ “さよなら 寝台特急「日本海」- 金沢列車区運転士も最後の乗務”. 金沢経済新聞 (全景). (2012年3月19日). http://kanazawa.keizai.biz/headline/1751/ 
  16. ^ a b 平成17年【夏】の臨時列車の運転(別紙詳細) (PDF) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年5月20日(2005年5月25日時点のアーカイブ
  17. ^ http://www.tetsudo.com/event/10904/
  18. ^ 平成16年【夏】の臨時列車の運転について (PDF) - 西日本旅客鉄道金沢支社プレスリリース 2004年5月14日(2005年5月29日時点のアーカイブ
  19. ^ プロジェクトX』第147回「列車炎上 救出せよ北陸トンネル火災」(NHK総合)2004年6月15日放送分より
  20. ^ 既に1973年10月の時点で、ヘッドマーク掲出は大阪駅 - 米原駅間(EF58形)のみに縮小されていた。
  21. ^ 郵政省が発行した「青函トンネル記念切手」には、当列車のヘッドマークを掲出したED79形電気機関車がデザインされている。
  22. ^ 9月1日から4日にかけて行われ「日本海3・2号」は9月2日青森発から方転編成が運用入り:『鉄道ファン』1990年11月号 P.67-77
  23. ^ “地震から37日、日本海回り寝台の旅 道内-本州、運転を再開”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2004年11月30日). http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/niigata-quake/document/data/0072.200411304622.php 
  24. ^ 信越線運転再開後の特急・急行列車等の運転について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2004年11月25日
  25. ^ 信越線速度制限緩和と特急列車の運転再開について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2004年12月4日
  26. ^ “羽越本線 25日ぶり運転再開 区間運休の鶴岡 - 酒田間 原因解明、対策が焦点に”. 荘内日報 (荘内日報社). (2006年1月20日). http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=:::526 
  27. ^ “平成18年3月ダイヤ改正について” (PDF) (プレスリリース), 北海道旅客鉄道, (2005年12月22日), http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2005/051222.pdf 2010年7月23日閲覧。 
  28. ^ 平成18年春のダイヤ改正(別紙詳細) (PDF) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年12月22日(2006年2月15日時点のアーカイブ
  29. ^ “JR信越線が全線運転再開 中越沖地震の不通全面解消”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2007年9月13日). http://www.47news.jp/CN/200709/CN2007091301000132.html 
  30. ^ 2008年3月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2007年12月20日
  31. ^ “寝台特急「日本海」再開へ 被災地と北陸・関西の足にも”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年3月18日). http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103180328.html 
  32. ^ 【JR西+JR東】臨時寝台特急〈日本海〉運転 - 鉄道ホビダス RMニュース、2013年1月7日、2013年11月2日閲覧
  33. ^ 岩泉に列車ホテル 町に善意のブルトレ、来夏開業 - 岩手日報(2013年11月14日付、同日閲覧)

参考文献[編集]

  • 今尾恵介・原武史『日本鉄道旅行歴史地図帳-全線・全駅・全優等列車- 6号・北信越』新潮社、2010年。ISBN 978-4-10-790040-1

外部リンク[編集]