和光晴生
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| 和光晴生 | |
|---|---|
| 生年: | 1949年 |
| 生地: | |
| 没年: | 存命 |
| 思想: | ゲリラ |
| 活動: | シンガポールシェル石油精油所爆破事件 ハーグ事件 クアラルンプール事件 |
| 所属: | 日本赤軍 |
| 投獄: | 無期懲役 |
| 裁判: | 東京地裁 |
和光 晴生(わこう はるお、1949年 - )は宮城県仙台市出身。日本赤軍の元メンバー。
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[編集] 人物
1972年、映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の若松孝二監督作品で、最初のATG映画となる「天使の恍惚」で撮影助手を担当している。この「天使の恍惚」とは、東京を無差別爆破による都市ゲリラ戦を展開していくという、問題作だった。
1974年にシンガポールシェル石油精油所襲撃事件、ハーグ事件、1975年のクアラルンプール事件に参加する。和光が関わったハーグ・クアラルンプール両事件で、日本赤軍から日仏両政府に対して行われた要求によって、合計6人の囚人(日本赤軍メンバー、及び釈放後に日本赤軍に迎え入れられた他組織の日本人新左翼活動家)が超法規的に釈放された。
1979年、日本赤軍を脱退。パレスチナ人民解放軍の一員となる。
1997年、レバノンにおいて旅券偽造、不法入国などの罪で起訴され、禁錮刑の確定・執行の後に国外追放、日本に移送された。日本ではハーグ、クアラルンプール両事件について逮捕監禁罪、殺人未遂罪で起訴された。弁護側はハーグ事件では拳銃を発砲した奥平純三との共謀を否定し、殺人未遂罪の無罪を主張した。
一審は2005年3月23日に東京地裁で無期懲役判決が下った。判決理由で殺傷力の高い拳銃などを所持していたことと至近距離からの発砲から、確定的な殺意があり、襲撃対象を共犯者に告げた時点には殺人の共謀があったと殺人未遂罪の共謀を認定し、実行犯グループのリーダー格で共犯者を指揮・統率したと認定した。2007年5月9日、東京高裁が控訴棄却、2009年10月27日、最高裁が上告棄却し、無期懲役が確定した。
なお、和光はダッカ日航機ハイジャック事件にも参加したとも言われる(同記事で実行犯として名が挙がっている)が、2010年現在ダッカ事件での立件はされていない。
2005年3月、日本赤軍の元メンバーが万引きで逮捕されたとの報に接した和光は「この件が日本赤軍の実体・実情を示したもので、かつてヨーロッパで大使館占拠や飛行機乗っ取り等を実行してきた組織には、反社会的・反人民的性格があった」と、日本赤軍とかつての日本赤軍のメンバーたちを批判した[1]。
2009年に入って和光晴生は雑誌「情況」において「日本赤軍とは何だったのか その草創期をめぐって」というタイトルで、日本赤軍の結成における事情をつぶさに報告するレポートを4回にわたって連載している。
それによれば、日本赤軍は当初からPFLPとの連帯を目指し、世界同時革命を志向して結成されたものというよりも、先にパレスチナ入りした重信房子がPFLP内での存在感を示すために、いわば無理矢理にでっち上げた組織であって、その組織過程においてテルアビブ空港乱射事件をも日本赤軍の「業績」として神話化したものであるとして重信ら執行部の無責任さと日和見主義、無計画ぶりを指弾している。
[編集] 著書
- 「赤い春―私はパレスチナ・コマンドだった」(集英社インターナショナル)ISBN 4797671688