イリアン・ストヤノフ

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イリアン・ストヤノフ Football pictogram.svg
名前
愛称 イリアン、ストやん、Коловати
ラテン文字 Ilian STOYANOV
ブルガリア Илиян Стоянов
基本情報
国籍 ブルガリアの旗 ブルガリア
生年月日 1977年1月20日(36歳)
出身地 キュステンディル
身長 182cm
体重 76kg
選手情報
ポジション DF/MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1996
1996-1999
1999-2000
2000-2005
2005-2007
2007-2010
2011
ブルガリアの旗CSKAソフィア
ブルガリアの旗キュステンディル
ブルガリアの旗ヴェルヴジド1919
ブルガリアの旗レフスキ・ソフィア
日本の旗ジェフ千葉
日本の旗サンフレッチェ広島
日本の旗ファジアーノ岡山
3 (0)
66 (2)
22 (1)
90 (2)
65 (2)
85 (6)
26 (2)
代表歴2
1998-2010 ブルガリアの旗 ブルガリア 042 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月10日現在。
2. 2010年9月9日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

イリアン・ストヤノフ(ブルガリア語: Илиян Стояновラテン翻字: Ilian Stoyanov1977年1月20日 - )は、ブルガリアキュステンディル出身の元サッカー選手

目次

人物[編集]

ブルガリア代表にも選出されたセンターバック。母国ではКоловати(Collovati)の愛称で呼ばれている。

ディフェンスの選手としては優れたボールコントロール技術の持ち主であり、最後尾からのロングパスを多用するビルドアップや鋭いオーバーラップを得意としている[1][2]。その脅威から相手FWからマンツーマンで着かれることも少なくない[3]

そのテクニックを活かしMF(ボランチ)でも起用される[2][4]。ブルガリア時代は左SBとしてもプレー。CBとしては珍しいFKの名手。

来歴[編集]

1995年、CSKAソフィアに入団。その後レフスキ・ソフィア等でプレーし、ブルガリア代表ではEURO2004で2試合に出場した。ドイツワールドカップ予選にも出場した[5]

2005年3月からジェフユナイテッド市原・千葉に所属[5]イビチャ・オシム監督の下でリベロとしてプレーし中心選手として活躍、ナビスコカップ優勝などに貢献した。

2007年6月、アマル・オシム監督に対して批判的な発言を行い、それがスポーツ新聞により報道された[6]。これに対し千葉フロントは、同年6月16日ストヤノフを謹慎処分とし、同月17日対ヴァンフォーレ甲府戦に出場させないことを発表[6]。同月22日付けで謹慎処分は解除されたが、同月27日残留させないことを決定、事実上の解雇通告を受けた[6]。理由は「監督に対する批判を外部に行い、再三の説得に応じず謝罪を拒否した行為を、著しい規律違反と判断したため」[6]。その後、7月23日付けで契約解除が発表された[6]

同年8月12日にサンフレッチェ広島と契約[1]、MFとしてプレー[4]した後、本来のリベロでプレーするもののJ2に降格してしまう。同年の天皇杯では決勝進出に貢献した。降格により退団が予想されたが、「自分を苦しい時に拾ってくれたクラブを去るわけにはいかない。」と残留表明をする[7]。以降、リベロとして中心選手として攻守にわたり活躍した[8]

2009年2月、スタニミル・ストイロフブルガリア語版がブルガリア代表監督に就任、経験のあるDFとして指名され4年ぶりに代表に選出され[9]2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選にレギュラーとして出場した。2010年8月にも代表に選出された[10]。しかし、代表選出の影響で怪我が続き安定して出場できなかったため、サンフレッチェ広島では、2010年末に構想外となった[2][8]

2011年は、J2・ファジアーノ岡山に移籍[2]。チームがこの年から戦術を3バックに変更したこともあり、ディフェンスラインの中央で起用された。多くのプレースキックを担当しチームトップの8アシストを挙げる[11]など攻撃面では大きく貢献したが、開幕戦で怪我をした[12]影響もありコンディションが上がらず、シーズン終盤の4試合と天皇杯では出番を失った[13]。同年末を持って現役引退する[14]

引退後は広島でレストラン経営[15]と若年層サッカー指導者として活躍している[16]。またフットサルチームのdios hirosima(ディオス・ヒロシマ)を立ち上げ、広島県フットサルリーグ3部で活動しながら、欧州サッカー連盟の監督ライセンス獲得を目指している[17]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブルガリア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1995-96 CSKAソフィア Aグルパ 3 0
1996-97 レフスキ・
キュステンディル
17 0
1997-98 27 1
1998-99 22 1
1999-00 ヴェルヴジド1919
キュステンディル
22 1
2000-01 レフスキ・ソフィア 20 1
2001-02 25 0
2002-03 19 1
2003-04 18 0
2004-05 8 0
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2005 千葉 5 J1 30 1 8 0 2 0 40 1
2006 5 26 0 10 0 0 0 36 0
2007 5 9 1 4 0 - 13 1
広島 2 13 0 - 5 0 18 0
2008 2 J2 32 2 - 4 0 36 2
2009 2 J1 23 4 3 1 0 0 26 5
2010 2 17 0 2 0 1 0 20 0
2011 岡山 5 J2 26 2 - 0 0 26 2
通算 ブルガリア Aグルパ 181 5
日本 J1 118 6 27 1 8 0 153 7
日本 J2 58 4 - 4 0 62 4
総通算 357 15 27 1 12 0 396 16
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2010 広島 2 3 1
通算 AFC 3 1
その他の国際公式戦

脚注[編集]

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  1. ^ a b 元千葉DFのストヤノフ獲得へ”. 中国新聞(Internet Archive) (2007年8月12日). 2009年9月7日閲覧。
  2. ^ a b c d ブルガリア代表DF ストヤノフ獲得”. 山陽新聞 (2010年12月28日). 2010年12月29日閲覧。
  3. ^ ストヤノフ、密着マークにも自信たっぷり”. 中国新聞 (2008年5月15日). 2010年1月25日閲覧。
  4. ^ a b 広島に追い風だ!ストヤノフに強力援軍”. ニッカンスポーツ (2007年10月13日). 2009年9月7日閲覧。
  5. ^ a b イリアン・ストヤノフ選手加入について”. ジェフ千葉公式 (2005年3月2日). 2009年9月7日閲覧。
  6. ^ a b c d e イリアン・ストヤノフ選手について”. ジェフ千葉公式 (2007年7月24日). 2009年9月7日閲覧。
  7. ^ “激しさ”持つ助っ人・ストヤノフに期待”. スポーツニッポン (2008年1月6日). 2009年9月7日閲覧。
  8. ^ a b ストヤノフ退団 日本での現役続行望む”. 中国新聞 (2010年11月28日). 2010年12月6日閲覧。
  9. ^ ストヤノフ選手ブルガリア代表選手に選出のお知らせ”. J's GOAL (2009年2月4日). 2009年9月7日閲覧。
  10. ^ ブルガリア代表にストヤノフ選出”. 中国新聞 (2010年8月8日). 2010年12月6日閲覧。
  11. ^ TBS「SUPER SOCCER:J2アシストランキング」”. 2012年1月10日閲覧。
  12. ^ ストヤノフ選手怪我について”. ファジアーノ岡山公式 (2011年3月8日). 2012年1月10日閲覧。
  13. ^ 検証ファジJ3年目<中>守備”. 山陽新聞 (2011年12月7日). 2012年1月10日閲覧。
  14. ^ Коловати спира с футбола” (ブルガリア語). dnes.bg (2011年12月7日). 2012年1月10日閲覧。
  15. ^ 元プロサッカーのストヤノフ選手、広島にレストラン開業-引退後の夢かなえる - 広島経済新聞
  16. ^ イリヤン・ストヤノフ様”. 行政書士法人中井イミグレーションサービス (2012年3月25日). 2012年3月29日閲覧。
  17. ^ 朝日新聞 2012年7月12日夕刊4版 15ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]