ウルリケ・マインホフ

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ウルリケ・マインホフ

ウルリケ・マリー・マインホフ(Ulrike Marie Meinhof、1934年10月7日 - 1976年5月9日)は、西ドイツテロリストジャーナリストドイツ赤軍の創設者、指導者の一人。

プロフィール[編集]

ジャーナリスト[編集]

オルデンブルク出身。父は美術評論家であった。幼少期に両親を亡くし、母親の友人で社会主義者の女性大学教授に育てられる。マールブルク大学、次いでミュンスター大学に学び、核兵器反対運動等で学生闘士として注目される。

ピル中絶などを取り扱う左翼的な雑誌「コンクレット」誌の記者となり、彼女の記事は評判となった。このころ、映画監督であるミヒャエル・ハネケと知り合っており、ハネケはウルリケ・マインホフのことを「とても好感が持て、温かい心を持った、政治に積極的に参加していて、そのうえユーモアに富んだ人間だった」と評している。[1]

1961年、同誌の編集長クラウス・レールと結婚、翌年二児をもうけたが、後に離婚。

テロリスト[編集]

1968年にアンドレアス・バーダーグドルン・エンスリンが率いる極左地下組織「バーダー・マインホフ・グルッペ」(後にドイツ赤軍と改称)に参加しテロリストになった。1972年に仲間とともに逮捕され、シュトゥットガルトのシュタムハイム刑務所に収監される。1976年に獄中で首吊り自殺をした。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ SPIELFILM.de „Das weisse Band“: Michael Haneke”. 2013年11月17日閲覧。 邦訳はぷらねた ~未公開映画を観るブログ~”. 2013年11月17日閲覧。