三河島駅

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三河島駅
三河島駅(駅舎は左側高架下)
三河島駅(駅舎は左側高架下)
みかわしま - Mikawashima
所在地 東京都荒川区西日暮里一丁目6-10
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 ミマ
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
10,242人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1905年明治38年)4月1日
乗入路線 3 路線
所属路線 常磐線(快速)
(正式には常磐線
キロ程 1.2km(日暮里起点)
上野から3.4km
日暮里 (1.2km)
(2.2km) 南千住
所属路線 常磐線(貨物支線・田端貨物線)
キロ程 0.0km(三河島起点)
(1.6km) 田端
所属路線 常磐線(貨物支線・隅田川貨物線)
キロ程 0.0km(三河島起点)
(3.2km) 隅田川
備考 区 東京都区内

三河島駅(みかわしまえき)は、東京都荒川区西日暮里一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線である。

歴史[編集]

乗り入れ路線[編集]

当駅に乗り入れている路線は常磐線のみだが、本線のほか、当駅からは田端駅田端信号場駅)方面への支線(田端貨物線)と隅田川駅方面へ向かう支線(隅田川貨物線)が分岐する。支線はいずれも貨物列車のみが使用する。

旅客駅には常磐線快速電車および中距離電車のみが停車し、東京メトロ千代田線に直通する常磐線各駅停車は当駅を経由しない。したがって、複々線区間で常磐線各駅停車のみが停車する綾瀬亀有金町へ向かう利用客は、北千住駅で常磐線各駅停車に乗り換える必要がある。取手以北へ直通する中距離電車はかつて日中しか停車しなかったが、2004年3月13日のダイヤ改正以降は、通勤快速・特別快速を除くすべての中距離電車が停車するようになった。

当駅は、特定都区市内制度における「東京都区内」に属している。

駅構造[編集]

島式ホーム1面2線を有する高架駅である。改札口南千住駅寄りの1か所のみの設置されている。ホーム上屋は短かったが、2011年平成23年)に増設工事が完了、ホーム長の過半をカバーすることになった。

自動改札機設置。かつてはみどりの窓口が設置されていたが、指定席券売機指定席券などを購入することが可能となったため、2005年11月20日をもって廃止された。

2010年12月よりエレベーター設置工事が行われ、翌年4月、完了した。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1 常磐線(快速) 上り 日暮里上野方面
2 常磐線(快速) 下り 北千住松戸取手成田土浦水戸方面

配線図[編集]

三河島駅付近配線略図

(田端貨物線)
田端信号場方面
三河島駅付近配線略図
北千住松戸取手
土浦水戸方面
日暮里上野方面
凡例
出典:祖田圭介「上野駅をめぐる線路配線 今昔」『鉄道ピクトリアル』2006年11月号 pp. 50-58.
青線は常磐線旅客列車の走行する線路



利用状況[編集]

2012年度の1日平均乗車人員は9,867人である。常磐線のJR東日本東京支社管内(上野駅 - 取手駅)の駅の中では最も少なく、東京23区内では越中島駅上中里駅尾久駅に次いで4番目に少ない。近年の推移は下記の通り。

年度 JR東日本 出典
1992年 9,082 [1]
1993年 9,101 [2]
1994年 8,959 [3]
1995年 8,842 [4]
1996年 8,808 [5]
1997年 8,652 [6]
1998年 8,578 [7]
1999年 8,702 [8]
2000年 9,060 [1]
2001年 9,280 [2]
2002年 9,688 [3]
2003年 9,733 [4]
2004年 9,794 [5]
2005年 9,743 [6]
2006年 9,900 [7]
2007年 10,100 [8]
2008年 10,148 [9]
2009年 10,130 [10]
2010年 10,063 [11]
2011年 9,763 [12]
2012年 9,867 [13]
2013年 10,242 [14]

駅周辺[編集]

駅周辺

駅の出口は尾竹橋通りに面している。当駅から日暮里駅までの線路は弧を描くような急カーブになっており、直線距離では日暮里駅・西日暮里駅町屋駅も徒歩圏内にも入るほどの近さにある。

江戸時代、三河島には徳川家康が遷都の際、開墾のために三河から連れてきた伊藤氏(伊藤七家)などの農家が居住して稲作を行っていた。 明治時代には上野の戦いから逃れた彰義隊の残兵が伊藤家に匿われた経緯も史記に残っている。日暮里出身の吉村昭の「彰義隊」に詳しい。

明治から大正までは湿地帯や農家の屋敷も残る田園地帯であった。また文京区柳沢吉保邸であった六義園に展示されている江戸地図に三河島近辺は田畑の表記になっている。

明治以降、屠殺場皮革工場、また下水処理場(三河島水再生センター)などの施設が建設されるようになり、戦前戦後にかけて、それらの工場や施設に日本人労働者や朝鮮半島出身者(多くが済州島出身者)が移住して働くようになった[9][10]。そのような経緯から現在では駅周辺は焼肉店などハングルの看板が並ぶコリア・タウンともなっており、朝鮮学校もある。規模的には川崎新大久保などの他コミュニティよりも比較的規模も活気も小さい。高度経済成長とともに金物加工や印刷、製紙や箱工場も増え、工業地域となった。

1962年には「国鉄戦後五大事故」の一つとされる死者160人を出した三河島列車衝突事故が発生した。

「三河島」という地名は荒川区で広範囲にわたる地域名であったが、前述の鉄道事故のイメージを払拭するために1968年ごろ廃止され、三河島の中心部は「荒川」に、周辺部は他の地名に組み入れられ、現在では駅名や保育園の名前などとして残るのみとなっている[10]

バス路線[編集]

駅前の尾竹橋通り沿いにある「三河島駅前」バス停から発着する。

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
常磐線(快速)
特別快速
通過
快速
日暮里駅 - 三河島駅 - 南千住駅
常磐線貨物支線(田端貨物線)
三河島駅 - 田端駅田端信号場駅
常磐線貨物支線(隅田川貨物線)
三河島駅 - 隅田川駅

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]