ビスタカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ビスタカー (vista car) とは、近畿日本鉄道(以下・近鉄)が保有・運用する電車のうち、特急列車に使用される2階建車両を連結している編成に与えられた愛称である。直訳すれば「眺望車」という意味である。また、世界で初めてのダブルデッカー車両である。

この名称は近鉄の登録商標(日本第3085573号)であるため、他社では許可なく使用できない。

概要[編集]

1958年に試作された近鉄10000系電車以降、主として特別急行列車に用いられている。当初は大阪線山田線で使用されていたが、2012年現在では名古屋線善光寺カーブの解消による21m車入線可能化と標準軌化、奈良京都橿原線の車両限界拡大と1500Vへの昇圧により、狭軌線である南大阪吉野線以外の標準軌各線で使用されている。

ビスタカーは当時、近鉄と競合関係にあった関西本線の準急列車が健闘していることに焦りを覚えた佐伯勇近鉄社長が、部下に発した号令が発端となり開発が始まったとされる。部下には藤縄郁三や影山光一、赤尾公之らがいて、両名の日本国外出張経験から2階建車両の発想が生まれた[1]

かつては近鉄の象徴とも言うべき存在であったが近鉄の車両サイズでは車内空間の余裕に乏しく居住性に難があることを踏まえ、21000系「アーバンライナー」登場以降は後続の新型車両に主役の地位を譲った格好となっている(21000系で2階建て車を導入しなかった経緯は同項目を参照)が、ビスタカー使用列車には時刻表に「V」マークが2000年代後半頃まで表記されていたなど、別格の扱いを受けることが多い。

車両[編集]

以下の車両形式がこれに当たる。詳細はそれぞれの項目を参照。

特急形電車
10000系電車「ビスタカーI世」1958年登場・1971年廃車) 
10100系電車「ビスタカーII世」1959年登場・1979年廃車)
30000系電車「ビスタカーIII世」→「ビスタEX」1978年登場・1996年リニューアル工事施工)
50000系電車「しまかぜ」2012年登場)
団体用車両(電車)
20100系電車「あおぞら」1961年登場・1993年廃車)
20000系電車「楽」1990年登場)

愛称について[編集]

10100系電車登場後、長年に渡って10000系を「旧ビスタカー」、10100系を「新ビスタカー」と呼称していた。各々、「カー」の部分を省略する通称も多用されていた。

その後、30000系登場時には、10100系と区別する為「ニュービスタカー」との呼称が使用された。しかし、この言い分けは「ニュー(New)」と「新」では意味が同じであり、不自然である為、鉄道趣味誌(特に近鉄特急に密着している鉄道ファン誌が中心)において、10000系を「ビスタI世」、10100系を「ビスタII世」、30000系を「ビスタIII世」と呼称するようになった。「カー」は省略するのが通常である。ファンの間での通称だが、後に近鉄自身も10100系引退時のさよなら運転の際、「さよならII世運転」と銘打ったヘッドマークを作成している。

30000系の落成は10000系の廃車後7年を経過した時点だったため、10000系は現役時には「ビスタI世」と呼称された事はない。

50000系はカフェ車両が2階建て構造であるが「ビスタカー」とは名乗っておらず「VISTA CAR」のロゴも貼られていない。

10100系(A編成)
(1978年、河内国分駅付近にて)
近鉄30000系電車(車体更新前)
(1980年、河内国分-安堂間にて)
近鉄20100系電車「あおぞら」
高安検車区にて
近鉄20000系電車「楽」
(2014年)
近鉄50000系電車「しまかぜ」
(2013年)
10100系のロゴ
10000系のものとは意匠が異なる。
20100系の車体側面にも同様のロゴが入っていた
30000系(改装後)のロゴ
改装前は前の2車種とは異なる別の意匠のロゴが入っていた
20000系のロゴ
30000系(改装後)のロゴと意匠は同一である。


バスの「ビスタカー」ことビスタコーチ[編集]

近鉄は鉄道におけるビスタカーの成功により、バスにおいても2階建てバスの企画も行った。直営のバス部門(現・近鉄バス)は1960年に、日野自動車近畿車輛の協力を得て、2階建てバス「ビスタコーチ」(KDD-60、ベースシャーシは日野BD)を製造、1台を大阪市内と石切神社前を結ぶ路線に導入した。

ステップド ルーフの形状は、これもやはりアメリカのグレイハウンドライン1954年から導入され、人気を博していた、レイモンド・ローウィのスタイリングによる、ゼネラルモーターズ (GMC)シーニクルーザに見られる。しかし、2階席をドーム風に仕立てたことと、1階席を設けたところが近鉄流であった。のちに登場する2階建てバスとは異なり、前・後部は一般のバス同様の構造で、ホイールベース間のみが2階建てになっており、乗降口はその2階建部分の中央に設けられていた(つまり車掌乗務車=ツーマンであった)。2階席へは、一旦後部客室に上り、さらに階段で2階席に上る方式であった。定員は座席のみで84名を確保した。

1961年には改良量産型のビスタコーチ(KDD-1、ベースシャーシは日野RC10。エンジンはDK20型・195ps)を製造した。さらに、ビスタコーチは乗降口がノンステップであったことから、2階部分を無くしたノンステップバスの製造も行われている。ただ、これらのバスは、ワンマン化には対応できないため、1970年ごろまでに引退し、系列の北日本観光自動車に移籍している。また、観光タイプのビスタコーチも企画されたが、実現しなかった。近畿車輛のバス製造も名神ハイウェイバスに参入した傘下の日本高速自動車(現:名阪近鉄バス)向け高速バスなどを製造したものの1960年代中に撤退している[2]

1982年には、再び日野自動車と組み、RE161型路線バスシャーシをベースとした2階建てバスを製造した。モノコック構造の1階部分に、スケルトン構造の2階部分を組み合わせた。路線バスでの使用を考えたが、認可が得られず観光バスとして使用した。

1985年には、初の本格的2階建て観光バスとして、日野グランビューが発売された。近鉄は第1号車を購入、これに鉄道と同じ「ビスタカー」の愛称が付与された。

1997年、近鉄は夜行高速バスに収容力にすぐれた2階建てバスを導入したが、既に日野が製造を行っていないため、三菱ふそう・エアロキングが導入された。近鉄バスとしての三菱車は珍しい事例でもある。同型はいずれも夜行路線用で投入され、収容力の高さを活かして利用者の多い路線に使用している。また、2014年7月より夜行高速用からオープントップバスに改造された車両を用いて定期観光バス「OSAKA SKY VISTA」を運行している[3]

出典・脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 「鉄道ピクトリアル」1988年12月臨時増刊号No.505 電気車研究会 p.57、1984年p.131
  2. ^ 年鑑バスラマ 1996年」(ぽると出版)
  3. ^ バスラマ・インターナショナルNo.145 P.22 - 23、ぽると出版 2014年8月25日発行、ISBN 978-4-89980-145-0

関連項目[編集]