高浜駅 (茨城県)

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高浜駅
駅舎
駅舎
たかはま - Takahama
神立 (6.5km)
(3.6km) 石岡
所在地 茨城県石岡市北根本245
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 常磐線
キロ程 76.4km(日暮里起点)
電報略号 タマ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度-
1,185人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1895年明治28年)11月4日
プラットホームと右側で特急待避中のE531系

高浜駅(たかはまえき)は、茨城県石岡市北根本にある東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線である。

駅構造[編集]

2面3線のホームを持つ地上駅。東側に単式ホーム1面1線、西側に島式ホーム1面2線が設けられ、計2面3線となる。のりばは駅舎側から1番線、2番線、3番線である。Suica対応自動改札機設置駅。

直営駅2006年平成18年)3月1日に、自動改札機が導入された。同日に導入された「もしもし券売機Kaeruくん」は、2012年(平成24年)2月14日をもって営業を終了し、代わりに多機能券売機が導入された(「もしもし券売機Kaeruくん」導入時にみどりの窓口は閉鎖されており、指定席券売機も設置されていない為、当駅で指定席券を購入することは出来なくなった)。その他、近距離乗車券の自動券売機乗車駅証明書発行機が設置されている。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1 常磐線 上り 土浦我孫子上野方面
2・3 常磐線 下り 友部水戸いわき方面

下りのみ列車待避が可能であり、3番線が下り待避線となっている。下り普通列車の多くは当駅で特急列車の通過待ちを行う。かつては羽鳥駅での待避が多く、石岡駅からの乗り継ぎも可能であった。

待避に伴う停車時間は長く、列車によっては10分以上となる。

利用状況[編集]

2012年度の1日平均乗車人員は1,185人である。

乗車人員推移
年度 1日平均人数
2000 1,641
2001 1,590
2002 1,543
2003 1,523
2004 1,516
2005 1,442
2006 1,405
2007 1,423
2008 1,410
2009 1,361
2010 1,314
2011 1,248
2012 1,185

駅周辺[編集]

駅の東側で恋瀬川霞ヶ浦に注ぎ、周辺は釣りの名所となっている。夏季には田んぼが辺り一面を緑に染め、ホームからも絶景が広がる。駅前には「茨城百景 高濱の釣場」の石碑が建てられているほか、駅構内にはかつて上京の折、恋瀬川増水による列車抑止のため当駅にて足止めに遭った宮沢賢治の記念碑が存在する[1]

駅前には駐車場があり、タクシーが客を待っていることも多い。

バス路線[編集]

小美玉市行方市鉾田市方面と、石岡市街地方面への路線バスが駅前を経由する。

乗場 系統 主要経由地 行先 運行会社 備考
    茨木・石岡駅 石岡車庫 関鉄グリーンバス
    玉里小学校前・小川駅・大和田 鉾田駅 関鉄グリーンバス 1日1本
  玉里小学校前・小川駅・上山 鉾田駅 土休日運休

歴史[編集]

  • 1895年明治28年)11月4日 - 日本鉄道の駅として開業。
    タナゴ釣りで有名な恋瀬川端にあって霞ヶ浦に近接し、風光明媚なロケーションである。その一方、高浜駅付近は、恋瀬川によって形成された沖積地帯となっており、スポンジの上に線路を敷設するようなものであった。したがって、線路敷設の際は、盛り土が何度も沈下してしまうといった難工事を強いられた末に開通した。
  • 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が国有化
  • 1913年大正2年) - 当駅と新治郡柿岡町(のちの八郷町柿岡、現在の石岡市柿岡)とを結ぶ加波山鉄道が計画され、1927年昭和2年)に着工。軟弱地盤による工事難航や用地買収の遅延、資金繰りの悪化などにより1928年(昭和3年)に母体企業が破産、計画中止となった[2]
  • 1971年昭和46年)10月1日 - 貨物扱い廃止。
  • 1987年昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
  • 2001年平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
  • 2006年(平成18年)3月1日 - 「もしもし券売機Kaeruくん」および自動改札機を導入。
  • 2012年(平成24年)2月14日 - 「もしもし券売機Kaeruくん」営業終了。

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
常磐線
神立駅 - 高浜駅 - 石岡駅

脚注[編集]

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  1. ^ 【新】校本宮澤賢治全集第15巻書簡 本文篇24ページ 大正5(1916)年 16〔8月1日〕保阪嘉内あて葉書に、海岸線高浜停車場にて洪水の後始末のため二時間停車した旨の記述が残されている。当時すでに日本鉄道海岸線は国有化されて常磐線となっていたが、賢治には「海岸線」の名称が馴染み深かったものと思われる
  2. ^ 常陽リビング - 加波山鉄道の築提跡と軌道跡

関連項目[編集]

外部リンク[編集]