サーシャ・ドラクリッチ

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サシャ・ドラクリッチ
名前
愛称 シャシャ(샤샤)、サーシャ
ラテン文字 Saša Drakulić
キリル文字 Саша Дракулић
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1972-08-28) 1972年8月28日(51歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア ヴィンコヴツィ
身長 190cm
体重 84kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1993 ユーゴスラビアの旗 バチュカ
1993-1994 ユーゴスラビアの旗 レッドスター・ベオグラード 11 (2)
1994 ユーゴスラビアの旗 オビリッチ(loan)
1995-1998 大韓民国の旗 釜山大宇 57 (16)
1998-1999 大韓民国の旗 水原三星 44 (26)
2000 日本の旗 柏レイソル 2 (0)
2000 大韓民国の旗 水原三星(loan) 14 (5)
2001-2003 大韓民国の旗 城南一和 90 (27)
2004 キプロスの旗 ラルナカ 6 (1)
2005-2006 セルビア・モンテネグロの旗 ヴォイヴォディナ 1 (0)
2006 セルビア・モンテネグロの旗 ČSK(loan) 17 (14)
2006-2007 セルビアの旗 ムラドスト・アパティン 21 (7)
2007 セルビアの旗 ヴォイヴォディナ 12 (4)
2008-2009 セルビアの旗 プロレテル・ノヴィ・サド 20 (14)
2010 セルビアの旗 ムラドスト・アパティン 5 (2)
2010 セルビアの旗 ツェメント 5 (4)
2014-2015 セルビアの旗 ボラツ・ノヴィ・サド
2016-2017 セルビアの旗 ブロダラツ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

サシャ・ドラクリッチセルビア語: Саша Дракулић, ラテン文字転写: Saša Drakulić1972年8月28日 - )は、セルビア(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手。ポジションはフォワード

Kリーグ時代の登録名はシャシャハングル: 샤샤)[1]Jリーグ時代の登録名はサーシャ[2]

経歴[編集]

レッドスター・ベオグラードから1995年にKリーグの釜山大宇ロイヤルズに移籍し、1998年途中に水原三星ブルーウィングスに移籍した。2000年2月にはJリーグの柏レイソルに移籍[3][4]したが開幕前に骨折が判明し3月に朴建夏が短期移籍で水原三星から柏に加入[5]したがその後もJリーグに適応できないまま結局2試合0得点に終わり5月に黄善洪との交換移籍で水原三星に復帰[6]し7月には放出され、2001年に城南一和天馬に加入した。韓国では9シーズンで6回のKリーグ優勝を果たし優勝請負人と呼ばれた。その活躍によって城南一和時代には2002 FIFAワールドカップに向けて韓国代表入りが噂され帰化の意思を示していたが空港でフース・ヒディンク監督から代表に招集することはないと告げられた為に帰化することはなかった。

エピソード[編集]

水原三星時代の1999年3月31日に富川SK戦で決勝ゴールをヘディングで決めた後にNATO(北大西洋条約機構)によるユーゴスラビア空爆(アライド・フォース作戦)に抗議してユニフォームをめくり「NATO STOP ASSAIL」(NATOは攻撃を止めろ)というアンダーシャツを見せ論争を起こした[7]。また7ヶ月後の10月31日には釜山大宇と対戦したKリーグチャンピオンシップ決勝第2戦で延長前半8分に左からのクロスをヘディングで合わせゴールデンゴールを決めた。このゴールによって水原三星のKリーグ連覇が決定したが実際には左手でボールをゴールに叩き込んでいた[8]為に今でも韓国ではディエゴ・マラドーナの伝説的ゴールになぞらえて神の手と呼ばれている。試合後のインタビューでは「何も分からない。触っていない、触っていない。もしかしたら手で触れられたかもしれないが主審はゴールを認めた、それはゴール。これで試合は終わり」と語った[9]がこの発言にサッカー界のみならず一般世論からも批判が集まり得点王ベストイレブンを受賞したにもかかわらずMVPを逃した(受賞したのは釜山大宇の安貞桓[10])。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
1995 釜山大宇 19 Kリーグ 25 7 6 1 - 31 8
1996 19 3 1 0 2 0 22 3
1997 13 6 15 5 1 0 29 11
1998 0 0 13 4 0 0 13 4
水原三星 8 18 8 0 0 1 0 19 8
1999 26 18 10 3 0 0 36 21
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 8 J1 2 0 0 0 0 0 2 0
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2000 水原三星 8 Kリーグ 14 5 1 2 0 0 15 7
2001 城南一和 10 25 10 9 5 2 0 36 15
2002 26 9 11 10 0 0 37 19
2003 39 8 - 0 0 39 8
通算 韓国 Kリーグ 205 74 66 30 6 0 277 104
日本 J1 2 0 0 0 0 0 2 0
総通算 207 74 66 30 6 0 279 104

タイトル[編集]

釜山大宇ロイヤルズ[編集]

水原三星ブルーウィングス[編集]

城南一和天馬[編集]

個人タイトル[編集]

出典[編集]

  1. ^ 샤샤”. K League. 2023年11月4日閲覧。
  2. ^ サーシャ”. J.League. 2023年11月4日閲覧。
  3. ^ サーシャ選手との正式契約延期のお知らせ』(プレスリリース)2000年2月2日。 オリジナルの2001年11月23日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20011123084943/http://www.reysol.co.jp/news/2000020201.html2020年12月11日閲覧 
  4. ^ サーシャ選手との正式契約締結のお知らせ』(プレスリリース)2000年2月28日。 オリジナルの2001年11月23日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20011123092824/http://www.reysol.co.jp/news/2000022801.html2020年12月11日閲覧 
  5. ^ 朴 建夏選手の短期移籍が決定』(プレスリリース)2000年2月18日。 オリジナルの2001年11月23日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20011123091028/http://www.reysol.co.jp/news/2000021801.html2020年12月11日閲覧 
  6. ^ 黄 善洪(ファン ソン ホン)選手の移籍加入が決定』(プレスリリース)2000年5月10日。 オリジナルの2001年11月23日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20011123085340/http://www.reysol.co.jp/news/2000051001.html2020年12月11日閲覧 
  7. ^ 朝鮮日報 (1999年4月7日). “【ユーゴ人サッカー選手】「仕事よりも祖国が大切」NATO空爆への抗議デモ”. 2020年12月11日閲覧。
  8. ^ 朝鮮日報 (1999年11月1日). “【現場】「サッカーはハンドボールではない」釜山の猛烈抗議”. 2020年12月11日閲覧。
  9. ^ YouTube (2013年6月19日). “伝説のKリーグ1999チャンピオンシップ決勝第2戦の神の手”. 2020年12月11日閲覧。
  10. ^ 朝鮮日報 (1999年11月9日). “【プロサッカー】MVPは安貞桓、新人王は李成宰”. 2020年12月11日閲覧。

外部リンク[編集]