鄭成龍

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鄭成龍 Football pictogram.svg
Jung Sung-Ryong.jpg
名前
愛称 The Giant
カタカナ チョン・ソンニョン
ラテン文字 JUNG Sung Ryong
ハングル 정성룡
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
生年月日 1985年1月4日(29歳)
出身地 韓国の旗済州特別自治道済州市
身長 190cm
体重 86kg
選手情報
在籍チーム 韓国の旗水原三星ブルーウィングス
ポジション GK
背番号 1
利き足
代表歴2
2008- 韓国の旗 韓国 58 (0)
2. 2014年3月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

鄭 成龍(チョン・ソンニョン、정성룡1985年1月4日 - )は、大韓民国出身のプロサッカー選手韓国代表。ポジションはゴールキーパー

人物[編集]

2003年Kリーグの浦項スティーラースに入団。当初は中々出場機会が回ってこず、2006年にようやくポジションを奪った。 2008年に城南一和天馬に移籍後は、安定したプレーを続けている。

一方、代表では2006年に初招集されたものの、当時は正GKの李雲在だけでなく、金龍大金永光といった実績のあるメンバーがいたため、ベンチにすら入れない機会が続いた。

しかし2007年末に李がトラブルを起こし、2年間の代表出場停止処分となったため、2008年1月30日チリ戦で代表デビューを飾る。その後も2010年FIFAワールドカップのアジア地区予選7試合に出場し3失点に抑えた。同年の北京オリンピック代表にも選ばれ、全3試合に出場したが、1勝1敗1分けの3位で惜しくも決勝トーナメント進出はならなかった。

李の復帰後はベンチに入る機会が多かったことから、本大会でもベンチに入ることが確実視された。しかし、李の不調や瞬発力と空中戦に強さがあることから、本大会では正GKに抜擢され、全4試合に出場。決勝トーナメント進出を果たした。大会後に李は代表を引退し、その後は正GKとして定着している。

2012年のロンドンオリンピックにもオーバーエイジ枠として選ばれ、グループリーグでは全試合に出場、1失点に抑え1勝2分けの2位で決勝トーナメントに進出、準々決勝では地元・イギリス相手に1-1の場面で勝ち越しを許すピンチの場面でアーロン・ラムジーのPKを見事にセーブ、その後自身は後半途中に負傷し、李範永と交代、その後PK戦にもつれ込んだが、李が5人目のダニエル・スタリッジのシュートを横っ飛びでセーブし、韓国は初の準決勝に進出した。準決勝のブラジル戦では負傷の関係もあってベンチだったものの、3位決定戦での日本戦では再びスタメンに復帰、無失点に抑え、アジア勢では1968年のメキシコシティオリンピックでの日本と並ぶ、韓国史上初となる銅メダルを獲得した。

この活躍により、オリンピック韓国代表の監督を務め、2014 FIFAワールドカップ出場決定後に崔康熙の後任として、代表監督に就任した洪明甫の信頼を掴み、2013年頃からリーグ戦での不調や安定感を欠く場面が見られたが、2014 FIFAワールドカップ本大会でも正GKの座を勝ち取った。 しかし、初戦のロシア戦では1点リードを守り切れず、勝ち点3を逃すと、第2戦のアルジェリア戦では自身の判断ミスもあり、4失点と惨敗、最終戦のベルギー戦ではKリーグで最高の防御率0点台を記録した金承奎にスタメンの座を譲った。韓国はベルギーにも敗れ、1分け2敗の勝ち点1の最下位に終わり、2大会ぶりの1次リーグ敗退、未勝利での敗退は1998 FIFAワールドカップ以来16年ぶりの出来事であった。 これにより、韓国内では朴主永尹錫榮等と共に、戦犯の1人に挙げられた。

なお、ワールドカップ後はウリ・シュティーリケ新監督の下、金承奎や李範永、金鎮鉉が代表に選ばれるようになり、自身は代表に選ばれていない。

所属クラブ[編集]

エピソード[編集]

  • 2008年7月27日、北京オリンピック代表でのコートジボワールとの親善試合で、自陣からのロングキックがそのまま相手ゴールに入った。
  • 私生活においては、2008年末に結婚。妻は2006年度のミス・コリア。南アフリカワールドカップ中の6月18日に長男を出産した。そのこともあって大会中、チームがゴールを決めると、「ゆりかご」のダンスをした。

代表歴[編集]

外部リンク[編集]