尼崎駅 (JR西日本)

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尼崎駅*
南口広場(2006年10月)
南口広場(2006年10月)
あまがさき - Amagasaki
所在地 兵庫県尼崎市潮江一丁目1-1
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 アマ
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 4面8線
乗車人員
-統計年度-
40,085人/日(降車客含まず)
-2010年度-
開業年月日 1874年明治7年)6月1日
乗入路線 4 路線
所属路線 東海道本線JR神戸線
キロ程 564.1km(東京起点)
大阪から7.7km
塚本 (4.3km)
(3.0km) 立花**
所属路線 東海道本線貨物支線(北方貨物線
キロ程 10.7km(吹田起点)
◄***宮原(操) (5.6km)
所属路線 福知山線(JR宝塚線)
キロ程 0.0km(尼崎起点)
****(塚本) (-km)
(2.5km) 塚口
所属路線 JR東西線
キロ程 12.5km(京橋起点)
木津から57.3km
加島 (2.2km)
備考 直営駅管理駅
みどりの窓口
東海道本線・福知山線・JR東西線の3路線は相互に直通運転
* 1949年に神崎駅から改称。
** この間に大阪支社神戸支社境界標あり(当駅は大阪支社管内)
*** 実際はこの間で塚本駅構内を経由する。
**** JR宝塚線は大阪 - 尼崎間も含む。
尼崎駅(尼崎臨時乗降場)*
駅全景(1981年4月27日?)
駅全景(1981年4月27日?)
あまがさき - Amagasaki
塚口 (2.5km)
(0.5km) 金楽寺
所在地 兵庫県尼崎市
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 福知山線(尼崎港線)
キロ程 2.5km(塚口起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1911年(明治44年)9月6日
廃止年月日 1981年(昭和56年)4月1日
備考 旅客営業廃止に伴う廃駅。
*1949年昭和24年)1月1日「神崎乗降場」→「尼崎乗降場」
1969年(昭和44年)4月30日 「尼崎乗降場」がら現在の駅名に変更と同時に尼崎駅と同一駅扱い。
ホームから北の高層マンション群を望む
東西線仕様の駅名標
隣駅が左右ともに複数記された駅名標はJR西日本でも極めて珍しく、尼崎駅でも3・6番のりばのみである
尼崎駅1・2番のりばから見た神戸方の線路

尼崎駅(あまがさきえき)は、兵庫県尼崎市潮江一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)のである。JR線では兵庫県最東端の駅である。

目次

[編集] 概要

神戸宝塚大阪京都方面を相互で結ぶ重要な駅である。ただし、尼崎市の商工業の中心駅は阪神電気鉄道尼崎駅で、尼崎市役所は立花駅に近く、当駅は複数路線の集まる結節点として機能している。

IC乗車カード「ICOCA」の利用エリアに含まれている(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。

[編集] 乗り入れ路線

当駅の所属線[1]である東海道本線に、福知山線JR東西線を加えた3路線が乗り入れている。福知山線は当駅が起点であるが、全列車が東海道本線大阪・高槻方面またはJR東西線に直通している。また当駅を終点とするJR東西線からは一部の列車を除き、福知山線または東海道本線神戸方面へ直通運転が行われている。JR西日本の旅客案内では独自の愛称路線名が使用され、東海道本線は「JR神戸線」の路線愛称設定区間に含まれており、福知山線は東海道本線大阪駅 - 当駅間と合わせて篠山口駅までが「JR宝塚線」と呼ばれている。

このほか、東海道本線支線(北方貨物線)の書類上の終点となっているが、実際には当駅より1つ大阪方の塚本駅の構内で本線に合流している。

[編集] 駅構造

島式ホーム4面8線を有する地上駅橋上駅舎)で、各線方向別配線かつ外側線と内側線で分類されている。8番のりばの北隣にはホームのない待避線(9番線)がある。各ホーム12両編成に対応している。改札内にJR西日本の子会社が経営する書店がある。

当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として福知山線の塚口駅猪名寺駅を管轄している。

尼崎駅プラットホーム
ホーム 路線 行先 備考
1 JR神戸線 三ノ宮姫路方面 新快速(快速の一部も使用)
2 JR宝塚線 宝塚福知山方面 特急「こうのとり」ほか主に新大阪・大阪始発
3 JR宝塚線 宝塚・福知山方面 JR京都線またはJR東西線からの直通のみ
JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 普通の一部のみ
4 JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 快速・普通
5・6 JR京都線 大阪新大阪高槻方面 快速・普通
JR東西線 北新地京橋四条畷方面 快速・区間快速・普通
7 JR宝塚線 大阪・新大阪行き 福知山線からの特急「こうのとり」含む(塚本駅通過)
JR東西線 北新地・京橋・四条畷方面 直通快速奈良行きほかラッシュ時の一部(始発列車が中心)
8 JR京都線 大阪・新大阪・高槻方面 新快速(快速の一部も使用)
JR宝塚線 大阪行き 朝の一部列車のみ(塚本駅通過)

当駅は「JR神戸線」の愛称の区間の途中駅であるが、案内上では東海道本線下り三ノ宮方面のみが「JR神戸線」と案内され、東海道本線上り大阪・京都方面は「JR京都線」(実際のJR京都線は大阪駅から先)と案内されている。これは当駅 - 大阪駅間でJR神戸線系統とJR宝塚線系統が混在することから、便宜上直通先の名称を使うことで、同じ方向に向かう2つの系統を一まとめにしているためである。そのため、上りで新大阪駅を越えて運転する系統についてはそれに従い「JR京都線」と記述した。ただし、JR宝塚線方面からの列車のうち大阪・新大阪行きの系統については、塚本駅を通過するということから区別し「JR宝塚線」と記述した。

なお、外側線の本線は1番のりば・8番のりば。内側線の本線は4番のりば・5番のりば。福知山線及びJR東西線の本線は2番のりば・7番のりばである。

  • JR神戸・京都線の新快速と、通過列車(貨物列車など)は三ノ宮方面は1番のりば、大阪方面は8番のりばを走行する。
  • JR宝塚線の大阪駅・新大阪駅発着列車(特急・丹波路快速など)は宝塚方面は2番のりば、大阪方面は7番のりば(一部は8番のりば)を使用する。このホームに停車する宝塚線列車は、普通でも塚本駅は通過する。
  • JR神戸・京都線の快速・各駅停車と、JR東西線に出入りする列車は、三ノ宮・宝塚方面は3・4番のりば、大阪・高槻方面は5・6番のりばを使用する。そのうち、宝塚線に出入りする列車は3番のりば・6番のりばのみ使用する。ただし、平日朝ラッシュ時のJR神戸線からの大阪行き・JR京都線直通のすべての快速と土曜・休日朝の大阪行きは8番のりば、平日朝夕の姫路方面の快速(夕方の列車は兵庫駅→西明石駅間で列車線を走行するため、須磨駅垂水駅舞子駅を通過する)は1番のりばに停車する。JR東西線と宝塚線を直通する一部列車は2・7番のりばに停車する。
  • 朝ラッシュ時、当駅止まりとなる電車は主に4番のりばに到着し、駅西方の引き上げ線で折り返して5番のりばから発車する。2・3番のりばに到着した場合は当駅では折り返せないため塚口駅・新三田駅に回送される。おおさか東線経由の直通快速は2番のりばに到着(土休日ダイヤでは3番のりば到着もある)し、7番のりばから発車する。

3・4番のりばと5・6番のりばではJR京都線・JR神戸線・JR宝塚線・JR東西線の電車が相互乗り換えできるようなダイヤが組まれている。3・4番のりばでは(平日朝ラッシュ時以外)

  • JR神戸線の快速電車(JR京都線から) ⇔ JR宝塚線の快速電車(JR東西線から)
  • JR神戸線の普通電車(JR東西線から) ⇔ JR宝塚線の普通電車(JR京都線から)

という接続があり、平日朝ラッシュ時には

  • 当駅止まりの普通電車(JR京都線から) ⇒ JR神戸線の普通電車(JR東西線から)

という接続がある。5・6番のりばではこれと同じパターンで逆方向の接続があり、JR宝塚線 - JR東西線の快速電車は JR神戸線 - JR京都線の普通電車にも接続する。

[編集] ダイヤ

[編集] JR神戸線

1時間あたり新快速・快速がそれぞれ4本、各駅停車が8本停車する。各駅停車は当駅で半数が入れ替わるダイヤになっている。当駅からの各駅停車は上りは大阪駅、下りは芦屋駅まで後続列車より先着となる。

[編集] JR宝塚線

1時間あたりJR東西線からの塚口駅折り返しの快速・各駅停車がそれぞれ4本(各駅停車は川西池田駅まで先着)、大阪駅発着の快速(丹波路快速含む)が4本停車する。特急も停車する。

[編集] JR東西線

1時間あたり8本が発着する。

いずれの路線も朝晩は本数が多くなり、当駅発着列車の設定もある。

[編集] 利用状況

  • 2008年度の1日あたりの乗車人員は36,496人である。JR西日本で第19位。
    • また、2010年度の1日あたりの乗員人員は40,085人である[2]。JR西日本で第18位。

[編集] 駅周辺

駅北側ロータリー、バスターミナル
  • 駅周辺は北側の潮江地区と南側の長洲地区に分かれている。
  • 阪神電気鉄道にも同じ駅名の尼崎駅があり、直線距離で約2km程離れているが、市営バスで連絡している。
  • 一番近い他社線駅は阪神杭瀬駅で、南東へ徒歩30分かかるが市営バスも運行されている。
  • タクシー乗り場は北口と南口の両方にある。

[編集] 駅北側

[編集] 駅南側

[編集] バス

  • 尼崎市営バス
    • 北口1番標柱
    • 北口2番標柱
    • 北口3番標柱
      • 11番 阪神尼崎 行(工業高校・西長州本通2丁目経由)
      • 12番 阪神杭瀬 行(工業高校・小田保健センター・杭瀬団地経由)
    • 南口4番標柱
      • 23番 阪神尼崎 行(西長州本通2丁目経由)
      • 48番 阪急武庫之荘 行(尾浜2丁目・尾浜西口・立花支所・尼崎北小学校経由)
      • 50・50-2番 阪神出屋敷 行(波洲橋・産業高校・水道局・市役所・JR立花(下)・労災病院・稲葉荘1丁目経由)
    • 南口5番標柱
      • 23番 戸ノ内 行(小田支所・神崎・額田・阪急園田経由)
      • 24番 阪急園田 行(小田支所・小園・額田経由)
    • 南口6番標柱
      • 24・50-2番 阪神杭瀬 行(工業高校・小田保健センター・杭瀬団地経由)
      • 51番 阪神杭瀬 行(社協会館・県立尼崎病院・阪神大物経由)
      • 52番 コスモ工業団地前方面循環JR尼崎(南) 行(社協会館・県立尼崎病院・阪神大物・東本町経由)

[編集] 歴史

[編集] 開業から国鉄分割民営化まで

東海道本線の当駅は、1874年(明治7年)に神崎駅(かんざきえき)として開業した。1891年(明治24年)には現在の福知山線の前身にあたる川辺馬車鉄道尼ヶ崎駅(のちの尼崎港駅) - 伊丹駅間を開業させたが、東海道本線との交差地点には連絡線が設置されなかった。

川辺馬車鉄道は1893年(明治26年)に摂津鉄道となり、さらに摂津鉄道を買収した阪鶴鉄道が有馬口駅(現在の生瀬駅)まで延伸開業した1898年(明治31年)、大阪駅乗り入れのために阪鶴鉄道の塚口駅と東海道本線の神崎駅を結ぶ連絡線が設けられた。

尼崎港線仮乗降場駅名標 1981-04-27?撮影

尼ヶ崎駅 - 塚口駅間は阪鶴鉄道国有化後は福知山線(国有化当初は、阪鶴線と呼称)の支線として扱われ、尼崎港線・尼港線と呼ばれることになる。1911年(明治44年)には、この支線上にも「神崎乗降場」が東海道本線との交差地点南側に設けられた(この時点では神崎駅と別駅扱いだが、運賃上は神崎駅と同一扱い)が、東海道本線の駅とは約300m離れていた。

「神崎乗降場」は東海道本線を越える築堤の上に片面ホーム1面1線で設置されており、「土手の上にある神崎駅」から「ドテカン」と呼ばれていた。そして1949年(昭和24年)、街の代表駅としての実状を考慮して尼崎港線の尼ヶ崎駅を尼崎港駅、神崎駅を尼崎駅に改称した。1969年に「尼崎乗降場」は当駅と同一駅扱いとなり「尼崎臨時乗降場」に変更されたが、実態には変化がなかった。

国鉄時代には、同一駅名の連絡駅にもかかわらず別の場所にそれぞれの路線の駅が設置されている例として、宇美駅香椎線勝田線)・石巻駅仙石線石巻線・現在は統合)・浜川崎駅南武線鶴見線)が存在したが、他の3つは私鉄買収によって路線が成立したのが要因であったのに対し、当駅は利用客の便宜を図ったことが要因となった。

駅自体は同一であるが、ホームの位置が大きく離れており、乗り継ぎには一旦職員通路のような線路脇を歩かなければならず、別駅にも見えた清水駅東海道本線清水港線)のような例もある。

この「尼崎駅」と尼崎港線は1981年に旅客営業が廃止された後、1984年に廃止された。

本線の「尼崎駅」は、駅西側に貨物駅を持ち、また麒麟麦酒の工場や周辺の工場への専用線を持つなど、尼崎市における国鉄の貨物取り扱いの中心となっていた。利用客は少なく、駅設備もホーム間をつなぐ地下通路と南北に小さい駅舎があるだけの駅であった。1964年9月30日までは、当駅で折り返す東海道本線の各駅停車が運転されていたが、翌10月1日の改正で甲子園口駅まで延長された。

当駅に停車するのは、各駅停車と福知山線の快速・普通のみで、東海道本線の新快速・快速は通過していた。特急・急行列車も全て通過していたが、1981年4月の福知山線の宝塚駅までの電化の時に、急行「丹波」が1往復停車し、1986年11月1日改正で特急「北近畿」に格上げされた後も、そのままで受け継がれた。

[編集] 東西線の建設に伴う構内改良

JR化後も大きな変化は無く、3面9線のやや変則的な配線のままであった。しかし、JR東西線の建設に伴い当駅が東西線との分岐駅にもなるため、配線の変更やホーム1面の増設、駅舎の橋上駅化(地下通路は廃止)が行われ、面目を一新した。以下、計画の概要をJR西日本がまとめた講演資料に基づき説明する(「課題」「効果」といった事項も同様)[3]

[編集] 当初の改良計画

最初の構内改良計画は1989年2月、運輸大臣より鉄道施設の変更認可を受けた。その内容は次のようなものであった。

  • 駅起点方でのJR東西線と東海道線との相互乗り入れを考慮し、東海道線の内側線と外側線の間に東西線の線路が挟まれるようにトンネルへのアプローチを設定、配線する。
  • 東西線終点方(神戸方)は東海道線内側上下線の間に折り返し設備を1線設ける。
  • 形態的には4面7線となる[4]

しかし、計画作成後、福知山線と東海道本線の輸送量が予想以上に伸張したため、社内で次のような問題点が指摘された。

  1. 駅西方において東海道本線大阪方外側線と福知山線尼崎方の平面交差が発生し、福知山線から東海道本線・JR東西線への直通列車がラッシュ時計10本に制限される。
  2. JR東西線-東海道本線間の相互乗り入れ、およびJR東西線の折り返し本数が増大すると運転支障が発生する。
  3. 貨物列車待避線を2番線とするため、JR東西線から当駅に進入する列車に支障が発生する。

[編集] 最終的に決定した改良計画

このため、最終的に決定した計画では次のような考え方が打ち出された。

  1. 福知山線の上り(尼崎方面)を立体交差とし、ホームを4面7線から2線増やし4面9線とする。これは、上下線の行き先別案内を対称形とするためである[5]
  2. 東海道線とJR東西線の当駅折り返しを分離し、折り返し列車の集中を避ける。JR東西線は福知山線塚口駅での折り返しとする。
  3. 東海道線下り線(神戸方面)貨物待避線を尼崎駅から分離し、西ノ宮駅に移設する。このことは、当駅の改良用地の生み出しにも資する。

次のような制約条件・要求が求められ、改良に盛り込まれた。

  • ホーム長は245m(12両対応)とする。
  • ホーム幅は、エスカレータ設置を考慮し、8.0mを確保する。
  • 東海道線外側線の設定速度は130km/hとする。
  • 分岐器は進入16番、進出12番とする[6]
  • 上り貨物待避線の有効長は570mを確保する。
  • 東海道線外側線・JR東西線・内側線の同時進入が可能であること。
  • 駅舎は尼崎市から要望のあった橋上構造とし、幅2mの地下通路を廃止して幅6mの連絡通路を設置し、キャパシティを増強する。エスカレータのほかにエレベータを設置し、バリアフリー化に対応する。

改良工事は1駅に対する工事としては比較的規模の大きなものとなり、大規模な切り替えだけでも22回に及んでいるが、1997年3月8日のJR東西線開業に間に合わせることができた。

[編集] 追加の改良

この改良で、次のような課題が社内で意識された。

  • 東海道線内側線列車とJR東西線-福知山線直通列車:同一ホームで乗り換え可能となったのに対して
  • 福知山線-東海道線(大阪方)間の直通列車と、JR東西線-東海道線(神戸方)間の直通列車:同一ホーム乗り換えできない

このため、当駅の大阪方にJR東西線-東海道本線内側線を結ぶ渡り線が追加され、1997年9月1日のダイヤ改正より使用を開始した。この改良で上記の問題は解決し、各ホームの行き先を統一した[7]。また、一連の改良計画を扱った発表は日本鉄道施設協会より「総合技術講演会最優秀論文」を受賞した[8]

[編集] その後

最初の改良の以前、福知山線上り線は駅西方の貨物線群北側を沿っていた。最初の計画でもその経路を踏襲していたが、計画変更を行った際、貨物線群南側を回り込む下り線に平行する形に変更された。このため、上り線は駅西北の名神高速南側の地点に半径304mの曲線が設定された。半径300m程度の曲線は日本の在来狭軌鉄道としては珍しいものではないが、2005年4月25日に福知山線脱線事故が発生した後には、「魔のカーブ」として事故当初から一部マスコミがこの経路変更を問題視した[9]。5年後、遺族団体が鉄道事故調査委員会の調査報告を検証する過程で、当該区間の運転経験がある運転士にアンケートを行った。このアンケートに回答した者の21.5%が速度超過の経験があったことや、41.5%が事故前より当該のカーブへATSを設置するべきと考えていたことなどが明らかになっている[10]

ダイヤ面からは、改良工事後当駅での折り返し列車が復活し、JR神戸線の新快速・快速に加え、福知山線の特急も全列車停車するようになった。このことで乗降客はさらに増加基調が続いた。貨物取り扱いは専用線の廃止や麒麟麦酒の工場の移転などもあって、後に廃止されている。

[編集] 年表

  • 1874年明治7年)6月1日 - 官設鉄道(現在の東海道本線)の大阪駅 - 西ノ宮駅(現在の西宮駅)間に神崎駅として開業。
  • 1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
  • 1898年(明治31年)6月8日 - 阪鶴鉄道の当駅 - 塚口駅間が開業。現在の福知山線。
  • 1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道が国有化され、国有鉄道のみの駅になる。
  • 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。当駅を含む東海道線にあたる区間を東海道本線、旧・阪鶴鉄道が阪鶴線となる。
  • 1911年(明治44年)9月6日 - 尼ヶ崎駅(のちの尼崎港駅) - 塚口駅間に「神崎乗降場」を開設(運賃計算や時刻表上では当駅と同一扱い)。
  • 1912年(明治45年)3月1日 - 線路名称改定。当駅を含む阪鶴線福知山駅以南が福知山線に改称される。
  • 1918年大正7年)8月1日 - 吹田駅への貨物支線(北方貨物線にあたる)が開業。
  • 1949年昭和24年)1月1日 - 尼崎駅に改称。「神崎乗降場」も「尼崎乗降場」に改称。
  • 1953年(昭和28年)6月18日 - 神崎製紙神崎工場(後の新王子製紙神埼工場、現・王子製紙神崎工場)への専用線が開通[11]
  • 1967年(昭和42年)10月1日 - 貨物支線 当駅 - 尼崎市場駅間が開通。
  • 1969年(昭和44年)4月30日 - 「尼崎乗降場」を統合し「尼崎臨時乗降場」とする。
  • 1980年(昭和55年)10月1日 - 当駅 - 尼崎市場駅間が廃止。
  • 1981年(昭和56年)4月1日 - 尼崎港線の旅客営業廃止により「尼崎臨時乗降場」を廃止。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本と日本貨物鉄道(JR貨物)が継承。
  • 1995年平成7年)
  • 1997年(平成9年)
    • 3月8日 - JR東西線が開業。JR神戸線の新快速・快速の全列車停車駅となる。当駅折り返し列車の設定も復活する。
    • 9月1日 - 改良工事完成に伴い、JR宝塚線方面の特急列車、急行「だいせん」が全列車停車するようになる。
  • 2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
  • 2005年(平成17年)
    • 4月25日 - JR福知山線脱線事故発生。このため、福知山線当駅 - 宝塚駅間が不通となる。
    • 6月19日 - 福知山線当駅 - 宝塚駅間、脱線事故以来55日ぶりに復旧。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物の駅が正式に廃止。

[編集] 貨物取扱

かつて当駅はJR貨物の駅(国鉄時代は貨物取扱駅)であり、駅周辺の工場から多くの専用線が当駅に接続していた。専用線はクボタ阪神工場・神崎製紙神崎工場・麒麟麦酒尼崎工場・住友軽金属工業工場へ続くものがあった。

このうち最後まで使用されていたのは駅東側にある神崎製紙(当時は新王子製紙、現在の王子製紙)神崎工場へ続く専用線であった。この線は、東海道本線の北側に沿って東へ向かい、本線の盛土下を通り抜けて、その南側にある工場へ至っていた。主に有蓋車による製品の発送で使用されていたため、当駅から飯田町駅へ向かう貨物列車も運行されていたが、コンテナ化により1995年(平成7年)9月29日の発送をもって専用線は廃止された。これに伴い、当駅を発着する定期貨物列車も廃止された。

定期列車が廃止された後も、阪急電鉄が保有する専用線が敷設されていた。アルナ工機が製造した鉄道車両の搬出用に使用されていたが、2001年(平成13年)11月の発送をもって廃止された。

[編集] その他

  • 第4回近畿の駅百選に選定されている。
  • 当駅は大阪市内には存在しないが、特定都区市内の大阪市内発着の乗車券の場合、当駅で途中下車しないことを条件に乗り換えが認められている。東海道線塚本駅を経由して来た場合は当駅で乗り継いで加島駅以東へ向かうことができる。JR東西線加島駅を経由して来た場合は、東海道線塚本駅以東へ向かうことができる。

[編集] 隣の駅

西日本旅客鉄道
JR神戸線(東海道本線)
新快速
大阪駅 - 尼崎駅 - 芦屋駅
快速
大阪駅 - 尼崎駅 - 西宮駅
普通
塚本駅 - 尼崎駅 - 立花駅
JR宝塚線(福知山線、ただし大阪駅 - 当駅間は東海道本線)
丹波路快速・快速
大阪駅 - 尼崎駅 - 伊丹駅
快速(塚口駅発着)
(加島駅 -) 尼崎駅 - 塚口駅
普通
大阪駅 - 塚本駅(大阪駅始終着列車は通過) - 尼崎駅 - 塚口駅
JR東西線
快速
加島駅 - 尼崎駅 (- 塚口駅・伊丹駅)
直通快速(おおさか東線経由)・区間快速(※)
加島駅 - 尼崎駅
普通
加島駅 - 尼崎駅 (- 立花駅・塚口駅)
東海道本線貨物支線(北方貨物線、原則旅客運行なし)
宮原操車場 - (塚本駅) - 尼崎駅
(※)JR東西線・学研都市線の区間快速は種別設定上では当駅が西端であり、JR神戸線・JR宝塚線内に乗り入れる列車は、当駅から立花方・塚口方は(下りのみ正確にはJR東西線内も)普通列車として運転される。ただし、上り区間快速は当駅までJR宝塚線快速列車として運転されるものもある。

[編集] かつて存在した路線

日本国有鉄道
福知山線(尼崎港線)
塚口駅 - 尼崎駅(尼崎臨時乗降場) - 金楽寺駅
東海道本線貨物支線
尼崎駅 - (尼崎市場駅

[編集] 脚注

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  1. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  2. ^ データで見るJR西日本2011 上位50駅の乗車人員(平成22年度1日平均)
  3. ^ 「尼崎駅構内改良」『総合技術講演会概要集(停車場・計画)』日本鉄道施設協会 1997年10月
  4. ^ この計画では南側から1番目、2番目のホーム、および3番目、4番目のホームの間には線路が1本しかない。ホーム間の線路が2本設定されているのは真ん中に当たる2番目と3番目のホームである。
  5. ^ 貨物線を含めば対称ではないが、貨物線は客扱いのホームがない。講演資料では利用客からの視点を意識して「対称」という説明を行っている。なお、当初の計画においては下り方面は1番線、2番線から福知山線に進出が可能であったが、福知山線の上り線からは、ホームに接している線路としては6番線にしか進入できない(当初の計画で対称とするには5番線にも進入が出来なければならない)。加えて、当初計画においても下り線に貨物専用の待避線は設定されていないため、上述の「2番線に貨物列車が待避する」状態は1番目と2番目のホーム間に貨物列車が待避することを意味する。JR東西線からの列車は1番線、2番線の2線を選べるので2番線が占有されても1番線が使用可能なら停車は不可能ではないが、「支障が生じる」可能性が指摘されたのはこのため。なお、本脚注での番線呼称は最初の計画に基づいたもの。
  6. ^ 大阪駅などでも同様の改良が実施された。
  7. ^ 東西線上り(京橋方)と東海道線上り(大阪方)、
    東西線下り(尼崎方)と東海道線下り(神戸方)
    同一方向にそれぞれ1線ずつ、計2線。
  8. ^ 「総合技術講演会最優秀論文停車場・計画部門 尼崎駅構内改良」『日本鉄道施設協会誌』1998年1月
  9. ^ 例:「時流超流 News&Trends 深層 JR西日本、ブレーキなき組織の暴走体質 重大事故はまた起きる」『日経ビジネス』2005年5月16日
  10. ^【JR福知山線脱線事故】半数近く「現場カーブは危険」と認識 検証チームのアンケートにJR西運転士」『産経新聞』2010年9月3日22時38分配信
    「脱線現場で速度超過」運転士の2割経験 宝塚線事故 『朝日新聞』2010年9月4日5時0分配信
  11. ^ 王子製紙(編) 『王子製紙社史』合併会社編、王子製紙、2001年、p324
  12. ^ 王子製紙(編) 『王子製紙社史』本編、王子製紙、2001年、p561

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