ジョルジェ・デ・アモリン・カンポス
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | ジョルジ・デ・アモリン・カンポス Jorge De Amorim Campos |
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| 愛称 | ジョルジーニョ | |||||
| ラテン文字 | JORGINHO | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1964年8月17日(48歳) | |||||
| 出身地 | リオデジャネイロ市 | |||||
| 身長 | 175cm | |||||
| 体重 | 69kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF (RSB) / MF (DH) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1982-1984 1984-1989 1989-1992 1992-1995 1995-1998 1999 2000-2001 2002 |
20 (0) 188 (7) 87 (9) 67 (6) 103 (18) 13 (1) 28 (2) 4 (0) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1987-1996 | 64 (3) | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 2006 2010 2011 2012 2013 |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2001年7月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 サッカー | ||
| 銀 | 1988 | サッカー競技 |
ジョルジーニョ(Jorginho)ことジョルジ・デ・アモリン・カンポス(Jorge De Amorim Campos, 1964年8月17日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは右サイドバック、ボランチ。元ブラジル代表。
目次 |
来歴[編集]
生い立ち[編集]
幼い頃に父親を事故で亡くし、貧しい少年時代を過ごした。13歳の時にアメリカ-RJに入団した[1]。入団テストはセンターバックとして受けたが、身長不足のためサイドバックに転向し、機敏性と身体能力を武器にで頭角を現し、17歳の時に監督のエドゥの目に止まり、プロデビューを果たした[2]。
現役時代[編集]
1985年にCRフラメンゴに移籍し、ジーコらとともに1986年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権と、1987年のブラジル全国選手権制覇に貢献した。1988年にはソウルオリンピックブラジル代表に選ばれ、銀メダルを獲得した。1989年にドイツのバイエル・レバークーゼンに海外移籍。そこでボランチに転向し、それ以後、クラブチームでは主にボランチとしてプレーした。1994年のワールドカップ・アメリカ大会では本来のポジションである右サイドバックとしてプレーし、大会随一と言われるほど[誰によって?]の活躍で母国のワールドカップ優勝に貢献した。
1995年に移籍した鹿島アントラーズではフィールド上で絶大な存在感を示し、数々のタイトル獲得の原動力となった。1999年にブラジルに帰国し、3チームに所属し代表復帰を目指したが2003年に現役引退した。
引退後[編集]
引退後はいったん代理人業に従事するが、2006年に初めて在籍したクラブであるアメリカ-RJの監督として現場に復帰。同年夏からはドゥンガ監督のもとでブラジル代表のヘッドコーチに就任した。ワールドカップ・南アフリカ大会終了後は2010年にゴイアスEC、2011年にはフィゲイレンセFCの監督を歴任。フィゲイレンセでは、財政的に余力があるわけでもなく、知名度のある選手を補強することなく戦った同クラブを、シーズン終盤までコパ・リベルタドーレス出場権を争うチームに作り上げ、最終的に20チーム中の7位に導いた。この功績が評価され、ジョルジーニョは同年のリーグ最優秀監督候補の3人の中の1人に選出された。[3]
2012年、古巣である鹿島アントラーズの監督に就任[4]。同年のナビスコカップとスルガ銀行チャンピオンシップを制覇したが、1年限りで退任した。
2013年3月17日、古巣フラメンゴの監督に就任したが、6月7日に解任。
人物[編集]
敬虔なクリスチャンであり、誠実で温厚な性格で、ファンへの対応も丁寧だった。鹿島在籍時には、納豆も好んで食べていたと言う。
2000年、貧しい子供たちのための施設「Bola pra frente」(ボーラ・プラ・フレンチ)をリオ市郊外グァダルッピ地区に設立。
(Bola pra frente とは直訳すると「ボールを前へ」、即ち「前へ向けて進もう」という意)
ジョルジーニョ自身、経済的に苦しい少年時代を過ごしたことから同じ境遇にいる子供たちに人生の機会を与えたいと考えており、現在施設では6歳~17歳の約900人の少年少女たちがその年齢に合わせて学芸やスポーツ、職業訓練などを学んでいる。
所属クラブ[編集]
- 1984年
アメリカ-RJ - 1985年 - 1989年
CRフラメンゴ - 1989年 - 1992年
バイエル・レバークーゼン - 1992年 - 1994年
バイエルン・ミュンヘン
指導歴[編集]
- 2006年
アメリカFC:監督 - 2006年 - 2010年
ブラジル代表:ヘッドコーチ - 2010年
ゴイアスEC:監督 - 2011年
フィゲイレンセFC:監督 - 2012年
鹿島アントラーズ:監督 - 2013年 - 2013年6月
CRフラメンゴ:監督
個人成績[編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1983 | アメリカ-RJ | 8 | 0 | ||||||||
| 1984 | 12 | 0 | |||||||||
| 1985 | CRフラメンゴ | 12 | 0 | ||||||||
| 1986 | 21 | 1 | |||||||||
| 1987 | 15 | 1 | |||||||||
| 1988 | 7 | 0 | |||||||||
| 1989 | |||||||||||
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 1989-90 | レバークーゼン | ブンデスリーガ | 20 | 2 | |||||||
| 1990-91 | 30 | 2 | |||||||||
| 1991-92 | 37 | 5 | |||||||||
| 1992-93 | バイエルン | 33 | 3 | ||||||||
| 1993-94 | 24 | 2 | |||||||||
| 1994-95 | 10 | 1 | |||||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995 | 鹿島 | - | J | 29 | 8 | - | 3 | 0 | 32 | 8 | |
| 1996 | - | 26 | 2 | 13 | 1 | 1 | 1 | 40 | 3 | ||
| 1997 | 2 | 31 | 5 | 12 | 7 | 5 | 4 | 48 | 16 | ||
| 1998 | 2 | 17 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 20 | 3 | ||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999 | サンパウロ | 13 | 1 | ||||||||
| 2000 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 13 | 1 | ||||||||
| 2001 | 22 | 1 | |||||||||
| 2002 | フルミネンセ | ||||||||||
| 2003 | |||||||||||
| 通算 | ブラジル | ||||||||||
| ドイツ | ブンデスリーガ | 154 | 15 | ||||||||
| 日本 | J | 103 | 17 | 28 | 9 | 9 | 5 | 140 | 31 | ||
| 総通算 | |||||||||||
- その他の公式戦
- 1996年
- サントリーカップ - 2試合0得点
- 1997年
- スーパーカップ - 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ - 2試合0得点
- 1998年
- Jリーグチャンピオンシップ - 2試合0得点
- 国際大会
- アジアクラブ選手権 - 5試合2得点
- アジアカップウィナーズ選手権 - 1試合0得点
代表歴[編集]
出場大会[編集]
- ブラジル代表
- 1987年 コパ・アメリカ1987(GL敗退)
- 1988年 ソウルオリンピック(銀メダル)
- 1990年 1990 FIFAワールドカップ(ベスト16、4試合0得点)
- 1994年 1994 FIFAワールドカップ(優勝、7試合0得点)
- 1995年 コパ・アメリカ1995(準優勝)
監督成績[編集]
| 年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ブラジル杯 | オープン杯 | |||
| 2006 | セリエC | アメリカFC | ||||||||
| 2010 | セリエA | ゴイアス | 19位 | 33 | 38 | 8 | 9 | 21 | ベスト16 | |
| 2011 | フィゲイレンセ | 7位 | 58 | 38 | 15 | 13 | 10 | |||
| 年度 | 所属 | クラブ | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 |
| 2012 | J1 | 鹿島 | 11位 | 46 | 34 | 12 | 10 | 10 | 優勝 | ベスト4 |
獲得タイトル[編集]
選手時代[編集]
クラブ[編集]
- カンピオナート・ブラジレイロ:1回(1987年)
- キリンカップ:1回(1988年)
- ブンデスリーガ:1回(1993-94)
- Jリーグ:2回(1996年、1998年)
- ヤマザキナビスコカップ:1回(1997年)
- 天皇杯:1回(1997年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:2回(1997年、1998年)
- カンピオナート・ブラジレイロ:1回(2000年)
- コパ・メルコスール:1回(2000年)
個人[編集]
指導者時代[編集]
クラブ[編集]
- ヤマザキナビスコカップ:1回(2012年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回(2012年)
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ 「南米あの人はいま」footballista、ソルメディア、2009年3月18日号、37頁
- ^ Sports Graphic Number、文藝春秋、1995年3月16日号、24-27頁
- ^ スポーツニッポン (2011年12月10日). “2011ブラジル全国選手権 中堅クラブを躍進させた元鹿島MFジョルジーニョ”. 2012年4月12日閲覧。
- ^ ジョルジーニョ氏の来季監督就任について合意 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト
外部リンク[編集]
- ジョルジーニョ(ジーコ公式サイト:ライブラリ/名選手列伝)
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