永田充

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永田 充 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ナガタ ミツル
ラテン文字 NAGATA Mitsuru
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1983年4月6日(28歳)
出身地 静岡県清水市(現静岡市
身長 184cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム 浦和レッドダイヤモンズ
ポジション DF
背番号 17
利き足 右足
代表歴 2
2010- 日本の旗 日本 2 (0)
2. 2011年1月21日現在。
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永田 充(ながた みつる、1983年4月6日 - )は静岡県出身のプロサッカー選手J1浦和レッドダイヤモンズに所属。ポジションはディフェンダー

目次

[編集] 来歴

[編集] 柏レイソル

静岡学園高等学校から、2002年に柏レイソルとプロ契約。2年目の2003年からセンターバックのレギュラーに定着し、同年のFIFAワールドユースにU-20日本代表のメンバーとして参加。その後、弱冠20歳にしてA代表に初選出された(出場はなし)。

2005年3月19日のナビスコ杯、対FC東京戦において、FC東京のFWルーカスとの接触により負傷。左膝前十字靭帯断裂で全治8ヶ月の重傷を負い、シーズンの大半を棒に振った。シーズン終盤の11月に実戦復帰したが、永田の不在もあって低迷していた柏は、J1・J2入れ替え戦ヴァンフォーレ甲府に敗れ、J2降格が決定してしまった。

[編集] アルビレックス新潟

2006年より、1年後輩のFW矢野貴章と共にJ1・アルビレックス新潟に完全移籍。新潟に移籍早々の2006年2月、トレーニング中に負傷。右膝靱帯損傷で全治2ヶ月と診断された。徐々にリハビリから通常練習に移行し始めていた同年5月、右膝前十字靱帯断裂で全治5ヶ月の大怪我を負うことになった。この度重なる大怪我により、2006年は1試合も公式戦に出場することができなかった。

2007年はシーズン初めよりDF千代反田充とコンビを組んでにセンターバックのレギュラーに定着し、守備陣の中心として活躍。9月22日の鹿島戦でまたも右膝靭帯を負傷し、リーグ戦22試合の出場にとどまったが、クラブ史上最高となるシーズン6位に貢献した。

2008年も同様に守備の中心として活躍。この年はそれまでの数シーズンとは異なり、大きな怪我もなくシーズンを戦い抜きリーグ戦30試合に出場。この年の新潟はリーグ最低の32得点という攻撃陣の不甲斐なさもあり、最終節まで残留争いに巻き込まれ、最終的には13位と低迷。だが失点数は過去最高順位だった前シーズンより減少するなど、永田と千代反田のセンターバックコンビを中心とする守備力は残留に大きく貢献した。

2009年は、足首の故障による欠場1試合を除く33試合に出場。この年の新潟は強烈な3トップが注目されたが、一方で千代反田、MF本間勲とのトライアングルで形成するセンターの守備はいよいよ熟練したものになり、シーズンで08年の46失点を大きく下回る31失点を記録し、チームの躍進に大きく貢献した。

2010年も新潟に残留し、千代反田の移籍によりディフェンスリーダーとして活躍。9月2日、キリンチャレンジカップパラグアイ戦、グアテマラ戦において、練習で右肋軟骨を負傷したDF闘莉王の代役として日本代表への追加招集を受け、7日のグアテマラ戦でDF長友佑都に代わり後半から出場。初招集から8年目にして、念願のA代表デビューとなった。シーズンでもそれまで泣かされ続けてきた負傷もなく、初のリーグ全試合出場を果たし、千代反田が抜けた新潟の守備を引っ張った。

[編集] 浦和レッドダイヤモンズ

2011年、MFマルシオ・リシャルデスと共に浦和レッドダイヤモンズに完全移籍[1]。背番号は前シーズンチーム得点王のエジミウソンが付けていた17番が与えられた[2]。3月6日に行われたJ1第1節、対ヴィッセル神戸に先発出場し、浦和での公式戦デビューを果たした[3]。7月13日にホームで行われたJ1第4節の川崎フロンターレ戦でコーナーキックからのこぼれ球を右足で押し込み浦和での初ゴールを記録した[4]。8月14日に東北電力ビッグスワンスタジアム行われたJ1第21節の古巣アルビレックス新潟戦では山田暢久のヘディングを相手GKがはじいた所を右足で押し込み、シーズン2点目を挙げた[5]。 移籍1年目からCBのポジションを確保しレギュラーシーズンの34試合フルタイム出場を果たした。

[編集] エピソード

  • 2005年のJ1・J2入れ替え戦の第1戦後、相手のエースFWバレーについて、「バレーは思ったよりは怖くない。抑えられる」と発言。しかし第2戦において、そのバレーに一人で6得点され、更に自身はイエローカード2枚で退場処分を受けてしまった。
  • 本人曰く、2度目の大怪我のリハビリ中に臀部から腿部の筋肉に対して徹底的な筋力トレーニングを行った結果、これまでにないスピードが身に付いたとのこと。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2002 20 J1 6 0 0 0 0 0 6 0
2003 20 J1 23 0 4 0 1 0 28 0
2004 20 J1 28 2 4 0 1 0 33 2
2005 20 J1 5 1 1 0 0 0 6 1
2006 新潟 6 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2007 新潟 6 J1 22 0 3 0 0 0 25 0
2008 新潟 6 J1 30 1 5 0 2 0 37 1
2009 新潟 6 J1 33 0 6 0 4 0 43 0
2010 新潟 6 J1 34 0 6 0 2 0 42 0
2011 浦和 17 J1
通算 日本 J1 181 4 29 0 10 0 220 4
総通算 181 4 29 0 10 0 220 4

その他の公式戦

[編集] 個人タイトル

[編集] 代表歴

  • U-17、U-18、U-19、U-20日本代表
  • 2003 U-20日本代表 FIFAワールドユース選手権(UAE)出場
  • 日本代表2003、2010-

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 2試合 0得点(2010-)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2010 1 0
2011 1 0
通算 2 0

[編集] 脚注


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