とき (列車)

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とき
E4系「Maxとき」
E4系「Maxとき」
運行事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
列車種別 特急列車
運行区間 東京駅 - 新潟駅など
経由線区 東北新幹線上越新幹線
使用車両
(所属区所)
E4系電車新潟新幹線車両センター
E2系電車新幹線総合車両センター・新潟新幹線車両センター)
運行開始日 2002年12月1日
備考 2013年3月現在のデータ

ときは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が上越新幹線東京駅越後湯沢駅長岡駅 - 新潟駅間で運転している特別急行列車である。種別を示す色)。

本項では、上越新幹線で運転されていた「あさひ」および、首都圏新潟県を結んでいた優等列車の沿革についても記述する。

「とき」「あさひ」[編集]

概要[編集]

新幹線の「とき」は、1982年11月に上越新幹線の各駅停車タイプの列車として運転を開始、「あさひ」は速達タイプの列車として運転を開始した。1997年10月に、東北・上越新幹線の列車名を運転区間別とするため、列車名の再編が行われ、東京駅・越後湯沢駅 - 新潟駅間の列車がすべて「あさひ」に、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の列車をすべて「たにがわ」とし、「とき」は一時廃止された。

しかし、「あさひ」は「とき」の消滅とともに登場した長野新幹線の「あさま」と紛らわしく、利用客の中には駅のホームの発車案内で列車名だけを見て乗車し、高崎駅を過ぎたところで誤乗車に気づくなどのケースが多発した。またJRみどりの窓口にある発券端末には、社員の発券ミスを防ぐために漢字で「朝日」「浅間」と表示されていたほどである。「とき」は新幹線開業前日まで上野駅 - 新潟駅間を運行していた特急列車の名称でもあり、さらには「佐渡島のトキ」という観光資源とも関係の深い名であったことなどから、新潟県内を中心に「復活」を求める声が廃止直後から強く、新潟県などの関係機関からもJR東日本に対し列車名を「とき」に変更するよう要請が行われた。このような経緯から、2002年12月1日のダイヤ改正で東京駅・越後湯沢駅 - 新潟駅間を運転する列車が「あさひ」から「とき」に変更され、「あさひ」は廃止された。

なお、「Max」で運転される列車は、「Maxとき」で運転されている。

在来線では、1962年6月から1982年11月まで、上越線初の特急列車として「とき」が上野駅 - 新潟駅間を高崎線・上越線・信越本線経由で運転されていた。1972年10月にはエル特急に指定され、 1973年10月には13往復が運転され、上野駅・新潟駅の始発時刻は6時から18時台までほぼ1時間ヘッドで運転されるようになった。運行開始以来、約12年間は全列車に食堂車が連結されていたが、使用車両の置き換えに伴い1974年12月から食堂車のない列車が出現、1978年6月に全列車で食堂車営業を休止した。1982年11月の上越新幹線の開業によって廃止され、新幹線の名称として使用されるようになった。

また、「あさひ」は1960年から1982年まで仙台駅 - 新潟駅間を仙山線奥羽本線米坂線羽越本線経由運転していた準急列車急行列車の名称として使用されていた(「べにばな (列車)」を参照。)。なお、戦前には満州国で急行あさひが運行されていた。

列車名の由来[編集]

E2系「とき」


上越新幹線の列車名の選考にあたっては、紀行作家の宮脇俊三なども関与した。

「とき」は列車の運転開始当時、すでに特別天然記念物国際保護鳥に指定されていた、佐渡島トキ(朱鷺)にちなんだものである。新潟県内で親しまれていた列車名であったことから、地域に密着した列車となることを目指して命名されている。

「あさひ」は「朝昇る太陽」の明るいイメージがあり、初の列島横断新幹線である上越新幹線が日本海側に明るい光をもたらし、速達列車にふさわしいとして名付けられた。なお「べにばな」に改称した方の在来線の「あさひ」は、山形県の「朝日岳」にちなむ。

運行概況[編集]

東京駅-新潟駅間での運転を基本としているが、越後湯沢駅-新潟駅間・長岡駅-新潟駅間の区間列車が上下4本設定されている。区間運転の列車は、新潟県内の通勤・通学の足として運行されているもので、「Maxとき」491号が長岡駅⇒燕三条駅⇒新潟駅間(長岡発7時台・土曜/休日運休)でも運転されている。

開業以来、基本的に後続列車には追い越されないダイヤであったが、運転区間の変更や停車パターンの複雑化、更には長野新幹線開業に伴い、例外も増えている。時には「とき」に追い越される「とき」や、高崎駅もしくは越後湯沢駅で「Maxたにがわ」と増解結する「Maxとき」もある。このような追い越しは、2009年時点の定期列車では上り下り各1本のみ設定されている(臨時列車では他にも設定がある)。

また、2013年3月16日ダイヤ改正までは「Maxとき」313号(下り)・314号(上り)として東京駅-新潟駅間ノンストップの列車が1往復設定されていた。所要時間は下りが1時間37分(東京駅9:12発-新潟駅10:49着)で[1]上りが1時間40分(新潟駅8:59発-東京駅10:39着)である[2]。下り「Maxとき」313号は東京駅を20分前に出発した「Maxとき」311号を高崎駅で追い越し、新潟駅へは25分も早く到着するのに対して、上り「Maxとき」314号は先行列車を追い越さない。これは、先発する「Maxとき」312号との間に36分の間隔が空いているためであった。2013年3月のダイヤ改正に伴い、大宮駅に追加停車される形でノンストップ列車が廃止された[3]

停車駅[編集]

東京駅 - 上野駅 - 大宮駅 - 熊谷駅 - 本庄早稲田駅 - 高崎駅 - 上毛高原駅 - 越後湯沢駅 - 浦佐駅 - 長岡駅 - 燕三条駅 - 新潟駅

  • 列車により停車する駅は異なる。

使用車両・編成[編集]

とき
← 東京
新潟 →
PJRPJRNC
E2系
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
G
PJRPJRNC
E4系
1 2 3 4 5 6 7 8
G G
  • 「Maxとき」491号・480号は、1 - 4号車の自由席のみ開放
PJRPJRNC
E4系
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16
G G G G
  • 8号車と9号車の間は通り抜けできない。
  • 全車禁煙
  • 座席種別・編成は変更される場合がある。
凡例
G=グリーン車指定席
指=普通車指定席
自=普通車自由席

JR東日本は新幹線の線区別に使用車両を統一する方針であり、上越新幹線はE2系10両編成、E4系に統一されている。 「とき」にはE2系の10両編成、「Maxとき」には2階建車両のE4系で運転されている。2004年3月13日ダイヤ改正まではE2系(2013年1月26日から定期運用再開)、2012年9月28日まではE1系、2013年3月15日までは200系も使用されていた。

所要時間[編集]

  • 東京駅 - 高崎駅間:最速50分(301号ほか)
  • 東京駅 - 越後湯沢駅間:最速1時間6分(310号・ノンストップ)
  • 東京駅 - 新潟駅間:最速1時間37分(313号・ノンストップ)


沿革[編集]

  • 1982年(昭和57年)11月15日:上越新幹線が開業。これに先立ち、列車愛称を制定。速達タイプを「あさひ」、各駅停車タイプを「とき」とした。
  • 1994年平成6年)7月15日:E1系Max営業運転開始。「Maxあさひ」「Maxとき」新設。
  • 1997年(平成9年)10月1日:東北・上越新幹線の列車名を運転区間別とする列車名の再編が行われ、東京駅・越後湯沢駅 - 新潟駅間の列車がすべて「あさひ」、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の列車をすべて「たにがわ」とし、「とき」は一時廃止。
  • 2000年(平成12年)12月31日:新潟駅 - 東京駅間の最終列車「Maxあさひ336号」は列車名を「ミレナリオMaxあさひ336号」に変更して運転。
  • 2002年(平成14年)
    • 6月:2002 FIFAワールドカップグループリーグの試合が新潟スタジアムで開催されたため、午前2時台まで延長運転を実施。
    • 12月1日:この時のダイヤ改正で、東京駅・越後湯沢駅 - 新潟駅間の列車を「あさひ」から「とき」に変更。5年ぶりに「とき」の名称が復活。
  • 2004年(平成16年)
    • 10月23日:この日発生した新潟県中越地震により、「とき」325号(200系K25編成)が浦佐駅 - 長岡駅間の滝谷トンネル付近で脱線。なお、国内の新幹線車両の営業運転中の脱線は史上初。詳細は上越新幹線脱線事故を参照。
    • 12月28日:臨時ダイヤで復旧。当分の間、被災区間では徐行運転を行い、安全が確認された後に通常ダイヤに復帰した。
  • 2007年(平成19年)3月18日:上越新幹線の全列車が禁煙となる。
  • 2013年(平成25年)3月16日 : 東京駅 - 新潟駅間のノンストップ列車の使用車両をE4系からE2系に置き換え、大宮駅に停車しノンストップ列車の枠が消滅。越後湯沢駅または高崎駅で分割・併合する越後湯沢駅発着の列車名を「Maxとき」から「Maxたにがわ」へ改称[3]

首都圏対新潟県優等列車沿革[編集]

上越線開業から戦争まで[編集]

  • 1931年(昭和6年)9月:上越線の高崎駅 - 宮内駅間が全通。上野駅 - 新潟駅・秋田駅間(新津駅で増解結)に1往復の昼行急行列車が設定され、同区間を7時間10分で結ぶ。
  • 1940年(昭和15年)10月:急行列車の所要時間が6時間35分に短縮。
  • 1943年(昭和18年)2月:戦争激化により、上越線の急行列車が廃止。

戦後の復興期[編集]

  • 1945年(昭和20年)
    • 11月:上野駅 - 新潟駅間に1往復の昼行急行列車が設定。同区間を7時間48分で結ぶ。
    • 12月:石炭不足により、急行列車が廃止。
  • 1946年(昭和21年)11月:上野駅 - 金沢駅間を上越線経由で結ぶ準急列車が1往復設定。
  • 1947年(昭和22年)
    • 1月:石炭事情の悪化により、全国で急行列車・準急列車・二等車(のちのグリーン車)が全廃。
    • 6月:上野駅 - 新潟駅・金沢駅間(長岡駅で増解結)に、1往復の夜行急行列車が設定される。上野駅 - 新潟駅間の所要時間は8時間35分。
    • 10月:上越線の全線電化が完成。これは、全国的にみてもかなり早いものであった[4]
  • 1948年(昭和23年)7月:上野駅 - 新潟駅・金沢駅間の夜行急行列車が分割され、上越線の急行列車は上野駅 - 新潟駅・秋田駅間の列車と、上野駅 - 金沢駅間の列車の2本となる。
  • 1949年(昭和24年)
    • 9月:上野駅 - 新潟駅間に1往復の昼行急行列車が設定。その一方で、夜行の上野駅 - 新潟駅・秋田駅間の急行列車は準急に格下げ。
    • 10月:上野駅 - 金沢駅間の急行列車の運転区間を大阪駅まで延長。
  • 1950年(昭和25年)
    • 10月:昼行の不定期急行列車は定期列車に格上げられ、上野駅 - 新潟駅間の所要時間は6時間50分に。また、上野駅 - 新潟駅・直江津駅間に夜行準急の運転区間を改める。
    • 11月:上野駅 - 金沢駅 - 大阪駅間の急行列車に「北陸」と命名され、上越線初の列車名称になる。

上越線の発展[編集]

  • 1952年(昭和27年)10月:この年4月の高崎線の電化完成により、上野駅 - 新潟駅間の昼行急行列車が「越路」と命名。上野駅 - 新潟駅間の所要時間も6時間に短縮される。また、上野駅 - 新潟駅・直江津駅間の夜行準急列車は直江津行きが信越本線(長野駅)経由となり独立。
  • 1954年(昭和29年)10月:上野駅 - 青森駅間にも上越線・羽越本線奥羽本線経由の急行列車「津軽」が運転開始。
  • 1956年(昭和31年)11月:上野駅 - 新潟駅間に昼行急行として「佐渡」が運転を開始。同区間の昼行急行は「越路」との2列車になる。「佐渡」は上野駅 - 新潟駅間を5時間45分で運行。また「津軽」の定期列車区間が上野駅 - 秋田駅間に短縮され「羽黒」に改称。「北陸」の運転区間が上野駅 - 福井駅間に短縮。
  • 1958年(昭和33年)4月:上野駅 - 新潟駅間の夜行準急列車が「越後」と命名。また、上野駅 - 越後湯沢間で「奥利根」が運転開始(下りの水上駅 - 越後湯沢間は普通列車)。湘南電車と呼ばれた80系電車を使用し、上越線初の電車による優等列車に。
  • 1959年(昭和34年)
    • 4月:上野駅 - 長岡駅間に、80系電車を使用した準急「ゆきぐに」が設定される。
    • 9月:「北陸」の運転区間が金沢駅までに短縮。

特急の誕生と急行の黄金時代[編集]

  • 1962年(昭和37年)6月10日:信越本線の長岡駅 - 新潟駅間の電化が完成し、上野駅 - 新潟駅を高崎線・上越線・信越本線経由で運行する上越線初の特急列車として「とき」が運転開始。これにより上野駅 - 新潟駅間は4時間40分に短縮。また「ゆきぐに」2往復のうち1往復を新潟駅まで延長するとともに80系電車のまま急行に格上げ、「弥彦」に改称。
    • 「とき」を運行するにあたり、山岳区間に対応した161系電車[5]を新造。ヘッドマークには「朱鷺」の漢字が添えられた。
    • 6月:1往復残っていた「ゆきぐに」が急行に格上げされ、新潟駅まで延長。同時に電車夜行急行の「越後」が運転開始。それまで座席・寝台両方を連結していた客車夜行急行であった「越後」は、寝台車中心の編成となり急行「天の川」と改称。また「弥彦」「佐渡」「越路」「ゆきぐに」「越後」の使用車両を165系電車に統一[6]
  • 1963年 (昭和38年) 1月25日 - 2月17日 : 昭和38年1月豪雪により「とき」運休。
    • 1月 上り急行「越路」が吹雪の中で立往生。上野着は6日後となり、前代未聞の列車遅延となった。
    • 1月24日の下り「とき」は豪雪のため三条駅で足止めとなり、翌日開通した上り線を新津駅まで逆行運転するなどして新潟駅に20時間10分遅れで到着した。
    • 3月:下り「弥彦」と上り「佐渡」は165系電車による運転を開始[7]
  • 1964年(昭和39年)6月16日 - 6月26日新潟地震の影響により、「とき」などは運休になる。
  • 1965年(昭和40年)
    • 3月:「とき」は2往復となる。
    • 10月:越後湯沢駅 - 新潟駅間に電車準急「ゆざわ」が、上野駅 - 秋田駅間に気動車急行「鳥海」が運転開始。また電車急行でも「弥彦」「越路」「ゆきぐに」を「佐渡」に統合し、それまでの「越後」を「越路」に改称する列車名の整理が行われ、ビュッフェ車1両が座席車に置換。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月:「ゆざわ」が急行に格上げ。
    • 10月:「とき」が3往復に増発。
  • 1967年(昭和43年)10月1日:上越線の全線複線化に伴うダイヤ改正が行われ、各列車のスピードアップが図られた。また、「とき」のうち1往復が東京駅へ乗り入れ。
  • 1968年(昭和43年)10月:ヨンサントオのダイヤ改正により、次のように変更。
    1. 「とき」は季節列車2往復が新設。
    2. 「佐渡」は夜行の「越路」を統合した上で2往復増発され、8往復になる。
    3. 「ゆざわ」は、越後湯沢駅 - 小出駅間が普通列車になる。
    4. 「北陸」は上野駅 - 福井駅間の季節列車1往復が増発され、2往復になる。
    5. 「鳥海」はそれまでの夜行急行「羽黒」なども統合して、昼行1往復・夜行2往復になる。

急行から特急の時代へ[編集]

183系による特急「とき」(写真はリバイバル運転時のもの)
懐かしの特急「とき」号(新潟デスティネーションキャンペーン記念イベント)
  • 1969年(昭和44年)10月:「とき」の季節列車が定期列車となり、5往復になる。「佐渡」は1往復が廃止されて7往復となる。上野駅 - 秋田駅間に羽越本線経由の気動車特急「いなほ」(キハ80系)が新設され、「鳥海」の昼行1往復は季節列車に。また上野駅 - 金沢駅間の特急「はくたか」が、それまでのキハ80系気動車から481・485系電車に変更された上で信越本線経由から上越線経由となる。
  • 1970年(昭和45年)10月:「佐渡」1往復を特急「とき」に格上げ。「とき」「佐渡」ともに6往復になる。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月:「とき」は1往復増発され、7往復になる。この時上野駅 - 新潟駅間の所要時間は3時間51分に。「ゆざわ」が廃止される。「天の川」は秋田行きとなる。
    • 10月:「とき」は3往復増発されて10往復になる。自由席を新設しエル特急に。「佐渡」はこのとき上野駅 - 長岡駅 - 直江津駅間に「よねやま」が運転開始したため1往復が廃止され、5往復になる。また「いなほ」は485系電車に変更され2往復に増発、うち1往復が青森駅発着となった。「鳥海」は夜行1往復が廃止され1往復になる。
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月:東北・上越新幹線建設工事に伴う上野駅 - 東京駅間の線路封鎖のため、「とき」の東京駅乗り入れを廃止。
    • 10月:「とき」は3往復増発されて13往復になり、6時から18時台までほぼ1時間ヘッドとなる。「佐渡」は1往復が廃止されて、昼行3往復・夜行1往復の4往復になる。また、「佐渡」「よねやま」のビュッフェ営業を休止。
  • 1974年(昭和49年)12月28日:「とき」の181系電車の一部を、新製された食堂車を連結しない183系電車1000番台に置き換える(当時13往復のうち、朝・昼・夕の3往復の列車)[8]。なお、この183系1000番台のヘッドマークには161系→181系とは異なり、「朱鷺」の漢字は添えられなかった。
  • 1975年(昭和50年)
    • 3月:「北陸」1往復が特急に格上げされ、もう1往復は「能登」に改称。
    • 4月14日 - 5月26日:上越線上り線の土合駅 - 湯檜曽駅間での落盤事故の影響により、同区間は下り線を使うことで復旧するが、線路容量が不足するため「とき」「佐渡」の半分が運休。
  • 1978年(昭和53年)
    • 6月:「とき」の食堂車営業が休止。
    • 10月:「とき」が1往復増発、14往復になる。
  • 1979年(昭和54年)
    • 4月:「はくたか」が1往復増発され2往復になる。
    • 7月:「いなほ」が1往復増発され3往復になる[9]。 
  • 1981年(昭和56年)10月:自由席1両が禁煙車となる。在来線特急としては初めて行われた。
  • 1982年(昭和57年)11月:「とき」「はくたか」は上越新幹線の開業によって廃止。「佐渡」は新幹線開業とともに夜行便の削減などを行い3往復と減便されたが存続。「いなほ」は、2往復が新潟駅 - 秋田駅・青森駅間の新幹線連絡特急となり、残った上野駅 - 青森駅間の1往復は「鳥海」と改名。それまでの夜行急行「鳥海」は、特急に格上げされて「出羽」となる。
  • 1985年(昭和60年)3月:「佐渡」「鳥海」「よねやま」は、新幹線上野駅延伸開業を機に廃止。また、急行「天の川」を臨時列車に格下げ。
  • 1987年(昭和62年):夜行快速列車、「ムーンライト」(現在の「ムーンライトえちご」)が運転開始。
  • 1990年(平成2年)9月:上野駅 - 青森駅間に上越線経由の寝台特急「鳥海」が運転開始。
  • 1993年(平成5年)12月:寝台特急「出羽」が廃止。
  • 1994年(平成6年):臨時急行「天の川」が廃止。
  • 1996年(平成8年):上野駅 - 秋田駅間に上越線経由で臨時急行「うえつ」が運転される。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月:「鳥海」が「あけぼの」に改称。
    • 10月:「能登」が信越本線経由から再び上越線経由になる。
  • 2004年(平成16年)10月23日 - 2005年(平成17年)3月25日:新潟県中越地震により「あけぼの」「能登」「ムーンライトえちご」が運休。
  • 2014年3月ダイヤ改正にて寝台特急あけぼのが廃止予定。これにより上越線全線(高崎宮内間)を走行する定期優等列車が消滅する予定。

列車名の由来[編集]

国鉄20系客車急行「天の川」(1985年3月、秋田駅)

五十音順

  • あけぼの」…明け方を表す「」にちなむ。
  • 天の川」(あまのがわ)…夜行列車の愛称は天体にちなむ慣例から、銀河の異称である天の川から。但し、後述する「佐渡」と合わせて、松尾芭蕉俳句である「荒海や 佐渡に横たふ 天の河」となるという洒落がある。
  • いなほ」…庄内平野で盛んな稲作の「稲穂」にちなむ。
  • 越後」(えちご)…新潟県の旧国名「越後」にちなむ。
  • 越路」(こしじ)…「越の国への路」の意味。越後へ向かう列車という意味を込めて。
  • 佐渡」(さど)…新潟県沖の日本海上に浮かぶ、「佐渡島」にちなむ。
  • 鳥海」(ちょうかい)…山形県・秋田県の県境にある「鳥海山」から。
  • 津軽」(つがる)…青森県西部の地域名の「津軽」より命名。
  • 出羽」(でわ)…山形県・秋田県の旧国名「出羽」から。また庄内地方村山地方に跨る出羽三山から。
  • 能登」(のと)…石川県の「能登半島」より。
  • 羽黒」(はぐろ)…出羽三山の一つである、「羽黒山」 から。
  • 北陸」(ほくりく)…北陸地方への列車であることからの命名。
  • 弥彦」(やひこ)…新潟県の「弥彦山」にちなむ。
  • ゆきぐに」…川端康成の小説、「雪国」にちなむ。
  • ゆざわ」…新潟県南魚沼郡の「湯沢町」にちなむ。
  • よねやま」…新潟県柏崎市にある「米山」にちなむ。

脚注[編集]

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  1. ^ 新幹線MAXとき 313号
  2. ^ 新幹線MAXとき 314号
  3. ^ a b 2013年3月ダイヤ改正について (PDF) - JR東日本新潟支社 2012年12月21日
  4. ^ 当時、高崎線・信越本線などは非電化。
  5. ^ こだま型電車・1965年に出力増強改造により181系電車となる。
  6. ^ 「弥彦」「佐渡」「越路」「ゆきぐに」「越後」の5列車に使用する165系電車は、ビュッフェ車グリーン車をそれぞれ2両ずつ組み込んだ13両編成で運行し、「伝統の急行編成」と呼ばれたが、夜行の「越後」では、ビュッフェは営業休止とされた。
  7. ^ 下り「弥彦」と上り「佐渡」は、165系電車を使用した最初の列車。
  8. ^ 置き換えた当時、食堂車の利用者が減少傾向だったことも、編成中に食堂車を設置しなかったことの一因。
  9. ^ 「いなほ」「はくたか」とも1978年10月増発予定の列車が車両不足に伴いそれまで運休扱いとし、新造を待って増発。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]