近鉄30000系電車

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近鉄30000系電車
橿原線 畝傍御陵前駅 - 橿原神宮前駅間を行く30000系
編成 4両編成
起動加速度 2.5 km/h/s
営業最高速度 120 km/h
減速度 4.0 km/h/s(常用最大)
4.5 km/h/s(非常)
全長 82,140 mm
全高 4,150 mm
車体長 Mc車:20,720mm
T車:20,350 mm
車体幅 2,800 mm
車体高 Мc車:3,860mm
T車:4,135 mm
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
モーター出力 180kW
主電動機 三菱電機 MB-3127-A
編成出力 1,440kW
歯車比 3.81
制御装置 抵抗制御
駆動装置 WNドライブ
台車 近畿車輛 シュリーレン式KD-83・KD-83A
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ HSC-D
抑速ブレーキ
保安装置 近鉄型ATS
製造メーカー 近畿車輛
備考 電算記号:V
Wikipedia blueribbon W.PNG
第22回(1979年
ブルーリボン賞受賞車両

近鉄30000系電車(きんてつ30000けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道特急形車両である。

目次

[編集] 概要

1978年(昭和53年)に10100系「新ビスタカー」の老朽化・廃車に伴い、後継車両として登場した。もともと10100系には、一部の先頭車両が非貫通構造であったことから運用上の自由度が制限される問題があった[1]。また製造当時の運行上の中心であった名阪甲特急(ノンストップ特急)東海道新幹線の開業によって衰退し、代わって伊勢志摩方面を中心とした停車駅が多い乙特急運用が増えたことから、10100系独特のちどり状の扉配置[2]に加えてダブルデッカー構造ゆえに人の動きが滞留して乗降の際に時間が掛かることも問題になった。それゆえ、30000系の先頭車は全車貫通扉式となり、扉配置も見直され、車内は伊勢志摩観光特急用にアレンジされた。

30000系の開発にあたっては、登場の前年より調査が行なわれた。これに関連し、12400系が30000系の構想を念頭に置きながらデザインされた。また、近鉄の赤尾取締役と池田車両部長(当時)が欧米を視察して実地調査を行なった。構想段階当初から伊勢志摩観光特急用として華やかさを持たせたい、そのために階上席を多く設置したい(階上席を多く設置する別の理由として、当時の特急券のコンピューター発売システムによるネットワークにはめ込むために、1両あたり60名以上の定員を持つという条件が示されていた)[3]、という考え方があり、そのため当初は全車ハイデッカー仕様で考えられた。しかし、いざモックアップを制作したところ、フラットカーに乗っている感覚とあまり変わり映えがしないことが判明し、またハイデッカー車であっても階段は必要であることから、中途半端を嫌って純然たる2階建で設計することになった[4]

日本では、新幹線100系電車登場まで唯一ダブルデッカーを運行していた近鉄特急「ビスタカー」の3代目にあたる。登場時は10100系「新ビスタカー」と区別するため「ニュービスタカー」と呼ばれていたが、「ニュー (New) 」と「新」では意味が同じでこの区別方法はおかしいため、のちに「ビスタカーIII世」と通称されるようになるが、後述する更新工事で「ビスタEX(ビスタ・エックス)」に改称された。

伊勢志摩観光特急用としてデビューしたが、名阪ノンストップ特急や、車庫のある大和西大寺駅からの送り込みも兼ねて阪奈京奈特急などでも使用され、デビュー間もない頃から南大阪線系統や湯の山線を除く特急運転区間のほぼ全線で運用された[5]

1988年21000系「アーバンライナー」が登場するまでの間、近鉄を代表する車両であり、近鉄特急のCMでは12200系2両と併結した6両編成での映像が多く使われた。1979年鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞している。

解説の便宜上、本項では大阪上本町駅大阪難波駅向きの先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述する(例:モ30201以下4両編成=30201F)。また、両先頭車をMc車、中間2階建車をT車として記述する。

[編集] オリジナル車(ビスタカーIII世)

1978年12月デビュー当初から1999年11月まで存在した30000系オリジナルスタイル車両について解説する。オリジナル車の編成記号LV であった。

[編集] 編成

MT比2M2T(電動車2両・付随車2両)の4両編成で、大阪側からモ30200形 (Mc1) - サ30100形 (T1) - サ30150形 (T2) - モ30250形 (Mc2) の順に組成される。このうち、中間付随車2両が2階建て車両となる。

30000系営業運行開始時点の編成表
項目\運転区間
(近鉄難波・京都発着)
← 近鉄難波・京都
賢島・近鉄名古屋・近鉄奈良 →

(近鉄名古屋発着)
← 賢島
近鉄名古屋 →
形式 モ30200形 (Mc1) サ30100形 (T1) サ30150形 (T2) モ30250形 (Mc2)
窓・扉配置 d1D9 9D9 9D9 1D8Dd
定員 60 76(2階…64 1階…12) 76(2階…64 1階…12) 60
車内設備 洗面室・トイレ
車内販売準備室
ダブルデッカー ダブルデッカー 洗面室・トイレ
  • 形式欄のMはMotorの略でモーター搭載車(電動車)、TはTrailerの略でモーターを搭載しない車(付随車)、Mcのcはcontrollerの略で運転台装備車(制御車)。
  • 窓・扉配置のマークは「D」が客用扉、「d」が乗務員用扉。数字は窓の数。この編成表では化粧室・車販準備室のすりガラスも窓数に含む。
  • 編成定員は272名(12400系と比較して8名増加)。

[編集] 30000系と他系列編成との連結位置

本系列では電動車が2形式ともにパンタグラフを2基ずつ搭載していたことから、他系列による編成と連結する際は、原則的に他系列が本系列の難波寄りに連結され、電動車同士が隣接しないように運用されていた。つまり、モ30200形と他系列が連結されることになるが、これは運転台側にパンタグラフのある電動車同士が連結されるとパンタグラフが極端な隣接配置となり、押し上げ力過剰で架線に悪影響を及ぼす危険性があったことへの対策であった。ただし、電動車と制御車の連結順が680系以来の京都線特急車の伝統で大阪線特急車と逆向き、つまり大阪線上ではパンタグラフを運転台側に搭載しない制御車が大阪難波寄りとなるのが原則の18200系の場合[6]は、例外的に本系列の伊勢・名古屋寄りに増結して運用された。同様に当初電動車全車に2基ずつパンタグラフを搭載して竣工した第5編成を除く12410系各編成との連結の際は、同系列のパンタグラフが高圧母線引き通しにより各電動車ごとに1基ずつ搭載となっており、しかも大阪難波寄りの電動車では伊勢寄りの連結面側に搭載していることからこの制約の対象外となる。このため、12410系は本系列の両端いずれにも連結が可能である。

30000系の各線における編成の向き[7]
大阪線系統 30000系+18400系の編成表
 
← 近鉄難波・京都
鳥羽・賢島・近鉄奈良 →
号車 1 2 3 4 5 6
形式 モ18400 ク18500 - モ30200 サ30100 サ30150 モ30250
名古屋線系統 30000系+12200系の編成表
 
← 近鉄名古屋
鳥羽・賢島 →
号車 1 2 3 4 5 6
形式 モ30250 サ30150 サ30100 モ30200 - ク12300 モ12200
  • 号車番号は現在と異なり、大阪・京都・名古屋側が1号車となるように設定されていた。
  • 名阪特急に充当される場合は大阪側がモ30200形、名古屋側がモ30250形となるため、大阪側に他系列が連結される。

[編集] 車体

登場時の30000系(河内国分駅 - 安堂駅間)

製造当時の特急車両の主力であった12200・12400系を基本とした。

10100系では連接構造を採用していたが、この方式では車長が短くなる関係上、編成定員が12200系等のボギー構造の車両と比較して少なく、運用面で不都合が発生していた。また、メンテナンスの上でも連節心皿の保守や工場内における編成および台車の分離組立工程に手間がかかる問題もあった。これらの諸問題をクリアすることに加え、2階客室のスペースを多く確保するため、30000系ではボギー構造を採用した[8]。それに伴って車体長も全車20,800mmとされた。

電動車の車体は概ね前年に登場した12400系のデザインを踏襲したが、特急標識・前面行先表示器尾灯標識灯の形状は異なったものにしている。また、貫通路上部に2本の筋が入るようになった。この変更は12400系増備車である12410系、12600系、そして12400系の狭軌バージョンである南大阪線向け16010系に踏襲された。運転台直後に車内販売準備室を備えるモ30200形は片側面につき客用扉が1か所、モ30250形は2か所設置となっている。

付随車の車体はダブルデッカーという特殊構造ゆえに経年使用による車体の垂下が特に心配されることから、両先頭車と同じく台枠サイドシール(側ばり)を車体全長に渡って通し、車端圧縮荷重を直線の梁で受ける構造をとった。この台枠に吊り下げるように、船形のステンレス製台枠を別に製作のうえ取り付け、階下室とした。なお、車体の剛性改善とばね設計の見直しにより、本系列ではレール面上最小車体高さを10100系の245mmから15mm下げて室内空間の増加を図った[8]。付随車の客用扉は車体の中央に1か所設けられ、扉付近は吹き抜けのエントランスホールとしている。なお、全形式とも客用扉は設計当時の近鉄特急車で標準であった2枚折戸である。

付随車の側窓は、座席1列ごとに設けて軽快感と客席の多さをアピールした[8][9]。寸法は電動車の1,700mm×750mmに対して、階上室が840mm×750mm、階下室が930mm×575mmである。2階席の側窓上部には飾り小窓を設置して、車体を出来るだけ高く見せるようにした[10]。階下部分には冷房装置の運転に必要な外気取り入れ用グリルが取り付けられているが[11]、寸法を極力階下室の窓に合わせ、またステンレスの地肌のまま取り付けることで窓が並んでいるようにデザインされ、2階建であることを強調した[8]

車体断面形状は、電動車は12400系と同一であるが、付随車は車両限界一杯まで拡大されている。このため、電動車と付随車では極端に形状が異なるが、2階建車両であることを強調するために、塗装も含めてあえて一貫性を否定し、不連続性を前面に打ち出すことにした[8]。つまり10100系のように紺色の帯を編成全体に通すことをやめ、電動車の紺色の帯を連結面手前で斜めにカットし、付随車で大きくV字のラインを描くデザインとした。また付随車の紺色の帯も電動車のそれと比べて幅を狭くしている。付随車の紺色の帯内には「VISTA CAR」のステンレス製の切り文字が貼り付けられたほか、モ320200形の車販準備室部分にも同様の切り文字が貼り付けられた。ただし電動車の場合、文字サイズが若干小さく、貼り付け箇所は山側のみである。

[編集] 主要機器

[編集] 制御器

主制御器
三菱電機ABFM-254-15MDHB形

主制御器は基本的には既存の大阪線特急車のシステムを踏襲し、力行23段、発電ブレーキ18段の電動カム軸式自動加速制御器である三菱電機ABFM-254-15MDHBを各電動車に1基ずつ搭載し、各電動車の主電動機2基を永久直列として2群を直並列制御する。

ただし、第6編成から第10編成と第14編成の6編成については、製造コスト低減を目的として、代替廃車された10100系に搭載されていた三菱電機ABFM-168-15MDHを整備・改造の上で流用し竣工している。

制御装置の再利用状況[12]
編成名 30201F - 30205F 30206F - 30210F 30211F - 30213F 30214F 30215F
区分 新製 再利用 新製 再利用 新製

[編集] 主電動機

主電動機はMT比1:1で青山峠越えを含む大阪線運用に充当されることから、12200系や12400系と同様、端子電圧675V時1時間定格出力180kWの三菱電機MB-3127-A3を電動車の各台車に2基ずつ装架し、WNドライブで駆動する。歯数比は従来の大阪線特急車と同様、80:21=3.81である。

これらにより、起動加速度2.5km/h/s、最高運転速度120km/h、大阪線新青山トンネル22.7上り勾配では106km/h以上での走行を可能とし、大阪線大和朝倉駅 - 榛原駅間の33.3‰連続上り勾配における均衡速度100km/hを確保している。

[編集] 台車

上がMc車のKD83 両抱き式ブレーキを有する
下がT車のKD83A ディスクブレーキ方式

台車はいずれも近畿車輛製で、電動車はKD-83を、付随車はKD-83Aをそれぞれ装着する。

いずれも京伊特急複電圧車であった18200系用KD-63系(1966年)をルーツとし、12000系用KD-68系(1967年)、12200・12400系用KD-71系(1969年 - 1977年)と改良・熟成を重ねてきた、プレス溶接組み立てによるシュリーレン式円筒案内式車体直結空気ばね台車である。KD-83とKD-83Aは主電動機支持架の有無や基礎ブレーキ装置の構成の他、枕梁周りの寸法が相違しており、重心の高い2階建て車用であるKD-83Aではこれにより枕ばねであるダイアフラム式空気ばねによる車体支持点をKD-83と比べ200mm高くすることで、車体のローリング特性の改善を図っている。

[編集] ブレーキ

T車床下搭載の空気圧縮機

ブレーキシステムとして、電動車については制御器による抑速発電ブレーキと連動する、HSC-D発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキを搭載する。このため各電動車の床下には、青山峠などの下り33パーミル連続勾配区間などで抑速発電ブレーキを常用することから、通常の抵抗制御車と比較して大容量の抵抗器を搭載している。台車の基礎ブレーキ装置は車輪の踏面を前後からブレーキシューで締め付ける両抱き式である。

一方付随車はHSC電磁直通ブレーキを搭載し、台車の基礎ブレーキ装置は車輪間の車軸中央に搭載されたローターをブレーキパッドで挟み込んで運動エネルギー摩擦熱に変換する、ディスクブレーキである。

なお、12200系などと同様に将来の120km/h運転を想定し、ブレーキ制御圧切り替え装置を搭載している。

[編集] 集電装置

集電装置は、近鉄特急では初採用となる東洋電機製造PT4811-A-M下枠交差式パンタグラフが電動車に2基ずつ搭載されている。これらは当時のき電区間の制約から、高圧母線を引き通していないため、個別に集電する。

[編集] 補機

補機関係は、本来付随車に取り付けるべきものが、ダブルデッカー車では床下まで客用スペースに取られることから、10100系では付随車である2階建車両への搭載とはならず、隣り合う車両に搭載されていた。しかし30000系では2階建車への搭載が実現され、このため電動車は床下スペースを抵抗器等で装備することが可能となり、前述のように12400系と同等の走行性能を確保することが可能となった。2階建車への補機設置は、車高の高いT車の重心を下げる役割も担っている。

電動発電機日立製作所HG-634-Erb。AC120kVA)はサ30150形に、空気圧縮機(三菱電機C-2000)はサ30100形にそれぞれ集約分散搭載されている。[13]

[編集] 空調装置

海側と山側で異なる桟の方向

空調装置は、電動車は冷凍能力4,500kcal/hの東芝RPU-1511ユニットクーラーを6基、それに三菱電機が開発した熱交換器(ロスナイ)2基を屋根上に搭載している。付随車は1階席前後の床下に設けられた機械室に冷凍能力10,000kcal/hの東芝RPU-3051を各機械室あたり2基ずつ計4基を搭載して、2階客室へはダクトで荷棚下の風道に冷風を送る設計である。

両先頭車屋上のクーラーキセの桟は、海側と山側[14]では向きが異なり、海側が縦、山側が横向きとなっている。

[編集] 接客設備

[編集] 客室

10100系と30000系との車内空間の比較

2階席の居住性を重視し、10100系よりも居住空間を広く取り、天井の高さを2.18mとして乗客に窮屈な印象を与えないようにした。その分、階下席は高さを思い切って低く抑え、通り抜けができないセミコンパーメント調とした。

フラット車であるMc車の内装は12400系に準じており、「くつろぎのサンシャイン」というテーマを設定して、オレンジ色モケットの座席をはじめ、明るい色調を採用した。階上室はテーマを「さわやかな高原」として、座席モケットを緑色とした。階下席は6人掛けのソファーで、配色は「海のファンタジー」をテーマとして青色とした。階下席には当時禁煙車に指定されていなかった関係で窓際のテーブルに灰皿が設置された[15]。また、階下席では壁に横長のを設置して部屋の圧迫感を和らげている。この部屋の蛍光灯カバーは角を丸め、乗客が頭を打ってけがをしないように配慮した。床材も12400系同様で通路方向に3本のストライプが入る。ただし階下席とエントランスは小石柄のアームストロング材を使用している。また、T車は客用扉を車両中央に設けたために客室が前後に分かれているが、仕切り壁と扉をガラス張りにして見通しを良くし、T車全体があたかも一つの部屋に見えるようにした。このガラス扉にはセラミック加工の横縞模様が入る[16]。荷物棚も透明ガラス製を採用することにより、客室の開放感演出に一役買っている。その一方で、両先頭車に連絡する連結面側の仕切扉は緑色の目隠し式で窓がない。階上室の扉は屋根の半径がきつい関係で両開き式である。デッキの乗降扉の色はMc車がオレンジ、T車が緑として、客席の雰囲気に合わせている。扉は2枚折戸で内側に開くために、可動部の床の色を変えている点は在来車と同様である。妻壁には階下席を除き、「奈良大和路」「伊勢志摩」のイラストが入っている。

客室カーテンの模様も12400系を踏襲してロイヤルラインとされたが、階上、階下席ではベースカラーが異なる。カーテンタッセルは本系列よりU字状のアルミ鋳物形状となり、溝へカーテンを挟み込む方式に変更された(階下席は従来通り帯で束ねる)。窓柱部分には当時の近鉄特急車内でお馴染みであった飾り造花が4窓おきに据え付けられた。ほか、T車エントランスの窓にも飾り造花が据え付けられた。

照明は、T車の入り口天井照明には奈良・春日大社灯籠からイメージを得た模様を入れている。また、T車2階客席の荷物棚に繋がる蛍光灯カバーは和紙調にデザインされた。この蛍光灯カバーからは、蛍光灯の光に加え、天井の飾り小窓から取り入れた自然光を合わせた二重の光が放たれる[17]。夜間になると、この蛍光灯から発する光で飾り小窓が淡く発光する。天井照明は荷物棚の奥に蛍光灯を設けてドーム状の天井を照らす間接照明とした。Mc車は12400系と同様の照明である。

定員は両先頭車が120名、階下席が24名、階上席が128名で、観光列車として階上席重視の考え方が現れている。階上席の定員を多く確保するためには、T車から余計な階段を除去する必要があり、Mc車とT車を連絡する階段はMc車側に設けられ、T車の階段を一つ減らした。そしてT車間は2階客室同士の連絡とした。T車の車体中央に客用扉があるのも、階上席の定員を多く確保するためである[18]

階上席入口の4座席が回転不可の理由

車内の号車表記はMc車が従来通りの札差し込み式、T車は新採用の反転式翼式表示器を使用したが、これは本系列以外に普及しなかった。エントランスには乗客が4室に分かれた客室を探す際に迷わないために、ドア上部に座席案内板を表示している。

座席は階下席を除いて偏心回転式簡易リクライニングシートを採用している。ただし、階下席は天井の圧迫感を与えないよう天井高さを上げているため、この部分の2階客室は床が1段高くなり、ここに位置する座席は回転できない。さらに階上席の連結面側の客室末端4座席、およびモ30200形のトイレ寄りの客室末端4座席も回転不可である[19]。したがって編成あたりでは階下席を除いた回転不可の座席は36席存在する。進行方向によっては見知らぬ人同士が向かい合うことになり、乗客のニーズとミスマッチする一面もあった。座席ピッチは980mmである。ただし、階上席のエントランス側の客室末端8座席の間隔は1,030mmと若干広い。階下室のソファは座面高さを低くすることで、1,650mmの天井の低さを実感させないように配慮された。

[編集] 化粧室

トイレは、両Mc車連結面側に和式1か所と独立した洗面所が設けられている。洗面室は3面鏡の両サイドの鏡に蛍光灯が埋め込まれた。給水方式は足元ペダルを踏むと蛇口から水が流れ出る当時の標準的なタイプであった。床はモザイクタイル張りとした。床下は機器で余裕がないため、水タンクは床上設置としている。処理は貯蔵タンク式である。

[編集] 車内販売準備室

モ30200形の運転台の直後に設けられた。給湯設備がある点や基本的な構造は12400系と同様である。当系列は階段があるために車内販売はワゴンを使用せず、籠に商品を入れて客室を巡回した。

[編集] 増備車

1978年暮れから1985年にかけて、4次にわたって製造された。1次車 (30201F - 30207F) と1979年7月竣工の2次車 (30208F - 30213F) は同一の構造となっているが、1980年7月竣工の3次車 (30214F) はMc車の屋根上に連続形の歩み板が海側に設けられた。また、母線および母線過電流継電器が設置された。1985年3月竣工の4次車 (30215F) は3次車の竣工から4年半が経過しているため、マイナーチェンジが施されている。モ30215は当初から車販準備室とトイレ部に窓(すりガラス)が取り付けられておらず、中間T車は天井の中央部に冷房ダクトを2本追加したため、屋根に段が付き、高さが変更されている。また、乗務員室の環境を改善するために前後スペースを拡大した。このために乗務員室扉が客室側に60mm移動した。階下席では奥行きが100mm拡大され、2,070mmとなった。座席のリクライニング機構は2段階式から無段階式フリーストップタイプに改められた。客室妻壁の伊勢志摩・奈良大和路のイラストは採用されなかった。Mc車の屋根上に連続形の歩み板が海側に設けられ、母線および母線過電流継電器が設置された点は30214Fと同様である[20]

[編集] 改造

1988年3月から実施された最高速度120km/h対応工事が全車に施工された。具体的にはパンタグラフの3元ばね化、ブレーキシリンダーの圧力変更にともなう制動能力向上、抵抗器の容量アップ、ATS上限速度の変更等である。[21]

1990年11月18日に30214Fが高安車庫留置中に放火に遭い、復旧に際して妻壁イラストを廃止、座席の無段リクライニング化、機器の一部新製を行なった[22]

1980年代後半からトイレ、車販準備室のすりガラス窓を埋める工事が一部編成で施工された[23]

車体更新を控えた30207Fが踏切事故でモ30257の制御器を破損し、復旧に際して18400系18410Fを1996年3月付で廃車としたうえで制御器の転用取り替えを行なった。この時期は10100系から流用した制御器の老朽化が顕著になっていたこともあって、この30207Fを皮切りに流用車の取り換えが他編成にも及んだ[24]。制御器の提供元には、18400系のほか、12200系も加わった[25]

[編集] 運用

1978年12月4日に7編成(30201F - 30207F)が竣工して、翌5日より試運転が行われた[26]。同年12月15日に大和西大寺駅 - 東青山駅 - 大和八木駅間でCM撮影用に30000系同士の2編成併結(重連)運転が行われた[27]

営業運転は同年12月30日より暫定ダイヤで運用開始し、初日は近鉄難波駅 - 賢島駅間2往復、京都駅 - 賢島駅間2往復、近鉄名古屋駅 - 賢島駅間2往復であった。31日には伊勢方面の越年特急にも使用、翌年1月5日より通常ダイヤにて運用を開始した[28]。また名阪甲特急にも片道1本ながら30000系運用が設定された[29]。時刻表には本系列充当列車の全てではないが、Vマークが表記される。

[編集] 営業運転初日の運転時刻

阪伊甲特急(鶴橋駅 - 宇治山田駅間ノンストップ、五十鈴川駅は通過、志摩磯部駅は一部停車)

  • 下り 
    • 近鉄難波駅9:20 → 賢島駅11:53(志摩磯部駅停車) 
    • 近鉄難波駅10:20 → 賢島駅12:49 
  • 上り
    • 賢島駅12:25 → 近鉄難波駅14:30
    • 賢島駅14:00 → 近鉄難波駅16:30


京伊特急(大和八木駅 - 松阪駅間ノンストップ、五十鈴川駅は通過)

  • 下り 
    • 京都駅9:15 → 賢島駅12:10 
    • 京都駅10:15 → 賢島駅13:10 
  • 上り
    • 賢島駅12:20 → 京都駅15:18
    • 賢島駅13:20 → 京都駅16:18


名伊甲特急(近鉄名古屋駅 - 宇治山田駅間ノンストップ、五十鈴川駅は通過、志摩磯部駅は一部停車)

  • 下り 
    • 近鉄名古屋駅9:25 → 賢島駅11:29(志摩磯部駅停車) 
    • 近鉄名古屋駅11:25 → 賢島駅13:29(31日より運転) 
    • 近鉄名古屋駅14:25 → 賢島駅16:32 
  • 上り
    • 賢島駅11:40 → 近鉄名古屋駅13:44
    • 賢島駅14:40 → 近鉄名古屋駅16:47(31日より運転)
    • 賢島駅16:40 → 近鉄名古屋駅18:46


[編集] 1979年7月以降

1979年7月の2次車5編成(30208F - 30213F)の増備にともない運用列車を拡大した。近鉄難波駅 - 賢島駅間は甲特急を8往復、京都駅 - 賢島駅間は2往復、近鉄名古屋駅 - 賢島駅間は甲特急を6往復、近鉄難波駅 - 近鉄名古屋駅間は7往復(うち甲特急が下り4本、上り3本、乙特急の下り1本は津駅ゆき)、ほか、京都駅 - 近鉄奈良駅間を3往復、京都駅 - 橿原神宮前駅間を1往復、近鉄難波駅 - 近鉄奈良駅間を2往復のダイヤとなった[5]。この増備によって志摩線内を走行する特急列車のほとんどが30000系という状況が日常茶飯事となった。

伊勢志摩特急用にデビューした30000系ビスタカーIII世であったが、この頃日本国有鉄道(国鉄)の債務状態・労使関係悪化により、運賃新幹線特急料金1975年より値上げを繰り返した結果、コストパフォーマンスと乗務員のサービス体制で近鉄に有利性が生じ、名阪ノンストップ特急の利用客は再び増加傾向にあった。そのため30000系も近鉄の看板列車として名阪ノンストップ特急の一部を担当した。

1990年3月15日のダイヤ変更で、名阪甲特急の全列車が21000系に置き換えとなったため、30000系を含む一般特急車両は名阪甲特急運用から退いた。最終日の30000系甲特急運用は近鉄難波発19時の下り1本のみであった。

1999年8月28・29日に未更新車が残り2編成となったことから、オリジナル車の2編成併結運行が近鉄名古屋駅 - 賢島駅間で行なわれた[30]

1999年11月27日から同月30日にかけて、オリジナル車のさよなら運転が実施された。27日と28日は近鉄名古屋駅 - 賢島駅間を1往復、29日と30日は近鉄四日市駅 - 湯の山温泉駅間を2往復走行した。

[編集] リニューアル車(ビスタEX)

[編集] 概要

30000系「ビスタEX」のダブルデッカー部分(大和西大寺駅)
ビスタカーのロゴ

21000系「アーバンライナー」の登場後、30000系は近鉄を代表する車両というポジションではなくなり、平成に入って22000系「ACE」、23000系「伊勢志摩ライナー」も登場し、これら後発の特急車より設備面の見劣りが顕著になったため、1996年(平成8年)から2000年(平成12年)にかけて大幅なリニューアルが実施され、同時に愛称を現行の「ビスタEX」 (Vista EX) に変更した。

リニューアルコンセプトは「ビスタカーの魅力の再発見」、デザイン上のキーワードを「Elegance & Resort」とした。

改造工事は高安検修センターにて実施されたが、規模の大きい改造であるため、最初に施工される30201Fのみ近畿車輛徳庵工場まで移送のうえで、メーカーによる協力のもと、綿密な工事を行なった[31]

編成記号はIII世時代の LV から V に変更された。

[編集] 編成

30000系更新改造後の編成表
項目\運転区間
(大阪難波・京都発着)
← 近鉄難波・京都
賢島・近鉄名古屋・近鉄奈良・橿原神宮前 →

(近鉄名古屋発着)
← 賢島
近鉄名古屋 →
形式 モ30200形 (Mc1) サ30100形 (T1) サ30150形 (T2) モ30250形 (Mc2)
窓・扉配置 dD7 5D5 5D5 D8Dd
定員 56 68(2階…56 1階…12) 68(2階…56 1階…12) 60
車内設備 洗面室・トイレ
車内販売準備室
ダブルデッカー ダブルデッカー 洗面室・トイレ
  • 編成定員はMc車116名、階上席112名、階下席24名で、合計252名。オリジナル車と比較して20名減少した。

[編集] ビスタEXへの改造内容

Mc車に移設されたVカットライン

2階建中間車の2階部分を新製し、天井部分と床部分をかさ上げ、側窓は従来ハーモニカと称された小窓が連続していたところを、天井部の明かり窓と一体化した曲面ガラスに取り替え、また縦さんを黒塗装している。この改造により、中間車の車体断面寸法を20000系「楽」に準じたものとしたため、外観も「楽」に近いものとなった。中間車出入り口付近のイメージを一新し、観葉植物を踊り場中央に置き、2階客席の車端部の固定式座席を撤去し全席が回転可能になった。さらに座席ピッチを980mmから1,000mmに拡大している[32]。2階部分とMc車のシートは背ずりを22000系のものに類似したタイプに変更、モケットはオレンジ系とグリーン系を採用して、これをランダムに配置した。リクライニング機構は全車フリーストップ式に統一された。階下席についてはモケット張替のみで、その他は全車において内装のカラー変更やカーテン留め具の採用も行われているが、Mc車への間接照明の設置はされなかった。これらにより編成定員は272名から252名に減少した。トイレについては、モ30200形は洋式と男性用小便器ブース、洗面所の組み合わせに変更された。また、処理方式は真空式に改造されている(一部編成は従来どおり)。

塗装は従来のオレンジベースにブルーの帯を引き続き採用したが、従来T車に配していたVマークはMc車側窓に変更し、ブルーの帯の上にホワイトの帯を追加した。また車体裾部はグレーの帯を配した。Mc車のT車寄り側面には、志摩スペイン村のキャラクターが描かれている。先頭車前面の特急表示は省略し、10100系から流用した主制御器を装備する30206F - 30210F、30214Fについては12200系や18400系の廃車発生品に交換している。T車出入台横には20000系に準じたVISTA CARのステンレスロゴタイプが貼り付けられた。また、Mc車正面右側にはVISTA EXのロゴタイプが貼り付けられた。

竣工時より母線引通しがあった30214F・30215F以外は編成内に母線の引通しを行い、また全編成でMc車のパンタグラフを1基搭載とした。パンタグラフの母線引き通しは保安上の理由もあり従来は30m以内となっていたが、これが50m以内に緩和されたことから可能になったものである。この改造により、車体更新前は、パンタグラフが接近しすぎるという理由で、試運転時のCM撮影と未更新車のさよなら運転の時以外避けられてきた30000系同士の併結運転を可能とした。

[編集] 階下席リニューアルとそのほかの改造

行先表示器
上が更新前 下が更新後

2009年から2011年にかけて定期検査等と同時に順次、新型ATS(ATS-SP)設置・デッドマン装置更新工事が実施されている。

2010年4月29日から階下席は3-5人が同一行程で利用できる「グループ専用席」とされ、それにあわせて、2010年4月に施工された30201FのB更新時にT車階下席をヨットのキャビンをイメージした座席にリニューアルされている[33]、30201Fの座席は22600系に準じたゆりかご式リクライニングシートでなく、従来の座席モケットの張り替えのみで、T車2階席は赤系に、Mc車座席に関しても青系にそれぞれ変更され、内装も22600系に準じた明るめのグレートーンに変更され、観葉植物も撤去されている。ただしMc車は間接照明にはされていない。このB更新で、それまでの「ビスタEX」特有のモダンな雰囲気から22600系に近い高級感の漂う車内空間となった。さらに側面行先表示器は12400系や12410系の更新車に準じた3色LED式、先頭車前面行先表示器はフルカラーLED式にそれぞれ変更されている。車体連結面にはスクリーンタイプの転落防止幌が設置されている。

同年8月以降には30202F - 30208F・30211Fに対してB更新が施工された。T車2階席はリニューアル階下席と同様の明るめの青系モケットで、それぞれの背もたれに砂浜をイメージした波模様を取り入れたものとされ、座席自体も22600系に準じたゆりかご式リクライニングシートに交換されている。内装カラーにおいても30201Fとは一部異なり、明るめのグレートーンにオレンジ色を混ぜた暖色系で、M車、T車の妻面はすべて茶木目調となり、高級感と爽やかさを併せ持つ内装となった。ただし、30202F - 30204Fの行先表示器は字幕式のまま存置されている。そのほか、スクリーンタイプの転落防止幌の設置や新型ATS設置・デッドマン装置更新工事も実施されている。なお、2012年3月末までに全15編成のB更新を完了する予定である。

2010年10月からB更新に先行してT車階下席リニューアル工事を施工した編成も存在し、2011年3月までにT車全車両の階下席リニューアルが完了している。

また、全編成に増粘着剤噴射装置の取り付けが実施されている。

[編集] 「ビスタEX」更新後の運用

1996年4月に30201Fが更新改造を終え、4月27日から上本町駅 - 賢島駅間の阪伊特急2往復から運用を開始した(毎週水曜日をのぞく)。

2004年3月ダイヤ変更時より、阪伊・京伊特急で30000系2編成併結運用が開始された[34]

「ビスタEX」への更新後も12200系・12400系・22000系などと組んで6・8両編成で運行されている。阪奈特急や阪伊乙特急では10両編成で運行される列車も存在するが、その他の系統では日中は単独4両編成で運行することもある。2009年4月以降は新規投入された22600系とも編成を組むようになった[35]

2009年3月20日のダイヤ変更により多客時を除き定期列車での30000系2編成併結は消滅した。

2010年4月29日より、B更新を終えた30201Fが阪伊特急より営業に入った。この日以降、全ての本系列充当列車の階下席はB更新の施工・未施工を問わず、グループ専用席とされた。階下席の試験運用として同年10月頃までは以下の列車に限定して運用が組まれた[36]

  • 平日
    • 鳥羽8:18発大阪上本町行き
    • 大阪上本町10:50発宇治山田行き
    • 宇治山田13:29発大阪上本町行き
    • 大阪難波20:50発松阪行き
  • 土曜・休日
    • 松阪5:41発大阪上本町行き
    • 大阪上本町7:50発宇治山田行き
    • 宇治山田10:29発大阪上本町行き
    • 大阪上本町12:50発鳥羽行き
    • 鳥羽15:16発大阪上本町行き
    • 大阪難波20:10発松阪行き


2011年時点では名伊・阪伊乙特急、京伊特急、京奈・京橿特急を中心に運用されている。土・休日の増発列車では名伊甲特急の運用もある。また、近鉄名古屋駅、大阪難波駅、近鉄奈良駅折り返しの間合い運用で名阪乙特急や阪奈特急でも運用されている。

[編集] 脚注

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  1. ^ 10100系全18編成のうち、上本町向きの非貫通先頭車が5編成、伊勢志摩向きの非貫通先頭車が5編成、ほかは前後車輛が貫通扉付き先頭車で、他形式と連結する際は非貫通車寄りには連結できず、自由な位置で連結位置を決められなかった。もっとも、この問題は貫通式の30000系においてもパンタグラフ位置の問題で解決されたとは言えなかった。
  2. ^ 10100系は3両編成で組成されていたが、両端2両の出入台は運転室直後に配されている。このため、中間車には本来両方の連結面側に出入台があることが望ましい。ところが10100系の中間車では、海側が名古屋寄りに1か所、山側が伊勢寄りに1か所しかなく、車両を上からみると対角状の扉配置となって、必ずしも両方の連結面側に扉があるとはいえない。このことから、停車駅によっては最も長い距離を歩くパターンとして、付随車中央の座席から出入台に到達するまで1.5両分を歩く事態もあり、乗降に時間を要する一原因であった。
  3. ^ 『鉄道ファン』交友社 2003年11月号 No.511 p.70-72
  4. ^ 鉄道ピクトリアル 1988年12月臨時増刊号 No.505』電気車研究会 p.60 - p.62, 183
  5. ^ a b 『近鉄パンフレット「近鉄特急ビスタカー」1979年7月30日発行
  6. ^ 後継の18400系では制御車と電動車の連結順が大阪線と統一されたため、この原則の適用外となる。
  7. ^ 1980年3月以降は30000系と18200系の併結は行なわれていないが、図では本文の補佐のために掲載した。『鉄道ピクトリアル』臨時増刊号 1981年12月号 p47
  8. ^ a b c d e 『鉄道ファン』交友社 2003年11月号 No.511 p.68-72
  9. ^ 赤尾取締役のアイデア。2階席の側窓を先頭車と同じ大窓にすると全体の印象として重々しくなるとして極力小さくした。
  10. ^ 鉄道ピクトリアル 1988年12月臨時増刊号 No.505』電気車研究会 p.62
  11. ^ 『鉄道ジャーナル』 1979年3月号 No.145 p.17-18
  12. ^ 寺本光照 林基一 共著『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール p.38
  13. ^ 近鉄発行の30000系カタログ p11。
  14. ^ 近鉄大阪線を基準として見た場合、参宮急行電鉄以来の呼称として、上本町に向かって右側を山側、左側を海側と呼ぶ。『近畿日本鉄道 参宮特急史』プレスアイゼンバーン p.105
  15. ^ このテーブル内に必要な配管類が全て通されて室内高さが確保された。『鉄道ピクトリアル 1988年12月臨時増刊号 No.505』電気車研究会 p.61
  16. ^ 30000系カタログ p.3 近畿日本鉄道発行
  17. ^ 『鉄道ジャーナル』 1979年3月号 No.145 p.18
  18. ^ 『鉄道ピクトリアル 1981年12月号 臨時増刊号』電気車研究会 p.31
  19. ^ 客室末端の座席が回転するためには壁面から座席の中心部まで790mmのピッチを要するが、モ30200形や階上室の場合は500mmしかない。
  20. ^ 『鉄道ピクトリアル 1988年12月 臨時増刊号 No.505』電気車研究会 p.184 - p.185 『車両発達史シリーズ 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会 p.129 ISBN 4-906399-02-9
  21. ^ 『JTBキャンブックス 近鉄特急 下』JTB p.90
  22. ^ 『車両発達史シリーズ 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会 p.129 ISBN 4-906399-02-9
  23. ^ 『車両発達史シリーズ 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会 p.60 ISBN 4-906399-02-9
  24. ^ とれいんエリエイ プレス・アイゼンバーン 2009年1月号 No.409 p.64
  25. ^ 『鉄道ピクトリアル 2003年1月 臨時増刊号 No.727』電気車研究会 p.223
  26. ^ 『鉄道ファン』1979年3月号 No.215 p.77
  27. ^ 寺本光照 林基一『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール p.81
  28. ^ 近鉄発行30000系パンフレット『近鉄特急ビスタカー』1978年12月発行 裏面  寺本光照 林基一 共著『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール p.153
  29. ^ 近鉄難波駅17時00分発。寺本光照 林基一 共著『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール p.119
  30. ^ 名古屋側より30214F+30215Fの組成で、モ30214形の運転台寄りのパンタグラフを降下のうえで運用した。
  31. ^ 『鉄道ピクトリアル2003年1月臨時増刊号 No.727』電気車研究会 p.45
  32. ^ Mc車のシートピッチは従来通り980mm。
  33. ^ 2階建て特急「ビスタカー(30000系)」の階下席がグループ専用席になります 〜ヨットのキャビンをイメージした座席改造車両1編成もデビュー〜 (PDF)-近畿日本鉄道プレスリリース 2010年3月19日
  34. ^ それ以前にも運用上の巡りあわせで併結することはあったが、定期列車としては今回が初めてであった。JTB CAN BOOKS 『近鉄特急 [下] 』 p74
  35. ^ ただし、2009年時点では22600系とは阪奈特急で併結する程度だった。
  36. ^ 2階建て特急「ビスタカ-(30000系)」の階下席がグループ専用席になります (PDF) - 近畿日本鉄道プレスリリース 2010年3月19日

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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