カルロス (テロリスト)
| イリイッチ・ラミレス・サンチェス Ilich Ramírez Sánchez
|
|
|---|---|
| 通称: | カルロス・ザ・ジャッカル Carlos the Jackal
|
| 生年: | 1949年10月12日 |
| 生地: | |
| 思想: | 共産主義 |
| 活動: | 1973年から1984年にかけて極左テロ |
| 所属: | 無所属 |
| 投獄: | 1994年に拘束されフランスに移送 |
| 裁判: | 1997年に終身刑の判決 |
イリイッチ・ラミレス・サンチェス(Ilich Ramírez Sánchez、1949年10月12日 - )はベネズエラ人の国際テロリスト。コードネームは、「カルロス」。通称、カルロス・ザ・ジャッカル。
1973年から1984年にかけて14件のテロ事件に関与し、世界中で83人を殺害、100人を負傷させ世界を暗躍して極左テログループを指揮、インターポール(国際刑事警察機構)から最重要指名手配をされていた。1994年に潜伏先で逮捕。現在フランスにて服役中。あだ名の「ジャッカル」は、1971年に発表されたフレデリック・フォーサイスの小説『ジャッカルの日』に由来する。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
ベネズエラの首都カラカスで資産家の3人兄弟の長男として生まれる。父親は、辣腕弁護士の熱心な共産主義者で、息子たちに革命家レーニンからとってそれぞれイリイチ、ウラジミール、レーニンと名付けた。カラカスの名門の学校で学んだあと、14歳で学生共産党に入党。その後イギリスへ留学し、ロンドンで留学生活を送った。
[編集] テロ活動
1968年に、共産主義者である父親の支援を受け、ソ連の首都であるモスクワにあるパトリス・ルムンバ名称民族友好大学に留学し、スパイおよびテロリストとなるべく特別破壊工作を学ぶが、出来のいい学生ではなかったと伝えられている。
1969年にヨルダンに向かいそこにいた世界各地のテロリストたちと面識をもつようになった。1970年にパレスチナのPFLPに合流。後にワディー・ハッダード率いるPFLPの分派組織「特別作戦グループ」に加わり、以後多くのテロを指揮するようになる。1972年には日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件に関与し、翌年にはパリ郊外の書店、1974年にはパリの商店と薬局を爆破。またオランダでハーグ事件を起こす。1975年にはオルリー空港を襲撃。同年3月にパリ潜伏中にアジトへ踏み込んできたフランス国土監視局(DST)捜査官2人を射殺する。この時からDSTに執拗に狙われるようになった。
12月には世界中にその名が知れ渡ったOPEC本部襲撃事件を引き起こす。ウィーンのOPEC本部では、石油相会議が開かれていた。この時現れたカルロスら6人は警備の警官を銃撃後、各国代表ら総勢70名を人質にとった。オーストリア当局を相手に交渉を開始し相手側は全ての要求を受け入れ、国営ラジオも声明文を放送した。この事件はハッダードを援助していたイラクの支援の下、サウジアラビアのヤマーニー石油鉱物資源相とイラクと敵対していたイランのアモウゼガル石油相の暗殺が目的であった。
やがて用意された飛行機でアルジェリアへ逃走したが、アルジェリア当局にほとんどの身代金を没収された。その後リビアのトリポリを経てブダペストに着いたが、人質を殺さずに解放してしまったことやカルロスが身代金の一部を着服したことからハッダードから叱責され特別作戦グループを追放された。
追放後は、バグダードに潜伏。金次第で誰の命令でも従う傭兵のような存在になった。ここで一番目の妻でドイツの極左テロ組織「革命細胞」の女性メンバーと結婚している。1979年から1984年の間は、KGBの圧力を受けたハンガリー政府の事実上の庇護の元、ブダペストに潜伏している。この間東ドイツの情報機関であるシュタージやシリアの空軍情報部と接触している。1982年にはパリにあるシリア反体制派系の新聞社「アル=ワタン・アル=アラビー」紙の本社を狙った爆破事件に関与した。1984年からはダマスカスに潜伏。シリア空軍情報部の指令で、ベイルートでのフランス外交官夫妻の殺害、駐レバノン大使の暗殺、パリに亡命しているムスリム同胞団幹部の暗殺未遂などに関与した。
消息が途絶え死亡説すら流れたが、冷戦終結のため居場所を失い、アメリカから圧力を受けたシリアはカルロスを国外追放する。1991年に南イエメン、そしてリビア、ヨルダンを経て、1992年にイラン当局の手引きでスーダンに入国した。形の上だけであるがイスラム教に入信し、石油実業家のアブドゥッラー・バカーラと名乗り、シリア人の妻と高級住宅地で暮らし、外交官クラブに顔を出しては酒を飲んでいた。このころ、睾丸の病を患い苦しんでいたとされる。
[編集] 身柄拘束
スーダン政府はカルロスの国内潜伏を確認していたが、フランスの度重なる身柄引き渡し要求に応える形で遂に逮捕を決定する。これには両国政府の間で何らかの取引があったものと思われる。
1994年8月14日に、スーダンの首都ハルツームでスーダン警察に拘束。15日にフランスに移送され、パリのサンテ刑務所に拘置される。1997年の裁判では自ら革命家を名乗り終身刑の判決を受けると左手のこぶしを突き上げ「革命万歳」と叫んだ。収監中に面会にきた弁護士と獄中結婚している。
[編集] 参考文献
- 『カルロス 沈黙のテロリスト』 (ノンフィクション):ラースロ・リスカイ著
[編集] 関連作品
- 『アサインメント』(映画):1997年、アメリカ製作
- 『Cat Shit One'80』 (漫画):小林源文著
- 『ジャッカルの日』 (フィクション):フレデリック・フォーサイス著
- 『ジャッカル』(映画):1997年、アメリカ製作
- 『暗殺者』 (フィクション):ロバート・ラドラム著
- 『コードネーム:カルロス 戦慄のテロリスト』(テレビ映画):2010年、フランス製作
[編集] 外部リンク
- Straight Dope Staff Report: What's up with the notorious terrorist Carlos the Jackal? July 2, 2002
- The Terrorist Mind: Correspondence with "The Jackal" by Anthony Haden-Guest, the New York Press, October 12, 1999
- Carlos the Jackal: Trail of Terror by Patrick Bellamy, the Crime Library
- Ex-guerrilla Carlos to sue France over solitary confinement, CNN