FCポリテフニカ・ティミショアラ

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FCポリテフニカ・ティミショアラ
原語表記 Fotbal Club Politehnica Timişoara
呼称 Poli Timişoara
愛称 Alb-Violeţii (白と菫)
Bănăţeni (バナット・ボーイズ)
創設 1921
所属リーグ リーガ2セリアII
ホームスタジアム ダン・パルティヌシャヌ
収容人数 32,972
代表 ルーマニアの旗 マリアン・ヤンク
監督 ルーマニアの旗 ヴァレンチン・ヴェルチェア
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

FCポリテフニカ・ティミショアラ (Fotbal Club Politehnica Timişoara)は、1921年にルーマニア西部ティミシュ県の県都ティミショアラで設立されたサッカークラブである。現在は、ルーマニアの2部リーグであるリーガ2に所属している。サッカー以外にもバスケットボールハンドボールクラブも存在する[要出典]。同じティミショアラを本拠地とし山本僚が所属したFC CFRティミショアラベーラ・グットマンなどが所属したCSティミショアラUTAアラドディナモ・ブカレストに対してはライバル視する一方で、ラピド・ブカレストやドイツのボルシアMGとはファン同士の間で友好関係にあるという[要出典]

石油会社を経営するマリアン・ヤンク会長による積極的な支援を受け、強化が進められている。 また、有望な若手選手をトップチームに育て上げる為のFCポリテフニカ・ティミショアラIIもあり、リーガ3に所属する。

歴史[編集]

黎明期 (1921–1997)[編集]

1921年にティミショアラ工科大学によって、ソシエタテア・スポルティヴァ・ポリテフニカ (Societatea Sportiva Politehnica) として設立[1]。第二次世界大戦勃発までに、同じティミショアラに本拠を構えるリペンシアチネズルといった強豪に肩を並べるまでになった。

敗戦後の1948年にはディヴィジアAに初めて昇格[2]CSUティミショアラ(CSU Timişoara)として最初のシーズンを迎えた[3]

1950年シーズンは(1950年[4]以降)、シュティインツァ・ティミショアラ(Ştiinţa Timişoara)として参戦した。翌1951年シーズンはリーグ戦12チーム中最下位に終わり降格したものの[5]、僅か1年でディヴィジアAに復帰、[6]1958-59年まで居続けた[7]。1959-60年シーズンは2度目のディヴィジアA復帰が実現し、僅か1年で戻ってくることになった[8]。1963-64年シーズンは、14チーム中13位に終わり3度目の降格[9]、翌1964-65年シーズンには、3度目のディヴィジアA復帰を果たすなどエレベータークラブとしての歴史を歩む[10]

シュティインツァ時代には、1957-58年のクパ・ロムニエイプログレスル・ブカレスト(Progresul Bucureşti)を1-0で下し初のタイトルを獲得している[要出典]

1966-67年シーズンからはポリテフニカ・ティミショアラ(Politehnica Timişoara)に改称[11]

1977-78年シーズンにおいてリーグ戦を3位で終えたため、UEFAカップ1978-79への出場がヨーロッパの舞台にはじめて立つことになった。1回戦はハンガリーMTKブダペストに勝利したものの(第1戦:2-0、第2戦:1-2)、2回戦は同じくハンガリーのホンヴェード・ブダペストに敗退した(第1戦:2-0、第2戦:0-4)[12]

2つ目のタイトルは1979-80年のクパ・ロムニエイである。決勝戦でステアウア・ブカレストに延長戦での逆転ゴールが決まり2-1で勝利した。そしてUEFAカップウィナーズカップに出場、1回戦はスコットランドセルティック・グラスゴーに勝利したものの(第1戦:1-0、第2戦:0-2)、2回戦はイングランドウェストハム・ユナイテッドFCに敗退した(第1戦:1-0、第2戦:0-4)。[13]1980-81年のクパ・ロムニエイウニヴェルシタテア・クライオヴァに0-6で敗れ準優勝に終わったため、翌1981-82年シーズンのUEFAカップウィナーズカップに出場した。予備予選からの参加し、東ドイツ1.FCロコモティーヴェ・ライプツィヒに敗退した(第1戦:2-0、第2戦:0-5)[13]

ポリテフニカ・ティミショアラは、ディヴィジアAに1983年までの10年間在籍した[14]。その後、ディヴィジアAディヴィジアBを行き来するエレベータークラブに成り下がり、具体的には1984年[15]、 1987年[16]、 1989年[17]の3度の昇格、1986年[18]と1988年[19]の2度の降格を経験した。

1989年のルーマニア革命の後UEFAカップ1990-91に出場、1回戦はスペインアトレティコ・マドリードに勝利したものの(第1戦:2-0、第2戦:0-1)、2回戦はポルトガルスポルティング・リスボンに敗退した(第1戦:2-0、第2戦:0-7)[20]UEFAカップ1992-93において、1回戦のレアル・マドリードと対戦。地元ティミショアラで行われた第1戦では1-1の引き分けに持ち込み健闘したものの、第2戦では0-4の惨敗を喫した[20]

1993-94年シーズンは18チーム中17位に終わりディヴィジアBに降格するものの[21]、僅か1年でディヴィジアAに復帰する[22]。しかし、1996-97年シーズンは18チーム中17位に終わりディヴィジアBに降格[23]。その後ディヴィジアAに戻ることはなく2001年シーズンにはディヴィジアBセリアIIで16チーム中最下位に終わったため、ディヴィジアCに降格した[24]

カムバックと記録の争い(2002年から2011年)[編集]

2002年、AEKブカレストは初のリーガ1昇格を果たした[25]。AEKのオーナーアントン・ドボシュ(Anton Doboş)は本拠地をティミショアラに移転、クラブ名をポリテフニカ・AEK・ティミショアラ(Politehnica AEK Timişoara)に改称、地元当局やポリテフニカファンの支持を受けたが、16チーム中14位に終わり降格すると思われた[26]、しかし2003年にアストラ・プロイェシュティペトロルル・プロイェシュティが合併、グロリア・ブザウとのプレーオフの末にリーガ1に残留した。2003-04シーズンはチームとしてより成熟し、前シーズンの反省から学んだ結果、2シーズン目で8位という立派な成績を残した。

2004-05年シーズンからは、FCUポリテフニカ・ティミショアラに改称した[27]。前半戦は苦しみ、ウィンターブレーク前には降格もちらついたが、新スポンサーである石油精製会社のBKPの登場がチームを救った。ルーマニア代表コスミン・コントラアトレティコ・マドリードからレンタルで獲得したり、ヴィオレル・モルドヴァンセルヴェットFCから獲得した結果、6位まで順位が上昇した。

2005年のプレシーズンにはイタリアの強豪ユヴェントスと親善試合を行い、2-2の引き分けに持ち込んだ。2005-06シーズンは8位だった。2006-07シーズンは無難な滑り出しを見せ、シーズンのほとんどの期間を5位以内で過ごした。しかしフロントはこの結果に不満で、4人以上の監督がこのシーズンに指揮を執った。開幕時の監督はソリン・クルツだった。彼は1990-91シーズンにウニヴェルシタテア・クライオヴァでリーガ1を制したが、それはブカレスト勢(ステアウア・ブカレストディナモ・ブカレストラピド・ブカレスト)以外が優勝した最後のシーズンだった。ステアウアからやってきたステファン・グリゴリエ、ディナモからやってきたダン・アレクサと選手補強にも成功したが、監督はめまぐるしく交代した。

2007-08シーズンは好調で、2007年末には3位につけていた。勝ち点32を獲得し、1試合平均の得点は2点を超えていた。しかし、守備陣は安定せず、前年度を下回りチーム最大の欠点のように思えた。冬の移籍期間にバラージュ・ボルベリミロシュ・ブレジンスキーのふたりのスロバキア代表の守備的な選手を獲得したが、6位に終わった。クパ・ロムニエイ決勝ではCFRクルージュに敗れたが、準優勝したことでUEFAカップの出場権を獲得した。57得点はクラブ創設から6シーズンで最多だった。さらにいえば、ブカレストの3強にシーズンを通して負けがなかったチームは過去30年間で初めてだった。

2008年からは、スポーツ仲裁裁判所の仲裁判断に従いFCティミショアラに改称した。 2004-05年シーズンからは、FCUポリテフニカ・ティミショアラに改称した[28]。2008年からは、スポーツ仲裁裁判所の仲裁判断に従いFCティミショアラに改称した。 また2002年以前のチームカラーと記録については、ポリテフニカ・ティミショアラのオーナーであったクラウディオ・ザンボン(Claudio Zambon)を支持したため、FCUはチームカラーと記録を失うことになった [29]

2008-09シーズンはUEFAカップにはじめて出場したが、1回戦でパルチザン・ベオグラードに敗れた。しかしリーグ戦ではFCウニレア・ウルジチェニと最後まで優勝を争い、クラブ最高位の2位になった。2009-10シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦では前年度UEFAカップ覇者のシャフタール・ドネツクと対戦した。この格上との試合をアウェーゴール差で逃げ切り、VfBシュトゥットガルトとの本戦プレーオフに進出した。守護神コステル・パンティリモンの好守などで健闘したが、2試合合計0-2で敗れ去った。リーグ戦では5位と不本意な結果だった。

2010-11シーズン、監督交代がありながらもヤニス・ズィクの活躍でリーグ戦2位となる。シーズン終了後に財政難が発覚し、リーガ2(2部リーグ)降格処分となり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権は3位のFCヴァスルイへ移った。

サポーターとライバル関係[編集]

ダン・パルティヌシャヌに陣取るポリテフニカサポーター
(2011年4月2日)

ポリテフニカのウルトラス活動の原点は、1995年頃にウルヴァン・ゲリラ(Urban Guerilla)、グルッポ・アウトノモ・ヴィオラ(Gruppo Autonomo Viola)が出現したことが確認されている。永遠のライバルといえばUTAアラドである。双方の対戦はデルビ=ウル・ヴェストゥルイ(Derby-ul Vestului、直訳:西部ダービー)と呼ばれ、第二次世界大戦敗戦以降のルーマニアサッカー界において数々の名勝負を繰り広げたといえよう。

ほかのライバルとしてはディナモ・ブカレストステアウア・ブカレスト、少数ではあるがウニヴェルシタテア・クライオヴァも挙げるものもいる。

しかしながらラピド・ブカレストやドイツのボルシアMGとのサポーター間の交流があるという。 

チーム名の変遷[編集]

名前
1921-1948 ソシエタテア・スポルティヴァ・ポリテフニカ
1948-1950 CSUティミショアラ
1950-1966 シュティインツァ・ティミショアラ
1966-2002 ポリテフニカ・ティミショアラ
2002-2004 FCポリテフニカ・AEKティミショアラ
2004-2007 FCUポリテフニカ・ティミショアラ
2007-2008 FCポリテフニカ・1921シュティンツァ・ティミショアラ
2008-2011 FCティミショアラ
2011- FCポリテフニカ・ティミショアラ

国際試合の成績[編集]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

クパ・ロムニエイ: 2回

  • 1957–1958, 1979–1980

過去の成績[編集]

  • 2002-2003 リーガ1 14位
  • 2003-2004 リーガ1 8位
  • 2004-2005 リーガ1 6位
  • 2005-2006 リーガ1 8位
  • 2006-2007 リーガ1 7位
  • 2007-2008 リーガ1 6位
  • 2008-2009 リーガ1 2位
  • 2009-2010 リーガ1 5位
  • 2010-2011 リーガ1 2位 財政難のため降格
  • 2011-2012 リーガ2セリアII  優勝 財政難のため昇格できず

[30]

現所属選手[編集]

No. Pos. 選手名
1 エストニアの旗 GK セルゲイ・レプメツ
4 ルーマニアの旗 DF スルジャン・ルチン
7 ルーマニアの旗 MF アレクサンドル・クルテアン
8 ルーマニアの旗 DF ラズロ・セプシ
9 ルーマニアの旗 FW ミルチェア・アクセンテ
10 ルーマニアの旗 MF ユリアン・タメシュ
11 セネガルの旗 FW グエイェ ・マンスール
13 ルーマニアの旗 DF クリスティアン・スクタル
No. Pos. 選手名
14 ルーマニアの旗 DF ヨアン・メラ
15 ルーマニアの旗 FW アンドレイ・ザグレアン
18 ルーマニアの旗 FW アレクサンドル・ポポヴィチ
21 ルーマニアの旗 FW ドリン・ゴガ
30 ブラジルの旗 DF ハファエル・ロチャ
31 ルーマニアの旗 MF アドリアン・ポパラドゥ
87 カナダの旗 FW トセイント・リケッツ

歴代監督[編集]

出場試合上位選手[編集]

# 氏名 在籍期間 試合数 得点
1. ダン・パルティヌシャヌ 1970–1985 271 24
2. ソリン・ヴライク 1987–2001 244 25
3. エメリッヒ・デンブロフスキ 1966–1981 208 51
4. ヴァレンチン・ヴェルチェア 1990–2006 180 12
5. ヨシフ・ロタリウ 1980–2000 173 33
6. ダン・アレクサ 2001–2011 138 5
7. ミルチェア・オプレア 2000–2007 132 28
8. ゲオルゲ・ブクル 2005–2010 124 52

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

  1. ^ History”. fcupoli.com. 2011年8月7日閲覧。
  2. ^ Season 1947-48”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  3. ^ Season 1948-49”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  4. ^ Season 1950”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  5. ^ Season 1951”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  6. ^ Season 1952”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  7. ^ Season 1958-59”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  8. ^ Season 1959-60”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  9. ^ Season 1963-64”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  10. ^ Season 1964-65”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  11. ^ Season 1966-67”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月7日閲覧。
  12. ^ ISTORIA ECHIPELOR ROMANESTI IN CUPELE EUROPENE/REZULTATE ALL TIME/1970-1980”. StatisticiFotbal.ro. 2011年8月7日閲覧。
  13. ^ a b ISTORIA ECHIPELOR ROMANESTI IN CUPELE EUROPENE/REZULTATE ALL TIME/1980-1990”. StatisticiFotbal.ro. 2011年8月7日閲覧。
  14. ^ Season 1982-83”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  15. ^ Season 1983-84”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  16. ^ Season 1986-87”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  17. ^ Season 1988-89”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  18. ^ Season 1985-86”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  19. ^ Season 1987-88”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  20. ^ a b ISTORIA ECHIPELOR ROMANESTI IN CUPELE EUROPENE/REZULTATE ALL TIME/1990-2000”. StatisticiFotbal.ro. 2011年8月8日閲覧。
  21. ^ Season 1993-94”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  22. ^ Season 1994-95”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  23. ^ Season 1996-97”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  24. ^ Season 2001-02”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  25. ^ Season 2001-02”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  26. ^ Season 2002-03”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  27. ^ Season 2004-05”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  28. ^ Season 2004-05”. RomanianSoccer.ro. 2011年8月8日閲覧。
  29. ^ Arbitration CAS 2006/A/1109 SC FC Politehnica Timişoara SA v. CS FCU Politehnica Timişoara, award of 5 December 2006”. Court of Arbitration for Sport. 2011年8月8日閲覧。
  30. ^ Poli şi-a retras dosarul de licenţiere! ”U” Craiova - exclusă din fotbal, Sandu propune o nouă echipă! Iancu, persona non-grata” (ルーマニア語). Liga 2 (2012年5月14日). 2012年6月1日閲覧。

外部リンク[編集]