ヴラディミル・ペトロヴィッチ

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ヴラディミル・ペトロヴィッチ Football pictogram.svg
名前
愛称 Pižon
ラテン文字 Vladimir Petrović
セルビア語 Владимир Петровић
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 1955年7月1日(59歳)
出身地 ベオグラード
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1972-1982
1982-1983
1983-1985
1985-1986
1986-1987
1987-1988
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗レッドスター
イングランドの旗アーセナルFC
ベルギーの旗ロイヤル・アントワープ
フランスの旗スタッド・ブレスト29
ベルギーの旗スタンダール・リエージュ
フランスの旗ASナンシー
257 (49)
13 (2)
48 (10)
37 (5)
31 (5)
29 (1)
代表歴
1973-1982 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 34 (5)
監督歴
1996-1997
2004
2005-2007
2007-2008
2009-2010
2010
2010-2011
2013
2013-
ユーゴスラビアの旗レッドスター
セルビア・モンテネグロの旗セルビア・モンテネグロU-21代表
中華人民共和国の旗大連実徳
中華人民共和国の旗中国代表
セルビアの旗レッドスター
ルーマニアの旗FCティミショアラ
セルビアの旗 セルビア代表
イラクの旗サッカーイラク代表
イエメンの旗サッカーイエメン代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴラディミル・ペトロヴィッチ(Vladimir Petrović、セルビア語Владимир Петровић1955年7月1日 -)は、セルビア(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはMF

経歴[編集]

ペトロヴィッチは1971年にレッドスター・ベオグラードで選手経歴を開始した。16歳でのデビュー以来、プルヴァ・リーガ優勝4回(1972-73、1976-77、1979-80、1980-81)とユーゴスラブカップ優勝1回(1981-82)、1979年のUEFAカップ準優勝(ドイツボルシア・メンヒェングラットバッハに敗退)に貢献。1983年までの11シーズンの間にリーグ戦通算257試合に出場し49得点を記録した。ペトロヴィッチはクラブ史上に残る選手として、Zvezdina Zvezda(ズヴェズディナ・ズヴェズダ。星人、聖人の意)の一人に選出されている。

1982年12月からは国外へ活躍の場を移し、イングランドアーセナルFCへ移籍。1983年6月にアーセナルを退団すると、ベルギーのロイヤル・アントワープスタンダール・リエージュ、フランスのスタッド・ブレスト29ASナンシーを渡り歩き、1988年に現役を引退した。

ユーゴスラビア代表としては、1973年に代表デビューを飾ると、翌1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会と、1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会に参加するなど国際Aマッチ34試合に出場し5得点を記録した。

引退後は指導者の道へ進み、古巣のレッドスター・ベオグラードのコーチに就任し、1991年にはUEFAチャンピオンズカップ 1990-91優勝を経験した。1996年に監督へ昇格するとユーゴスラビアFAカップ優勝に導いた。2004年にはセルビア・モンテネグロU-21代表監督としてUEFA U-21欧州選手権準優勝に導いた。

2005年からは中国大連実徳の監督に就任し、同年の中国超級リーグ中国FAカップの二冠に導いた。この手腕が評価され、2007年9月14日に中国代表監督に就任したが、2010 FIFAワールドカップ・アジア予選では3次予選敗退に終わり監督を辞任した[1]

2009年6月2日、シニシャ・ゴジッチの後任としてレッドスター・ベオグラードの監督に就任したが、2010年3月21日に行われたFKメタラツ・ゴルニ・ミラノヴァツ戦後に解任され[2]、同年6月4日、ルーマニアFCティミショアラの監督に就任した[3]。ティミショアラとは2年契約を結んでいたが、セルビア代表監督就任のオファーを受けると退団。同年9月15日、セルビア代表の監督に就任した[4]。2011年10月、UEFA欧州選手権2012予選敗退の責任を取って辞任。

2013年2月、サッカーイラク代表監督に就任。

脚注[編集]

外部リンク[編集]