長谷川祥之
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長谷川 祥之 |
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| 名前 |
| 愛称 |
ハセ |
| カタカナ |
ハセガワ ヨシユキ |
| ラテン文字 |
HASEGAWA Yoshiyuki |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1969年2月11日(43歳) |
| 出身地 |
京都府宇治市 |
| 身長 |
179cm |
| 体重 |
69kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
FW |
| 利き足 |
右足 |
| 代表歴 |
| 1995-1996 |
日本 |
6 (0) |
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長谷川 祥之(はせがわ よしゆき、1969年2月11日 - )は、京都府宇治市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。現在は鹿島アントラーズユースコーチを務めている。JFA 公認B級コーチライセンス所持。
[編集] 人物
黒崎比差支、奥野僚右、大野俊三、本田泰人やサントス、そしてジーコなどとJリーグ開幕当初の鹿島アントラーズの黄金期を築いた功労者の一人。リーグ戦では長谷川が点を入れた試合は34連勝で、「長谷川が決めればチームは負けない」という伝説も残している。その後も息の長い活躍を続け、マジーニョや柳沢敦、平瀬智行らと先発ポジションを争い続けた。1999年頃から先発出場の機会は減ったが、その後もスーパーサブとして存在感を保ち、選手としてはもうピークを過ぎているであろう後も鹿島のサポーターの間では長い間人気を博していた。2003年7月27日、1stステージホーム最終戦のセレッソ大阪戦で現役を引退。その後、鹿島の下部チームのコーチに就任。
[編集] 選手時代の特徴
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上背がそれほどあるわけではないが、ヘディングが得意で通称「全角度対応ヘッド」。「空中に留まることができる」と言われた垂直飛び70cmオーバーのジャンプ力で数多くのゴールを生み出した。足技はそれほど上手なほうではなく、よく「低い弾も頭で行ったほうが入る」などとの皮肉も言われた時期もあったが、ワンタッチでゴールを決めるポジショニングのよさは、ヘディングに限らず足でのゴールにおいても発揮され、鹿島アントラーズ歴代1位のゴール数を誇る。体を投げ出す勇気あるプレーでゴールを狙うため、よく頭部を負傷し、包帯を巻いてプレーをしていた。頭部を負傷している状態でも躊躇せずヘディングをし、ゴールを決めていた。このような姿勢が今でもファンに愛されている所以である。
レオナルドやジョルジーニョが在籍していた時期には、彼らが繰り出すロングフィードの受け手であるポスト役は常に長谷川の役目であり、ターゲットマンとしても貴重な存在だった。
現役末期には慢性的な膝の故障を抱え往年のジャンプ力を失ったが、ファイト溢れるプレーと持ち前の決定力でスーパーサブの役目を果たし、2002年日韓ワールドカップに向けて改修されたカシマスタジアムのこけら落とし試合(2001年5月19日、柏レイソル戦)では、満員のサポーターの前で劇的な延長Vゴールを決めている。
[編集] 所属クラブ
[編集] 指導歴
- 2004年?-2006年 鹿島アントラーズジュニアユースコーチ
- 2005年 ナショナルトレセンコーチ 北信越担当
- 2006年 U-18/U-15 GK・U-15ストライカーキャンプ ストライカーコーチ
- 2007年-2010年鹿島アントラーズユースコーチ
- 2011年- 鹿島アントラーズアカデミートレセン
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
JSL杯/ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 1990-91 |
本田 |
26 |
JSL1部 |
0 |
0 |
- |
- |
0 |
0 |
| 1991-92 |
10 |
22 |
3 |
3 |
0 |
|
|
|
|
| 1992 |
鹿島 |
- |
J |
- |
9 |
7 |
3 |
1 |
12 |
8 |
| 1993 |
- |
30 |
9 |
5 |
3 |
5 |
4 |
40 |
16 |
| 1994 |
- |
43 |
21 |
0 |
0 |
1 |
0 |
44 |
21 |
| 1995 |
- |
42 |
16 |
- |
4 |
2 |
46 |
18 |
| 1996 |
- |
25 |
12 |
11 |
0 |
3 |
0 |
39 |
12 |
| 1997 |
11 |
27 |
7 |
11 |
4 |
2 |
1 |
40 |
12 |
| 1998 |
26 |
14 |
4 |
3 |
4 |
0 |
34 |
17 |
| 1999 |
J1 |
21 |
4 |
7 |
2 |
0 |
0 |
28 |
6 |
| 2000 |
8 |
1 |
5 |
0 |
1 |
0 |
14 |
1 |
| 2001 |
11 |
2 |
6 |
1 |
1 |
0 |
18 |
3 |
| 2002 |
25 |
3 |
8 |
3 |
3 |
0 |
36 |
6 |
| 2003 |
3 |
0 |
0 |
0 |
- |
3 |
0 |
| 通算 |
日本 |
J1 |
261 |
89 |
66 |
23 |
27 |
8 |
354 |
120 |
| 日本 |
JSL1部 |
22 |
3 |
3 |
0 |
|
|
|
|
| 総通算 |
283 |
92 |
69 |
23 |
|
|
|
|
その他の公式戦
- 1991年
- 1993年
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1999年
- 2001年
- 2002年
- FUJI XEROX SUPER CUP 1試合0得点
[編集] 主な受賞歴
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 6試合 0得点(1995-1996)
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Jリーグ記念ゴール |
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| 1-10,000 |
1 マイヤー1993.5.15 | 500 水沼貴史1993.12.1 | 1,000 メディナベージョ1994.8.17 | 1,500 城彰二1995.4.5 | 2,000 エジソン1995.8.12 | 2,500 江尻篤彦1995.11.15 | 3,000 三浦泰年1996.8.28 | 3,500 高木琢也1997.5.3 | 4,000 横山貴之1997.8.23 | 4,500 レディアコフ1998.4.25 | 5,000 バジーリオ1998.9.23 | 5,500 佐藤一樹1999.4.24 | 6,000 鈴木秀人1999.11.7 | 6,500 長谷川祥之2000.7.1 | 7,000 久保竜彦2001.5.12 | 7,500 久保山由清2001.11.3 | 8,000 崔龍洙2002.9.14 | 8,500 ヴァスティッチ2003.5.18 | 9,000 斎藤大輔2004.3.13 | 9,500 安貞桓2004.9.23 | 10,000 前田雅文2005.5.8
|
|
| 10,500- |
10,500 今野泰幸2005.11.12 | 11,000 アンドレ2006.7.23 | 11,500 田中佑昌2006.11.18 | 12,000 ウェズレイ2007.6.23 | 12,500 マルキーニョス2008.3.16 | 13,000 巻誠一郎2008.9.14 | 13,500 鄭大世2009.5.10 | 14,000 中山博貴2009.11.28 | 14,500 赤嶺真吾2010.8.22 | 15,000 辻尾真二2011.5.22 | 15,500 ラフィーニャ2011.9.18
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