安貞桓
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | テリウス | ||||||
| カタカナ | アン ジョンファン | ||||||
| ラテン文字 | Ahn Jung-Hwan | ||||||
| ハングル | 안정환 | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1976年1月27日(36歳) | ||||||
| 出身地 | |||||||
| 身長 | 178cm | ||||||
| 体重 | 71kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | FW | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月27日現在。 2. 2012年1月27日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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安 貞桓(アン・ジョンファン、Ahn Jung-Hwan、안정환、1976年1月27日 - ) は、大韓民国出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。
妻は1999年ミスコリアの李恵園(イ・ヘウォン、이혜원)。2004年5月に長女、2008年12月に長男が誕生している。
ゴールを決めた際に、ラウールのように結婚指輪にキスをするパフォーマンスをしたことから、韓国では「指輪の帝王」というニック・ネームで呼ばれることもある。また、テリウス(アニメ「キャンディ・キャンディ」の登場人物)のあだ名も有名。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 韓国時代
Kリーグ・釜山大宇ロイヤルズ(現・釜山アイパーク)を経て、2000年にイタリア・セリエAのペルージャへ期限付き移籍した。それは以前同じくイタリアへ移籍した中田英寿に倣っての大韓サッカー協会の計画であった。釜山所属当時は長髪をなびかせ、若い女性の人気を集めた。オッパ隊と呼ばれる追っかけが登場しKリーグを盛り上げた。
[編集] イタリア時代
2000-01シーズンにペルージャに移籍。同じ東洋人であり、前年まで同チームに在籍した中田英寿と比較され、リーグ戦の初戦こそ先発フル出場を果たしたが、その後は第3節から11試合連続で不出場など、リーグ戦34節中15試合の出場に留まった。そのうち、先発フル出場はわずかに9試合。それでもチームにケガ人が多発した終盤では少なからず起用の機会があり、4ゴールを奪った。2年目も基本的に控えの扱いは変わらず、34節中20試合で出番が無く、先発フル出場は4試合のみ。平均出場時間も約24分から約14分と更に減少し、わずかに1得点を記録するのみだった(後に「ペルージャに嫌でもしがみ付いておくべきだった」と後悔している)。
[編集] 2002年ワールドカップでの騒動
2002年のFIFAワールドカップ・日韓大会では、代表チームのスーパーサブ的な存在として、韓国を大会ベスト4に導く原動力となった。決勝トーナメント1回戦のイタリア戦で挙げたゴールデンゴールにより国民的スターとなった。
当時の安の所属チームであるペルージャ・カルチョのルチアーノ・ガウチ会長(当時)がこのゴールに激怒し、安との契約を解除しようとしているという話が、主として韓国・日本において報じられた。しかし、この話は事実とは異なっており、「安はイタリアの地に二度と足を踏み入れる事はない」とのガウチ会長の発言は、安の「今日我々はイタリアサッカーを上回った」という発言(韓国とイタリアのメディアが報道、安はその一部を認めていない)が引き金となっている。実際にガウチは「イタリア代表戦でたとえ10ゴールを決められようともそれはかまわない。契約解除は彼の発したコメントのためだ」とBBCの取材に対して答えている[1]。
その一方、クラブとしてのペルージャには安を解雇する意志はなく、期限付き移籍であった安の所属先であった釜山に移籍金を支払い、その保有権を正式に確保している[2]。しかし、安側はペルージャで控えに甘んじていたこと、およびスペインリーグへの憧れがあったために他の欧州リーグへの移籍を模索する。2002年ワールドカップでの成功があったため、容易に移籍できるであろうという目論見があったともされる。韓国マスコミでは前述のガウチの放出宣言はむしろ安にとって朗報ともされた[3]。
[編集] Jリーグへの移籍
しかし、ワールドカップの活躍で安の市場価値の高騰を目論んだペルージャ側の設定した移籍金を支払う欧州クラブは現れなかった。更に移籍金を支払われて保有権をペルージャに譲渡したはずの釜山もなぜか保有権を主張しはじめ[4]て双方がFIFAに提訴も辞さないという状況に陥った。最終的に保有権をペルージャからパチンコ販売会社フィールズの子会社であるプロフェッショナルマネージメント株式会社(現ジャパン・スポーツ・マーケティング株式会社)が買い取り、更に釜山にも移籍金を支払うことで決着を見る。その後、2002年9月、Jリーグの清水エスパルスに半年という契約でレンタル移籍。本人は半年で欧州リーグへの移籍を再度模索するつもりだったが、欧州リーグは興味を示そうとはせず、1年半の間、清水エスパルスに在籍した。
2004年1月に横浜F・マリノスへ完全移籍。優勝への天王山となった1stステージ最終節鹿島戦を含む終盤4試合で4試合連続ゴールする。Jリーグチャンピオンシップ優勝決定後に田中隼磨がメッセージTシャツを着る。2005年6月に契約満了により横浜FMを退団。Jリーグでは3シーズン弱在籍し、通算72試合30ゴールを記録した。
「安心して働ける日本が好きだから、ここで頑張ろうと思った」と、厚生労働省の外国人雇用状況報告制度(平成17年6月)の宣伝ポスターで使用された。
[編集] 欧州への再挑戦と失敗
2005-06シーズンに入り、セリエAのリヴォルノ、ブンデスリーガの1FCケルン、リーガ・エスパニョーラのデポルティーボ・ラ・コルーニャが獲得に乗り出したと言われるが、結局リーグ・アンのFCメッツへ移籍する。しかし、得点しても仏レキップ紙の採点では事実上の最低点となる2点を付けられるなど、チームにフィットすることができなかった。2006年1月にはブンデスリーガ・MSVデュイスブルクに移籍。途中加入ながら2得点を記録した。このシーズンに所属した2つのチームはどちらもリーグ最下位となり、2部に降格となった。なお、両チームともに翌シーズンには再昇格を果たしている。
アジアで活動している英国のサッカージャーナリスト ジェレミー・ウォーカーは「安貞桓が外国で成功した国は日本だけで、その他挑戦した国々(イタリア、フランス、ドイツ)では悲惨な結果」という厳しい評価を下している。[5]。
[編集] 無所属期間
2006年8月にはデュイスブルクからの解雇が発表された。直後にスコットランドのハーツと交渉し、移籍寸前まで話が進んだが、ハーツはチリ代表FWのマウリシオ・ピニージャを獲得し、移籍話は破談になった。その後、欧州クラブからのオファーを待ったが、結局無所属となった。韓国代表ピム監督は当初、所属チームはすぐに決まると聞かされていたようだが、その後所属チームがいっこうに決まらなかったため「安貞桓の代表入りはない」と告げ、この時期の代表招集は見送られることになった。
[編集] 韓国復帰
2007年1月9日、Kリーグの水原三星ブルーウィングスと1年契約を交わしたが15試合無得点と結果を出せず、翌2008年に古巣の釜山アイパークに8年ぶりに復帰することとなった。
2007年9月11日、FCソウル2軍との試合中、FCソウルサポーターに家族と自分についてのわいせつな悪口に激憤し、そのままスタンドに上りサポーターに「なぜそのように選手の悪口をいうのか!」「あなたのような人が居るからKリーグが発展しない!」と抗議。安はその場で退場処分を受け、後に日本円で約120万円の罰金を科せられた。このような事件はKリーグ史上初。安自身としては1999年の韓国FAカップ蔚山現代FC戦以来、Kリーグ2度目の退場。
[編集] 中国進出
故障も多く満足の行く結果を残せなかったため、釜山との契約も1年で終了した。一時期はアメリカ進出も検討したがうまくいかず、2009年は中国スーパーリーグの大連実徳と3か月間10万USドルの条件で契約した。
その大連実徳ではエースストライカーとして活躍。2010年2月25日には南アフリカW杯に向けての強化試合(対コートジボワール)に代表として招集された(1年8ヶ月ぶりの代表復帰)。そして南アフリカW杯の最終登録メンバー入りを果たし、3大会連続のW杯出場エントリーが内定したが、試合に出場することはなかった。
2012年1月に現役引退を表明した。
[編集] 人物
[編集] 所属クラブ
- 1986年 - 1988年
大林(デリム)初等学校 - 1988年 - 1991年
南ソウル(ナムソウル)中学校 - 1991年 - 1994年
ソウル機械工業高等学校 - 1994年 - 1997年
亜洲大学校 - 1998年 - 2000年
釜山大宇ロイヤルズ - 2000年 - 2002年
ACペルージャ - 2002年9月 - 2003年
清水エスパルス - 2004年 - 2005年6月
横浜F・マリノス - 2005年7月 - 2006年1月
FCメッツ - 2006年2月 - 2006年8月
MSVデュイスブルク - 2007年 - 2008年
水原三星ブルーウィングス - 2008年 - 2009年
釜山アイパーク - 2009年 - 2011年
大連実徳
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | 釜山大宇 | 8 | Kリーグ | 33 | 13 | ||||||
| 1999 | 34 | 21 | 1 | 1 | 1 | 0 | 36 | 22 | |||
| 2000 | 20 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 20 | 10 | |||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000-01 | ペルージャ | 8 | セリエA | 15 | 4 | - | |||||
| 2001-02 | 10 | 15 | 1 | - | |||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002 | 清水 | 26 | J1 | 10 | 3 | 1 | 0 | 3 | 2 | 14 | 5 |
| 2003 | 19 | 28 | 11 | 4 | 2 | 4 | 3 | 36 | 16 | ||
| 2004 | 横浜FM | 36 | 25 | 12 | 1 | 0 | 1 | 1 | 27 | 13 | |
| 2005 | 19 | 9 | 4 | 0 | 0 | - | 9 | 4 | |||
| フランス | リーグ戦 | リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005-06 | メス | 19 | リーグ・アン | 16 | 2 | ||||||
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2005-06 | デュイスブルク | ブンデス1部 | 12 | 2 | - | 0 | 0 | 12 | 2 | ||
| 2006-07 | ブンデス2部 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
| 韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
| 2007 | 水原三星 | 10 | Kリーグ | 15 | 0 | 10 | 3 | 1 | 0 | 26 | 3 |
| 2008 | 釜山 | 8 | 9 | 1 | 3 | 2 | 0 | 0 | |||
| 中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
| 2009 | 大連 | 30 | 超級 | 12 | 8 | - | - | ||||
| 2010 | 19 | 22 | 10 | - | - | 22 | 10 | ||||
| 通算 | 韓国 | Kリーグ | 102 | 44 | |||||||
| イタリア | セリエA | 30 | 5 | - | |||||||
| 日本 | J1 | 72 | 30 | 6 | 2 | 8 | 6 | 86 | 38 | ||
| フランス | リーグ・アン | 16 | 2 | ||||||||
| ドイツ | ブンデス1部 | 12 | 2 | - | 0 | 0 | 12 | 2 | |||
| ドイツ | ブンデス2部 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
| 中国 | 超級 | ||||||||||
| 総通算 | 217 | 83 | |||||||||
その他の公式戦
- 2004年
- スーパーカップ 1試合0得点
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2002-03 | 清水 | 26 | 4 | 5 |
| 2004 | 横浜FM | 36 | 4 | 3 |
| 2005 | 19 | 3 | 3 | |
| 通算 | AFC | 11 | 11 | |
その他の国際公式戦
- 2004年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
[編集] 個人タイトル
- 1998年 Kリーグベストイレブン
- 1999年 KリーグMVP
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 韓国のサッカー選手一覧
- Jリーグの外国籍選手一覧
- Jリーグ歴代記念ゴール達成者一覧
- 横浜F・マリノスの選手一覧
- 清水エスパルスの選手一覧
- パク・ユンギ - 高校時代の恩師。Kリーグ初代得点王。
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