森重真人

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森重 真人 Football pictogram.svg
名前
愛称 モリゾー、モリゲ
カタカナ モリシゲ マサト
ラテン文字 MORISHIGE Masato
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1987年5月21日(24歳)
出身地 広島県広島市安佐北区
身長 180cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム FC東京
ポジション MF (DH)/DF (CB)
背番号 3
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2006-2009
2010-
大分トリニータ
FC東京
73 (5)
67 (9)
代表歴 2
2008- 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月21日現在。
2. 2009年8月21日現在。
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森重 真人(もりしげ まさと、1987年5月21日 - )は、広島県出身のプロサッカー選手JリーグFC東京所属。ポジションはミッドフィールダーディフェンダー

目次

[編集] 来歴

[編集] プロ入り前

広島高陽FCサンフレッチェ広島ジュニアユースの2学年先輩に田坂祐介、1学年先輩に高柳一誠がいる。ジュニアユース時代は当初FWをしており槙野智章と2トップを組んでいたが、監督の月岡利明により守備的ミッドフィールダー(ボランチ)にコンバートされる[1]。その後広島ユースのセレクションを受けたが合格せず、広島皆実高校へ進学。1年生の頃から守備的MFとして試合経験を重ね、2年生以降は中心選手として活躍した。高校の2年先輩には吉弘充志がいる。

[編集] 大分トリニータ

大分スカウトの片野坂知宏から誘いを受け、2006年大分トリニータへ入団。本来はボランチの選手だが、チームではセンターバック(CB)として出場しており、フィジカルと空中戦の強さはチームメートの梅崎司からも高く評価されていた[2]。10月にはAFCユース選手権2006日本代表に選出され、グループリーグ第2戦の対タジキスタン戦で梅崎からパスを受け豪快なミドルシュートを決めるなどの活躍を見せ、日本の準優勝に貢献。

2007年シーズン後半より大分でのスターティングメンバーに抜擢され、最終節の対新潟戦ではプロ初得点を挙げた。

2008年からは三木隆司の移籍もあり、3バックの中央で定位置を確保。このポジションについて本人は「試合の流れを見て、読んで、相手のボールを奪う。先読みしてコースに入ってインターセプトしたり…というのが、自分に備わっている(ため合っている)」と語っている[3]。安定して出場機会を得たことで急成長を見せ、同年7月14日には北京オリンピックに臨むメンバーに選出され、グループリーグ全3試合に出場。アメリカ戦で決定機を逸するなど[4]結果を残すことはできなかったが、日本サッカー協会アドバイザーのイビチャ・オシムは、守備面での能力(身体能力、精神力、ユーティリティー性[5])を高評価していた[4]9月29日森島康仁と共にA代表に選出。岡田武史日本代表監督からは「球出しのセンスがあり、ボール際もかなり戦える」と評された[6]。また大分のナピスコカップ優勝にも貢献した。一方でラフプレーが多く、リーグ戦では11枚ものイエローカードを受けており[7]、カードの多さについては本人も課題に挙げている[8]

[編集] FC東京

2009年12月、チームのJ2降格や深刻な経営難が表面化し、川崎浦和との競合の末、2010年からFC東京に移籍することが発表された[9][10]。FC東京では、主に4バックの右CBに入り、今野泰幸とコンビを組んでいたが、新人DFキム・ヨングンのCB起用が増えるのに併せて層の薄いボランチに配される機会も多かった。ボランチでのプレーについて、城福浩監督は中盤の選手としての運動量[11]大熊清監督は90分通してのアグレッシブさを課題に挙げており[12]、必ずしもベストな選択ではないことをうかがわせていたが、湘南反町康治監督から「ボールを動かす力があるし、ドリブルでひとつ持ち運ぶことができる。」[13]LDUキトのエドガルド・バウサ監督から「ディフェンスをしながら攻撃にも参加するという二重の役割をよくこなしていた。」[14]と、敵将から高く評価されることがしばしばあった。東京でもセットプレーなどでのターゲットになることが多く、FC東京での初得点はショートコーナーからのクロスを合わせたヘディングによるものだった。

2011年からは、大熊監督より「遊びで蹴っているのを見たら明らかに(チームで)一番うまい[15]」とフリーキックのキッカーに指名され[16]、ターゲット役と併行して務め、直接FKでの得点も上げた。また前年のプレーを自省してラフプレーの改善に取り組み[17]、出場停止を1試合にとどめ[18]チームでの公式戦最多出場を記録した。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2006 大分 15 J1 2 0 0 0 0 0 2 0
2007 20 1 3 0 2 1 25 2
2008 6 28 3 7 1 0 0 35 4
2009 23 1 2 0 0 0 25 1
2010 FC東京 3 30 3 8 1 5 0 43 4
2011 J2 37 6 - 6 3 43 9
2012 J1
通算 日本 J1 103 8 20 2 7 1 130 11
日本 J2 37 6 - 6 3 43 9
総通算 140 14 20 2 13 4 173 20
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2012 FC東京 3
通算 AFC

その他の国際公式戦

[編集] タイトル

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会

[編集] 脚注

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  1. ^ 「あの頃僕は 槙野智章」、ASSIST2010年夏号、P.36
  2. ^ プレシーズンマッチ対 慶南FC 戦プレビュー J's GOAL 2006.08.06
  3. ^ J's GOAL×NTT西日本:スペシャルインタビュー ~14~ 森重真人 (大分) J's GOAL、2008.10.30
  4. ^ a b オシム氏が日本北京世代4人を欧州に推薦 日刊スポーツ、2008.09.14
  5. ^ 前述のボランチ、CBに加え、同大会のオランダ戦ではサイドバックを務めていた。
  6. ^ 日本代表メンバー発表 岡田監督会見 スポーツナビ、2008.09.29
  7. ^ 2008Jリーグ ディビジョン1 警告・退場・出場停止 Jリーグ公式ウェブサイト 2008.12.06
  8. ^ Tokyo Mania 第39回 森重真人選手インタビュー 182Channel 2010.04.21
  9. ^ 森重真人選手 FC東京への完全移籍決定のお知らせ”. 大分トリニータ (2009年12月11日). 2009年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月11日閲覧。
  10. ^ 森重大分退団へ、東京入りを決断”. 日刊スポーツ (2009年12月9日). 2009年12月13日閲覧。
  11. ^ 【J1:第15節 FC東京vs磐田】城福監督(FC東京)記者会見コメント J's GOAL 2010.07.28
  12. ^ 【J1:第25節 FC東京vs湘南】大熊監督(FC東京)記者会見コメント J's GOAL 2010.10.03
  13. ^ 【J1:第14節 湘南vsFC東京】反町監督(湘南)記者会見コメント J's GOAL 2010.07.25
  14. ^ 【スルガ銀行チャンピオンシップ FC東京vsリガ・デ・キト】バウサ監督(リガ・デ・キト)記者会見コメント J's GOAL 2010.08.04
  15. ^ 週刊サッカーマガジン増刊 FC東京J1昇格記念号』 ベースボール・マガジン社、2011年、9頁。
  16. ^ 今季の森重はFKも蹴る!! 超攻撃的CBへ脱皮はかる 東京中日スポーツ、2011.04.27
  17. ^ 森重“変身”今季警告0 カードコレクター返上 東京中日スポーツ、2011.06.15
  18. ^ 警告・退場・出場停止 Jリーグ、2011.12.03

[編集] 関連書籍

  • 2011年3月『高校サッカー聖地物語 僕らが熱くなれる場所』(講談社、安藤隆人) ISBN 4062167034

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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