サッカーイラク代表
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| 国または地域 | ||||
| 協会 | イラクサッカー協会 | |||
| 監督 | ||||
| 最多出場選手 | フセイン・サイード(126試合) | |||
| 最多得点選手 | フセイン・サイード | |||
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| 初の国際試合 | 1957年10月19日対モロッコ 3-3 |
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| 最大差勝利試合 | 1992年8月18日対エチオピア 13-0 |
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| 最大差敗戦試合 | 1970年7月26日対東ドイツ 0-5 |
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| FIFAワールドカップ | ||||
| 出場回数 | 1回(初出場は1986) | |||
| 最高成績 | 本大会出場 | |||
| AFCアジアカップ | ||||
| 最高成績 | 優勝(2007) | |||
サッカーイラク代表(منتخب العراق لكرة القدم)は、イラクサッカー協会 (IFA) によって編成されるサッカーのナショナルチームである。
西アジアサッカー連盟所属。西アジアサッカー選手権優勝1回。AFCアジアカップ優勝1回。
目次 |
[編集] 歴史
ガルフカップ優勝3回。1980年のモスクワ五輪、1984年のロサンゼルス五輪、1986年のメキシコW杯に出場するなど1970年代後半から80年代半ばにかけてアジア最強の一角を占めていたが、1980年から8年間続いたイラン・イラク戦争、1991年の湾岸戦争とその後の国際的経済制裁さらに2003年のイラク戦争の影響でサッカーを取り巻く環境が著しく悪化した。また、イラク国内のスポーツを統括していたサッダーム・フセインの息子・ウダイ・サッダーム・フセインによって、選手たちに対しての趣味的な拷問が繰り返されていたとセンセーショナルに報道されていたが、その真偽は定かではない。
しかし、国内が危機的な状況の中、AFCユース選手権2000で19歳以下の代表が優勝を飾り、若年層に才能が育っていたことはアジアのサッカー界に驚きをもって受け止められた。この世代の選手たちが中心となり、イラク戦争・ウダイ死亡後には2004年の中国アジアカップでベスト8、アテネ五輪で4位、2006年のアジア大会で準優勝と立て続けに国際大会で好成績を上げた。
そしてアジアカップ2007では初優勝を飾り、再びアジア列強の地位を取り戻している。この大会でイスラム教シーア派の選手とスンニ派の選手、クルド人の選手が共に優勝を喜ぶ姿は国内外でも大きく注目を集めた。
[編集] FIFAワールドカップの成績
- 1930 - 不参加
- 1934 - 不参加
- 1938 - 不参加
- 1950 - 不参加
- 1954 - 不参加
- 1958 - 不参加
- 1962 - 不参加
- 1966 - 不参加
- 1970 - 不参加
- 1974 - 予選敗退
- 1978 - 棄権
- 1982 - 予選敗退
- 1986 - グループリーグ敗退
- 1990 - 予選敗退
- 1994 - 予選敗退
- 1998 - 予選敗退
- 2002 - 予選敗退
- 2006 - 予選敗退
- 2010 - 予選敗退
[編集] AFCアジアカップの成績
- 1956 - 不参加
- 1960 - 不参加
- 1964 - 不参加
- 1968 - 不参加
- 1972 - グループリーグ敗退
- 1976 - 4位
- 1980 - 不参加
- 1984 - 不参加
- 1988 - 不参加
- 1992 - 不参加
- 1996 - ベスト8
- 2000 - ベスト8
- 2004 - ベスト8
- 2007 - 優勝
- 2011 - ベスト8
[編集] 西アジアサッカー選手権の成績
[編集] 歴代監督
ジョルバン・ビエイラ (en) 2007,2008.9-2009.2
ボラ・ミルティノビッチ 2009.4-
ウォルフガング・シドカ (en) 2010.8-2011.8
ジーコ 2011.9-
[編集] 歴代選手
- ハワル・ムラ・モハメド 2001-
- ナシャト・アクラム 2002-
[編集] 関連項目
- ドーハの悲劇(1994 FIFAワールドカップ・アジア地区最終予選 「日本vsイラク」)
[編集] 外部リンク
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